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2009年2月に作成された記事

2009年2月26日 (木)

晴れた日にはGMが見える

4ヶ月前の当ブログで「お金は大事」をテーマに記事を書きましたが今回は「製造業」がテーマです。(長文をご容赦ください)

 

日本経済は4ヶ月前よりさらに悪化して、金融危機の震源地であるアメリカ以上に株価がバブル崩壊後の最安値7162円を割り込み、GDP(国内総生産)もマイナス12.7%(年率換算)と大きく落ち込んでいます。震源地のアメリカでは投資会社が全滅したことに続いてビッグスリー(大手自動車会社)の破綻可能性が取りざたされています。なかでも最大手のGM(ゼネラルモーターズ)社の危機が昨年末に政府から財政支援を受けたにも係わらず現実のものとなりつつあるようです。

 

自動車に興味を持つ私はGMの動向に大きな関心を持つとともに感慨にふけりながら見守っています。実はアメリカに住んでいた時にはGM製のフルサイズカー(5リッター)に乗っていました。もちろん家族用の車は信頼性の高い日本メーカーの車(2.6リッター)でしたが・・・。

 

巨大化から凋落へ

エクセレントカンパニー(超優良企業)の代名詞でもあったGMは100年前の1908年にミシガン州で設立されました。ビュイック、オールズモービル、キャディラック、ポンティアック、シボレーを次々と買収して巨大化することでハイエンドからローエンドまでをカバーする自動車会社となり、限られた車種だけを売る老舗(しにせ)企業のフォードを追い抜いて、1920年代には世界一の自動車メーカーとなりました。

 

7_1 戦後は海外展開(ドイツのオペル、スウェーデンのサーブ、オーストラリアのホールデン、日本のスズキなどへの投資)を積極的に行ったことでアメリカ最大規模の企業に成長しました。規模の拡大と製品の多様化で成長したGMは業態転換(リストラクチャリング)には伝統的に保守的でした。  

 

それでも1970年代にオイルショックが起こると小型車にも力を入れましたが品質問題などが災いして成功しませんでした。そして1990年代の好景気が大型車やSUV(スポーツ多目的車)の需要を拡大させて多大の利益をもたらしたため、旧来の路線へと後退することになり、市場シェアは確実に低下傾向が続きました。

注)写真はテキサス州にあるキャディラック・ランチです。1974年に作られたアートなのだそうですが私には墓場のように見えました。1997年に新しい場所に移動したようです

 

最近の問題点
 
12_1 今世紀に入ると自動車の燃費と環境対策が重要視されるようになりましたが、またしても対応が遅れ、値引きや販売店への販売促進費で売上を維持しようとする「蛸足(たこあし)」的な営業戦略を採(と)ったことで企業の体力(良好であった財務体質)を急速に失うことになります。
 

 

労務面でも長期雇用と手厚い福利厚生施策(医療費や退職金など)がGMの重荷となっていました。GMのこの考えは、古き良きアメリカ企業に共通するもので、戦後の日本企業が手本とした企業モデルでもあることが日本では意外と知られていません。すなわち親子三代が続けて同じ企業に勤めることも珍しくなかったのです。このような終身雇用(長期雇用)と企業一家の考え方はアメリカ発のものであって、決して日本的なものではないのです。

 

戦前の日本における大企業を見れば分かりますが、少数の正規社員(エリート)と大多数の臨時社員・非正規社員(臨時工、季節工)などで構成されていました。日本人の過半数(昭和に入ってもまだ約50%)が農業に従事していた時代では、農閑期だけ会社に勤めるか、あるいは農繁期に会社を休むことがこれら非正規社員にとって一般的だったようです。
 

30年以上前の指摘
 

GMに話を戻します。1970年代に最年少で重役となったものの社内抗争に敗れて退社したジョン・デロリアン氏へのインタビューをまとめた著書「晴れた日にはGMが見える」が当時注目されました。その内容は巨大化し過ぎて疲弊した組織の現状、組織内だけに向いた考え方、外部からの意見や忠告に耳を貸さない、内部抗争に明け暮れるなど、大企業病の内幕が書かれています。この本は暴露記事的なものであり、デロリアン氏の人間性とともに、その評価は分かれます。そのほかにもGMについて著名な社会・経営学者ピーター・ドラッガーや社会運動家のラルフ・ネーダーなどが助言や告発を行いました。しかし外部の意見や忠告に耳を貸そうとしないGMが変わることはありませんでした。 (注釈)書名はマンハッタンに聳(そび)える本社ビルのことです

 

かたくなまでに古き良きアメリカを守り続けたGMも一昨年に発生したサブプライムローン問題(自動車ローンにも波及)とそれによる景気悪化(需要減)によって追い詰められているのです。昨年末に続いて政府からさらなる融資を受けるためには抜本的な再建計画を提出しなければなりませんが、まだ債権者や労働組合との折衝が合意には至っておらず予断を許しません。つまり3月末までに再建計画をまとめられるかどうかがGMが生き残るための鍵ですが、あと30日余りのカウントダウンの先にはGMの破綻とそれに続く再建のシナリオが待つことが現実味を帯びてきました。

 

もう一つの老舗巨大企業
 

GMとは違う方向を目指した老舗(しにせ)企業がありました。GMとともに古きアメリカ企業を代表するGE(ゼネラル・エレクトリック)社は、トーマス・エジソンの流れを汲む巨大電機企業でしたが、業態転換(リストラクチャリング)を積極的に進めたことで、今やコングロマリット(複合企業)と呼ぶ方が相応しい企業になっています。1980年に会長兼CEOに就任した異色の経営者ジャック・ウェルチが大胆に推進したこのリストラクチャリングは大きな成果を上げたことで世界の経営者から賞賛を浴びました。

 

しかし人材を維持するそれまでの業態転換とは異なり、大幅な人員削減をともなうもので、それ以降のリストラクチャリングは従業員の解雇によって企業を守ることを意味するようになりました。現在の日本でも「リストラ」といえば人員整理のことを指すのが一般的になっています。自伝「ジャック・ウェルチ わが経営」には業界で第1位あるいは第2位でない部門は再建・売却・閉鎖のいずれかを実行する戦略が詳説されています。また社員にもこの方針に対応できる資質と努力を求めました。この経営理念はGMと対極をなすものですが、いずれも企業至上主義の考えであることは共通しています。

 

ジャック・ウェルチが21年間の長きにわたって務めた会長兼CEOを2001年に退任したあともGEの路線は後継者によって継承されました。旧来のアメリカ的な経営から脱したGEは、現在の金融危機下においても、GMとは対照的に健在振り(2008年は売上1800億ドル、営業利益率10%強)を示しています。それでも金融部門のGEキャピタルなどの業績悪化によりGEの株価は過去5年間で最高値を付けた昨年11月の41ドル(史上最高値は2000年8月の58ドル)から現在は9ドルまで低下しています。

 

一方、GMの同じ期間の株価は2004年4月の最高値47ドル(史上最高値は2000年4月の93ドル)が現在は2ドルに低下したことに比べればGEへの評価はまだ高いと言えるかもしれません。両社の経営者達が導いた対照的なビジネス・スタイルは大変興味深く、これからも両社の動向に注目したいと思います。

 

他山の石

 

話を最初に戻しましょう。金融危機と経済危機(景気悪化)の震源地であるアメリカやその影響を最初に受けたEU(欧州)よりも日本においてGDPと株価がなぜ大きく低下したのでしょうか。今回のアメリカ発の金融危機はトリガー(引きがね)に過ぎず、2000年頃から日本の政府と産業界が推進してきた経済政策が主原因と考えられます。すなわち日本企業のグローバル競争力を強化することを至上目標として国内の人件費削減と前工程を中心に製造プロセスをコストの低い海外に展開したことです。

 

それに加えて国内の人件費を構造的に削減する非正規雇用の拡大が際限なく拡がり2008年には労働市場の35%(10代の若年層では約70%)にも達しました。このため大手企業が史上最高益を更新する一方で労働分配率(付加価値に対する人件費の割合)が大きく低下したことで国内需要(市場)は低迷が続きました。

  
そしてグローバル競争力を付けたはずの日本企業をアメリカ市場と欧州市場の需要急減が直撃しました。自動車や家電メーカーなど輸出企業が一番大きな影響を受けたことはこれを象徴するものです。すなわち外需バブルが崩壊したことで企業単位の最適化経営ではもはや対処できない環境変化に直面しているのです。このような視点に立つと、日本企業には関係のないと思われたGMの経営戦略(利益率の高い大型車とSUVへ過度に依存するビジネスモデル)が行き詰った構図が実は輸出依存の日本企業にも当てはまることが分かります。

 

新たな経済政策の必要性

 

しかし輸出(GDPの10-15%を占める)そのものが悪いのではありません。エネルギーを他国に依存する日本経済は輸出と輸入(合計するとGDPの20‐30%)なくしては立ち行きません。必要なことは富の公平な分配による国内市場(GDPの70‐80%)の再生です。もしこれを怠(おこた)ると、例えアメリカ政府の膨大な景気刺激策でアメリカ経済が回復(つまり日本からの輸出が回復)したとしても、今回実証された日本経済の構造的な脆弱性(ぜいじゃくせい)が解消されないことはもちろん、国内経済も改善されないのです。つまりアメリカの金融危機と景気悪化のために日本経済が損失を被(こうむ)ったとの被害者意識だけでは解決策を見出せないと思います。

 

1986年にグローバル化を意識して発表された「前川レポート」に端を発したと言われる現在の日本経済が抱える課題を総括する【晴れた日には日本が見える】によって新たな経済政策と雇用促進策を模索することが今の日本に必要ではないでしょうか。1990年代後半に始まり2000年代初頭に弾(はじ)けたアメリカにおける前回のバブル経済を自ら経験した筆者の独(ひと)り言でした。

 

(参考資料) 記事を書くに当たって以下の資料を参考にしました。

「晴れた日にはGMが見える」(1986年、J・パトリック・ライト著、新潮文庫)

「ジャック・ウェルチ わが経営」(2001年、ジャック・ウェルチ著、日本経済新聞社刊)

「世界最強の経営者 J・ウェルチの挑戦」(2001年、テレビ東京の特別番組から)

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2009年2月21日 (土)

国立新美術館

東京メトロ千代田線の乃木坂駅で下車しました。6番口を出ると国立新美術館の構内に導かれます。ロゴが「薪」の字に見えましたが「新」をデフォルメしたものでした。板張りのエントランスの先に西入口が見えます。他の美術館のように自前のコレクションを持たず、展示会や教育普及プログラムを開催したり、美術に関する情報や資料を公開する施設です。1階から3階まで国内最大級の展示スペース(10箇所の展示場、計14000平米)があるそうです。ちなみに午前10時から午後6時まで開館(毎週火曜日は休館)しています。

 

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平成18年に完成した斬新な建物は黒川紀章氏の設計によるものです。けれんみのない外部庭園を散策しながら建物の外観を鑑賞しました。正門方向から見ると良く分かりますが大きな波をイメージしたという曲線的なガラス製の外壁は周囲の環境に溶け込むガラス細工のようです。日射熱と紫外線を遮断する省エネ設計になっているそうです。

 

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館内を1階から順に見て回りました。32日まで日本画家の加山又造展(入場料5250円)が開催されています。この日(216日)が最終日の新槐樹社展・立軌展・全日本アートサロン絵画大賞展も盛況でした。エスカレータで2階へ上がると日本書作院展とあきつ会書道展がありました。前者の会場に入ると漢詩を独特の書体で表現した書が3つの会場にまたがって多数展示されています。この分野に疎(うと)い私にはいずれもよく似た書に見えました。

次いで3階にも足を伸ばしました。日本中国水墨画合同展は水墨画を通して国際交流を目的とする日本中国水墨交流協会が開催する展示会(入場料500円)です。水墨画と言っても私が想像したものとは大分異なっていました。日本画のように色付けされたものや、まるで版画かと思うほど写実的なものが多いことに驚かされました。

   

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私と同行者が気に入った作品を数点紹介します。

「露吟香」(曽勤作)               「芽ばえ」(田中玉弘作)

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「融雪の川」(馬氏作)               「樹大招風」(顧哲剛作)

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「八鮮」(王小愛作)               「カラス」(小学生 木村紗英子作)

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昼にはまだ時間がありましたが同じ3階のレストラン「ブラッスリー ポール・ボキューズ ミュゼ」へ向かいました。ミシュランの三ツ星を長年獲得しているリオン市近郊のフランス料理店が日本を代表するシェフの平松宏之氏と協力して出店したブラッスリー(フランス風居酒屋)です。巨大な逆円錐形の最上部にあり、空中に浮かんでいるようにも見えます。順番を待つ長い列ができていました。残念ですがまたの機会にしましょう。

 

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2009_02160074 国立新美術館は六本木ヒルズの森美術館と東京ミッドタウンのサントリー美術館とともに六本木アート・トライアングルを構成しています。当ブログでは個別に紹介していますが、六本木・赤坂のこのトライアングルを巡るアート散歩も面白いでしょう。

 

<同行者のコメント> 水墨画の「八鮮」がユーモラスでよかったです。レストランで女性客が並んでいるのを見た旦那さまはそそくさと歩きはじめました。ランチはいつになるのでしょうか? 今日も心配です。

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2009年2月14日 (土)

日光街道越ヶ谷宿と天然温泉「ゆの華」(後編)

次いで向かったのが「花田苑」です。REUSEから2kmほどの近さでした。建て込んだ住宅街にある広々とした日本庭園です。立派な能楽堂に隣接した回遊式池泉庭園を散策しました。一直線に伸びる竹林が印象的です。

 

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大きな池の周りを巡りました。和船が一艘(そう)係留(けいりゅう)されています。舟遊びができるのでしょうか。せせらぎが心地よいです。築山には梅が咲いていました。

 

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昼食は越谷レイクタウン内でもと思っていましたので具体的な候補を選んでいませんでした。国道4号へ向かう途中で偶然に見つけた「らーめん ほくしん」越谷店に車を停めました。工場を改装した建物のようで、鉄骨がむき出しになった1階が駐車場、2階が店舗となっています。チャーシューメンが売りの店のようです。

 

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昼時を過ぎていましたが家族連れでほぼ満席。地元の人気店なのでしょう。暖簾(のれん)で仕切られた半個室のレイアウトとフロア中央の小さな和風庭園がユニークです。

私は塩ラーメンを、同行者は豚キムチラーメンを注文しました。塩ラーメンはさっぱりした味です。バターが溶けるにつれてコッテリした味になりコーンの味を引き立てます。私の好みとしてはバターの量を調節した方が良かったかと思います。それに萌やしと麺の量がちょっと大目でした。豚キムチラーメンの方はピリ辛好きには堪えられない美味さです。ファミリー・レストラン風の内装とラーメンの味に好感が持てました。

 

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この日の日帰り温泉は越谷天然温泉美人の湯「ゆの華(はな)」越谷店です。大間野町の国道4号沿いに立地、大きな無料駐車場が3箇所(計200台収容)あって車の利用者に便利です。最寄り駅のJR武蔵野線南越谷駅あるいは東武伊勢崎線蒲生駅からは徒歩15-20分と距離がありますから無料送迎車(要予約)を利用するとよいでしょう。

 

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建物の古い外観は昔の健康ランドの雰囲気です。その外観にちょっと戸惑いながら入りました。午前10時から営業していました。料金は700円と妥当で、フェイスタオルとバスタオルのレンタル付きの手ぶら入浴コース(900円)もあります。ボディーソープとリンスインシャンプーが浴室に備付けとなっているのもうれしいです。

1階の「やませの湯」と2階の「華街道」が日替わりで男女浴室(偶数日は1階が女湯で2階が男湯)になります。各々に白湯の内風呂と露天温泉風呂があります。浴室の命名が気に入りました。日光街道(奥州街道でもある)に面していることと山背(東風のこと)をイメージしたのでしょう。この日は2階の華街道が男湯でした。広めの脱衣場から浴室に入りました。高い天井と白系統で統一された洋風の雰囲気は悪くはありません。

     

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露天風呂だけが地下1200mから湧き出る天然温泉です。泉質はナトリウム塩化物・炭素水素塩温泉・塩泉・重曹泉。褐色がかった黒湯は重曹泉らしくすべすべ感があります。肌を刺す強風が冷たくて温泉のぬくもりがありがたいです。入浴客で一杯になった露天風呂から雲ひとつない青空を楽しみました。

内風呂はソルティサウナ、高温サウナ、水風呂、リラックスバス、ジェットバス、エステバスなど多彩です。施設の外観はやや見劣りしますが味わいのある良い温泉です。今風のきれいな温泉が良い方には花田苑に近いヘルシーランド「らぽーれ」がお勧めかもしれません。こちらの料金は大人2000円(タオルとバスタオルは無料)と高めです。

<同行者のコメント> 今回も川めぐりでした。越谷レイクタウンに寄るのかと思いましたが、周囲をぐるぐる回ったあと、公園を歩く旦那さまを車の中から眺めるだけでした。そのあとも花田苑で食事かと思ったのですが茶席があるだけでがっかり。旦那さまは珍しくラーメン店に入りました。「調べていたの?」と聞くと、「見たときの直感だよ」との答えです。豚キムチラーメンはとても美味しかったです。□

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2009年2月13日 (金)

日光街道越ヶ谷宿と天然温泉「ゆの華」(前編)

旧日光街道(日光道中)の千住宿草加宿に続く三番目の宿場である越ヶ谷宿の水辺散策に出かけました。最初に訪れたのは越ヶ谷宿の入口にある蒲生の一里塚です。東京外環自動車道草加ICの近くで草加市と越谷市の境界を綾瀬川が流れる場所にあります。草加ICのすぐ先で国道4号を右折して草加旭町団地方面へ向かうと綾瀬川に行き当たりました。その手前を左折して蒲生大橋で綾瀬川を渡ると越谷市蒲生愛宕町に入ります。左手の住宅地に伸びる茶屋通りが旧日光街道です。

 

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蒲生の一里塚は埼玉県内の日光街道に唯一残る一里塚だそうです。塚の上にはムクエノキの古木、高さ25mのケヤキ、マツ、イチョウが生い茂っていました。

 

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すぐ近くの藤助河岸にも立ち寄りました。江戸時代中期に綾瀬川を利用して米などを運ぶ水運の船着場として高橋藤助氏によって経営されたのが名の由来です。明治時代まで栄えましたが、大正時代に東武鉄道が施設されると衰退し、昭和初期に廃止されたそうです。現在の藤助河岸は当時の荷の積み降ろし小屋の一部が復元されたものです。すぐ前にある藤助酒店の古い店舗と倉庫が目を惹きました。

 

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藤助河岸のすぐ下流にある水門から谷古田河畔緑道(谷古田用水)と葛西用水を巡ることにします。暗渠(あんきょ)化されている住宅地を回り込むと谷古田河畔緑道が一直線に伸びています。

 

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緑道を2km近く辿ると葛西用水に行き当たりました。日本三大用水の一つで埼玉県東部と東京都東部を流れる灌漑用水です。足立区内も葛西親水水路として整備されています。葦などが生茂る用水に沿って遊歩道の整備工事が行われていました。

 

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前方に見えてきたJR武蔵野線沿いに東へ向かい八条用水を渡ると「越谷レイクタウン駅」が見えてきました。越谷レイクタウン(UR都市機構が開発中)は全国一の規模を誇るショッピングモール、集合住宅・戸建ての住宅エリアを含む新興住宅地、そして人工池の「大相模調節池(おおさがみちょうせつち)」で構成されています。


平成20年10月2日に越谷レイクタウン駅前でオープンしたショッピングモール(複合商業施設)はMoriとkazeの2つのエリアに分かれてイオンなどの施設が立ち並んでいます。
開発が先行した駅北エリアに続いて南側のエリアでも造成工事が始まっていました。こちら側にも人工池が開削されるようです。

 

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駅前から大相模調節池に向かうと見田方(みたかた)遺跡公園がありました。期待したものとは違って遺跡は埋め戻されており、芝生の公園を歩くだけになったのは残念です。大相模調節池は中川・綾瀬川・元荒川流域の総合治水対策の一環として開削されたものですが、新興都市の自然環境保護と景観作りにも一役買っていました。

 

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見田方遺跡公園の小山から大相模調節池越しに見えるゴミ処理場の「REUSE」にある展望台に向かいました。元荒川の対岸にある立派な施設です。地上80mの展望を期待したのですが残念ながら当日は休館でした。

 

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地名の由来です。大相模調節地の名が不思議でした。神奈川県西部の相模国と何か関係があるのでしょうか。調べてみると相模国の大山寺にある不動明王と同じ木を使って彫られた不動明王がこの地の大聖寺(大相模不動尊)に祀られたことから戦国時代に大相模郷と名付けられ、明治時代に大相模村となり、現在も相模町と相模の名が続いています。おまけにもうひとつ。元荒川とはその名の通り、昔 荒川の本流だった川で、現在は中川の支流になっています。(続く)

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2009年2月 7日 (土)

仙台掘川公園と天然温泉「泉湯」

横十間川親水公園を少し戻って仙台堀川公園に入りました。この公園も運河の仙台堀川を公園として整備したものです。江東区の緑道を辿ったときに砂町で立ち寄ったことがあります。名前の由来は近くに仙台藩の屋敷があったことだそうです。

 

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カナダから送られたトーテム・ポールと陶壁「しぶき」が訪れる人を迎えてくれます。

 

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豊住橋(四ツ目通り)を潜ると豊住魚釣場がありました。釣りを楽しむ人が大勢います。釣った魚のうち一匹だけを無料で持ち帰ることができるようです。

 

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川の護岸を利用した壁画「木場の歴史」を過ぎ、千田橋を過ぎるとほどなく仙台堀川公園の端にある「やすらぎの滝」です。幼児像の周辺で鳥たちが遊んでいました。

 

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2009_01290163豊住公園を抜けて大横川を渡ると今回の公園散策コースの終着点である木場公園です。仙台堀川を挟んで南北2箇所に分かれています。木場公園大橋がその2つのエリアを結んでいます。この公園は名前の通り貯木場(木場)と材木倉庫があった場所ですが、それらの施設が埋立地の新木場に移転したため跡地が公園となりました。大橋の脇で梅が咲き始めています。
 

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往時の木場の風情(ふぜい)を残すため園内の角乗池(かくのりいけ)で「木場の角乗」のイベントが毎年10月に開催されているそうです。公園内で一際目立つ東京都現代美術館は改装工事中のため3月20日まで閉館中でした。

2009_01290188_2 日帰り温泉に向かうために清澄白河駅から東京メトロ半蔵門線に乗って押上駅で下車しました。四ツ目通りを300mほど南下した墨田区業平(なりひら)4丁目交差点を西に入ったところに温泉銭湯の「泉湯」がありました。押上駅から徒歩3分ほどの距離です。

入口を入ると下駄箱があります。右手の自動ドアが自然に開いてしまうので、つい急(せ)かされるような気持ちになりました。洋風のロビーにある番台で料金を払いました。脱衣場は天井が高くて床は光沢があり明るさに溢れています。浴室も同様に明るい色調であり、銭湯としては珍しく洋風の風景画が画かれています。

 

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浴槽は2つで、右手の大き目で浅い浴槽が白湯の寝湯・気泡風呂・超音波風呂、左手のやや小振りの浴槽が温泉です。都内では珍しく無色透明の天然温泉です。温泉分析書には「メタ珪酸の項で温泉法の温泉に適合する」と説明されています。温泉としては平凡ですが、オープンした3時30分を過ぎたばかりで入浴者は他に2名ほど、ゆったりと湯を楽しみました。

2009_01290185 押上駅の西に隣接する旧操車場跡地で東京スカイツリーの建設が始まっていました。横十間川上流の北十間川越しに工事現場を覗(のぞ)くと基礎部分が出来上がりつつあるのが見えます。2011年には東京タワーを凌(しの)ぐ地上高約610mの電波塔が完成するそうです。ちなみにWeb Camで工事状況がリアルタイムで見られます。

地名の薀蓄を2つ紹介します。墨田区は向島区と本所区が合併して昭和22年に誕生しました。隅田川堤の通称「墨堤」の「墨」と隅田川の「田」の2字を選んで名付けられたものです。(墨田区のhp) そのまま隅田区としなかったことを不思議に思いましたが、当時の当用漢字に「隅」が含まれていなかったことから語感のよい墨を採用したのだそうです。

最期に訪れた業平の地名は平安時代の六歌仙の一人で伊勢物語の主人公でもある在原業平(ありわらのなりひら)に由来しています。業平繋(つな)がりですが隅田川に架かる言問橋(ことといばし)の名称も伊勢物語で歌われた古歌に由来します。

<同行者のコメント> 木場公園の橋から大きなルービックキューブが運河沿いのビルの上にのっかっているのが見えました。運河の写真の右上隅に小さく写っています。私は面白いと思ったのですが旦那さまは関心がなさそうです。それでもあとで調べてくれました。木場パークビル(貸しビル)のモニュメントだそうです。

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2009年2月 5日 (木)

横十間川親水公園

江東区の横十間川(よこじっけんがわ)親水公園へ出かけました。江戸時代初期に開削された運河である横十間川のうち小名木川(おなぎがわ)と交叉する地点から大横川までの約1.9kmが親水公園として整備されています。地下鉄住吉駅近くにある猿江恩賜(さるえおんし)公園が親水公園散策の出発地です。

 

この公園はかつて江戸幕府の猿江貯木場でしたが、明治になって皇室御用達の貯木場となり、大正末期に南側のエリアが下賜(かし)されて公園となったことでこの名があります。戦後になって東京都が残りのエリアを買収して現在の形になりました。

 

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横十間川は、隅田川から分かれた北十間川からさらに分かれて、猿江恩賜公園の脇を南北にほぼ一直線に伸びています。横十間川の名の由来は江戸城から見て横方向に流れる運河で川幅が10間(約18m)あることだそうです。

 

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川辺の木道を歩きました。小名木川クローバー橋は交叉する横十間川と小名木川の上をX字型に結んでいる珍しい橋です。ここから横十間川親水公園に入ります。

 

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水位を調整する水門橋の先に水上アスレチックがありました。じぐざく平均台、円盤渡り、いかだ渡り、つり橋渡りなど多彩ですが冬季のためか人影はありません。

 

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河童(かっぱ)を見ながら散策路を歩くと川の中ほどに浮かぶ灯火を見つけました。三段重ねのオブジェのようにも見えますがどのように灯りが灯るのかは想像できません。
 

 

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人影の無いボート池を過ぎると左手にミニ動物園がありました。小鳥のほかに可愛いうさぎが何羽も遊んでいます。珍しい模様のうさぎに思わずシャッターを押しました。仲良しペアとメタボのうさぎを紹介します。この「おでぶさん」は本当にうさぎでしょうか。 

 

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2009_01290094豊砂橋(葛西橋通り)の下を潜(くぐ)ると池の畔(ほとり)に水車小屋がありました。人工の小川には形ばかりの水が流れていますが水車は動いていません。すぐ近くで大きな望遠レンズを構えた年配者がふたり、何かを撮影しています。川の中の魚でしょうか、それとも野鳥?

 

 

そのお一人に尋ねると「かわせみ」を撮影しているとの答えが返ってきました。この池に一羽だけいる「かわせみ」は食後の休憩中で、再び現れるのを待っているとの解説が続きます。そして先ほど撮影に成功したご自慢の写真をあれこれ見せてくれました。色鮮やかな「かわせみ」が小魚を銜(くわ)えています。根気のいる趣味に敬服です。
 
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その先は花菖蒲園です。鴨が餌を探していました。ここで横十間川親水公園は右に折れます。川の流れは見えなくなり前方の「田んぼの学校」へと続きます。 

次回は仙台堀川公園を紹介します。

<同行者のコメント> カワセミのファンは多いのですね。多摩ニュータウンの近くでもカメラで撮影する人を見たことがあります。

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