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2007年1月に作成された記事

2007年1月31日 (水)

海外旅行の思い出とワッペン(その1)

国内旅行の記念や思い出として、コケシ、メダル、スタンプ、切符、駅弁の包装紙などを集める方がいらっしゃると思います。これが海外旅行の場合は、紙幣やコイン、パンフレット、あるいはスーツケースに貼るシールなども収集の対象になるかもしれません。
 

2007_01300007わが家の奥さんのコレクションはスプーンとワッペンです。スプーンは柄の部分に 国名や都市名が入っているもので、ピューター製を好んで集めています。銀メッキ製品は錆びやすいので手入れが大変。黒く変色したスプーンをラックから取り出して錆取り剤で磨くのはいつの間にか私の仕事になっていました。錆取り剤がない時は練歯磨きでも十分代用できます。

 

さてワッペンです。ワッペン(Wappen)とは上着の胸や腕につける布製の紋章で、英語と思われがちですが意外にもドイツ語。アルバイト(Arbeit)、ルンペン(Lumpen)、ノイローゼ(Neurose)など日本語になっているドイツ語のひとつなのです。一番驚くのは演劇などで使うドーラン(Dohran)、実はこれもドイツ語(白粉の会社名)なのだそうです。

 

語源はさて置き、ワッペンのことを英語ではパッチ(Patch)と呼びます。つぎはぎ用の布切れの意味です。パッチを日本国内ではあまり見かけませんが、欧米では、組織、家系、都市などを象徴するものとして土産物屋などで売られています。わが家の奥さんは旅先で求めたパッチをジージャンに縫い付けて楽しんでいるのです。

 

カナダを旅行した時のことです。森林警備隊員の制服に着いていたパッチが気に入り、奥さんが入手方法を尋ねたところ、「森林警備隊員になりなさい!」とウインクされたこともありました。残念でしたね!

 

ジージャンに付いているパッチを紹介しましょう。

 

一着目のジージャンは「北米編」です。

 

《当ブログは画像をクリックすると拡大表示されます》

 

スペースシャトル                

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米海兵隊                      スペースシャトル(チャレンジャー号)

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米海軍                       米空軍

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最初の月面着陸                 スペースシャトル

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アメリカン航空                  米国旗2007_01260018 2007_01260019 

 

 

 

 

カナダのコロンビア氷河            カナダ(メープルの葉)

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カールスバッド鍾乳洞              米空軍アカデミー2007_01260023 2007_01260024  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハイウェイパトロール              メキシコ

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ルイジアナ州                   カナダのロジャーズ峠

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グアダルーペ国立公園             コロラド州

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米国旗               アルマジロ(テキサス州)0004 0005 
  
 
ニューメキシコ州                 コイトタワー(サンフランシスコ)
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ラスベガス                     ラスベガス00080009

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2007年1月26日 (金)

江戸町奉行所と日本橋の「プラネタリウム」

2006_12150612150006_2日本橋へ出かけたついでに中央通りと外堀通りを散策しました。最初に立ち寄ったのは三井別館跡地にできたプラネタリウムシアターです。昨年末、日本橋界隈を散策したときに見かけて気になっていました。ここにはプラネタリウム製作で世界的に注目される大平貴之氏のメガスターⅡが設置されています。18メートルのドーム型スクリーンに500万個の星が投影される「星空の贈りもの」は夜空のイメージと言うよりも宇宙空間から銀河を眺めるような迫力がありました。数え切れないほど多い星の群れが移動するのをみていると目眩さえ覚えます。
 

2007_01240001常盤橋方面へ歩くと日銀の本店です。改修工事が行われている旧館(江戸時代の金座跡)前にある貨幣博物館に入ってみました。貨幣に関する歴史が詳細に説明されています。世界と日本で使われた貨幣の実物を興味深く見学、子供のころに使われていた紙幣やコインを間近で見ると不思議な感じがします。
 
 

もうひとつの目的は江戸時代にあった町奉行所の跡地を巡ることです。今月から「遠山の金さん」が久しぶりにテレビ放送されていることで思い立ちました。松平健さんが主演するこのドラマは将軍吉宗がそのまま遊び人の金さんになったようで期待はずれ・・。 

 

それはさて置き、常磐橋(常盤橋)は日本橋側から江戸城に入る常磐橋門につながっています。案内板に北町奉行所が近くにあったと説明されていました。事前に調べて分かったのですが、町奉行所の場所はいろいろ変遷があったのだそうです。当初、北町奉行所は常磐橋付近、南町奉行所は呉服町付近(常磐橋のすぐ南)に設置されましたが、北町奉行所が鍛冶橋付近そして南町奉行所が数寄屋橋付近に移転し、最終的には北町奉行所が東京駅八重洲北口付近そして南町奉行所は有楽町駅付近(交通会館横)で明治になるまで続いたのだそうです。
 

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常盤橋から外堀通りにそって呉服町交差点、そして東京駅八重洲北口へ向かいました。残念なことに再開発で北町奉行所跡はビル工事の塀の中になってしまったようです。鍛冶橋交差点脇の案内板に北町奉行所があったことが記載されていました。最後に訪れた有楽町中央口前も工事用の白い塀で囲まれて跡地の標識を見ることができませんでした。
 

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跡地の標識を確認できなかったのは残念ですが、町奉行所がいずれも外堀通り沿いに置かれた(橋がつく地名が多い)ことを発見したのは収穫でした。外堀が江戸城の大名屋敷と町人街の境界になっていた位置関係に拠るのかもしれません。これも受け売りですが、北町奉行所と南町奉行所は、江戸の地域を分担したのではなく、月替りで役割を分担したのだそうです。両奉行所を競わせる狙いもあったとのこと。よく考えられた仕組みに感心させられます。
 
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これは蛇足です。南北の奉行所に加えて中町奉行所が置かれた時期もあったそうです。金さんのモデルとなった遠山左衛門尉景元は北町と南町の両奉行を担当した唯一の人ですが、名裁きで知られる南町奉行大岡越前守忠相とは異なり、名裁判官というよりも能吏(優れた役人)だったようです。よく知られるようになったのは町芝居が金さんのイメージ作りに一役かったからだと言われます。金さんの墓は豊島区西巣鴨の本妙寺にあります。(2006101日付けの当ブログ)
 

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ヤフーの面白いサービス「古地図で東京めぐり」(2007325日で終了)を見つけました。江戸、明治、現在の地図と航空写真をまとめて見ることができる優れものです。ちなみに長谷川平蔵と遠山の金さんが住んだ屋敷や石川島の人足寄場など時代劇ファンには興味深い場所とそれが現在どうなっているのかが一目瞭然! 315日までの期間限定をぜひ延長して欲しいものです。

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2007年1月20日 (土)

ルート66と映画「カーズ」

車が主人公のディズニー映画「カーズ」(2006年公開)のDVDを観ているうちに、ルート66をドライブしたことを懐かしく思い出しました。CGで定評のあるピクサー社が担当した3D-CGの質感はまさに実写のようです。おチビちゃんのお気に入りで、ほとんど毎日付き合っているのですが、何度観ても飽きさせません。  

ディズニーが得意とするアニメ映画は近ごろ人間以外を主人公とすることが多くなっています。ファインディング・ニモは魚、モンスター・インクはお化け、そして今回の主人公(ライトニング・マックイーン)はレースカー。カーズは題名そのままに登場するのがすべて車(そのほとんどが往年の名車)で、あのT型フォードも出演しているのです。ルーキー・レーサーとして一躍有名になったマックイーンが、ひょんなことからハイウェイを外れたルート66(シカゴからロサンジェルスまで約4000kmを結んだ旧国道)沿いの小さな町に迷い込み、様々なことを経験して車として成長する話です。エンディングはディズニー映画らしく感動とさわやかな後味を与えてくれました。 

 

アメリカ西部の荒野、山道と大きな滝、ワインディングロードのドライブ、そしてカーレース・シーンの迫力! 子供向けのシンプルなストーリー展開ですが、ついつい引き込まれてしまいます。私は1960年代前半にテレビドラマで脚光を浴びたルート66の雰囲気をたっぷり堪能しました。そして往年のチャンピオンであったドック・ハドソン(ハドソン・ホーネット)の声を名優のポール・ニューマンが担当、F1レーサーのミハエル・シューマッハやマリオ・アンドレッティも声優として登場するのも嬉しいですね。 

 

15年前にオクラホマ州オクラホマシティからテキサス州アマリロ、そしてニューメキシコ州アルバカーキーまで(約900km)のルート66をドライブしたことがあります。ルート66がすべて廃線となり大半が州道になった1985年の6年後でした。西部の荒野をうねりながら伸びる道は一直線のインター・ステイツ・ハイウェイでは味わえないドライブの醍醐味がありました。映画の中でサリー(ポルシェ911カレラ)に「車は楽しみに行くために走るのではなく、楽しむために走る・・・」と語らせているのは至言だと思います。 

 

写真 オクラホマとテキサスの州境(現在はI-40)、テキサス州アマリロ近郊にある「キャディラック・ランチ」と「テキサスのグランドキャニオン(米国第2の峡谷)」
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2007年1月18日 (木)

神奈川県の地名の由来(続)

律令制による国名との関係は少し複雑ですが概略を紹介します。
 
神奈川県は南西部が相模国、北東部は武蔵国に属していた都筑郡(1995年に横浜市都筑区として名前が復活)、久良岐郡(横浜市神奈川区、中区、西区、港南区、他)、橘樹郡(同鶴見区と川崎市)の地域である。ちなみに橘樹(たちばな)郡は弟橘媛(おとたちばなひめ)の御陵とされる古墳が現在の川崎市高津区にあることから命名された。
 
相模国
大磯町観光協会HPによると、大化改新以前は今の大磯より東の方に相武(さがむ)という国があり、西の方には磯長(しなが)という国があった。この二つの国が合併して相模国が成立したと言われている。相武台(そうぶだい)の地名が相模原市と座間市に今も残っている。
 
武蔵国
武蔵国は大化の改新で無邪志国(むざしのくに)、胸刺国(むなさしのくに)、知々夫国(ちちぶのくに)を合わせ一国として成立した。今の東京都・埼玉県・神奈川県横浜市・川崎市の地域である。古事記に武蔵は「无邪志」(あるいは無邪志)と記されている。ムサシの由来は定かではなく諸説がある。ムサ(草木)がシミ(茂る)が転化した、渡来人にまつわる朝鮮語、あるいはアイヌ語説など数え切れない。

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2007年1月14日 (日)

神奈川県の地名の由来

神奈川

横浜市神奈川区を流れていた川の名が地名(神奈川宿)となった。水源が定かではなかったことで上無川(かみなしがわ)と呼ばれたものが「み」と「し」が省略されて「かながわ」となったとする説、日本武尊(やまとたける)が東征途中に上無川で宝剣が水面に映って光り輝いたことで金川と呼んだ、源頼朝が金川を「神奈川」と呼んだ、などの諸説がある。横浜開港時に神奈川奉行所が置かれ、明治元年に神奈川県(現在の神奈川区と川崎市など)となった。明治4年の廃藩置県で作られた六浦県(金沢区)、萩野山中県(駿河駿東郡、相模足柄郡、相模高座郡、相模愛甲郡などの広い地域、萩野山中は厚木市内の地名)、小田原県(後に足柄県)が神奈川県に統合。明治26年に多摩3郡を東京府へ分離して現在の形になった。 

 

横浜市

小さな漁村であった横浜村(現在の中区元町や山下町付近)が江戸末期(1859年)に開港され、外国人居留地と日本人居住地をふくむ横浜町となる。当時、中心地であった神奈川の横にある浜で横浜と呼ばれたとされている。明治22年に市制がしかれた。人口では東京区部に次いで第二位。 

 

川崎市

東海道の最初の宿場である品川宿と神奈川宿の間に川崎宿が置かれた。現在は政令都市で人口は第9位と多いが、面積が小さい(細長い)こともあり、その場所はあまり認知されていない。工場地帯のイメージが強いものの、内陸部は横浜市北部と同様に東京のベッドタウンである。日本三大大師のひとつである川崎大師があることでも知られる。地名の由来には諸説があるが、多摩川の先にあるとする説が、全国に多数ある地名「川崎」からみて有力と思われる。 

 

横須賀市

地名は須賀(砂地、砂浜)の横を意味するとされている。全国に須賀あるいは須がつく地名が川や海の近くに見られる(平塚や千葉県御宿町の須賀、愛知県の清須、岐阜県の須賀と大須など)。戦前は軍港のある町として有名で、現在も海上自衛隊と米海軍の基地がある。最近はハイテクに力を入れ、横須賀リサーチパークに先進技術の開発機関が集まっている。 

 

鎌倉市

諸説がある。中臣鎌足が夢のお告げで鎌を埋めた。三方を山に囲まれたその地形から鎌(釜戸)と一方が海として開いている倉(谷)から鎌倉となった。海岸に蒲が多く生えていたなど。いずれも由来としては弱いが、あえて言えば地形説が有力でしょうか。「すわ鎌倉」の諺は鎌倉武士が有事に鎌倉街道で鎌倉へ駆けつけたことによる。 

 

逗子市

市内にある延命寺の逗子弁財天あるいは延命地蔵尊を安置する厨子(仏像用の容器)によるとの説がある。 

 

厚木市

木の集散地であったことから「集め木(あつめぎ)」が転化して厚木となったとの説がある。相模国の中心であり重要な厚木宿として繁栄した。戦前は厚木海軍飛行場(現在は米海軍の厚木基地)があることで知られた。実際の所在地は綾瀬市と大和市であるが現在も厚木の名で呼ばれている。これも余談。1960年代に厚木ナイロン(現在のアツギ)が発売したシームレスストッキングやパンティストッキングが全国的に人気を博した。この会社(所在は海老名市)の名称は、マッカーサーで知名度が高かった厚木基地にあやかったもので、厚木市との関係はない。 

 

藤沢市

東海道の藤沢宿。由来は諸説がある。藤の多い水辺の地、淵や沢の多い土地など。市のHPは淵沢(ふちさわ)が藤沢(ふじさわ)に転化したとする説を支持している。 

 

平塚市

桓武天皇の孫娘が旅の途中に亡くなり、その墓として築かれた塚が長い間に平になったことから平塚と呼ばれるようになったとされる。江戸時代には東海道の平塚宿として栄えた。現在は仙台市と並び七夕祭りが盛大であることで知られる。 

 

伊勢原市 

昔、伊勢の人が住み着いて奉った伊勢原神明社(現在は伊勢原大神宮)が地名の由来とされる。伊勢神宮と同様に内宮と外宮の二つの神殿がある珍しい神社である。 

 

秦野市(はだのし) 

名前から推測されるように渡来人の秦氏に由来するとされる。古くから人が住み、古墳も多数残されている。平安時代には波多野氏がこの地を治めた。 

 

小田原市 

北条氏の小田原城はとみに有名である。また小田原評定(ひょうじょう)は秀吉が小田原城を攻めた時に北条方が意見対立で時間を浪費したことから出た諺である。地名の由来は諸説があり定かではないが、小由留木(こゆるぎ)の字を崩したものが誤読されて小田原となった説などがある。二宮金次郎、かまぼこ、提灯でも知られる。 

 

三浦半島 

相模国司が三浦半島で捕れた鳥を持統天皇に献上した時に「御浦(みうら)」の地名を授ったことによるとされる。それに三浦の字をあてるようになった。室町時代には三浦氏がこの地を治めた。 

 

湘南 

地名ではないが茅ヶ崎や平塚などを含む地域を指すことが多い。平塚市と藤沢市などが合併して人口百万の政令都市「湘南市」を作る計画は事実上消滅したが、車のご当地ナンバーである「湘南」の人気は高い。神奈川県南西部の市と町が対象地域なっている。足柄、山北や箱根は湘南のイメージにはほど遠いようですが・・・。

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2007年1月 6日 (土)

矢切の渡しと大谷田温泉「明神の湯」

江戸川が葛飾区と千葉県松戸市の間を流れています。伊藤左千夫の悲恋小説「野菊の墓」(明治39年)の舞台となった場所として知られ、昭和57年にヒットした演歌で一躍有名になった「矢切の渡し」がここにあります。  

江戸時代には下総国(千葉県北部)と武蔵国(東京、埼玉など)を往き来するにはこの渡しを利用するしかなかったのです。地元農民は許可無く渡れましたが、旅人には関所でもありました。今では東京都に唯一残る渡しです。注)江戸時代初期に隅田川と江戸川に挟まれる地域が下総国から武蔵国葛飾郡に変更、東京の地名(両国の項)を参照 

 

所用で松戸へ出掛けたついでに寄り道をすることにしました。松戸駅から市川行きバスに乗り下矢切り停留所までおよそ10分。野菊の墓文学碑から急斜面を下りて、ネギ畑の中に延びる「野菊のこみち」を矢切の渡しへ向かいます。河川敷にある茶屋横の小さな木製桟橋が矢切側の舟着場です。
 
 

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冬季は土日祝日のみの営業ですが、年末年始だけは毎日運行されています。料金は100円。小ぶりの手漕ぎ舟(船外機付)に揺られていると、やはりあの歌が・・・。私には「細川たかし」ではなくオリジナルである「ちあきなおみ」のしっとりとした歌声なのです。 

つれて逃げてよ・・・

ついておいでよ・・・

夕ぐれの雨が降る 矢切の渡し

親のこころに そむいてまでも

恋に生きたい 二人です
 
 

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数分のあっけない船旅で柴又側舟着場に到着です。舟待ちの人たちが列をなしていました。矢切の渡し公園を抜けた堤防の上から広大な金町浄水場が望めます。東京の東部地域に水を供給する主力水道施設です。都の水道水はまずいことで悪名を馳せていましたが、オゾンを使う高度浄水処理に切り替えたことで、「東京水」としても販売される、おいしい水になりました。家並みの細い道を歩いて柴又帝釈天(題経寺)へ。久しぶりの参拝です。三箇日は過ぎていますが初詣客で溢れていました。参道を通って柴又駅へ向かうと渥美清さんの寅さん像が出迎えてくれました。
 
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常磐線で金町から亀有へ。亀有駅の北口には漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」でお馴染みの両津勘吉の銅像がありました。
 

東武バスに乗車、「大谷田」バス停で下車。中川公園の続きのように木立で囲まれた中川水再生(下水処理)センター前の大谷田温泉「明神の湯」は徒歩1分の近さです。一階が駐車場、二階が温泉施設になっています。
 

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泉質はナトリウム塩化物強塩泉(弱アルカリ性高張性温泉)、いわゆる化石海水温泉です。内湯は天然ひばで造られた浴槽が二つ。熱い浴槽から温い浴槽へ掛け流し。ほかに見晴らし風呂、水風呂、薬蒸風呂、サウナもありました。全体がレトロ調で、間接照明が良い雰囲気を醸し出しています。露天薬師の風呂には三つの岩風呂と檜風呂が二つ。こちらは光明石泉(人工温泉)。入館料金は一日900円(土日祝日1200円)。食事処も充実しています。家族連れがほとんどで、亀有周辺の憩いの場として人気があるようです。期待以上に雰囲気のある良い温泉でした。

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