« 2008年5月 | トップページ | 2008年7月 »

2008年6月に作成された記事

2008年6月30日 (月)

りんかい線と有明・青海散策(後編)

出会い橋を渡る途中、右手の大きな駐車場でメルセデス・ベンツの試乗会が行われているのが見えました。5月下旬にマイナーチェンジされたばかりのCLSクラスかとちょっと興奮したのですが、よく見るとCクラスとEクラスでした。パイロンが並ぶ試乗コースをスラロームしながら全速で走り抜けるのは通常の試乗会ではなさそうです。おそらく車の評論家向けの催しなのでしょう。羨ましくてしばらく眺めていました。(528日撮影)

《付記》 後で調べてみました。近くのメリディアンホテルで同日開催されたAMGモデルの試乗会だったようです。AMGとはメルセデス・ベンツのチューンアップした高性能モデルです。そう言えば試乗車にはエアロパーツが付いていました。

 

2008_05310028 2008_05310031 2008_05310029 2008_05310030 

出会い橋を過ぎて煉瓦の舗道を歩くとセンタープロムナードがウエストプロムナードと丁字路を構成しています。好き嫌いが分かれそうな巨大なオブジェ「自由の炎像」を見ながら右に折れると台場です。「ゆりかもめ」の台場駅周辺にはユニークなデザインのフジテレビ本社(左上の写真)、ホテル グランパシフィック メリディアン(6月にメリディアンをル・ダイバと変更)とホテル日航東京、さらにアクアシティお台場やデックス東京ビーチなどがあります。

   

2008_053100322008_05310033_2   

今回は左手の青海方面へ向かいます。右手に「船の科学館」が見えて来ました。ずいぶん昔、おそらく30年ほど前のことですが「月の石」を見るために訪れたことがあります。写真には写っていませんが横の桟橋には南極観測船「宗谷」が係留されています。右手に並ぶのは硬い名前の建物です。東京国際交流館、日本科学未来館、産業技術総合研究所など。左手のワイルドフラワーの先にある大きな建物はフジテレビ湾岸スタジオ、そして正面はゆりかもめのテレコムセンター駅とテレコムセンタービルです。

  

2008_05310034

2008_05310036

2008_05310035 2008_05310037   

ウエストプロムナードの終点には大きな滝と小川のせせらぎが涼しげです。

 

2008_05310042 2008_05310043 

2008_05310044 テレコムセンター駅の先は「大江戸温泉物語」があり、さらに倉庫街へと続きます。3つのプロムナードを歩いてみるとエリア毎に異なる施設があることが分かりました。

  

シンボルプロムナード公園は遊具のある子供向けの公園ではなく、防災時の避難場所としても使用される広い遊歩道(総延長約4km、幅員約80m)に沿ってのんびり散策を楽しむことができる大人の空間でした。□

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月29日 (日)

りんかい線と有明・青海散策(前編)

渋谷駅から埼京線に乗ると電車は大崎駅から「りんかい線」に乗り入れます。東京臨海高速鉄道りんかい線は東京都が第三セクター方式で運営する鉄道で、大崎駅と新木場駅(約12km)を結んでおり、大井町駅と国際展示場駅の間は地下区間になっています。

今回の散策はインターネットの展示会とセミナーのために訪れた東京ビッグサイト(国際展示場)とりんかい線の国際展示場駅から台場・青海(あおみ)方面に伸びる「シンボルプロムナード公園」(都立の緑道公園)です。湾岸道路を挟む反対側には日本のテニスのメッカである有明テニスの森公園(有明コロシアム)があります。

東京ビッグサイトと国際展示場駅前から丁字型で南西に向かうエリアは「イーストプロムナード」と呼ばれます。左手にはビル群が並んでいます。癌研有明病院、東京ベイ有明ワシントンホテル、有明フロンティアビル、IDC大塚家具が入るTFT(東京ファッションタウン)ビル、そしてテレビCMに時々登場する東京ベイコート倶楽部です。ツインビルの上部がつながったユニークなデザインです。
 
2008_05310001_22008_053100022008_053100042008_05310014 

右手はオープンな空間ですがパナソニックセンター東京と水の科学館があります。「つどい橋」を渡ると前方に運河と「夢の大橋」が見えてきました。プロムナードを横切る道路に真っ白なストレッチ・リムジンが停まっています。米国フォード社製リンカーン・タウンカーのリムジンでした。私を迎えに来てくれたのではなさそうです。

 
2008_053100052008_05310007_22008_053100082008_05310009 

「夢の大橋」を渡ると青海の「センタープロムナード」に入ります。左手には大観覧車がある東京レジャーランド、メガウェブ、パレットタウン、ヴィーナスフォートなどの娯楽施設があります。

 

2008_05310019 2008_05310020 2008_053100212008_05310027

 

右手の遠景で、茶色いツインビルはザ・タワーズ台場、その先にイトーキ本社(予定)、サントリー、双日本社(旧日商岩井とニチメンが合併、トヨタの開発部隊も同居)、フジテレビ本社などのオフィスビルが並びます。手前がりんかい線の東京テレポート駅です。

 

2008_05310010_2 2008_05310022   

ワイルドフラワーのエリアにはポピーが咲き乱れていました。(続く)
 

2008_05310018 2008_05310023 2008_05310024 2008_05310025

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年6月27日 (金)

JR湘南新宿ラインと鎌倉散策(後編)

昼食は、いつもの蕎麦やうどんではなく、ドイツ菓子とパンで有名なベルグフェルドBergfeld)長谷店でした。まだ12時前でしたが満席に近い状態で、しかも9割以上が女性客なのもこの店らしいと思います。人気があることがうなずける美味しいライ麦パンのサンドイッチでした。

 

2008_06210071 2008_06210077 

次は定番の高徳院内にある鎌倉大仏です。正式名称は阿弥陀如来坐像で、寛元元年(1243)に大仏開眼(かいげん)が行われたそうです。この大仏が木造であったため台風で倒壊し、現在の大仏は建長四年(1252)から青銅を使って再建が始められたもので国宝に指定されています。大仏殿も何度となく倒壊して現在は露座の大仏となってしまいました。5年ほど前に遺構の調査が行われて大仏殿の規模が判明しています。長年に渡って風雨に曝(さら)された大仏は傷みが進んでいるため酸性雨の影響を調べる調査が行われていました。左下の写真で大仏の頭上に見えるのは鳥のようです。

 

2008_06210085 2008_06210089 

長谷寺と名月院(あじさい寺)に次いで紫陽花の名所として最近知られるようになった成就院(じょうじゅいん)は弘法大師が数日間滞在したとされる真言宗の寺です。ちょうど「空海の風景」(司馬遼太郎著)を読んでいますから立ち寄りたいところですが、大変な混雑が予想されるため、今回はスキップすることにします。江ノ電に乗って鎌倉駅に戻り小町通りへ向かいました。
 
2008_062100942008_06210098 

アメリカ人の学生達にはこちらの方が良さそうです。あちこちの店先を覗いたり、小物を買ったりで、テンションも上がってきました。「紫いものソフトクリーム」に興味を示し、初めて体験する味だと言いながら嬉しそうになめています。

 

2008_06210105 2008_06210109 2008_06210110 2008_06210111 

小町通りの店先に綺麗な花々を見つけました。

 

2008_06210070 2008_06210108 2008_06210113 2008_06210114 2008_06210116 2008_06210120   

夕方まで天気が崩れずにすんだことで楽しい鎌倉散策になりました。帰路もJR湘南新宿ラインです。最寄り駅から自宅まで歩くときには雨足が強くなっていました。

<同行者のコメント> 昨年と同じで大変な混雑でした。旦那さまは気楽なのか写真撮影に夢中になっていました。花の写真だけと思っていましたがいろんなことを考えていたのですね。私は小さなお菓子をいくつもお土産に買い求めました。□
 
2008_062100722008_06210073 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月26日 (木)

JR湘南新宿ラインと鎌倉散策(前編)

渋谷駅からJR湘南新宿ラインに乗って東京メトロの副都心線とは反対の南へ向かいました。JR湘南新宿ラインは池袋・新宿・渋谷の副都心から湘南地方へ直通で行くことができる電車です。神奈川県方面は逗子行きと小田原行きがありますが、それぞれ栃木県宇都宮および群馬県前橋との間を結んでおり東京を通過する旅客に便利です。

今回の目的地は久しぶりの鎌倉です。同居者のアメリカに住む知人からの紹介で来日した学生達を案内する場所に選ばれました。同居者は昨年趣味の仲間達と紫陽花を見に来たことがあり、鎌倉駅からは鎌倉に詳しい人も合流しますから心強い限りです。つまり、いつもと違い私は引率される立場なのです。

前置きはこれ位にします。渋谷駅からJR新宿湘南ラインに乗って約50分で鎌倉駅に到着しました。さらに江ノ島電鉄で長谷に向かいます。土曜日だからなのでしょう、プラットフォームが人で溢れ、車内も大変な混雑でした。長谷駅からは人並みが長谷寺(長谷観音)まで続いています。拝観券売り場にも長い行列が出来ていました。今は花菖蒲と紫陽花がシーズンで雨に濡れた新緑と綺麗な花々が良いコントラストになっています。紫陽花は40種類以上、約2500株もあるそうです。
 
2008_062100132008_06210067 
長谷寺は天平8年(736年)に創建され、その後何度も再建されたと伝えられます。境内に入ったところにある妙智池と放生池の花菖蒲や桔梗が涼しげです。

 

2008_06210016 2008_06210017 2008_06210021 2008_06210023   

観音堂で黄金に輝く十一面観音菩薩と大黒堂の大黒天にお参りしたあと、急な石段を上って紫陽花散策路に入りました。入場制限があるようです。

 

2008_06210025 2008_06210028 2008_06210033 2008_06210035   

様々な種類の紫陽花が満開で写真撮影にも力が入ります。アップで撮影した写真は上から西洋アジサイ、ウズアジサイ、紅額、清澄沢、夏祭り?、かまくら、エーゲ海ではないかと思います。(6月21日撮影)

 

2008_06210037 2008_06210022 2008_06210038 2008_06210039 2008_06210040 2008_06210041

2008_06210042 2008_06210043 2008_06210044 2008_06210045 

見晴台から街並みと由比ヶ浜を望むことができました。放生池の近くで房のように咲く珍しい紫陽花を見つけました。柏葉紫陽花です。

 

2008_06210051_3 2008_06210066    

弁天窟(弁天堂)には八臂(はっぴ、八本の腕を持つ)弁財天が祀られています。弘法大師の作と伝えられ、大師がこの洞窟に籠られたとも言われます。

 

弘法大師が四国の室戸岬にある「御厨人窟(みくろど)あるいは御蔵洞(みくらどう)」で悟りを開かれたことと、その時に洞窟から空と海だけを見て修行したことから自ら空海と名乗られたことは良く知られています。

 

2008_06210064_3 2008_06210069    

長谷寺を出た時には人の列はさらに長くなって、「アジサイ鑑賞の待ち時間」の案内板は「20分以上」が「40分以上」にちょうど掛けかえられました。(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月23日 (月)

地下鉄副都心線と雑司が谷散策(後編)

次の目的地は荒川線の踏切を渡った「雑司が谷霊園」です。雑司が谷の名がありますが現在の住居表示では南池袋です。谷中や青山などと同じ都の霊園で、著名人の墓が多いことが知られます。日本の近代化に貢献した徳川家旗本の小栗上野介、作家の夏目漱石、永井荷風や泉鏡花、画家の竹久夢二、さらに小泉八雲や島村抱月などです。最近の人では大川橋蔵、サトーハチロー、いずみたくの名も見えます。

他の墓地のように案内があるだろうと高を括って訪れたのですがそれらしきものは見当たりません。広い霊園内を歩き回ってやっと半分ぐらいを見つけたところで残りを探すことは断念しました。梅雨の晴れ間に夏日となった暑さで、同行者は木陰で待つ間にエンスト(オーバーヒート)してしまったからです。
 
2008_061800862008_06180097 

写真は小栗上野介、同、竹久夢二、夏目漱石、永井荷風、泉鏡花の墓石です。

 

2008_06180087 2008_06180088 2008_06180091 2008_06180094 2008_06180096 2008_06180102   

小栗上野介(こうずけのすけ)は最近その功績を再評価されていますが、官軍に処刑されたこともあってか、墓石は思いがけないほど質素でした。一方、夏目漱石の墓はユニークなデザインで他を圧しています。入口の案内を偶然見つけた大川橋蔵さんは本名を知らないため見つけられませんでした。あとで丹羽富成さんであることを知りました。

 

雑司が谷霊園から曲がりくねった道を南に歩きました。雑司が谷1丁目に「旧宣教師館」があります。米人宣教師の住居だった場所で瀟洒な洋館が綺麗な庭に囲まれて建っていました。現在は豊島区の所有となって一般に無料開放されています。ちなみに区と都の有形文化財に指定されています。

 

2008_06180105 2008_06180106 2008_06180108 2008_06180109 

雑司が谷駅に戻って副都心線に乗りました。今回の最終ポイントは新宿三丁目駅です。前回、新宿を散策した時にはまだ工事中だった駅です。渋谷駅と同様に吹き抜けがあり、大きなガラスを多用したデザインになっています。

 

2008_06180113 2008_06180121 

伊勢丹前で既存の地下街とクロスするように真新しい地下道が伸びていました。この地下道が出来たことでJR新宿駅南口にある高島屋が新宿3丁目にあるマルイ、伊勢丹本店、同2号館と結ばれました。既存の地下道を利用すればJR新宿駅東口のルミネ、西口の小田急、小田急ハルク、京王などのデパートや専門店の三越アルコットなどがすべて地下道で結ばれたことになります。この日は高島屋へ向かう人並みが目立ちます。

 

2008_06180122 2008_06180123 

焦点が定まらない散策になってしまいましたが何れも印象に残るスポットでした。

<同行者のコメント> 目的地は渋谷と新宿のはずでしたが気がつくと炎天下の雑司が谷を歩いていました。今回はなぜか温泉が入っていません。ちょっと「くたびれ儲け」をしたような気分です。□

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月22日 (日)

地下鉄副都心線と雑司が谷散策(前編)

先週末に開通した副都心線もそろそろ正常になった頃であろうと乗ってみることにしました。開通した直後は見物客が押し掛けたり停電事故が発生したりで大変だったようですからいつものように時間差取材です。

出発地は始発の渋谷駅です。JR渋谷駅と地下鉄半蔵門線(東急田園都市線)からの乗換えが容易になっています。近い将来は東急東横線への乗り入れで横浜の「みなとみらい」や「元町・中華街」まで直通になる予定です。そのためプラットフォームは暫定的な構造になっていました。上りと下りのプラットフォームが線路を跨いで往き来できるのです。東横線に向かう線路を覆うように床が設置されているのは不思議な光景です。

 

2008_06180054 2008_06180055 2008_06180056_2 2008_06180118   

渋谷駅を設計したのは世界的な建築家の安藤忠雄氏です。表参道ヒルズ東京ミッドタウンの記事で触れています。オープンな空間を巧みに演出していますから地下鉄構内に有り勝ちな圧迫感をほとんど感じさせません。吹き抜けやエスカレーターの屋根にも工夫がありました。お椀を伏せたような奇妙なものがその屋根です。
 

2008_06180125 2008_06180126

2008_061801152008_06180116 

副都心線用の新型車両(東京メトロ10000系)の中も同様の印象です。少し浅めのベンチシートは通路を広くしていますし、車両の連結部も大きなガラス戸で、隣の車両が続いているように見えます。

 

2008_06180059 2008_06180057 

最初の目的地は池袋のひとつ手前の「雑司が谷(ぞうしがや)駅」です。

 

2008_06180060 2008_06180061   

以前、都電荒川線に乗った時に通過したことはありますがはじめての雑司が谷散策です。先ず向かったのは都電荒川線「鬼子母神駅」横の踏み切りを渡った鬼子母神(きしもじん)です。一般には「きしぼじん」と読まれるため荒川線の駅名も「きしぼじんまえ」になっています。すぐ近くの目白通りを挟んで学習院があります。

 

2008_06180062 2008_06180080   

参道に続く大欅の並木「大門欅並木」を抜けて左に折れると本堂が見えました。

 

2008_06180078 2008_06180077 

安産と子育(こやす)の神様です。鬼子母神の由来は省略しますが、本堂の右手に鬼子母神の石像が立っていました。名前の通りに怖い顔をしています。

 

2008_06180068 2008_06180067   

本堂に祭られる鬼子母神は近くの法明寺(元の大行院)に安置されたものが江戸初期に「稲荷の森」に移されたそうです。境内にある武芳(たけよし)稲荷堂のことかもしれません。樹齢600年とされる都指定文化財の「大公孫樹(おおいちょう)」が見事です。

 

2008_06180075 2008_06180073 2008_06180072 2008_06180069 

西参道から東京音楽大学の前を抜けて荒川線の脇にある大鳥神社にも参拝しました。(続く)

 

2008_06180065_2 2008_06180063

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月18日 (水)

大徳寺と蒲生氏郷(後編)

大徳寺に参拝したあとは高速道路で帰宅するだけですから、もう少し寄り道をして蒲生氏郷の生誕地に立ち寄ることにしました。北大路と白川通りから三条通りで蹴上を経て国道1号に入りました。逢坂山関址碑がある大谷町を過ぎると大津市の市街地です。いつものことですが渋滞が続きます。栗東市と湖南市を抜けて甲賀市水口から国道307号に入り日野町へ向かいます。日野高校の先の松尾交差点を右折して旧街道(日野商人街道)に入り、近江商人の典型とも言われる日野商人の資料を展示する近江日野商人館に立ち寄りました。

 

2008_05250087 2008_05250088   

少し先を右手に入ると信楽院(しんぎょういん)です。この寺は蒲生氏の菩提所で蒲生氏郷の墓(遺髪搭)がありました。県指定文化財の本堂は前面に土間があるユニークなものです。

 

2008_05250089 2008_05250092 2008_05250091 2008_05250094_2  

氏郷が生まれた日野城(地元では中野城と呼ばれる)の城址は信楽院から1kmほど東にあり、本丸の石垣が僅かに残っています。城址の石碑が茶畑の横に建っていました。茶畑の先にある日野川ダムに日野城の多くの遺構が沈んでいるのだそうです。

 

2008_05250095 2008_05250096 2008_05250097 2008_05250098   

日野城についてのエピソードです。信長が本能寺で倒れた直後に安土城の留守居役を仰せつかっていた父の蒲生賢秀(かたひで)と日野城に待機していた氏郷が、近江衆のほとんどが光秀に従う中、信長の妻妾をこの日野城に迎えて明智軍を迎え討とうとしたことが良く知られています。日野城は明智軍(明智秀満)に包囲されましたが、秀吉の中国大返しで明智光秀が敗れたことで、明智秀満軍が安土城へ引き上げて危機を脱しました。下の写真は本丸跡にある涼橋神社と稲荷神社です。少し離れた場所に「産湯の井戸」を見つけました。

  

2008_05250100 2008_05250101 2008_05250102 2008_05250104   

蛇足かもしれませんが、最後に氏郷の生涯を簡略に説明します。

近江の名門蒲生家(6万石、奥州藤原氏の流れを汲むと言われる)の嫡男として生まれる。蒲生家は信長に抵抗した近江(佐々木)源氏六角氏の臣下であったため氏郷は信長の人質となり岐阜城に移るが、信長に見込まれて娘の冬姫を妻に迎える。信長亡き後は秀吉の下で数々の武勲をたて、伊勢松ヶ城主12万石(後に松坂城を築城)の大名に取り立てられ、38歳で会津黒川城主42万石(後に加増されて会津若松城主92万石)の大名となった武将です。当時、徳川家康と毛利輝元に次ぐ天下三番目の大大名でした。しかし秀吉の朝鮮出兵に随行して九州の名護屋まで出陣した折に急な病を得て、一度会津に戻るが、京伏見の蒲生屋敷で40歳の若さで死去する。

歴史に「たられば」はありませんが、早世しなければ、文武に秀でた蒲生氏郷はもっと歴史を変える人物になったかもしれません。興味のある方の参考として私が読んだ関連の著書を下記にします。

「小説蒲生氏郷」童門冬ニ著 集英社文庫

 蒲生氏郷と近江商人西野仁衛門の異なる人生観と生涯を画いた優れた長編小説

「近江商人魂 蒲生氏郷と西野仁右衛門(上下巻)」童門冬ニ著 人物文庫

  (上記小説蒲生氏郷の旧版、改題のみで内容は同じ)

「蒲生氏郷」佐竹申伍著 PHP文庫

  戦国の名将蒲生氏郷の生涯を活き活きと描写した時代小説

「蒲生氏郷」池内昭一著 新人物往来社

  地元出身の著者が氏郷の生涯と人となりを記述した伝記

「蒲生氏郷」横山高治著 創元社

  氏郷の生涯が平易な文章で書かれており読み易い本

「戦国群雄伝5 蒲生氏郷勇躍」神宮寺元著 歴史群像新書

  著者の創作が含まれた痛快戦記物

蒲生氏郷の先代が日野城に移る前に拠点としていた音羽城にも立ち寄りました。丘の上の城址は公園となっており、音羽城祉の石碑以外に遺構らしきものは何もありません。石楠花(しゃくなげ)街道で国道1号に出て、甲賀土山ICから新名神高速道路に入れば約400kmで我が家です。

 

2008_05250105 2008_05250106 

途中で休憩した伊勢湾岸自動車道の刈谷PA(ハイウェイオアシス)で瀬戸物の展示即売会が開かれていました。「せともの楽市」です。信長の影響を受けた氏郷が城下で奨励した楽市楽座(自由な商工業)を連想して、氏郷の出生地を訪ねたばかりの私は何かの因縁を考えてしまいました。水が循環する壺に心惹かれている私の脇で同行者は熱心に茶碗を選んでいます。□

 

2008_05250110 2008_05250111

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月17日 (火)

大徳寺と蒲生氏郷(前編)

京都滞在の最終日は大徳寺を訪れました。北区紫野にあります。堀川通りから北大路に入りました。コインパーキングに車を停めて北大路を歩き、大徳寺前の交差点を右折すると、大徳寺の駐車場がありました。迂闊でした。同行者は駐車場を指差しながら「以前、来たことがあると」言います。咄嗟(とっさ)にはいつだったか思い出せません。

境内に入ると右手に勅使門、山門(金毛閣)、仏殿、法堂(はっとう)が一列に並んでいます。応仁の乱で荒廃したこの寺を復興したのが一休禅師でした。山門(三門)の復興に当たっては千利休(せんのりきゅう)が二階部分を寄進して、参拝者を見下ろす形で自らの像を安置したため、秀吉の怒りを買って切腹させられたとも伝えられます。

 

2008_05250023_3 2008_05250024 2008_05250025 2008_05250027 

これらの建物と並行する石畳の参道は臨済宗大徳寺派大本山らしい凛とした雰囲気です。参道の行き当りにある方丈(右下の写真)には国宝の方丈玄関と唐門がありますが残念ながら拝観はできません。大徳寺の境内には20を越える搭頭(たっちゅう、寺院)があるそうです。そのうち大仙院、高桐院(こうとういん)、瑞峯院(ずいほういん)、龍源院(りょうげんいん)の4つは常時拝観ができます。

 

2008_05250026 2008_05250044 

高桐院は方丈の前の参道を左手に進み、近衛家廟所と石田三成の墓がある三玄院を抜けて、さらに左手に入った所です。

 

2008_05250028 2008_05250045 2008_05250029 2008_05250030   

紅葉の名所として知られる細川家の菩提寺です。細い参道を折れ曲がりながら入ると拝観者用の入口でした。庭は雨に濡れた苔と木々の緑が鮮やかです。

 

2008_05250031 2008_05250032 2008_05250034 2008_05250035   

右手の庭に下りて釣瓶(つるべ)井戸の先へと進むと細川忠興など細川家代々の墓と細川ガラシャの墓が並んでいます。

 

2008_05250036 2008_05250039 2008_05250037 2008_05250038   

緑色の紅葉もまた美しい彩です。

 

2008_05250042 2008_05250043 

大徳寺は本能寺で倒れた織田信長の菩提を弔って羽柴秀吉が総見院を建立した寺としても知られますが、茶道に関連の深い寺です。千利休や国宝の茶道具をはじめ、茶道を愛好した織田信長の影響で臣下の豊臣秀吉、そして利休七哲(りきゅうしちてつ)でもあった細川忠興、高山右近と蒲生氏郷(がもううじさと)にも縁があります。

2008_05250047 今回、大徳寺で最後に訪れたのは信長が建立した黄梅院(おうばいいん)です。勅使門近くまで戻って南へ80mほど歩いた所にありました。毛利輝元や小早川隆景など多くの戦国武将とともに蒲生氏郷の墓があるのですが、やはり拝観はできませんでした。開かれた門から僅かですが建物と庭が見えます。拝観できる日があればまた訪れたいと思います。

 

2008_05250048 2008_05250049 

実は戦国武将の蒲生氏郷に興味を持ち、近頃は氏郷のことを書いた本を読み漁っています。織田信長豊臣秀吉徳川家康の天下人はもちろん、武田信玄、明智光秀伊達政宗などの戦国武将が良く知られることに比べると蒲生氏郷の知名度は高くありませんが、何冊も本を読み進むにつれて興味深い人物であることが分かりました。信長の影響を受けて築城・町造り・商工業の振興に熱心で、高山右近と親交があったことでキリシタン大名(洗礼名はレオン)となりました。

大友・木村・有馬などのキリシタン大名が天正10年にローマへ派遣した有名な「天正の少年使節」と同様、蒲生氏郷も天正12年に家臣の山科勝成ら12人を、天正14年に竹村知勝らを、天正16年に異母弟の貞秀を、さらに18年には町野友重をローマへ派遣したと伝えられます。(池内昭一著「蒲生氏郷」より)

氏郷と秀吉が死去した後、大坂冬の陣が起こる前年の慶長18年にライバルの伊達政宗が家臣の支倉(はせくら)常長を正使としてローマに派遣した「慶長遣欧使節」も良く知られています。一昨年、宮城県の牡鹿(おが)半島をドライブした時に支倉常長が出港した牡鹿郡月ノ浦(現在の石巻市月浦港)を通過したことがあります。(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年6月14日 (土)

貴船神社とくらま温泉「峰麓湯」

府道38号(鞍馬街道)の貴船口(きぶねぐち)で左に折れて貴船川沿いに貴船(きふね)神社に向かいました。所々に駐車場がありますが今回も構わず車を走らせます。貴船神社の鳥居が左手見えました。鳥居横のその名も鳥居茶屋の客引きに誘われるままその駐車場に車を停めました。神社周辺には一般の駐車場はありませんので車で訪れるには不便です。鞍馬線の貴船口駅から約2kmの道程を歩く人達を見かけました。茶屋の向かい側や並びに川床懐石料理で有名な「喜らく」「ひろや」「貴船荘」などがあります。ここで薀蓄(うんちく)です。神社名だけは昔風に「きふね」と清音ですが、地名や街道名などは濁音で「きぶね」と発音されます。

 

2008_05250057 2008_05250056 

貴船神社は縁結びの神様あるいは航海安全の神様として知られます。和泉式部がお参りして願いが叶い、不和となった夫と復縁したことで知られています。ご祭神は高おかみ神(たかおかみのかみ)で水を司る神様です。鴨川の水源地であるからでしょう。今年3月に訪れた大阪府枚方市の貴船神社は全国に約500あるとされる分社の一つです。鳥居から朱に塗られた灯籠が並ぶ石段を上ると本宮の本殿です。流れ造りで銅板葺きの屋根に特徴があります。本殿の左手には人気の水占いの霊泉があり、若い女性が水に浮く紙に浮き出た「みくじ」を熱心に眺めていました。

 

2008_05250050 2008_05250051 2008_05250054 2008_05250052 

2008_05250060500mほど先の奥宮にも参拝しました。元々貴船神社の本殿があった場所とされます。杉並木の参道を歩くと奥宮の本殿です。本宮と同じ流れ造りですが柿(こけら)葺きの屋根になっています。本殿の脇に船形石(ふながたいわ)がありました。5世紀のはじめに玉依姫(たまよりひめ)が淀川と貴船川を黄色い船で遡ってたどり着いた場所と伝えられます。

 

船形石(右下の写真)はその黄船を小石で隠したものだそうです。

 

2008_05250065 2008_05250062   

奥宮の少し手前に「連理の杉」と「つつみヶ岩」がありました。

 

2008_05250061 2008_05250059 

貴船口まで戻って鞍馬方面へ走りました。大きな天狗の面がある鞍馬駅と鞍馬寺前で道がクランク型に折れています。鞍馬寺は源義経が幼少時に牛若丸であった時に修行した場所です。仁王門(山門、右下の写真)の先から多宝塔までの区間には境内のケーブルカーがあり、山頂の本堂まで楽に上れます。この鞍馬寺からは徒歩なら最短コースで貴船神社へ行くことも出来ます。今回は時間の都合で鞍馬寺をパスしました。

 

2008_05250079 2008_05250083 2008_05250082 2008_05250078 

さらに1kmほど進むと「くらま温泉」の看板が右手に見えてきました。ホテルに併設された露天風呂「峰麓湯」だけの利用料は1100円です。石段を上りました。 

 

2008_052500772008_05250067 

鞍馬川の清流に沿った山深い温泉で露天風呂からは川越しに北山が望めます。泉質は単純硫化水素泉(天然硫黄温泉)、泉温は17度と低いため加温されています。

 

2008_05250068 2008_05250072 2008_05250073 2008_05250074   

入浴客が声高に話しています。「硫化水素って自殺に使われるやつじゃないか。ここは単純が付いているから危険じゃないんだろう。」と笑いながら軽口をたたいていました。

 

2008_05250075 2008_05250076 

<同行者のコメント> 今さら縁結びでもないと思ったのですが、和泉式部にあやかろうとするのが我がままな旦那さまの本当の目的だったのでしょうか。でも貴船神社では水占いをしませんでしたよ。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年6月11日 (水)

洛北ドライブ(後編):山道ドライブで上賀茂神社へ

もう一つの目的は山道ドライブです。国道367号をもう一度北上して国道477号に入りました。最初から国道とは思えない狭くて曲がりくねった道が続きます。高野川の支流に沿って道は山間に分け入って行きます。葛篭折の先で小さな峠を越えると大原百井町(ももいちょう)の小さな集落がありました。百井川を渡って再び林道のような舗装の荒れた道を上ると百井峠ですが木立のために視界はありません。

 

2008_05210303 2008_05210304   

2008_05210305下り坂を一気に下りると百井別れの丁字路に差し掛かりました。国道477は府道38号(鞍馬街道)と共通区間として右手に向かいます。計画では花背峠を越えて、大布施で国道477号と別れ、府道38号で佐々里峠を越えて由良川に沿って美山へ向かうことにしていました。大原でゆっくりしたため美山へ回るには時間が足りませんので府道38号を京都市街地へ戻ることにしました。この鞍馬街道は花背峠と針畑峠を越えるもう一つの鯖街道の一部です。

鞍馬川沿いの府道38号はよく整備されたほぼ真っ直ぐな下り坂です。鞍馬寺と貴船口を通過しました。立ち寄りたいところですが、明日訪れることにしていますので、叡山電鉄鞍馬線と並走しながらそのまま下ります。二軒茶屋で右にそれて京都産業大学と京都ゴルフ倶楽部の前を通過、柊野別れ(ひらぎのわかれ)を左折すると上賀茂です。予定外でしたが上賀茂神社(正式名称は賀茂別雷神社)に参拝することにしました。

祭神は賀茂別雷大神(かもわけいかづちのかみ)で、神代の昔に神社北方にある神山(こうやま)に賀茂別雷大神が降臨され、鎮座された場所に天武天皇の御世に社殿が造営されたと伝えられます。この由緒ある上賀茂神社は皇室との関係が深く、また厄除けと方位除けで庶民の信仰を集めています。境内の左手にある駐車場に車を停めて境内を歩きました。

一ノ鳥居から伸びる参道の両側が広い芝生になっているのが珍しいです。境内を豊かな水量の小川が流れています。御物忌(みものいみ)川、御手洗川、ならの小川と名付けられていました。二ノ鳥居の先に立砂を配した細殿があります。この立砂は神山を表わすと言われているようです。

 

2008_05210306 2008_05210307   

重要文化財の玉橋は渡れませんが、その先の朱に塗られた楼門を潜ると国宝の本殿と権殿がありました。境内に土屋などの社殿が無秩序と思われる配置で建ち並ぶのは不思議です。

 

2008_05210309 2008_05210308     

これら社殿のほとんどが重要文化財に指定されているそうです。ちなみに上賀茂神社は下鴨神社などとともにユネスコの世界文化遺産に登録されています。

<同行者のコメント> 寂光院はすぐ近くに温泉の駐車場がありました。そして三千院ではとても引き返せそうにない川沿いの狭い道をどんどん奥まで入って行く運転者さんはいったい何を考えているのでしょう。でも漬物を買ういいチャンスになりました。□

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月10日 (火)

洛北ドライブ(中編):大原三千院

国道367号の東側にある三千院を挟むように高野川支流の呂川(りょせん)と律川(りつせん)が流れています。2つの川の名の由来を三千院のhpで知りました。日本は単律の国であるため中国の声明(しょうみょう)である呂旋法を日本の律旋法で唱誦すると上手く呂と律を使い分けできないことを「呂律(ろれつ)が回らない」と言うのだそうです。大原は仏教音楽の修行の地であり、三千院は古くから声明の里と呼ばれています。

 

国道沿いに駐車場がありましたが、大原山荘に大きな駐車場があったことが同行者の不興を買ってしまいましたので、今回は行けるところまで行ってみることにしました。呂川に沿って進むと道がさらに狭くなって来ました。漬物屋さんの先はとても車は入れません。漬物屋「志ば久」のご主人が地図を使って親切に案内してくれました。店の前の道は車には行き止まりで、もう一本の道だと三千院の前まで行けたのだそうです。店の奥にある駐車場をお借りすることになりました。三千院まで100mほどの距離でした。 

 

三千院は学生時代に訪れて以来ですから40年振りでしょうか。当時ヒットしたデュークエイセスの歌「女ひとり」(昭和40年、1965年)の一番の歌詞に出てくる「京都 大原 三千院」の名に惹かれたミーハー的な気持ちで訪れたために寺としての三千院の記憶はほとんど残っていませんが、もう少し鄙びた印象だったと思います。今は綺麗な土産物屋と食事処が建ち並んで大変な賑わいです。城門のような御殿門がありました。立派な石垣は石工で名高い近江坂本穴太衆(あのうしゅう)が築いたものだそうです。拝観料は700円です。

  

2008_05210293 2008_05210294     

門を入って客殿で休憩しながら美しい庭の「聚碧園」をしばらく鑑賞しました。客殿の先に写経場の円融房があります。渡り廊下の先にある宸殿は宮中行事が行われる御所の紫宸殿を模したものだそうです。有清園を抜けて往生極楽院にお参りしました。黄金に輝く国宝の阿弥陀三尊像が納められています。舟底型の天井には極彩色の天井画があるそうですが薄暗いためほとんど確認することが出来ませんでした。復元模写が御殿門右手の円融蔵(えんにゅうぞう)展示室に展示されているそうです。

 

2008_05210296 2008_05210295_3

 

一番奥にある観音堂から紫陽花苑と苔に覆われた庭に置かれたわらべ地蔵の前を抜けて境内を八の字型に巡るコースで出口の御殿門へ向かいました。昨年10月に完成した円融蔵展示室にも立ち寄りました。

 

2008_05210299 2008_05210297

 
2008_05210302ちょうど昼時になりましたので御殿門前の芹生(せりょう)茶屋に入りました。私は迷わず「にしんそば」を注文しました。昨年の夏、白川を辿った時に白川通りの店で食べた味が忘れられません。




  
昼食の後は三千院の先に流れる律川の橋を渡って実光寺や宝泉院から後鳥羽上皇と順徳天皇の大原陵を訪れました。

 

2008_05210300 2008_05210301   

貸衣装で大原女(おはらめ)の格好をした二人連れの女性を三千院の前で見かけました。おそらく観光客なのでしょう。正直に言ってちょっと興ざめでした。(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月 9日 (月)

洛北ドライブ(前編):大原寂光院

四国遍路の疲れを京都で癒すことにして、同行者へのサービスのつもりで女性に人気がある洛北をドライブすることにしました。白川通りを上がって国道367号(若狭街道、別名鯖街道)で八瀬に向かいます。鴨川上流の高野川(八瀬川)沿いに進んで比叡山口を通り過ぎれば国道は山間に入ってゆきます。快適なドライブを楽しんでいると30分ほどで大原に到着しました。最初の目的地は大原ですがもう少し先まで走ることにしました。なだらかな坂道を上り国道477号との分岐点を過ぎるとほどなく途中越(とちゅうごえ)、滋賀県との県境にある峠です。この先を国道367号で北へ向かい花折峠を越えれば若狭の小浜(おばま)、国道477号で東に進むと琵琶湖大橋に至ります。

大原に戻って寂光院へ向かいました。国道をそれて案内にしたがって西に進むと高野川支流の草生川(くさおがわ)に沿って入る細い道があります。寂光院までは1km余りありますからいつもなら車を乗り入れるところですが、折角の大原ですから三叉路の角にある駐車場に車を停めることにしました。

天気も回復しましたので散策に良いと思ったからです。なだらかな坂道を歩きました。農作業をする人を見ながら進むと所々に駐車場があります。道幅は段々狭くなりました。落合の滝のすぐ先で橋を渡ると寂光院に到着しました。

 

2008_05210269 2008_05210266 2008_05210267 2008_05210268   

木戸を抜け長い石段を上ったところで拝観料600円を納めました。すぐ横に鳳智松殿(ほうちしょうでん、宝物殿)があります。さらに石段を上ると、平成12年の火災で焼失し、昨年になって再建された本堂でした。本尊は六万体地蔵菩薩立像です。

 

2008_05210272 2008_05210273 2008_05210274 2008_05210278 

本堂の前には汀の池(心字池、左下の写真)・千年姫小松・諸行無常の鐘楼・豊臣家が寄贈した雪見灯籠、右手には四方正面の池がありました。石段の右手にある茶室と池(右下の写真)にも立ち寄りました。

 

2008_05210277 2008_05210279   

全体に小振りで落ち着いた雰囲気の寂光院は天台宗の尼寺で第二代の阿波内侍(あわのないし)と第三代の建礼門院徳子が良く知られています。焼失した本堂を除けば平家物語が書かれた当時のままなのだそうです。 

2008_05210281 寂光院の少し先に金網のフェンスがありました。行き止まりかと思っていると山歩きのグループが扉を開けて通過して行きます。よく見ると動物避けのフェンスでした。何かありそうな予感がして、左手の登山道へ向かう長い階段をそのグループの後について上ってみました。同行者は例によって下で待つと言う。10mほど上ると何かが祀られていました。阿波内侍の墓でした。石碑がなければ気がつかないところです。

 

2008_05210282 2008_05210283

   

寂光院まで戻って、すぐ隣にある建礼門院の墓(高倉天皇皇后徳子の大原西陵)に向かう石段を上りました。

   

2008_05210284 2008_05210286 

まだ昼前ですが温泉に入ることにしました。寂光院の少し手前にある大原山荘です。専用の広い駐車場から階段を上った一段高みに山荘が建っています。

 

2008_05210270 2008_05210287   

日帰り温泉の料金は1050円です。本館を通り抜けて裏手の階段で「山のお風呂」へ向かいました。この日の男風呂は「檜風呂」です。内風呂と露天風呂はともに長方形のシンプルなデザインです。露天風呂の横には源泉の壺風呂があります。加温されていませんから27.9度と水風呂の冷たさでした。泉質は単純温泉(低張性弱アルカリ性低温泉)で柔らかい湯です。貸切風呂のように独り占めでその湯を楽しみました。(続く)

 

2008_05210288 2008_05210289 2008_05210290 2008_05210291

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月 5日 (木)

二度目のドライブ四国遍路:徳島編(完)

国道195号に入って阿南市へ向かい、10kmほど走った山口小学校のすぐ先にある案内板に従って右折しました。県道204号を桑野川に沿ってさらに3kmほど進むと新野(あらたの)町に22番平等寺がありました。桑野川を渡る手前を右折して寺の反対側にある駐車場に車を停めました。町道に接した石段を上って仁王門を潜り、坂道を上ると大師堂、鐘楼、閻魔堂、観音堂が続きます。

   

2008_05210223_2 2008_05210224_2 2008_05210225_2 2008_05210226_2

 

長い石段を上った山の中腹に本堂があります。本尊は薬師如来です。雨がまた降り始めました。弘法大師がこの地で修行された時に人々を平等に救うために寺号を平等寺とされたそうです。そして大地を掘ると霊水が湧き出たことから白水山と山号を付けられたと伝えられます。現在も万病にご利益があると言われる霊水が湧き出ていました。四国の札所としては訪れる人も少なく寂しげな風情でした。

 

2008_05210227_2 2008_05210228_2

 

JR牟岐線新野駅の脇を抜ける道で国道55号(土佐浜街道)に出られるのですが、山門の正面に伸びる遍路道を走ることにしました。狭い道ですが対向車はほとんどありません。南川に沿う道は思った以上に起伏がありました。福井ダムの手前で国道55号に入ると18kmほどで今回のドライブ遍路の最終札所である23番薬王寺です。福井ダムの脇を抜ける時に建設中の国道55号バイパスが左手に見えました。工事中のバイパスは海岸の由岐に向かいますが、由岐ICから美波町までの区間は日和佐道路として既に開通しています。現状の国道55号は峠越えの九十九折が続く難所でした。

 

2008_05210229_2 2008_05210232_2   

美波町に入って薬王寺の駐車場に車を停めました。山門(仁王門)を潜って厄除けの石段を上るとこの寺が小説の舞台になったことを記念する石碑が建っていました。長谷川一夫さんと市川雷蔵さんが主演した映画「鳴門秘帖」は今も良く覚えています。

 

2008_05210233_2 2008_05210234_2 2008_05210235_2 2008_05210236_2   

薬王寺の小高い境内からは美しい日和佐浦と日和佐城がよく見えました。

 

2008_05210237_2 2008_05210239_5     

薬王寺は四国一の厄除けの寺として知られるそうです。何度も火災にあって現在の本堂は明治36年の建立だそうです。本尊は厄除薬師如来です。本堂からさらに61段の本掛還(ほんけがえ)り坂を上ると高さ35mの瑜祗(ゆぎ)塔です。これで徳島県の札所23箇所をすべて無事に巡ることができ、阿波国巡りの結願になりました。国道55号をあと30kmほど走ると高知県に入ります。

写真にも写るほど雨足が強くなって来ました。ラジオのニュースによれば台風4号が接近していることで低気圧が刺激されて徳島県北部地方が暴風雨に見舞われているようです。小松市まで戻る頃にはワイパーを最速にしても視界が遮られるほどの土砂降りになっていました。「鳴門大橋は横風のために最高速度が40kmに制限されている」とラジオの交通情報が伝えています。

鳴門市に入るとさらに雨足が強くなりました。案内標識が確認できないほどで、国道11号から国道28号に右折する場所を見落としてしまいました。気が付けば高松自動車道の鳴門ICを過ぎていました。塩田公園と鳴門教育大学の前を抜けて県道11に出られましたが、土砂降りで何度か立ち止まって進路を確認するほどでした。

残念ながら鳴門温泉に立ち寄る計画はキャンセルです。大鳴門橋がいつ通行止めになるか分かりませんのでそのまま通過して、鳴門北ICから神戸淡路鳴門自動車道に入り、大鳴門橋を渡って淡路島に入りました。

 

2008_05210240_2 2008_05210242    

淡路島を一気に縦断して明石海峡大橋を渡る頃には雨足が弱まってきました。このまま高速道路を走続けて帰るのも心残りですから、京都とその周辺に2泊ほど滞在することにしました。今回の総走行距離は約1880kmです。

 

2008_05210245_2 2008_05210248_2

 

<同行者のコメント> 雨の遍路は大変でしたが、前回の岩屋寺のような山登りが少なかったので楽ちんでした。ロープウエイで登った太龍寺がきれいで印象に残りました。そしてきのこ茶が美味しかったです。でも温泉が1ヶ所だけだったのは残念でした。ところで京都に寄ることは初めから考えていたのではないですか?□

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月 4日 (水)

二度目のドライブ四国遍路:徳島編(その7)

最大高低差508mの山越えのあとに標高476mにあるロープウェイの山頂駅を降りました。かつては焼山寺、鶴林寺と並ぶ難所(遍路ころがし)であった太龍寺も麓から約10分の乗車で到着できるようになりました。山頂駅のすぐ前に参道の石段があります。よく整備されたほど良い高さの石段ですから同行者は上りやすいと満足そうです。広い参道と綺麗な境内も気に入ったようです。

 

2008_05210197 2008_05210198 

太龍寺(たいりゅうじ)は西の高野とも呼ばれるそうです。二層の仁王門を潜ると樹齢千年を越える杉が鬱蒼と茂る参道に沿って六角経堂、護摩堂が並びます。さらに石段を上って嘉永5年(1852年)に阿波藩主蜂須賀公の命により建立された本堂に参拝しました。本尊は虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)です。本堂は618mの太竜寺山の山頂近くにあります。

 

2008_05210199 2008_05210200 

本堂の右手に進むと大師堂に向かう途中に鶴林寺の方向を示す表示がありました。路傍に足型の絵と立ち木には額縁のようなものが付けられています。足型の場所に立つとちょうど額縁の中央に鶴林寺が入る趣向になっていました。

 

2008_05210201 2008_05210207   

参道の左手の高みに多宝塔があります。石橋を渡った先にある大師堂は高野山の奥の院を模して造られたそうで拝殿と奥殿で構成されているそうです。

 

2008_05210202 2008_05210203 2008_05210204 2008_05210206_2 

長い石段を下りると楼門です。大きく迂回するようなルートをよく手入れされて綺麗に咲く草花を楽しみながら歩くとロープウェイ駅に到着しました。

 

2008_05210209 2008_05210210 2008_05210212 2008_05210213   

雨天のために紀伊半島まで見えるという眺望は残念ながら楽しめません。同行者はロープウェイ山頂駅の売店でお接待として振舞われた「きのこ茶」が気に入ったようで土産に求めています。

 

2008_05210214 2008_05210217 2008_05210221 2008_05210222 

このロープウェイは全長2775mと長く、また乗客定員101名の多さも西日本一を誇るそうで、1992年に完成しました。往復料金は2400円と高めですが標高602mの山越えは迫力があります。ロープウェイの麓駅にある道の駅「鷲の里」で休憩しました。(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月 2日 (月)

二度目のドライブ四国遍路:徳島編(その6)

勝浦川沿いの県道28号(阿南小松島線)に出て20番鶴林寺に向かうつもりでしたが県道136号で行過ぎてしまいました。JR牟岐(むぎ)線の踏み切りを越えたところのガソリンスタンド県道28号バイパスを教えてもらい引き返しました。一直線のバイパスを4kmほど快調に走ると県道28号に合流しました。さらに県道22県道16号で勝浦町に至る区間は7km近くあり、立江寺からは県道で約11kmの走行距離です。

 

案内に従って県道からそれて5kmほどの山道に入りました。この道も相当の急勾配です。徒歩道は約4.3kmと短いのですが「胸突き八丁」の急傾斜が続くのだそうです。先に参拝した焼山寺以上の難所とされます。標高570mの山を10分ほどで上りきった尾根のような場所にある駐車場に車を停めました。霧が立ち込める杉や松の老木の中に続く参道を歩くと静けさに包まれるようです。山門(仁王門)を潜り六角堂と大師堂を過ぎ、右手の石段を上ると本堂です。本尊の地蔵菩薩は国の重要文化財となっています。

   

2008_05210172_2 2008_05210173 2008_05210174 2008_05210175   

この寺が「お鶴さん」と呼ばれるように本堂の前には二羽の鶴が向いあっています。黄金の地蔵菩薩を二羽の白鶴が護っているのを弘法大師が見つけられたことから鶴林寺と名付けられたそうです。

 

2008_05210176 2008_05210178 

本堂の右手にある三重塔が見事です。俗界から隔絶された清らかな雰囲気と静けさは雨が降っているからだけではなさそうです。参道補修費として500円をお納めしました。

 

2008_05210179 2008_05210180 

鶴峠まで戻って右折、さらに下山しました。標識の脇に雨に濡れた自転車が残されたいます。自転車遍路の方があまりの急勾配が待ち受けるためにここからは徒歩で登られたのでしょう。

 

2008_05210181 2008_05210184   

県道19に出たところで左右にコースが分かれます。左手が車で太龍寺に行くルート(駐車場から徒歩1km)、右手がロープウエイで登るコースでした。山登りのドライブが続きましたのでここはロープウエイを選択して那賀川沿いに上流へと走りました。前者のルートは駐車場が寺から離れているのが同行者に不興を買いそうでした。鶴林寺から約11km走ると那賀川沿いの太龍寺ロープウエイ乗り場に到着しました。

 

2008_05210185 2008_05210186 

ロープウエイを選んで正解だったようです。六甲山から有馬温泉に下りる六甲山ロープウエイと同様に山を2つ越える長いもので、眼下に拡がる那賀川と那珂町の景色が素晴らしいのです。途中にガイドさんが先ほどお参りしたばかりの鶴林寺が那賀川をはさんだ向こう側の山頂付近に見えると説明してくれたことで、同行者は「見える!見える!」とはしゃいでいます。

 

2008_05210187 2008_05210190 2008_05210191 2008_05210194   

2つ目の山を越えるとほどなく到着ですが、右手に弘法大師が100日間修行された切り立った太龍嶽(舎心嶽)が見えます。その目印なのでしょうか弘法大師像が置かれていました。(続く)

 

2008_05210196 2008_05210195

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月 1日 (日)

二度目のドライブ四国遍路:徳島編(その5)

翌日の早朝は徳島駅近くのホテルから眉山(びざん)に近い新町川両岸の散策路「新町川河畔ひかりプロムナード」を散歩しました。眉山のロープウエイ乗り場へ向う新町橋をはじめ、ふれあい橋、両国橋、かちどき橋、春日橋、あいせん橋、佐古大橋など9つの橋がならんでいます。両国橋とかちどき橋の名から隅田川のクルーズ旅橋巡りを思い出しながら往復4kmほどの橋巡りをしました。
 
2008_052101392008_052101412008_05210144 

  

 

 
 
 
 
 
 
 
早めの朝食を済ませてホテルを出発しました。昨日参拝した国分寺から2kmほど離れた16番観音寺から遍路をスタートします。徳島南環状道路のすぐ近くです。この道路は片側1車線ですが中央分離帯が異常に広く、将来は4-5車線まで拡幅できそうに見えました。観音寺横の駐車場に車を停めました。

 
2008_052101482008_05210149 
本尊は千手観音菩薩です。改築された観音寺の本堂にお参りしていると雨が降り始めました。気をとられたためか左下の大師堂の写真がピンボケになってしまいました。 

 

2008_05210150 2008_05210151 

国道192号を徳島市街地方向へ戻ったJR徳島線府中(こう)駅交差点を左折、さらに2kmほど北進すると17番井戸寺です。ちなみに国府町府中は名前の通り阿波国の国府があった場所とされますが遺跡は見つかっていないそうです。井戸寺には山門前の駐車場に加えて本堂の奥にも大きな駐車場がありました。

 

2008_05210152 2008_05210153   

本堂には本尊である大きな薬師如来が安置され、その左右に三体ずつ薬師如来が並んでいます。井戸寺の名は弘法大師が井戸を掘られたことに由来するそうです。

 

2008_05210154 2008_05210157   

この先は国道192号から徳島市の中心に入り国道55号を回った方が分かり易いルートですが、眉山の南側山麓にある眉山カントリークラブ前を抜ける地蔵越えの曲がりくねったルート「地蔵越遍路道」で国道55号に出ました。

 

2008_05210158_2 2008_05210160 

室戸方面に3kmほど走ると小松島市です。勝浦川を渡って小松島警察署の先の案内にしたがって国道から右手の18番恩山寺へ向かう途中に源義経上陸の碑を見つけました。瀬戸内海を屋島に逃げた平氏を追う義経が四国に上陸した場所のようです。東北の平泉と前回のドライブ遍路で大阪峠越えから屋島まで義経の足跡を辿っています。

小高い山の麓に恩山寺(おんざんじ)の駐車場がありました。山の中腹に向って曲がりくねった参道が続いています。

 

2008_05210167_2 2008_05210161_22008_05210143

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
鬱蒼(うっそう)とした境内に続く参道の右手にある大師堂とその横の小堂を抜けて石段を上ると本堂に至ります。本尊は薬師如来です。

 

2008_05210162_2 2008_05210163_2 2008_05210165_2 2008_05210166_2  

 
国道55号には出ないで遍路道の県道136(宮倉徳島線)で19番立江寺(たつえじ)に向かいます。時々小雨が降っています。4kmほど先の立江川を渡った県道脇にある立江寺有料駐車場に車を停めました。立江寺は四国札所に4箇所ある関所の一つで心の邪悪な人は大師の咎めをうけるそうです。ちょっと緊張しながら山門(仁王門)を潜りました。左手に一段高い本堂があります。本尊は延命地蔵菩薩です。

 

2008_05210168 2008_05210169   

本堂の正面が大師堂、その右手前に弘法大師像と多宝塔が並んでいます。(続く)

 

2008_052101702008_05210171

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年5月 | トップページ | 2008年7月 »