« 銀座の史跡探訪(前編) | トップページ | 銀座の史跡探訪(後編) »

2007年7月 8日 (日)

銀座の史跡探訪(中編)

みゆき通りを過ぎた6丁目の松坂屋前には明治8年に設立された私塾の商法講習所碑があります。この講習所は明治18年に東京商学校として文部省の管轄下に入り、後に一橋大学になりました。 注)竹橋・一橋散策にも関連の記述があります。

 

2007_06280034 2007_06280037    

余談ですが、みゆき通りは日比谷公園から新橋演舞場までの約1.2kmの道で、明治天皇が皇居から海軍兵学校に行幸されたことが名前の由来です。東京オリンピック前にVAN(アイビー)の服を着崩して紙袋を持つみゆき族が登場した場所としても知られます。東京租界(旧陸軍の敷地が米進駐軍に接収された現在の東京ミッドタウン辺り)の雰囲気に惹かれて集まった六本木族や米軍宿舎であったワシントンハイツの影響で生まれた原宿族とともに昭和30年代の社会現象でした。
 

7丁目のザギンザ(銀座108ビル)横の狭い路地を入ったところにある豊岩稲荷神社は縁結びの神として女性に人気があるようです。銀座通りを一本入った金春(こんぱる)通りからもビルに挟まれた路地で入れます。二つの路地に接してビル工事が進行していますがその影響はないのでしょうか。

 

2007_06280046_1 2007_06280047_1   

 
8丁目の花椿通りから金春通りに入ると再開発ビルの工事現場に金春(こんぱる)屋敷跡の説明が書かれていました。区の説明板は銀座御門通りとの角に立っています。江戸幕府直轄の能役者であった金春家の屋敷が8丁目の6番地から8番地にあったそうです。大変広い屋敷であったことが分かります。当ブログの「東京の地名」の項で金春家について触れました。

 

2007_06280057_1 2007_06280104_1 2007_06280049_1 2007_06280044_1  
   

銀座御門通りに出て銀座通りへ戻ると、高速道路の下に「銀座柳の碑」があります。銀座煉瓦街ができた頃にいろいろな木が街路樹として植えられましたが柳だけが残ったのだそうです。大正10年にイチョウと2007_06280059植え替えられましたが、柳を懐かしむ声が多く、東京行進曲(昔恋しい銀座の柳の歌詞で始まる)がヒットして、昭和6年に柳並木が復活した経緯が書かれていました。カラオケで歌うことがある歌詞の意味をはじめて知りました。ちなみに銀座では柳並木が、この銀座御門通り、1丁目の銀座柳通り、そして外堀通り(銀座1丁目から8丁目までの西銀座通り)にあります。

銀座御門通り沿いの銀座8丁目10番ビルの前で芝口御門跡の説明板を見つけました。6代将軍家宣(いえのぶ)の時、朝鮮使の入府に備えて権威を誇示するために建設されたものだそうです。その先の高速道路出口近く、メガネドラッグの向かい側に三十間堀(さんじっけんぼり)跡の説明板があります。1丁目の三つ橋のところでも触れましたが、京橋川から汐留川にいたる横堀川の幅が当初30間あったことから呼ばれた別称です。戦後に埋め立てられ、東京オリンピックの時に高速道路用地として利用されました。

 

2007_06280061 2007_06280102

|

« 銀座の史跡探訪(前編) | トップページ | 銀座の史跡探訪(後編) »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 銀座の史跡探訪(中編):

« 銀座の史跡探訪(前編) | トップページ | 銀座の史跡探訪(後編) »