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2006年10月に作成された記事

2006年10月31日 (火)

旅後記‐ 日光の地名

旅行中に同行者達から質問されて答えられなかった事柄を帰宅後に調べてみました。日光観光協会のHPなどの資料・情報を参考にしています。
 
 
 

Q1. 明智平は明智光秀と何か関係があるの?
 

2006_10300021_2YES 明智平は明智光秀に因んで天海大僧正が名付けたといわれます。山崎の合戦に敗れた明智光秀が、実は生き延びて、天海大僧正になったとする説もあると書かれていますが、これは源義経が大陸に逃れてチンギス・ハンになったとする俗説と同じだと思います。
 
 

Q2. 戦場ケ原で本当に戦争があったの?
 

2006_10300057_1YES と言っても神話のなかのできごとです。中禅寺湖をめぐって下野(しもつけ)の二荒山の神と上野(こうずけ)の赤城山の神がこの戦場ケ原で争ったとの言い伝えがあります。二荒山は今の男体山のこと。現実の戦場ケ原は標高1400mに広がる400ヘクタールの湿原です。2万年前に日光火山群の噴火で川がせき止められて湖になったが、その後の乾燥化や土砂の流入で現在の湿原に変わったそうです。尾瀬湿原が出来たプロセスも同様であり、今は渓流が美しい上高地も田代池で湿原化が始まっていました。 
 
 

Q3. いろは坂にはカーブが48箇所あるの?
 

2006_10300093_1YES 第一いろは坂と第二いろは坂をあわせて48のカーブがあります。昭和初期、(第一)いろは坂に48のカーブがあったことから名付けられたが、その後の道路改修で30に減ってしまう。1965年に第二いろは坂ができてカーブは50に増えたため、第一のカーブを2つ減らして現在の48になった経緯があります。
 
 

Q4. 二荒山神社を「ふたら」と読むのはどうして?
 
 

男体山は昔、二荒山(ふたらさん)と呼ばれていましたが、別名を補陀洛山(ふたらさん)といわれたそうです。補陀洛山(ふだらくさん)とは観音様が住む理想の浄土世界のことで、それが訛って「ふたら」になったものといわれ、また弘法大師がこの地を訪れた時に二荒を「にこう」と読み、「日光」の字を当てこの地の名前にしたと言われます。
 
 

Dscf0051_3補陀洛山信仰は日本各地にあります。補陀洛山が南の海にあると信じられ、これを目指して船出する「補陀洛渡海」が各地で行なわれました。那智勝浦の補陀洛山寺にも渡海船が置かれていました。(右の写真)

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日光(後編)‐世界遺産の社寺

日の出とともに朝風呂です。すでにかなりの先客が! 瑠璃(るり)の湯と露天風呂「緞子(どんす)の湯」へ入る。まだ明け切っていない空を見ながら熱い湯に浸かれば目が覚めて気分も爽快になります。  

旅館の人によれば朝の最低気温は4度とのこと。朝食にはまだ時間があるので、早朝の湯元温泉を散策することにしました。
 
 

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近くの温泉神社から左手に向うと湯ノ平湿原です。ここは奥日光湯元温泉の源泉がある場所。各旅館の名前が書かれた源泉が点在しています。湯守釜屋の名前を一番左端に見つけました。立ち上る蒸気とともに鼻を衝く硫黄の匂いが辺りに広がります。
 
2006_10300085湿原内の木道を歩くと日光温泉寺に至りました。温泉がある珍しい寺として知られているようです。参道に並ぶ石灯籠の反対側は紅葉して黄金色に色づいた松の木々が美しい。

 

 

 

 
ゆっくり朝食をとったあとは、中禅寺湖まで戻り、湖畔の紅葉をひととき楽しみました。ボート乗り場や中禅寺金谷ホテルの周辺がとくに艶やかです。まだ車の少ない華厳の滝駐車場を通り過ぎ、昨日とは様変わり、誰もいないのかと思うほど空いている第一いろは坂を下りはじめました。
 
 

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途中、剣が峰下の観瀑台から「般若滝」と「方等滝」を望むことができました。しかしスペースが狭いため長く駐車することはできません。

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日光の市街地に入り駐車場から世界遺産のエリアを歩き始めます。まず輪王寺の三仏堂に参拝して東照宮の表参道に入る。東照宮は徳川家康を祭神として祀った神社です。 

 

一ノ鳥居をくぐり五重の塔、陽明門、奥社御宝塔、そして拝殿・石の間と巡りました。 

 

修学旅行の小学生グループと一緒になり、その元気さに圧倒され、あちこちで揉みくちゃです。
 
 

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関心がなさそうな同行者たちをあとに二荒山(ふたらさん)神社へと上新道を歩きました。二荒山神社は下野(しもつけ)国の一宮で、縁結びでも知られます。幸運にも白無垢を着た花嫁さんが記念写真を撮るシーンに遭遇、旅の記念にシャッターを押しました。

 

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ちょうどお昼になったので日光金谷ホテルで百年ライスカレーなるものを食べてみました。私が注文したビーフカレーは独特の甘みがあり好みは分かれそう。同行者のチキンカレーはさっぱり目の味が良い。
 

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2006_10300123食事の後は一人で急な坂道を下りる。この旅行の目的である「神橋(しんきょう)」を渡るためだ。全面修復が終わり11月末まで一般に開放されている好機でした。

 

 

 

この橋は国の重要文化財で、さらに輪王寺、東照宮、二荒山神社とともに世界遺産にも指定されています。真紅に塗られた真新しい神橋と下を流れる大谷(だいや)川の清流にしばし見入ってしまいました。

 

2006_10300128渋滞に巻き込まれないように帰路につくことにしました。これが最後だと同行者たちを説き伏せて「霧降の滝」へと道をそれました。わずか3kmの距離です。駐車場からは遊歩道で350m、展望台から2段に流れ落ちる美しい霧降の滝を十分に堪能することができました。
 
 

昼過ぎから雨粒が落ち始めていましたが、幸運にも晴れ間が覗いてくれました。滝壺へ行くのは次回の楽しみにしましょう。その後は天気が回復、順調なドライブで明るいうちに帰宅しました。

 

 

<同行者のコメント> 今回は一泊したため旅館の温泉をたっぷりと楽しむことができて満足です。でもあいかわらずの滝巡りになってしまい、オチビちゃんには超過密スケジュールでしたよ。

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2006年10月30日 (月)

日光(前編)‐紅葉と三名爆

東北自動車道と日光宇都宮道路を経て日光へ到着しました。第二いろは坂を上って明智平に差し掛かると、まだ午前9時過ぎにもかかわらず、駐車場に長い待ち車列が出来ていました。やっと駐車しても、ロープウエイの乗車にも長い行列があり、山頂へたどり着いたのは1時間近く後です。階段を登ると突然展望が開けました。「華厳の滝」と「白雲(しらくも)の滝」が望めます。そして山肌を紅葉が美しく覆っていました。
 
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振り返ると筑波山の頂をわずかに見ることができます。

 

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第二いろは坂を登り切って華厳の滝へ向うことにします。発電所交差点の手前から渋滞が始まっていました。わずか300mほど進むのに30分以上もかかる混雑です。エレベーターで100m下がった展望台からみる華厳の滝が圧倒的な存在感で迫ります。
 
 

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97mの落差と豊富な水量はさすがに日本三大名爆(那智と袋田とともに)に数えられる滝です。華厳の滝の両側に中段から流れ落ちるのは12滝でしょうか、筋状に流れ落ちる滝が多数見られました。エレベーター乗り場の横にある上段の展望台からは水が流れ落ちる美しい様が見下ろせます。

 


 


 
昼食にマスのから揚げと手打ち蕎麦をいただきました。国道120号を中禅寺湖に沿って紅葉を楽しみながら竜頭の滝へと向いました。
   
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「龍頭之茶屋」奥の観爆台から見る龍頭の滝は滝壺に二手で流れ落ち、また遊歩道を上った上段の滝も見事です。溶岩の上を210mに渡って流れ落ちる滝の様子は名前の通り巨大な龍のようです。龍頭之茶屋横には龍頭観世音が祀られていました。

 

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戦場ケ原を抜けて、120号の坂道をさらに登ると湯滝(ゆだき)に差し掛かりました。
 
 

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今回は滝上(湯ノ湖畔)の駐車スペースから、滝が流れ落ちる様子を見ながら、滝壺への急階段を一気に駆け下りました。息を切らせながら上る人々とすれ違います。滝はやはり下から見上げるほうが良いですね。落差が75mある急斜面を末広がりに流れ落ちる様は圧巻で、茨城の「袋田の滝」を思い出します。帰りも何とか休まずに上りきることができました。
 
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2006_10300062湯ノ湖に沿って進むと、ほどなく湯元の温泉街です。おチビちゃんが同行したため、いつになく早い到着です。早速、温泉です。湯守釜屋の風呂は「薬師の湯」と「瑠璃の湯」の二つ。薬師はやや温めでしたが、瑠璃のほうは熱めで、隣接する露天風呂「緞子(どんす)の湯」は相当の熱さです。45-46度はあったでしょうか。

 

青空を見ながら久しぶりの熱い湯に痺れます。泉質は含硫黄‐カルシウム・ナトリウム‐硫黄塩・炭酸水素塩温泉と表示されていました。やや青みがかった白濁湯で、見た目とともにマイルドな心地よさです。
 
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<同行者のコメント> 元気一杯に走りまわるおチビちゃんの相手で少し疲れましたが楽しい初日になりました。夕食後は7時過ぎに早々と全員が就寝です。日光といえば、結婚直後にうちの人の両親と4人で旅行したことを思い出しました。その時は観光タクシーを利用したように覚えています。ついこの間のようですが、今回は私の立場が逆になっていました!!

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2006年10月22日 (日)

東京湾周辺の運河散策

海が近くなり、水の旅もいよいよ最終回です。地下鉄有楽町線を豊洲駅で降りる。地上に出ると、江東区とはいっても高層のオフィスビルやマンションが立ち並び、中央区や港区のベイアリアを連想させる雰囲気。千葉の幕張を小規模にした印象もある。豊洲は大正末期から昭和の初めにかけて埋め立てられた土地で、懸賞によって名称が選ばれた新しい町である。  

 

戦前は石川島播磨重工業の造船所が造られ、戦後になり火力発電所や東京ガスの工場が操業する工業地帯であった。これら企業の社宅に加えて都営住宅も建設されたが、1988年に有楽町線が開通したことが切っ掛けとなり、今の豊洲へと生まれ変わることになった。日本で最初のコンビニとしてセブンイレブン1号店が1974年に誕生したのもこの豊洲である。
 

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写真
 有楽町線豊洲駅と豊洲センタービル アーバンドックららぽーと豊洲

 
三つ目通りを北東に歩くと朝凪(あさなぎ)橋に差し掛かる。下を流れるのが豊洲運河。枝川の交差点を左折したところが蛤(はまぐり)橋で、下を汐見運河が流れている。少し北には永代橋付近で隅田川と分かれる晴海(春海)運河、南には東雲(しののめ)運河と、豊洲は数多くの運河に囲まれた地域である。
 
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写真 豊洲運河 汐見運河 晴海運河と晴海大橋 東雲運河とレインボーブリッジ
 

豊洲駅前に戻る。地下鉄豊洲駅のすぐ南には「ゆりかもめ東京臨海新交通臨海線」の豊洲駅がある。今年3月に有明-豊洲間が開通したことで、有明やお台場へのアクセスが便利になった。ゆりかもめで新橋方面へ向うと、2つ目の駅が「市場前」。駅の周辺は空き地が広がっているだけである。
 

2006_10_yurikamome 2012年を目標に東京中央市場が築地から移転する予定になっていることからこの駅名が付けられた。東雲運河を渡り、有明コロシアムを過ぎると有明駅、そして国際展示場正門駅がある。ゆりかもめは埋立地のなかを一周するようにお台場へ向かい、レインボーブリッジを経由して、ベイエリアを新橋駅まで走っている。 

 
 
東京都は20056月に「運河ルネッサンス」推進地区として品川浦・天王洲地区(京浜運河、天王洲運河、天王洲南運河、旧東海道)、芝浦地区(芝浦運河と西高浜運河)、中央区の月島と晴海に挟まれる朝潮地区(朝潮運河と新月島運河)の3つを指定した。さらに羽田までの京浜運河と江東区南部の運河についても対象となりうる地域としている。
 
都の活動はベニスやアムステルダムにならって運河地域を観光の目玉とすることを狙ったもの。しかし交通の手段としての運河の役割が終わり、運河沿いの土地がオフィスやマンションへと急速に変貌してしまった今となってはすこし疑問がある。水上レストラン、観光桟橋、カヌーやボートで遊べる環境を整備するようだが、小樽運河沿いの石造り倉庫群のように歴史的な建物を残す努力が不可欠であろう。
 
今年の夏に訪れたドイツのライン川下りはもちろんのこと、歴史の浅い米国でも、テキサス州サンアントニオの運河やルイジアナ州ニューオリンズのミシシッピー川の船旅は、時の流れを感じさせてくれました。
   
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写真 サンアントニオの運河 ニューオリンズのミシシッピー川
 
東京の江東デルタ地帯(墨田区と江東区)には、江戸時代から水運に使われた川が多い。南北に流れる隅田川、中川、大横川、横十間川と、東西に流れる北十間川、小名木川、堅川が、碁盤の目のように交差し、さらに多数の掘割が掘られて、水運に便利な地域であった。遠方からは、利根川、江戸川、利根運河(千葉県北西部で利根川と江戸川を結ぶ)、荒川、幸手の権現堂川、朝霞で荒川と合流する新河岸川(しんがしがわ)などの河川と運河が東京(江戸)への水上輸送に使われた。
 
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写真 勝鬨橋袂の隅田川水辺テラスと対岸の月島エリア 埼玉県幸手市権現堂川の堰

この「運河ルネッサンス」活動が、次の段階ではさらに広域の河川・運河へと範囲が拡大され、欧州のように国を越えて船旅を楽しむことができる「川のネットワーク」が整備されることを期待しています。

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2006年10月21日 (土)

等々力渓谷と瀬田温泉「山河の湯」

国分寺崖線の終点である等々力へと足を伸ばしました。東急大井町線の等々力駅から南に向かう。欅の大木が聳える一つ目の十字路を右折すると「ゴルフ橋」に差し掛かる。オヤ!と思わせる名前だ。近くにあったゴルフ場へ行くために昭和初期に造られた橋だとか。橋の手前に渓谷へ下りる階段があった。谷沢川の渓谷を歩きながら、どこかとよく似ていると思った。先日出かけた横須賀の前田川のハイキングコースだ。
 
 

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環状8号の玉沢橋をくぐると、等々力渓谷横穴古墳の標識が現われた。案内に従って進むと斜面に古墳時代後期の横穴式古墳があった。ガラス越しに中を覗くことができる。この周辺に6基以上の古墳があるそうだ。今年の春に散策した田園調布近くの古墳群を思い出した。いずれも高級住宅地に接していることが面白い。これは偶然の一致か、それとも・・・。

 

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さらに進むと、稚児大師堂、そして不動尊へと至る。不動尊の両側に「不動の滝」が二条で流れ落ちている。何千年も流れが途絶えたことがないそうだ。さすが崖線湧水である。不動の滝から階段を上り切ると等々力不動尊の本堂だが、手前を右に折れて坂を下ると、池の中の小さな島の弁天堂に弁才天が祀られていた。ちなみに池は弁天池、小島は弁天島と名付けられている。先週、訪れた国分寺と井の頭公園の湧水、そして今回の等々力渓谷にも弁才天がありました。やはり弁才天は水の神様なのです。
 
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写真 稚児大師堂 不動の滝 弁天堂明王台 等々力不動尊本堂

等々力不動尊から瀬田へ向かう。瀬田温泉「山河の湯」は、一階が受付、休憩所、エステ・マッサージ、2階が食事処、そして3階に温泉浴場がある、細長いユニークな構造である。地下1700mから汲み上げる源泉は46度、典型的な黒湯である。館内着とタオルのレンタル付きではあるものの料金が2300円と高め。
 

2006_10210042内湯、寝湯、泡風呂、サウナ、水風呂、そして露天風呂がある。42-3度の泡風呂以外はほとんど低めの温度。その先は水着着用の男女共有スペースで、広い庭にヒーリングバスと休憩スペースがゆったりと配置されている。  

 

長い木道を下りると子供用のジャバプールを経て歓喜の丘、そして見晴らしの良いスパ「キューピッド」へと続く。すぐ近くの多摩川越に富士山や丹沢山塊が望めると期待したが、西の方角は雲に覆われていたのは残念。 
 
 

山河の湯は、同じ建物にあるスポーツクラブ(ザ・スポーツコネクション)が施設の一部を改築して造った立ち寄り湯で、平成9年にオープンした。この施設はもともと水戸徳川家の屋敷跡につくられたもので、広い敷地と自然が残る庭園が贅沢である。 

 

<同行者のコメント> 等々力渓谷は2度目です。わざわざ三浦半島まで遠出しなくても世田谷に渓谷がありますよ。温泉の黒湯は良かったのですが、いくつかあるお風呂はみな平凡です。最後に入った露天風呂では蚊に刺されてしまいました。くやしいです。 

 

付記: 等々力不動尊から田園調布方面へ1km余り東進した場所に玉川浄水場があります。以前は多摩川から取水して水道水が作られていましたが、原水の劣化で現在は工業用水道水の処理だけを行なっています。多摩川下流の水も最悪であった1970年頃にくらべるとずいぶんきれいになって、最近は鮎が戻ってきました。水道水として復活するのはいつでしょうか?

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2006年10月15日 (日)

湧水探訪(後編)- 天然温泉むさし野「湯らく」

国分寺駅から4つ目の三鷹駅で下車。三鷹は、太宰治、森鴎外、大仏次郎、武者小路実篤、三木露風など文人に縁(ゆかり)の地です。
 
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「風の散歩道」を歩きました。その横を流れる玉川上水は羽村の多摩川から取り入れた水を四谷の大木戸まで導くために350年ほど前に造られた用水路です。水は江戸市中の南半分の地域へ供給されたそうです。
 
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1965年に東村山浄水場が造られ、新宿の淀橋浄水場が閉鎖されると、小平より下流は空掘りになりましたが、1986年に清流復活事業として処理済の下水を使用して水流が復活しました。  

 

余談ですが、淀橋はあの「ヨドバシカメラ」が創業した場所です。淀橋浄水場の跡地(西新宿)は高層ビルが林立する新宿副都心に生まれ変わりました。 

 

現在の玉川上水は、水量がわずかですから、太宰治が入水した終戦直後の面影はもうありません。むらさき橋と山本有三記念館(右上の写真、門前に路傍の石が置かれている)を過ぎ、万助橋を渡ると、ほどなく井の頭恩賜公園の入り口です。ここはボート遊びと桜の名所としてよく知られます。園内にある井の頭池は神田川の源流になっています。「井の頭」とは川の水源を意味するそうです。
 
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池の西北端にお目当ての「お茶ノ水」と呼ばれる湧水を見つけました。これが神田川の真の源流です。徳川家康が狩で立寄った折に、この湧き水を気に入り、お茶をたてたことが名前の由来であると説明されていました。 

 

湧水の近くにある弁財天に参拝しました。弁財天(正しくは弁才天)は、元々インドの水の女神(サラスヴァティ、漢訳は薩羅薩伐底)で、その多くが水に縁のある場所に祀られています。 

 

水が流れる滑らかな様から連想して、音楽や言葉、つまり芸能の神様としても信仰されています。近世以降は「才」に替えて「財」の字を当てたことから、金運の神様とするところもあります。鎌倉の銭洗い弁天(宇賀福神社)や江ノ島弁天(江島神社)が有名です。仏教の神様が神社にも祀られているのは、いかにも日本的なおおらかさで面白いです。 
 
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野口雨情の碑に立寄ったあと、三鷹駅まで戻る。北口では武者小路実篤の書で刻まれた「国木田独歩の碑」を見つけました。交番と仮設ごみ置き場に隠れた場所は寂しげでした。 
 
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もう一つの目的である立寄り湯へ行くことにしました。北口から送迎バスに乗って天然海水温泉むさし野「湯らく」へ。4階建ビルの2階に浴室がありました。あつ湯、ぬる湯、瞑想浴、ジェットバス、サウナ、水風呂、そして露天風呂を楽めました。なかでも瞑想浴がユニークです。手品に使うような黒い箱状の空間と、月と星の形をした天井の穴から洩れる明かりが、瞑想するのに好都合なのか一番混んでいました!! 全体がシンプルにレイアウトされており、落ち着いた印象を与えます。
 
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泉質はナトリウム-塩化物強塩温泉(高張性・弱アルカリ性)で、肌がつるつるになるとの効能書きがありました。いわゆる黒湯です。 

 

目玉である岩盤浴は人気があり、施設も立派でした。入館料(館内着とタオルセット付き)は1560円と高めですが、岩盤浴(1050円)も利用して、ゆっくり入浴を楽しむ人にはお勧めできます。岩盤浴を挟み、2回も温泉を楽しむ、温泉三昧の午後になりました。 

 

<同行者のコメント> 今日もずいぶん歩きました。国分寺を歩くだけだと思っていましたが、玉川上水から井の頭公園へも! そんなに欲張らないで下さいね。温泉で昼食に食べたサラダうどんが美味しかったです。岩盤浴では湧き水のように汗が出て驚きました。これで少しやせたかしら? 

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湧水探訪(前編)

水の話題を続けます。湧き水は富士山周辺の伏流水が有名です。三島市清水町の柿田川、山梨県の忍野八海のほか、富士宮市や富士市にも多数あるようです。水量の多い柿田川の透明な湧き水を見ていると、流れに吸い込まれてしまいそうな恐怖感さえ感じます。湧き水を湧水(ゆうすい)、その場所は湧泉(ゆうせん)と呼ぶそうですが、通常は両方とも湧水とすることが多いようです。 

水量の多い湧泉のほとんどは、富士山、箱根山、阿蘇山、雲仙岳、霧島山、岩手山などの周辺にある火山山麓湧泉ですが、カルスト・扇状地・段丘でも湧泉が見られます。カルスト湧泉は酸性の水が石灰岩を溶かして造った洞穴を通って水が地表に出たものです。扇状地は小学校の社会科(地理)で習ったように、山から土砂などが流れて扇状に堆積した地形で、しみ込んだ水は伏流水となり、扇の先端部で湧水となります。これら2種類の湧泉はいずれも山に近い場所に多いのですが、3番目の段丘湧泉は都会にもあるのです。

 

その代表格が国分寺の「真姿の池湧水(ますがたのいけゆうすい)群」です。およそ15mの高さがある国分寺崖線(がいせん)の崖下から溢れ出ています。国分寺崖線とは、国分寺から調布の深大寺、そして世田谷の等々力まで約30km続いている崖の連なりのことを言います。つまり武蔵野台地の崖です。ちなみに都環境局が平成15年に行なった調査では、都内に707箇所(区部280、市町村部427)の湧水があるそうです。

 

前書きが長くなりました。今回は国分寺と井の頭公園の湧水を訪ねます。国分寺駅の南口を出て左手の都立殿ケ谷戸庭園(以前は岩崎家が所有)に向いました。庭園内の池「次郎弁天の池」は崖線からの湧水を利用していました。
 
2006_10140016_1 2006_10140019_1 2006_10140027_1 Dscf0027_4写真 崖下(ハケ)の道、湧水、次郎弁天の池、御岳渓流(2004.11撮影)
 

庭園を出て崖線の急な坂を下りると野川に突き当たりました。不動橋を渡って右折すると「お鷹の道」に入ります。しばらく住宅地を進むと清らかな小川に沿った遊歩道になり、「真姿の池湧水群」へと導かれました。
 

この湧水は野川沿いにある多数の湧水(野川の源流である日立中央研究所の湧水や深大寺境内の湧水など)と合流して、二子玉川で多摩川に注いでいます。都内で環境省の名水百選に選ばれている場所は、この「真姿の池湧水群」と「御岳渓流」の二つだけです。
 
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湧水の横、「真姿の池」にある弁財天へ参拝して、近くの最勝院国分寺(湧泉が二つある)と土台石だけが残る武蔵国分寺跡を周ったあと、武蔵国分寺公園内を横切って国分寺駅に戻りました。

 
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同行者のコメント> 殿ケ谷戸庭園の高台からみる庭はみごとです。お鷹の道のすぐ横を流れる小川は透明で、湧き水の多さにも驚きました。

 

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殿ケ谷戸庭園で咲いていた花です。

 

はぎ(萩)、ほととぎす(杜鵑草)、ききょう(桔梗)、ふじばかま(藤袴)、われもこう(吾木香)、さんざし(山楂子)、あきちょうじ(秋丁字)、すいふよう(酔芙蓉)
 
2006_10140009 2006_10140013 2006_10140030 2006_10140031 2006_10140036 2006_10140038 2006_10140041 2006_10140044

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2006年10月11日 (水)

水源探索

滝巡りや山歩きに出掛けると、谷川や湧き水を利用する水道施設を人里離れた場所で見かけることがある。先日、箱根の「飛竜の滝」へ向かう山道で小規模な水道施設を見つけ、今週初めに訪れた山梨県上野原市の安寺沢でも川沿いに浄水施設があった。それは安寺沢の集落から少し登った所で、自然の高低差を利用して集落に配水しているのだろう。
 
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この日は上野原へ行くために国道412号を利用したが、道志川が近いことを思い付き、道志川の取水場へ立寄ることにした。以前、道志村を訪れた時に案内所で、道志村が横浜市の水源地になっているとの説明文を読み、一度その施設を見たくなったのだ。
 

Miho石老山(せきろうざん)入り口の交差点から入ったため、相模湖町と津久井町の山道を迷いながら何とかたどり着いた。青山水源事務所(横浜市水道局)の看板がある。塀越しにみるだけでも大きな施設であることが分かった。 

 

帰宅後に調べてみると、取水口は1km上流の鮑子(あびこ)に移転しており、現在は沈殿池として使われているとのこと。城山隋道で城山町に導かれ、さらに相模原市を経て横浜の川井・西谷浄水場まで送られている。その水量はそれほど多くない。ここで何か変だなと感じた。青山と鮑子は、道志川沿いに違いないが、道志村ではなく津久井町にある。そこで横浜水道局のHPで水源を調べたところ、以下の事実が判明した。
 

Miyagase_1横浜に限らず、神奈川県の水道は、酒匂川の三保ダム、相模川水系の宮ケ瀬ダム、相模ダム、城山ダム、そして道志ダムが主水源で、しかも相模川水系の4つのダム湖は導水管により相互に連携している。 

 

これら4つのダムの水は、導水トンネルで相模原市へ送られた酒匂川からの水とともに、横浜市、川崎市、横須賀市の水道水として使われている。すなわち丹沢山系全体の水が集中管理され、安定した水の供給源として、県内の主要都市の水道に利用されているのだ。

 

上記の道志ダムも実際は津久井町にあるが、横浜市は大正時代の初めから上流の道志村に広い水源林を所有し、その後も買い増しを行ない、村の面積の3分の1以上に達している。このため道志村は横浜市との合併を平成15年に希望したが、50kmも離れた飛び地となることと道志村が山梨県にあるため実現には至らなかった。 

 

蛇足だが、神奈川県と比べて東京都の水道には課題が多いようだ。主要水源である利根川水系の水量が不安定であることに加え、味が良くないと不評を買っている。なぜか2年前から都水道局がペットボトル入りの「東京水」を販売している。高度浄水処理を施した水道水だ。昨年、都民の半数以上が水道水に不満を持っているとの調査結果が出たため、都水道局は急遽水質の悪い利根川と荒川水系の浄水場を高度浄水設備に切り替えると発表した。自然の恵みである美味しい水道水を期待したいものだ。 写真 三保ダム(上)と宮ケ瀬ダム(下)

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2006年10月10日 (火)

巌道峠と秋山温泉

10月の三連休は好天続き、最終日に富士山が見えるスポットへ出掛けることにした。国道412号から県道517号に入り、藤野町を通過すれば、程なく県道35号で山梨県に入る。一古沢(いっこさわ)のすぐ先で秋山橋を渡り、左手に進むと上野原市秋山温泉の看板が眼に入った。朝の8時を過ぎたばかりで、施設はまだオープンしていない。温泉はあとの楽しみである。

すぐ近くに駐車している車のラックに自転車が3台積まれていた。ライダーが準備をしている。我々も身支度を整えて8時半過ぎに秋山温泉の駐車場を出発、舗装された道を歩き始める。最初から急勾配が続く。しばらく歩くと後方から先ほどのライダー達が快調なペースで迫ってきた。
 
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時間ほどで安寺沢(あてらさわ)の集落に入った。安寺沢川の清流が間近に見えると道幅も狭くなってきた。 雨が降った後でもあり、水量が豊か。水音に癒される。
 
 
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安寺沢林道に入ると道幅はさらに狭く、車両一台分(3m)となる。ヘアピンカーブでまたラーダーに追いつく。今度は我々が先に出発。また3台が追い抜いていく。どうしたことか1人がマウンテンバイクを押しながら歩き始めた。急勾配で疲れているようだ。ゆっくり追い越す。前方で休憩する2人に挨拶をして先に進む。
 
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見晴らしの良い場所で追いついた時には会話がかなり弾むようになった。同行者は「峠まではあとどれくらいですか?」と年配の方に聞く。私のあいまいな説明を信じていないのだ。山上の送電線鉄塔を指して、「もうすぐですよ」との答えが返ってきた。優しい言葉に送られてゴールを目指す。説明されたとおり鉄塔の下に切り通しと石碑が見える。巌道(がんどう)峠に到着だ。所要時間は2時間を少々オーバー。
 
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切り通しからの見晴らしは当然のことながら良くない。渋る同行者をなだめながら、鉄塔が立つ小高い場所に登ってみた。これこそ絶景である。
 

来た方向を見下ろすと、山並みの先にビル群が見える。北東の方向だから八王子の市街地であろうか。南方には道志みちの集落が見える。さらに遠方は丹沢の蛭ヶ岳(1673m)と大室山(1588m)であろう。大室山と御正体山(1682m)の間に富士山の姿がくっきりと見える。やはり来て良かった。そう、峠を越える送電線の下は絶景ポイントなのです。
   
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巌道峠に戻ると先ほどの2人が到着していた。今日のルートやマウンテンバイクについて同行者の質問攻めが始まった。年長の方は私より少しだけ若いが、バイクの大ベテランであることが分かった。そこへ3人目が押し歩きで到着。昨秋、自転車を担いで富士山に登る外人を目撃した疑問を投げかけてみた。「山頂で火口の淵を周るのでしょう。ステータスです。」とのこと。昨年来の疑問は氷解したが、驚きの方は倍増。
 

3人は道志みち(413号)に下りて、東側のコースで秋山温泉へ戻る予定とのこと。われわれはここで別れを告げて、もと来た道を引き返す。長い下りは脚の負担がより大きいことをたっぷり体験。休憩するため、何食わぬ顔で路傍の草花を撮影する。秋山温泉にはちょうど1時間半で到着。
 
 
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プール・エリアをはさんで男湯と女湯がある。浴室は高い天井の大きな明り取りからの光で明るく・開放感がある。源泉浴槽、高温浴槽、泡風呂、水風呂、そして蒸気風呂と多彩。露天風呂は岩風呂。目隠しの塀が低く、広々とした青空が望め、こちらも開放的な雰囲気だ。因みに源泉は39.6度(表示)。源泉浴槽の温度計もほぼ同じ38.8度を示していた。露天風呂と高温浴槽は約42度。泉質はアルカリ性単純泉。透明で柔らかい。 
 

休憩を挟んで2回入浴する。入館料金(風呂のみ、タオルと室内着付)は800/日と格安。2階には休憩室を兼ねた広いレストランがある。長湯が祟って秋山温泉の出発は午後3時に! これは拙いと裏道を利用するが、帰宅はすでに日が暮れた6時過ぎとなる。

 

<同行者のコメント> 林道の急な坂を自転車で走るグループにたくさん会いました。初対面の人と話すのは楽しいですね。うちの運転手さんみたいに変わった人が大勢いることが分かります。急な坂を4時間も歩き続けて足が棒のよう。源泉浴槽の浅いところで横になると気持ちが良かったです。

 

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路傍の草花です。

 

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2006年10月 8日 (日)

ダ・ヴィンチ・コードとイエスキリスト

時機をすこし逸していますが「ダ・ヴィンチ・コード」を読みました。米国で20033月(日本語版は20045月)に発売された新人作家の小説が全世界で注目されたことは記憶に新しいところです。今年5月には映画化もされました。原作を忠実になぞろうとして消化不良になり、こちらの評判は今ひとつのようです。当ブログで紹介しましたように、今夏、ルーブル美術館を訪れた記憶がこの小説を読む気にさせました。
 
Leonardo_da_vinci2_2かなり長い小説ではありますが、読み始めるとストーリーに引き込まれて、一気に読み切ってしまいました。「ダ・ヴィンチ・コード」はわずか1日の出来事をリアルタイムで描写するように詳述し、ラストシーンを含めても数日と短い期間とは思えない内容の濃密さです。さらに、複数の登場人物の行動を同時進行的に記述する手法(映画やドラマで時々採用される)を多用しているため、時には思考が追いつかず読者を混乱させます。
 
パリのルーブル美術館を舞台として物語が始まり、ベルサイユ宮殿の近郊、さらにはロンドンとスコットランドへと舞台が変わる展開のめまぐるしさ。それぞれの場所での暗号解きとそれに纏わるイエスキリストや古代史の話が日本人には難解ではあるものの、それ以上に読者を引き付ける魅力が文脈にありました。
 

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そして主人公は最後に意外な場所に辿り着くのです。キリスト教徒ではない我々には宗教的な記述が難解かつ詳細すぎる印象はありますが、全体を通したストーリー展開がしっかりしており、何よりも読後に心地よい余韻が残る秀作でした。
 
私の好きな映画にも、イエスキリストそのものを描いたものが多数あります。キング・オブ・キングス、偉大な生涯の物語、ベン・ハーなど1960年代のものから、2004年のパッションまで。古い映画はおおむね新約聖書に忠実にキリストを描いていますが、最近のパッションやダ・ヴィンチ・コードは新しい解釈によるため、各国で論議を呼んでいます。
 
これはイエスキリストに直接関係ありませんが、中世イタリアの修道院を舞台にした連続殺人事件を描いた「薔薇の名前」(1986年、ショーン・コネリー主演)は、異端を厳しく取り締まるローマ教会の立場が、ダ・ヴィンチ・コードと共通します。
 
キリスト教徒ではない我々には理解しにくいことが多いのですが、権威としての宗教が内在する問題は仏教にも共通する点があるように思われます。とは言っても、宗派を問わず神社仏閣に参拝することが趣味である私には無縁のことですが。

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2006年10月 6日 (金)

大人の時代が復活か?

JR京葉線で千葉方面へ。IKEAの1号店がある南舟橋駅を過ぎれば、ほどなく海浜幕張駅である。長い歩道橋を歩いて目的地の幕張メッセに到着。予想通りに多くの来場者が詰め掛けている。
 
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アジア最大の展示会CEATEC(シーテック)だ。今回のハイライトはなんと言っても大型平面テレビとHD(高精彩)技術。100インチ超のPDPが目玉のPanasonic(松下)、フルHD液晶のシャープ、全ての製品分野でHDを強調するソニー等などが大規模なブースを作り、競って最新技術と目玉商品を展示している。そしてBlu-ray DiscHD-DVD両陣営のブースもすぐ近くで競演していた?
 
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長い行列ができる人気コーナーがいくつかあった。まず東芝とキャノンが共同開発するSEDディスプレイ。商品化が遅れていることで消費者の関心をさらに煽っているようだ。別の展示会ですでに見ているので他のコーナーへ向かう。Pioneer60インチ・フルHD PDPデモは、液晶相当の画面と比較することで、20,0001の高い画面コントラスト比の素晴らしさをアピール。圧巻はNHKのスーパーハイビジョンで、70ミリ映画フィルムに迫る2000万画素の質感溢れる映像と22.2マルチチャンネル音響の世界に圧倒され、高校生の時に受けた感動が40数年振りに蘇った。

 

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隣のネットワーク・エリアでは、MNP(携帯電話番号移動)実施を間近に控え、携帯電話会社間の競争が加熱していた。最新技術とサービスを展示するNTTドコモとお祭り騒ぎのような演出のauブースが好対照である。

一風変わった展示品はロボット。富士通やNECの案内ロボット、パイオニアの車載用鳥形ロボット、そして人気を集めたのはなんと言っても村田製作所の自転車に乗るロボット「ムラタセイサク君」だ。前回の展示会では平均台を何とか渡るだけであったが、今回は大きく能力をアップして、30度の急坂を登るやら、S字カーブをクリアーするまでに進化した。中高年の人並みに押されてブースへ近づけず、頭上に設置されたディスプレイの中継画面に見入る。

 

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私個人の関心事はオーディオ。嬉しいことに、今回は各社から最新のスピーカーが展示された。国産メーカーが撤退した高級スピーカー市場では欧米の専業メーカーの製品だけが存在する状況が変わり始めている。老舗のパイオニアは意欲的な製品S-1EX、そしてTAD技術を採用したスピーカーReference Oneを展示。三菱電機は、伝説のプロ用モニタースピーカーから40数年を経て、フロア型スピーカーDS-MA1(注文生産)を発表。いずれも静展示なのが残念だ。ビクターは力を入れるウッドコーン・スピーカー製品群を展示。そしてアメリカの専業メーカーBOSEは得意のサラウンド・システムに加えて、最新の一体型システムMusic SystemⅡと外部騒音をキャンセルするヘッドフォンQuietComfort3をブース前面に動展示。

  

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ミニコンポと低価格のサラウンド・システムに駆逐された日本のピュアオーディオが、高画質テレビの登場で、桧舞台に再登場したことが嬉しい。四半世紀振りに大人の趣味の時代が復活したようだ。アナログ技術の素晴らしさを再認識するとともにと、デジタル技術が映像と音響の分野でアナログの品質に近づき・凌駕しつつあることを実感させる展示会であった。

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2006年10月 1日 (日)

巣鴨散策と東京染井温泉「Sakura」

思い立って巣鴨に出掛けてみました。「刺抜き地蔵」で全国的に知られるようになった巣鴨ですが、私が訪れた理由はそれだけではありません。キーワードは「桜」です。
 
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桜と言えば染井吉野、江戸末期にオオシマザクラとエドヒガンを交配して染井村で作られた改良品種である。当初は桜の名所吉野に因んで吉野桜と命名されたが、紛らわしいことから明治後期に染井吉野と呼ばれるようになったそうだ。(染井村は現在の地名で豊島区駒込)巣鴨駅前の白山通りを渡り、池袋(大塚)方面に向うと、山手線に沿って桜並木が続く。駅にほど近い場所に「染井吉野の碑」がある。
 
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白山通りを北上した真性寺は「江戸六地蔵尊」(笠をかぶった大きな地蔵尊)で知られる。線香をあげて温泉巡りの旅の無事を祈願する。真性寺前から地蔵通り(旧中山道)に入ると一里塚標柱が「すがも園」に。同行者は名物の塩大福を買い求める。刺抜き地蔵は正式には萬頂山高岩寺(まんちょうざんこうがんじ)、本尊の延命地蔵菩薩は秘仏のため非公開。本堂の横にある「洗い観音」には長蛇の列が出来ている。 

 

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地蔵通りは買い物客で歩くのもままならない。衣料品や靴を売る店がやたらと多い。そして食べ物も。郵便局の少し手前を右折して横丁に入る。表通りとは異なる下町の風情が。白山通りへ出た。豊島市場の広い敷地に沿って真っ直ぐ進むと目当ての徳栄山本妙寺に行き当たる。 

この寺には江戸時代の著名人が祀られている。「遊び人の金さん」こと遠山金四郎景元(かげもと)や千葉周作など。「金さんは実在した人だったのね。千葉周作は?」などと同行者は無邪気なことを言う。「赤胴鈴之助の先生だよ!」とからかう。金さんの桜吹雪(ふぶき)の刺青(いれずみ)も芝居作者の創作のようです。

  

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すぐ近くの慈眼寺には芥川龍之介、谷崎潤一郎、司馬江漢などが眠っていた。慈眼寺と豊島市場に接して染井霊園が広がる。管理事務所の手前を右折、園内の「南そめいよしの通り」を歩くと、右手に高村光太郎と智恵子の墓がある。少し戻ったところには二葉亭四迷と岡倉天心も祭られている。管理事務所の前から外に出ると右手に、有名選手を擁する、東京スイミングセンターが。それに隠れるように「東京染井温泉Sakura」の入り口が見つかった。

 

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奥まったところにある門をくぐると小さな庭があり、和風の落ち着いた雰囲気である。真新しい施設だ。内湯には寝湯、檜風呂(大和桜の湯)そしてスタジアムサウナ、屋外は温泉露天(桜雲の湯)と白湯露天がある。いずれも名前に桜が。

温泉の湯はろ過しているために薄黄色で、舐めてみるとショッパイ味がする。オプションとして岩盤浴,ボディケア、エステ、メイク、ネイル、垢すりなどに加えて、レストランとキッズルーム(託児所)もあり、女性客を強く意識している。温泉と言うよりもレジャー施設の趣。入館料は1260円と少し割高に感じたが、同行者は至極満足そうだ。

桜つながりはここまでにして、私にとっての巣鴨を二題。駅前の日本アマチュア無線連盟はその名の通りアマチュア無線家の総本山?もう一つは「巣鴨プリズン(旧東京拘置所)」、年配者には耳慣れた名前だ。戦前はゾルゲや尾崎秀美が処刑され、戦後にはA級戦犯が処刑された。東京拘置所が今の小菅(葛飾区)に移転した後はサンシャイン60ビルが建てられた。東池袋の施設になぜ巣鴨の名が付いていたのか不思議に思って調べてみた。江戸時代には池袋から巣鴨・駒込に至る地域は豊島郡巣鴨村。池袋が交通の要所として発展したのは昭和になってからである。

  

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<同行者のコメント> 刺抜き地蔵は二度目です。ここだけは私が案内しました。家のガイドさんが急に巣鴨へ行くと言い出したのは、わたしが「遊び人の金さん」と呼んだからですね。おかげでお墓参り(巡り?)に同行することになってしまいました。劇中での決まり台詞をつぶやきながら歩くわが家の「金さん」はおかしいです。

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