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2008年6月18日 (水)

大徳寺と蒲生氏郷(後編)

大徳寺に参拝したあとは高速道路で帰宅するだけですから、もう少し寄り道をして蒲生氏郷の生誕地に立ち寄ることにしました。北大路と白川通りから三条通りで蹴上を経て国道1号に入りました。逢坂山関址碑がある大谷町を過ぎると大津市の市街地です。いつものことですが渋滞が続きます。栗東市と湖南市を抜けて甲賀市水口から国道307号に入り日野町へ向かいます。日野高校の先の松尾交差点を右折して旧街道(日野商人街道)に入り、近江商人の典型とも言われる日野商人の資料を展示する近江日野商人館に立ち寄りました。

 

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少し先を右手に入ると信楽院(しんぎょういん)です。この寺は蒲生氏の菩提所で蒲生氏郷の墓(遺髪搭)がありました。県指定文化財の本堂は前面に土間があるユニークなものです。

 

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氏郷が生まれた日野城(地元では中野城と呼ばれる)の城址は信楽院から1kmほど東にあり、本丸の石垣が僅かに残っています。城址の石碑が茶畑の横に建っていました。茶畑の先にある日野川ダムに日野城の多くの遺構が沈んでいるのだそうです。

 

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日野城についてのエピソードです。信長が本能寺で倒れた直後に安土城の留守居役を仰せつかっていた父の蒲生賢秀(かたひで)と日野城に待機していた氏郷が、近江衆のほとんどが光秀に従う中、信長の妻妾をこの日野城に迎えて明智軍を迎え討とうとしたことが良く知られています。日野城は明智軍(明智秀満)に包囲されましたが、秀吉の中国大返しで明智光秀が敗れたことで、明智秀満軍が安土城へ引き上げて危機を脱しました。下の写真は本丸跡にある涼橋神社と稲荷神社です。少し離れた場所に「産湯の井戸」を見つけました。

  

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蛇足かもしれませんが、最後に氏郷の生涯を簡略に説明します。

近江の名門蒲生家(6万石、奥州藤原氏の流れを汲むと言われる)の嫡男として生まれる。蒲生家は信長に抵抗した近江(佐々木)源氏六角氏の臣下であったため氏郷は信長の人質となり岐阜城に移るが、信長に見込まれて娘の冬姫を妻に迎える。信長亡き後は秀吉の下で数々の武勲をたて、伊勢松ヶ城主12万石(後に松坂城を築城)の大名に取り立てられ、38歳で会津黒川城主42万石(後に加増されて会津若松城主92万石)の大名となった武将です。当時、徳川家康と毛利輝元に次ぐ天下三番目の大大名でした。しかし秀吉の朝鮮出兵に随行して九州の名護屋まで出陣した折に急な病を得て、一度会津に戻るが、京伏見の蒲生屋敷で40歳の若さで死去する。

歴史に「たられば」はありませんが、早世しなければ、文武に秀でた蒲生氏郷はもっと歴史を変える人物になったかもしれません。興味のある方の参考として私が読んだ関連の著書を下記にします。

「小説蒲生氏郷」童門冬ニ著 集英社文庫

 蒲生氏郷と近江商人西野仁衛門の異なる人生観と生涯を画いた優れた長編小説

「近江商人魂 蒲生氏郷と西野仁右衛門(上下巻)」童門冬ニ著 人物文庫

  (上記小説蒲生氏郷の旧版、改題のみで内容は同じ)

「蒲生氏郷」佐竹申伍著 PHP文庫

  戦国の名将蒲生氏郷の生涯を活き活きと描写した時代小説

「蒲生氏郷」池内昭一著 新人物往来社

  地元出身の著者が氏郷の生涯と人となりを記述した伝記

「蒲生氏郷」横山高治著 創元社

  氏郷の生涯が平易な文章で書かれており読み易い本

「戦国群雄伝5 蒲生氏郷勇躍」神宮寺元著 歴史群像新書

  著者の創作が含まれた痛快戦記物

蒲生氏郷の先代が日野城に移る前に拠点としていた音羽城にも立ち寄りました。丘の上の城址は公園となっており、音羽城祉の石碑以外に遺構らしきものは何もありません。石楠花(しゃくなげ)街道で国道1号に出て、甲賀土山ICから新名神高速道路に入れば約400kmで我が家です。

 

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途中で休憩した伊勢湾岸自動車道の刈谷PA(ハイウェイオアシス)で瀬戸物の展示即売会が開かれていました。「せともの楽市」です。信長の影響を受けた氏郷が城下で奨励した楽市楽座(自由な商工業)を連想して、氏郷の出生地を訪ねたばかりの私は何かの因縁を考えてしまいました。水が循環する壺に心惹かれている私の脇で同行者は熱心に茶碗を選んでいます。□

 

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