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2006年11月に作成された記事

2006年11月30日 (木)

白金台散策と「白金長者館跡」

目黒へ所用で出掛けた折に白金台を散策しました。出発地の目黒駅はなぜか目黒区ではなく品川区に属してします。これは鉄道を建設するときに地元住民の反対で駅の場所を品川区側へ変更したためだそうです。目黒駅東口から目黒通りを北上して高速道路をくぐると上大崎の交差点で港区に入ります。交差点に接した東京都庭園美術館は朝香宮(あさかのみや)邸跡を美術館として公開したものです。アール・デコ様式の建物と彫刻、そして芝生広場、西洋庭園と日本庭園など緑があふれる魅力的な美術館でした。庭園のみの入園料は200円です。
 
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すぐ隣にお目当ての場所があります。現在は国立科学博物館附属自然教育園となっていますが、明治時代には陸・海軍の火薬庫、大正時代には白金御料地として皇室の所有であった場所です。さらに遡った江戸時代には高松藩主松平讃岐守頼重の下屋敷であり、400-500年前には白金長者が居を構えたと伝えられます。当ブログの「東京の地名の由来」で説明したように白金の地名の由来になっている場所です。昭和24年に全域が天然記念物および史跡に指定されました。
 
 

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入園料300円を支払うとピンク色のリボンを手渡されました。自然を守るために入場者数を300名以下に制限するためだそうです。そう言えば皇居東御苑の白い入園票も同じ目的だったのでしょうか? ゲートを抜けるとすぐ深い木立の中へと道が続いています。路傍植物園と表示されたエリアには樹木と草花に名札がつけられています。はじめて目にする名前も多数ありました。そのなかに土塁跡の表示があり、白金長者が外敵や野火を防ぐために築いたと説明が書かれています。高さは5-6mくらい、人の高さの3倍ほどあったと思います。
 
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休憩所と「物語の松」を過ぎると左手に水辺が現れました。ひょうたん池です。その先には水生植物園が広がります。水辺にススキがまぶしく光っていました。水辺を散策する人とともにカメラを構える人たちが池の風景を撮影しています。数日前に訪れた埼玉の紅葉祭り(モデル撮影会)では男性カメラマンばかりでしたが、この植物園では圧倒的に女性が多く、面白い対比です。
 
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突き当りを右手に進むと武蔵野植物公園と表示されたエリアに入ります。まさに武蔵野の風情を感じさせる雑木林です。森の小道に入る。左手に続く湿地帯と小川にそって歩く。シュロが都会で増えているとの説明がありました。都市温暖化の影響だそうです。道なりに水生植物園に戻りました。

 

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今度は道を左にとって水鳥の沼方面に歩く。「大蛇(おろち)の松」とはよく名づけたものです。休憩所の奥に水鳥の沼がありました。残念ながら水鳥の姿が見えません。そのかわり沼のなかを大きな鯉が泳いでいます。2尾が近づいたところを撮影できました。さらに進むと「館跡」の表示があります。ここが白金長者の館があったと思われる場所で、周囲をU字型の土塁が取り囲んでいると説明されています。土塁だけが当時の様子を遺していました。
 
 

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事務所内に自然教育園が詳しく説明されていました。50年前に開園した当時からの植生変化がリアルです。さらに将来の予測まで。天然記念物の指定を受けたことでできる限り人手を入れていないため、本来の自然に近い状態の森になっていると。六義園など人工的な庭園は美しいのですが、自然の森も日本の美しさを良く象徴して魅力的でした。  

拡幅工事中の目黒通りを白金台の5丁目から1丁目に向かって歩きます。外苑西通りを過ぎると、左手に東京大学医科学研究所と附属病院がありました。レンガ造りの建物に歴史を感じます。地下鉄白金台駅を過ぎ、目黒通り沿いのマンション街を歩くと、右手に紫雲山瑞聖禅寺の表示が見えます。横断歩道橋を渡って横丁に入ると、奥まった場所に東京都指定有形文化財の大雄宝殿(江戸時代の中後期の建設)がありました。名前の通り雄大で美しい建物です。1丁目にある八芳園から先は下り坂になり、都ホテル東京を過ぎると目黒通りの起点に到着です。
 
 

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目黒通りは世田谷の等々力まで続く都道312号で、昔は江戸から大鳥神社、目黒不動尊、九品仏の浄真寺に向かうための道でした。等々力不動前から国分寺崖線を下って多摩川の多摩堤通りに突き当たる場所が終点となっています。
 
 

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目黒通りと桜田通り(国道1号)の三叉路が清正公(せいしょうこう)前と呼ばれるのは、三叉路に挟まれた覚林寺が加藤清正を祀っていることによります。敷地をかさ上げするための曳屋工事が終わったばかりで、まだ境内の整備工事が行われていました。

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2006年11月27日 (月)

高山不動尊と埼玉の紅葉狩り(後編)

2006_11260082国道299号を秩父方面に進むと、吾野駅の先にある東郷公園でもみじ祭りが開催されているのを見つけました。きれいな紅葉に誘われて石段を登るうちに秩父御嶽神社の奥の院に到達してしまう。ここは木曽御嶽山の分霊を奉る神社だそうです。参拝したあと平和を祈念して奥の院前の鐘を3回打ちました。
 

 

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畑井から天目指(あまめざす)峠を越えて名栗に抜ける予定でしたが、道を間違えたため国道に戻ってしまい、気がつけば正丸トンネルに差し掛かっています。正丸峠越えでも良いのですが、そのままトンネルを抜けることにしました。
 

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少し回り道をしたものの、ほぼ予定通りの時間に名栗に到着です。名栗湖の手前にある日帰り温泉「さわらびの湯」の場所を確認することにしました。何と!設備改修のため休業中との看板がでています。これは困りました・・・。  

 

とりあえず向かった名栗湖でも紅葉祭りが開催されている。名栗湖は有間ダムで堰き止められた人造湖で、堰堤から見る名栗湖と湖面に映える紅葉がきれいです。サイクリングをする人や湖岸を散策する人、中には注意書きを無視してダムサイト内に立ち入る人も見受けられました! 

 

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さて肝心の日帰り温泉です。ほかに妙案もないことから「ゆうパークおごせ」へ行くことに決めました。入間川沿いの紅葉を見ながら飯能に戻り、毛呂山町を経由して越生(おごせ)に向かいます。越生駅の手前から案内標識に従って進むと丘の上に立派な建物がそびえています。
 
2006_11260098 ここは残念ながら温泉ではなく家族向けのレジャー施設です。入館料(4時間までの入湯)は850円。内湯は小ぶりで銭湯の雰囲気ですが、露天風呂(岩風呂)もあり、白濁した湯が掛け流しになっています!! 

とは言っても実際は温泉の湯の花を定期的に入れているのですが、それでも十分温まることができました。奥飛騨温泉郷と同じ成分の湯の花を使っているとの説明書きがあるせいか、いつの間にやら温泉に入っている気分に・・・。

 

パンフレットで強調している「ふれあいゾーン」(水着着用の混浴)には12種類の浴槽があり、風呂以外にもマッサージ/仮眠室/スポーツジム/キャンプ場も設備されているので、日帰り湯としてではなく一日(料金1100-1400円)あるいは宿泊して家族が楽しむのに適しているでしょう。
 

2006_11260102_12階の大広間から歌声が聞こえます。そう言えば歌手のショーがあると書かれていました。舞台では若い男性歌手が熱唱中。キングレコードの甲木哲也という歌手です。お客と一緒に歌ったり、握手をして回ったり、サービス満点で会場は盛り上がっていました。 

 

まだ時間が早いので毛呂山の鎌北湖に立ち寄ることにしました。ここでも紅葉祭りが開催されています。女性モデルを使ってカメラ撮影する人たちの間をすり抜けながら、ゆっくりと車を走らせました。名栗湖と同様に水面に映る紅葉は一段と艶やかに見えます。近くの宿谷(しゅくや)滝にも寄ってみました。こちらは人影がなく静かで、一条の滝の水音だけが周囲に響きます。
 
 

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2006_11260113今回は手違いのためコースを急遽追加しましたが、埼玉(彩の国)の紅葉狩りを堪能する楽しいドライブになりました。

 

<同行者のコメント> いつものことですが、高山不動尊の奥の院はすぐ近くまで車で行けましたよ。下りは車道を駐車場までずいぶん歩きました。でも山頂からの眺めはよかったです。それにあなたが山頂のアンテナを熱心に見て回るのは久しぶりですね。しばらく休んでいる無線をまたやりたくなったのですか?

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高山不動尊と埼玉の紅葉狩り(前編)

早朝の関越自動車道はまだ車も少なく快適なドライブです。鶴ヶ島JCTから圏央道に入ると走る車がほとんどなく、7時過ぎにはもう狭山日高ICへ到着しました。国道299号で高麗(こま)川にそって上流へ走り、吾野(あがの)駅の手前を林道に反れて高山へ向かう。車一台がやっと通れる狭く曲がりくねった急な坂道を5kmあまり登ると高山不動の駐車場に到着です。南アルプスを望む夜叉神峠と並ぶ絶景ポイントを見つけたのです。
 
 

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2006_11260009 「車はここまで」との案内板に従って参道を徒歩で登りはじめました。湧き水と本坊を通り過ぎ、しばらくすると関東三大不動のひとつ「高山不動尊」の境内です。県の天然記念物に指定されている樹齢800年の大銀杏の巨木がありました。秩父の山並みが見えます。

 

振り返ると前方には本堂へ至る石段が続いています。百段以上はあったでしょうか。息を切らせて登りきると常楽院不動堂(県指定の有形文化財)が目の前にありました。堂内には消失を免れた国指定重要文化財の木造軍茶利明王(ぐんだりみょうおう)像をはじめ多数の文化財が安置されていますが、一般公開は年に2日だけとのこと。
 
 

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2006_11260022_1不動堂に参拝したあと奥の院へと向かいました。標識には1kmと表示された急な坂道を、周囲の紅葉を楽しみながら、ゆっくりと登ります。車道と交差する場所に茶店と展望台が! 予想通り同行者はその車道を指差しています。 

 

構わず前方の登山道へと進みます。紅葉に囲まれ落ち葉を踏みしめながら歩くのは格別です。おやおや、また車道と交差しました。ストライキを心配して振り返ると、同行者は黙々と歩いています・・・。一組のご夫婦とすれ違いました。
 

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30分ほどで到着した頂上は広場のような場所で、小さな社と「関八州見晴台(771m)」がありました。ここからの眺めは名前に違わず素晴らしいの一言です。西南方向には武甲山、両神山、川乗山、棒の嶺、大平山、天目山、ソバップ山などが見えます。富士山が見えないのは残念です。東南方向には高尾山、入間市、日高市、川越市などが。三浦半島方面は霞んでいます。北の方向は太田市や日光方面が望めます。薄っすらと見える山並みは赤城山や日光の山々でしょうか。
 
 

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2006_11260050木立の奥に無線のアンテナがあることに気がつきました。緩やかな坂道を少し下るとアマチュア無線の基地局「関八州見晴台レピータ局JP1YCQ」でした。これ以上は望めない最高の場所です。「煙とアマチュア無線家は高いところに登りたがる」の好例!! レピータ局のため常時は人がいないようです。

 

車道の長い坂道を歩いて下の駐車場まで降りる。林道を国道まで戻る途中に対向車と出会ってしまい、すれ違うため数10mも後退することになってしまいました。狭い道はもう少しだったのに、残念です!

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2006年11月24日 (金)

新治市民の森と溝口温泉「喜楽里」

横浜市の北西部、緑区にある「新治(にいはる)市民の森」へ里山散策に出かけました。すでに紹介した四季の森公園やズーラシアのすぐ近くです。国道246号下長津田交差点から十日市場方向に進んで環状4号線に入り、遊水地前を左折、萱場公園東をさらに左折すると駐車場に到着です。わずかな平地に造られた狭い駐車場のため、最大でも20台しか停められません。土・日・祝日の9:0017:00のみが利用出来ます。 

 

駐車場のすぐ横「みはらし広場」には見晴らし台がありますが、あまり展望が利きません。広場の反対側の細い道から「尾根道」を歩き始めました。杉・桧林やクヌギ・コナラなどの雑木林の中を進みます。道の両側は急な崖になっており、山奥のハイキングコースのようで、横浜市内とは信じられないほどの静けさです。雑木林といっても見上げるほどの大木の間を縫うように道が続き、所々に木の根道や竹林があります。ジョッギングをする人とすれ違いました。
 
 

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尾根道の下には「谷戸(やと)」と呼ばれる場所が何箇所もあります。谷戸とは雨水が土を削ってできた深い谷のことです。地図によると常見谷戸、西谷戸、稲荷谷戸、池の谷戸、菖蒲矢戸などの名がありました。市民の森の南側を半周(約1.8km)すると向ヶ原で視界が開けました。栗畑に続いて、野菜が栽培されている畑のなかを道が下って行きます。左手の満倉谷戸の畑には収穫が終わったキャベツ、サツマイモ、ナスのほかに、大根や小松菜などが収穫期を迎えているようでした。 

 

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前方に新治小学校が見えます。鎌立谷戸にそって緩やかな坂道を登りました。途中に「池ぶち」広場があります。キャンプもできる広場でした。 

 

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検見坂を上りきった「丸山」に木工細工ができる施設「にいはる森工房」を見つけました。準備作業をしていた係りの人が親切に解説してくれました。日曜祭日にボランティアの方が木工細工と竹細工の指導をしてくれるのだそうです。サンプルの細工が多数展示されていました。同行者の関心を惹いたようです。 

 

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スタート地点のみはらし広場に戻ったところで横道を指す標識に「へぼそ」と書かれています。興味をそそられて行ってみることにしました。何かあるとの期待はみごとに外れて、もとの場所に戻ってしまいました。およそ2時間の楽しい里山歩きになりました。  

中山で中原街道に入り丸子方面に向かいました。中原街道とは江戸時代に虎ノ門から相模国平塚中原にあったお狩場「中原御殿」へ行くための道でした。現在は川崎市中原区の地名の方が知られています。ちなみに中原区の小杉御殿町はこの街道にあった御殿(休憩所)が名前の由来だそうです。多摩川を渡った田園調布本町にある「桜坂」は旧中原街道の一部で、福山雅治のヒット曲「桜坂」(2000年)で一躍有名になりました。 

 

第三京浜の下をくぐると川崎市に入ります。千年(ちとせ)交差点を左折して500mほど先、左手に溝口温泉「喜楽里(きらり)」がありました。関東で17店舗を展開する温泉チェーンの「湯楽(ゆら)の里」の姉妹店として2週間前の118日にオープンしたばかりのスーパー銭湯です。2階建ての駐車場は190台の容量があり、郊外型のスーパー銭湯としても十分な広さですが、午前中からほぼ満車になっていることに驚かされました。小学生以下が入場できないことが人気の理由かもしれません。入館料は950円(平日は750円)、その他に貸しタオルが60円、貸しバスタオルが120円、館内着のレンタルもあります。
 
 

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2階の浴室は小ぶりですが、上手くレイアウトされているせいか、それほど手狭な感じを与えません。ただ入浴客が多いため、浴槽はみな芋を洗うような混雑でした。内風呂はシルク風呂(ミクロの泡で白濁した湯)、源泉風呂(黒湯)、各種ジェットバス、高温サウナ(高野槙を内装材に使用)、塩サウナ、水風呂と多彩です。露天風呂には源泉風呂が二つ、上の湯と下の湯。その他にゲルマニウム岩盤浴や韓国式アカスリ・ボディエステもあります。スーパー銭湯としては予想以上に良い湯で、源泉賭け流しの露天風呂(やや熱めの上の湯)と塩サウナが気に入りました。
 
2006_11230096泉質はナトリウム-塩化物・炭酸水素塩泉(弱アルカリ性低張性温泉)、黒湯としては色が薄いほうです。汲み上げではなく深さ1800mからの自噴温泉であるのが珍しい。源泉の温度は41.3度、毎分の湧出量が428ℓだそうです。 

<同行者のコメント> 山に登らない尾根歩きは楽でいいですね。雰囲気は熊野古道のようでした! 静かな環境と路地植えの野菜があるこの里山だったら住んでみるのもいいかな! 木工細工の工房にはまた来たいです。温泉は露天風呂の雰囲気と黒ゴマソフトクリームがおいしくてよかったです。

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2006年11月19日 (日)

「チャングムの誓い」とその時代背景

54話と長いドラマでしたが、ストーリー展開の巧みさもあり、昨夜の最終回まで見てしまいました。主人公の波乱万丈の半生がハッピーエンドでほっとするとともに、爽やかな後味が残りました。日本語の吹き替えも素晴らしいため韓国ドラマであることを忘れさせます。つい最近になって知りましたが、中年男性にこのドラマの熱烈なファンが多いそうです。これまで韓流ドラマに関心がなかった人たちです。  

このドラマが好評な理由は何と言っても主人公チャングムを演じたイ・ヨンエの魅力ですが、以前の記事に書きましたのでここでは省略します。その他にも多彩な人物が登場してこのドラマを盛り上げました。なかでも存在感が大きかったのは敵役のチェ尚宮(サングン)でしょう。そして育ての親であるカン・ドックの道化振り、王である中宗(チュンジョン)の苦悩と最後の決断が印象に残ります。また主人公と相思相愛のミン・ジョンホの押さえた演技も好感が持てました。このドラマを単なる愛憎劇にしなかったのは,しばしば登場する宮廷料理と漢方や針など医術が詳しく説明されたこと、そして優雅な宮廷衣裳と立ち居振る舞いであった思います。
 

Dscf0031_2このドラマは実在の人物をモデルにしています。時代は15世紀末から16世紀前半、朝鮮では朝鮮王朝(李朝)の中期で、日本では室町時代末期の戦国時代にあたります。朝鮮王朝は地方の豪族であった李成桂(りせいけい)がクーデターにより高麗王の恭譲王から王位を獲って1392年に建国した国家です。自らは太祖と名乗り、京城(ソウル)を都と定め、国を朝鮮と号しました。崇儒廃仏(儒教を崇拝して仏教を排斥)政策をとり20世紀初めまで続きます。

 

しかし王朝末期には、諸外国の開国圧力もあり、国内が混乱して清国が武力介入します。また1894年に起きた東学党の乱(甲午農民戦争)では邦人保護を口実に日本も武力介入を行いました。これを契機に勃発した日清戦争に勝利した日本が1910年に朝鮮を併合することで朝鮮王朝は終焉を迎えます。
 

Dscf0030_4朝鮮王朝が518年間も続いたことは世界の歴史を振り返ってみても珍しい例と言えます。東ローマ帝国(ビザンチン帝国)の1000年は別格ですが、ローマ帝国が503年、漢が400年余り、唐が約300年、モンゴル帝国が約180年、日本の江戸幕府も長いように思われますが264年間です。朝鮮王朝が長続きした理由は外交で中国(明および清)との良好な関係を維持したことと、国内では儒教の思想を本家の中国以上に守りつづけたことが挙げられます。

 

ドラマの後半で王の独断(チャングムの登用)を重臣たちが諌めるシーンが何度となく出てきます。最終的には王もそれを無視できず、女性であるチャングムに官位を与えないことと、仕来たりに反したミン・ジョンホを流刑にすることを受け入れます。重臣たちの信念は王朝を守る上では必要なことでしたが、同時に社会の固定化を招き、歴史的にみれば功罪が相なかばしたと言えるでしょう。歴史に興味のあるかたは「歴史の交差路にて」(司馬遼太郎氏、陳舜清臣氏、金達寿氏による鼎談)や「なぜ国家は衰亡するのか」(中西輝政著)などをお読みになると面白いと思います。
 

Dscf0029_3ドラマで政治問題として登場する倭寇(わこう)は鎌倉時代末期から室町時代にかけて、朝鮮半島から中国にかけての沿岸一帯海上を活動の場とした海賊集団です。被害国側がつけた呼称で、倭の字が日本を連想させるように、初めは元寇で被害を受けた対馬などの日本人が主体でしたが、後には様々な人種が混じっていたと伝えられます。 

 

朝鮮独自の文字であるハングルは4代王の世宗の発願により1447年に制定されていますが,11代王の中宗(在位15061544年)が登場するこのドラマで使われた本や書類には漢文のみが使われていました。その理由は漢文を尊重する官僚が作成する公的な文書にハングルが受け入れられなかったからでしょう。 

 

これまでは朝鮮の歴史を知る機会が少なかったのですが、このドラマを通じて断片的な知識が繋がって、理解がすこし深まったことは収穫でした。

 

<写真の説明> 横浜市鶴見区の三ツ池公園にある「コリア庭園」です。神奈川県と韓国京畿道との友好提携を記念して平成2年に造られたもので、朝鮮王朝時代の両班(ヤンバン)の家を模した家と庭です。ちなみに、両班とは当時の階級制度における上流士族のことで、東班(文)と西班(武)を総称したもの。

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2006年11月14日 (火)

ベランダの花 「晩秋編」

今年もベランダで咲いてくれました。 
 
2006_11140043_1 ランタナ

2006_11140064 ランタナ(赤い蕾)

2006_11140044 ミニバラ

2006_11140028 千日紅

2006_1115berannda0008_4 ゼラニウム(ホワイト)

2006_11140021 ゼラニウム(レッド)

2006_11140025 サフィニア

2006_11140034 サフィニア

2006_11140026 キリンマムガーデン

2006_11140038 バラ咲きカランコエ

2006_11140035 ストック

2006_11140020 アゲラタム・ブルーハワイ

2006_11140061 ハマギク

2006_11140057 キク(小菊)

2006_11140056 キク(小菊)

2006_11140031 ベゴニア

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2006年11月10日 (金)

夜叉神峠と金山沢温泉

晩秋の南アルプスを観に出掛けました。早朝の中央高速道路はまだ車が少なく、昇ったばかりの朝日を背に快適なドライブです。甲府昭和ICを出て国道20号で竜王方面へ向う。県道20号に入る竜王立体では自然渋滞のため20分ほど待たされる。釜無川に掛かる信玄橋を渡り南アルプス市に入るとやっと渋滞が解消、御勅使(みだい)川にそって「南アルプス街道」を芦安へと急ぎました。 

 

芦安の温泉街を抜けて柴平橋を渡ると「山の神ゲート」が待っています。ここから南アルプス林道の九十九折です。紅葉した木々で覆われた回廊のヘアピンカーブを楽しみながら夜叉神峠登山口の駐車場に到着しました。11月以降は駐車場奥のゲートより先(夜叉神トンネル)は通行禁止です。
 
 

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皇太子殿下ご夫妻の登山記念碑の横から登り始めました。落ち葉を踏みしめながらゆっくりと進む。先を行くグループの男性が道端で杖になりそうな枝を吟味している。その一本をいただいた。
 
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いつもよりゆっくりしたペースで歩くのだが、いつのまにかそのグループの声が後ろに聞こえなくなった。道がなだらかになると夜叉神峠に到着です。登山口から60分ほどかかりました。峠から眼前の南アルプスを見ながら小休止です。最後の急坂を登り切ると夜叉神峠小屋があります。小屋の前から見る南アルプスは、雲ひとつなく澄みきった青空を背景に、息を呑むような美しさでした。

 

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左上から北岳(3192m/日本2)、間ノ岳(3189m/4)、農鳥岳(3026m)、荒川岳(3141m/6)
 

19年前の夏に子供たちと一緒に登ったことを思い出します。帰宅して当時の写真と見比べると、峠小屋は同じですが、「夜叉神峠」の標識が変わっていました。以前のほうが印象的なデザインです。キャンプ場周辺の枯れ草のなかに「夜叉神の祠」がひっそりと祀られていました。言い伝えによれば昔、付近の沢に棲む夜叉神が村人を苦しめていた。困った村人がこれを鎮めるために建てたのがこの石祠で、峠の名前にもなっています。 

 

熱心に山の写真を撮る人がいます。例によって同行者が声を掛け、あれこれ質問攻めです。旅行関係のカメラマンだそうです。海外にもよく出掛けるために一年の半分は撮影旅行で過ごすとも。夜叉神峠からの写真が意外に少ないので撮影に来たのだそうです。
 

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下山して次の目的地へ向かう。山の神ゲートを出たところを左折、急な坂を下ったところに「金山沢温泉」を見つけました。振り返って見ると、大崖頭山と千頭星山の間を流れ落ちる金山沢周辺の紅葉が美しい。こぢんまりとした日帰り温泉です。料金は550円(休憩付は1050円)。内湯と露天風呂があります。いずれも41度前後と温めでした。昼時のためか男湯には先客と私の2人きり。しばし紅葉談義と湯の感触を楽しみました。
 
2006_11090106 昼食と温泉を楽しんだ後の帰路、山梨県側から富士山を見ながらのドライブも快適です。帰りは工事渋滞もなく、予定より早い3時過ぎには帰宅できました。紅葉、ドライブ、温泉、そして南アルプスの絶景をたっぷり堪能しました。 
 

 
<同行者のコメント> 夜叉神峠が二度目なのを忘れていました。南アルプスの景色はよかったのですが、山登りはやはり疲れます。温泉でご一緒した方もご主人に連れられてあちこと出掛けるのは大変だとおっしゃっていました。わが家とおなじです。高速道路では渋滞がないからといってスピードが出すぎていましたよ。

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2006年11月 5日 (日)

東京の地名と由来

都内の興味深い地名とその由来を、これまでに訪れたことのある場所のなかから、尋ねてみました。由来が不確かで諸説あるものや俗説、あるいは真偽のほどが定かではないものもありますので、そのつもりでお読みください。
 
 
 

Outemon東京: 東にある京(みやこ) 

 

《説明》明治政府は京都を西京・江戸を東京とした。これは政治的な呼称(天皇が住む場所、政治を行なう場所)であり地名ではなかった。二都制度と言えるが、天皇は明治2年に東京へ二度目の行幸(東幸)をしたまま現在に至っている。正式な遷都令は出されていなものの、江戸の名称も東京と改めて実質的な都(現在の呼称は首都)となった。明治政府が発足時に諸勢力へ配慮した日本的な(玉虫色の)決定である。 
 
 

Edojohonmaru江戸: 江とは川・戸は門戸 
 
 
 
 
 
 
 

「千代田・港・中央区」 

 

千代田: 千年の田園の意味、後に江戸城の美称 

 

日比谷: 海苔の養殖や魚を採るため枝がついた竹(ひび)を入り江に立てたことから 

 

新橋: 江戸時代に架けられた芝口橋を新橋と呼んだ、ちなみに芝口橋は銀座中央通り(東海道)と首都高速(お堀)が交叉する所にあった 

 

紀尾井町: 紀伊、尾張、井伊の三家の屋敷があった場所 

 

水道橋: 神田上水の大樋(おおとい)があった、樋とは水を流す設備 

 

六本木: 六本の木があったとする説と木の字に係わる大名屋敷が六軒あったとする説がある 

 

白金(しろかね):  中国の呼びかたで銀のこと、ちなみに金は黄金・銅は赤金、白金長者と呼ばれる豪族がいたとの伝説がある 

 

赤坂: 茜を栽培していた高台(赤根山)の上り口 

 

Tsukijihonganji八丁堀: 長さが8丁ある八丁堀運河から付けられた、現在は運河が埋められて桜川公園となっている

 

築地: 江戸の大火で消失した本願寺の移転先として埋め立てられた土地  

 

茅場町: 刈り取った茅の置き場、あるいは茅商人が多く住んだ場所

 

目白: 目白不動尊(五色不動のひとつ)、あるいは鳥のメジロが多数いた 

 

銀座: 江戸幕府が銀貨鋳造所を置いた場所 

 

神田: 伊勢神宮に納める稲田があった、あるいは平将門の子孫の神田氏が住んでいた 

 

半蔵門: 服部半蔵の屋敷があった

 

 

「台東・文京・墨田・葛飾」

 

Komagomerikugien下谷: 上野・湯島の低地 

 

上野: 下谷より高台にある意味 

 

谷中: 上野と駒込の間の谷 

 

駒込: 馬の牧場があった 

 

千駄木: 木が多く毎日千駄の薪を切り出した、駄とは馬に荷を乗せて運ぶこと

 

Asakusa浅草: 隅田川沿岸は砂地で茅などの大きな草が生えない土地であった、草が浅いの意、浅草寺(せんそうじ)は音読み 

 

合羽橋: 近くにあった合羽屋の名前が橋につけられた  

 

蔵前: 江戸幕府の御米蔵があった場所 

 

佃: 摂津の国(大阪)の佃村から移住した漁民が住んだ場所、当時は島であった 

 

Kuramae_1両国: 武蔵野国と下総の国の境である隅田川に架けられた二つの国をつなぐ橋の名、最初は大橋と呼ばれたが下流に新大橋が出来てからは両国橋と呼ばれるようになった

 

葛飾: 諸説がある、狩場の方、崖と砂州、葛が繁茂、等 

 

柴又: 江戸川と中川に挟まれる湿地で、嶋俣(しままた)が転じて柴又となった、嶋は島状の地形・俣は河川が合流する地点を意味する 

 

 

Ryogokukiratei_1「豊島・練馬・新宿」

 

巣鴨: 大きな沼があった昔は鴨が多かった 

 

練馬: 馬を訓練した場所、あるいは土器を作るための練り場とする説がある 

 

新宿: 内藤新宿(江戸初期)が由来、戦後に淀橋・四谷・牛込の3区が合併して新宿区となった 

 

Sugamo牛込: 現在の早稲田鶴巻町付近に牛の牧場(牛込)があった、駒込と同様の命名

 

箪笥町: 江戸初期に武器を担当する奉行や同心が住んだ場所 注)箪笥とは武器の総称あるいは具足や弓矢を入れる円筒あるいは四角形の箱、現在の箪笥は衣装箪笥の略

 

百人町: 伊賀組鉄砲百人同心の組屋敷が置かれた 

 

早稲田: 早稲(普通の稲よりも早く収穫できる稲)を植えた田 

 

 

「品川・大田・渋谷・目黒・世田谷」

 

品川: 目黒川下流に付けられた地名、品の意味は不明(貨物・土砂?) 

 

五反田: 五反の田しかない谷あいの地、あるいは五反を一区画とする田の意 

 

渋谷: 内陸部まで海が入り込んでいた昔に塩谷と呼ばれたものが訛ったとする説など多くの説がある

 

Megurofudou恵比寿: エビスビールが由来 

 

目黒: 目黒不動尊(五色不動のひとつ)、あるいは馬畔(めぐろ)  

 

世田谷: 勢田郷(瀬田)の谷、江戸期には世田ヶ谷村、勢田は瀬戸が訛ったもの 

 

瀬田: 勢田郷の一部であったことで江戸中期には瀬田と呼ばれた

 

等々力: 等々力不動の滝の音が轟く、あるいは地下水で起こった崖崩れの音
 

Todorokifudou_1上野毛: 崖(野毛)、多摩川を挟んで川崎市側に下野毛がある、横浜の野毛山も同じ意味 

 

玉川: 多摩川の美称 

 

用賀: この地にあった真福寺の山号が瑜伽山(ゆうがさん)、瑜伽はヨガのこと 

 

池尻: 池の畔 

 

蒲田: 蒲が生える泥深い田地

 

 

Kokubunji「都下」 
 

調布: 奈良時代に税金(調)として布を納めたこと  

 

八王子: 牛頭天王と8人の王子を祀る八王子神社や八王子権現社が地名となった
 

Fuchuookunitamajinnja国分寺: 武蔵国分寺が置かれた
 

府中: 武蔵国の国府が置かれた
 

三鷹: 将軍家と御三家が鷹狩りを行なった鷹場、あるいはそれが三地域に跨って いたこと
 

Mitaka立川: 鎌倉時代の豪族であった立河氏が立川に城を構えたことから、多摩川の由来説も
 
      
 
「その他」
 

地名を合成した名前: 大田区(大森と蒲田)、国立市(国分寺と立川)  

 

戦後の命名: 神楽坂と歌舞伎町は町の発展を願って新たに名付けた

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