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2008年8月に作成された記事

2008年8月30日 (土)

富士山登頂後記

817日に出発としたのはお盆の時期を避けたことと20日まで開局している山頂郵便局の消印がある絵葉書を出したかったからです。これはひとりで旅をする時の習慣です。2日後の20日には配達されて同居者が「来た来た!」と歓声をあげていました。

 

今回の富士登山はこれまでになく入念な事前準備を行いました。先ず体調を整えることです。近所の坂道や階段を選び登山靴での歩行練習を毎朝1時間ほど行ってまだまだ十分歩けることに自信を深めました。次いで装備にも留意しました。特に防寒対策としてかさ張らないウエアを何枚も選んだために中型サイズのリュックがほぼ一杯になるほどです。さらに軍手、タオル、下着、そしてスポーツドリンクを詰め込むとはちきれそうになりました。写真はいずれもお鉢巡り時に撮影した富士山の火口です。
 
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登山後に振り返ると、軍手、タオル、レインコート等は必須アイテムでしたが、念のために購入した携帯酸素ボンベは幸いにも使用する必要がありませんでした。次の写真はお鉢巡りの登山客です。

 

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想定外のことが一つありました。それは本文でも書きましたが下山道への対応です。5年前の9月初旬、宝永山の火口から御殿場口八合目まで登ったあとの下山時に砂走りの走法を自己流で習得しました。だだし宝永山から先に行くことは予定していなかったため、靴はウォーキングシューズでしたから、砂礫が靴の中に入って大変でした。下の写真はその時に宝永山火口から富士山登山道を登る同居者を撮影しました。

 

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今回はもちろん足のくるぶしまで覆う登山靴です。事実9合目までは快調なペースでした。しかし本8合目の江戸屋で吉田口の下山道に入ってからは段々足取りが乱れてきました。御殿場口下山道と違ってこちらの下山道は靴がほとんど潜らないのに下りを急ぎ過ぎてしまったのです。踏ん張る足が疲れて九十九折りが段々辛くなってきました。

 

休みながら、しかも道幅全体を使うジグザグ歩行でやっと六合目にたどり着きました。無理な歩き方をしたため足の筋を少し痛めたようです。何でもないはずの六合目から五合目までの緩やかなアップダウンが無限に続くように思われました。路傍の倒木に腰を下ろして足を摩りながら前を軽やかに歩く人が通り過ぎるのを情けない気持ちで眺めていました。そのため5合目の雲上閣に到着したのは山頂を出発してから4時間近くが過ぎていました。平均的な所要時間は約4時間(休憩時間を含まず)だそうですが、9合目を通過した時には速い人並みの3時間以内で降りられると思っていたのに無念です。山頂のお鉢巡りをしたあと休まずに下山したからだと自分を慰めることにしました。

 

無事に富士山登頂から帰宅すると案の定でしたが足が言うことを聞いてくれません。翌日には足の痛みが本格的になっていました。そこで富士登山に出かけている間に留守番録画したNHK BS2のテレビ番組「作詞家阿久悠の世界」を観ることにしました。昨年8月に亡くなられた阿久悠さんを追悼する4時間の記念番組です。ビールを飲みながら大好きな阿久悠さんの曲をたっぷり聞いているといつしか足の痛みも忘れていました。学生時代から最近までのヒット曲が何十曲も流れるなか過ぎ去った40年余りの時代と前日の富士山登頂を思い出しながら至福の時を過ごしました。

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2008年8月29日 (金)

富士山登頂(完) 河口湖畔「温泉寺」

富士スバルラインを出てまっすぐ北上、国道139号から河口湖大橋に向かった河口湖町船津に今回の日帰り温泉「河口湖温泉寺」がありました。控えめな看板はありますが通り過ぎてしまいそうです。この宿泊・温泉施設は河口湖周辺にロイヤルホテルや日帰り温泉などの観光施設を展開する企業が経営しています。名前の通りに寺院と見紛うような白塀に囲まれ、欅を使用した立派な木造の母屋と落ち着いた庭が印象的です。寺の境内に入るような入口付近に温泉施設らしい派手な案内板がありました。

 

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石組みの小さな滝や紫陽花が石畳の通路脇に続きます。

   

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玄関の佇まいは迫力があり思わず見とれてしまいました。

 

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広々としたロビーは板張りのため独特の雰囲気があります。2時間までの入浴料は1000円で、貸タオルのサービス(有料)もあります。大広間の回り廊下の先に浴室「お湯の搭」がありました。

 

その名も「富士の湯」の男湯は半円形の内風呂と段差のある3つの浴槽に湯が順番に流れ落ちる趣向で最初の浴槽が一番熱くなっていました。泉質はNa、Ca、塩化物泉、無色で透明な湯です。神経痛、筋肉痛、関節痛に効能があるそうですからぴったりの温泉です。襟首がひりひりするのは強い紫外線で日焼けしたからでしょう。

 

2008_08180426 階段を上って2階のジャグジーにも入ってみました。晴れていれば富士山が見えるのでしょうが生憎なことに中腹以上がまだ雲に覆われています。

 

温泉寺には日帰り温泉と食事処のほかにも垣根で仕切られた宿泊施設「夢殿」があります。露天風呂付きの和室がわずか6室とこだわりの宿のようです。

 

広い座敷のような休憩室「茶話の間」には寝転ぶ人も無くて落ち着いた雰囲気でした。温泉でしばし身体の疲れを癒したあと帰路に着きました。中央高速道路は2ヶ所で渋滞が発生していましたが、ほぼ予定通りの午後5時半に西新宿へ帰着しました。□

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2008年8月28日 (木)

富士山登頂(その7) 下山

お鉢巡りを終えた7時頃には日差しが強くなり気温が上がってきました。重ね着をしていた上着をすべてリュックに詰め込んで下山を始めました。朝日岳の横を抜けて吉田口(河口湖口)の下山道に入ります。なだらかな下山道は砂礫の感触が心地よくて段々ピッチが上がると、以前 宝永山から御殿場口下山道に入って大砂走りを同行者と楽しんだ記憶が蘇ってきます。その走法に切り替えると面白いようにスピードが出ます。

 

気を良くして砂走りを続けると前を歩く人たちが立てた砂埃が追い抜く時に気になります。タオルでマスクのように鼻と口を覆うことにしました。これで万全です。一気に下ると8合目までちょうど30分(平均所要時間の半分)で到着しました。快調なペースです。

 

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ここは須走口登山道と吉田口(河口湖口)下山道の分岐点です。案内板を確認した上で須走口江戸屋を回り込むように左折、通路脇のベンチで休憩をとりながら靴紐を締め直しました。隣に座っていた年配の女性が声を掛けてくれました。広島から来たことと昨夜は7合目に宿泊したことなど、そして一人で歩く私を激励してくださいました。礼を述べて出発です。昨日登山中に左手上方に見えた吉田口下山道に入りました。路面が大分硬くなって軽石が混じって来ました。つい調子に乗って早足になってしまいます。緊急避難所を過ぎた頃から左足の膝に違和感を感じるようになりました。

 

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気になり始めると歩き方も何となくぎこちなくなってしまいます。そして下り坂の歩き方をほとんど練習していなかったことに気付きました。それでもペースを落とすことなく我流の歩き方で進んだことが失敗の原因となったことを後になって気付きました。一歩ずつ踏みしめるように歩けば良かったのです。

 

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段々辛くなり休憩をとる間隔が短くなってきました。ブルドーザーが前後に荷物を積んでエンジン音を響かせながら上る姿を休憩を兼ねて見送ります。下山道で2つ目の施設である公衆トイレに何とか辿りつきました。長めの休憩が必要でした。その効果が出たのか足も回復したようですから歩き始めました。すぐ先に見える岩が獅子岩かと思いながらも確認する余裕は無くなっていました。およそ40ヶ所の折れ曲がり(左折と右折が各々20ほど)があるジグザグ状の下山道が終わって長い単調な下り坂になりました。

 

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落石避難用のトンネルが2つあります。強くなった日差しを避けるには格好の場所でしたが少しでも早く6合目に着きたくて膝を庇いながら歩き続けます。馬が2-3頭と馬子が客を待っていました。ちょっと気にしながらそのまま通り過ぎるとやっと6合目に辿りつきました。広場に下りる階段がさらに辛く感じられます。

 

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左手の仮設トイレと安全指導センターには見覚えがあります。ここからは登山道と下山道が一緒になります。昨日の上りでは快適だった石畳が今は歩きにくくて辛さを倍増させるのが恨めしいです。何とか石畳の下り坂を通過すると今度はなだらかな上りになりました。何でもない道ですが左足が思うように動きません。少し歩いては休憩を繰り返すリタイヤ寸前の状況に陥っていました。馬車の御者が下山客に声を掛けています。「まだ1kmありますよ。足を痛めた方はどうぞ・・・」と。

 

その声が憎らしく、意地でも乗るものかと強がって、痛くないふりをして歩くとどうしたことか普通に歩けるようになりました。前方をゆっくり歩く2人連れの男性グループと同じペースで歩幅を狭めて歩くと膝の痛さが遠のくようで先ほどまでの不調が嘘のようです。歩き方とペースを乱して膝に余計な負担を掛けていたことを反省しましたが「時既に遅し」です。そのまま歩き続けて河口湖口新5合目の雲上閣に到着しました。

 

下山の所要時間はほぼ4時間と最初の勢いは「何処へやら」です。すべてが快調であった上りとお鉢巡りに比べると下りは散々な結果となってしまいましたが、無事に下山出来たことを富士山に感謝しました。

 

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休憩を取りながら昼食です。昨日は蕎麦でしたから今日はうどんを選びました。この順番を逆にした方が良かったかもしれないと意味もないことを考えていました。(続く)

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2008年8月27日 (水)

富士山登頂(その6) お鉢巡り

すっかり明るくなった5時半頃にお鉢巡りに出発しました。朝日岳の次は、伊豆岳(阿弥陀岳 3750m)、成就岳(勢至ヶ岳 3733m)、浅間岳(駒ケ岳 3715m)、三島岳(文珠ヶ岳 3740m)、剣ヶ峰(最高峰で3776m)、白山岳(釈迦ヶ岳 3756m)、久須志岳(薬師ヶ岳 3740m)と8つの峰が火口を取り囲んでいます。複数の名を持つ峰が多くて紛らわしい上に、久須志神社と浅間大社奥宮にあった山頂の地図(その4に写真を掲載)では成就岳の位置が久須志岳の隣にあり、浅間岳と駒ケ岳が別の峰として画かれていました。事前に調べた地図とは配置が異なります。時代とともに峰の名前が変わったようですからどちらが正しいのかは分かりません。下の写真は御来光、剣ヶ峰にかかる月、三島岳と剣ヶ峰、火口棚と白山岳(右端の丸い峰)です。

 

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伊豆岳と成就岳の外側を歩きました。左手下方には宝永山が綺麗に見えます。数年前に8合目まで登った御殿場口登山道の道筋が続いています。

 

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御殿場口登山道の頂上です。前回の登山時に楽しんだ砂走りの説明がありました。

 

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成就ヶ岳、銀明水(ぎんめいすい)、そして浅間岳(駒ヶ岳)を過ぎると浅間大社奥宮です。頂上富士館の前を抜けた「このしろ池」には薄い氷が張っています。

 

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振り返ると先ほど通過した朝日岳と伊豆岳がシルエットになっています。三島岳の先にはいよいよ剣ヶ峰の富士山測候所(気象レーダードーム跡)が見えてきました。そしてそこに至る坂道の勾配が尋常ではありません。「馬の背」です。急なだけでなく滑りやすいのです。これを避けるには逆に左回りでお鉢巡りをすれば良いのですが、やはり右回りの方が手応え(足応え?)があると思いました。途中で立ち止まりながらやっとの思いで上りきると測候所への階段に長い行列ができていました。

 

「日本最高峰富士山剣ヶ峰3776米の碑」と「二等三角点富士山」(標高3775.63mの基準点)で記念写真を撮る人達でした。30分近く待ってやっと私の番が回ってきました。予定外の時間ロスです。「電子基準点」(約3mの高さがあるアンテナは標高3777.5mで日本一高い基準点)を抜けて測候所施設の横に回り込んだ所にある小さな展望台へ狭い梯子(はしご)で上ると幸運にも綺麗な陰富士が見えました。

 

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南アルプスが雲海から頭を出しています。外輪廻(コース)からも陰富士が見えます。時間の遅れを取り戻すために先を急ぎました。白山岳に向かうお鉢巡り道が続いています。火口(大内院)に近い火口棚の内輪廻の近くに万年雪が見えますが温暖化のためか思ったよりも規模は小さいのです。

 

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雷岩と釈迦の割り石を過ぎると左手にもう一つの火口(小内院)があります。その火口に陰富士ならぬ「陰人間」(筆者のシルエット)が浮かび上がりました。金明水を右手に、白山岳を左に見て久須志ヶ岳(3770m)の頂上付近まで上りました。もうそのまま下ればお鉢巡りの出発地の久須志神社です。剣ヶ峰での写真撮影で手間取ったため、お鉢巡りには1時間半も掛かってしまいました。

 

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プチ薀蓄です。「お鉢めぐり」は山頂の8つの峰を巡ることから「おはちめぐり」と呼ばれましたが、富士山の形が鉢に似ていることから現在の名称となったそうです。何合目との呼称も同様の謂(いわ)れのようです。つまり8合5勺などの言い方ば昔の日本酒や醤油の量(はか)り売りと同じなのです。(続く)

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2008年8月26日 (火)

富士山登頂(その5) 御来光

御来光のベストスポットである朝日岳(大日岳 3750m)へと向かいました。すでに数人の先客が居ましたが鳥居のすぐ前の写真撮影に最適の場所を確保することが出来ました。吉田口頂上の山小屋に集まった登山者が多数見えます。

 

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御来光まではまだ1時間近くありますから、満月や暗闇に続く登山者のヘッドライトの動きや灰色に見える雲海を試し撮りしながら待ちました。5時少し前には雲海の先が薄明るくなってきましたのでその方向に向けて三脚を立ててカメラをセットした。

 

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周囲が次第に明るくなり、5時になると東の方向で急に赤味が増したかと思うと御来光を迎えました。一瞬の変化も逃すまいとシャッターを押し続けます。太陽が雲上に出始めたのは午前5時2分でした。

 

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すっかり明るくなり吉田口頂上で御来光を見る登山者達と9合目以下の山小屋付近を登る登山者の列がはっきり見えます。(続く)

 

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2008年8月25日 (月)

富士山登頂(その4) 8合目~吉田口頂上

宿泊棟の部屋に戻って翌日の準備をしていると午後8時です。もう寝息を立てている人がいますので私も早めに仮眠を取ることにしました。横になりましたが、登山者が到着したり、トイレに立ったりする人がいるため山小屋内は中々静かになりません。9時に消灯となっても寝付けませんが、身体と頭を休めるだけで十分だと割り切って、ウトウトしながら過ごしました。夜行便を良く利用した私のいつもの処し方です。

 

午前1時を回りましたので防寒着を着るなど出発準備を始めました。トイレを済ませると他の登山客も起きはじめましたので荷物を確認して午前145分に山小屋を出発しました。心配した天気も回復して満月と星が雲間に見えます。外気は真冬のように冷たく、しかも強風が音を立てて吹くなか夜を徹して登る登山者のヘッドライトの光が揺れながら山頂へと続いているのが見えます。須走口登山道が合流して一気に増えた登山者の列に従って登ります。砂礫に変わった快適な登山道を85勺へと登りました。

   

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御来光館(標高3450m)を過ぎると9合目の鳥居が暗闇の中に現れました。

 

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登山道は砂礫から岩場へ変わり道幅も狭くなると予想通りの大渋滞が発生しています。胸突き八丁をさらに1時間ほど登ると吉田口・須走口・河口湖口登山道の頂上に到着です。鳥居と狛犬が登頂を祝福してくれます。33回登頂した人が建てた記念碑が目に入りました。

 

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鳥居を潜ると富士頂上浅間大社奥宮の石碑と久須志神社の奥宮がありました。

 

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山小屋が多数建ち並ぶ奥宮周辺は大変な混雑で都心の雑踏のようです。(続く)

 

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2008年8月24日 (日)

富士山登頂(その3) 7合目~本8合目

7合目に続く岩場では軍手をはめた両手を支えにして登ります。気温が下がってきましたのでシャツを1枚重ね着しました。上方に鳥居がシンボルの鳥居荘が見えてきました。次は本7合目です。

 

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鳥居荘を3時に出発しました。段々息が上がってきました。東洋館に340分に到着して休憩です。疲れを癒すためにチョコ菓子を取り出すと小袋が真丸に膨らんでいました。気圧がかなり下がったことが分かります。

 

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4時に東洋館を出発して435分に太子館へ到着、いよいよ8合目(標高3100m)です。

 

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ちょうど5時に出発です。風が冷たくなり雨粒が落ちてきましたのでレインウエアを着ることにしました。蓬莱館(ほうらいかん)を過ぎた登山道脇に八大龍神の碑が立っていました。八大龍王とも呼ばれる雨を降らせる神様で全国各地に祀られています。

 

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日が翳(かげ)って黒いシルエットになった富士山に美しい雲が掛かっています。グループのペースから遅れた人達が出たために白雲荘の手前で長時間の休憩が入りました。風はさらに冷たくなってきました。

 

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540分に休憩地を出発、6時には白雲荘に到着してさらに休憩が入りました。黒雲が出てきたようです。レインウエアの下にもう1枚厚手のウエアを重ね着すると急に強い雨が降り始めました。八大龍神が降らせているのでしょうか。

 

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元祖室(がんそむろ、標高3250m)を過ぎると本8合の富士山ホテル(標高3400m)です。いよいよこの日のゴール(山小屋)は近いはずです。

 

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雨の中を歩くとほどなく本8合目の山小屋「トモエ館」が見えてきました。すっかり日が暮れて暗くなった登山道を山小屋の電灯を目標に上りました。ちょうど7時に到着したトモエ館の前にはストーブが焚(た)かれています。雨足が電灯に照らされてはっきり見えるようになり、カメラのレンズに水滴がついて画像が滲(にじ)んでいますが、何とか足元が見えるうちに到着したのは幸いでした。

 

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雨に濡れた服を着替えて夕食のカレーライスを美味しく食べました。(続く)

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2008年8月23日 (土)

富士山登頂(その2) 6合目~7合目

6合目で少し休憩をしたあと1250分に出発、登山道は階段になりました。

   

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良く整備された登山道が大きくジグザクに折れ曲がりながら続きます。

 

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勾配がいよいよ急になってきました。美しい雲海を見ながらの休憩は楽しいです。7合目の山小屋がいくつも続くのが上方に見えます。

 

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雲の切れ間から下界が見えます。ふたたび岩場になりました。

 

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7合目最初の山小屋である花小屋に到着です。標高が2700mの地点です。

 

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下を見ると登山客が延々と続いています。7合目のトモエ館に到着しましたが宿泊するのは本8合目のトモエ館の方ですからもうひと頑張りです。

   

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岩場にも渋滞が始まりました。7合目救護所に到着です。(続く)

 

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2008年8月22日 (金)

富士山登頂(その1) 5合目~6合目

思い立って富士山に出掛けました。これまでも河口湖口(富士スバルライン)、富士宮口(富士山スカイライン)、須走口(ふじあざみのライン)、御殿場口(富士山スカイライン)の4つの登山道路を富士山5合目まで車でドライブしていますが、今回は山頂を目指します。ただし5合目まではバスを利用することにしました。と言うのも同居者は宝永山の火口巡りがトラウマとなって自宅待機ですし、818日まではマイカーが規制されているからです。早朝の西新宿(モード学園近く)で富士山行きのバスに乗りました。

 

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中央高速道路に入るとすぐ降り始めた雨は大月ICを過ぎる頃に上がり、河口湖ICを出た時には空がすっかり晴れ上がっていました。富士スバルラインを経由して105分前に河口湖口新5合目(標高2305m)に到着です。富士山の頂上が雲間に望めます。雲上閣の3階で身支度を整えたあとに昼食として天ぷらそばを食べました。30年以上前のことですが、車でこの5合目まで来た時は御中道(おちゅうどう)を御庭(おにわ)まで歩いたことがあります。

 

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5合目の駐車場を午前1145分に出発しました。登山道はなぜか緩やかな下り坂です。今夜は本8合目の山小屋「トモエ館」に宿泊する予定ですから急ぐ必要はありません。身体を高地に慣らすため出来るだけゆっくりと歩きました。

 

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しばらく下ったあと舗装された登山道は泉ヶ瀧辺りから上り坂になりました。

 

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雲の中に入った55からは舗装も途絶えて土を踏みしめるように歩きました。

 

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花を見ながら歩いていると登山道は一転して岩場となり道幅も狭くなってきました。

 

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1235分に到着した6合目(2390m)で吉田口登山道と合流して見晴が良くなりました。ここまで50分(約2km)歩きましたが標高はまだ85mしか登っていません。(続く)

 

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2008年8月16日 (土)

旧東海道品川宿跡と戸越銀座温泉(完)

海雲寺にも立ち寄ったあと脇道を抜けて京急青物横丁駅に到着しました。

 

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2008_08040104 駅名は市場の名をとって最初は青物横町でしたが、いつのまにか現在の青物横丁に変わったことが京浜急行のhpに説明されているのは面白いです。駅前通りにプラタナスの並木(都道421号)の別名であるジュネーブ平和通りの道標(十二番)がありました。品川寺の梵鐘(はんしょう)が縁で品川区とジュネーブ市が友好都市となったことで名付けられたそうです。(品川区のhp)

 

京浜急行に乗って品川駅まで戻り、さらに山手線で五反田駅に向かいました。五反田駅のすぐ南を目黒川が流れています。

   

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ちょうど昼時でしたので駅前の寿司屋「やまたい国」に入りました。店名に興味を持ったのです。JR山手線と東急池上線の五反田駅に囲まれたリビオ五反田プラグマGタワーの2階にあります。寿司バーと呼んだ方が相応しいモダンな内装が印象的です。メニューには握り寿司だけではなく手打ち蕎麦や天ぷらが並んでいました。私と同行者は迷わず「やまたい丼」(海鮮丼)を注文しました。ボリューム感たっぷりです。数量限定ですが600円と格安なことにもびっくりです。大満足でした。

 

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五反田駅ビル「レミィ五反田」で同行者のウインドウショッピングに付き合ったあと、五反田駅から東急池上線に乗って二駅先の戸越銀座駅で下車しました。日帰り温泉に選んだ戸越銀座温泉2007419日オープン)は戸越銀座駅から第二京浜(国道1号)を横断して徒歩5分ほどの場所にあるはずです。延々と続く日本一長い商店街(約1.6km)の中央街ゾーンをキョロキョロしながら歩くうちにずいぶん行過ぎてしまいました。温泉は商店街から一寸南に入った場所にありました。

 

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1年余り前にリニューアル・オープンした外観はマンション風で銭湯らしくはありません。午後3時の開場と同時に入るつもりでしたが遠回りしたため3時を数分過ぎていました。銭湯ですから入浴料は450円です。

 

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浴室は銭湯らしく富士山のペンキ絵がありました。青空と富士山が画かれた「月の湯」と日が輝く「陽の湯」が日替わりで男湯・女湯になります。天然温泉の泉質はナトリウム-炭酸水素塩冷鉱泉で加温されています。「月の湯」の大浴場と「陽の湯」の露天風呂が黒湯です。黒湯の色は黒黄色でそれほど濃くありません。

この日は月の湯が男湯でした。黒タイルに覆われた黒湯の大浴場には寝風呂、座風呂、泡風呂が並んでいます。黒湯を満喫したあとは階段を上って2階にある露天風呂に向かいました。浴室の上部には大きな開口部があるだけで露天風呂の雰囲気はありませんが、檜に包まれたような和風の浴槽と浴室は落ち着けます。

 

<同行者のコメント> 品川の宿場を歩くのは初めてです。ここにも富士山があることにびっくりしました。本当に暑い日でした。戸越銀座はテレビ番組で見たことがあります。長い商店街にわが家の旦那さまも温泉の場所を間違えてしまいました。昔は仕事でこの商店街によく来たものだと言っていたのにどうしたのでしょうか。温泉ではずっと2階の黒湯露天風呂に入っていました。□

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2008年8月15日 (金)

旧東海道品川宿跡と戸越銀座温泉(その3)

目黒川を品川橋で渡ります。江戸時代には境(さかい)橋、行合(ゆきあい)橋、中の橋とも呼ばれたことが橋の上に造られた小さな公園内の案内板に説明されていました。

 

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南品川宿に入りました。北品川宿と同様にほぼ一直線の道が続きます。

 

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右手の公園に街道松が見えました。残念ながら近代になって植えられたものです。

 

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南品川宿をさらに歩きます。ハナミズキの並木(南馬場通り)との交差点近くに南馬場(十番)の道標があります。馬場とは幕府が公用の荷物を運ぶための馬が置かれていた場所で、地名が残っていることから北品川宿と南品川宿の両方にあったようです。左手の問屋場(といやば)跡は前述した漫画「浮浪(はぐれ)雲」の舞台なのでしょう。

 

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少し先の「袋井の松」は東海道27番目の宿場から平成になって送られたものであることが説明されていました。

 

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天妙寺門(十一番)を過ぎると南品川交差点でプラタナスの並木(都道421号)を横切りました。ここは青物横丁(十三番)です。江戸時代の終わりごろに農民が野菜を持ち寄って市を開いたことによるもので、地名ではなく市場を指します。(青物横丁のhp)

 

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品川寺(ほんせんじ)は品川で一番古い寺で806810年頃に弘法大師によって開山されました。(品川寺のhpによる) 入口の左手には以前紹介したように「江戸六地蔵」の第一番である大きな「地蔵菩薩(座像)」があります。これまでに巣鴨の眞性寺、江東区白川の霊巌寺、同区富丘の永代寺、新宿の太宗寺に六地蔵を訪ねています。

 

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その他にも東海七福神の「毘沙門天」、樹齢が約300年の「大銀杏」、そして「洋行帰りの鐘」などがありました。「洋行帰りの鐘」は幕末期に海外へ持ち出され、慶応3年(1867年)パリの万国博覧会に出品されたのち再び行方不明になり、のちにスイスのジュネーブにあるアリアナ博物館に保管されていることが判り、昭和5年(1930年)に返還されたことからこの名があるそうです。「洋行帰り」とは懐かしい表現です。右手奥の本堂に参拝しました。(続く)
 
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2008年8月14日 (木)

旧東海道品川宿跡と戸越銀座温泉(その2)

右手の北馬場通り(ヤエザクラの並木)に入って第一京浜(国道15号)に向かって歩きました。京浜急行新馬場(しんばんば)駅を過ぎ、第一京浜の反対側にある品川神社に向かいます。品川神社はインドの神である牛頭天王(ごずてんのう)と習合した素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祀ることから「北の天王」とも呼ばれるそうです。

 

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品川神社の門柱の台が亀を模(かたど)っていることを同行者が見つけました。東海七福神「大黒天」のと間にある鳥居には昇り竜が巻き付いているのがユニークです。

 

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急な石段の途中、左手にある鳥居の先の登山道から品川富士に登ってみました。明治時代の初期に作られた比較的新しい富士塚で、横浜の富士塚に比べると小振りです。一合目から石段を上ると5合目が踊り場になっていました。

 

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その先は火山の雰囲気となってチェーンが頼りとなる急な石段が続きました。頂上から見下ろすと国道からかなりの高みにあることが分かります。

 

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品川富士を下山して浅間(せんげん)神社脇から境内に入ると奇妙なことに狛犬が鳥籠のようなものに入っています。立派な舞台を過ぎた拝殿に参拝しました。

 

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御嶽神社と阿那(あな)稲荷社の近くに「包丁塚」があるのは近くに漁港と品川宿があったからでしょう。拝殿の奥には板垣退助の墓があるそうです。

 

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北馬場通りを戻ります。目黒川の荏川橋に抜ける途中の稼穡(かしょく)稲荷社に銀杏の巨木がありました。目黒川下流に架かる朱塗りの鎮守橋に続く参道から荏原(えばら)神社に参拝しました。南品川の鎮守である荏原神社は「南の天王」と呼ばれます。

 

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現在の荏原神社は目黒川の北岸にありますが、以前は南品川にあったのだそうです。江戸時代までは貴布禰(きふね)大明神と呼ばれていましたが明治に入って荏原郡(城南地区の品川区、目黒区、大田区、世田谷区などを含む地域)の名前をとって現在の名称に変更されました。(続く)

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2008年8月13日 (水)

旧東海道品川宿跡と戸越銀座温泉(その1)

2008_08040034_3 日を改めて品川へ出かけました。日差しが強くて暑い日になりそうです。八ツ山橋交差点を左折して八ツ山橋(JRの陸橋)を渡ったところで八ツ山通りと分かれて旧東海道に入りました。旧東海道は国道15号と八ツ山通りの間を目黒川に向かって伸びています。前回訪れた時は国道15号の新八ツ山橋を渡って北品川駅まで歩きました。

 

品川宿は今から30年以上前に「ビッグコミックオリジナル」誌に連載されていたジョージ秋山氏作の漫画「浮浪雲(はぐれぐも)」の舞台です。その頃の同誌は「あぶさん」「夕焼けの歌(三丁目の夕日)」など人気漫画が満載でした。兄貴分の「ビッグコミック」誌には「ゴルゴ13」が連載されていました。その当時の私の職場は各企業の社員が集まる自由な(ルーズな?)雰囲気で、研究の発想転換用なのか漫画雑誌が多数職場に置かれて漫画好きには恵まれた環境でした。

 

八ツ山橋の先にある京浜急行の踏み切りを渡ると八ツ山口の道標(一番)が建っていました。北品川駅の辺りから始まる旧東海道の品川宿を構成した歩行(かち)新宿、北品川宿、南品川宿の道は今も昔の姿で残っています。

 

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品川宿入口の石碑(二番)、問答河岸の碑土蔵相模跡(三番 高杉晋作など長州藩士が密議した旅籠屋)と巡りました。

 

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左手の横丁に入りました。八ツ山通りを横断すると「品川浦舟だまり」(高浜運河)です。屋台舟越しに品川駅東口のビル群が望めました。

 

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一旦、旧東海道に戻って台場横町から再び八ツ山通りを横断した利田(かがた)神社前を抜けて台場小学校へ向かいました。幕末期に御殿山下砲台(台場)があった場所です。台場小学校の正門横に台場跡を示す小さな灯台が建てられていました。台場の石垣に使われた石が使われているそうです。五角形をした台場は埋め立てられましたが台場小学校を囲む道路にその形がはっきりと残っていました。

 

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再び旧東海道を歩きます。品川宿の松と日本橋から二里の道標、法禅寺、養願寺、一心寺、聖蹟公園(八番 本陣跡)が続きました。(続く)

 

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2008年8月11日 (月)

品川駅東口のビル群

2008_08040025 品川駅の東西自由通路1998年竣工)からJR品川イーストビルと東口(港南口)のペデストリアンデッキを抜けて駅前広場に出ました。右手に旧国鉄貨物ヤード跡と新幹線車両基地跡を再開発して2003年から2004年に建設された品川駅東口のビル群が見えます。南北に伸びる中庭のような「品川セントラルガーデン」(幅約45m、長さ約400m)の両側に高層ビルが並んでいます。品川イーストビルの北側にある黒っぽいビルはNTTデータ品川ビル(アレア品川)です。さらに北隣はこの再開地には含まれませんが、NTTドコモビル(パラボラアンテナが白っぽい目隠しで覆われている)などNTTグループのビル群が建ち並んでいます。 

 

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セントラルガーデンの東側は興和不動産、住友生命、大林組が共同開発した超高層複合ビル群「品川インターシティ」で、オフィス・商業施設・ホールが入居する魅力的な空間になっていました。手前の楕円形をしたビル(A棟)と低層の商業店舗ビル・高層のオフィスビル(B棟とC棟)を歩行者専用空中回廊「スカイウエイ」が結んでいます。 

 

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その南端では屋上が緑地化された品川インターシティホールが目を惹きました。
 

 

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西側の新幹線沿いに並ぶのは「品川グランドコモンズ」(三菱商事他が開発)の品川イーストタワー(大東建託とストリングスホテル東京インターコンチネンタル)、太陽生命品川ビル、品川グランドセントラルタワー(三菱商事)で、いずれも大手企業の本社組織が入居しているオフィスビル群です。こちら側にも「スカイウエイ」があり、東側のスカイウエイと「横断ブリッジ」で結ばれていますから歩行者は自由に移動ができます。

 

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品川グランドセントラルタワー(左下の写真)の3階にあるTHE GRAND HALLで所用を済ませたあと、隣の三菱重工ビルと最南端の品川V-TOWER(分譲住宅、右下の写真)の間にある細い回廊を西へと歩きました。 

 

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V-TOWER(左下の写真)右手のキャノンSタワーとストーリア品川(賃貸住宅)の手前を抜けて自動車道(補助317号)を陸橋で渡ると京王品川ビル(右下の写真)です。 

 

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京王品川ビル2階にあるうどん店「丸亀製麺品川店」の前に長い行列が出来ていました。焼き鳥・焼きそば・お好み焼きの店を全国にチェーン展開する神戸発の外食企業の店ですが、讃岐風のうどんが280円から楽しめることで人気があるようです。香川県には出店していないところがユニークです。機会があれば立ち寄りたいと思いました。 

 

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京王品川ビルのすぐ西はJRの線路を渡る八ツ山橋です。次回のブログ記事ではこの八ツ山橋から旧東海道の品川宿跡への散策を取り上げます。

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2008年8月 6日 (水)

吾亦紅

散歩に出かけた近くの公園で今年も吾亦紅(われもこう)の花が咲いていました。穂のような花は何かしら寂しげです。同行者が突然、「吾亦紅って花があったのね」と言うので不思議に思って聞くと、「吾亦紅という歌があるのよ」との答えが返ってきました。草花だけでなく、歌にも興味がないと思っていた同行者から意外な言葉が続きました。

 

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吾亦紅はバラ科ワレモコウ属の多年草で、我毛紅・吾木香・割木瓜とも表記されます。名の由来は特徴のある暗赤色を巡る論争中に紅であると花自身が言ったように聞こえて決着したことに因るとされます。高浜虚子の句に「吾も亦(また)紅(くれない)なりとひそやかに」があります。また吾木香は根が木香(インド産の強い芳香のある菊科の根)に似ていることから命名されたと言われます。花言葉は「愛慕」「変化」です。

 

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帰宅後に調べてみると確かに題名が「吾亦紅」と言う歌がありました。ちあき哲也氏の作詞で杉本眞人(まさと)氏の作曲になる歌です。インターネットで検索するとその曲を視聴できるサイトがありました。

 

追記(2008/10/6):上記サイトは移動してアクセスできなくなりましたので、新たに調べたYouTubeサイト(TeichikuEnkaKayou)を紹介します 

サビの部分で「あなたにあなたに~」「あなたはあなたは~」「あなたのあなたの~」、そして「あなたにあなたに~」を繰り返す特徴のある歌詞はどこかで聞いた記憶があります。じっくり聴くうちにこの歌の世界に引き込まれて知らぬ間に目頭が熱くなっていました。仕事がすべてであった団塊世代の自分の体験と重なったことと、8年前に両親が相次いで他界したことを思い出したのです。 

当時は毎月出掛けていた海外出張の合間を見つけて同居者とともに車を数時間飛ばして帰省していました。母の目に灯る光が消え入りそうなことを気に掛けながら田舎から戻ったその足でふたたび2週間ほどの海外出張に出かけました。そして南アフリカからアメリカに向かう機中で母の訃報を受け取った記憶が今も鮮やかに蘇ります。 

趣味の神社仏閣巡りに加えて今年から四国遍路を始めた理由は家族の健康を感謝するためですが、両親の訃報をいずれも遠い海外の地で聞くことになった親不孝を詫びる意識が潜在していたことをこの歌を聴いて悟りました。一番と二番の歌詞で感傷に浸った後、三番の後半にある歌詞が何故か気になります。「はじめて自分を生きる」と・・・。還暦を過ぎた私の心には重過ぎる歌でした。 

気分転換に公園内の湿性植物園で見かけた花をもう少しご紹介しましょう。ワスレナグサ(勿忘草)、オオバギボウシ(大葉擬宝珠)、ハンゲショウ(半夏生)、ミクリ(実栗)、ノカンゾウ(野萓草)、キツリフネ(黄釣船)です。
 
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<同行者のコメント> 朝と言っても9時を過ぎるともう暑くなっていました。人気(ひとけ)のない公園は静かで良いのですが、もう少し朝早く散歩したかったです。わが家の旦那さまも私の好きな「吾亦紅」の歌が気に入ったようですね。

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2008年8月 2日 (土)

阿佐ヶ谷の欅並木と豊玉浴場(後編)

青梅街道を左に折れてパールセンター(商店街)に入りました。「東京ばな奈」がヒットしたぶどうの木&鎌倉座(洋菓子と食器の店)と東京岩盤浴をはじめ約240軒の店舗が並んでいます。昭和29年から続く七夕まつり(86日から10日まで開催予定)の準備が始まっていました。張りぼての骨組みがまだ露出した状態で吊るされています。

 

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このパールセンターは阿佐谷北の松山通り(旧中杉通り)とともに旧大山街道ですが、曲がりくねった道筋以外にはその雰囲気はほとんど残っていません。埼玉県から荒川を越えて板橋に入った旧大山街道はここ阿佐ヶ谷から世田谷区の永福と豪徳寺を経て瀬田で赤坂見附発の青山通り(旧大山街道)と合流して二子に至ります。

 

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今回の日帰り温泉は、天然温泉が高井戸天然温泉「美しの湯」だけの杉並区や温泉・鉱泉のない隣の中野区ではなく、その先の練馬区豊玉北にある銭湯「豊玉浴場」を選びました。同じ練馬区にある豊島園の「庭の湯」には以前立ち寄っています。豊玉浴場は温泉・鉱泉ではありませんが薬湯風呂で人気があるようです。豊玉陸橋を右折して目白通りに入りました。江原2交差点を右折してすぐ南に並行する豊中通りから回り込んだ場所にあります。

環七の豊玉陸橋は交通情報に良く登場する場所です。豊玉と言えば海幸山幸の豊玉姫(とよたまひめ)と何か関係があるのかと思っていましたが残念ながら無関係でした。明治時代初期に北豊島郡と東多摩郡にまたがる校区にできた学校が豊玉小学校と命名されたことで昭和に入ると地名にも豊玉の名が付けられたのだそうです。(練馬区のhp) 銭湯がオープンする午後3時まで少し時間がありましたので江古田川沿いの北江古田公園に立ち寄ってみました。

 

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都内の銭湯に立ち寄るのは今年5月の始めに「そしがや温泉21」を利用して以来で、銭湯料金が615日から450円に値上げされていたことを知りませんでした。下足と番台の奥にあるロビーの左右に男女の更衣室と浴室があるのは「そしがや温泉21」「淡島湯温泉」「月見湯温泉」や「鶴の湯」などと同じ造りです。

 

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浴室には右手前に薬湯の寝湯、カランを抜けた奥にスポットバス、泡風呂、備長炭のシルキー泡風呂が並んでいます。いずれも小振りの浴槽で34人でいっぱいになる大きさですが、オープンしたばかりの時間帯は常連客とおぼしき年配客が45人だけですから狭さを感じません。

カランは16席、スカイブルーに塗られた明り取りがある高い天井、明るいベージュ色の壁、浴槽とカランの周囲には同じベージュ色のカラータイルが貼られています。昔ながらの銭湯の雰囲気を残しながら明るく清潔感があって好感がもてる銭湯です。シンプルな内装のなかで脱衣場との壁面に富士山の写真がバックライト照明で浮き上がる趣向は面白いと思います。ロビーにも絵画が多数飾られていました。

 

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汗を流してさっぱりしたところで外に出ました。周囲を見回すと社宅や都住宅供給公社の集合住宅と豊玉東小学校に囲まれた立地もユニークなことに気付きました。

<同行者のコメント> 阿佐ヶ谷には何があるのかと期待していたのですが並木道が延々と続いているだけで、あまりの暑さでうんざりしてしまいました。どうせなら七夕祭りの時に来たかったです! でもインド料理が美味しかったことと、久しぶりの銭湯もよかったです。□

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2008年8月 1日 (金)

阿佐ヶ谷の欅並木と豊玉浴場(前編)

杉並区阿佐谷に出掛けました。JR中央線阿佐ヶ谷駅を挟んで南北に伸びる中杉通りの欅(けやき)並木を歩くためです。中杉通りは都道427号瀬田貫井(ぬくい)線のうち、青梅街道の杉並区役所前から目白通りの貫井2交差点までの区間の通称(名の由来は中野区と杉並区を結ぶ道路であることとされる)で、都道名が示すように世田谷区瀬田と練馬区貫井(目白通りに接続)を結ぶ旧大山街道のひとつです。

阿佐谷の地名の由来は神田川支流の桃園川の浅い谷地であったことで浅が谷と呼ばれ、後に阿佐ヶ谷となりました。現在は「ヶ」が無くなって阿佐谷となり、中央線を挟んで阿佐谷北と阿佐谷南の両地区に分かれています。しかしJRの駅名は阿佐ヶ谷のままであることは祖師ヶ谷と同じです。また地下鉄丸の内線の駅名は南阿佐ヶ谷です。

早稲田通りから中杉通りに入って阿佐谷北の松山通り(旧中杉通り)と日大通りに近いコインパーキングに駐車しました。阿佐谷北の中杉通りは欅並木が一直線に続きます。

 

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阿佐谷北6交差点から同4交差点まではほぼ平坦な道ですが、次第に緩やかな下りスロープとなり、阿佐谷北1交差点を過ぎると逆に緩やかな上りスロープになりました。この辺りで中杉通りを横切って東西に流れてるのが桃園川ですが、現在はすべて暗渠化されているために川の流れを見ることはできません。阿佐谷の氏神様の神明宮入口世尊院前を過ぎると駐車場から1kmほどでJR中央線の阿佐ヶ谷駅北口です。

 

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ちょうど昼時になりましたので右手のスターロードに入りました。飲食店が数え切れないほど並んでいます。心積もりの店があったのですが中々見つけられません。同行者はあまりの暑さでグロッキー気味になり足を引きずるように歩いています。予定を変更して駅に近い場所で見かけたカジュアルな雰囲気のインド料理店「バンダリBhandari)」に入りました。ニューデリー近郊のニューティハリ出身の店主が2001年に開店したインド・カレーのレストランで、2年前に青梅街道沿いから現在の場所に移ったようです。一階のカウンター席とテーブル席はほぼ満席で、二階席に案内されました。

 

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カレーはチキン・マトン・キーマ・ベジタブル・エッグ・マメの6種類があり、辛さも1倍から9倍までの中から選べます。同行者はレディースセット(ベジタブル)とヨーグルトベースの飲み物「ラッスイー」、私はカリー・ナン(チキン)と「チャイ」(紅茶)を注文しました。配膳されたプレートに載るナン40cm以上の大きさがありました。マイルドと説明される「3倍のカリー」は美味しいナンとの組み合わせで辛さが足りないと思いましたが、徐々に辛さが口の中に広がりました。日本語の堪能な店主が辛さはどうかと訊きながらスパイス「ミントチャツネ」をテーブルに置きました。ミントと唐辛子にほうれん草などをミックスしたものだそうです。同行者はその味を大いに気に入ったようで、そのまま味わっています。私はカジュアルなカレーと焼きたての大きなナンが気に入りました。

 

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JR阿佐ヶ谷駅を抜けて南口から阿佐谷南に出ました。中杉通りのすぐ東にパールセンター商店街(約700m)が伸びていますが、そのまま中杉通りで青梅街道まで欅並木を歩きました。こちらは飲食店が中心で阿佐谷北よりも賑やかな雰囲気があります。

  

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中杉通りが青梅街道に行き当たった左角が杉並区役所です。

 

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青梅街道沿いの正面玄関横にあるエコ用の巨大な「緑のカーテン」を過ぎると千歳の松がありました。樹齢400年以上といわれます。(続く)
 
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