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2005年12月29日 (木)

歴史の街 北京

北京は四国とほぼ同じ面積に1300万人の人口を有する大都市です。市街地の広さは東京とほぼ同じですが、違う点は市街地がほとんど平坦で坂がないこと。マニアがいらっしゃるくらい東京には多くの坂がありますね。北京は古くは燕京、北平、大都とも呼ばれましたが、明代に首都南京に対する北京と改称されました。日本では北京(ペキン)と呼びますが、これは宋の時代に日本へ入ったとする説と英語の呼称とする説の二つがあります。発音(中国語のピンイン表記)はBeijinです。Pekingと呼んでいた英語圏も現在はBeijinとすることが多くなり、日本だけが取り残されることになりました。
 
   

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急速な経済発展と北京オリンピックの2008年開催に向けて再開発が進んでいます。
 
 

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世界遺産の万里の長城は都心部から80km北西にある八達嶺が観光地として知られています。万里の長城の総延長はおよそ6kmで万里と呼ぶのは大げさのようですが、実は中国の一里500mで換算すると12千里となり妥当なのでしょう。入場料金は人民(中国人)と外国人で異なるのが中国らいしと思いました。

天安門は世界遺産の紫禁城(故宮)正門跡で清の時代に現在の形に建てなおされました。北京の顔であるとともに中国を代表する重要な建物です。中華人民共和国の建国が宣言されて以来、政治ショーの舞台としてよく使われています。天安門に登ると毛沢東や周恩来が立った場所から天安門広場が一望できました。

  

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天安門広場は世界一広い広場(東西500m、南北800m)と称されています。戦前から最近までいくつもの不幸な出来事がありましたが、日常は市民や観光客が散策する場所になっています。広場の南端に建つ毛主席記念堂まで歩いて見ました。思い思いの方向へ大勢の人が歩いています。巨大なスクランブル交差点に迷い込んだよう・・・。

北京で思い出すのがアメリカ映画「北京の55日(55 days at Peking)」です。1964年の制作、チャールトン・へストンが主演し、亡くなった伊丹十三氏も出演されています。大学に入った年に見た記憶があります。日本を含む欧米列強に反感を抱いた民衆が列強の大公使館や外国人へのテロを行った「義和団の乱」をもとにした戦争スペクタクル映画です。外国人が北京城に55日間篭城したのち、列強国の援軍が到着して目出度し目出度しで終わります。
 
   

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私の好きなブラザース・フォアが主題歌を歌っていました。ドラム音をイメージした"bom bom bom"の繰り返しと"The year was nineteen hundred"で始まり、途中 各列強の旗に続いて"the flag of the Japanese"も登場。最後は"fifty five days at Peking"で終わります。

当時は撮影規模の大きさに感動しましたが、今思えば文明人(西洋の価値観)が身勝手な振る舞いをしたことを正当化する映画でした。この事件が清朝の力をさらに弱めることとなり、約10年後の辛亥革命で中華民国が誕生します。

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