2009年12月26日 (土)

クリスマスイブと昭和記念公園

イエス・キリストの誕生を祝う祭り「クリスマス(降誕祭)」の前夜であるクリスマスイブが「聖夜」(holy night)と呼ばれて日本でも定着しています。もともとキリスト教の儀式ですが、サンタクロースがクリスマス・プレゼントを配送する夜であり、家族でクリスマスケーキを食べ、クリスマスツリーの飾りつけなど楽しいことに溢れた夜なのです。最近はあまり見掛けなくなりましたが私のようなノンベエ(呑兵衛)にも天国の夜でした。

1225日がクリスマスとなったのは太陽の再生を祝う「冬至」の祭りと融合したとの見方があります。実はイエス・キリストが誕生した年月日はよく分かっておらず、イエス・キリストの誕生した年を元年とする年代の数え方が西暦ですが、不思議なことに史実としてはイエス・キリストが生まれたのは紀元前4年頃と推測されるそうです。

イエス・キリストはパレスチナ(現在のイスラエルやパレスチナ自治区など)で教えを説いた実在の人物とされますが歴史的にそれを実証するものは何もないそうです。そして名前のイエスはギリシャ語の再建者を、姓に当たるキリストは同じく救世主を意味し、これが現在では固有名詞となりました。イエス・キリストはユダヤ教の改革を唱えたため、これを嫌うユダヤ人と為政者への反抗を疑ったローマ帝国のユダヤ属州総督が計って処刑したのかもしれません。多くのアメリカ映画がこの顛末を描いています。

クリスマスイブに登場するサンタクロースはトナカイに引かれたソリに乗っていますし、もみの木で作るクリスマスツリーも、イエス・キリストが生きた中東のパレスチナではなく、北欧の雰囲気に溢れています。仏教徒が多い日本では宗教色のないお祭りとして12月の風物詩となったことにも違和感はないでしょう。

本題です。オチビちゃんとコチビちゃんが遊びに来てくれましたのでクリスマスイブの日に立川の昭和記念公園へ出掛けました。オチビちゃんとコチビちゃんのお母さんや叔父さんたちを連れてよく出掛けた場所です。昭和天皇在位50周年を記念して立川基地の跡地に造営された国営公園として1983年に開園しました。立川基地と言えば私は砂川事件を思い出します。米軍に接収された立川基地(立川飛行場)の滑走路延長を巡って地元住民が激しく抵抗した1957年の反対運動です。この抵抗に押されて滑走路の延長を断念した米軍から1977年に返還された飛行場跡地はその後、自衛隊や海上保安庁などの官庁施設が置かれた防災基地へと変貌しました。

ちょうど昼頃に到着した広大な駐車場に駐車する車は数えるほどで、一番近い場所から立川口ゲートへ向うと、「巨大リース」と「トナカイ」が出迎えてくれました。

 

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ゲートを潜ったサイクリングコースの出発点横にあるホットフードの屋台村でさっそく昼食です。ところが開いていた店はわずか一軒だけ、しかも準備されていたメニューも限られているのです。ウィンタービスタイルミネーションWinter Vista Illumination 2009、12月5日-25日の17:00-21:00に開催)目当ての来園者を当て込んだ屋台は夕方に開店するのでしょう。それでもベトナムのフォー、ホットドッグ、たこ焼き、えびせんなどでオチビちゃんとコチビちゃんは満足そう。

シャンパングラスツリーが大きな噴水と向かい合い、ミニシャンパングラスツリーが並ぶ全長200mの「カナール」を抜けて「ふれあい広場」に向うと、そこには不思議な造形があちこちに展示されていました。

 

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二人は一つひとつを見ながら走り回っています。夜には「グラウンドイルミネーション」となる造形でした。

 

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「カナール」とこの「ふれあい広場」がイルミネーションの主会場になっています。

 

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水鳥の池の周りにあるカンツバキやニホンスイセンが咲く花木園を抜けると「わんぱくゆうぐひろば」で、その先は広大な「みんなの原っぱ」へ続いています。長い滑り台、ブランコ、ふわふわドーム(トランポリンと滑り台を組み合わせたようなもの)などほとんどの遊具が貸切り状態です。「みんなの原っぱ」のずっと先の「こどもの森」にある「雲の海」の方が大規模ですが二人にはこちらがちょうど良い大きさだったと思います

 

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午後の3時を過ぎると日が傾いて肌寒くなってきましたので切り上げることに。そのあとは別の場所(次回記事で紹介)にしばらく立ち寄って帰宅しました。

 

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帰宅途中のコンビニでサンタクロースの衣装を着た男性がクリスマスケーキを店頭販売しているのを見掛けましたが、同居人が二人のために前もって用意していたのは「ブールミッシュ」(BOUL MICH)の可愛いクリスマスケーキ。そしてオチビちゃんの希望で燭台の赤いローソクに火を灯してささやかなクリスマスイブを楽しみました。

 

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<同行者のコメント> 人の少ない場所を選んだのはわが家のガイドさんらしくて温かい日に二人が思い切り遊べたのはよかったと思います。いつも長い列が出来て待たされる駐車場の入口では係りの人が退屈そうでした。

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2009年12月22日 (火)

ねじまき鳥クロニクル

村上春樹氏の長編小説「ねじまき鳥クロニクル」を読みました。この作品は作者がプリンストン大学に客員研究員として招聘された時に書き始め(1992年から「新潮」に連載)、帰国後に第3部を追加して同氏の5作目の長編小説として1995年に完成しました。はじめて読むこの作品は、これまでに読み返した前4作をさらに発展させたもので、入り組んだ(綿密に構築された)ストーリー展開とそれを巧みな文章力で表現する作者の卓越した能力をいやと言うほど思い知らされます。

私の能力ではとてもそれを表現できませんので物語の構成と主な登場人物、そして私が感じたことを思いつくままに紹介することにします。第1部泥棒かささぎ編、第2部予言する鳥編、第3部鳥刺し男編で構成される3部作はいずれも多数の細切れの章が点描画のようでストーリー展開を見失いがちになるのは作者の意図なのでしょうか。

2008_04290065 そして登場人物です。主人公の岡田トオルは法律事務所の助手を辞めて現在は主夫、その妻の久美子(クミコ)は小さな雑誌社に勤める編集者です。久美子が大学生の時に知り合った二人は卒業後に久美子の父親の反対を押し切って結婚、幸せな生活が数年続いたある日、久美子が突然失踪するシーンで物語が始まりました。二人以外の主な登場人物を次に列挙します。

綿谷昇(ノボル): 妻の兄で東大卒の学者、後に衆議院議員となる

加納マルタ: 不思議な能力を持つ女性占い師で世界各地の水を調べている

加納クレタ: その妹で姉の仕事を手伝う、そして主人公をクレタ島に誘う

笠原メイ: 近所に住む休学中の女子高生、主人公に隣家の井戸の存在を教える

本田大石: 元関東軍伍長の老占い師、ノモンハンの話を新婚の主人公夫妻に語る

間宮徳太郎: 元関東軍中尉、満州国とシベリアの回想話を主人公に伝える

赤坂ナツメグ: 服飾デザイナー、第3部に登場して主人公に接近する

赤坂シナモン: 言葉を一切発しないナツメグの息子でそのアシスタント

牛河(通称ウシ): 綿谷昇の議員秘書、指示を受けて主人公に接触する

主人公夫妻の飼い猫: 顔つきが綿谷昇に似ている、長い失踪後に戻る

2008_04290106 不思議なタイトル「ねじまき鳥クロニクル」が意味するもの(作者の意図)は読み進むうちに分かってきます。「ねじまき鳥」とは地球のネジを巻く鳥のこと、主人公の自宅近くの樹にとまってネジを巻くような鳴き声をたてる未知の鳥です。主人公は加納クレタの質問に答えて「ねじまき鳥は実在する鳥なんだ。どんな恰好(かっこう)をしているかは、僕も知らない。僕も実際にその姿を見たことはないからね。声だけしか聞いたことがない。ねじまき鳥はその辺の木の枝にとまってちょっとずつ世界のねじを巻くんだ。ぎりぎりという音を立ててねじを巻くんだよ。ねじまき鳥がねじを巻かないと、世界が動かないんだ。(中略)本当はねじまき鳥がいろんな場所に行って、行く先々でちょとずつ小さなねじを巻いて世界を動かしているんだよ。」と説明しています。(第2部予言する鳥編15正しい名前~、265頁)ねじまき鳥の存在がこの物語の主題を象徴的に示しているのです。「クロニクル」は年代記または年表を意味する英語です。

第1部のタイトル「泥棒かささぎ」はロッシーニが作曲したオペラ、第3部の「鳥刺し男」はモーツアルトが作曲した最後のオペラ「魔笛」に登場するパパゲーノ、つまり鳥類の捕獲を職業とする人のこと。前者は権力者に横恋慕されたヒロインが囚われの身になるものの最後は救われる話、後者は王子が王女を救い出す話で、いずれもこの作品が救出劇であることを暗示しています。

2008_03230060 上述しましたが、3部からなるこの作品は細かいストーリーが綴りあわされて構成されていて、まるでジグソーパズルの小さなピースの集合体のようです。第1部は13ピース、第2部が18ピース、そして一番長い第3部に41ピース、合計72ピースが複雑に絡み合って読者は迷路を歩くように感じますが、読み進むと山の高みに上ったように徐々に物語の全体像が俯瞰できるようになるのです。そして時空を越えた複数の意外な出来事(ピース)が隣同士に位置している(関連がある)ことも判るのです。すなわち、この物語は時空を越えた重層構造を持っていたのです。第1部が1984年6月から7月で第2部が同年8月から10月であることを内表紙に記載、第3部はそのあと1985年12月までであることが文中に示されています。

物語の舞台は現代の東京、ソ連が参戦する直前の満州国(首都新京と外モンゴル国境)が間宮中尉の回想として登場します。それほど多くない登場人物が似た環境で似た体験をするのです。主人公が住む世田谷区の住宅地が物語の主舞台で、水、深い井戸の底、顔に出来た青い痣(あざ)、野球のバットなどが物語の鍵になります。

2008_08180005_2 下品で卑しい風貌の牛河が主人公に言った「人は島嶼(とうしょ)にあらず」(第3部177頁)が理解できませんでした。調べると「人は一人では生きられない」という意味で、1617世紀の英国詩人ジョン・ダン(John Danne)の詩の一節 "No man is an island." を和訳したものでした。アーネスト・ヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」(1945年の映画化でゲーリー・クーパーとイングリッド・バーグマンが共演)の題名はこの詩の冒頭から引用され、同じ詩のなかに「人はみな一島嶼(とうしょ)にてはあらず。人はみな大陸(くが)の一塊(ひとくれ)。」とあります。米文学翻訳者でもある作者らしい引用で、私にはこの言葉がこの作品のモチーフであると思われました。

第1部と第2部の「起」「承」から長い第3部に入って「転結」へと進むかと思えば、やはり村上春樹氏ならではの展開が待っていました。重層構造となったジグソーパズルの多数のピースが戦時の回想や新たな登場人物たちによって次第に相互に関連付けられて行くのです。そして現実の世界と観念の世界が交錯して最後の山場を迎えます。物語のあちこちで主人公が接触した笠原メイとの久しぶりの再会、二人の会話の中に最後のピースを暗示、余韻を残しながら爽やかなエンディングとしたのは見事です。

2008_07080042 主人公の周りにユニークな女性が多数登場、官能描写もあるのは前4作と同様に村上春樹氏の世界ですが、本作品では外モンゴル、満州国、そしてシベリアの捕虜収容所での残虐シーンも生々しく描かれ読み続けるのが怖くなるほどでした。それでもエログロ小説に陥らないのです。そしていずれもがこの作品に欠かせないピースであることを読後に知りました。このブログ記事をここまで読んでも要領を得ないと感じた方はこの作品をお読みになれば私のもどかしさを理解していただけるでしょう。

注釈; 写真は上から世田谷城址祖師谷商店街赤坂サカスTBS)新宿駅西口(小田急百貨店)、同高層ビル街。私がこの小説から連想した場所です。

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2009年12月16日 (水)

六本木ヒルズのイルミネーションとジョニー・デップ

飲み会のため六本木へ出掛けました。予約した時間には余裕がありますので六本木ヒルズへ寄り道をすることにするとエスカレータの前方に見えてきた六本木ヒルズの「66プラザ」にはクリスマス・イルミネーションが輝いていました。11月4日から12月25日まで開催されるこのイルミネーションは「魔法がかかった白い世界」を演出しているのだそうです。(2009年12月10日撮影)

私の好きなスポットは「ローズガーデン」、高台からライトアップされた東京タワーが目の前に望めます。純白に塗られた「ロートアイアンのガゼボ」と東京タワーの組み合わせが好きなのです。

 

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石段を下りた毛利庭園にもイルミネーションがあるようですが並木の成長を期待している「六本木けやき坂通り」に向いました。昨年イルミネーションを見た時と同じコース。

 

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けやき通りにある連絡ブリッジの先に人だかりができて歩道まで人が溢れていました。六本木ヒルズアリーナで何か催し物があるようです。悲鳴のような女性の歓声が聞こえます。その人波をかき分けるように進むと東京タワーが見えてきました。

 

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帰宅後に調べるとこの日(12月10日)の午後6時頃に映画「パブリック・エネミーズ」(12月12日公開)のジャパンプレミア会場となった六本木ヒルズアリーナを主演するジョニー・デップが訪れていました。50倍の抽選で選ばれて入場できた1000人と入場できなかった数百人の歓声だったのです。

 

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ジョニー・デップは今やハリウッドを代表する人気俳優です。貧しい家庭に生まれたデップはリードギタリストとして名を上げて俳優への道を進みました。1984年に最初の映画「エルム街の悪夢」に出演、1990年に主演した「シザーハンズ」では当時売り出し中であった女優ウイノナ・ライダーと共演します。人造人間の主人公は未完成で両手がなぜかハサミのままだったとの設定、人間社会に受け入れられない悲しい運命を描いたファンタジックな映画がジョニー・デップと私の最初の出会いでした。

 

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その後は「フェイク(Donnie Brasco)」(1997年)、「ショコラ(Chocolate」(2000年)、現在の地位を築いた「パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち」(2003年)、「チャーリーとチョコレート工場」(2005年)など何作かを観ています。マフィアに潜入したFBI捜査官を演じた「フェイク」と流れ者を演じた「ショコラ」などシリアスな映画と「シザーハンズ」と同様に不思議な映像に溢れたファンタジー映画の「チャーリーとチョコレート工場」でも好演しています。アメリカン・インディアンの血を引く複雑な家系と貧しい生い立ちのためかジョニー・デップが持つ旧来のハリウッド俳優とは異なるキャラクターがファンの心を掴んでいるのでしょう。私は上記の作品のうちで「シザーハンズ」と「ショコラ」の若いジョニー・デップが印象に残っています。

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2009年12月10日 (木)

世界の終わり

新政権がマニュフェストに従って国の重要政策を見直し、来年度予算(概算要求)の事業仕分け作業が公開の場で行われて衆目を集めました。これまでになかったこの手法は国の予算のあり方が大きく変わる可能性を実感させ概ね好感を持って受け止められているようです。しかし、なかには劇場型だとかパフォーマンスだと揶揄したり、仕分け人を「何様のつもりか!」と強烈に批判する権威主義的な人がいます。もちろん予算削減あるいは事業中止の当事者は心穏やかでなく強く反発、この世の終わり(世界の終わり)と深刻に受け止めた人が憤怒(ふんぬ)の相で憤懣(ふんまん)を仕分け人にぶつける様子をテレビ・ニュースが伝えていました。私は科学技術の重要性を認識する一人ですが、怒りを向ける先が違うと思いました。必要性を質問した仕分け人ではなく、事業についての見識と情熱を持ち合わせない説明者(役人)が責められるべきでしょう。

今回のテーマに取り上げた「世界の終わり」は、多様な意味がありますが、一般には先が期待できない良くない状況を指すようです。そして世界の終わりと感じる人の困難や悩みを救済するために生まれたのが宗教、「あの世」(仏教では来世)の存在を説いて人間の不安や苦悩を軽減することを目的(使命)とします。信心深いと自称する私は旅先で神社仏閣にお参りするのが常ですが、昨年四国遍路の巡拝中、一心不乱に経を唱える人や涙を流しながら祈る人を見かけて宗教の存在を強く感じました。

人の心における「世界の終わり」をもう少し考えてみましょう。懐かしく思い出すのはカントリー歌手のスキータ・デイビス(Skeeter Davis)が1963年に歌ったヒット曲 The end of the world (邦題: この世の果てまで)です。高校時代には英語のヒアリング教材代わりに聴きました。ブレンダ・リーBrenda Lee)のハスキーな歌声やエルビス・プレスリー(Elvis Presley)の甘い歌声も記憶に残っています。日本の歌手では石嶺総子さんの歌が良いと思います。失恋の歌と思われがちですが実は親しい人を失った悲しみを表しているそうです。日々の様子は何も変わっていないのに自分にはこの世が終ったように感じられるとの想いを切々と歌います。

2009_11280077 さてここから本題です。究極の「世界の終わり」は人間がその片隅に生活する大宇宙がこのまま膨張を続けて無限の大きさになって希薄化するか、あるいはこの動きが反転、大宇宙が収縮してビッグバン以前の無の状態に戻ることでしょうか。それとも地球が含まれる銀河系が他の銀河系と衝突する、太陽系で寿命を迎えた太陽が膨張して地球を吸収する、巨大隕石が地球に衝突して恐竜を絶滅させたような気象激変で人間の生存が危うくなれば人間にとって「世界の終わり」でしょう。また松本清張氏が「神と野獣の日」(1973年刊行)で描くように誤射された数発の核ミサイルが東京に迫る状況も「世界の終わり」を実感させます。

2009_11280083しかしそんな天変地異や災難が起きなくても上述した歌のように人の死は本人はもちろん、近親者にとっても「世界の終わり」なのかもしれません。あるいはアルツハイマー病などで自分あるいは愛する人の記憶が薄れてゆくとしたら、それも「世界の終わり」と感じられるかもしれません。

半年前から村上春樹氏の著作を読み返している私は「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」(1985年刊行)を読み終えました。谷崎潤一郎賞を受賞した同氏作目の長編小説です。タイトル通りに2つの話が同時進行します。

 

2009_11280095_2「ハードボイルド・ワンダーランド」は情報の安全を守る組織に属する主人公が情報を盗み出そうとする敵対組織に襲撃され、情報の安全を守る技術を発明した老科学者の依頼で働くとともに、その孫娘と奇想天外な冒険をすることになる物語です。地下の不思議な空間から主人公と孫娘が脱出した場所は神宮外苑の地下鉄銀座線外苑前駅構内でした。もうひとつの話「世界の終わり」は壁に囲まれた不思議な世界(世界の終わり)に入ってしまった主人公が一角獣の頭蓋骨に蓄積した多くの人の夢を読む仕事をはじめます。その世界では全てが完璧で疑問を挟む余地もないのですが、人が心を持たないことに主人公は納得できず、その世界から出て行くことを考え始めました。

 注釈)写真は上から秩父宮ラグビー場周辺(2枚)、いちょう並木、外苑前駅

2009_11280084比喩の多い文体と奇抜な舞台設定にもかかわらず読み進むと村上春樹氏の世界に引き込まれて行くのは先に読んだ3作と同じ、登場人物がわずか数名と少ないことも同様です。2つの話が次第に明瞭なイメージを持ち始めると2つの世界(現実の世界と観念の世界)が近づいて行きます。そして最後にはプラスの粒子とマイナスの粒子が衝突、巨大なエネルギーを生じて消失するような終末を予感させて2つの物語が同時に終りました。人の頭脳に蓄積された記憶情報によって世界は存在することと、それが消失する、あるいは思考システムの切り換えでそれが別のものと入れ替わってしまうことは「世界の終わり」を意味するのです。

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2009年12月 7日 (月)

表参道のイルミネーション

11年ぶりに表参道のイルミネーションが再開されたと聞いて所用のついでに出掛けました。1998年を最後に欅(けやき)並木への負荷を配慮したことと資金難から中止されていました。2006年には表参道ヒルズのオープンを記念して行灯(あんどん)のような「表参道AKARIUM」にLED(発光ダイオード)ランプで色を演出した様子を当ブログで紹介しています。今年は木にLEDランプを直接取り付ける方法になったのです。表参道全体で63万個のLEDランプが使われる今回のイルミネーションは11月30日から1月10日まで開催されるそうです。(2009年12月3日撮影)

生憎の雨模様ですが人出が少ないかもしれないと期待しながら東京メトロ表参道駅から地上にでるといつものように両側の歩道に人波が続いていました。

 

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表参道ヒルズへ向う途中で横断歩道橋に上がってみました。車のヘッドライトとテールライトがまぶしいのですが、並木のイルミネーションが見渡せます。

 

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ブランドショップのライトアップがイルミネーションと融合して華やかさを演出しています。

 

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ディオールは真っ赤なイルミネーションが幻想的で一際目を惹きました。

 

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ベルシンフォニーと名付けられた黄金色の鐘の音が可愛らしく、新芽をモチーフとしたイルミネーションは綺麗な造形です。

 

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もう一箇所の横断歩道橋からも撮影しました。後で知ったことですが橋の上は安全のため写真撮影が規制されていたようです。

 

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