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2008年9月 9日 (火)

奥の細道擬紀行(その5) 会津若松城と輪箱飯

県道131号(旧会津西街道、別名下野街道)と72号(会津坂下会津本郷線)を北上し、152号(橋本会津高田線)、59号(会津若松三島線)で東進すればいよいよ猪苗代湖北西の要衝である会津若松市です。磐越自動車道、JR磐越西線と只見線、日光街道、そして沼田から片品村と尾瀬沼を経る沼田街道も会津に至ります。

 

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現在は鶴ヶ城公園となっている若松城(鶴ヶ城)に北口から入り、北出丸の枡形(左下の写真)を通って西出丸の駐車場に車を停めました。梅坂から鐘撞堂を経て武者走り(右下の写真)の合理的な機能に感心しながら昭和40年に再建された天守閣に向かいます。現在は裏門になっていますが、蒲生氏郷の時代には表門であったことが説明されていました。1965年に再建された五層の天守閣(入場料500円)が悠然と聳(そび)えています。西側の観光案内所と東側の入場券売り場近くから撮影しました。

 

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天守閣内には歴代の城主が説明されていました。黒川城時代の葦名(あしな)氏と伊達政宗、鶴ヶ城と改めた蒲生氏郷、そして上杉景勝から加藤氏と城主が目まぐるしく変わりましたが、会津松平家となってからは幕末まで続きます。最後の藩主は戊辰(ぼしん)戦争時の会津戦争に敗れた松平容保(かたもり)です。圧倒的な勢力を有する新政府軍の攻撃を前に篭城したものの1ヶ月後に会津藩は降伏します。

 

最上階からは雲がかかる磐梯山や飯盛山(右下写真の右端)とともに会津盆地が見渡せました。見下ろすと平成12年に復元された南走り長屋と干飯櫓(ほしいやぐら)、本丸跡、茶室麟閣(りんかく)が見えます。干飯櫓から出て麟閣に向かいました。秀吉の不興をかい死罪を命じられた千利休の次男少庵を氏郷が会津で匿(かくま)った時に建てた茶室です。後に少庵は氏郷などのとりなしがあり秀吉に許されて千家茶道が再興されることになります。信長が本能寺の変で討たれると安土城に居た信長の妻子を匿って明智軍を相手に日野城で篭城したこととともに氏郷の人柄が偲ばれます。

 

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茶室の奥にある「荒城の月碑」から月見櫓跡と茶壷櫓跡に登ってみました。朱に塗られた廊下橋と五軒丁掘が眺められますが橋の先にある二の丸(現在はテニスコート)は鬱蒼とした木立に囲まれてその様子は窺えません。

 

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鶴ヶ城の北に広がる会津市内には追手町(おうてまち)、千石通り、馬場町通り、甲賀町通り、北出丸通りなど城下町らしい地名が残っています。JR会津若松駅はさらに北西の大町通りと白虎通りが交わる場所にあります。

 

この日の日帰り温泉として選んだのは鶴ヶ城東方の東山温泉庄助の宿「瀧の湯」です。県道325号(湯川大町線)の坂道を上った右手にありました。玄関前の駐車場に車を止めると愛想のよい番頭さんが出迎えてくれました。日帰り温泉の利用を申し出ると何としたことか予約客が多いのでと丁重に断られてしまいました。同宿のhpには午後8時まで利用可能と説明されていたのに残念です。

 

夕食は会津名物である輪箱飯(わっぱめし)の老舗「田季野(たきの)」へ出かけました。鶴ヶ城の横を通る国道118号と東山温泉へ向かう県道325号が交差する栄町ですからアクセスは容易ですが、表通りから路地を入った所ですから、地図がないと店にたどり着くのに苦労しそうです。時代を感じさせる店内は趣があります。

 

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私は欲張って「よくばり輪箱飯」(左下の写真)、同行者は「会津ミニ会席」(続く2枚の写真)を注文しました。同行者が苦手な駒(馬)刺し(最後の写真)が私に回ってきました。小露(こづゆ)と呼ばれる郷土料理(野菜の具が入ったスープ、朱色の器)は素朴な味でした。五大銘飯には入っていませんが評判通りの美味しい料理です。

 

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まだまだ訪れたい場所がありますので会津若松市内に宿泊しました。(続く)

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