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2007年3月に作成された記事

2007年3月30日 (金)

住吉桜と港北の湯

昨日、都心で桜が満開になったと報道されました。今朝は激しい風雨に見舞われたため心配しましたが、昼前には青空が広がってきました。それではと、二ヶ領用水を探索した時に出会った、川崎市中原区の住吉桜を見に出かけました。綱島街道沿い木月住吉町の中原平和記念公園内を流れる二ヶ領用水の支流(渋川)の岸は桜が満開です。レンガで舗装された快適な散策道を歩きました。公園内にはシートを敷いて花見をする人達があちこちに見られます。

 

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綱島街道を元住吉駅の方向へ200mほど歩くと、木月との間を二ヶ領用水から別れた渋川が流れています。こちらで満開となっている桜は「住吉桜」と呼ばれます。雨が降った後のためか、前回訪れたときよりも渋川を流れる水が豊かです。所々に屋台や露店が出ていました。目黒川の桜並木ほどの華やかさはありませんが、およそ1km続く約250本の桜は見ごたえがあります。ちなみに、渋川は2kmほど下流で鶴見川支流の矢上川に合流しています。

 

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綱島街道をさらに下り、大綱橋を渡った交差点を右折して、第三京浜の港北IC方面へ向かいました。

 

2007_03300055 鶴見川沿いの狭い道を抜け、新羽(にっぱ)橋を渡るころには道幅が広くなり、横浜市営地下鉄新羽駅の横を通過すればまもなく第三京浜入り口交叉点に「港北の湯」がありました。昨年、開店したIKEAの筋向いです。駐車場はそれほど広くありませんが、同じ会社が経営する隣の酒・食品ショップ「ツカサ」の駐車場も利用できます。

 

順路案内に従って「ツカサ」の店内を通り抜け、スーパー銭湯「港北の湯」の入り口へ向かいました。1階は駐車場、2階がフロントとリラックス施設そして食事処。浴場はさらに上階(男湯は3階、女湯は4階)にあります。平日の入浴料は680円と安い。脱衣場は小さめ、内湯はローリングバス、エステバス、リラックスバス、不思議の湯(不感温度風呂、36.9度と低温)、あつ湯、そしてタワーサウナがコンパクトにレイアウトされていました。スーパー銭湯ですから残念ながらいずれも普通の湯です。

 

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露天エリアには、高濃度炭酸泉、シルクの湯、替わり湯(今日はロイヤルゼリーの湯)、つぼ湯(同左)、岩盤寝ころび湯、そしてトルマリン塩サウナと多彩です。すべての湯を試したあとに入った岩盤寝ころび湯は、気持ちがよく、長風呂になりました。

 

4月下旬に天然温泉が導入されると館内に表示されていました。どんな湯が利用できるのか楽しみです。ちなみに料金は100円アップするとのこと。

 

<同行者のコメント> 桜が満開の公園内は人出が少なく、一緒に出かけたおちびちゃんはいっぱい歩き回りました。温泉に向かう途中に寝てしまい、私も一緒に車の中で休憩することにしました。近いうちに天然温泉になるようですから、その時には入ってみたいと思います。

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2007年3月26日 (月)

五街道を尋ねる旅

五街道は江戸時代初頭に徳川幕府によって整備された主要幹線道路で、江戸の日本橋を起点とする中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道、そして東海道のことを指します。このうち3つの街道は正しくは「道中」と呼ばれました。また奥州街道と日光街道は日本橋から宇都宮までの道と宿場が共通ですから、日本橋からは四つの方向に主要街道が伸びていたのです。下記のように現在の国道もこれに倣っています。

当ブログではこれらの街道をドライブした時のことを個別に紹介していますが、ここでは五街道をまとめて整理してみます。

 現在の国道との対応(東京周辺)

中山道=国道17号、甲州街道=国道20号、日光街道と奥州街道=国道4号、東海道=国道1号と15

尚、厳密には国道と同じルートではない区間があり、現在は旧「  」との名称で識別されています。

 最初の宿場と関連する五色不動尊

中山道=板橋宿/目赤不動、甲州街道=内藤新宿/目青不動、日光街道と奥州街道=千住宿/目黄不動、東海道=品川宿/目黒不動

尚、五色不動尊は場所が移動したものが多く、江戸時代の五街道との関係には異論もあるようです。

     松並木、一里塚、そして石畳

これらは宿場に次いで重要なものでした。日よけのための松並木は日光街道が富に有名。日光周辺とともに草加にも見事な松並木が残っています。東海道では、大磯宿、三島宿、御油宿(豊川市)などが知られています。甲州街道は松並木よりも八王子の追分から高尾までの銀杏並木の方が知られますが、この並木は多摩御陵への参道として昭和に入って植えられたようです。路程を示す一里塚も重要な施設で、当時の一里(三十六町、3.93km)毎に設置され、山道では石畳が敷き詰められました。

 

それでは五街道を辿ってみましょう。

1.中山道

日本橋から京都の三条大橋に到る重要な街道として東海道と並ぶ存在です。律令時代(7世紀から10世紀の頃)に京都を起点とした東山道(京都から東方にいたる山間の道)として整備された一部が中山道となっています。中仙道あるいは仲山道とも表記されたため、江戸幕府の命令(1716年)で中山道に統一されましたが、現在でも中仙道や仲山道の表記が一部で使われています。中山道は大半が山間の道ですが、川の多い東海道よりも旅の難儀が少ないとして、良く利用されたようです。関が原の合戦では徳川の直属軍(秀忠隊)が西進、西国の大名は参勤交代に利用し、幕末には皇女和宮が京から江戸へ輿入れの旅をしました。

日本橋から板橋宿を経由した中山道は埼玉県をさらに北上します。京都へ向かうには方向違いのようですが、内陸部が東山道として整備されていたからでしょう。熊谷宿あたりから北西に向かい、群馬県では高崎宿を通り、長野県に入った軽井沢宿からは進路を西に転じます。下諏訪宿を過ぎると南西に向かい、木曽福島宿や妻籠宿、そして馬込宿(岐阜県中津川市に編入)と今も人気の宿場町が続きます。中津川宿からはやや北西に向かい、鵜沼宿、加納宿(岐阜市)、そして信長と秀吉の時代小説によく登場する赤坂宿、垂井宿、関ヶ原宿です。柏原宿には岐阜と滋賀の県境があり、醒井宿からは南西方向に転じ、草津宿で東海道と合流すれば、大津、そして終点の三条大橋へ無事に到着です。69次、約132里の旅は、東海道の53次、約126里と比較すると、宿場の数はかなり多いのですが、距離の差(6里)はそれほどでもありません。

2.甲州街道

日本橋から甲府を経て下諏訪に至る主要道路でした。現在も国道20号が甲州街道と呼ばれています。宿場は、内藤新宿の次が高井戸宿、さらに日野宿、八王子横山の十五宿、小仏宿、小原宿(神奈川県相模原市)などを過ぎると、上野原宿で山梨県に入り、猿橋宿、大月宿、勝沼宿、石和宿、甲府宿へ。そして韮崎宿などを経て信州の宿場に入ります。金沢宿(茅野市)、上諏訪宿、諏訪湖畔を進めば、終点の下諏訪宿に到着です。ここ下諏訪で中山道と接続しています。約53里(211km)、38の宿場がありました。

国道20号は甲州と信州へ行くためには便利な幹線道路でよく利用しますが、ドライブする途中にはこれといって見るべき場所がないように思います。一方、小仏峠、大垂水峠、笹子峠など山道の続く旧甲州街道は、峠越えの楽しみや、大月には日本三奇橋のひとつ「猿橋」などの見所もあります。ただし峠越えはかなりの健脚向きですが・・・。ちなみに甲州街道最大の難所である笹子峠の旧道は狭い山道で、当ブログで紹介した「矢立の杉」があります。

3.日光街道および奥州街道

日光街道は日光東照宮への参拝路として造られました。最初の宿場である千住宿は芭蕉の「奥の細道」の出発地としても知られます。荒川を渡って埼玉県に入り、草加宿、越谷宿、幸手宿、栗橋宿など、さらに茨城県の中田宿と古河宿を経て、栃木県の野木宿、間々田宿、小山宿、小金井宿、宇都宮宿。ここで奥州街道と別れ、北西に進んで大沢宿、今市宿、鉢石宿、そして日光坊中に到着します。21の宿場、36里の道のりがありました。現在は、宇都宮までが国道4号、その先は国道119号になっています。

奥州街道は宇都宮から先も現在の国道4号にそって北進し、福島県白河市まで27の宿場(宇都宮までの17宿は日光街道と共通)、48里がありました。喜連川宿、大田原宿、芦野宿などを経由して、福島県に入り、白坂宿と白川宿、そして陸奥白川(現在の白河市)に到着です。深川巡りの項で紹介しましたが、墨田区の白河は白河藩主であった松平定信の墓が霊厳寺にあることで付けられた地名です。

4.東海道

「東海道53次」として知られるように53の宿場がありました。京から東へ向かう海沿いの道であることから東海道の名が付けられました。日本橋を起点に海沿いを品川宿へ向かいましたが、現在は海が埋め立てられたために旧東海道から海岸を見ることはできません。六郷橋を渡ると川崎宿、神奈川宿、保土ヶ谷(程ヶ谷)宿、戸塚宿、藤沢宿、平塚宿、大磯宿、小田原宿、箱根宿、そして静岡県に入り、三島宿、吉原宿、由比宿、鞠子(まりこ、丸子とも表記)宿、藤枝宿、島田宿、掛川宿、袋井宿、浜松宿、舞浜宿、白須賀宿、愛知県に入ります。御油(ごゆ)宿、岡崎宿、鳴海宿、宮宿に到着。ここで三種の神器のひとつである草薙神剣が祀られる熱田神宮に参拝。宮宿から海路「七里の渡し」(約25km)で桑名宿へ、四日市宿、亀山宿、鈴鹿峠を越えると滋賀県の土山宿、草津宿、琵琶湖畔の大津宿、そして終点の三条大橋です。

 

国道1号(東京-京都間)はこの東海道のルートをほぼ踏襲していますが、例外がいくつかあります。まず日本橋から京橋、新橋、品川宿、六郷、神奈川宿まで国道15号にそっている区間。これは東京と横浜間に第二京浜国道(現在の国道1号)が1934年に造られて、もとの国道1号が国道15号(第一京浜国道)と名称変更になったためです。ふたつ目は箱根で、旧道は畑宿を経由しますが、国道は宮ノ下へ迂回するルートです。そして唯一の海路である名古屋から桑名の区間も旧東海道ならではでしょう。

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2007年3月22日 (木)

日光街道千住宿と保木間の湯「じゃぽん」

彼岸の中日です。両親の墓参りのあと、叔母の墓のある松戸へと向かいました。首都高速で始まっていた渋滞を何とか抜けて、四つ木ICから国道6号(水戸街道)に入りましたが、新葛飾橋の先は予想通りの大渋滞です。墓参帰りの上り線はさらに渋滞が激しくなり、東向島交差点まで10km走行するのに1時間以上も掛かってしまいました。明治通りに入って泪橋でさらに右折すれば南千住です。

交差点前にある素盞鳴(すさのお)神社の名前に惹かれて立ち寄ることにしました。桜が開花した境内では、神楽殿と社殿に大きな雛飾りがあり、そして横の立ち木には絵馬がたくさん吊るされています。社殿の奥には芭蕉碑もありました。

 

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日光街道に入ってすぐ差し掛かった千住大橋で隅田川を渡ります。北詰めの大橋公園には、芭蕉の句「行く春や 鳥啼魚の 目は泪」が書かれた矢立初の碑(やたてはじめのひ)と大きな立て看板「おくのほそ道工程図」、堤防下の河原にある屋形船の発着所では下船する団体客の姿が見られました。

 

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日光街道の向かい側、足立市場入口横には芭蕉像と奥の細道矢立初めの碑が並ぶ「千住宿奥の細道プチテラス」、そして右手方向の旧道に入ると「やっちゃ場(青物市場)跡」や「区民の蔵のギャラリー」などもありました。ここは芭蕉が「奥の細道」の旅に出立した千住宿跡です。

 

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いったん日光街道を離れて墨堤(ぼくてい)通りを北上し、荒川を西新井橋で渡り、万願寺前の交差点を左折して西新井大師へと向かいました。周辺にある小さな駐車場はいずれも満車です。残念ですが西新井大師への参拝をあきらめて日光街道に戻りました。竹の塚を通り過ぎたあたり、保木間(ほきま)四丁目交差点を右折するつもりでしたが、勘違いで手前の保木間交差点を右折してしまいました。

何とかなるだろうと思い住宅地内の細い道で4丁目を目指したのですが、行き当たりばったりであったため、表通りに出てしまいました。再度挑戦してやっと保木間の湯「じゃぽん」の第5駐車場を見つけました。その後に煙突を見つけて何とか施設に隣接する第2駐車場へとたどり着きましたが、所在地の地図を持参するべきでした。入館料は800円。

 

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1階のフロント横は広い食事処「寿司割烹潮路」となっており、蕎麦屋か居酒屋の雰囲気です。昼食をすませたあと風呂へ向かいました。浴室は1階と2階にありますが、この日は男湯が2階でした。広々とした浴室にある大きな浴槽は10以上に区切られています。バイブラバスは気泡風呂で、寝湯・座湯・立ち湯・マグナムジェットはいずれもジェットバスです。そして漢方スチームバス、遠赤外線サウナ、水風呂がありました。残念ながら内湯はすべて温泉ではありません。

 

そこで露天風呂エリアへ向かいました。天然温泉が掛け流される檜露天風呂には黄色みを帯びた湯が溢れています。加温されているため、最初入った時に温く感じた湯が段々熱くなって来ました。泉質はナトリウム-塩化物強塩温泉です。反対側にあるイベント風呂はこの日 生薬の湯でした。

全体の印象は食べ物屋がスーパー銭湯になったと言ったところでしょうか。それでも関東随一のナトリウムイオン・塩素イオンの含有量を誇る化石海水天然温泉は、湯上りあとも身体がぽかぽかしていました。2階には岩盤浴「天翔房」もありますが今回はパスすることにしました。

2007_03210017_1 水戸街道と日光街道の2箇所で大渋滞に捕まり、西新井大師と温泉の周辺を意味もなく走り回るなど、今日はついていないようですから、早々と家路につくことにしました。

<同行者のコメント> 久しぶりに渋滞に巻き込まれました。温泉ではいっぱいある寿司メニューの中から選んだ海鮮丼がちょっと期待はずれ。脱衣場とお風呂もレイアウトが良くないせいか落ち着きませんでした。露天風呂の温泉がよかっただけに残念です。今日は休日でしたが、思った以上にお客が多いことをみると、きっとこの温泉は人気があるのでしょう。

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2007年3月18日 (日)

伊香保温泉で懐かしい看板を発見

2007_03130144_2伊香保温泉の石段を登る途中で懐かしいものを発見しました。その場所は「石段の湯」のすぐ上です。

 

真っ先に目をとめたのは「ボンカレーの琺瑯(ほうろう)看板」(大塚食品)、あの松山容子さんが微笑んでいました。すぐ横には浪速千恵子さんの「オロナイン軟膏」(大塚製薬)、さらに由美かおるさんの「アース渦巻き」、そして極めつきとして水原弘さんの「ハイアース」(以上はアース製薬)もありました。

 

あと大村崑さんの「オロナミンC」(大塚製薬)が揃えば大塚グループのファイブカード(大塚五人衆)になります。
 

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これらは昭和20年代から40年代にかけて全国的に商店の店頭に貼られていた琺瑯看板の代表格です。他社の琺瑯看板も多数存在しましたが文字と図案だけのものが多く、女優・喜劇人・歌手の写真を使った大塚グループの看板がインパクトで群を抜いていたと思います。  

参考として5人のプロフィールを紹介します。 

 

松山容子さんはNTV系のテレビドラマ「琴姫七変化」などに主演した女優として知られます。整った容姿と立ち回りが綺麗なことで人気がありました。1968年に世界で最初に発売されたレトルト食品「ボンカレー」のパッケージに登場し、40年近く経った現在でも、沖縄限定でそのパッケージのボンカレーが販売され続けているそうです。ちなみにボンカレーのボンとはフランス語の”bon”(良い・美味しい)から命名されたとボンカレーの公式hpに書かれていました。 

 

浪速千恵子さんは松竹新喜劇の看板女優でしたが、のちに花菱アチャコさんとコンビを組んだ漫才で人気者になりました。名脇役女優として映画やテレビで活躍し、上品な大阪弁(船場言葉)を話す貴重な存在でもありました。私が好きだったテレビドラマ「細腕繁盛記」では主役加世(新珠三千代)の祖母役で出演していました。花菱アチャコさんと競演したNHKラジオの「お父さんはお人好し」で、阿茶太郎に扮したアチャコさんの台詞「そんな、あんた、むちゃくちゃでござりまするがな」は流行語になりました。当時、小学校に入ったばかりだった私は同級生とこの台詞を言い合ったことを覚えています。 

 

由美かおるさんは現在も女優として活躍しています。西野バレエ団の出身で、歌って踊れる、当時としては日本人離れしたスタイルの良い芸能人でした。出演したテレビドラマの「水戸黄門」(1969年放送開始)では、20年以上もレギュラーとして活躍し、どの黄門役俳優よりも長寿であるだけでなく、初期のスポット出演を入れるとすべての黄門役俳優(東野英治郎、西村晃、佐野浅夫、石坂浩二、里美浩太朗)と共演していることにも驚かされます。お銀の役などで披露する入浴シーン(何とこれまでに約190回)は今も人気です。 

 

そして水原弘さん。井上ひろし、守屋浩とともに「三人ひろし」と呼ばれた歌手です。「黒い花びら」で第一回レコード大賞を受賞して一躍スターになりましたが、その後は人気が低迷。「君こそわが命」でカムバック。この顛末は川内康範と森新一の最近の確執に関連してテレビで詳しく紹介されています。酒豪であったためか肝硬変のため40歳過ぎの若さで逝去しました。三人ひろしのヒット曲はいずれもカラオケでの私の持ち歌です。 

 

大村崑さんは、「コンちゃん」の愛称で呼ばれ、テレビの黎明期から活躍した喜劇人です。「番頭はんと丁稚どん」「頓馬(とんま)天狗」「てなもんや三度笠」などのテレビ喜劇番組、佐々やんこと佐々十郎とのコンビで出演した三輪自動車「ミゼット」のCM、そして上記の「細腕繁盛記」にも人の好い番頭さんとして出演していました。鼻メガネがトレードマークです。

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水澤観音と伊香保温泉

国道292号の急坂を長野原町まで下りた頃には雪が降り止んでいました。東吾妻町の郷原(ごうばら)で県道28号に入り、よく整備された山道を一気に榛名山へ。榛名湖畔は人気もなく寂しい。わかさぎ釣りができないと報じられた榛名湖は結氷こそしていませんが、外気温はちょうど0度で風が冷たく、榛名富士も雪化粧で真っ白です。湖畔周遊路と県道33号を経由して伊香保への急坂を下りる。街並みを抜けて、県道15号(水沢街道)で水澤観音に到着しました。
 

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2007_03130132_11ちょうど昼時なので始祖清水屋で水沢うどんを食べることにしました。100席くらいある店内はすでに満席のため、待つ間に手打ちうどんを打つ様子を見学。アングルに苦労して撮影していると、店の人が気を利かせて窓を開けてくれました。

メニューは至ってシンプル、ざるうどんが大中小の三種類あるだけです。細い稲庭と太目の讃岐のほぼ中間の太さで、きし麺ほどではありませんが平べったい形状もその特徴です。中もりのざるうどんをごまつゆで美味しくいただきました。
 

店内のメニューと暖簾には「うむどん(饂飩)」と書かれています。興味のあるかたは当ブログの「食べ物についての薀蓄」を参照してください。
 

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2007_03130133すぐ近くに水澤観音の長い石段とその上に朱に塗られた仁王門が聳えています。広い駐車場まで県道を戻り、境内に入りました。土産物を売る店の前を通り、釈迦堂、鐘楼と六角堂、そして本堂へと至ります。
 
 

 

 

本堂で千手観音にお参りしたあと、六角堂の六地蔵を三回廻して供養をお願いしました。最初はかなりの手応えがありますが、回り始めると途端に軽くなるのが不思議でした。真心が通じたのでしょうか。

 

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水沢街道と伊香保街道を使って伊香保の温泉街まで戻り、ロープウエイ乗り場の横にある町営駐車場に駐車、急な坂道を県道まで歩いて下りました。石段の一番下に位置する「石段の湯」へ行くためです。石段を少し登った右手にある「石段の湯」は何と定休日でした。
 

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それではともうひとつの日帰り湯に予定変更です。伊香保温泉の有名な石段を登りきり、伊香保神社の横手から坂道を400mほど歩いたところにある、その名も「伊香保温泉露天風呂」へ。分かりやすい命名です。ベルツ博士像と伊香保温泉の源泉がすぐ横にありました。
 
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入浴料金は450円、男湯はオープンな脱衣場の前にラグビーボールの形をした浴槽がありました。浴槽は二つに仕切られており、湯が流れ落ちる「あつめの湯」とそこから湯が流れ込む「ぬるめの湯」で構成されています。流れ落ちる場所では湯の温度が43.5度、泉質は硫酸塩・塩化物温泉と説明されていました。茶褐色気味の透明な湯で、草津とは違いますが、さっぱりした感触が気持ちよい。それと野趣溢れる雰囲気も気に入りました。帰り道に飲泉所で飲んだ温泉水は鉄分が強くて一口で十分でした。
 
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目当ての「石段の湯」が休業でまた失敗歴が増えましたが、温泉三昧のドライブ旅行の終点として「伊香保温泉露天風呂」は、言い訳ですが、けがの功名だったように思います。30年振りの伊香保温泉は石段を下駄で歩いた昔の記憶を甦らせてくれました。  

県道33号(伊香保街道)の急坂を下り、渋川伊香保ICから関越自動車道で帰路に。渋滞もなく快適なドライブで練馬ICまで1時間、5時少し前に帰宅することができました。草津と伊香保の温泉巡りと山道・雪道・高速道路のドライブ(走行距離は410km余り)を満喫する大満足の旅行になりました。 

 

<同行者のコメント> 水沢うどんはおいしかったです。好きな稲庭うどんとはちがう感触を楽しみました。水沢観音では本堂の天井絵と欄間の彫刻などの装飾が見事で、日光の東照宮を思い出しました。それと建物がみな朱色に塗られているのも綺麗です。伊香保温泉では旅行プランナーの手違いで石段を全部登ることになり大変でしたが、途中 源泉の配管を年に一度掃除する人たちと話をすることができました。そして露天風呂では1時間も入っている方にお会いしました。手を湯の外に出しているのはふやけないようにするためだそうです。

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2007年3月17日 (土)

草津温泉の湯巡り(後編)

西の河原(さいのかわら)公園に向かいました。途中で温泉饅頭の試食を進められ、お茶と一緒にいただく。商店街の先にある片岡鶴太郎さんの美術館にも立ち寄り、10分ほどで西の河原公園に入りました。
 

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園内で湯川にそって湧き出す源泉を見ながら坂道を登ると、一番奥に「西の河原露天風呂」があります。入浴料は500円。万代鉱源泉を使う500平米の広さを誇る露天風呂はとにかく広いのです。目隠しの塀も低くて開放感は満点です。周囲の山と空が見えるだけでした。湯は少し青みがかって見えます。

 

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東屋の中で雪を避けながら打たせ湯をしばらく楽しんだあと、湯が滝のように流れ込む奥の方へ進むと、少し熱くなってきました。この露天風呂で気になったことが二つありました。石板が敷き詰められた底に小石と砂が無数にあって踏むと痛かったことと、脱衣場のコインロッカーで100円玉が下まで落ちる音が寂しく響いた(つまり有料)ことです。同じ会社が経営する大滝乃湯も有料でした。最近の日帰り湯では戻ってくる場合がほとんどなのに・・・。 

温泉を3箇所ハシゴしたあと大滝乃湯まで歩いて戻りました。ホテルにチェックインするにはまだ早いため、白根山の方へ行ってみることにしました。草津国際スキー場の横を抜けて白根火山ロープウエイ乗り場へ向かいました。危惧したとおり、本日は強風のためロープウエイは運休中との立て看板が道路の中央に置かれていました。残念です。

 

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温泉街の方向へ引き返し、繁華街から少し離れたベルツ通りのリゾートホテルへ。真っ白いホテルの建物は雪の中に溶け込んでいました。内部は極めてモダンな設計です。何かの賞を受賞したとフロントで説明されました。ホテル内の温泉風呂もモダンですが少し無機質すぎる印象を受けます。掛け流しの浴槽には正に草津の湯が溢れていました。露天風呂もあり、降りしきる雪を眺めながら、ひとりで湯を楽しみました。
 
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夕食後は館内でカラオケを久し振りに満喫。シーズンオフのため、こちらも貸しきり状態で、気がつけばひとりで20曲近く歌っていました。もう一度温泉を楽しんだあと、早めに床につきました。
 
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翌朝も深深と雪が降っていました。昨夜中に大分積もったようです。朝風呂と朝食のあと、車にタイヤチェーンを装着。数年振りの作業で少し手間取りました。冷えた身体を暖めるためにもう一度温泉へ。いつもより遅めにチェックアウトして次の目的地へと向かいました。  

<同行者のコメント> 草津は街中に湯が流れていました。道路も暖めているのですね。湯畑の大きさには驚きました。それと一面の雪景色も。お土産屋さんにドイツのものが多いのは、ベルツ博士と関係があるのかしら、それともドイツと同じ名前の「日本ロマンチック街道」があるからでしょうか。もう少し暖かくなり雪が溶けてからドライブをしてみたいです。 

 

注釈)日本ロマンチック街道は昨年の夏に旅したドイツのロマンチック街道に因(ちな)んで名づけられた長野県上田市から小諸市、軽井沢、草津町、沼田市、片品村(尾瀬の入り口)、日光市などを経て宇都宮市までの350kmの街道です。これまで、嬬恋村-小諸市、渋川市-長野原町-草津町(今回)、沼田市-片品村、宇都宮市-日光市の各区間(合計するとこの街道の7-8割)をドライブしましたが、次回は全ルートを一気に走破したいですね。

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2007年3月16日 (金)

草津温泉の湯巡り(前編)

久しぶりに草津を訪れました。朝の関越自動車道は練馬IC付近で渋滞があっただけで、快適なドライブが続き、約1時間で渋川伊香保ICに到着です。国道353号で中之条町を通過し、そして145号(吾妻街道)に入る。立ち寄ろうと思った東吾妻町と長野原町の境界付近にある「吾妻(あがつま)峡」は冬季閉鎖中で国道から遠景を望むだけでした。
 
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基礎工事中の八ッ場(やんば)ダムの上流には丸岩の岩肌が垂直に切り立っていました。頂上部には戦国時代の丸岩城があったと伝えられています。このダムによって、下流の吾妻峡は残るものの、上流の川原湯温泉などは水没するのだそうです。国道145号、JR吾妻線、林道吾妻線などを山の高い位置に付け替える工事も進行していました。ダム湖を跨ぐことになる二つの橋の橋脚が恐ろしいほどの高さまで伸びていました。
 
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そして292号で順調に草津町へ到着しました。折からの寒の戻りと1200mの高地にあるためか気温はマイナス2度、温泉街は地吹雪になっていました。
 
2007_03130018早速、目当ての日帰り温泉「大滝乃湯」へ。朝の10時前でも既に多くの入浴者がありました。利用料金は800円。この温泉には街外れにある万代鉱(ばんだいこう)源泉とすぐ近くの煮川(にかわ)源泉が引き込まれています。いずれも強い酸性(ph1.5-2.0)の硫酸塩・塩化物温泉です。内湯には大浴場(煮川源泉)と打たせ湯(万代鉱源泉)、そしてサウナがありました。温まりながら広いガラス越しに雪が降るのを眺めていると、案内板が目に留まりました。合わせ湯は30分毎に男女が入れ替えとあります。男客の時間でしたので行くことにしました。
 
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外は雪と風、そして足下の床が冷たい。階段を降りたところの扉を開けると湯治場の雰囲気です。浴槽がいくつも並んでいました。そのうち5つの浴槽を順に入るのが「合わせ湯」です。最初は温めの湯から始まり段々熱くなります。40度、42度、44度、45度、46度の5種類ありますが、46度は熱過ぎてギブアップです。他に打たせ湯とかけ湯もありました。  

次に向かった露天岩風呂は3つあり、上から下へと湯が流れています。名前の由来になった岩肌を流れ落ちる湯滝が圧巻です。冷たい風を頬に受けながら露天風呂を楽しみました。相変わらず雪が降っています。 

 

11時を過ぎましたので館内で昼食をすませることにしました。名物の笹うどんとザルソバを二人で賞味しました。温泉街を回るバスを利用しようとフロントで時間を確認したところ、出たばかりで次は1時間以上待つことになるとのこと。温泉街は歩いても周れるとのアドバイスに従って湯畑へ向かう。折れ曲がった狭い路を歩くと5分ほどで湯畑に到着しました。雪景色の湯畑は初めてです。白く立ち昇る水蒸気が強風に煽られ、時々岩肌と湯が流れる様が浮き出ます。写真撮影に苦労しました。
 

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湯畑を一周した頃には身体が冷えてしまい、湯畑のすぐ前にある「白旗の湯」に入ることにしました。白旗源泉を使う町営の無料温泉です。外にコインロッカーはありますが、中は脱衣場と浴室のみのコンパクトさ。木製の浴槽が二つ、ひとつは白濁した43度くらいのほどよい熱さ、もうひとつは透明です。何が違うのかと入ってみて驚きました。とにかく熱いのです。大滝乃湯の合わせ湯の一番熱い湯と同じです。
 

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先輩格の客が曰く「ここに入ったら一人前だよ!」「ふたつとも同じ湯だが広い方が早く冷めるから」とも。最初の浴槽の上には高い吹き抜けがあることが影響しているのかも知れません。泉質は酸性・含硫黄-アルミニウム-硫酸塩・塩化物温泉と表示されていました。(続く)

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2007年3月11日 (日)

大丸用水と多摩テック天然温泉「クア・ガーデン」

稲城市を流れる大丸(おおまる)用水を訪ねました。当ブログの「二ヶ領用水」の項で触れた多摩川沿いの用水です。JR南武線南多摩駅付近の多摩川から取られた水は市内を幾筋にも分かれて流れています。「大堀」「菅掘(すげぼり)」「新堀」「小堀」「押立堀」などで構成されています。 

 

この用水が開削されたのは江戸時代初期と考えられますが、詳しい記録は残っていないのだそうです。大丸用水の名称は地名(旧大丸村)に由るものですが、大丸の名は大麻止乃豆乃天神社(おおまとのつのてんじんじゃ)という古い神社が祀られていることによるとする説があります。 

 

用水巡りの出発点は大丸の「一の山下」にある取水口です。すぐ横に南多摩水再生センターが多摩川に接して立地しているため車でアクセスすることはできません。堤防沿いを400mほど歩いて向かいました。多摩川に造られた取水堰から導かれた水が大丸用水に流れ込み、矢戸川と立体交差したあと、南多摩駅の北側にある分量樋(ぶんりょうひ)で大堀と菅堀・新堀に1:2の割合で分岐されます。駅の北側の区間では南武線の高架工事のため暗渠化工事が行われていました。ここから大堀(清水川)は南下して長沼と矢野口を流れて三沢川に合流します。かなりの部分が暗渠化されて、あまり流れを見ることはできません。 

 

もうひとつの用水は北側を流れて、府中街道をくぐり、さらに菅堀と新堀の2つに分かれます。北側の菅堀は押立堀などと分かれて、その一部は多摩川原橋の下流で多摩川に戻ります。南側の「新堀」も同様に流れて、川崎市多摩区菅で二ヶ領用水と交差し、三沢川に合流して多摩川に戻ります。つまり大丸用水は、大丸、東長沼、押立、矢野口の地域を5つの主要な堀と小さな堀に分かれて、西から東へと流れているのです。用水が網の目のように繋がっていたり、暗渠化されていたりで、時々流れを見失ってしまうことがありました。 

 

都市化で農業用水としての役割は小さくなっているようですが、親水公園が整備されて、水風景を楽しみながら散策することができます。交通の妨げになるとして暗渠化が徐々に進んでいますが、貴重な遺産である大丸用水をいつまでも保存して欲しいものです。 

 

大丸取水堰(是政ダム)と取水口

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武蔵野南線の鉄道橋と武蔵野南線沿いのうち堀(本流)

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矢戸川との立体交差、南多摩駅北側の暗渠化工事 

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分量樋と分量橋(左後方)、大丸親水公園の西端

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菅堀の分岐、菅堀と押立堀の分岐

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菅堀の水辺

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菅堀と新堀の分岐(大丸地区会館付近)

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菅堀と水鳥(府中街道と交差する場所)

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多摩川への排水口(樋管)、馬頭観音

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府中街道を大丸交差点まで戻り、川崎街道で日野市の多摩テックにある天然温泉「クア・ガーデン」に向かいました。料金は1800円ですが、クーポン持参で土曜日は夫婦で2200円、12時までの入館は一人1050円に割引されます。駐車場は3時間までの無料サービスがあります。

2007_03100049大浴場は黒を基調とした内装が施され落ち着いた雰囲気であり、広いガラス窓越しに見る日野市の街並みのパノラマが素晴らしい。露天エリアには岩風呂が2つ、流量の豊かな湯滝がある露天風呂と打たせ湯風呂です。2条ある打たせ湯は高さがあって心地よい刺激でした。泉質はナトリウム塩化物温泉、アルカリ性で滑らかな肌触りです。大浴場は温めですが、露天風呂は温度が42-3度と冷たい外気にはちょうど良い熱さでした。

2007_031000541階のロビー横にはエステ・ボディケアと温水プールがあり、2階には食事処が3ヶ所(和食、中華とカフェ)、寝椅子が並ぶ広い休憩エリア(リラックスサロン)と和室の休憩室があり、快適なスペースが確保されているのがうれしい。シンプルにレイアウトされた施設で落ち着いて湯を楽しむことができ、期待した以上の満足が得られました。

 

<同行者のコメント> 板橋と同じで車の中に待機(うたた寝)していました。うちの旦那さんはあちこちで車を降りてかなり歩いたようです。駅の近くでは工事をしている人へ熱心に質問していました。クア・ガーデンは見晴らしが良くていいですね。ここでもうたた寝ができました。おチビちゃんへのお土産にアシモのおもちゃを買いました。どうしてアシモを売っているのかなと不思議に思って旦那さんに聞くと、あのホンダの系列だからだろうとのこと。

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2007年3月 4日 (日)

板橋宿と前野原温泉「さやの湯処」

2007_03030001板橋区の名前の由来は、名前のとおり石神井川に架けられた「板の橋」で、江戸時代に遊郭で栄えた中山道第一番目の宿場が板橋宿と呼ばれたことによります。 

 

現在も旧中山道には「板橋」が残っています。場所は国道17号線板橋本町交差点の近くです。これは昭和47年に架け替えられた比較的新しいコンクリート橋ですが、木製に見えるように木目が入れてあります。旧中山道沿いはこの板橋を挟んで板橋本町商店街と仲宿商店街とが今も賑っていました。
 
  

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すぐ近くには庚申塚(こうしんづか、区文化財)、地蔵尊(区最大の石造物で区文化財)と宇喜多秀家の供養塔で知られる東光寺があります。宇喜多秀家は五大老のひとりでしたが、関ヶ原の合戦で西軍の主力であったため、家康によって八丈島へ流刑されました。明治政府により262年ぶりに赦免されて、板橋に移り住んだ子孫がこの供養塔を建立したのだそうです。すぐ近くの東板橋体育館横に火薬を製造した巨大な石臼「圧磨機圧輪(あつまきあつりん)」を見つけました。
 
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大谷口には昭和初期に建設されたユニークな形をした水道タンクがありました。老朽化したため建替え工事が始まったと聞いて訪れました。まだ少しは原形が残っているかと期待したのですが、すでに跡形もありません。新しいポンプ施設建設のために基礎工事の真っ最中です。残念、もう少し早く来るべきでした。
 
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国道17号線(中山道)を環状8号線方面へ向かいました。志村坂上駅のすぐ近くに「志村一里塚」(国指定史跡)がありました。駅前の交差点を右折して横道に入った小豆沢(あずさわ)公園内のグランド横に「旧戸田橋の親柱(おやばしら)」を見つけました。戸田橋が架け替えられた時にこの地に移されたそうです。川とは縁のなさそうな場所に親柱を見るのは奇妙な感じがします。
 
 

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環八を横切った先の新河岸川(しんがしがわ)に架かる新河岸大橋のたもとに「水上バス発着所」がありました。新河岸川は江戸時代以降、川越との水上輸送に重要な役割を果たした川です。
 
今回立ち寄る温泉には志村坂上駅近くの前野原温泉「さやの湯処」を選びました。志村警察署前の交差点を入って首都高を潜った先、スーパー「イズミヤ」の前にあります。広い駐車場の奥にある純和風の建物が目的地です。受付カウンターを抜けると天井が高く広々としたロービー、そして庭も見事です。内湯もゆったりとしたレイアウトで、普通の湯ですが、さやの湯、電気風呂、立ち湯、水風呂、座り湯、腰掛湯、寝湯、と多彩な趣向で、熱気風呂(サウナ)もあります。
 
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露天風呂は源泉風呂、寝転び湯、壷湯、薬草蒸気風呂とバラエティに富んでいます。1500mの地下から湧き出したにごり湯が掛け流しになっている源泉は39度と温めです。泉質はナトリウム-塩化物強塩温泉(高張性・弱アルカリ性・温泉)で、しょっぱい味がします。体調に合わせて入るようにとの注意書きがありました。私は源泉温泉と薬草蒸気風呂が気に入り、苦手な電気風呂もマイルドで楽しめました。
 
入館料は1000円(平日は800円)と妥当、広い食事処「柿天舎(してんしゃ)」、手もみ処、二階には女性専用の「お休み処」と施設は充実しています。男性には一階奥の「うたたね処」しかないのが唯一の不満です。とは言っても畳が敷かれており、広さもまずまずですから、贅沢な不満かも知れません。200512月に出来たばかりで、和風の外観と内装も落ち着いた雰囲気は好感が持てました。バーコードを利用した清算システムがユニークです。
 
 <同行者のコメント> また温泉巡りです。先週は名栗で杉林の真っ只中に連れて行かれて大変でした。スギ花粉がこの春で一番との予報がありましたので、今日はずっと車内に待機です。どこをまわったのかはよく分かりませんでしたが、温泉はよかったです。露天風呂にタップリ入ってぽかぽかです。驚いたことがあります。私が露天エリアに入ってから内湯に戻るまでずっと源泉風呂に浸かったままの人がふたりいたことです。あんなに入っていて湯あたりはしないのでしょうか?

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2007年3月 2日 (金)

閑話「和製英語と日本語の変化」

事件が起きるたびに、「社会の乱れがその背景にある」と指摘される状況は一向に改善されそうにもありません。官庁・企業の不祥事、学校や家庭での問題は枚挙にいとまがなく、個人のレベルでも、服装の乱れ、マナーの欠如、そして言葉の乱れなどが指摘されます。中年を過ぎた私はなかでも「言葉の乱れ」が気になります。

 

いつの時代でも若い世代の言葉の乱れが危惧されてきたようですが、私にとって耳障りな言葉使いを挙げてみます。まず「語尾上げ」、「何々だシーと語尾を伸ばして強調」、「わたし的には何々」、そして極めつけは「じゃないですかー」、まるでゴム紐の押し売り(これは死語かもしれませんが)のように厚かましい言葉遣いです。新しい言葉は、伝染性が強力ですから、瞬く間に広がります。意味が通じない例では「ぜんぜん何々」があります。全然とくれば、何々ではないと否定の言葉が続くべきですが、最近は強調の意味で使われています。「全然美味しい」とはどんな意味に理解すべきでしょうか?

 

レストランに入ったとします。ウエイトレスに注文を告げた後に「何々でよろしかったでしょうか?」と急に昔話をされたり、「大丈夫ですか?」と確認されたりすると病院にいるような気分になり、配膳の時には「生姜焼き定食になります」と言われるとまだ調理が終わっていないのかと心配し、会計をする時には「1万円からいただきます」とまるで外国語を話しているようです。好みや嫌悪感に個人差はあるかも知れませんが、これらの言葉を聞くと私は不快な気持ちになるのを抑えられません。そのうちに「一万円からで大丈夫ですか?」と同情されるのではと心配しています。

  

日本語だけの問題であれば、それらの言葉使いが消滅する(自然淘汰される)か、あるいは生き残って社会に受け入れられるのを我慢強く待てばよいのでしょう。「一所懸命」が「一生懸命」に変化し、本来否定の意味があった「とても」が上記した「全然」に先んじる形で「とても美味しい」と強調する意味で今は抵抗感もなく使われています。

 

しかし外国語を誤って取り入れた場合、ビジネスにおける会話では困ったことが起きます。私の経験でも、シンガポールの友人から「日本人はどうして苦情のことをクレーム(claim、請求または要求の意)と言うのか?」と聞かれたことがあります。ふたつ目は訪米した日本本社の幹部が新製品の開発を待ち望む現地スタッフを安心させようと「日本の開発部門にはベテランが大勢いるから大丈夫だ」と言ったことが通じなかったことです。アメリカ人はベテラン(veteran)と言う言葉を「退役軍人」と受け取ったからです。もうひとつは私がアメリカに赴任した時に採用した秘書に「ホチキスはある?」と聞いてキョトンとされたことがありました。アメリカの会社の商品名が日本語になったものですが、アメリカではstaplerと一般名詞で呼んでいるのです。スーパーマーケットではレジ(casherまたはcheck-out counter)で聞かれました。「paper or plastic?」何のことかと思えば「紙袋とビニール袋のどちらが良いか?」でした。ビニール袋をplastic bagと呼ぶことを知りました。他にもいっぱいある私の失敗談はさて置き、本題の「和製英語」です。

 

明治時代には英語の発音を忠実に日本語化したようで、ハイカラ(high collar)、ワイシャツ(white shirt)、ビフテキ(英語のbeef steak、仏語のbifteck)などの言葉が日本語化されました。文字にすると一見変に見えますが、原音に忠実な言葉として日本語化したことが分かります。私が問題だと思う和製英語をいくつかに分類して列挙します。尚、カッコ内には該当すると思われる(アメリカ)英語を付記します。

 

1.誤って使用したもの

 

アンバランス(imbalance)、オーダーメイド(order to made)、クレーム(complaint)、サイダー(soda popciderはリンゴジュース)、サイン(signature)、サラリーマン(salaried man)、スマート(slim)、センス(taste)、トランプ(playing card)、ナイーブ(sensitivenaiveは幼いの意)、バイク(motorcycle)、ベテラン(expert)、ポスト(mail box)、マニア(enthusiast

 

2.創作(でっち上げを)したもの

 

英語もどきの言葉を勝手に作り上げた純粋な(?)和製英語ですが、以下のようにいっぱいあります。。

 

アフターサービス(customer service)、インターホン(intercom)、ガードマン(security guard)、カメラマン(photographer)、クーラー(air-conditioner)、ゲームセンターまたはゲイセン(game arcade)、ゴールデンタイム(prime time)、コンセント(outlet)、サインペン(marker)、サマータイム(daylight saving)、ジーパン(jeans)、スイミングパンツ(swimming trunks)、チアガール(cheer leader)、テレビゲーム(video game)、電子レンジ(microwave ovenまたはmicrowave)、バスト(breast)、ビデオカメラ(video camcorder)、ビデオデッキ(video cassette recorder)、ファスナー(zipper)、プッシュホン(touch tone phone)、フライドポテト(French fries)、マイホーム(owned house)、マザコン(Oedipus complex)、マンション(condominiumまたはapartment)、メロドラマ(soap opera)、モーニングコール(wakeup call)、ラジカセ(portable stereo

 

3.日本語的に省略したもの

 

昔の喜劇王の榎本健一を「エノケン」、世界的なジャズマンの渡辺貞夫を「ナベサダ」、テレビジョンを「テレビ」と省略することは日本人の得意とするところです。日本語と英語を合成した言葉も省略したために意味が不明になるものまで出現しています。「合コン(合同コンパ)」は明治時代の学生の交流(ドイツ語のKonpanieやフランス語のCompagnie)が語源のようです。私の学生時代には「合ハイ(合同ハイキング)」や「ダンパ(ダンスパーティ)」の方が盛んでした。英語を省略した日本語を思いつくままに列挙します。

 

アドバルーン(advertising balloon)、アニメ(animation)、アパート(apartment house)、アングラ(underground)、インフレ(inflation)、エアコン(air conditioner)、コンビニ(convenience store)、スーパー(super market)、セコハン(second hand)、デパート(department store)、デマ(demagogue)、テレビ(television)、ノート(note book)、パソコン(personal computer)、ハンカチ(handkerchief)、ビル(building)、ボールペン(ballpoint pen)、ミシン(sewing machine)、リモコン(remote controllerまたはremote)など列挙すると切がありません。

 

4.野球関連の創作英語

 

ストライクとボールの数を言う順番が日米で逆である以外にも、かなり多くの和製英語があります。

 

アウトコース/インコース(outside/inside)、ショート(short stop)、デッドボール(hit by a pitch)、トップバッター(leadoff man)、ナイター(night game)、フォアボール(ball fourまたはwalk)、ランニングホームラン(inside-the-park home run

 

5.自動車関連の創作英語

 

意外にたくさんあります。

 

ウインカー(blinkerまたはturn signal)、エンスト(stall)、オープンカー(convertible)、ガソリンスタンド(gas station)、クラクション(car horn)、サイドブレーキ(parking brake)、スリップ(skid)、ナンバープレート(license plate)、パンク(flat tire)、ハンドル(steering wheel)、バックミラー(rear-view mirror)、フロントガラス(wind shield)、マイカー(private car)、モーターバイク(motorcycle

 

6.ゴルフ関連の創作英語

 

余り多くはありませんが、それでも注意したほうが良い言葉があります。

 

アゲインスト(head-wind)、オーバードライブ(out drive)、ショートホール(par 3 hole)、ドラコン(longest drive)、ナイスショット(good shot)、二アピン(closest to the pin)、パーオン(green in regulation)、フォロー(down-wind

 

7.商品名

 

ウオークマン(walking man)、エレクトーン(electronic organ)、シャープペンシル(mechanical pencil)、ファミコン(family computer)、ポケットベルまたはポケベル(pager)、ホチキス(stapler

 

番外として、日本語になった英語以外の外来語をいくつか付け加えましょう。

 

ズボン(仏語のjupon)、カルタ(ポルトガル語のcarta)、アベック(仏語のavec)、アルバイト(独語のArbeit)、アイスバーン(独語のEisbahn)、パン(ポルトガル語のpa ~o

 

日本では、言葉が言霊と呼ばれて、一度発した言葉には霊的な力が宿ると信じられていました。そして良い言葉は良いことを呼び、悪い言葉は凶事を招くとされました。西洋社会では真理と論理を伝えるものとして言葉の重要さを教えています。

 

最近になって言葉の大切さを改めて実感しました。アメリカあるいはスコットランドで作られたという詩(作者不詳)「千の風になって(a thousand winds)」が日本語に翻訳されて歌(テノール歌手秋川雅史氏が人気)になり、映画にも取り上げられて注目されています。この詩には言葉が持つ美しさと強い力を感じることができます。日本語訳がいくつか発表されているなかから、代表的な二編の訳詩を下記のURLで味わってください。

 

新井満氏「千の風になって」(日本語訳と歌の試聴) 

同上、秋川雅史氏の歌

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