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2008年4月に作成された記事

2008年4月28日 (月)

閑話: 作業部屋と親知らずが!

このところテレビの故障PCのトラブルが続きました。それぞれは偶発的な出来事ですが度重なる旅行や頼まれ仕事で心のゆとりが無くなっていたのかも知れません。その現われとして私の部屋が物置と化しているのに気づきました。調べ物で増えた資料などもありますが、大半は納戸や押入れに入れておいたガラクタが知らぬ間に集まっていたのです。日頃から不満を述べていた同居者がいよいよ強硬手段に打って出たようです。

古くなった旅行の情報・パンフレットや仕事の資料などを思い切って処分することにしました。それぞれには思い出がありますから、1点ずつチェックしながら裁断処理するため手間が掛かり、ほぼ1日近い作業になってしまいました。そして棚を移動してレイアウトの変更です。手作りの棚はサイズが区々(まちまち)ですから整然とは行きませんがまずまずの形に収まりました。

2日目は部屋を掃除してオーディオ装置とパソコン(仕事用サブ機の初代iMac)などを移動します。ドアに近い場所に置いたアンプ類やレコードを収納するラックは思い切って窓側に移動しました。そして30年前に購入した愛着のあるヤマハのアンプとチューナーを処分することを決意、圧迫感があった収納ラックの高さを半分以下に切断しました。

これだけの変更で見違えるほどすっきりした(?)部屋になったはずです。少なくとも足元を気にしないで部屋の中を歩くことが出来るようになりました。最後の仕上げは何ヶ月も使っていなかったオーディオ装置のチェックです。10年物のCDプレイヤーはOKのはずですがレコードプレイヤーが心配でした。何しろ25年前(1983年製)の年代物です。久しぶりにカーペンターズのLPを聴くことにしてスタートボタンを押すといつもの様にアームが自動的に移動して美しい歌声が流れてきました。メローな歌声に心が癒されます。そしてミッチミラー合唱団の重厚なコーラスも部屋に蘇りました。

30年間も付き合った予備用のアンプ達と別れるのは寂しいことですが、一方で紙の山から思いがけない資料を見つけました。日頃習慣にしているPC内の古いファイルだけでなく、たまには部屋の片付けもしてみるものだと思いました。気持ちの方もすっきりしたようです。

その直後ですが歯の定期健診に出掛けました。いつものように歯と歯茎のチェックです。毎日の歯磨きはルーチンを守っていますから問題は無いはずです。結果はもちろん良好で歯石もほとんどなく歯科衛生士が今回も及第点をくれました。しかし下顎の臼歯とその奥にある親知らずの間に出来た小さな隙間が汚れのポケットになっているので臼歯が虫歯になる可能性があると告げられました。撮影したレントゲン写真では薄い歯肉に被われた親知らずが横向きに生えており、臼歯を圧迫しているとの担当医師の診断でした。20年近く前、アメリカの歯科医から「上顎にはこの親知らずと噛み合う歯がないので周辺の歯に何か影響を及ぼすようになった場合には抜歯するように」とのアドバイスを受けたことを思い出しました。

一週間後に抜歯の手術を受けました。親知らずの抜歯は難しいと聞いたことがあります。やはり抜歯手術は40分近く掛かり、インプラントのために奥歯を抜いた時よりもずっと大変でした。横向きに生えた親知らずが臼歯を下から持ち上げるように当たっていたため切断しながら抜歯したのです。歯肉の切開を最小限にするためと思われますが、先ず先端部を切断してから親知らずを少し引き出し、2度目の切断で3分割された親知らず全体が取り出されました。まるで3本の歯を抜歯したような気分です。翌週には抜糸して長年の懸案が解消しました。またいつものペースで温泉巡りに復帰したいと思います。

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2008年4月24日 (木)

国際フラットパネルディスプレイ展(Display 2008)

今年も江東区有明の東京ビッグサイトで開催されました。民生機器・産業機器・施設向けのディスプレイ製品が幅広く展示されています。同時開催される「ファインテック・ジャパン」と「FPD部品・材料EXPO」ではディスプレイに関連する先端技術が素材や部品から製造プロセスまで広い会場に700社が展示ブースを設置して、まるでトルコのイスタンブールにあるグランバザール(市場)のような巨大さです。

 

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ディスプレイ展では今回も多彩な展示がありました。人だかりや行列が出来ている人気ブースはやはり松下電器とソニーの両メーカー、そしてもうひとつはドイツ企業のSeeReal Technologies社です。そのSeeReal社のブースに出来ていた長い列に加わりました。待つこと30分余でブース内の暗い部屋に案内されました。実験室のようです。椅子に座ると前方にあるスクリーンに何やら映っていると思っていると突然立体像が空中に出現して私に向って迫ってきました。感心しながら顔を動かしてみると立体像は乱れますがしばらくするとまた元の立体像に戻りました。

 

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説明役のドイツ人技術者(博士)が説明してくれました。両目の位置を自動的に検出してトラッキング(追跡)することで最適な立体像に自動調整するのだそうです。最近のデジカメに付いている顔認識に似た機能のようです。ブースに設置したデモ機はその追跡速度が遅いので急な動きに対しては追従できないと解説してくれました。録画した動画が違和感なく立体的に見られる優れた技術です。これまでの立体像のように特殊なメガネを使用する必要がなく、両目の視線が交わる場所と焦点の位置がずれる欠点もありません。モノクロ画像(赤色のみ)によるデモでしたがカラー化や多人数で立体像を見ることも可能になるとのことでした。

2008_04160007 隣の日本ビクター社のブースではメガネを使用する立体映像のデモが行われていました。日本ビクターは、高柳健次郎氏のテレビ実験の流れを汲みテレビ受像機の技術をリードして来た会社ですが、ついに国内の家庭向け液晶テレビ事業から実質的に撤退することを発表しました。またプラズマテレビの画質が良いことで定評があったパイオニアもベースとなるプラズマパネルの生産から撤退すると発表するなど薄型テレビ市場でも撤退や企業間提携が進んでいます。

松下電器のブースでは、省電力(電力半減)と超薄型(50型で厚さ24.7mm)の技術とともに今回の目玉である世界最大の150型プラズマディスプレイパネルを展示していました。あまりにも巨大で画面全体を見るのが困難なくらいです。

 

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ソニーは先行する有機ELテレビを前面に出していました。17型で厚さが0.3mmと超薄型の試作パネルを目玉に、27型の有機ELテレビ(参考出品)の前には黒山の人だかりが出来ていました。液晶テレビについても最新技術を採用した製品群、LEDバックライトシステムによる色彩の美しさ、そして環境配慮(グリーン)技術を展示しています。

 

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日立ディスプレイと三菱電機のブースも見て回りました。国内市場でトップメーカーのシャープとシェア上昇中の東芝はなぜか出展していません。

 

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その他にも興味深いブースがいくつもありました。下の写真は「ファインテック・ジャパン」の会場で立ち寄った竹中工務店ブースの「ドーム型広視野角ビジュアルシミュレータ」 と安川電機の超大型ガラス基板用搬送ロボット」です。

 

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以上のように今年のトピックスは、昨年と同様に画面の大型化と薄型化(壁掛け化)の更なる進展、有機ELパネル市場の立ち上がり(韓国のサムスンも参入)、立体(3D)画像技術、および環境負荷を軽減する技術(エコ対策)が注目されたことでしょう。

 

環境負荷が重要なテーマとなっているのはテレビやパソコンン用ディスプレイが白物家電(エアコン・冷蔵庫・洗濯機)に比べて低消費電力化とリサイクル化で遅れているからです。意外ですが、ブラウン管テレビと液晶テレビは消費電力が同程度で、プラズマテレビは視聴する番組にもよりますが消費電力がやや大きいようです。

 

余談です。有機ELパネルはテレビや携帯電話などの理想的なディスプレイとしてはもちろんのこと照明用としても期待されています。面による照明が可能でしかも電気光変換効率が高い有機ELは新しい照明手段として優れた特徴を持っていますが、コストの理由で実用化にはまだ時間が掛かりそうですから、現状では電球型蛍光灯が最も効率の良い照明と言えるでしょう。電力消費が白熱電球の約五分の一と少なく、エコ対策(CO2排出量削減)と経済性(電力料金が安くて長寿命)に優れているのです。

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2008年4月19日 (土)

PCトラブルと新緑の目黒雅叙園

わが家のメインPCがネットワークに繋がらなくなってしまいました。めったに使わないアプリケーションソフトのアップデート勧告通知は普段無視しているですが、たまには更新してみるかとクリックしたのが大失敗でした。PCOS(Windows XP)にトラブルが発生したようです。再起動して「トラブルは解消された」との表示が出て一安心したのも束の間でした。インターネット接続はもちろんのこと外部記憶装置(大容量HDD)にもアクセス出来ないのです。PC単体は正常に動作するのですが手足をもがれたようで、「LANが接続されていない」旨の表示が虚しく繰り返されます。

過去にもOSに不具合が発生した際、再インストールしてPCの設定やファイルが消失した苦い思い出が何度もあります。その再現は何としても避けなければなりません。試しにPC診断ソフトによるチェックと不要なソフトを削減してみましたが一向に直る兆しはありません。ギブアップしてしばらく様子をみることにしました。当然のことですが翌朝になっても変化がなく、パソコンショップへ修理に出すことも考えたはじめた時になって思い出しました。Windows XPの「システム復元機能」です。

「スタート」メニューから入って「すべてのプログラム」「アクセサリ」「システムツール」を経て「システムの復元」の「コンピュータを以前の状態に復元する」を選択して、戻りたい日付(復元ポイント)をクリックすればOKです。学生時代に機械語(2進数や16進数で書くプログラム)を学び、サラリーマンになってからはフォートラン(FORTRAN)やコボル(COBOL)などのプログラミング言語の基礎を習得、馴染みやすいBASIC言語も使えるようになった私ですが、マックPC育ちのためWindows PCの設定には疎いのです。初歩的なトラブルでも私にとっては一大事でした。 

わが家のPC騒動も何とか終息しましたので情報通信技術(ICT)のセミナーを聴講-と言ってもPCの勉強ではありません-するために目黒雅叙園に出掛けました。これまでに何度も訪れたことがある場所です。午前10時の開場時間まで15分ほどありましたので敷地内の庭園を散策しながら新緑が滝と池に映える景色にシャッターを切りました。

 

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一段高い滝の裏側にある「胎内くぐり」にも登ってみました。中国貴州省にある黄果樹滝の水簾道をミニチュアにしたようで、簾(すだれ)のように流れ落ちる水を滝の裏側から覗くことができます。

 

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帰路には急で狭い行人坂(ぎょうにんざか)の途中にある大円寺に立ち寄りました。

 

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昔、大円寺を拠点とする修行僧が往き来した坂であることが行人坂の名前の由来だそうです。振袖火事(明暦の大火)と車町火事(文化の大火)とともに江戸三大火事のひとつである行人坂火事(1772年、明和の大火とも呼ばれる)の火元でした。その火事で亡くなった人達を供養するために彫られた五百羅漢の石仏群は東京都有形文化財に指定されています。

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2008年4月15日 (火)

四谷散策: 坂、忍者、そしてグルメの街(後編)

四谷税務署の脇を抜けて新宿歴史博物館に立ち寄りました。

 

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館内には、旧石器時代から江戸時代までの出土品、江戸期から最近に至るまでの新宿の変遷を絵巻や再現された商家、明治時代以降において新宿が発展した様子がよく説明されています。「大久保百人組の組屋敷」の説明に目が留まりました。戦時に活躍した4組の鉄砲隊である甲賀組、伊賀組、根来組、二十五騎組のうち、大久保の百人町にあった伊賀組の組屋敷が説明されていました。そして皇居の二の丸跡に残る「百人番所」はこれら4組が交代で詰めていた場所だったそうです。

 

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博物館横の道より一本西の広い通りが「津の守坂」と呼ばれています。津の守坂(つのかみざか)を下って靖国通りに行き当たると中央大学の市ヶ谷キャンパスです。

 

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津の守坂がある荒木町は美濃国高須藩主松平摂津守の上屋敷があったことから坂に名が付けられたそうです。高須藩は小藩ですが尾張藩主を何度も輩出した家柄で、幕末に最後の会津藩主となった松平容保(かたもり)もこの高須松平家の出自です。

  

2008_04100078_2右の写真は工事現場に飾られた荒木町縁の写真の一枚で、明治11年頃に撮影された高須松平家の四兄弟です。高須藩主松平義比を中心に左から桑名藩主松平定敬、会津藩主松平容保、尾張藩主徳川慶勝と説明されていました。

  

義比が中央に座るのは本家当主であることと、後に尾張藩主(徳川茂徳)となり、将軍となった一橋慶喜の跡を継いで一橋家当主(徳川茂栄)にもなったことによるのでしょう。蛇足ですが、定敬と容保は新政府軍に最後まで抵抗した佐幕派で、一方の慶勝は尊王攘夷派として安政の大獄で隠居させられ、弟の義比が徳川茂徳として尾張藩主を継いでいます。

  

靖国通りの合羽坂下交差点から甲州街道へと津の守坂を上ります。右手の階段を下りて路地を歩くと小さな公園に差し掛かりました。摂津守の屋敷内にあった「津の守の滝」と呼ばれる滝壺の跡と伝えられます。

 

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四谷の地名の由来は、昔 茶店が4軒あった、この一帯に4つの谷があったなど諸説があります。江戸期には麹町、伝馬町、尾張町、信濃町、箪笥町などの地名があり、明治11年には外苑西通り以東・外堀通り以西の地域を管轄する行政区である四谷区となりました。戦後(1947年)になり四谷区・牛込区・淀橋区が新宿区となってからは新宿通りに沿った地域(四谷一丁目から四丁目)に四谷の名が残っています。

定例の飲み会は「ラインガウ四谷店」です。津の守坂から西へ入った荒木町の国都マンション(1階)にあります。新宿通りからは車力門通りの飲食店街を奥に入ったところです。

 

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ラインガウ」とはドイツ南部、マインツからリューデスハイムまでのライン川流域地方の名前で、ドイツ有数のワインの産地ですから、このレストランはもちろんドイツ料理とドイツワインの店です。「とりあえずビール」で乾杯したあとはワインです。ドイツと言えば甘口の白ワインが有名ですが辛口の白ワインも結構いけます。料理はドイツ風ハム、ニシンとリンゴのサラダ、真ダコのピリ辛ソース和え、スズキのグリル、焼きソーセージとポテト、アイスバイン(豚スネ肉の塩漬け)など盛り沢山です。

 

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和食が好きな私ですが2年前のドイツ旅行を思い出しながらメインのアイスバイン(eisbein)を楽しみました。ピンク色の豚肉を食べるのは初めての経験ですがくせの無い美味しさです。ちなみにアイスは氷、バインがスネ肉で、表面の白っぽさが氷のように見えることから名付けられたようです。貴腐ワインと同様に糖度が高い凍った葡萄で作られるワインのアイスヴァイン(eiswein)と名前が似ていて紛らわしいです。

 

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会話が盛り上がってワインリストを順に試すうちに、坂巡りで歩き疲れたこともあり、心地よい酔いが回ってきました。最後に出された食後酒のシュナップス(アルコール度が38%)は消化を助けるものだそうですがビールとワインの〆にもぴったりでした。

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2008年4月14日 (月)

四谷散策: 坂、忍者、そしてグルメの街(前編)

久しぶりに都心の国道20号(甲州街道)を歩きました。皇居半蔵門前の半蔵門交差点を出発して西へ向います。半蔵門は東京の地名の由来で紹介したように伊賀の出身で伊賀同心の支配役であった服部半蔵(服部正成と正就父子)の屋敷が門の周辺にあったこととされますが、正就が不始末によって改易されたこともあり、屋敷があった場所は定かではないようです。

 

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エフエム東京(TFM)が建つ半蔵門交差点から国道20号(甲州街道、通称麹町大通り)のなだらかな上り坂を麹町1丁目交差点まで歩くと皇居よりも一段高い四谷台地に居ることが実感できます。両側の脇道はいずれも下り坂になっていますから甲州街道が四谷台地の一番高い所に造られたことも分かります。日本で最初のFMラジオ局であるエフエム東京は1960年にエフエム東海として実験放送を開始、1970年に現在の会社が創立されて本放送に移行した老舗FMラジオ局です。

 

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麹町5丁目の南、紀尾井町には尾張名古屋藩(尾張藩は明治になって名古屋藩とも呼ばれた)の屋敷がありました。なだらかな坂を上りきると上智大学と四ッ谷駅です。ここが麹町6丁目で千代田区の西端にあたります。

 

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四ッ谷駅の手前北側にある四谷見付跡はすでに訪れていますのでそのまま通り過ぎました。徳川幕府が江戸城西方の守りを固めるため、現在の新宿区若葉(南伊賀町)と三栄町(北伊賀町)辺りに忍者町とされる伊賀町があったそうです。初代服部半蔵(正成)が晩年仏門に入り麹町に安養院を創建しましたが堀の拡張工事のために現在の四谷(若葉二丁目)に移されたのが西念寺です。NTTドコモの角を南に入って住宅街の路地を何度も曲がり300mほど入ったところにありました。

 

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この寺には半蔵の墓と半蔵が使ったとされる槍が保存されています。枝垂桜が満開でした。(4月10日撮影)

 

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少し南側に「鉄砲坂」があります。射撃場があったことが名前の由来とされるのは忍者と鉄砲に密接な関係があったからでしょう。

 

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西念寺の南にある戒行寺の南側は「戒行寺坂」、西念寺のすぐ西側には「観音坂」が伸びています。

 

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さらに西方向に並ぶ数多くの寺の横には「東福院坂」と「円通寺坂」があります。(続く)

 

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2008年4月 9日 (水)

秋葉原今昔物語

前回記事のテレビとは関係ありませんが久しぶりに秋葉原へ出掛けました。近くの家電量販店では売っていない小物を探すためです。地下鉄銀座線末広町駅で下車、中央通りの歩行者天国を南に歩きました。

 

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中央通りには昔と変わらない人込みがありましたが何か違う雰囲気が感じられます。

 

2006_12200612200026_2独身時代は無線機やアンプを自作するために使う電子部品を買い求めてJR秋葉原駅を利用しましたが、結婚してからは家族を車に乗せて出掛けました。週末に一般開放されていた旧神田青果市場の駐車場に車を停めることができました。平成2年に閉鎖されたその跡地には「秋葉原クロスフィールド」(秋葉原UDXと秋葉原ダイビルの2つの超高層オフィスビル)が2006年にオープンしています。

その頃は昼食をとる店の数も限られていましたので大抵はアキハバラデパート周辺の小さな大衆食堂を利用していました。そのアキハバラデパートも一昨年末に閉店して今は工事用の塀に囲まれています。現在は電気街のあちこちに食事処が数10店舗もあって選ぶのに迷うほどです。そして駅裏の雰囲気があった秋葉原駅昭和通り口周辺の旧国鉄所有地には2005年に「つくばエクスプレス秋葉原駅」(地下駅)が完成、ヨドバシカメラの大型店「Yodobashi Akiba」が進出して秋葉原電気街の勢力図が大きく変化しました。

 

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昔と変わらずに残っている場所もあります。「ラジオセンター」「東京ラジオデパート」(右下の写真で中央にある黒っぽいビル)、そしてテナントは大きく変わりましたが「ラジオ会館」です。いずれも名前に「ラジオ」が付いているのは秋葉原の伝統を受け継いでいることを物語っています。現在の秋葉原の電気街は戦後まもなくラジオ部品を売る闇市がガード下に集まったのが始まりなのです。当時、ラジオ受信機は完成品よりも町の「ラジオ屋さん」が秋葉原で部品を買って組み立てることが多かったのだそうです。

 

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2008_03230119_3廣瀬無線、山際電気商会、石丸電気、ミナミ無線などの店が問屋として台頭、「秋葉原の電気街」を構成して現在に至っています。昭和30年代からの高度経済成長期は家電が普及し始めた時代で、テレビとオーディオの普及とともに昭和40年代の秋葉原電気街は黄金期を迎えました。

 

さらにパソコンの登場とビデオの普及で昭和50年代も活況を呈しましたが、昭和60年代には家電不況が発生して平成時代に入ると秋葉原の老舗店(ヒロセムセンとシントク)が閉店する一方で、新宿などのカメラ系ディスカウントショップの家電販売参入や地方の家電量販店のヤマダ電気やコジマ電気が台頭、PCの専門店も現れるに至って秋葉原はAVと情報家電の街へと変貌しました。(参考: 秋葉原電気街新興会のhp 

現在は、さらにアニメ・キャラクター、メイド喫茶、ゲーム、フィギュアなどが秋葉原の表舞台に立ち、新宿や原宿などのようにストリート・ミュージシャンが歩行者天国の主役になっていました。

 

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東京ラジオデパートを巡ったあと、通いなれたラジオセンター内の店で目的のものを見つけました。年代物の電気製品に使う小物部品ですから仕様の合うものを見つけるのに苦労しましたがやはり世界の秋葉原です。ちなみに地名の由来を当ブログの「東京の地名」で紹介しています。

付記: 本題とは関係ありませんが、一昨日作詞家・脚本家・作家の川内康範さんが逝去されました。私は十八番である「花と蝶」「伊勢佐木町ブルース」「恍惚のブルース」「誰よりも君を愛す」「君こそ我が命」などをカラオケで長年楽しませてもらいました。川内さんは多数の映画で原作・脚本・監督を手掛けられ、懐かしいテレビドラマ「月光仮面」の原作者であり主題歌「月光仮面は誰でしょう」「月光仮面のうた」の作詞家でもある多才かつ気骨のある昭和人でした。ご冥福をお祈りします。

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2008年4月 5日 (土)

テレビの画面が!

温泉とドライブ旅行、そしてゴルフ三昧の日々と、遊び呆けている私ですが、関西のドライブ旅から戻ってからは1週間ほど自室に缶詰め状態でした。頼まれ仕事である調べ物を完成するためです。一次原稿が出発前に出来上がっていましたから、残る作業は原稿の推敲だけです。昨年8月のブログ記事で触れた仕事とほぼ同様で、今回も専門領域から少し外れたテーマですから事前の勉強が必要でした。

 

最終原稿がほぼ出来上がったある朝、わが家のテレビの画面が突然映らなくなってしまいました。音声だけになるとまるでラジオのようです。ハイビジョン型のブラウン管テレビを6年前に購入した時は薄型テレビが普及し始めていましたが、映像の美しさが気に入ってこちらを選びました。当時の薄型テレビは画面の美しさでブラウン管テレビに及ばなかったからです。色の深みに差がありました。

 

その薄型テレビも年々改良されてブラウン管テレビと遜色ない画質レベルに達しました。昨年の展示会で見た「SED(表面電界ディスプレイ)や有機ELは画質も及第点ですから、価格がこなれるであろう2-3年後には買い換えることを考えていました。しかし突然の故障には困りました。すぐにはその候補が決められないのです。

 

この時点ではやはり修理するするしかありません。販売店の延長保証契約期間である5年が過ぎていますから、ソニーのWebサイトにアクセスして修理を依頼しました。障害の内容を申請する仕組みがあって便利です。出張修理の日と時間帯を指定できることもありがたいです。翌日の午後に空きがありました。

 

当日は午前中に電話で訪問時間が通知されました。そしてそのタイミングに2人の担当者がわが家を訪れました。手際よく大きなテレビの中身をケースから取り出します。雪のように積もった埃を掃除機で取り除きます。大きなプリント基板の複雑な回路から故障したと見られるIC3個取り外して新しいものと交換すれば修理は完了です。半田を吸い取る機能が付いた半田鏝が便利です。1時間ほどの作業でした。
 

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録再機器との配線などが元通りかどうかを確認する手順にも安心感がありました。Webサイトにアクセスした時に概算の修理料金が3万円強と提示されていましたので、修理の内容から見て、十分その範囲に収まるものと思い安心しました。

 

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テレビが元通りの場所に設置されたあとに修理担当者から修理内容の説明がありました。高電圧回路のICが故障したのが原因とのこと。そしてそのICは保証期間が延長されているので修理は無償であり、しかも出張料金も請求されませんでした。エレクトロニクス技術に詳しい私には障害の背景が何となく分かりましたが、感謝しながら担当者を見送りました。

 

これまでずっとこのメーカーのテレビを購入してきましたが、SEDテレビに表示された映像の美しさに惹かれた私は次の最有力候補として別メーカーの製品を考えていました。今回の経験からやはりこのメーカーの有機ELテレビにしようかと気持ちが揺らぎます。そして今月中旬に江東区有明で開催される国際フラットパネルディスプレイ展”Display 2008”が待ち遠しくなりました

 

 

付記: 家電製品の故障

 

蛇足ですが、わが家にはこの数年間に故障した家電製品がいくつもあります。エアコンは購入して1年ちょっと経った時にフラップが動かなくなりました。プラスチック製のバーが破損したことが原因でした。保証期間を僅か1ケ月過ぎていましたが無償修理の扱いをしてくれました。酸素チャージ機能付きの最大手メーカー製です。

  

購入して2年ちょっとのDVDレコーダー(HDD付)はDVDディスクを読み取れなくなりました。購入した秋葉原の量販店の修理部門へ持ち込みました。光ディスクドライブの交換が必要で数万円と高額の見積もりでしたが、ハイビジョン番組をHDDに録画できる最初の商品(おのずから高価格)でしたので、修理を依頼しました。

 

もうひとつは故障ではありませんが、某社製のドラム式洗濯機(乾燥機能付き)がリコールの対象となりました。つい先日、なんと3回目の部品交換に担当者がわが家を訪れました。丁寧な対応でしたが同居者は問題点の説明をさっぱり理解できなかったそうです。イヤハヤ! 各社各様の対応でした。

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2008年4月 2日 (水)

愛宕山でお花見

昨日のゴルフは、ホームコースの桜がほぼ満開になり、お花見をしながらのラウンドになりました。花に気を取られたためかどうかスコアは平凡なもので残念です。関東地方では所によって強風が吹き桜の花が散り始めたとのニュース報道もありましたが、今回のお花見は先週金曜日に訪れた桜の名所です。 

  

お花見に出かける前に下丸子駅で東急多摩川線を降りました。大田区下丸子にある某企業の株主総会に出席するためです。駅の改札口から先には人並みが続いて案内板を持つ社員に誘導されて敷地内に入ります。人工的ですが良く整備された構内で咲く桜の花に思わずシャッターを押しました。

 

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2008_03280023_2株主総会はちょうど2時間で滞りなく終了しました。経営者の口から直接話が聞ける機会は貴重です。つまり企業などすべての組織はトップの理念と品格が重要だと思うからです。まずまず満足できる内容でした。

東横線から日比谷線に入って神谷町駅で下車しました。サラリーマンになって数年目の頃でしたが、この駅を2年ほど通勤に使っていましたので良く知るエリアです。今でも覚えていますが1974830日の昼休みのこと、神谷町駅近くの高台にあるビルの屋上で昼食後の休憩している時に、東京駅の方向で煙が見えました。過激派による丸の内の三菱重工本社爆発事件でした。当時、昼休みには芝公園へよく散歩に出掛けましたが、そのすぐ近くでも訪れていない場所がありました。それは愛宕神社です。

駅を出て御成門方面へ100mほど歩いて横丁に入りました。右手に高層マンションを見ながら天徳寺などのお寺を抜けると丁字路に行き当たります。右手に進めば愛宕トンネルですが、その左手前にある階段を上りました。愛宕神社への近道です。

 

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急な階段を上りきった左手が愛宕神社の境内です。甘味処の周辺で桜がほぼ満開でした。愛宕神社は徳川家康が江戸に幕府を築いた時に江戸の防火のため江戸城内に建立されました。主祭神は火産霊命(ほむすびのみこと)です。弁財天社の奥の池にはお決まりの鯉が人の気配に惹かれて岸辺で押競(おしくらべ)をしています。

 

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隣にあるNHK博物館にも立ち寄りました。放送の開始以前からの歴史とラジオ・テレビ放送に関連する貴重な遺産が展示されています。東京23区内で最も高い愛宕山から江戸の武家屋敷を撮影したパノラマ写真も印象に残りました。

 

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懐かしさの気持ちとともに館内を観て回りました。八木・宇田式アンテナ(現在は八木アンテナと呼ばれる)、高柳健次郎氏の有名なテレビ実験(大正15年のブラウン管表示)、ラジオ放送開始時(大正14年3月22日)のラジオ受信機、玉音(ぎょくおん)放送の録音に使われたものと同型の機材などいずれも貴重な遺産です。

   

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有名な石段を下りました。「出世の石段」と呼ばれるそうです。「寛永の三馬術」の曲垣平九郎(まがきへいくろう)で知られます。家光の命にただ一人名乗り出て、馬で石段を上り愛宕山に咲く梅を家光に献上した故事が残っています。これにより曲垣平九郎は日本一の馬術の名人として全国で知られたと伝えられます。歩いて上り下りするだけでも大変な急階段ですからとても信じられませんが、後世になって同じように馬で上り下りした人が三人いるそうです。また勝海舟と西郷隆盛が江戸城の無血開場を最初に話し合ったのがこの愛宕山だったそうです。(愛宕神社のhp)

  

ちなみに愛宕山は全国にありますが、そのほとんどは京都市北西部の愛宕山山頂にある愛宕神社を総本社とする愛宕神社に関連があるようです。昨年5月に訪れた小石川後楽園内にも愛宕坂(47段のミニチュア石段)がありました。

     

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愛宕神社前交差点から青松寺前の桜並木を抜け、愛宕グリーンヒルズを大回りして神谷町駅まで戻りました。桜の花越しに東京タワーが間近に見えます。

 

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