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2008年9月15日 (月)

奥の細道擬紀行(完) 仙台城址

国道457号を50kmほど南下すれば仙台です。「青葉城」と「五城楼」の雅称がある仙台城を2年ぶりに訪れ、前回と同様に伊達政宗像と土井晩翠の碑などを見て回りました。

  

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石垣の修復工事が完成したことの説明があります。前回訪れた時には満開の桜に見とれて気付きませんでした。

 

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広瀬川に架かる大橋を渡って欅並木の青葉通りを走り、銀杏とエンジュ並木で知られる晩翠通りを横切って、芭蕉の辻へ向かいました。これら二つの通りは定禅寺通りの欅並木と並ぶ仙台の代表的な並木道です。

 

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次の国分町通り(奥州街道)との交差点を左折すると大町通りと交差する角の生保会社前に奥州街道の道標と「芭蕉の辻」碑が並んでいます。芭蕉と言っても松尾芭蕉とは何の関係もないことと正式には「札の辻」であることが碑に説明されています。

 

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名の由来はさておき、芭蕉は奥州街道で仙台に入って国分町に宿泊していますし、仙台城の北にある亀岡八幡宮を訪れていますから、芭蕉の辻を通過したのは確かだと思われます。さらに仙台東照宮榴岡(つつじがおか)天満宮陸奥国分寺跡(薬師堂)などを精力的に訪れたあと、多賀城・石巻・松島へ向かって金華山道(塩釜街道)を進んだと見られることも傍証になりそうです。芭蕉は松島で伊達政宗の菩提寺「瑞巌寺(ずいがんじ)」に立ち寄っています。

 

芭蕉の辻は仙台城下の町割の基点となった場所で、会津市大町にあった道路元標と似ていますから、松尾芭蕉・蒲生氏郷・伊達政宗に縁の地を南東北地方に訪(たず)ねる欲張り旅の終点に決めました。

 

このまま東北自動車道に入るには時間が早すぎますから国道4号でしばらく南下することにしました。暗くなる前に宮城県を抜けられそうです。トラックの多いことが目に付きます。福島県国見町に入った頃には日がすっかり暮れましたので国見ICから東北自動車道に入りました。川口JCTまで276kmです。日が替わるまでまだ5時間以上もありますのでのんびり走ることにして吾妻PAで腹ごしらえです。喜多方を通過した時は機会がありませんでしたので吾妻PA内の喜多方ラーメン店で塩ラーメンを頼みました。同行者はコラーゲンたっぷりの鶏の白湯メンです。いずれも私好みのあっさりした味でした。

 

主要なSAやPAに立ち寄って時間調整をしながら浦和本線料金所に到着したのは12時3分前でした。ETCゲートの前にトラックの長い行列が出来ているのは通行料金の深夜割引のためです。12時の時報とともにその車列が一斉に動き始めました。

 

東京外環自動車道に入ると雨が降り始めました。いよいよ雨の帰宅かと思っていると、大泉ICを出る時には雨がすっかり上がっていました。やはり最後まで雨の間を縫うような幸運に感謝するドライブ旅になりました。総走行距離は約1340kmです。

 

<同行者のコメント> 山道ばかりのドライブは疲れます。温泉が待っていると思ってがまんしましたが旅館で日帰り温泉を断られた時はショックでした。でも那須の温泉は良かったです。それにソフトクリームとおまんじゅうが美味しかったことも大満足です。□

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