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2005年12月に作成された記事

2005年12月31日 (土)

川崎大師参拝と町田のロテン・ガーデン

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年末の恒例として川崎大師に家族でお参りしました。初詣客が圧倒的に多い川崎大師ですが、年末は人も少なく、我家ではこの20年近く年末に参拝しています。 
 
 
 
 
 
 
 

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昨年戴いた護摩をお返しして、新たに家内安全の護摩祈願をお願いしました。お参りした後は、これも恒例ですが大山門前の「はやま」で少し早い年越し蕎麦をいただきました。土産はいつもののど飴と干支の人形です。    

これで年内の我家の行事をすべて済ませました。さあ温泉です。リニューアル中であった町田のロテン・ガーデンが26日にオープンしたとホームページに出ていましたので早速出かけました。国道16号線は相変わらずの渋滞でした。いつもは並木を楽しみながらドライブできる道ですが、今はシーズン外れで、北風に舞う枯葉は寂しいです。奥村チヨの歌ではありませんが落ち葉が舞い散る・・・・。
   
roten-3渋滞を抜けるとほどなくロテン・ガーデンです。すぐ目に入ったのは新館でした。壁面には大きな看板も。駐車場はいつものことですがほぼ満車。一番上に駐車しました。と言っても入り口に近くて便利です。エレベータで2階へ。

カウンター前が広々としています。料金はこれまで通り1000円でした。受付の女性から新しくなった点の説明を受ける。新館に出来た休憩室や食堂、セラピー、そして露天風呂が二階建てになったと。室内着が用意されていることも。
 
 
 
    

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内風呂とその目の前の露天風呂は以前とほぼ同じでした。内風呂で少し温まり、新設された屋上の展望露天風呂へ行ってみる。階段を登った先に掛け流しの岩風呂が二つ。床の水が氷のように冷たい。奥の透明な風呂に急いで入る。一息入れて外の展望はと・・・。周辺の住宅地と草原の向こうに多摩美大の校舎がよく見えます。

木枯らしが肌に冷たく当たります。黒湯にも浸かったあと、下の露天風呂、打たせ湯、その横にあるサウナと内湯にある塩の房(塩風呂)にも入ってみました。塩風呂は私に刺激的過ぎます。泡流風呂と内湯をゆっくり楽しみました。 
 

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新館を探索してみました。渡り廊下で新館の4階につながっています。そこはカジュアルな食堂です。テーブル席と畳席があり、食事を楽しむ人たちで一杯です。3階は和食の「和樂」、さらに降りた2階が休憩室でした。リクライニング・チェアが20数席、右手には畳のスペースも。休憩室は静かな音楽が流れています。言葉を発する人はいません。目を閉じている人、本を静かに読む人も。図書館よりも静かな環境が気に入りました。畳の上でしばしまどろむ。

前回利用した時に気になったポイントは期待以上に改善されていました。新館の休憩室がいいですね。屋上の露天風呂は春風の季節にまた入りたいです。

<同行者のコメント> また同じところかと思ったのですが、新しく出来た露天風呂は外が見られてよかったです。アイスクリームが濃厚で美味しかった!そして休憩室も。珍しく主人の意見に賛成です。

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世界都市巡り(写真集)

これまでにご紹介していない想い出に残る都市の写真をまとめて掲載します。
 

ヨルダンのアンマン (遺跡と朝靄)
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ベトナムのハノイ(上段)とホーチミンシティ(下段)
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シンガポール(ダウンタウンと日本人墓地)

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フィリピンのマニラ
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中国の貴陽市

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台湾の台北市
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中国の南京(ダウンタウンと中山陵-孫文の墓)
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シカゴ
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上海
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香港

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南アフリカのヨハネスブルグ
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ワシントンDC (キャピトルヒル周辺とJFKの墓)
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ニューヨーク (マンハッタン、世界貿易センター 、自由の女神) 2713

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2005年12月30日 (金)

インドネシアとマレーシア

インドネシアのジャカルタで思い浮かぶのは江戸時代に幕府の命令でインドネシアへ追放された混血児「ジャガタラお春」の悲しい話です。オランダの東インド会社が長崎の出島などを通して鎖国中の日本と取引があった時代です。蘭学が西洋の学術として多くの学者に学ばれたことは時代劇にもよく登場します。明治以降は「からゆき(唐行)さん」もインドネシアなど東南アジア一帯に足跡が残っています。私はシンガポールの日本人墓地で軍人の墓とともにカラユキさんの墓にお参りしたことがあります。皆さんもご存知の「島原の子守唄」はこの「からゆきさん」を歌った唄です。暗い出だしになってしまいました。
 
日本と昔から関係が深いインドネシアの首都ジャカルタはおよそ8時間の直行便で行けます。人口は東京都とほぼ同じです。タムリン通りには高層ビルが立ち並び、目抜き通りは自動車の渋滞です。以前は3輪トラックやトライショー(3輪自転車)も走リ雑然としていましたが、今は制限されているようです。人と車が溢れており、世辞にも綺麗とは言えませんが、活気に溢れたアジアを代表する街の一つです。
 
公用語のインドネシア語は隣国マレーシアのマレー語とほとんど同じです。その理由はインドネシアが太平洋戦争後にオランダから独立した時に、島ごとに異なる言語(例、ジャワ語・スマトラ語)とともに国内の一部で使われていたマレー語を国の共通度として採用したからなのです。私は都合10数回出張のため訪れたインドネシアとマレーシアで単語をいくつか覚えました。セラマパギ(おはよう)、ナマサヤ○○(私の名前は・・・)、テリマカシ(ありがとう)、サマサマ(どういたしまして)、アンダ(あなた)など。運転手にはトゥングディイニ(ここで待て)と言えば大丈夫です。アダ(ある)、ブカン(ない)、チャンティック(美しい)、バグース(良い)、マカン(食べる)、ミヌム(飲む)、エナ(美味しい)も役に立ちます。道はジャランですが、重ねてジャラン・ジャランとすれば散歩するになります。日本語と同様に重ね言葉が多い言語です。
 
インドネシアの食べ物は香辛料がいっぱい使われて大変ホットです。ある時、うっかり唐辛子をそのまま食べてしまい、食事をしている間(1時間くらい)、味覚が無くなってしまったことがあります。慌てて呑んだビールが事態をさらに悪化させたようです。私にはミー(麺類)やナシ・ゴレン(チャーハン)が美味しいです。サテ・アヤム(焼き鳥)、イカン(魚)料理も行けます。テはお茶、ビールはビルですがビンタン(ブランド名)でもOKです。
 
バンドンはジャカルタから飛行機でおよそ30分、列車だと4時間くらい掛かったと思います。時間に余裕があるときは列車にした方が良いと忠告されました。理由は当時の飛行機が非常に古かったからです。高地にあるバンドンまで農村風景を見ながらの鉄道の旅は楽しいです。途中に見事な棚田がありました。バンドンは第二次大戦後にアジア・アフリカ会議(バンドン会議)が開催された都市で、官庁、バンドン工科大学などの有名大学、整然とした住宅地などがあるとても美しい町です。
 
インドネシアで有名なものを挙げてみましょう。楽器のガムラン、ワヤン・クリ(影絵芝居)、バティック(ろうけつ染)、そしてインドネシアの民謡は「ブンガワン・ソロ(ソロ川)」と「かわいいあの娘(ノナマニス)」が日本でも良く知られています。日本語訳の歌が昭和30年代に流行った「歌声喫茶」で良く歌われたそうです。私の世代は少し後でしたから、高校の部活(演劇部)の休憩時間にロシア民謡と一緒によく歌いました。観たことはありませんが、昭和26年に作られた戦争映画「ブンガワン・ソロ」(市川崑監督)で日本に紹介されたようです。昭和30年代には小林旭が日活映画「渡り鳥シリーズ」で「アキラのブンガワン・ソロ」として歌っていました。「かわいいあの娘」の歌詞には日本語に交じって「ノーナマニサパヤンプーニャ」(かわいいあの娘は誰のもの)を繰り返すのが印象に残っています。当時はその意味を知りませんでしたが・・・。
   
KLマレーシアの首都クアラルンプールはアジアの町並みに古いイギリス風の建物と新しいアメリカ風のビル街とが溶け合った美しい街です。最近は郊外の開発が急ピッチに行われており、1998年に開港した新空港に続いて、プトラジャヤ(政治機能)とサイバージャヤ(科学技術)の副都心が整備されています。写真はクアラルンプール都心にある88階建てのペトロナス・タワーです。日韓の建設会社が一棟ずつ建設し、1997年から世界一の高さを誇りました。(2003年に台北のビルに高さで世界一の座を譲りましたが・・・) ショーン・コネリーとキャサリン・ゼタ・ジョーンズが共演した1999年の映画「エントラップメント」の舞台にもなりました。

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2005年12月29日 (木)

歴史の街 北京

北京は四国とほぼ同じ面積に1300万人の人口を有する大都市です。市街地の広さは東京とほぼ同じですが、違う点は市街地がほとんど平坦で坂がないこと。マニアがいらっしゃるくらい東京には多くの坂がありますね。北京は古くは燕京、北平、大都とも呼ばれましたが、明代に首都南京に対する北京と改称されました。日本では北京(ペキン)と呼びますが、これは宋の時代に日本へ入ったとする説と英語の呼称とする説の二つがあります。発音(中国語のピンイン表記)はBeijinです。Pekingと呼んでいた英語圏も現在はBeijinとすることが多くなり、日本だけが取り残されることになりました。
 
   

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急速な経済発展と北京オリンピックの2008年開催に向けて再開発が進んでいます。
 
 

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世界遺産の万里の長城は都心部から80km北西にある八達嶺が観光地として知られています。万里の長城の総延長はおよそ6kmで万里と呼ぶのは大げさのようですが、実は中国の一里500mで換算すると12千里となり妥当なのでしょう。入場料金は人民(中国人)と外国人で異なるのが中国らいしと思いました。

天安門は世界遺産の紫禁城(故宮)正門跡で清の時代に現在の形に建てなおされました。北京の顔であるとともに中国を代表する重要な建物です。中華人民共和国の建国が宣言されて以来、政治ショーの舞台としてよく使われています。天安門に登ると毛沢東や周恩来が立った場所から天安門広場が一望できました。

  

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天安門広場は世界一広い広場(東西500m、南北800m)と称されています。戦前から最近までいくつもの不幸な出来事がありましたが、日常は市民や観光客が散策する場所になっています。広場の南端に建つ毛主席記念堂まで歩いて見ました。思い思いの方向へ大勢の人が歩いています。巨大なスクランブル交差点に迷い込んだよう・・・。

北京で思い出すのがアメリカ映画「北京の55日(55 days at Peking)」です。1964年の制作、チャールトン・へストンが主演し、亡くなった伊丹十三氏も出演されています。大学に入った年に見た記憶があります。日本を含む欧米列強に反感を抱いた民衆が列強の大公使館や外国人へのテロを行った「義和団の乱」をもとにした戦争スペクタクル映画です。外国人が北京城に55日間篭城したのち、列強国の援軍が到着して目出度し目出度しで終わります。
 
   

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私の好きなブラザース・フォアが主題歌を歌っていました。ドラム音をイメージした"bom bom bom"の繰り返しと"The year was nineteen hundred"で始まり、途中 各列強の旗に続いて"the flag of the Japanese"も登場。最後は"fifty five days at Peking"で終わります。

当時は撮影規模の大きさに感動しましたが、今思えば文明人(西洋の価値観)が身勝手な振る舞いをしたことを正当化する映画でした。この事件が清朝の力をさらに弱めることとなり、約10年後の辛亥革命で中華民国が誕生します。

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2005年12月28日 (水)

明るい街 シドニー

オーストラリアを代表する都市です。明るい日差しと美しい入り江、そして緑に包まれた活動的な町です。よく知られているのがハーバー・ブリッジとオペラ・ハウスです。
 

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高い所が好きな方はハーバー・ブリッジのアーチの上(パイロン・ルックアウト)を散歩してはいかがでしょうか?シドニーはビジネス都市でもあり、ハーバー・ブリッジの周辺には高層のオフィスビルが立ち並んでいます。

 
(下の2つは少し古い写真です)

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湾沿いにドライブするとリゾート地が点在しています。道路によるコースは遠回りですから、フェリーの方が速くて便利です。外海に近いマンリーなどがお勧めです。

 

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食べ物はなんと言ってもシーフードです。もちろんオージービーフも美味しいですよ。観光客が十分に楽しめる町です。
 

蛇足ですが、シドニーと並ぶ都市はメルボルン。ずっと南に位置するため気候がマイルドですし、物価が安くシドニーより住みやすいとメルボルン在住のオーストラリア人は説明します。二つの都市は東京と大阪のように異なるキャラクターを持っているようです。シドニーの住人は逆のことを言うのだろうと思いますが・・・。どちらも魅力溢れる都市です。
 

毎年3月にF1レースが開催されるのもメルボルンです。2000年のシドニー・オリンピックは記憶に新しいですが、メルボルンでもオリンピックが1956年に開催されました。この大会では競泳の古川選手(平泳ぎの潜水泳法で知られる)や体操の小野選手などが金メダルを獲得しています。中学時代によく聴いたラジオ・オーストラリアの日本語放送がメルボルンから放送されていたことも懐かしい想い出です。

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2005年12月27日 (火)

スイスのジュネーブ

Geneve-31999年、二度目のジュネーブも晩秋でした。レマン湖の西端に位置する美しい町はすでに肌寒さを感じさせます。 

 

 

 

 

 

湖を取り囲むように拡がる町並みは散策に打ってつけです。賑やかな目抜き通りにはヨーロッパの国でよく見かける路面電車が走っていました。

 

Geneve-2湖畔から狭い坂道を登ると入り組んだ街路があります。衣料品店、食料品店、生花店、貴金属店などを見ながら歩いていると教会が目に入りました。パイプオルガンの演奏会があるとポスターに書かれています。夕食をすませてからその演奏会に参加しました。小さな教会に置かれたパイプオルガンは立派です。オルガンの生演奏をしばし楽しみました。

 

レマン湖は世界一の噴水があることでも知られます。140メートルの高さがあるそうです。こういったものが好きな私ですが、それほどの感動はありませんでした。

 

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むしろモンブラン橋に飾られた多数の旗の方が面白く感じました。橋の袂にあるローレックス本店では目の保養に外からちょっと覗いてみました。

 

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ジュネーブはフランス国境に近く、前回訪れた時は日帰りのバスでモンブランへ行きました。今回は滞在時間が短いため街の散策だけで終わりです。

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2005年12月26日 (月)

箱根の楽遊壽林自然館

年の瀬が迫った三連休の最終日に伊勢原の日向薬師さんへお参りに行くことにしました。朝の東名高速は何時になく空いています。少し遠回りですが箱根で一度立ち寄ってみたかった日帰り湯「楽遊壽林自然館」へ向かう。小田原厚木道路も順調です。自宅から1時間足らずで宮ノ下に到着。
 
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富士屋ホテル前の三叉路を直進、すぐ右手の専用駐車場に停める。9時半を少し過ぎたところでしたがもう先客の車が1台ありました。急な石畳の小道を降りる。途中に和風の門があります。さらにつづら折の小道を降りると楽遊壽林自然館の歴史を感じさせる建物がありました。

 
DSCF0014玄関先の庭に源泉の湯が細く流れ落ちています。定刻の10時少し前にオープン。チェックインをする。入場料は一人2500円、そして貸切り湯「林間の岩風呂」は50分2000円、計7000円でした。浴衣を借りて、一階下の食堂を抜け、さらに狭い階段を降りたところに男女別の内湯と3段になった露天風呂があります。内湯で温まったあと、3段の露天風呂に順番に入りました。浴槽の木の感触と柔らかいお湯が心地よい。木立の中から谷の向こう岸と青い空が見えます。早川の流れは見えませんが水音が近くに聞こえます。冷たい空気が熱った体に気持ちよい。いつもより長湯になりました。

浴衣に着替え、食堂で水とお茶で一服しました。予約した11時少し前に貸切り風呂に案内される。エントランスと同じ石畳の小道が下へと延びる。左手の木戸を入ると左手に野趣あふれる岩風呂がありました。脱衣所もオープンスペースです。大きな岩に囲まれた風呂は人の気配のないまさに自然の中。渓流が僅かに望めます。私は20分で十分でした。

 

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同行者が戻った11時半過ぎに昼食。箱根そば御膳をいただく。4種類のそば、湯葉、大根、巾着などが美味しい。昼食後は最上階の広い和室で休憩。3方向が望めます。眼前の明星ヶ岳など対岸の展望を楽しみました。横になっているうちについウトウトと・・・。
 

DSCF0043温泉を堪能した後は国道1号線で平塚を経由、伊勢原の日向薬師さんへ。渋滞もなく薬師さん裏の駐車場に到着。今年一年の健康を感謝しました。日向薬師は日本三大薬師のひとつで国の重要文化財の仏像が多数納められています。境内の「旗かけ杉」と呼ばれる杉は推定樹齢800年で県指定の天然記念物です。(左の写真 日向薬師本堂) 

<同行者のコメント>大満足でした。チェックインの時に高いかなと思った料金も納得です。また来たいです。1日100名限定なのもちょっとうれしいですね。

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2005年12月25日 (日)

バンコックで危機一髪

タイのバンコックは「天使の都」と呼ばれる魅力溢れる都市です。直行便が多いタイ航空はシンガポール航空と並んで機内のホスピタリティが良いことで人気があります。ドンムアン国際空港は都心部から離れており、高速道路ができる前は渋滞のため3-4時間かかることも珍しくありませんでした。

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観光とビジネスの町であるバンコックには超一流のホテルがたくさんあります。少し古い情報ですが、ビジネス街のデュシットタニ、パンパシフィック、川沿いのザ・ペニンシュラ、シャングリラ、そして憧れのオリエンタルなど数え切れません。いずれも宿泊料が高く、シーロム通りかスクムビット通りの安いホテルが私の定宿でした。
 

タイ料理は良く知られるように甘辛い味に特徴があります。スープのトムヤムクンは有名ですね。辛いものが好きな私の好物です。海鮮料理では蟹玉が最高です。麺類も美味しく軽い昼食に最適です。数種類の麺から選んでオーダーできます。私は幅広麺にミートボールを入れるのが好きです。街角の蕎麦屋さんを利用すれば値段も格安です。
 
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仏教国のタイは町のいたるところに寺院があります。この説明は長くなりますので別の機会に譲りましょう。タニア通りとハッポン通りの飲み屋さんはほとんど日本人専用でした。日本語での会話とカラオケはまるで国内にいるよう・・・。これも詳細は割愛します。
 

a3何度目かの訪問でついに憧れのオリエンタル・ホテル(The Oriental Bangkok)に宿泊する機会ありましたが、初めてタイへ出張した時、このホテル横にある桟橋からメナム川上りの船旅に出かけました。チャオプラヤ(メナム)川は川幅一杯に流れる水量が豊かです。観光船の近くをジェットボート(船外機を付けた細身の木船)が走り回ります。両岸を眺めながら約3時間でアユタヤ遺跡に到着しました。
 

ここはタイがシャムと呼ばれていた時代に山田長政が活躍した場所です。世界遺跡に指定されたアユタヤ遺跡は昔ビルマの軍隊に破壊されたため廃墟のようでしたが、往時の繁栄をよく伝えています。
 

早朝のJALで帰国することに。すべてがいつもと同じです。離陸するタイミングで急に減速!?激しい振動が床下から伝わります。さらに急ブレーキ!!オーバーラン???滑走路の端でやっと停止、やれやれ!  
 
a9主滑走路から誘導路へ少しUターン。しかしそこでまた停止。どうしたのかと思うまもなく「避難してください」との機内アナウンスがある。開いたドアに向かって他の乗客につづいてゾロゾロと歩く。「落ち着いて避難してください」と客室乗務員の緊迫した甲高いアナウンスが繰り返される。ドアの外には脱出用のシューターが地面まで伸びています。鞄を機内に置くように指示される。思ったより長いシューターを滑り降りる。そして少し離れた場所のバスへ移動。写真はその時に振り返って撮影しました。
 

離陸直前にタイヤがバーストし、その後に急ブレーキをかけたため車輪周辺から火災が発生したようです。その日は空港横のホテルで一泊することに。翌朝のフライトで帰国しました。何百回と国際線を利用したなかで私が遭遇した唯一の事故でした。

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2005年12月24日 (土)

クウェートの砂嵐と冷や汗

クウェートという国をご存知だと思います。「石油産出国」くらいの知識が普通でしょう。その国名もいろいろな書き方をされます。最近はクウェートと表記されることが多い(日本の外務省や新聞など)ようですが、小学校の社会科ではクエートと習った記憶があります。インターネットで調べるとクウェート大使館のホームページは「クウェイト」と表記されていました。1991年の湾岸戦争以降はニュースでこの国名をよく目(耳)にするようになりましたね。

中東のほぼ真中に位置し、サウジアラビアとイラクに国境を接しているペルシャ湾沿いの小さな国です。四国とほぼ同じ広さの国土はほとんどが砂漠で、都市部に植えられた並木が唯一の緑です。以前は南回りでJALの直行便がありました。クウェート国際空港ビルは丹下健三氏のデザインによるものです。空港から都心部までの高速道路の黒さを除けばどこを見ても一面の砂、まるで雪景色のようで驚きました。

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最初にクウェートを訪れたのは1984年4月、アメリカ大使館が爆破された4か月後でした。宿泊したのが道路を挟んだヒルトンホテル。大使館の建物は半分ほどが崩れ、青色のカバーで覆われている生々しさ。テトラポットなどのバリケードや装甲車が周辺をガードしていました。

 

この国は観光地ではありませんから楽しむものは何もありません。食事は西洋料理かカバブなどのアラブ料理。アルコールは一切禁止なのが辛いです。スパークリング・ワインならぬ「スパークリング・ジュース」で我慢します。値段は高いのですがヒルトンホテル内に日本レストラン(名前は慶だったと思います)がありました。ホテルから歩いて行ける海岸に有名なクウェート・タワーがあり、日の長い夕方に浜辺を散歩するのが日課でした。

 

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2度目に訪れた時だったと思います。ホテルの窓から外を見ると濃霧のようです。少しベージュ色を帯びていました。ホテルの従業員からこれが砂嵐だと聞かされました。それまで想像していた砂嵐とはまったく違い、静かに漂う細かい砂のベールで、日本へ春先に飛んでくる黄砂の量を極端に多くしたものなのでしょう。その砂嵐は1日以上続き、飛行機便も欠航です。

  

写真 3ヶ月後の米国大使館(左) クウェート・タワーから都心部を望む(右)kuwait-4kuwait-5 

 

 

 

 

 

 

 

 

3回目の訪問でクウェートに慣れた私は、休日に運転手付きの車を雇って郊外のドライブと洒落込みました。所々にある土漠に少し草が生えているだけで、あとは白い砂漠の中を道が伸びています。2時間くらい走ると遙か前方に検問所のようなものが見えてきました。運転手に聞くとイラクとの国境とのこと。少しだけ近づく。銃を持った兵士が数名・・・。慌てて引き返すよう運転手に指示。後になって別の場所で拘束された日本人がいたことを聞かされて冷や汗を流しました。イラクがクウェートに侵攻する数年前のことでした。

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2005年12月23日 (金)

メキシコのカンクーン

紺碧の海と空、そして古代マヤ遺跡が多数残る観光地です。アメリカから飛行機で約2時間、メキシコ湾対岸にあるユカタン半島の先端にあります。日本からの観光客に人気のスポットの一つです。
 

1_7_thumb 海岸には高級リゾートホテルが建ち並んでいました。ホテルにチェックインしたあと、さっそく浜辺を散策しました。真っ白な砂浜と海の美しさは期待通りです。土産物屋を冷やかします。ショッピングセンターのホールでフォルクローレの楽団が演奏していました。お決まりの「コンドルは飛んでいる」や日本の歌も…。ホールに響くパンフルートの音色が最高です。夕食はもちろん生演奏を聴きながら家族全員でメキシコ料理を楽しみました。 

 

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カンクーンよりも海がきれいなコスメル島あるいはイスラ・ムヘーレス島へ行くかを迷いましたが、やはり一番興味があるトゥルム遺跡とチェチェン・イツァ遺跡を廻る一泊バスツアーに参加しました。日本人は私の家族だけでした。  

 

最初に停まったシェルハ海浜公園でシュノーケルに挑戦。泳ぎが得意ではない私もはじめてやってみました。深い入り江のため海水が思ったほど澄んではいません(日本の海と同じくらい)が、それでも魚が手に取るような近さを泳ぎます。すぐ近くのトゥルム遺跡は海岸沿いの高台にあります。アメリカ風に開発されたカンクーンに程近いのですが雰囲気がまったく異なります。海洋都市だったようです。原形を留めている建物は一部でしたが、海を望む景色が素晴らしいです。

 

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バスの車窓からメキシコの田舎町を眺めながら長いドライブ、夕方近くにホテルへ到着。翌日は世界遺産のチェチェン・イツァ遺跡を見て廻りました。

 

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広いエリアに広場、球技場、天文台、石柱の列、巨大なピラミッドが点在しています。このピラミッドには歩いて登れます。アシストするものはロープ一本ですから急でステップが狭い石段を頂上まで登るのは骨です。頂上の神殿からは辺りが一望できます。森の中に石の建造物が並んでいる様が良く見えました。降りる時はもっと大変でしたが…。四方に階段がついていますが、一部崩れている階段もあり、登れるのは2つだけでした。聖なる泉の深さは吸い込まれそうです。3世紀頃から繁栄したマヤ文明は16世紀にスペインによって滅ぼされます。
 

カンクーンは物価が高く贅沢な旅でしたが最高に満足できました。

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2005年12月22日 (木)

ニュージーランドの首都ウエリントン

観光地として人気の高いニュージーランドですが、首都のウエリントンを訪れる人はそれほど多くないでしょう。北島の南端に位置し、海峡に面した人口約30万人の都市です。南島へ渡るフェリー乗り場があり、地理的環境は日本の青森や下関に似ています。    

NZ83-Wellington-4空路でウエリントンに入る時にまず驚かされるのは着陸時のスリルです。山越えのルートを旋回しながら狭い滑走路に着陸するのはフライトシミュレーターの世界です。

「風のウエリントン」はいつも海から強い風が吹いていますが、とくに風の強い日はタッチダウン時に乗客が思わず拍手してしまうことがありました。香港の旧国際空港、啓徳空港では香港アプローチと呼ばれますが、こちらは正に「ウエリントンアプローチ」です。

海岸沿いのプロムナードは様々な服装の人が日光浴を楽しんでいました。セーターを着た人が居るかと思えば、半袖シャツと短パンの人も。日本人の感覚からすれば驚きです。もう一つ驚きがありました。小雨では傘をささない人が多いことです。天気が変わり易い土地柄であるからだとか…。
 
  

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町の中心部をケーブルカーが走っています。海岸沿いの目抜き通りからテラスと呼ばれる高台、そして終点の植物園と気象観測所を結んでいます。これは観光用ではなく急坂を登り降りする市民の足なのです。港を半周した高台がマウント・ヴィクトリア。ここからの夜景は香港、函館に次ぐ美しさです。時には日本のイカ釣り船が港に立ち寄ったのを見かけました。
 
  

NZ83-Wellington-5港の周辺には美味しいシーフード・レストランがあります。ニュージーランドは海産物が豊富です。一押しはクレイフィッシュ(伊勢海老)です。大きな皿からはみ出る豪華さは日本人にはたまりません。淡白な味でした。美味しいニュージーランド産ワインも楽しめます。
 
写真 ダウンタウンでのバッグパイプ演奏

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2005年12月21日 (水)

インドのタージ・マハール

india-3ニューデリーから車で約4時間、世界遺産「タージ・マハール」を訪れました。大理石で作られた対称形をした純白の精緻な建物は素晴らしいの一言です。イスラム教徒が統治したムガール帝国(15261858年)の王妃の霊廟とのこと。アラブ様式の庭園、四つの尖塔、モスク、そしてドームを持つ墓廟などで構成されています。靴を脱いで大理石のテラスを歩きました。定番の場所で写真を撮りました。故ダイアナ妃も座られた「ダイアナ・ベンチ」です。当ブログは匿名のため、私の顔はお面を被っていますのでご了承ください。 
   

 

india-10近くにもう一つの世界遺産の「アーグラ城」があります。こちらは赤砂岩で造られていることで「赤い城」とも呼ばれています。タージ・マハールを建てたムガール帝国の皇帝がその王子によって幽閉された場所と聞きました。建物の内部は劣化が進んでおり、修復のため立ち入りが制限されていました。 

 

 

india-13これら二つの世界遺産には大変興味深い歴史がありますが、長くなりますのでここでは触れません。ムガールとはモンゴルのアラビア語なまりだそうです。イギリスがインドを直接統治下に置いたことで1858年にムガール帝国は滅びます。

 

 

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2005年12月20日 (火)

ビルマの竪琴

Burma1_2 1976年にビルマ(現ミャンマ)へ行く機会がありました。当時はまだ羽田からの出発です。タイのバンコックでビルマ航空に乗り換えます。自分の荷物を倉庫のようなところで確認する手順がありました。一時間足らずのフライトで到着したラングーン空港はもう暗闇の中、入国手続きではボールペンをチップとして没収されてしまいました。
  
ゲートを出るとあちこちから私の荷物に手が伸びます。その中に迎えの人が。地獄で仏の心境に…。ストランド・ホテルにチェックイン。部屋のクーラーが異常な音をたてていますが、そのまま寝ました。翌朝、洗面をしようと蛇口を捻ると赤茶色の水が出てびっくり!こうしてビルマでの滞在が始まりました。(写真 シュエダゴンパゴダ)

Burma8_5 Burma4_5 街中は日本で言えば昭和20年代の雰囲気です。女性だけでなく男性もスカートを履いているのには驚きました。  



Burma9_6_2 正しくは「ロンジ」と呼ぶ筒状に縫った木綿の布です。これを履いて腰の廻りで止めます。男性は風呂敷きを結ぶように前で結わえます。女性は折りたたむようにして腰の横で留めます。正装には絹製のロンジもありました。(結婚式に出席した正装の女性たち)



回目にラングーンを訪れた時には一端のビルマ通気取りです。前から欲しかった「ビルマの竪琴」をオーダーメイドすることに。竪琴を作っている職人さんの家へ行く。乾燥した木を船形に刳りぬいた胴と弦を留めるアームを選ぶ。鹿皮を張って塗装した後に胴の両側にビルマ文字とローマ字で私と家内の名前を入れて貰うことに。塗装が乾くまでに3-4週間かかるとのこと。何とか滞在予定期間内(2週間)で仕上げるように交渉する。

Burma14_2 帰国する前日に受け取りに行く。黒い胴、朱色に塗った皮や弦を留める紐の赤、そしてアーム先端の金色の装飾が美しい。名前も間違いなく入っています。細部の塗装が少し雑なのは短納期ですから我慢しましょう。残金を支払う。総額は私の当時の月給より遥かに高く、現地人の平均年収の何倍もの金額だったようです。(写真 琴職人と私の竪琴)   
 

翌日、土産に買ったロンジで丁寧にくるんで空港へ。出国手続きにも慣れた私は外貨の使用明細書もしっかりと確認。係官がこれは何だと聞くのでロンジを少し開けて見せると、「これは持ち出せない!!国営の売店で買った証明書を出せ」と高圧的に言う。没収されては大変ですから、持ち込んだドルを交換した現地通貨(チャット)で買ったとまくしたてる。押し問答をしている内に長い行列が出来てしまいました。後ろの西洋人が怒鳴っています。その機を捉えて係官に小物を握らせて通過。バンコックまでの機内は膝の上に抱えていました。今も私の宝物として居間に飾っています。 
 

<同居人のコメント> 大変だったのね。大事な琴なのに一度も演奏しないのはもったいないですよ。

Burma2 Burma3_2 Burma10
                市庁舎                      スーレーパゴダ              ロンジを買った店
 

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          子供の坊さん         シュエダゴンパゴダ内の小パゴダ         サイカー(トライショー)運転手

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2005年12月19日 (月)

イスタンブールの想い出

悠々写真館長さんからアドバイスをいただきました。海外の続編を掲載します。

海外で強い印象が残る都市のひとつがイスタンブールです。トルコ最大の都市、歴史的にもアジアとヨーロッパが出会う場所で、東ローマ帝国の首都(コンスタンチノープル)が置かれたことで1000年の都とも呼ばれます。
 

Mosque

中東に覇権を築いたセルジュークトルコに続いて、近世ではオスマントルコが強大な帝国として広い領土を支配しました。これらは西欧のキリスト教国が度重なる十字軍遠征をした相手でもあります。

第一次世界大戦では英仏を相手に戦いました。映画「アラビアのローレンス」ではローレンスが指導したアラブ軍がヨルダンのアカバとアンマンからシリアのダマスカスへとオスマントルコ軍を追撃しました。訪れる前から期待が膨らみます。(写真 旧市街を望む)

空港から海岸沿いに車で走ると城壁で囲まれた旧市街にイスラム寺院の尖塔が至る所に見えます。その代表はブルーモスクと聖ソフィア大聖堂でしょう。イスラム教徒でなくても建物の中に入ることができます。ドーム内部はカーペットが敷き詰められた大空間です。中心部はお祈りをする人たちが・・・。トプカピ宮殿はイスラム様式で造られた精緻な建物です。宝石の装飾を施した短剣がみごとでした。(写真 トプカピ宮殿内 短剣)
 
 

Topkapi-2Topkapi-1なんと言っても圧巻はグランバザールと呼ばれる市場です。スパイス、宝石、金、衣類などさまざまな商品が市場の数え切れない店で売られています。御徒町の商店街や秋葉原の部品屋街を何十倍にも大きくした感じです。通路は迷路のようでした。時にコーランの祈りが町中に響きます。

新市街には西欧風のビルが立ち並ぶビジネス街があります。ボスポラス海峡を跨ぐ二つの橋がヨーロッパとアジアを繋いでいます。私が訪れた1980年代の中頃にはひとつだけでした。それ以前はフェリーだけが使われていたそうです。

 

トルコの食べ物はシシカバブと呼ばれる肉料理、ラクという強い酒があります。無色透明ですが水で割ると白くなり、ミルクかカルピスのように見えます。味は少し癖があり、私には青臭い感じがしました。飲みなれるとなかなかの味です。レストランでは美しい女性のベリーダンスを楽しみました。(写真 ボスポラス橋からの展望)
 

Bosporusトルコの人はみな気さくです。昔から日本とトルコは良い関係にあり、親日的な人が多いようです。和歌山の潮岬の大島にはトルコ戦艦の遭難碑があることは当ブログで紹介しました。

イスタンブールはキリスト教とイスラム教の文化が積み重なった重厚な印象を与える町で、期待以上の満足が得られました。
 
今度はトルコ東部のカッパドキアにもゆきたいと思います。

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2005年12月18日 (日)

府中の並木散策と小平の湯

武蔵国の国府が置かれた府中は神社仏閣が多い場所です。大國魂(おおくにたま)神社の参道である馬場大門欅(けやき)並木は国の天然記念物に指定されています。府中は江戸時代に甲州街道の宿場町として栄えました。この欅並木を甲州街道から南へ進むと、源義家公の銅像を通りすぎ、さらに旧甲州街道をはさんで大國魂神社の広い境内が広がっています。この神社の起源は古く、今から約1870年前の創建と伝えられているそうです。

 

写真 大國魂神社と参道の欅並木 

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DSCF0013東に向かうと善明寺の大きな銀杏がありました。東京競馬場を右手に見ながらさらに狭い道を進むと広い公園の中にある国府八幡宮の裏手に差し掛かります。旧甲州街道からの参道が今も残っています。

表通りに出るとオリンピック競歩折返記念碑がありました。私が大学に入った年の記録がそこに・・・。府中街道を越えて西に進んだ左手にある高安寺は曹洞宗の名刹です。仁王様が守る山門を抜けた本堂の前には見事な欅と銀杏がありました。「下の写真 高安寺の欅」

大國魂神社の欅並木を北へ歩くと桜通り(桜並木)と交差します。その交差点を右手に進みます。ほどなく銀杏(いちょう)通りに差し掛かります。蕎麦「田なか」はマンションの一階にありました。こじんまりした店には昼少し前で一組の先客だけが。二人で山かけそばとカレー南蛮そば、そして珍しいそばコロッケとそばアイスクリームを注文する。数種類のスパイスを使った出汁が気に入りました。そば入り蓮根も美味しそう。

 

DSCF0027府中には他にも多摩霊園のトチノキ並木、甲州街道のポプラ並木、分倍河原のかえで通りなど、並木道が一杯あって楽しめます。

府中街道を北上、青梅街道を左折して1kmで小平の立ち寄り湯「テルメ小川」があります。南欧風の建物前の広い駐車場は車では一杯でした。茶褐色の湯です。広い内湯にはバイブラ、ジェットバス、サウナ、水風呂が、露天エリアにはローマ風をイメージした露天風呂、寝湯、そして珍しいテルマリウム(蒸気浴室)と多彩です。

 

冷たい外気が心地良く感じられました。フロント、エステ、食堂などの施設はバランス良く配置されているため、大勢の家族連れの客で賑わっていましたが、落ち着いて滞在できました。テルメとはイタリア語で温泉のことであるとの説明がありました。

 

<同行者のコメント> 青梅街道ですぐ近くまで来たことがありましたがテルメ小平は初めて。ゆっくりとお湯に入りました。お蕎麦屋さんが美味しく、また来たいです。

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2005年12月17日 (土)

旅の思い出を残しましょう

旅の楽しみは帰ってからも余韻が残ります。持ち帰ったお土産はもちろん、撮影した写真やビデオは何度でも繰り返して見ることができます。私の場合はさらに録音テープが旅の思い出をリアルに甦らせてくれます。最初の海外旅行にはカセットテープを持参しました。機内アナウンスやエンジンの響きが懐かしいです。


旅を重ねると記録が溜まって収拾できなくなりませんか?デジタル家電の時代はこれらの記録を簡単に整理・保存することができるようになりました。カセットテープの音はパソコンでデジタル化してCDに記録、スキャンしたアナログ写真も一緒に入れられて便利です。ビデオテープはDVDレコーダでDVDに記録できます。技術に自信のある方はパソコンを使っても良いでしょう。

とにかくあるものを全部デジタル化しましょう。長い時間が必要ですから、長期戦を覚悟してのんびり取り組むのがコツだと思います。私にとって一番大変だったのは古いレコードとソノラマの音楽でした。ダビングの操作がすべて手動で面倒なうえに、スクラッチ・ノイズが気になります。専用のソフトを使えば楽なのでしょうが、波形を見ながら一つひとつミュートするのは疲れました。これは徒労と言うべきでしょうか!?

写真はデジカメを使えばそのまま使えますが、私が始めた10数年前は結構大変でした。アナログ写真をコダック・ラボでデジタル化して貰ったところ、料金は1枚当たり数ドルで、フィルム数本で何百ドルと高価でした。スキャナーを購入してからはこつこつとデジタル化を行いました。映りの悪い写真のカラー調整には何分も掛かりました。今ならワンタッチで補正してくれる良いソフトがありますから苦労はありませんが・・・。

 

アナログ・ビデオのデジタル化はパソコンやDVDレコーダで簡単にできますが、大変なのは編集とタイトル付けです。最近のソフトはお仕着せで簡単にできるようです。ビデオの中には30年前の8ミリフィルムをVHSに変換し、さらにDVD化したのもありました。一応カラー映像ですが音無しです。

 

仕上げはCDDVDのラベルにタイトルとともにイラストや写真を印刷することです。ケースの背中にもタイトルを入れることを忘れないようにしましょう。100円ショップで売っているようなCD/DVDケースに入れて完成です。私は子供たちが産まれてからの記録をパッケージにしてプレゼントしました。皆さんもいかがですか?楽しいですよ!

 

「最初の海外旅行」 1975年ヨーロッパ
 

アラスカ・アンカレッジ     デンマーク・ヘルシンガー     パリ・エッフェル塔を望む
オランダ・運河と跳ね橋             ドイツ・ハイデルベルク
ロンドン・バッキンガム宮殿           ローマ・バチカン宮殿
スイス・車窓風景                  フランス・モンブラン山麓
Anchorage Helsingor Paris Netherland Geneve_2 Buckingham VaticanSwiss_2 Mont_blanc

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2005年12月16日 (金)

パソコンとの出会い

pet20011初めて触れたパソコンは25年ほど前のコモドール(Comodore)PET2001です。オールインワンのハードウエアで、BASIC言語が使えました。CPUは1MHz、RAMは8KB、内蔵されたカセットテープレコーダをメモリーとして使います。ディスプレイは9インチのモノクロでしたが、現在のパソコンとほぼ同じスタイルの完成度の高い製品でした。ただし自分で作ったソフトウェアが良くなかったせいか、レスポンスが悪くて業務用ータベースとしては失敗、簡単な用途にしか使えませんでした。(写真はWikipediaから引用 )

その少し後に自宅用としてMSXパソコンを購入しました。BASICで自作ソフトを簡単に作ることができることと、テレビの大型画面をディスプレイとして使えることが便利。最後は子供たちのゲーム専用機に変身することになります。価格の安さも大きな魅力でした。

apple_mac_se1989年にアップルのMacintosh SEと衝撃的な出会いをしました。ディスプレイと本体が一体化されたサイコロ形のデザインが先進的です。GUIを操るマウスと内臓ハードディスクの快適さに参ってしまいました。楽しんでいるうちに20MBの容量はすぐ一杯になり、80MBの外部HDを付けることになります。それでも足りずフロッピーディスクが何十枚にもなってしまいました。(写真はMacのhpから転載)

ついで1991年に購入したMcintosh Ⅱsiは洗練された本体の外観と12インチのカラーディスプレイの美しさに感動しました。プリンターもカラーになりました。MIDIインターフェースで接続したカシオのキーボードをシンセサイザー代わりにして音楽の自動演奏をたっぷり楽しみました。そしてMS製のフライトシミュレータで夜遅くまで・・・。

1995年にASAHIネットがインターネット接続サービスを開始した時は、早速Mac用フリーソフトをかき集めてインターネットを始めました。ブラウザはMozaic、その後Netscapeへと発展しました。毎月の電話料金が数万円になってしまい大変なことに。そこで電話回線をISDN(定額サービス)に切り替える。その後はADSLを経て現在はフレッツ光を使っています。

Imacg3_2 1999年には初代のiMacを購入。横顔がお結びのような形が極めてユニークです。もちろん青色(ボンダイブルー)です。アップルらしく目まぐるしいバージョンアップとバックワードコンパチビリティ(旧機種との互換性)がないことで、ここ3-4年はマックファンを休眠しています。(写真はMacのhpから転載)

現在はタワー型の自作PCを主に使っています。息子がくれたPCケース、マザーボードとHDDに中古のペンティアム3、FDD、RAM、LANカードなどを買い足して組み立てました。ハードウエアには強いので簡単でしたが、ユーザーフレンドリーなMacに慣れていた私にはWindows PCの設定が難しく、最後は息子の手助けが必要でした。

iPodが好評で再び元気になったアップルから魅力的なPCが次々に発表されています。眠っていたはずのマック病が再発しそうです。Mac miniとiPod nanoが欲しくなりました。

<同居者のコメント>またパソコンを買うのですか?狭いわが家には1台で十分だと思います。あちこちの部屋に置かれたパソコンを熊さんみたいに歩き回って使っていますが、何が違うのでしょう!?

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2005年12月15日 (木)

伝書鳩

先週のテレビ番組「所さんの笑ってこらえて」を観ました。その中で紹介された伝書鳩のレースに感動。実は私も鳩を飼ったことがあるのです。小学生の時、友達が鳩をたくさん飼っていたことに触発されました。彼が鳩をひとつがい(茶ゴマのオスと黒い線が2本入った二引きのメス)くれることになりました。鳩小屋を作らなければなりません。

別の友達の家が毛織物屋でした。そこで要らなくなった木箱(1mx1mx1.5m位の大きさ)を貰いました。羊毛を入れた箱です。父が木箱の前面に金網を張ってくれました。箱の右上に鳩が出入りする時の停まり台とアルミ製のバタンコ(正式な名前を知りませんが一方通行のアルミ製ゲート)を取り付けました。箱の横には世話をするための木戸も。

トウモロコシの実や野菜が主な餌でした。時には貝殻を粉にしたものや鳩向けの餌も買い与えました。まもなく小鳩が2羽産まれました。ハリネズミみたいに尖った羽が生えています。親鳩は一度食べた餌を子供に与えます。苦しそうに見えましたが親鳩は必死です。餌と水遣りが私の日課になりました。足に脚環(番号が書かれた認識票)をはめました。小鳩はすくすくと育ち、一ヶ月も経つと親鳥と同じ大きさにまで成長しました。

聞きかじりのやり方で訓練です。飛ぶことができるようになる前に巣箱への入り方を教えました。親鳥と一緒に飛ぶようになると、時々元の買主の巣箱へ行ってしまうことがありました。自転車に乗って受け取りに行きます。だんだん慣れて来ました。もう大丈夫と安心した時に鳩が戻ってこなくなりました。行方が分かりません。他の群れにまぎれたのでしょうか。

今度はクジャク鳩を安く売って貰いました。全身が真っ白で孔雀のように拡がった羽が綺麗でした。こちらは観賞用です。もう居なくなることはありません。1年以上経った時に悲しい出来事がありました。金網が破られて鳩が死んでいたのです。鳩を飼うことを止めました。私にとっては辛い出来事でしたが、鳩小屋を作ってくれた父の姿とあの時の鳩たちを今は懐かしく思い出します。

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作業を完了しました

皆様

写真のサイズをすべて小さくしました。

これでクリックした時に画面をはみ出すことはないと思います。

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2005年12月11日 (日)

写真のサイズを小さくします

当ブログをご覧いただきましてありがとうございます。

好好爺さんからコメントをいただきましたように写真のサイズが大きすぎました。PCの画面に収まるように小さくすることにします。写真の枚数が多いため、新規投稿をしばらく休ませて戴きますので宜しくお願い致します。

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2005年12月10日 (土)

駒込の名園と豊島園「庭の湯」

今日、駒込の名園を尋ねました。六義園(りくぎえん)と旧古河庭園の二箇所です。
 

六義園は江戸の二大庭園のひとつで柳沢吉保の下屋敷、池を巡る庭園が美しいことで良く知られています。現在は都立公園です。庭園の周囲を木々が取り囲み都会の中であることを忘れさせます。この季節は池に映える紅葉と松が美しい。休憩所や中の島から見る景色を楽しみました。峠から園内が一望できます。この柳沢吉保は綱吉の治世時に老中として権勢を誇ったことで知られます。水戸黄門などの時代劇では憎まれ役のイメージがあります。館林藩の一藩士から当時藩主であった綱吉に取り立てられ幕臣最高位の老中に上り詰めた能吏で、その評価が分かれる人です。
 

写真 六義園を望む(左上) はぜの木(右上) 紅葉(左下) むらさきしきぶ(右下)DSCF0048DSCF0046

 

 

 

 

 

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文京区から北区に移動、訪れたのは同じ都立公園の「旧古河庭園」です。近くのコインパーキングに駐車。ここは英国風の石造りの洋館とバラ園が有名です。足尾銅山で財を成した古河家が所有していたことがその名前の由来です。以前から一度行きたいと思っていました。西洋庭園だけではなく日本庭園もあります。園内では一年中いろいろな花が楽しめますが、数日前に薔薇が剪定されたため紅葉だけが残る時期でした。事前に予約する必要がある洋館ツアー(1時間)に空きがありましたので参加させていただくことに。大正6年に建てられた洋館の一階は部屋ごとに趣を変え贅を尽くしています。二階ロビーから一歩奥に足を踏み入れると書院風の和室がありました。和洋を上手く調和させたデザインが見事です。来年の春、バラが咲いた季節にまた訪れたいと思いました。
 

写真 洋館(左上) 日本庭園(右上) 紅葉(下)
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いずれも駐車場がありませんから電車やバスを利用することをお勧めします。どうしても車でという方への情報です。六義園は理化学研究所跡に建てられた文京グリーンコートの地下駐車場が便利でしょう。旧古河庭園も歩いて1520分ほどの近さです。
 
名園を二つ廻ったあとは豊島園内の立ち寄り湯「庭の湯」へ向かいました。水着着用のバーデゾーンを挟んで男湯と女湯が遠く離れているのが特徴です。死海プールやフィンランドサウナがあるようですが、私は迷わず景色の良い露天風呂や内湯、寝湯、信楽焼風呂(大きな焼き物)、そしてサウナに入りました。泉質はナトリウム-塩化物強塩泉とのこと。二階にあるリラグゼーション・エリアは広々としており、名前に恥じない見事な庭園を見下ろしながらゆったりとくつろげました。サウナではドイツ風のアウフグーフというサービスがありました。ひなげしの香料の入った水を熱した石に振り掛け、熱風を入浴者にバスタオルで送ってくれます。暑さといい香りで高揚した気分になりました。入館料は2250円と高いのですが十分満足できました。
 
写真 白山神社の大ケヤキ(豊島園近く)
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同行者のコメント> グリーンコートのお蕎麦屋さん「蕎路(そじ)坊」で食べたとろろ蕎麦が美味しかったです。庭の湯はもっとゆっくりしたかったです。

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2005年12月 9日 (金)

古への旅

九州の温泉を尋ねる旅の途中に立ち寄った臼杵磨崖仏と高千穂峡を紹介します。
 

DSCF0016臼杵は始めて訪れます。学生時代の旅では別府から高崎山に寄り、臼杵は通過して宮崎からえびの高原の高千穂峰へ向かいました。当時は石仏への関心がありませんでした。石仏が国宝に指定されるのは30年も後(1995年)のことです。別府から高速道路で一時間余り、東九州自動車道の臼杵ICを下りて502号線沿いの臼杵磨崖仏(まがいぶつ)に到着。町外れの山里です。

平安時代の後期から奈良時代にかけて作られた数十体の石仏が4ヶ所に置かれ、順路で巡ることができます。代表格の大日如来像(写真)は3m近くある座像です。想像したよりもはるかに大きく、力強さに満ちた威厳のあるお顔でした。これほど見事な磨崖仏ですが作られた経緯が分かっていないそうです。磨崖仏とは自然のままの崖や岩に彫られた仏像で、移動ができる石仏と区別されます。 

別府に戻り、湯布院温泉、黒川温泉、そして阿蘇山を廻ったあとに高千穂峡谷へ向かいました。ここは2度目です。325号線でおよそ40km走ると宮崎県の高千穂町に入ります。高千穂神社に参拝して高千穂峡へ。
 
  

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階段を降りた川縁のボート乗り場から両側から岩が迫る峡谷へと漕ぎ出しました。川幅は狭く、曲がりくねった流れを岩にぶつからない様に進む。周囲の騒音が聞こえません。緩やかな流れのため水音もない静寂の世界です。木漏れ日が神秘な雰囲気を醸し出します。真名井の滝が美しい。さらに漕ぎ進むと前方に橋が見えてきました。そこで神秘的な峡谷が普通の渓谷へと変ります。引き返すことにしました。
 

DSCF0061DSCF0044高千穂峡から細い道を天岩戸神社へ向かう。20分ほどで到着。すべてが40年前と同じでした。西本宮に参拝したあと岩戸川沿いの歩道を歩く。行き止まりの大きな洞窟に石積みが数え切れません。正直に言って少し気味が悪い。この天安河原(たかあまがはら)は神様が集まって天照大神に岩戸から出ていただく策を相談した場所と伝えられます。記憶が蘇りました。40年前もまったく同じ道を歩いたのです。拝殿の対岸にある天岩戸は、生い茂った木々で、今回も定かには見えませんでした。
 
 

DSCF0008<同行者のコメント> 天岩戸をもっと近くで見られると思っていました。ガッカリです。
 
 

写真:臼杵古園石仏群

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2005年12月 8日 (木)

旅とカメラ

最近は何処へ行っても大きなカメラを持った人に出会います。観光地はもちろん山歩きや草花を見に行った時も、カメラと3脚を抱えた年配の方のグループをよく見掛けます。ほとんど例外なく立派な一眼レフです。
 
当ブログをご覧いただいている皆さまの中には、掲載した写真にクローズアップがほとんどないことに気付かれた方がいらっしゃるかもしれません。私が使っているのは一応デジカメですが、望遠やマクロ機能のない、フジフィルムのFinePix 2700なのです。6年前に購入して気に入り、いまだに愛用しています。落ち着いた発色と本体のサイズがちょうどよいのです。いろんな旅に携帯して行きましたので、その思い出が愛着となっています。撮影の失敗がほとんどないのが良いですね。万一、撮り損ねてもすぐ確認できるのがデジカメの優れたポイントです。
 
このFinePix 2700を買う前に使っていたのは、同じフジフィルムのFlash FUJICA AF Dateという25年前のカメラです。当時は珍しかった、ビ-ムセンサ-AF、フォーカスメモリ(フォーカスロックのこと)さらに日付など多彩な機能に惹かれて買いました。電池蓋のひびを補強材で補修しましたが今も健在です。しかしダイヤルで設定する日付は1979年から1995年までしかありませんが・・・。
 
もうひとつの候補だったコニカのC35AFは、世界初(1977年)のオートフォーカス機能を搭載して一世を風靡した名機ですが、フォーカスロックがありませんでした。このカメラは「ジャスピン・コニカ」の愛称で親しまれ、後年公共放送の人気番組「プロジェクトX」で開発の苦労話が紹介されたことがあります。どちらを選ぶべきだったのでしょうか?
 
それ以前に使っていたカメラが何であったかはどうしても思い出せません。学生時代に一人で旅行したときの写真が残っていますから、カメラ好きだった兄から借りたのだと思います。おぼろげな記憶に残るイメージだけでインターネットを使って調べてみました。該当するのがミノルタハイマチックです。トンボのような露出計が特徴です。高校時代にはモノクロ写真の現像や引き伸ばしを手伝ったことがありますが、あまり興味が持てませんでした。現像液と定着液の匂いが好きになれなかったのでしょう。
 
現代に戻ります。今年の夏にカメラバッグを買いました。手ごろな大きさの山歩き用バッグが欲しかったのです。このバッグのカメラ収納スペースは私のデジカメには大きすぎて・・・。さてどのカメラにしようかと思案するうちに数ヶ月が経ってしまいました。もうしばらくは愛機のFinePix 2700に活躍してもらいましょうか。 
 

写真 Flash FUJICA AF Date(左)    ミノルタハイマチック 1962年(右、コニカミノルタHPより)DSCF0004pht_large_1962

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2005年12月 7日 (水)

カーナビ考

最近の車は機能が満載で玩具のようです。エンジンやブレーキの制御、安全機能などいろいろですが、なかでもドライバーに身近なのはカーナビでしょう。15年ほどの歴史があるようです。CDからDVD、そしてHDDと記憶媒体が大容量化したこと、交通情報を無線や光でタイムリーに提供する機能、そして地域情報のコンテンツも充実するなど、サービスが高度化したことで数年前から急速に普及しています。

カーナビの一番の機能は道案内です。名前の通りナビゲーションで目的地まで導くこと。たとえドライバーが道を間違えたとしても、新しいルートを探して教えてくれます。わざと指示を違えると、飽きずに何度でも新しいルートを教えてくれる生真面目さ。沖縄を旅した時はレンタカーのカーナビが大変役に立ちました。入り組んだ道が多い場所も迷わずにすみました。しかし直進すべき交差点で「300メートル先、右方向です」と案内されるとまごつきますね。「道なりにやや・・・」を付け加えてくれると親切だと思います。
 
                                                                 写真 長瀞の不動寺と撫子

DSCF0038DSCF0034 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わが家の愛車はとうに10年を過ぎています。エア・バッグやABSはもちろん、カーナビもついていません。ドライバーである私の「勘(カン)ナビ」だけが頼りです。自宅を出る前に地図データをメモリーにインプットします。時には案内を間違え(勘違いし)ますが、何とか役に立っています。万一、大きくコースを外れたときは臨機応変に目的地を変更すると言った高度な機能は、現在のカーナビに備わっていないでしょう。つい先日、秩父長瀞の寺廻りをした時にカンピュータが機能不全に陥りました。ちょっとした手違いで、徒歩で廻る人用の地図をインプットしてしまったのです。お寺参りは歩くのに限ります!
 
         写真 道光寺の尾花

DSCF0048カーナビのほかにETCなるものが付いた車に同乗させてもらったことがあります。料金所で停まらなくてよいのが便利ですね。「ピッ」と音がします。ここは「ご利用ありがとうございました」とアナウンスすべきでしょう。料金割引もあると聞いて興味が湧きますが、私は料金所で現金を支払うのが楽しいのです。

箱根に行く途中、料金所で支払をすませて出発しようとした時、係りのおじさんが大声を上げました。何事かと急停車!ブースから飛び出てきた人は、「これは500円じゃないよ!」と。よく見るとそれは何十年も前の大きな50円玉でした。ごめんなさい。しかし、どこで私の財布に紛れ込んだのかな!?
 

<同行者のコメント> ドライブするコースはお任せします。でも助手席に優秀なナビゲータがいるのを忘れていませんか?「今通り過ぎましたよ」と心の中で…。

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2005年12月 6日 (火)

並木道をドライブ

スピードを楽しむことが好きな私ですが、並木道をゆっくり走ることも好きです。都内では、「明治神宮外苑」の銀杏並木、「明治神宮の表参道」や「多摩御陵の外参道」の欅(けやき)並木、「甲州街道(追分から高尾駅まで)」の銀杏並木などがいいですね。六本木ヒルズの「けやき坂通り」はクリスマスのイルミネーションが華やかだそうですが、私は若木が成長したけやき並木を十年後に走るのを楽しみにしています。  

写真 明治神宮外苑の銀杏並木
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東京以外では、日光の杉並木と東海道の松並木がよく知られています。この二つに甲州街道の銀杏並木を加えて「日本の三大並木」と呼ぶそうです。他に東大の銀杏並木、北大のポプラ並木と静岡興津(国立果樹試験場)のプラタナス並木を三大並木とする説もありますが、これらの並木は残念ながらドライブに適しません。   

写真 日光東照宮の装飾と祭り風景(かなり古い写真です)
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東海道の松並木は各地に残っています。近場では神奈川県の戸塚、原宿、藤沢、大磯、二宮などです。さらに西へ行くと静岡県の掛川・袋井・浜松周辺、愛知県の安城・知立周辺などで松並木が今も保存されています。因みに旧道がそのままの形で残る箱根の畑宿と関所跡周辺は車道が別に設けられていますので車は通行できません。

それほど知られていませんが、練馬の富士街道の欅並木、目白通りの銀杏並木、府中駅横の欅並木、川越街道の藤久保周辺の松並木、山下公園の銀杏並木、相模原市内の16号線は銀杏と欅の並木が見事です。並木道をドライブするとなぜか癒されるように感じます。これは私だけでしょうか。  

写真 川越の喜多院と紅葉
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  並木についての文献をいくつか調べてみました。それによれば並木は、「近郊の豊かな自然を都市の中へ導入することや、街並を風から守る防風林としての役割」を果たしているとありました。さらに北国であれば雪中における道路の位置を示す目的もあるそうです。

別の文献には、都市部の道路の並木は中央分離帯の植木、あるいは歩道と車道の境目になる木として、道路の美観のためにも役立っているとも。車がなかった昔の並木は、歩行者にとって夏の暑い日差しを遮り、冬の寒いときには風を防ぐ防風壁にもなり、雨が降ったときは木の下を歩けば濡れにくいと言うのも効用だったそうです。

ヨーロッパでは、フランスのベルサイユ宮殿の並木(菩提樹)、イタリアはポプラ並木、ドイツはマロニエの並木がありました。アメリカでも、ロサンゼルスのビバリーヒルズに背が高い椰子の並木道、ニューオリンズには樫の並木がありました。東京近郊の並木道に多い松や欅とは樹木が違いますが、どこの国の並木道も趣があります。

<同行者のコメント> 並木道に詳しいのですね。ビバリーヒルズのヤシの木だけは私もよく覚えています。これからは綺麗な並木を見つけたら私を起こしてくださいね。 

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2005年12月 5日 (月)

また京都へ行きたい

「名刹(めいさつ)の紅葉がライトアップされたことで、今年は12月に入っても京都への観光客が例年以上に多い」と今日の新聞で読みました。私は修学旅行で初めて訪れてからしばしば訪れましたが、いつも新鮮な感動を与えてくれる京都へ行きたくなりました。そう言えば前回訪れたのはもう5年も前、私にとって特別な目的のために初冬の洛東と嵯峨を廻ったのでした 

写真 円山公園のしだれ桜(左) 艶やかな紅葉(右)

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京都駅で新幹線を降りてタクシーで大谷祖廟へと向かう。亡くなって間もない両親の納骨をお願いして永代経をあげていただきました。これで私の役目は終りです。近くの円山公園にある古い洋館の喫茶店「長楽館」で一服。園内の紅葉と枝垂れ桜(季節はずれでしたが)を楽しみ、高台寺、二年坂(ニ寧坂)、三年坂(産寧坂)、を経て清水寺に至るコースを散策しました。もう冬に入ったと言うのに観光客が多かったです。
 

午後は嵯峨野に大覚寺を尋ねました。供養のため、初めての写経に挑戦。般若心経です。お経を読めない私は手順を飛ばし、試験の答案用紙に向かうように急いで書き始めました。薄く書かれた文字をなぞるだけですが、つい先を急いでしまい、書き終わった時には疲れてしまいました。そして大事な「願い事を唱える」ことも忘れてしまったのです。 

写真 大覚寺から大沢の池を望む
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写経道場の前にある大沢の池と嵯峨野の冬景色を眺めながら疲れを癒しました。この池周辺は時代劇の撮影によく使われる場所だそうです。少し慌しい京都への日帰り旅行となりました。
 

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<同行者のコメント> 新幹線で往復する初冬の京都への旅はよかったです。京都らしいお店を楽しみながら、散策路をのんびりと歩きました。

 

 

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2005年12月 4日 (日)

昭和記念公園とかたくりの湯

近所の銀杏並木が色づいてきました。金色の落ち葉を踏みしめて歩くのは楽しいですね。落ち葉に惹かれて昭和記念公園へ行ってみることにしました。春や夏によく訪れますが、晩秋の昭和記念公園も良いものでした。ゲートを入って直ぐのカナール(噴水と水路)の銀杏並木が綺麗です。広い園内をのんびり歩きました。 

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アメジストセージ、ダリア、モッコクなどが咲いています。日本庭園では紅葉と寒椿が鮮やかです。赤松の雪つりが行われていました。金沢の兼六園でみたのと同じです。歓楓亭でお茶をいただきました。

写真 銀杏 メタセコイヤ 赤松の雪つり

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一番奥のエリアはコスモスの丘などがまだ整備中でした。砂川口の看板をみると、つい「砂川闘争」(私は当時小学生)のニュース映画を思いだします。ご存知の方はおそらく60歳以上のシニアだと思います。

みんなの広場の北側でディスクゴルフの競技会が開かれていました。以前に見たことはありましたが、選手のプレーはさすがに素晴らしいです。観戦させていただく。ドロー、フェード、そして木の枝をくぐる低い軌道など多彩な技が見られます。

写真 ディスクゴルフの競技風景(赤いディスクがゴールに入りそう) 同本部にて
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「本部でトライヤルができますよ」と審判員の方が教えてくれました。早速やってみることにします。女性の指導員が、ディスクの持ち方、構え方、そして投げ方を親切に指導してくれました。第1投は横向きになり肩を入れて構え、体の近くをスナップを利かせて投げる。ゴールの近くでは正面を向いて、へその位置からスナップだけで投げてくださいと。指導を受けながら3ホールをラウンドする。最後は3投目でナイスイン。こちらのゴルフの方が私に向いているかも知れません。 

 

写真 モッコク パイナップルセージ
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写真 イイギリス アメジストセージ

Dscf0012_7 Dscf0010_16昼頃には広い公園も混みはじめました。砂川三番の交差点から55号線を北北西に走り、武蔵村山市役所を左折すれば、「かたくりの湯入口」の交差点です。ここから北へ500mほどで武蔵村山市営の「かたくりの湯」へ到着。円形が三つ組み合わされた建物がユニークです。泉質はメタほう酸(HBO2)と聞きなれません。温泉成分の一つだそうです。 

お湯は無色透明で温泉らしくありませんが、効率的に配置された広い内湯、露天風呂、打たせ湯、イベント風呂、サウナなど設備が充実しています。休憩ゾーンも広々としていて落ち着けました。「かたくりの名前は近くの野山北公園にかたくりの自生地があるからです。桜と同じ時期に花が咲きますよ。」と受付の女性が教えてくれました。休日の利用料金は800円、武蔵村山市民には割引料金があります。

 

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<同行者のコメント> ずいぶん歩きました。てっきり今度もサイクリングだと思いましたよ。ディスクゴルフは面白そう。こんど来たときもやりたいです。

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2005年12月 3日 (土)

沖縄への旅

沖縄を訪れました。3年前のことです。ずっと昔、まだ学生だった頃は沖縄が遠い存在でした。アメリカが統治しており、渡航するためにはパスポートが必要だったのです。いつかは沖縄へ旅したいと、宮崎県の都井岬から沖を見ながら、思ったことがありました。 

写真 蕎麦屋さんです(左) 玉泉洞のアトラクション(右)

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それから40年が過ぎてしまいました。休暇を利用してついに沖縄へ来ることができたのです。空港からカーナビ付きのレンタカーで本島南部へ向かいました。片側一車線の道は追い越し禁止の黄色いセンターラインが続きます。まず姫ゆりの塔に立ち寄ってしばし黙祷する。昼食にソーキそばを味わう。以前に無線で交信した局がいる本島最南端の糸満市を抜け、玉城村の玉泉洞へ向かう。ここは沖縄の文化が一堂に展示されたテーマパークです。織物、舞踊、民家、花、ガラス工房などのエリアがあって楽しめました。

 
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那覇市に戻り、世界遺産の首里城へと向かう。この周辺は道路工事のためかなりの渋滞でした。駐車場から守礼門を通り、城壁にそって階段を登れば、大きな広場と朱色に塗られた首里城の豪華な正殿がありました。正殿は琉球独特の様式の建物です。中は意外に狭いのですが、琉球王朝の栄華をしのばせるものが多数展示されています。正殿などの建物に囲まれた広場、御庭(うなー)も朱色に塗られて、美しい空間でした。
 
 

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翌日は高速道路を利用して北部へ移動しました。那覇ICから本島を縦断、終点の許田まで50kmくらいだったでしょうか、快適なドライブができました。58号線に入り名護市を抜け、本部町へ。沖縄記念公園のなかにオープンしたばかりの「沖縄美ら海水族館」がありました。大きな駐車場はすでに満車でかなり離れた場所に車を停める。長い行列が出来ていました(左の写真)。館の中には巨大な水槽がIMAXシアターのような迫力で迫ります。表現が逆でした・・・。

 

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さらに海岸線を走ると今帰仁(なきじん)村です。海岸から少し入った丘陵地に今帰仁城跡がありました。石垣を残すだけですが、広い敷地から当時の威容が想像されます。近くで見つけたダチョウらんどに立ち寄りました。放し飼いにされているダチョウに購入した葉を与える。すごい力で食いちぎられました。昼食にダチョウの肉料理をいただく!!さっぱりした味でした。なおダチョウランドは国頭(くにがみ)郡東村へ最近移転したようです。この日は奥間ビーチのコッテージに宿泊する。綺麗な海岸を散策、直ぐ隣は米軍の施設でした。 

写真 奥間ビーチ(左) 辺戸岬を望む(右)

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本島北端の辺戸岬へ。この日は与論島が見えませんでしたが、なぜか自分が昔へタイムスリップしたように感じられました。だいぶ離れた展望台は想像を絶する大きさのヤンバルクイナ。ここにたどり着くまでが大変で、とにかく辺ぴな場所です。展望は素晴らしい。そのあと金剛山をハイキングしました。山頂付近は奇岩に囲まれ、別世界へ入り込んだようでした。辺戸岬が見えます。帰路は高速道路を利用せず58号線で恩納海岸の万座毛へ。福井の東尋坊のようです。岩のアーチが面白い。「1万人が座れる草原」が名前の由来とか。海の向こうには万座ビーチホテルの特徴ある建物が見えます。那覇に戻り、国際通りを散策して帰途へつきました。

 

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<同行者のコメント> 沖縄の旅は本当に良かったです。ヤンバルクイナが大きくて遠くからも見えましたが、近づく道がなかなか見つかりません。うちのドライバーは意地になって・・・。高さは10m以上あったでしょうか。巨大な動物の作り物を見るのはこれで3回目です。最初はテキサスのウサギ(34m)、ニュージーランドのキウイ(2mくらい)、そして今回のヤンバルクイナ。みな楽しいですね。

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2005年12月 2日 (金)

町田のロテン・ガーデン

八王子バイパスと16号線、そして町田街道が交差するあたり、相原坂上に町田温泉「ロテン・ガーデン」があります。ドライブ帰りで少し暗くなっていました。ロテン・ガーデンを探しながら狭い16号線の坂道を走る。周囲は暗く、突然の出現でした。入り口に交通整理をする人が手を左右に振る。何の合図? 満車…? と考えているうちに後続車に煽られて通過してしまう。Uターンが出来る場所を探すのに一苦労。今度は迷わず駐車場へ。車がいっぱいです。満車かと思いましたが、幸運にも奥まったところにまだ数台分のペースが残っていました。エレベータで2階の受付へ向かう。

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泉質は東京の温泉らしく黒っぽい色をしたアルカリ性単純泉です。内湯と露天風呂とが広々としています。寝湯、渓流風呂、打たせ湯や桧風呂がいいですね。ジャグジー、サウナもあります。入浴料は1000円と少し高いですが…。傾斜地に建っていることと広い駐車場があり外観は大きな施設に見えますが、多彩な風呂以外のスペースは意外に手狭でした。長居ができる設備があるともっと良くなりますね。

現在は改装工事のため休館中のようです。どのようにグレードアップされるか期待されます。リニューアル後には是非立ち寄ってみたいと思います。

<同行者のコメント> 真っ暗で外が見えませんでした。今度は明るい時がいいですね。

写真と図は「ロック・ガーデン」の古いホームページから引用しました。roten_yo ronten_wa utiyu_yo map_new

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2005年12月 1日 (木)

丹沢中川温泉、信玄館

国道246号線を清水橋で右折、県道76号線を川沿いに遡ると、三保ダム(丹沢湖)が視界に広がります。湖に懸かるモダンな永歳橋を渡ってさらに上流へ。ほどなく中川温泉の入り口です。バス停の横にあるゲートをくぐり右下へ急坂を下りると信玄館の黒い建物が目に入ります。帳場から廊下を左に曲がって進むと、別館の二階に大浴場「夢幻の湯」があります。清潔で広い浴場に天井まで拡がった窓を通して陽の光が入ります。 

ガラス戸を出ると木製の展望露天風呂です。少し小振りですが気持ちの良い浴槽から眼下の渓流と山々が一望できます。ジェットバスとなっているのも嬉しいです。階下には幾つかの家族風呂があり、さらに別館の手前に小さな建物が・・・。もう一つの露天風呂「仙石の湯」でした。たっぷり湯に浸かったあとでしたから、こんど訪れるときに利用させていただくことにしました。入浴料の1000円も妥当です。 

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中川をさらに上流へ向かうと神奈川県の「未来遺産100」に選ばれた「箒(ほうき)杉」があります。道路脇の小高いところに在りますから、車だと気が付かないで通り過ぎるかも知れません。路肩に車を停めて坂道を登って見てください。杉の大きさに感激です。道幅が狭いですから長時間の駐車にならないように・・・。

曲がりくねった狭い道をさらに進むと、前方に四角い青屋根が見えます。西丹沢自然教室です。このすぐ奥のキャンプ場横で舗装道路は終わります。夏には川原いっぱいにキャンプ用テントが並びます。まるで難民キャンプのように見えました。失礼しました!
 

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国道246号を山北方面に少し戻ると、右手に「洒水(しゃすい)の滝」の大きな看板が見えます。案内標識に従って進み、駐車場から徒歩で数分、滝の下に至りました。この滝は「日本の滝百選」、「全国名水百選」、「神奈川の景勝50選」、そして「かながわ みらい遺産100」に選ばれているそうです。私が訪れた時は崖崩れのため、赤い橋の手前で通行止めになっていました。これは受け売りですが、洒水とは密教用語で清浄を念じてそそぐ香水を指すそうです。お酒ではありません。念のため!

<同行者のコメント> 杉の大木も好きだったのですね!甲府へ行く途中にも、山の中に分け入り、大きな杉を見るお付き合いをさせられましたよ。洒水の滝はてっきりうちの旦那さんが好きなお酒の滝だと思っていました。

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