西国街道(その3) 桜井駅跡と芥川宿
明智光秀に縁の地を巡る旅のエピローグとして、山崎の合戦で秀吉軍の先鋒として大いに武名をあげた高山右近の居城があった高槻まで足を伸ばすことにしました。
旧西国街道をほぼ辿る府道67号で小泉川に架る小泉橋を渡って山崎宿に入りました。山崎宿は山城国と摂津国の国境にある宿場ですが、史跡はほとんど残っていないようです。
島本町の桜井に入り小さな道標を見つけました。「右 柳谷」、「左 西ノ宮そうじ寺」「右 京 伏見山崎道」と書かれているようです。伏見山崎道とは京市中に入らないで伏見へ至るもう一つの西国街道でした。
伏見では大津へ抜ける街道(奈良街道または大津街道)に繋がる京街道の脇道でもあります。光秀は勝竜寺城を脱出してこの街道を大津へ向かったのです。
すぐ先の公園内に「桜井駅址」の碑を見つけました。律令制度の時代から街道駅があった場所で国の史跡に指定されています。
楠木正成が後醍醐天皇の命により現在の神戸市で足利尊氏を迎え撃った「湊川の戦い」に出陣する時に親子の別れをした場所とされます。”青葉茂れる桜井の里の辺りの夕まぐれ”と唱歌に唄われ、戦前の皇国史観教育に利用されました。同じ公園内に「滅私奉公」と大きく書かれた石像も見かけました。
高槻駅手前で府道67号は旧街道をそれて駅を大きく迂回するルートをとりますが、そのまま旧街道を直進しました。
高槻駅を過ぎた芥川町3丁目の角に「芥川一里塚」がありました。ここから「芥川(あくたがわ)宿」です。200mほど先の右手奥に教宗寺があります。1287年に建立された古い寺で芥川宿の古い絵図にも描かれていたとの説明がありました。
さらに200mほど進むと芥川に差し掛かりました。ここが芥川宿の西端だったようです。現在は、狭い道が複雑に絡み合った信号のない堤防上の五差路のため、車の通行には最大の難所でした。
芥川橋を渡った先の西国街道は一方通行のため進入禁止です。堤防上の道にそれて国道171号へ迂回しました。(続く)
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