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2008年2月26日 (火)

新田義貞の鎌倉攻め(中編)

2008_02160002 多摩川沿いの分倍河原(ぶばいがわら)と関戸の両古戦場跡を訪れました。出発地は府中市大国魂神社近く、都道18号(旧鎌倉街道)の始点である府中本町です。JR南武線の陸橋を渡り、税務署角交差点を北へ入った分倍河原駅前に新田義貞の騎馬像がありました。鎌倉がある南方を見据える躍動感に溢れた像です。

 

さらに旧鎌倉街道を辿りました。分倍河原の戦いは多摩川北岸の一帯で行われたそうですが、分梅町で中央自動車道を潜った分梅橋交差点近くの新田川(しんでんがわ)分梅公園に古戦場跡の碑が建っていました。新田家の末裔である新田義美男爵の筆による石碑です。ここで旧鎌倉街道(分梅道)は新田川緑道とも交叉しています。

 

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蛇足です。分倍河原の「分倍」は地名として珍しいのですがその由来は定かではないそうです。分倍は「分梅」あるいは「多摩川の氾濫が多いので口分田(農民に割り当てる田んぼ)を倍にした」とする説があるようです。また新田川は耕地が開発された時の用水で新田義貞とは関係がないそうです。「風雲急を告げる」ように黒雲が出現して急に周囲が暗くなり、不気味な雰囲気が漂い始めました。

 

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分倍河原の戦に勝利した新田軍は幕府軍を追って多摩川を渡りましたがその渡河地点は定かではないそうです。恐らく広い範囲で川原を渡河したのでしょう。現在は多摩川北岸にはマンションが建ち並んでいます。対岸の多摩市では多摩川の断崖が迫り、左手は桜ヶ丘カントリークラブ、右手のビル街は京王線聖跡桜ヶ丘駅周辺です。
 
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多摩川の南岸で行われた関戸の戦いも前述したように新田軍が大勝して、鎌倉幕府軍は壊滅的な打撃を受けて敗走することになりました。関戸大橋で多摩川を渡り、多摩市の新大栗橋交差点から右手の旧鎌倉街道に入りました。大栗川を渡ると右手に関戸古戦場跡の地蔵堂があります。周辺には関戸の戦にまつわる史跡が残っているようです。

 

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さらに進んだ観音寺と熊野神社にも立ち寄りました。熊野神社では霞ノ関のものと推定される南木戸柵が発掘されました。境内には観音寺周辺にも北木戸柵があったと推定されると説明されています。

 

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鎌倉期までは東山道武蔵道であった鎌倉街道「上道(かみつみち)」の関戸が霞ノ関の有力候補と考えられますが、明確な記述が残っていないため、大山道と一部重複する鎌倉街道「中道(なかつみち)」にも千代田区霞が関や新宿区四谷の大木戸などの候補地があります。右下の写真は観音寺です。(続く)

 

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» 武蔵國総社 大国魂神社 [易者 日本列島を往く]
初めて訪れましたが、よい神社でした。 [続きを読む]

受信: 2008年3月20日 (木) 12時57分

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