秋葉原今昔物語
前回記事のテレビとは関係ありませんが久しぶりに秋葉原へ出掛けました。近くの家電量販店では売っていない小物を探すためです。地下鉄銀座線末広町駅で下車、中央通りの歩行者天国を南に歩きました。
中央通りには昔と変わらない人込みがありましたが何か違う雰囲気が感じられます。
独身時代は無線機やアンプを自作するために使う電子部品を買い求めてJR秋葉原駅を利用しましたが、結婚してからは家族を車に乗せて出掛けました。週末に一般開放されていた旧神田青果市場の駐車場に車を停めることができました。平成2年に閉鎖されたその跡地には「秋葉原クロスフィールド」(秋葉原UDXと秋葉原ダイビルの2つの超高層オフィスビル)が2006年にオープンしています。
その頃は昼食をとる店の数も限られていましたので大抵はアキハバラデパート周辺の小さな大衆食堂を利用していました。そのアキハバラデパートも一昨年末に閉店して今は工事用の塀に囲まれています。現在は電気街のあちこちに食事処が数10店舗もあって選ぶのに迷うほどです。そして駅裏の雰囲気があった秋葉原駅昭和通り口周辺の旧国鉄所有地には2005年に「つくばエクスプレス秋葉原駅」(地下駅)が完成、ヨドバシカメラの大型店「Yodobashi Akiba」が進出して秋葉原電気街の勢力図が大きく変化しました。
昔と変わらずに残っている場所もあります。「ラジオセンター」「東京ラジオデパート」(右下の写真で中央にある黒っぽいビル)、そしてテナントは大きく変わりましたが「ラジオ会館」です。いずれも名前に「ラジオ」が付いているのは秋葉原の伝統を受け継いでいることを物語っています。現在の秋葉原の電気街は戦後まもなくラジオ部品を売る闇市がガード下に集まったのが始まりなのです。当時、ラジオ受信機は完成品よりも町の「ラジオ屋さん」が秋葉原で部品を買って組み立てることが多かったのだそうです。
廣瀬無線、山際電気商会、石丸電気、ミナミ無線などの店が問屋として台頭、「秋葉原の電気街」を構成して現在に至っています。昭和30年代からの高度経済成長期は家電が普及し始めた時代で、テレビとオーディオの普及とともに昭和40年代の秋葉原電気街は黄金期を迎えました。
さらにパソコンの登場とビデオの普及で昭和50年代も活況を呈しましたが、昭和60年代には家電不況が発生して平成時代に入ると秋葉原の老舗店(ヒロセムセンとシントク)が閉店する一方で、新宿などのカメラ系ディスカウントショップの家電販売参入や地方の家電量販店のヤマダ電気やコジマ電気が台頭、PCの専門店も現れるに至って秋葉原はAVと情報家電の街へと変貌しました。(参考: 秋葉原電気街新興会のhp)
現在は、さらにアニメ・キャラクター、メイド喫茶、ゲーム、フィギュアなどが秋葉原の表舞台に立ち、新宿や原宿などのようにストリート・ミュージシャンが歩行者天国の主役になっていました。
東京ラジオデパートを巡ったあと、通いなれたラジオセンター内の店で目的のものを見つけました。年代物の電気製品に使う小物部品ですから仕様の合うものを見つけるのに苦労しましたがやはり世界の秋葉原です。ちなみに地名の由来を当ブログの「東京の地名」で紹介しています。
付記: 本題とは関係ありませんが、一昨日作詞家・脚本家・作家の川内康範さんが逝去されました。私は十八番である「花と蝶」「伊勢佐木町ブルース」「恍惚のブルース」「誰よりも君を愛す」「君こそ我が命」などをカラオケで長年楽しませてもらいました。川内さんは多数の映画で原作・脚本・監督を手掛けられ、懐かしいテレビドラマ「月光仮面」の原作者であり主題歌「月光仮面は誰でしょう」「月光仮面のうた」の作詞家でもある多才かつ気骨のある昭和人でした。ご冥福をお祈りします。
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