京街道(その3) 淀宿
伏見の大手筋通りから国道1号の大手筋交差点を横切って府道13号(旧京阪国道)に入りました。定規で引いたような直線道路を4kmほど進むと京都競馬場です。すぐ先の納所(のうそ)交差点を左折して京阪淀駅へ向かい手狭な駅前にあるコインパーキングに車を停めました。すぐ横の稲葉神社境内の駐輪場にあふれる自転車とバイクの間を抜けると淀城址でした。現在は公園になっています。
それでも内堀の一部と石垣が淀城の様子を残しています。左手に一段と高くなった石垣が天守跡ですが何故か立ち入り禁止になっていました。この城は江戸初期に築城され長く淀藩稲葉家の居城でした。山崎の合戦で使われた古淀城は、この場所ではなく、少し北方の納所付近にあったそうです。名前から連想する秀吉の側室茶々(淀殿、淀の方)の淀城は古淀城を修築したものと伝えられます。淀殿の名は居城であった淀城に由来するものですが後世になって付けられたとする説があります。
淀川の名前の由来は川の流れが遅くて水がよどんでいたことから付けられたと言われています。また地名の淀も室町時代までは伏見の港である伏見津(ふしみつ)と同様に淀津(よどのつ)と呼ばれました。
徳川期の淀城は伏見城や古淀城などを移築して二代将軍秀忠の命によって築城されました。城の周囲を宇治川、桂川、木津川に囲まれた水城だったそうです。
稲葉神社は、妻が春日局となり自身も譜代大名となった稲葉正成を、後に淀藩主となった子孫が祀ったものです。稲葉家は明治になるまで10万石の大名(淀藩主)として約150年も続きました。
現在は堀のほとんどが埋め立てられて当時の水城の様子が窺い知れません。また淀城下を抜けていた京街道の淀宿の史跡は残念ながら何も残されていませんでした。
府道13号は八幡市に入ると左手に大きくカーブして宇治川と木津川を御幸(ごこう)橋で渡ります。今春に背割堤の桜を見に来た場所です。
「岩清水八幡宮」は御幸橋正面の男山にあり、筒井順慶に纏わる日和見の故事「洞が峠(洞ヶ峠)を決め込む」の場所はこの男山の南側、大阪府枚方市との境界にあります。ただし筒井順慶が「洞ヶ峠」まで出陣した事実はなく、明智光秀が合戦前に大和から来るであろう縁戚の筒井順慶を出迎えるために洞ヶ峠まで赴いたようです。(続く)
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