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2008年2月に作成された記事

2008年2月29日 (金)

大山道探索: 伊勢原市(その1)

小田急の踏み切りを渡った愛甲石田交差点で国道246号と合流しました。500mほど先の石田交差点から左手の大山道に下りました。

 

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農地と住宅が混在する道を進んだ小金塚バス停近くの交差点角に道標を見つけました。彫面の風化がかなり進んでいます。右側の「東 厚木町ニ至ル」は何とか読めますが左側は一部が欠落していて判読が困難です。「○○渡船場ニ至ル」と彫字されているように見えました。

 

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小田急と国道の間をジグザグに進むと右手に白金地蔵がありました。子宝地蔵であることが説明されています。

 

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県道22号の新道を横切ると旧県道に行き当たります。ここが粕谷下宿です。宿場の雰囲気がまだ残っています。普済禅寺に参拝しました。不動明王と六地蔵を過ぎた石造多宝塔(高さ約7m)の背景に大山が見えます。粕谷上宿の交差点を左折しました。

 

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道灌橋を渡ったところで車を停めました。1台分ほどの駐車スペースが橋の袂にあります。渋田川の細い土手道を100mほど入った左手が整備されて綺麗になった太田道灌の墓(首塚)でした。道路の反対側は太田道灌の菩提寺である大慈寺です。非業の最期を遂げたこの武人は縁のある地でいずれも人気が高く、道灌の像が伊勢原市役所前、新宿中央公園、日暮里駅前、有楽町の東京国際フォーラムなどにあるようです。私は川越市役所前で見た「太田道灌公像」を思い出しました。

   

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大山道の粕谷上宿に戻った高部屋神社には「梵鐘」と「けやきの巨木」があります。梵鐘の説明書きによれば至徳3年(1386年)に造られたもので神奈川県指定重要文化財でした。けや木は伊勢原市指定保存樹木の表示があります。下糖屋(かすや)交差点で国道246号を横切りました。(続く)

 

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2008年2月27日 (水)

新田義貞の鎌倉攻め(後編)

分倍河原と関戸の古戦場を巡った後はもう少し鎌倉街道を辿ることにしました。多摩市役所前を過ぎた乞田(こった)交差点を右折、愛宕交番前交差点から南下して貝取(かいどり)を経て恵泉女学園前の交差点から細い山道に入りました。一本杉公園横を抜けると中宿バス停の先が小野神社前です。これは鎌倉裏街道であって鎌倉街道はもう少し西方の南野(みなみの)を通っていたとする説もあるようですが、多摩ニュータウンの開発などで七国山周辺など一部を除くと旧街道の痕跡が失われてしまいました。いずれにしても丘陵地帯を通る旧鎌倉街道を車で正確に辿るのは困難です。

 

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小野路で現在の鎌倉街道(都道18号)に入り、菅原神社の先で都道3号へと直進すると町田市役所前で町田街道(都道47号)に行き当たりました。この日の鎌倉街道の旅はここが終点です。

 

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日を改めてもう一つのルートも辿ってみました。「大山道探索」で触れた菅原神社から成瀬を経由する鎌倉街道の東ルートです。現在の鎌倉街道(都道18号)と鶴川街道(都道3号)が合流する三叉路脇にある菅原神社を出発して鶴川街道に入り、日向台交差点で右折しました。南大谷の天神社を過ぎて坂道を上ると成瀬に入ります。

 

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峠の切り通しで右手の細い道に入ると「かしの木山自然公園」です。車にはちょっと厳しい道です。ゲートのすぐ内側を左に入って行く小道が「鎌倉古道」であると説明されていました。ハイキングコースの山道のように見えます。公園内を横切って南口へ伸びているようです。

 

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成瀬台入口交差点を右折して、さらに成瀬センター前で右折して鞍掛まで迂回しました。鞍掛バス停近くに車を停めて、先ほどの公園の方角に歩き始めました。急な斜面が宅地化されているために鎌倉街道(古道)が見つかりません。車に地図を置き忘れて山勘で歩いたために丘を迂回する道に入ってしまったようです。少し戻って尾根道と思われる高みへと向いました。宅地造成で造られた道とは違う道に入りました。これかなと思いながら歩くと右手に小さな公園と石碑があります。近寄ってみると目当ての「鞍掛の松公園」でした。

 

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その先は急な下り坂になってかしの木自然公園に真っ直ぐ続いているようです。ここで引き返しました。右手に町田の市街地越しに大山が見えます。右下へ一段下がったところに細い道があることに気づきました。公園内の鎌倉古道とよく似た細い道が傾斜地に伸びています。確信を得てその道を辿ることにしました。折れ曲がりながら住宅地の中を下りて行きます。

 

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恩田川の旧高瀬橋に行き当たりました。この先は鎌倉古道が途絶えているようですから、地図を頼りに進むことにしました。松葉矢戸公園近くの踏み切りでJR横浜線を渡りました。

 

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金森図書館の先の公園に沿って尾根道を進みましたが行き止まりの標識があり、南中学校入り口交差点で町田街道(都道141号)に出ました。南中学校東交差点の少し先で右前方へ入る脇道は旧道でしょう。一方通行のようですから町田街道をそのまま進みます。小川交差点で旧道が合流しました。小川原交差点で右に入る道があります。地図で確認すると、すぐ先を真っ直ぐ南下して国道16号の先でニトリ近くの一里塚へと向っています。辿ってみたいのですがやはり一方通行のようですから断念しました。小川原交差点を直進すると国道246号の町田辻交差点です。ここが鎌倉街道東ルート探索ドライブの終点です。

 

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鎌倉街道は一里塚の先の大ヶ谷戸で大山道と交差して日帰り湯「湯楽の里」がある瀬谷に入り、国道467号と環状4号(県道18号)の間の境川に沿って藤沢市村岡へ南下して鎌倉に至ります。新田軍は化粧(けわい)坂切通し極楽寺切通し巨福呂(こぶくろ)坂切通しの三手に分けて攻めますが鎌倉幕府軍の防備が固いため、義貞は化粧坂から転じた稲村ヶ崎の海岸線を突破して鎌倉市中に攻め入りました。□

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2008年2月26日 (火)

新田義貞の鎌倉攻め(中編)

2008_02160002 多摩川沿いの分倍河原(ぶばいがわら)と関戸の両古戦場跡を訪れました。出発地は府中市大国魂神社近く、都道18号(旧鎌倉街道)の始点である府中本町です。JR南武線の陸橋を渡り、税務署角交差点を北へ入った分倍河原駅前に新田義貞の騎馬像がありました。鎌倉がある南方を見据える躍動感に溢れた像です。

 

さらに旧鎌倉街道を辿りました。分倍河原の戦いは多摩川北岸の一帯で行われたそうですが、分梅町で中央自動車道を潜った分梅橋交差点近くの新田川(しんでんがわ)分梅公園に古戦場跡の碑が建っていました。新田家の末裔である新田義美男爵の筆による石碑です。ここで旧鎌倉街道(分梅道)は新田川緑道とも交叉しています。

 

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蛇足です。分倍河原の「分倍」は地名として珍しいのですがその由来は定かではないそうです。分倍は「分梅」あるいは「多摩川の氾濫が多いので口分田(農民に割り当てる田んぼ)を倍にした」とする説があるようです。また新田川は耕地が開発された時の用水で新田義貞とは関係がないそうです。「風雲急を告げる」ように黒雲が出現して急に周囲が暗くなり、不気味な雰囲気が漂い始めました。

 

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分倍河原の戦に勝利した新田軍は幕府軍を追って多摩川を渡りましたがその渡河地点は定かではないそうです。恐らく広い範囲で川原を渡河したのでしょう。現在は多摩川北岸にはマンションが建ち並んでいます。対岸の多摩市では多摩川の断崖が迫り、左手は桜ヶ丘カントリークラブ、右手のビル街は京王線聖跡桜ヶ丘駅周辺です。
 
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多摩川の南岸で行われた関戸の戦いも前述したように新田軍が大勝して、鎌倉幕府軍は壊滅的な打撃を受けて敗走することになりました。関戸大橋で多摩川を渡り、多摩市の新大栗橋交差点から右手の旧鎌倉街道に入りました。大栗川を渡ると右手に関戸古戦場跡の地蔵堂があります。周辺には関戸の戦にまつわる史跡が残っているようです。

 

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さらに進んだ観音寺と熊野神社にも立ち寄りました。熊野神社では霞ノ関のものと推定される南木戸柵が発掘されました。境内には観音寺周辺にも北木戸柵があったと推定されると説明されています。

 

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鎌倉期までは東山道武蔵道であった鎌倉街道「上道(かみつみち)」の関戸が霞ノ関の有力候補と考えられますが、明確な記述が残っていないため、大山道と一部重複する鎌倉街道「中道(なかつみち)」にも千代田区霞が関や新宿区四谷の大木戸などの候補地があります。右下の写真は観音寺です。(続く)

 

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2008年2月25日 (月)

新田義貞の鎌倉攻め(前編)

「大山道探索」の旅がいよいよ終盤に差し掛かりました。一気にゴールしたいところですが下鶴間宿で見た「新田義貞軍の鎌倉進撃路」と「鎌倉街道」に興味を惹かれ道草を食うことにしました。

 

事前情報として調べてみました。新田義貞は上野国(群馬県)新田荘に土着した清和源氏の一流である上野源氏宗家の出自ですが没落御家人として無位無官でした。鎌倉幕府に冷遇されていた義貞は後醍醐天皇の命に従って挙兵したと伝えられます。これとは対照的に下野(栃木県)源氏である足利氏は、平氏の一派である北条氏が実権を握った鎌倉政権へ積極的に協力することで政権内での地位と「源氏棟梁」の立場を確立しました。しかしその足利氏も所領を取り上げられるなど政権との関係が微妙になって行きます。元寇を期にほころび始めた政権に対して反旗を翻した背景はこのように新田義貞と足利尊氏では異なります。

 

2008_01300124_2当初、新田義貞の手勢は少数(150騎とも伝えられる)でしたが、源頼朝が蜂起した時と同様に、進軍するにつれて合流する兵が次々に加わって3万の規模にまで膨れ上がり、利根川と入間川を渡った小手指原(埼玉県入間市)で幕府軍約6万と衝突します。当初は劣勢でしたが反幕府勢力の加勢で幕府軍を分倍河原(東京都府中市)まで敗走させました。10万の追加派遣で勢力を盛り返した幕府軍に一度は敗れるものの、新田軍も援軍を得て幕府軍を打ち破り、さらに多摩川を渡った関戸(多摩市)でも大勝して幕府軍を敗走させます。

 

その後は鶴間を経て藤沢まで鎌倉街道を一気に南下、鎌倉入りの壮絶な戦いにも勝利し、挙兵から僅か15日で鎌倉を攻略しました。正に破竹の勢いです。「いざ鎌倉(すわ鎌倉)」時に御家人が駆けつけるために造られた鎌倉街道が倒幕のために使われたのは皮肉です。

 

この功績で新田義貞は正四位下左近衛中将の官位を与えられました。一方の足利尊氏は京の六波羅探題(幕府の出先機関)を落とした後は鎌倉に拠点を構えて政権樹立の動きを示しました。このため義貞は後醍醐天皇から尊氏の追討を命じられて東進しますが尊氏軍に敗れて京まで敗走することになります。しかし楠木正成(まさしげ)などと連携することで京に攻め上った尊氏を打ち破ります。

  

九州へ逃れた尊氏は半年で勢力を盛り返し、水軍を仕立てて瀬戸内海を京へと攻め上りました。義貞は湊川(神戸市)でこれを迎え討ちますがまたもや敗れて京へ敗走します。京を占領した尊氏は義貞の処刑を要求。後醍醐天皇は再起を期して親王とともに義貞を北国に逃しましたが、2年後に義貞は越前国(現在の福井市)で足利軍との戦に敗れて戦死します。鎌倉幕府討伐のために挙兵してわずか5年後でした。

 

後醍醐天皇はこのように鎌倉政権(北条氏)に不満を持つ新田氏や足利氏など源氏の力を利用することで鎌倉政権を滅ぼして「建武の新政」(建武の中興)を成就しましたが、その後に表面化した新田氏と足利氏の対立に上手く処することができず建武の新政は3年で瓦解します。

 

室町時代には朝敵として新田義貞の子孫が討伐対象とされましたが、徳川家康は新田氏の末裔(源氏の系譜)と称し、明治になると皇国史観から新田義貞が最高位の「贈正位」に叙されるとともに子孫には従位の官位が与えられ華族として男爵に叙されています。同じく「贈正一位」に叙された楠木正成は、真っ先に倒幕の旗揚げをしたことと無謀な戦いと知りつつも後醍醐天皇の命で湊川に赴き戦死したことで忠臣の誉れが高いこととに比べると新田義貞の評価は分かれます。義貞の戦勝はいずれも加勢によるもので武将としては凡庸であるとの批判です。一時は実力を超えて時流に乗ることで鎌倉幕府を倒したもののライバルの足利尊氏に敗れた悲運の武将です。

 

当ブログでは京都と西国街道の記事で足利尊氏「室町幕府」と楠木正成「桜井駅」に触れています。次回は新田義貞の鎌倉進撃路を辿ります。(続く)

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2008年2月23日 (土)

大山道探索: 大和市から厚木市へ(完)

三嶋神社に入る路傍に矢倉沢往還の新しい石標があります。神社前の道からゲートボール場の横を抜けて相模川の堤防に出ました。昔、岡田にも渡船場があったそうです。

 

 
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大山道は旭町4交差点から左手に入ってソニー厚木工場の前を進みます。岡田一本杉のバス停近くの右手に馬頭観音がありました。一本杉は残っていませんが欅と銀杏が両側に残っています。
 
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東名高速道路を潜ったリバーサイド入口交差点の先の丁字路を右折しました。県の重要文化財に指定されている不動明王立像がある法雲寺の薬師堂脇に酒井の道標があります。上部に不動尊が乗っていました。丁字路の角から移されたそうです。
 
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県道601号、国道129号、相模川支流の玉川を横切る県道604号(愛甲石田酒井線)で東名高速の厚木ICを回り込むように進みました。
 
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片平交差点で小田原厚木道路の下を潜り、道なりに左カーブします。暗渠化された旧玉川の玉川橋を渡った右手に庚申塔を見つけました。庚申塔の
右側に江戸 青山 あつぎ道」、左側に「大山道」と書かれています。
 
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円光寺を過ぎると
宿愛甲(しゅくあいこう)の交差点です。この左角にも笠付きの庚申塔がありました。かなり痛んでいますが「右 大山道」と読めます。
 
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この交差点から愛甲石田駅に向いました。
右折するとすぐ左に入る道があります。迷いながら通過すると前方は小田急の陸橋へと上って行きます。渋滞していることが幸いして左手にある道標のようなものが目に入りました。

 

 
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思い切って脇の細い路地に入ると道標を兼ねた愛甲坂の不動尊でした。「
右 日向道」「左 大山道」と書かれた側面には享保十八年と書かれています。享保は徳川吉宗が将軍となった時に改元された元号で、吉宗が行った享保の改革がよく知られています。偶然ですがこの道が正解でした。細い道を抜けた愛甲石田駅前が厚木市と伊勢原市の境界です。
 
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厚木市には大山に近い七沢や飯山に温泉が多く、当ブログでも飯山温泉の「元湯旅館」と七沢温泉の「元湯玉川館」などを紹介しています。国道246号脇の日帰り温泉「ほの香」もお勧めです。

 

 

 

今回は大山道探索の途中で見かけた海老名市の日帰り温泉を選びました。相鉄かしわ台駅近くの「かしわ台スクエア」に相鉄の子会社が2004年にオープンしたスーパー銭湯「ゆめみ処 ここち湯 海老名店」です。厚木から大山道を海老名市まで戻りました。赤坂の道標の先の信号を左手に200mほど入った場所です。海老名市では珍しい天然温泉で入館者が多くて混雑していました。入館料(平日)は750円(時間制限なし)です。

 

 
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館内施設はスーパー銭湯として平均的で、内湯には4種類のジェットバス、泡風呂と電気風呂、循環型天然温泉、そしてサウナ風呂があり、露天スペースには天然温泉(循環型)の壺湯、源泉掛け流しの小さな岩風呂「ここち湯」と循環型の「ぬくもりの湯」「まどかの湯」、普通の湯の寝湯「ゆめみの湯」、寝転び湯「うたた寝の湯」、「薬蒸洞(薬草スチームサウナ)」などと多彩です。天然温泉の泉質はナトリウム塩化物温泉(高張性・弱アルカリ性・温泉)です。浴槽の湯は緑がかった黄色でなめるとショッパイ味がしました。源泉の温度は37.7度です。

 

 

 

畳敷きの休憩コーナーは16畳ほどで広くはありませんが横になってリラックスできるのがありがたいです。源泉の湯で熱った身体をしばらく休めました。広い食事処は麺類が中心で気軽に利用できます。源泉掛け流しの露天風呂と休憩コーナーが狭いことを除けば、上質のスーパー銭湯で人気があることが頷けました。

 

 

 

<同行者のコメント> やっと厚木まで来ました。東名を走れば30分くらいなのにどうして狭い道ばかり走るのでしょう。それに時々見過ごしたと引き返したりしますから同乗しているだけでも大変です。温泉では源泉のお風呂にずっと入っていました。いつも湯上りに食べるソフトクリームも良かったです。そして「名古屋」さんのお蕎麦も。□

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2008年2月22日 (金)

大山道探索: 大和市から厚木市へ(その4)

JR相模線を過ぎると相模川が近い河原口交差点です。現在の国道246号とは2km以上も離れています。道なりに左折してから厚木駅手前のあゆみ橋入口交差点を右折しました。あゆみ橋の手前から相模川の堤防を北上します。

 

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河原口のこの辺りに渡し場があったようですが今はそれと分かるものは何も残されていません。土手に八大龍王の碑を見つけました。八大龍王は雨を降らせる神様で大山(雨降山)の神様の一つと言われ、雨降山大山寺(あぶりさんおおやまでら)の倶利伽羅堂だけではなく全国各地で祀られているそうです。小鮎川と中津川がすぐ上流で合流する相模川のアーチ型が美しいあゆみ橋を渡ります。

 

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東町郵便局前交差点を右折して渡船場に向いました。堤防の脇の道が合流する場所に厚木渡船場跡の石碑が建っています。この辺りが厚木宿の上宿でした。江戸から13里の行程です。大山道(矢倉沢往還)のほかに信州萩野甲州道や八王子平塚道が行き交う交通の要衝だったそうです。

 

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県道601号(酒井金田線)を南下しました。郵便局前交差点を過ぎると厚木神社です。本殿の左手には厚木稲荷神社、境内奥の土手際には
史跡「烏山藩厚木役所跡」碑がありました。「渡邊崋山滞留の地」碑の先で小田急のガードを潜ると仲町バス停です。ここが仲宿でしょうか。

 

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最勝寺を過ぎた熊野神社には銀杏の巨木と厚木市の文化財案内板がありました。幕末の厚木宿の写真で当時の様子が分かります。道の中央に水路があるのが厚木宿の特徴と説明されています。そして地図には二つの大山道が描かれています。それによると大山道はすぐ先の下宿から西へ一直線に向い、もう一つは旧国道246号で手前の郵便局前から中央通り(県道43号)で国道246号の水引交差点(立体交差)を抜けて、二つが恩名仲町辺りで合流していると表記されています。

 

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これは困りました。事前の調査ではもう少し南の酒井の一本杉を経由することになっていました。ここは宿場の周辺に脇道があっても不思議ではないと割り切り、この地図で矢倉沢往還と表記されたルートに従うことにしました。

 

下宿バス停の手前を左手の路地(旧道と思われる)に入ると馬頭観音があります。この路地は100m余りで表通りに出ました。旭町4交差点の右角に「きりんど橋」の石碑を見つけました。変わった名前です。熊野神社前の観光案内板には、ソニーの工場前にあった厚木用水に架けられた橋で、用水の堤に桐が植えられていたことから「桐辺橋(きりべばし)」、後に「聖代橋(きりんどばし)」と呼ばれるようになったと説明されていました。ここが厚木宿の外(はず)れです。(続く)

 

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2008年2月21日 (木)

大山道探索: 大和市から厚木市へ(その3)

伊勢山遊歩道の案内板に従って国分寺跡へ向いました。講堂跡の碑が建つ広い原っぱのような場所に石の土台が残っています。

 

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大山道に戻って温故館にも立ち寄りました。大正時代に建てられた村役場で現在は郷土資料館になっているそうです。

 

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国分寺跡の石碑と説明パネル、そして「国分の辻石塔群」がありました。
 

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中門跡、金堂跡、七重の塔跡があり、さらに後方には先ほど立ち寄った講堂跡や僧坊跡などが並ぶ往時の国分寺の規模が分かります。

 

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県道の反対側にある  現在の国分寺(薬師堂)を訪れました。参道の大欅が見事です。

 

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国分寺跡に立ち寄った時に案内を見かけた「国分寺そば」で昼食にしようかと思っているうちに海老名市の繁華街に入っていました。ここはいつ通っても渋滞する場所です。駅前を通り過ぎて小田急の陸橋を越えます。陸橋の高みから見る大山はぐっと近くなったことが分かります。ふと右手を見ると「そば処名古屋」の看板が目に入りました。

 

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興味が湧いて陸橋下で右折しました。店舗の左手の駐車場に車を停めると先客が裏口のような小さな入り口から入って行きます。我われも従って店内に入りました。古民家風の内装や和紙を使った照明は珍しくありませんが歌舞伎絵や古時計がいくつも掛かっているのはユニークです。なかには正確な時間を表示しているものもあります。

 

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私は鴨南蛮そば、同行者は豪華な「大名せいろ」を注文しました。細めで更科風の蕎麦は期待通りの美味しさです。肉厚の鴨肉が一杯入っているのも嬉しい。何よりも気取らない蕎麦が良い。同行者も盆に載せられた何種類もの蕎麦が気に入ったようです。勘定を払う時に同行者は店名や内装について女将さんらしき人を質問攻めにしています。

 

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後で同行者から聞くと、店名は経営者の名前ではなく、名古屋出身の先々代が日本橋でそば屋を開店した時の屋号だそうです。現在は暖簾分けされた店が横浜市や埼玉県に数店舗あること、内装はレストランだった店舗を和風に改装する時に地方から材木を取り寄せて現場で細工したため少し変なところがあるとも。そう言えば梁と柱が上手く勘合していないのが不思議で、てっきり古民家を移築したのであろうと思っていました。そばと具にボリューム感があるのは名古屋出身の店だからでしょうか。(続く)

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2008年2月20日 (水)

大山道探索: 大和市から厚木市へ(その2)

上草柳(かみそうやぎ)の「泉の森公園」横にある三叉路を右に進みました。左手は旧国道です。大山道は西鶴寺前から南西へ一直線に伸びています。

 

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国道246号に行き当たりました。車は左折しかできませんので、上草柳交差点に戻ってUターン、ひばりが丘高校前交差点を左折して大山道に戻りました。相鉄のさがみ野踏み切りを渡り、右手に大山を見ながら尾根道のような大山道を進みました。

 

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下り道になった赤坂で不動明王座像道標をみつけました。道標には「左 大塚 原町田」「右 国分 厚木」と表記されています。左手に入る道が古東海道と言い伝えられるとの説明がありました。望地(もうち)交差点で旧国道(現在は県道40号横浜厚木線、通称厚木街道)に入りました。

 

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昭和40年代までは大和市山王原から鶴間駅前、大和市上草柳(かみそうやぎ)、相模大塚、そして厚木市厚木までが国道246号でしたが、現在は大きく北へ迂回するバイパスが国道246号になっています。ただし上草柳と相模大塚の間だけはなぜか国道246号のままです。昭和40年代には旧道が鶴間駅から海老名駅までの区間で何度も折れ曲がりながら厚木基地の近くを通っていたことを思い出します。

 

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三叉路を右手に入ると旧国分宿です。江戸から
14里の行程です。交差点に逆川(さかさがわ)の石碑と目久尻川の石橋の石材が保存されていました。

 

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伊勢山大神宮の名を見かけて右折しました。鉄製の階段が珍しい。この一帯は伊勢山と呼ばれているようです。(続く)

 

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2008年2月19日 (火)

大山道探索: 大和市から厚木市へ(その1)

大山道は鶴瀬橋で境川を渡ると大和市下鶴間の「下鶴間宿」に入りました。

 

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宿場の入口に鶴間山観音寺があり、大山阿夫利神社の分霊を祀る神社には「相州鶴間村宿」と「新田義貞公鎌倉進撃路」の石碑が並んでいます。上野国新田庄(こうずけのくににったのしょう、群馬県太田市)で挙兵した新田義貞(にったよしさだ)が鎌倉街道にそって一直線に南下した時に大山道と交差した場所です。府中市の「分倍河原の戦い」で北条軍を打ち破った直後でしょう。

 

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交差点の左角には下鶴間ふるさと館として再現された高札場、小倉家の母屋と土蔵、明治初期の下鶴間宿の写真があります。

 

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右手には黒塀と土蔵が残る旧名主の長谷川邸、下鶴間不動尊、鶴林寺が並び、坂を上り詰めた山王原には日枝神社(山王神社)があります。矢倉沢往還と滝山街道の石碑の横に庚申塔も祀られていました。

 

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滝山街道は鎌倉の玉縄城と八王子の滝山城とを連絡する道で、鎌倉時代に北条氏が領国を支配する上で重要な道の一だったそうです。いわゆる鎌倉街道の一つです。八王子から青梅までの街道も滝山街道と呼ばれていますがこれとは別の街道です。

 

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住宅地の中をほぼ一直線に伸びる大山道を進むと小田急江ノ島線の鶴間駅の手前で旧国道と合流します。30年以上も前に旧国道246号の渋滞のメッカであった小田急線の踏み切りは今も健在でした。(続く)

 

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2008年2月17日 (日)

寒い夜にはマンボとチャンコ鍋で

飲み会の夜は今年の冬一番の冷え込みとなりました。新宿駅南口を出ると人だかりが出来ています。通りがけに覗くと座り込んだギタリストがアップテンポの曲を演奏しています。うつむいた顔にかかる長髪はふた昔前の若者の雰囲気です。聴衆に混じってそのテクニックに聴き入りましたが「大事な使い」があることを思い出しました。演奏の準備をするグループの前を抜けて駅の東南口に向かうと、もう1組のストリートミュージシャンが演奏しています。

   

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目的地はフラッグス・ビル7-10階)にあるタワーレコード新宿店です。先ず7階のフロアを見て廻りましたが溢れるCDの中からとても見つけられません。

 

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インフォメーションで聞くと担当の男性がフロア奥にあるカウンターで女性スタッフに訊ねています。てっきり棚に陳列されているものと思いましたが、通路脇に置かれたワゴンセールのように派手な飾り立てをしたラックに案内されました。タモリさんの「タモリ」やみうらじゅん&安藤肇さんの「勝手に御当地ソング」のCDと一緒に並べられた目当てのCD、東京パノラママンボボーイズの「マンボインペリアル」です。

 

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名前からして何やらB級の雰囲気ですし、ジャケット も盆栽にマンボを演奏するフリフリ袖の人形をあしらった絵柄です。122日からこの店で先行発売されたのだそうです。メンバーのゴンザレス鈴木さん(プロデューサー兼マン盆栽家元)、パラダイス山元さん(元カーデザイナー、公認サンタクロース)、DJコモエスタ(スタイリスト兼美容師)はいずれもユニークな経歴の持ち主です。

   

タイトルの「マンボ インペリアル」は発売元のインペリアルレコード(テイチク傘下)に因んだのでしょう。DJ2人のパーカッションの構成は世界唯一の「パノラマスタイル」と説明されていますが意味不明です。どこまでが洒落なのか良く分からないグループです。

   

2008_02140021_3 「お使いの買い物」を無事に終えて南口に戻ると先ほど準備中だったグループの脇で警察官が書類に何やら書き込んでいます。グループメンバーは機材の撤収を始めました。先ほどのギタリストの姿はありません。寒風に吹かれながら一生懸命演奏していたのにと気の毒になります。

    

今回の飲み会はいつもの新宿ではなく両国です。総武線両国駅西口前の国技館は人の気配が無いために櫓と幟(のぼり)が寒々しく感じられます。総武線ガードの南側に「横綱土俵入り像」(ブロンズ製)が在りました。台座には照国や先代若乃花など有名力士の手形が並んでいます。写真は照国の手形です。

   

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飲み会の会場は訪れるのが2回目の「ちゃんこ霧島」です。8階建のビル全体(2階の事務所と5階のバーを除く)がちゃんこ屋になっています。4階に案内されました。ちゃんこ鍋を突きながら呑む焼酎が進んでいつもより速い時間に一次会は終了です。

   

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そして二次会は定番になったスイーツです。駅前のザ・ホテル ベルグランデ1階にある「カフェローザ(CAFE ROSA)」で別腹だとばかりにケーキやパフェを食べる仲間の健啖家(けんたんか)ぶりには閉口です。

 

帰宅すると待ち構えていた同居者はCDを奪い取るようにしてラジカセに入れました。期待した通りのマンボだとご満悦です。実は今年再結成された「知る人ぞ知る」の著名なマンボバンドなのだそうです。いやはや!

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2008年2月14日 (木)

大山道探索: 横浜市の巻(完)

2008_01300120_2そのまま町田市辻交差点を抜けると大山道(旧国道)は左手にそれて行きます。

 

国道16号の東名入口交差点を右折して少し寄り道をしました。家具とインテリアの専門店「ニトリ」の南側に4-5mの高さがある小山がありました。鶴間の一里塚です。

 

小山に登ると頂きに武州御嶽山の大口真神が祀られています。この場所は大山道や下鶴間を通っていた鎌倉街道とも離れていますから関係はなさそうです。

 

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気に掛かかりますのであとで調べてみました。この一里塚のことを説明する記事や資料は多数ありますが、どの街道の一里塚なのかに言及するものは見つかりません。あれこれ調べた結果、やっと一つの文献に辿り着きました。それによると横浜市瀬谷区瀬谷から町田市本町田の区間は古鎌倉道(鎌倉往還)に東ルートと西ルートの2つがあったそうです。つまり町田市成瀬を経由して恩田川に沿って進む東ルートの一里塚(鶴間の大塚)であるとしています。

 

2008_02020018_2国道246号を挟んで横浜道祖神の反対側、町田南つくしの郵便局とBMW販売店の間にある「町田道祖神」にも立ち寄りました。

  

並んだ二つの町田道祖神はいずれも戦後になって建てられたもので、小川部落あるいは小川辻と記されています。小川辻は馬の背とともに旧南多摩郡南村小川(現在のつくし野)の地名だったようです。

 

旧国道は町田市鶴間の円成寺(聖徳太子立像がある)を過ぎると国道246号に合流して山王原へと南下します。

 

 

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大山道は合流地点の手前で右に折れて大和市下鶴間に入って行きますが国道で分断されたために進むことができません。下鶴間へ向うには目黒交差点まで迂回して右折する必要があります。旧国道が国道246号と合流する左手の公園に「五貫目道祖神」が祀られていました。道路工事のために境川の鶴瀬橋の袂から現在の場所に移設されたそうです。「横浜市の巻」(町田市を含む)はここが終点です。

  

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横浜市内の大山道は市が尾長津田の周辺が直線的なルートに変更された国道246号とは少し離れているためにその痕跡が残っていますが、それ以外の区間はほとんど国道と同じルートであるために却って大山道の跡は残されていません。田園都市線が開通したことで宅地化が進んだことも大山道が失われた原因なのでしょう。

  

大山道探索のあとは定番の日帰り温泉です。目黒交差点を左折して国道16号に入り、さらに海軍道路入口交差点から県道14号(環状4号、通称海軍道路)へ右折しました。約3kmの海軍道路沿いには旧帝国海軍の貯蔵庫と瀬谷駅を結ぶ鉄道線路がありましたが、戦後になって線路が撤去されて一直線の道路だけが残りました。

 

周辺が一面の野原と畑だけなのは、最近まであった米軍の瀬谷通信所への電波雑音を避けるための緩衝地に指定されていたからです。現在はその機能が横田基地や三沢基地へ移転されて上瀬谷支援施設となり、敷地の一部は海軍広場として一般に開放されています。

 

桜並木の名所として知られる海軍道路を南下して瀬谷駅を過ぎた横浜市瀬谷区橋戸にある「湯楽(ゆら)の里横浜瀬谷店」に立ち寄りました。

  

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2003年にオープンしたスーパー銭湯で平日料金は650円です。天然温泉ではありませんが露天エリアにある温泉成分に似せた湯「四季の湯」、「段滝の湯」、「壺湯」、「うたたねの湯」、「寝湯」と多彩な趣向が楽しめます。内風呂には「絹の湯」、「リラグゼーションバス」、「ジェットバス」、「瞑想風呂 珊瑚サウナ」などがあります。

  

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以前、当ブログで紹介した溝口温泉喜楽里(きらり)と名前や雰囲気が似ているのは同じ会社(住宅展示場経営)が関東一円に18店舗展開するスーパー銭湯チェーンの一つだからです。気軽に利用できる綺麗なスーパー銭湯でした。

  

<同行者のコメント> 横浜市の大山道はきれいな住宅地だけでなく狭い道が多くてどこを走ったのかさっぱり分かりません。うちの運転手さんは地図をながめながら苦労していました。意地を張らないでカーナビを取り付ければ良いのにと思います。四国ではレンタカーのカーナビを便利そうに使っていましたよ。一直線の海軍道路で見かけた「狸に注意」のカンバンが面白いと思いました。道路だけでなく温泉も混んでいましたが湯上りのソフトクリームがとても美味しかったです。□

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2008年2月13日 (水)

大山道探索: 横浜市の巻(その4)

旧国道から左手の住宅街に入り、国道246号の宮の前交差点近く、丘の南面にある王子神社に参詣しました。明治初期の神仏分離令で大林寺から分祀された神社であるとの説明があります。

 

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旧国道に戻って南長津田団地と森村学園の間を進むと長津田交差点で国道246号と合流しました。つくし野交差点の左手前にあるマクドナルドの裏手に入る細い道があります。ドライブスルーの入口として使われています。

 

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ドライブスルーの道の左手に第2駐車場へ向う小道が見えます。つくし野交差点の右手に細い道が続いているようですから、おそらくこれが大山道でしょう。国道が切通しとして造られたために尾根伝いの道が途切れてしまったようです。

 

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ドライブスルーの道は右にカーブして国道に出ますが横断はできません。徒歩でつくし野交差点の横断歩道橋を渡りました。交差点で右折する広い道はつくし野の住宅街へ入って行きます。この道路の横断歩道を渡ると斜め前方に入る坂道があります。こちら側から見てもマクドナルド裏手の道と繋がっていたことがイメージできます。

 

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細い坂道を左にカーブしながら上ると真っ直ぐ伸びる尾根道に出ました。大山道の「馬の背」と呼ばれていたそうです。道の両側は急な下り斜面になっています。

 

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右手に大きくなった大山が見えます。すぐ右下は田園都市線の「すずかけ台」駅です。「馬の背」から急な坂を下りると中古外車ディーラー「ビクトリア」の前、東工大入り口交差点で大山道は国道246号に吸収されました。「馬の背」の左手には国道沿いのガソリンスタンドがあります。地形にそってS字型にカーブしていた大山道が国道になる時に切り通しで直線化された好例の一つです。前述した青葉台の周辺も同様です。

 

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国道246号の坂道を上ると高尾橋付近で大山道(旧国道)は右手に反れますが「南つくし野こうま公園」脇で再び国道と合流しました。国道の上り車線に接する道ですから下り車線から入ることはできません。すずかけ台駅前を経由して複雑なルートで公園脇に辿りつきました。この公園には国道246号を走るときにいつも見かける 親子馬の像があります。大山道は先の町田辻交差点まで横浜市と町田市の境界線になっています。

 

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大山道を吸収した国道246号は県道141号(町田街道)の町田市辻と国道16号の東名入口で連続して立体交差しますが下の道に入りました。町田市辻交差点の手前から入った路地脇に「横浜道祖神」がありました。農道のようなこの路地は先にマンションが建っているために行止まりです。大山道かと思いましたが私の早とちりのようです。

 

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横浜道祖神の横に祀られた「辻地蔵尊」(元文5年、1740年建立)は国道脇から拡幅工事のために現在の場所に移されたとの説明書があり、国道の反対側に「町田道祖神」があることと辻という地名を考え合わせると、大山道から集落に入る所に祀られた道祖神なのでしょう。(続く)

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2008年2月12日 (火)

大山道探索: 横浜市の巻(その3)

起伏に従って曲がりくねっていた大山道は田園都市線の青葉台駅周辺が住宅地として開発されたために痕跡はほとんど残っていません。しらとり台交差点の横を過ぎた右カーブの途中を鋭角に折れて左手の路地に入りました。車がやっと1台通ることができる細い道が石塔坂です。左手の高台にある墓地に「宝筐印塔」、国道に出る右手前に小さな「道祖神」を見つけました。

 

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大山道は国道をほぼ直角に横切っていますが車は左折のみです。一旦しらとり台交差点まで戻りました。先ほどの石塔坂の反対側に続く大山道は県道140号(川崎町田線)へ下りるジャンクションのようになっています。この県道の先は恩田川で途切れますので側道を使って国道に戻りました。

 

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片町交差点から旧国道で右前方に入りたいところですが右折禁止です。横浜線のガードを潜った下長津田交差点を右折して旧国道に入りました。ここが長津田宿跡です。丁字路の右手角に片町地蔵堂、旧国道の右側に下宿の常夜燈・馬頭観音など下宿石造物がありました。大山道(旧国道)の拡幅工事が行われています。すぐ先の駅南口入口交差点付近が中宿でしょう。江戸から行程9里です。

 

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交差点の左手は国道との間が広い道路になっています。その中ほどに昨年建替えられた慈雲山大林寺がありました。白壁の塀が映えます。

 

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古い仁王像と似つかわしくない白木造りの山門を抜けて境内に入ると左手が鐘楼、正面にやはり白木造りの新しい本堂がありました。広い境内には道元禅師像と八観音像などのほかに珍しい閻魔大王像(うしろめたさの石像)が祀られています。

 

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交差点を右に入って長津田駅前広場に向いました。すぐ近くに面白い蛙の彫像を見つけました。隋流院(火伏観音)もこの辺りにあるはずですがなかなか見つかりません。車を停めて徒歩で探すことにしました。そして住宅地の中に入口を見つけました。門が閉まっているのは保育園を併設しているからかもしれません。旧国道から入る長い路地のほかに左右からも徒歩で入ることができるようです。

 

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長津田駅南口入り口交差点から旧国道の坂道を上ると右手に大石神社の鳥居と石段が見えました。急な石段を登りきったところが本殿です。右手の女坂を下りる途中に上宿常夜塔を見つけました。(続く)

 

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2008年2月11日 (月)

大山道探索: 横浜市の巻(その2)

田園都市線のガード右手前にある地蔵堂を過ぎて江田駅を回り込むように進むと、大山道は田園都市線と交差して国道246号に接したあと再びガード下を戻ります。この区間は車にとって実質的な一歩通行になっていますので歩くことになりました。この先の大山道は左手に大きく膨らんでいましたが直線的な田園都市線と国道に切り取られて消失しています。線路の右脇の道を進みました。

 

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江田北地区は東急が分譲した美しい住宅地です。南欧風の茶色い屋根瓦と白壁の家が整然と並んでいます。田園都市線がトンネルに入る少し手前で右前方へ入る大山道が現れました。昔は左手から斜めに線路を横切るように伸びていた様子がイメージできます。住宅地の中を左カーブしたあとの三叉路を右手に進み、地蔵堂交差点の手前にある「市ヶ尾竹下地蔵堂」に参拝しました。

 

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交差点を過ぎて左手の脇道へ入りました。猿田坂です。マンションが建設されているために生コンカーが出入りしています。さらに細い道を直進すると県道12号(横浜上麻生線、旧日野往還)に行き当たります。この先は大山道が消失しています。広い道路は右折できませんので一旦左折して戻る必要があります。総合庁舎入口交差点を左折、先ほどの地蔵堂交差点から北側へ膨らんだ現在の道路に合わせて大山道よりも少し上流に架けられた川間橋で鶴見川を渡ります。

 

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柿の木台に向う「大灘の辻」は急な坂道で雨が降ると難儀をしたことから付けられた名前だそうです。右前方の路地に入ります。右手の民家にある「一里榎」(樹齢600年)を通り過ぎてしまい引き返すことになりました。

 

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この先は宅地開発で大山道が300mほど失われています。一里榎と同様に区画整理で現在の場所に移された医薬神社へ参拝しました。「大灘の辻」から新しく造られた道路も急な勾配です。

 

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神社前交差点を通過、100mほど先を右折して大山道へ戻りました。ショートホール専用のゴルフ場を左手に見ながら坂を上ります。藤が丘地区センターから先は下り坂になり、丁字路を左折、国道246号の手前を右手の脇道に入りました。大山道です。

 

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ビバホームと老人福祉センターの間を抜ける現在の再勝坂を上り、ヤマダ電機を半周するように2度左折して国道246号を跨ぐ再勝橋を渡ります。

 

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最初の十字路を右折、急な坂を右折してマンション街を抜けました。バス通りに入って国道の下を潜り、環状4号の青葉台交差点で左折、国道の手前を右手に入って行きます。ここも大山道です。

 

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ビバホームの裏手からここまでの区間は大山道が国道に沿ってうねりながら進んでいましたが、土地開発ですっかり消失したためにこのような複雑なルートで辿ることになりました。さらに大山道は国道沿いの量販店「コジマ」の敷地内を抜けて国道246号を横切っていましたが、この先も大山道は消失しています。コジマと日本料理「青柿」の裏手を回り込み、信号のある交差点で大山道のルートと交差するように左手のブックオフ(しらとり台交差点脇)の裏手を進みました。(続く)

 

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2008年2月10日 (日)

大山道探索: 横浜市の巻(その1)

横浜市都筑(つづき)区牛久保町から大山道の探索を続けます。川崎市との境界にある高台からの展望が良く、中川方面のオンワード総合研究所とボッシュ社の大きな建物が見えました。手入れが行き届いた大きな庭木が建ち並んでいる細い大山道が下り坂になると江戸時代に大山道の休憩所であった旧立場(たてば)の「皆川家」があった皆川園です。現在は造園業を営んでいるようです。

 

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大山道を挟んで皆川園と不思議なコントラストのモダンな住宅が建ち並ぶあゆみが丘分譲地にある急な階段を下りたところに馬頭観音跡碑があります。もとは大山道沿いにあったものが区画整理事業のために現在の場所に移転されたと説明されていました。

 

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大山道は急な下り坂になります。変わった名前の「うとう坂」(別名は物騒な「血流れ坂」)を下りて県道102号(荏田綱島線)を横切りました。

 

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昔、牢屋と刑場があったと伝えられる牢場谷を過ぎて横浜市営地下鉄の高架下を潜りました。地下鉄が地上高くを走っているのは珍しい光景です。青葉区との境界線にそって進むと「不動の滝」がありました。崖にある滝不動の足元から伸びた竹竿の先から細い流れが小さな池に落ちていました。

 

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すぐ横の細く急な石段を上った老馬鍛冶山不動堂に参拝しました。

 

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大山道はその先で行き当たる早淵川を真っ直ぐ越えていたそうですが現在は橋が架かっていません。同行者が左手に不思議なデザインの建物を見つけました。

 

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サハラ夢美術館」の表示があります。サハラ砂漠と何か関係があるのでしょうか。後で調べると画家の佐原さんが開設したギャラリーでした。早淵川の200mほど下流にある「鍛冶橋」を渡りました。

 

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左手に進むと早淵川へ布川(ぬのかわ)が合流する場所に荏田下宿庚申塔があります。ここを道なりに右へ折れると荏田宿跡です。真っ直ぐな道が国道246号を横切って伸びていました。当時の道幅は3間(約5.4m)だったそうですから現在の道とほぼ同じです。荏田宿は江戸から7里の行程です。下宿、中宿、上宿があったそうですが明治中期の大火で壊滅状態になったため宿場の跡はほとんど残っていません。

 

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国道246号荏田交差点の右手前の民家内に中宿秋葉講常夜燈があります。交差点を横断した先の十字路(コンビニの角)を左に折れました。この道は旧国道ですが500mほど進むと国道の上り車線に吸収されます。

 

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ここから先は車が進入できませんので歩道を江田駅の方向へ歩きました。歩道橋の先を右斜めに入った右手に小黒谷(こぐろやと)の庚申供養塔があります。金網フェンスの奥にある小さな石柱ですから気づかずに通り過ぎる人がいるかもしれません。紙に庚申供養塔と墨書されていました。

 

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大山道はここから国道を離れて江田駅の右手方向に伸びています。ちなみに駅名が地名と異なるのは当用漢字(駅名を決めた当時)の制約によるそうです。(続く)

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2008年2月 9日 (土)

懐かしのスウィング・ジャズ

次回のブログ原稿を書く合間に偶然観たテレビ番組を紹介します。今日の午後3時55分から5時20分までBSジャパンで放送された「スウィング グレン・ミラーと日本の小さなジャズメン 憧れのアメリカへ」です。(昨年12月8日に放送された番組の再放送) 

 

鹿児島市立玉江小学校の生徒約20名で構成される小学生ジャズバンド「リトルチェリーズ玉江」の活動を紹介する番組です。20年の歴史があることと、国の内外で積極的に演奏活動をしていることを知りました。 大西隆先生の熱血指導と小学生のものとは信じられない本格的なスウィング・ジャズの美しいサウンドが印象的です。

 

Littlecherriesグレン・ミラーの生誕地であるアメリカのアイオワ州クラリンダ市で昨年6月に開催されたグレン・ミラー音楽を愛する人々が集う「グレン・ミラーフェスティバル」に参加して見事な演奏を披露するシーンには感動しました。

 

アメリカ人の聴衆は、温かい拍手とともに、素晴らしい演奏への感動をスタンディングオベーションで表現します。演奏中はリトルチェリーズのメンバーの表情が硬いのはやはり日本人ですが、演奏後には小学生らしい笑みがこぼれていました。

 

番組内で演奏されたタキシードジャンクション、イン・ザ・ムード、ムーンライトセレナーデ、サンバレージャンプ、カリビアンクリッパーなどの「グレンミラーサウンド」を聴いていると、ジェームズ・スチュワートが主演した映画「グレンミラー物語」(1954年)のシーンを思い出します。

 

そして今から50年近く前、中学生時代に器楽部でフルートの練習に明け暮れていた日々と大西隆先生に負けないほど指導に熱心であった担当の先生の回想につながり、思わず涙が溢れそうになってしまいました。スウィング・ジャズの楽しさを紹介する優れた番組ですから地上波でも放送して欲しいと思います。尚、写真は財団法人国際教育交流馬場財団の関連ニュースから転載させて戴きました。

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2008年2月 7日 (木)

大山道探索: 川崎市の巻(完)

国道の横断歩道を渡ったすぐ右手に馬頭観音を見つけました。二体のうち右側の大きな石仏は笠が付いています。お堂の隣にある大きな石碑には大山道の解説に加えて、この馬頭観音が田園都市線沿線の開発で現在の場所に移された経緯と大きな石仏(文化2年、1805年の造立)は道標として「大山道」(左側面)「王禅寺道」(右側面)の刻石があったと説明されています。王禅寺道とは横浜市青葉区美しが丘西の保木(ほうぎ)薬師堂を経て川崎市麻生区の王禅寺へ向う街道のことです。

 

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区画整理された住宅地の道を直進し、ビニールハウスが建ち並ぶ農地の手前を右手に入りました。有馬9丁目の「さくら公園」の角を左折、新興住宅地の道をさらに何度も曲がり、川崎市と横浜市の境界にある尾根道のような場所に差し掛かりました。

川崎市の区間はこれで完走です。

  

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八幡坂下の阿弥陀堂から有馬8丁目と9丁目を斜めに横切っていたと説明する前掲の本やウォークマップと宮前平駅前の案内板が鷺沼から有馬までの大山道の探索に役立ちました。市境の高みから見下ろした横浜市側は宅地造成が進んでいないようですから、横浜市の大山街道探索も期待できそうです。

 

余談です。昨春に岐阜県と長野県で中山道の美濃路と木曽路を巡り、夏には近畿地方へ旅して西国街道、京街道、中山道近江路の街道を訊ねた時のように車と徒歩を併用したため今回も大変でした。行止まり・右折禁止・一方通行で行く手を阻まれるからです。旧街道辿りには徒歩や自転車が良いことは分かっていますが・・・。

 

今日の締めくくりとして国道沿いで看板を見かけた「川崎有馬温泉」(正式名称は有馬療養温泉旅館)に立ち寄ることにしました。上記の尾根道から1.5kmほど東の東有馬3丁目にあります。昨年の春に訪れた神戸の有馬温泉と同名の温泉があることは聞き知っていました。1300年以上前からある療養泉と説明されています。ただし今の湯は昭和40年頃に掘られたもので泉質は炭酸鉄泉です。料金が1700円(2時間以内)と日帰り温泉としては高めですがタオルやシャンプーを自由に利用できます。

 

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霊光泉と書かれた暖簾を潜って白く塗られた小さな脱衣場に入りました。青系統のタイル張りの浴室にはビーナス像とライオンの湯口、そして実がなった柿木の盆栽と不思議な装飾がありました。10人が入れば一杯になりそうな小振りの浴槽は湯の色に合わせてか茶系統のタイルが張られています。カランもちょうど10箇所です。

  

無色透明の源泉がライオンの口から垂れるように少しずつ流れ落ちています。源泉は時間が経つと鉄分が酸化して徐々に茶色になるそうで、名前も同じ神戸の有馬温泉の「金の湯」よりもやや濃い茶褐色で鉄分がさらに多い埼玉県の神流川(かんながわ)温泉「湯郷白寿」(旧白寿の湯)に似ています。 

   

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「浴槽のお湯は汲み出さないで下さい」と注意書きがあるのは貴重な湯だからなのでしょう。毎日入れ替えていると説明される浴槽の湯は家庭風呂のように浴槽で加温されて40度ほどに保たれています。温めの湯に浸かっていると段々体が熱ってきました。1階の休憩室で涼む時に団扇が欲しくなったのは先日の道後温泉の霊の湯と同じです。

  

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2階にも和風の休憩室があり、3階は宿泊者用の客室になっているようです。久しぶりにインパクトのある温泉に満足しました。帰宅するまで気持ちよい熱りが残りました。また利用したいと思います。

   

<同行者のコメント> ずっと昔、車で通ったような記憶がある道でした。本当に大山まで行くのでしょうか。先が思いやられます。有馬温泉はマンションみたいな建物で新宿の温泉と似た雰囲気ですが一緒になった方の話では良い温泉なのだそうです。暗くなった外に出ると雨が降っていてびっくりしました。□

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2008年2月 6日 (水)

大山道探索: 川崎市の巻(その4)

宮前平駅を半周して交差するのが東名川崎ICに向かう県道尻手黒川道路です。大山道は田園都市線のガード下で県道を横切って真っ直ぐ小台坂へと向かいますが、一方通行のため車は進入できません。車を降りて歩くことにしました。小台坂は緩やかにS字カーブを描きながら新しいマンションが建ち並ぶ住宅地を上って行きます。

 

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前掲の本によると大山道は現在の小台坂よりも右寄りの小さな川に沿って上っていたそうです。昔は崖が県道の近くまで迫っていたために大山道はもっと小さな曲線を描いて小台坂を上っていたと書かれています。イロハカエデとイヌツゲの木が両側で迎えてくれます。

 

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小台坂の頂上付近に桜の大木が立ち並ぶ大きな公園が見えて来ました。大山道はその角から右前方へと入って行きます。馬の背のような地形に沿っているようです。

 

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住宅地を斜めに抜けると旧国道246号と合流しました。すぐ先の三叉路で旧国道は大きく左へカーブしますが大山道は直進して鷺沼駅の方向に入って行きます。車は進入禁止ですから次の交差点に迂回する必要がありました。

 

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切り通しに造られた鷺沼駅の周辺には商業ビルやマンションが林立していました。

 

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駅前から八幡坂を下りるはずですが案内や表示がありません。そう言えば高津区内は案内表示が多くて助かりましたが、宮前区では庚申坂以外は大山道に関わる標識を見かけません。宮前平駅前の案内地図では鷺沼駅から先に二つのコースが描かれていました。だらだらと続く駅前の道を進むと田園都市線に添って隣のたまプラーザ駅の方向へ進むようです。左手に大きなとうふ料理店「うかい」が見えたところで引き返すことにしました。八幡坂ではなさそうだと気付いたからです。

 

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もう一つのコースに従ってみずほ銀行の角を左手に入りました。鷺沼駅前の案内地図には「中央通り」と説明されていた道です。S字にカーブしながら下りて行きます。前掲の本を後で読み直してみると鷺沼の地図に八幡坂がはっきり書かれていました。ウォークマップも同様で、大山道は現在の直角に曲がる横道ではなく鷺沼交番前交差点からみずほ銀行の敷地奥を斜めに横切っていたようです。迂闊でした。

 

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2008_01090103_2 八幡坂を下り切ったところで大山道は国道246号に分断されました。ここから先の有馬では住宅地が開発されたため大山道が消失しているようです。車は右折できませんので右手のレンタカー会社に沿って国道の歩道を歩くと敷地外れに阿弥陀堂がありました。大山道はこの横を通っていたそうです。この歩道を隣の鷺沼2交差点まで歩いて国道の横断歩道を渡ります。(続く)

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2008年2月 5日 (火)

大山道探索: 川崎市の巻(その3)

旧国道は西方に真っ直ぐ伸びて宮前区に入りました。宮崎中学校入り口の交差点を左折、虎ノ門病院分院に向って100mほど入ると、右手の住宅地に小山がありました。庭の築山にしては大きすぎるのが「宮崎大塚」です。頂上に馬絹大塚供養塔が建っています。近くのバス停や電話局に大塚の名が付いていますが宮崎大塚の由来はよく分かっていないそうです。大山道は梶ヶ谷交差点から旧国道の少し南側をこの大塚まで進み、鋭角に折れ曲がって宮崎中学校入口交差点で旧国道と合流していました。現在も生活道路として残っています。

 

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旧国道に戻ると300m余りで宮崎団地前の交差点に差し掛かります。旧国道は左にカーブしながら長坂を馬絹方面へ下りて行きますが、大山道はここを直進して前方の坂を下ります。マンション越しに富士山と丹沢山塊が見えました。

 

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車は進入(右折)禁止ですから長坂の途中でUターンする必要があります。銀杏並木の真っ直ぐな下り坂が大山道の庚申坂です。右下の写真は庚申坂を下りきった交差点から先程の分岐点を振り返って撮影しました。

 

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多摩丘陵の住宅街を左右にうねりながら続く銀杏並木の道は信号とコンビ二がある三叉路に差し掛かりました。大山道はさらに銀杏並木が続く左手の急な坂を下りて行きます。田園都市線に行き当たりますが道なりに右手へカーブすると宮前平駅のホームが見えて来ました。

 

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前掲の本によると大山道は三叉路から現在の道よりも直線的な両側に木が鬱蒼と茂る八幡坂で駅前の八幡神社近くまで続いており、空のリヤカーを引くのも難儀な急坂だったそうです。現在は瀟洒(しょうしゃ)な住宅街に生まれ変わっています。

 

八幡坂の名の由来になった八幡神社の鳥居の前を大山道が通っていたそうです。鳥居の奥に続く急な石段を上ってみると100段以上もありました。石段の途中に小台庚申堂があり、頂上の社殿は千鳥破風と唐破風の屋根を持つ立派なものです。1966年に田園都市線が溝口から長津田まで延長されて宮前駅が出来た頃に再建計画が持ち上がったと説明されていました。

 

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駅前のバス停横にある大きな案内板に描かれた宮前区内の地図に大山道散策コースが緑色の破線で詳しく描かれていました。東名川崎ICまで約1kmです。
 

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駅前から「富士見坂」が右手に上って行くのが見えます。(続く)

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2008年2月 4日 (月)

大山道探索: 川崎市の巻(その2)

二子の渡しがあった二子橋から大山街道を400mほど歩くと右手に光明寺があります。江戸初期に創建された由緒ある浄土真宗の寺院です。この辺りから「二ヶ領用水」までが「溝口・二子宿跡」でした。江戸からは行程5里です。二つの宿場名が残っているのは江戸期に溝口村から二子村が独立したためです。

 

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溝口に入って高津交差点で国道409号(府中街道)と交差しました。さらに進むと「二ヶ領用水」(前回記事の溝口からリンク)を大石橋で渡ります。手前に「大山街道ふるさと館」がありました。さらに歩くと右手に溝口神社の参道が見えます。

 

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市道南武沿線道路と交差する栄橋交差点の角に高津区内の大山街道の案内地図がありました。イラストの男性が担いでいるのは江戸時代の風習「納太刀(おさめだち)」です。二子から溝口にかけての商店街は宿場の雰囲気が今も残っています

 

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道が細くなり曲がりくねりながらJR南武線の踏切を渡った高津区役所近くに「片町の庚申塔」がひっそりと建っていました。大山道(旧国道)は庚申坂でゆるく右にカーブしながら上って行きます。カラー舗装された狭い道で旧国道とは信じられない生活道路です。

  

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その途中で大山道は左に反れて不思議な名前のねもじり坂」に差し掛かりました。狭い道に接してマンションが建設中です。カラー舗装された旧国道は少し右手に迂回してより緩やかなコースをとっています。

 

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大山道はすぐ先のゴルフ練習場付近で旧国道で合流しました。横道との角に笹の原の地蔵堂が建っています。坂を上りきった辺りに道標と道祖神があります。道標には「右大山道、左用賀道」と書かれていました。その先の新しい道標には「東 二子橋方面、西 荏田方面」と記されています。

 

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ここからは勾配が緩やかなほぼ真っ直ぐの道となり、ほどなく国道246号に行当たりますが、大山道(旧国道)は国道を横切って斜め前方に続いています。

 

2008_01090096歩行者は梶ヶ谷交差点の大きな歩道橋で渡ることができますが、車は国道の右折レーン(3車線目)に強引に入ることはかなり危険です。車の通行が多く、しかも車線変更禁止の黄色い線が目の前で始まるためです。いったん左折することにしました。

 

梶ヶ谷交差点を右に入ると道はすぐ二手に別れます。左手の東名IC方向が大山道(旧国道)で、右手は市民プラザ通りから向ヶ丘へ続く道です。梶ヶ谷交差点は三本の道路が交差する現代の難所でした。(続く)

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2008年2月 3日 (日)

大山道探索: 川崎市の巻(その1)

当ブログでは五街道だけではなく大山道(大山街道)についても、戸田の渡し赤坂青山三軒茶屋二子玉川溝口の記事の中で紹介しました。

今回はその大山道そのものを主テーマに取り上げます。

   

2008_01090073大山道は江戸から丹沢の大山(雨降山)詣でのための道の総称ですが、伊勢原までは江戸と沼津を結ぶ矢倉沢往還(東海道の表往還に対して脇往還と呼ばれる)を利用したため、矢倉沢往還のこの区間も大山道(大山街道)と呼ばれました。往還とは行き帰りの道、すなわち街道を意味します。ちなみに現在の国道246号は矢倉沢往還と同様に東京と沼津を結んでいます。

 

江戸の起点である赤坂見附から三軒茶屋までは現在の国道246号とほとんど同じルートです。道標が残る三軒茶屋からは現在の国道246号(玉川通り)からそれて世田谷通りに入ります。そして世田谷駅前から左にそれ、弦巻(つるまき)から南下して、用賀で旧国道と合流します。二子玉川では旧国道と現在の国道246号の間を多摩川に出ていました。二子玉川の矢川緑道を散策した時に横切った場所です。

   

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よくドライブする国道246号で大山道に縁のある石碑や道標を見かけたのは上記のブログ記事で触れた程度でしたが、四国遍路の影響か、大山道をすべて辿ってみたくなったのです。「二子の渡し」から先の川崎市内では国道246号に添うように旧国道と生活道路になった大山道の両方が残っていますから、現在の地図でも容易にそのルートを知ることができますが、横浜市内は宅地化が進んだため、現在の地図から大山道を推し量ることが困難です。

図書館で調べてみました。そして打って付の資料を見つけました。大山街道・R246地域間ネットワーク交流会/ウォークマップ作成実行委員会が作成した「大山街道ウォークマップ」です。二子多摩川から長津田まで大山道のルートと沿道の名所が説明されています。現在の国道246号とともに旧国道も記載されている便利な地図です。

 

もう一つは大正時代から昭和にかけての大山街道の様子を詳しく記録した「大山街道 二子から上有馬までをたずねて」(昭和48年川崎市立多摩図書館発行)です。この本が書かれた35年前とは様子が大きく変わっていて興味深く読みました。これで大山道探索ドライブの準備が整いました。

 

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出発地は多摩川の二子橋袂にある「二子の渡し跡」です。二子の渡しは名前の由来となった川崎市高津区二子にあります。渡し跡の説明が旧道と多摩沿線道路が交差する二子橋交差点脇にありました。

 

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実際の渡しはすぐ近くの二子神社との間にあったようです。二子神社には「岡本かの子文学碑」がありました。岡本太郎氏の特徴のある作品です。

 

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ここから溝口の先までは旧国道とまったく同じルートです。大山詣での長丁場(約60km)を順調にスタートしました。(続く)

  

注釈)二子橋以西の旧国道246号は現在欠番となっている神奈川県の県道1号でしたが、1956年に二級国道246号になり、1974年にバイパスが開通してからは国道指定が解除されて高津と溝口の間は県道14号鶴見溝口線の一部となりました。

 

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上記のタイル絵はいずれも溝口南公園のエントランスで撮影したものです。同じ場所にある絵図(右上の写真)には二ヶ領用水の分量樋が細かく描かれていました。

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