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2007年2月17日 (土)

二ヶ領用水探訪(前編)

国分寺断線の南、多摩川の対岸に東京都稲城市と神奈川県川崎市があります。今回は多摩川の右岸における水にまつわるトピックスを取り上げます。江戸時代に入る少し前のこと、家康の命令で小泉次大夫(じだゆう)が用水奉行となり、多摩川右岸の二ケ領用水と左岸の六郷用水が同時に着工されました。今からおよそ400年前のことです。これらの用水が四ヶ領(よんかりょう)用水とも呼ばれるのは、二ヶ領用水が稲毛領と川崎領の二つの領内(現在の川崎市全域)、六郷用水が世田谷領と六郷領の二つの領内、合わせて「四ヶ領」を流れていたことによります。六郷用水は戦後になるとほとんどが埋め立てられ、世田谷区岡本から大田区田園調布まで流れる丸子川として残るだけになりました。
 
登戸駅近くにある宿河原取水口(下ノ口)および稲田堤駅近くの上河原取水口(上ノ口)から取り入れた多摩川の水は川崎市内のほぼ全域に二ヶ領用水(久地二子堀、六ケ村堀、川崎堀、根方堀)を使って配られました。各村へ水を正確に分けるために、1910年(明治43年)、今の高津区久地に門扉を使って分水する「分量 樋(ぶんりょうひ)」が造られましたが、配分を巡る水争いが起こったため、これを改良した円筒分水が1941年(昭和16年)に造られました。多摩川の支流平瀬川と立体交差(2本のコンクリート管で潜る)した後、円筒分水の中央から噴きあがり、水の配分割合に応じて円周を分割した流出口から、それぞれの支線に流れる大変優れた仕組みとなっています。  

上河原堰堤                      宿河原堰堤
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久地の水門(平瀬川に流れ落ちる水)   平瀬川上流方面2007_01160010 2007_01160004   











円筒分水(国登録有形文化財)
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平瀬川下流方面 川崎掘

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稲毛領(現在の川崎市幸区から多摩区にかけての地域)の名前から連想するのが隣接する東京都の稲城市です。稲城の名は鎌倉幕府の有力御家人であった稲毛氏に由来すると考え勝ちですが必ずしもそうではなさそうです。明治22年(1889年)に東長沼・矢野口・大丸・百村・坂浜・平尾の六か村が町村統合によって一つの村となり神奈川県南多摩郡「稲城村」が誕生し、1893年に三多摩地域として東京府に移管されました。
 
稲城と命名された理由は定かではありませんが、稲城市のHPは以下の二つの推論を掲載しています。当時、大丸用水の水利で盛んだった稲作と大丸や長沼などに城址があったことから候補として上がった「稲穂」と「稲城」のうち「稲城」が選定されたとする説と、もうひとつは当初「稲毛村」の名称が選ばれて神奈川県へ上申されたが許可が得られず、宇義の通じる「稲城村」と命名したという説です。
 
2007_02150007稲城市といえば「よみうりランド」があることで知られますが、京王線の稲城駅からよみうりランドへ向かう途中に「西山の大露頭」と呼ばれる「稲城砂層」の崖があります。穴澤天神社の裏手にも崖があり、現在より南側を流れていた多摩川河畔の様子を今に残している貴重な場所です。  

さて本題です。これまで二ヶ領用水の注目スポットへ何度か足を運びましたが、その取水口から現存する用水の主要ルートを一日で辿ってみることにしました。水量の割り当てが一番多く、流域も広い川崎掘の今を確かめる旅です。(続く)

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受信: 2007年2月17日 (土) 17時11分

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