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2008年3月15日 (土)

大和路のドライブ旅: 継体天皇と河内国

奈良に入る前に大阪府枚方市に立ち寄ることにしました。継体天皇が507年に即位して約10年間滞在した場所とされる樟葉宮(くずはのみや)を訪れるためです。

2008_03110017 今回も七つ立ちです。トラックで溢れる東名高速道路から名神高速道路に入りました。関ヶ原ICに差し掛かると雪が降り始めました。彦根から八日市までは雪景色です。瀬田東JCTで京滋バイパスに入り、巨椋池(おぐらいけ)JCTで第二京阪に反れると八幡東ICです。京都府八幡市から一般道路で隣接する大阪府枚方市に入りました。

京阪本線樟葉駅の北東、楠葉丘2丁目の狭い道で交野天神社(かたのてんじんじゃ)に向いました。市境にある楠葉中学に隣接して周辺の住宅地とは隔絶されたような木立に囲まれた神社です。

 

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境内を抜けた貴船神社に「此附近継体天皇楠葉宮址」の石碑が残されていました。継体天皇が507年に即位した場所とされ、日本書紀によれば10年以上に渡ってこの楠葉宮に留まったとされます。長い間大和へ入らなかった理由は定かではありませんが、何らかの支障が大和に存在したのでしょう。楠葉に宮を置いたのは継体天皇の即位を支援する豪族がこの地に居たからと考えられます。京田辺市多々羅都谷(みやこだに、同志社大学キャンパス内)の筒城宮(つつきのみや)と長岡京市今里(いまざと)の弟国宮(おとくにのみや)を経て、即位してから約20年後の526年に天香久山近くの桜井市池之内にあったとされる磐余玉穂宮(いわれたまほのみや)へ宮を移しました。

 

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樟葉宮との表記もありますが楠葉との違いについては京街道の記事で触れています。交野天神社の参道(現在は商店街)は京街道へと一直線に伸びていました。

次いで訪れたのは高槻市です。京街道散策で何度も往復した府道13号と国道170号で15kmほどの距離です。直線距離では8km足らずですが淀川に架かる橋が少ないのでかなり遠回りになります。西国街道の芥川宿から西方へ約2km進んだ氷室町一丁目の角に道標が3つあり、「右 石川 見山 妙見道」「右 芥川 山崎 京都 左 豊川 池田 神戸」「右ハ妙見 すく惣持寺 すくそう寺 道」「右 妙見道」と刻まれています。

 

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右手の妙見道に入るとすぐ前方に「今城塚古墳」が広がりました。[衛星写真] 工事用と思われるフェンスに囲まれています。説明看板には古墳を復元するのではなく公園として整備中であるとありました。

 

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撮影している時に声を掛けていただいた地元の方から話を聞くことができました。かなり長期に渡って工事が続いていることや大量の土砂が運び込まれて現在は立ち入りが出来なくて残念なことなどです。

 

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古墳の北側にある今城塚公民館に飛び込みで尋ねたところ古墳の詳細な資料を戴きました。高槻市から茨木市にかけての地域に古墳群や遺跡が多数あることが説明されています。この摂津国にも継体天皇を支持する有力豪族が存在したのでしょう。

 

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西国街道をさらに2kmほど西進した茨木市東太田4の藍野学院短大と藍野病院に接するように「太田(おおだ)茶臼山古墳」がありました。

 

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西国街道から参道を100mほど入った場所は宮内庁が継体天皇陵とする「三島藍野陵」です。[衛星写真] 継体天皇陵は今城塚古墳とこの太田茶臼山古墳が候補とされますが、宮内庁の見解と今城塚を有力視する考古学者の見方が異なります。2km程しか離れていない二つの古墳はいずれも周濠を廻らした立派な前方後円墳です。墓の所在地も大和でなく摂津国であることには何か理由があったのでしょう。

 

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西国街道は東太田4交差点から先が一方通行になっています。雲見坂を下りる途中にある道標は「左 京 ふしみ道」「右 とん田 ミしま田 道」と読めました。

 

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2008_03110083右手に入ると延喜式内社の太田神社がありました。200mほど進んだ鳥居脇に立ち入り禁止の表示と防犯カメラが設置されている旨が書かれています。Uターンをするスペースもありませんから入り口近くの住宅地まで200mほど後退しました。西国街道の左手は1段低くなっており、東芝大阪工場の広大な敷地が拡がっています。

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