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2008年5月 5日 (月)

豪徳寺から祖師谷へ(前編) 「招き猫と世田谷城址」

東急世田谷線の宮の坂駅で下車しました。城山通りの裏にある烏山川緑道を東南方向に歩くと清涼橋です。暗渠化されていますから橋の面影はありませんが鉄フレームの車止めに豪徳寺橋との表記もありました。

 

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清涼橋から参道に入って豪徳寺へ向います。八重桜が散り始めて地上は桜田麩(さくらでんぶ)のようになっていました。

 

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総門の碧雲関を抜けて木立に伸びる参道を進むと正面に仏堂が見えてきました。

 

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仏堂に向って右手に臥竜桜があり、左手には新しい三重寶塔が建っています。

 

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仏堂の奥が本堂です。
 
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前庭では豪華なボタンの花が咲き競っていました。
 
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大渓山豪徳寺は世田谷に所領を有していた近江彦根藩井伊家が檀徒でした。招き猫(招福猫児、まねぎねこ)の発祥の地とされます。殿様を寺に招き入れた猫のお陰で井伊家の菩提寺となったことが由来と説明されていました。本殿の右手前の案内所で招き猫が売られています。「ヒコニャン」も置かれているのは彦根城との縁があるからでしょう。仏堂の左手から墓地に向う途中に猫観音を祀る招猫殿がありました。

 

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日米修好通商条約の締結や安政の大獄に反発する水戸藩士らによって江戸城桜田門外で暗殺された大老井伊直弼の墓(都指定史跡)があります。仏堂に貼られた説明には彦根市の清涼寺と近江市の永源寺とともに国指定史跡に指定される予定と書かれていました。安政の大獄については生麦事件の記事で触れています。

 

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世田谷城址公園にも立ち寄りました。赤穂浪士に討たれた吉良上野介義央(よしひさ、三河吉良氏)の先祖である足利義氏(よしうじ)から別れた世田谷吉良氏が世田谷領を与えられて、南北朝時代中期にその子孫の吉良成高が築城したと伝えられます。城址と言っても豊臣秀吉の小田原攻めの後に廃城となり石垣は江戸城の築城に使われたために現在は小山のある小さな公園にすぎません。南側に一部残っているようですが現在公園内で見られる石垣は公園整備のために造られたものだそうです。ちなみに吉良氏は清和源氏足利氏の流れを汲む名門であり、徳川氏にも厚遇されて殿中の儀礼を司る高家(こうけ)に登用されています。(続く)
 

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