白金台散策と「白金長者館跡」
目黒へ所用で出掛けた折に白金台を散策しました。出発地の目黒駅はなぜか目黒区ではなく品川区に属してします。これは鉄道を建設するときに地元住民の反対で駅の場所を品川区側へ変更したためだそうです。目黒駅東口から目黒通りを北上して高速道路をくぐると上大崎の交差点で港区に入ります。交差点に接した東京都庭園美術館は朝香宮(あさかのみや)邸跡を美術館として公開したものです。アール・デコ様式の建物と彫刻、そして芝生広場、西洋庭園と日本庭園など緑があふれる魅力的な美術館でした。庭園のみの入園料は200円です。
すぐ隣にお目当ての場所があります。現在は国立科学博物館附属自然教育園となっていますが、明治時代には陸・海軍の火薬庫、大正時代には白金御料地として皇室の所有であった場所です。さらに遡った江戸時代には高松藩主松平讃岐守頼重の下屋敷であり、400-500年前には白金長者が居を構えたと伝えられます。当ブログの「東京の地名の由来」で説明したように白金の地名の由来になっている場所です。昭和24年に全域が天然記念物および史跡に指定されました。
入園料300円を支払うとピンク色のリボンを手渡されました。自然を守るために入場者数を300名以下に制限するためだそうです。そう言えば皇居東御苑の白い入園票も同じ目的だったのでしょうか?
ゲートを抜けるとすぐ深い木立の中へと道が続いています。路傍植物園と表示されたエリアには樹木と草花に名札がつけられています。はじめて目にする名前も多数ありました。そのなかに土塁跡の表示があり、白金長者が外敵や野火を防ぐために築いたと説明が書かれています。高さは5-6mくらい、人の高さの3倍ほどあったと思います。
休憩所と「物語の松」を過ぎると左手に水辺が現れました。ひょうたん池です。その先には水生植物園が広がります。水辺にススキがまぶしく光っていました。水辺を散策する人とともにカメラを構える人たちが池の風景を撮影しています。数日前に訪れた埼玉の紅葉祭り(モデル撮影会)では男性カメラマンばかりでしたが、この植物園では圧倒的に女性が多く、面白い対比です。
突き当りを右手に進むと武蔵野植物公園と表示されたエリアに入ります。まさに武蔵野の風情を感じさせる雑木林です。森の小道に入る。左手に続く湿地帯と小川にそって歩く。シュロが都会で増えているとの説明がありました。都市温暖化の影響だそうです。道なりに水生植物園に戻りました。
今度は道を左にとって水鳥の沼方面に歩く。「大蛇(おろち)の松」とはよく名づけたものです。休憩所の奥に水鳥の沼がありました。残念ながら水鳥の姿が見えません。そのかわり沼のなかを大きな鯉が泳いでいます。2尾が近づいたところを撮影できました。さらに進むと「館跡」の表示があります。ここが白金長者の館があったと思われる場所で、周囲をU字型の土塁が取り囲んでいると説明されています。土塁だけが当時の様子を遺していました。
事務所内に自然教育園が詳しく説明されていました。50年前に開園した当時からの植生変化がリアルです。さらに将来の予測まで。天然記念物の指定を受けたことでできる限り人手を入れていないため、本来の自然に近い状態の森になっていると。六義園など人工的な庭園は美しいのですが、自然の森も日本の美しさを良く象徴して魅力的でした。
拡幅工事中の目黒通りを白金台の5丁目から1丁目に向かって歩きます。外苑西通りを過ぎると、左手に東京大学医科学研究所と附属病院がありました。レンガ造りの建物に歴史を感じます。地下鉄白金台駅を過ぎ、目黒通り沿いのマンション街を歩くと、右手に紫雲山瑞聖禅寺の表示が見えます。横断歩道橋を渡って横丁に入ると、奥まった場所に東京都指定有形文化財の大雄宝殿(江戸時代の中後期の建設)がありました。名前の通り雄大で美しい建物です。1丁目にある八芳園から先は下り坂になり、都ホテル東京を過ぎると目黒通りの起点に到着です。
目黒通りは世田谷の等々力まで続く都道312号で、昔は江戸から大鳥神社、目黒不動尊、九品仏の浄真寺に向かうための道でした。等々力不動前から国分寺崖線を下って多摩川の多摩堤通りに突き当たる場所が終点となっています。
目黒通りと桜田通り(国道1号)の三叉路が清正公(せいしょうこう)前と呼ばれるのは、三叉路に挟まれた覚林寺が加藤清正を祀っていることによります。敷地をかさ上げするための曳屋工事が終わったばかりで、まだ境内の整備工事が行われていました。
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