京街道(その1) もうひとつの東海道
国道1号に戻って大津市大谷町の逢坂山関跡碑を見たあと山科大塚交差点から旧奈良街道(大津道または大津街道とも呼ばれる)に入りました。江戸期初頭に延長された東海道(伏見街道)はここから伏見宿を経て大阪へ至ります。
太閤秀吉が晩年に催した「醍醐の花見」で知られる醍醐寺に立ち寄りました。すぐ先の六地蔵宿を抜ければ伏見宿です。
伏見から先は京街道(大阪街道とも呼ばれる)と名前が変わりました。伏見の大手筋通りから府道13号京都守口線(旧京阪国道)で淀城跡がある淀へ。現在は京都競馬場があることで知られます。宇治川と木津川の御幸橋を渡ると今春に訪れた岩清水八幡宮のある八幡市で、ここから京街道は淀川の左岸を枚方・守口へと向かいます。
京街道は秀吉により大阪城と淀城・伏見城を結ぶ最短ルートとして淀川左岸の堤防道(文禄堤)として建設されました。江戸時代に入ると幕府の公用道路として参謹交代の大名も利用しました。経済的地位が高まった大阪を重視した幕府は、それまで三条大橋を終点としていた東海道を大阪まで延長して、京街道が東海道として正式に認められました。これにより東海道53次は伏見、淀、枚方、守口の4宿が加わって57次となりました。しかし京都や大阪では東海道とは呼ばれず、京街道あるいは大阪街道の名がそのまま使われています。東国の徳川家康よりも太閤秀吉の方に親しみを感じていたからかも知れません。
残念なことに京街道の面影を残す景観はかなり失われていますが、枚方市では京街道筋を整備するとともに道標や案内板を設けて散策しやすくなっていました。
守口市でも同様によく整備され、旧京街道の碑、文禄堤跡、本町一・二丁目の町並みが残っていました。大阪市内では大阪城京橋口近く、京街道の終点である京橋の袂にある日本経済新聞社裏手に大阪城の石垣遺構が保存されていました。なお東海道の終点は後年になって京橋から高麗橋まで延長されます。
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