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2009年3月に作成された記事

2009年3月29日 (日)

女人高野 室生寺(後編)

さらに石段が奥の院まで続きます。室生寺は暖地性シダ群落(イヨクジャク、イワヤシダ、オオバハナジョウシダ)があることでも知られています。

 

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胸突き八町の急な石段を登ると舞台造りの位牌堂(常灯堂)が見えてきました。ここまでの石段は720段あるそうです。その奥には御影堂(みえどう、大師堂)があります。屋根の頂上に石造りの露盤が置かれている珍しい建物だと説明されていました。

 

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石段を下りて仁王門から本坊の方向に進むと護摩堂があります。その先は修行の場で立ち入りが出来ません。すぐ横の枝垂れ桜がほぼ満開でした。(3月18日撮影)

 

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太鼓橋の袂(たもと)にある山菜料理の橋本屋で昼食をとったあとに向かったのは西光寺です。室生寺の入り口を通り過ぎて右手の急坂から山道に入りました。この室生古道は南の佛隆寺(ぶつりゅうじ、四門のひとつ)から室生寺に入る道です。梅の花を見ながらほぼ上りきった所に枝垂れ桜の巨木が見えてきました。西光寺の「城之山枝垂桜」です。薄紅色の花が咲くそうですが、時季には早すぎて蕾(つぼみ)が膨(ふく)らみ始めたところでした。現在は無住の寺になっています。

 

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次いで大野寺へ向かいました。室生寺の西の入り口(西の大門、室生寺の末寺)です。県道28号を室生寺口方向に戻って国道165号に出る直前で川沿いの道に入りました。室生口大野駅に向かう途中です。道路工事を抜けると宇陀川の対岸の岩肌に巨大な磨崖仏(まがいぶつ)がありました。臼杵(うすき)磨崖仏と並び日本最大級だそうです。アフガニスタンのバーミヤン渓谷の石仏や臼杵磨崖仏など立体的なものと異なり平らな壁面に線描されたものです。

 

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大野寺の境内に入りました(参拝料200円)。鐘楼の前にある大きな枝垂れ桜(樹齢約300年)はまだ蕾でした。境内にはほぼ同じ大きさの枝垂れ桜がもう1本と樹齢100年くらいの紅枝垂れ桜も30本ほどあります。いずれも四月上旬から中旬が見頃のようです。

 

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いよいよ日帰り温泉です。同じ宇陀市の榛名(はるな)区福地にある「みはる温泉美榛苑」は公共の宿泊施設で温泉施設が併設されています。別棟の温泉施設は道路に面した地下2階から入れます。地下1階が温泉施設です。急な傾斜地に建てられているため階数表示がこのようになっています。入湯料金は500円(1日料金は800円)。

 

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受付の先のロビーに面して男湯と女湯が並んでいます。受付で受け取った鍵で脱衣場のロッカーが利用できます。脱衣場と同様に浴室もいたってシンプルで、左手にコの字型に並んだカラン、右手に白湯のローリングバスと温泉浴槽があります。期待外れと思いながら入った温泉浴槽の湯はぬめり感があってなかなか上質でした。泉質はナトリウム-炭酸水素塩泉で加温されています。時間が早く入浴客が途切れていたため、ひとりでのんびりと湯を楽しみました。ロビーで休憩していると利用客が訪れはじめました。

 

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国道369号(伊勢本街道)に入って奈良・京都方面へ向かいました。

 

<同行者のコメント> せっかくの室生寺なのに残念でした。杉の木に花粉が一杯ついているのを見るともう駄目です。奥の院まで石段が720段もあるのは四国の金毘羅さんと同じくらいですね。温泉に入っていると花粉症が楽になったような気がしました。□

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2009年3月28日 (土)

女人高野 室生寺(前編)

国道165号を西へ走ると奈良県宇陀(うだ)市に入ります。宇陀は昔、阿騎野(あきの)とも呼ばれ、古事記や日本初期に登場する古い地名のようです。ちなみに宇陀市は平成6年に宇陀郡の町村合併で誕生した新しい市で、地域自治区制を導入していますから、政令都市のように区があります。

 

室生寺(むろうじ)入口交差点を左折して室生川沿いの曲がりくねった県道28号を4kmほど進むと室生区室生に到着しました。案内標識に従って小高い場所にある駐車場に車を停めます。オフシーズンのため閑散とした駐車場を抜けて室生寺に向かいます。駐車料金(600円)は坂の下にある駐車場の受付で支払う仕組みになっていました。室生川に沿って400mほど歩くと土産物屋などの先に室生寺の入り口がありました。

 

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朱塗りの太鼓橋を渡ると表門に行き当たり参道は右手の仁王門へと続きます。口を空いた赤色の阿形(あぎょう)と口を閉じた青色の吽形(うんぎょう)が鮮やかです。狛犬や沖縄のシーサも阿吽の形式を取っています。ちなみに阿吽とは仏教の真言の一つで、これが転じて阿吽の呼吸(二人が息を合わせた様)などの用法があります。

 

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石楠花(しゃくなげ)で知られる鎧坂(よろいざか)の急な石段に差し掛かった時に同行者が花粉症の症状が悪化して参拝をギブアップすることになりました。折角の女人高野ですが私が代参することにします。真言宗室生寺派大本山の室生寺は奈良時代末期に勅命によって創建されました。厳しく女人を禁制してきた高野山に対して女性の参詣を許したことから「女人高野」と呼ばれています。

 

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石段を上りきると正面に華麗な金堂(国宝)、左手に素朴な弥勒堂(重要文化財)、右手は天神社がありました。弥勒堂には本尊の厨子入り弥勒菩薩立像(重要文化財)と釈迦如来座像(国宝)が安置されています。

 

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一段高い場所にある杮葺(こけらぶき)の金堂はハイライトのひとつです。

   

2009_03220200 内陣には本尊の釈迦如来立像(国宝)を中心に、重要文化財の薬師如来像、地蔵菩薩像、文殊菩薩像、国宝の十一面観音菩薩像がならび、その前に運慶の作と伝えられる十二新将像(重要文化財)が一列に並んでいました。本尊の背後にある大きな板壁には帝釈天曼荼羅図(国宝)が描かれているそうですが外からは見えません。

左手の石段を上ると桧皮葺(ひわだぶき)の本堂(国宝)があります。真言密教の最も大切な法儀である灌頂(かんじょう)を行うお堂であることから灌頂堂とも呼ばれます。桧皮で葺き直されたばかりの入母屋造りの屋根が印象的です。堂内に入ってお参りをさせていただきました。

 

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本堂を出て左手の石段を上ると有名な五重塔(国宝)が聳(そび)えていました。高さ16.1mと屋外に建つ五重塔では最小なのだそうです。日本最大の東寺五重塔(高さ55m)と比べるとミニチュアのようにも見えます。

 

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平安時代初頭の建立と伝えられる室生山で最古の建物です。平成10年の台風によって被害を受けましたが平成12年に修復されました。(続く)

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2009年3月26日 (木)

赤目四十八滝(後編)

清流に沿って竜ヶ壷(りゅうがつぼ)や斧ヶ渕(おのがぶち)が続きます。推定樹齢が約300年の神木(カツラ)が急な傾斜地に聳(そび)えています。

 

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崖の上から流れ落ちる縋藤滝(すがりふじだき)、静かな陰陽滝(いんようだき)、流れの緩やかな釜ヶ渕を縫って遊歩道を歩きました。

 

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案内標識の通りに百畳岩が目の前に拡がりました。最後の茶店が建つ巨大な岩は百畳の広さがあるのでしょう。茶店は開いていませんがここでしばらく休憩しました。

 

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橋を渡ると七色岩です。巨大な岩の上部に様々な樹木が生えていることから名付けられたと説明されていました。姉妹滝、柿窪滝(かきくぼだき)、笄滝(こうがいだき)と特徴のある滝が楽しめます。

 

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雨降滝は名前の通り岩肌から遊歩道にめがけて雨のように降り落ちます。同行者の足取りが重くなったようです。遊歩道はよく整備されているのですが大きな滝の周辺では急な石段が続きますから滑りやすい足下に注意して歩くのは予想以上に疲れます。

 

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骸骨滝(がいこつだき)と斜滝(ななめだき)を過ぎて急な石段を上ると赤目四十八滝のシンボル的な存在である荷担滝(にないだき)が前方に見えました。2つに分かれて流れ落ちる様から名付けられたそうです。振り分け荷物と見立てたのでしょう。入山口から18番目の高さ8mの滝です。

 

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さらに10分ほど歩くと赤目五瀑の五つ目である琵琶滝(びわだき、23番目の滝)がありますが、遊歩道のアップダウンが続いているようですから、今回はここで引き返すことにしました。五瀑をすべて踏破しない方が良いと思ったことと、ここまで2600mの距離に1時間以上掛かっており、帰り道のことも考えたのです。ちなみに赤目四十八滝には48以上の滝があるそうです。

   

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往復で2時間半の遊歩道は、オフシーズンで行き交う人も少なく、滝三昧の楽しいコースです。平成の名水百選に選ばれた滝川の清流も期待通りでした。

 

2009_03220181遊歩道の一番奥にある岩窟滝(がんくつたき)までは片道90分、出合へ抜けるには120分(4270m)掛かる本格的なハイキングコースで、以前訪れた山梨県の西沢渓谷とよく似ています。滝好きの私にはいずれも甲乙付けがたい秀逸な渓谷でした。

 

右の写真は日本サンショウウオセンターの中国オオサンショウウオです。

 

<同行者のコメント> とても歩きやすい遊歩道でした。すぐ近くでいろいろな滝が見られるのがいいですね。けもの道を分け入る滝や沢登りをする滝が多かったこれまでの滝めぐりに比べればずっとらくちんです。でも、何か忘れていませんか! 杉林がいっぱいありましたよ。

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2009年3月25日 (水)

赤目四十八滝(前編)

冬の巣篭(すご)もりから抜け出してドライブ旅を再開しました。13日に福岡から開花宣言が伝えられたことで今年は3月末頃からが花見時ですが、3月28日から高速道路の週末ETC料金が格安になることで混乱や混雑が予想されるため、いつものように先駆けることにします。東名高速道路と伊勢湾自動車道から東名阪自動車道(国道25号)の上野ICまで走り、さらに国道368号(名張街道)に入って名張市へ向かいます。

 

国道368号(上野夕張バイパス)で蔵持町原出交差点まで走り、国道165号に入って赤目口で一級河川の滝川沿いの細い道で赤目四十八滝を目指しました。赤目四十八滝は日本の滝100選、森林浴の森100選、遊歩100選に選ばれています。温泉街を抜けると「じゃんじゃの水」があり、珍しい動物の口から水が出ています。
 
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その先の日本サンショウウオセンターが遊歩道の入り口になっています。先ほどの動物は特別天然記念物のオオサンショウウオでした。赤目滝の入山料は600円です。
 
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よく整備された遊歩道を歩くと行者滝が出迎えてくれました。2つ目の銚子滝は木々に隠れているのか遊歩道からは見えません。石橋を渡ると霊蛇滝(れいじゃだき)が見えてきました。その近くに赤目牛の像があります。その由来が説明されていました。
 
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次は高さ15m、幅7mの名瀑不動滝です。赤目五瀑(ばく)の一つで、この滝に参ることを「滝参り」とされ、明治の中頃まではこの滝から奥へは入れなかったそうです。

 

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乙女滝と屏風岩を巡る遊歩道沿いにフクザクラの蕾が膨らみ始めていました。

 

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水量の少ない大日滝を過ぎると八畳岩がありました。上部の平らな部分の広さが8畳ほどあるのでしょう。茶店の対岸に見えるのが千手滝です。この滝も赤目五瀑です。高さ15m、幅4mで、複雑な形をした岩肌を滑り落ちる姿から名付けられたそうです。水量が多いので不動滝と同じように見えましたが、それでも眺(なが)めるうちにいく筋にも分かれて流れ落ちる様が見て取れました。

 

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布曳滝(ぬのびきたき)は赤目五滝のなかで最も優美な滝です。30mの高さがあって名前の通り白布を長くたらしたようです。私にはウォータースライダーのように見えました。細く絞った水が造った滝壷の深さは高さとほぼ同じ30mもあるそうです。護摩の窟の脇にある急な石段を上ると布曳滝の上部も見ることができました。(続く)
 
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2009年3月16日 (月)

テレビドラマ「落日燃ゆ」

城山三郎氏のノンフィクション小説「落日燃ゆ」がテレビ朝日の開局50周年記念ドラマスペシャルとして3月15日に放送されました。A級戦犯として絞首刑になった唯一の文官である廣田弘毅(ひろたこうき)元首相の生涯を描いた物語です。1974年に新潮社から出版されたこの本を読み感動を覚えた記憶があります。

原作は誕生から時代を追って廣田弘毅(以下敬称略)の生涯を丹念に画いていますが、ドラマは東京裁判の判決シーンのフラッシュバックから世界金融恐慌と満州事変が勃発した当時に駐ソ連大使であった廣田が帰任するシーンに戻って始まりました。

任期を終えた廣田は外務省を退職するつもりでしたが、待命扱いで湘南の鵠沼に蟄居(ちっきょ)している時に、突然外務大臣に任命されます。さらに日本が国際連盟を脱退して不穏な社会情勢にある時に勃発した226事件(陸軍の一部青年将校などによるクーデター、高橋是清蔵相他が暗殺)で岡田首相が辞職し、後任は近衛文麿が辞退したため軍部に対処できる唯一の人物として、廣田が西園寺公望(きんもち)によって首相に指名されました。組閣では陸軍の圧力で妥協を余儀なくされますが226事件の処罰として陸軍の粛軍を断行します。ドイツとの防共協定に向けた陸軍の策謀が表面化すると廣田は英米を含む多国間協定を目指しましたが、寺内陸相(後に元帥・南方軍総司令官、終戦前にビルマで降伏、マレーシアで抑留中に死亡)が国会での追求に腹を立て解散を要求したため、廣田は閣内不一致を理由として総辞職することになりました。

しかし西園寺公の要請で近衛内閣の外務大臣に就任しました。盧溝橋事件を契機に支那事変が勃発、近衛首相は陸軍に押される形で全面戦争へと突入するなか廣田は辞任します。日本は三国同盟を締結して太平洋戦争を開戦しますが、ミッドウェイ海戦を契機に敗戦への道を転げ落ちます。同期の外交官である吉田茂が憲兵隊に逮捕されるエピソードの後に終戦を迎えます。このドラマの終末は東京裁判で、近衛元首相が自殺したこともあり廣田は一切弁解することなく文官としてただひとりA級戦犯として絞首刑を宣告され、巣鴨拘置所で死刑が執行されます。「あなたは廣田弘毅を知っていますか」のナレーションでドラマが終わりました。

原作の中盤以降のトピックスをそのままつなぎ合わせる構成としたため、適役の北大路欣也さんをはじめとする出演者が好演しましたが、細切れのストーリー展開の感があり、原作に比べるとやや平板なドラマになった嫌いがありました。しかし吉田茂と異なる道を歩んだ廣田弘毅の人となりとその功績を伝える点では良質のドラマでした。夫婦愛をことさら強調するのはテレビドラマだからでしょう。

 

 

<付録>

原作のあらすじをまとめてみました。廣田弘毅をもっとお知りになりたい方は長文ですがお読みください。なお原作では苗字(みょうじ)が広田と表記されていますが当ブログでは旧字体のまま廣田とします。

福岡市の石屋の息子として生まれて高等小学校へ進んだ時に成績優秀であることから篤志家(とくしか)の勧めで地元の中学校へ転校します。中学を卒業する時に自らの意思で名前を丈太郎(じょうたろう)から弘毅(こうき)に変えました。第一高等学校と東京帝国大学を卒業したあと、首席で外交官試験に合格して学歴貴族となります。外交官となったあとも順調に昇進して公使・大使を歴任、1934年には海軍出身の斉藤首相からの要請を受けて外務大臣に就任、強硬派の陸相や海相を押さえてソ連との外交を成功させました。協和外交を標榜する廣田は中国の蒋介石にも評価され、ここでも強行路線を主張する軍部を押さえることに成功します。

時の総理大臣の西園寺公望(さいおんじきんもち)の推薦により後任の総理大臣に推されましたが、政治は得意ではないとして廣田はこれを固辞しました。しかし近衛文麿などの説得があり昭和11年に総理大臣への就任を受諾します。同期の吉田茂を外相に指名しますが、英米と友好的であるとして軍部に不評であった吉田が辞退したため、自らが兼務することになります。就任直前に発生した226事件などに関して大規模な粛軍を行うとともに教育・税制の改善や国民生活の安定などの政策を推進しましたが、寺内陸相との閣内不一致が生じたため不本意ながら総辞職を余儀なくされます。

陸軍の圧力で誕生した林内閣も国会運営が不調で総辞職したことを受けて昭和12年に発足した第1次近衛内閣では再び近衛からの説得を受けて外務大臣に就任しました。しかしこれが廣田の運命を決めることになります。就任直後に発生した盧溝橋事件です。廣田の奮闘努力にも拘らず近衛首相が陸軍の暴走に引きずられ始め、日本軍はついに中国の首都南京を占領しました。そして南京虐殺事件が世界中に報じられるなか日本軍は中国奥地へと進軍して戦局は拡大して行きました。廣田は内閣改造を機に辞任しますが、米内内閣が発足すると求められて内閣参議となり、米内内閣が倒れると次期首班を選ぶ重臣会議のメンバーに押されます。近衛内閣、東条内閣、小磯内閣、鈴木内閣の発足にも関与するものの表舞台から離れて閑居生活に戻りました。そして終戦を迎えます。

大方の予想に反して廣田は連合軍からA級戦犯として東京裁判(極東国際軍事裁判)に掛けられることになります。軍国主義者ではないものの閣僚人事で軍の干渉を受け入れたことや軍部の暴走を止められなかった(黙認したと解釈された)ことで文官としてただひとり死刑の判決が下されました。総理大臣・外務大臣として軍部の暴走を止められなかった廣田に対する批判に一切弁明しなかったことがこの判決につながったのかもしれません。統帥権(とうすいけん)など他への波及を望まなかったのがその理由と思われます。11人の裁判官による6対5と僅差の死刑判決(3名が無罪、2人が禁固刑を主張したと伝えられる)で、東京裁判の問題を象徴する廣田への過酷な処罰でした。原作では米人弁護士が東京裁判の不当性をアメリカ連邦裁判所に訴願したため刑の執行が延期されましたが、同最高裁判所は連合国による裁判である(米国に権限がない)としてこれを却下したことが紹介されています。

私の好きな城山三郎さんの原作を読んだ時に感激したことを今も覚えていますが、このドラマを見たあとは権力の中枢にありながら戦争を防ぐことができなかった事実が浮かび上がったようにも思えました。それでも広田弘毅が「自ら計らわぬ」をモットーとする品格ある日本人であるとの考えは少しも変わりません。高潔な人格であるがゆえに、動乱の時代に求められ、そしてその犠牲になった人と言えるかもしれません。

参考: 「落日燃ゆ」(昭和61年発行、新潮文庫)

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2009年3月14日 (土)

東京港野鳥公園と「ゆ~シティ蒲田」

環七大井埠頭交差点の先で側道に入り案内表示に従ってUターンすれば公園の入口に到着します。ここは城南島を訪れた時に通過した東京都立東京港野鳥公園です。公園の下を潜るトンネルを抜けた駐車場に車を停めました。なだらかな坂道を上がると管理事務所があります。入園料は300円です。

   

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梅の花が咲く芝生広場を抜けて「いそしぎ橋」を渡りました。東海道貨物支線が橋の下を通っています。

 

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左手の小道を下りた東観察広場に出ると目の前に「東淡水池」が広がります。さまざまな野鳥が水面で遊んでいます。

 

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観察壁にある望遠鏡(フィールドスコープ)を覗(のぞ)くと真鴨(まがも)、軽鴨、金黒羽白(きんくろはじろ)、川鵜(かわう)、青鷺(あおさぎ)などが大きく見えました。

 

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私のデジカメはバカチョンの3倍ズームですから鳥のズームアップ撮影はとても無理です。それではと望遠鏡の接眼レンズにカメラを近づけて見ました。位置合わせが大変ですが何とか撮影できます。初めての経験で手振れが生じるのは止むを得ません。ピントが甘い写真が多いのはそのためです。あれこれ試しているうちにコツが飲み込めました。それに望遠鏡とカメラの光軸(位置と角度)が正確に合っていませんから色収差(特に倍率収差)が出て色が滲(にじ)んでしまったこともご容赦ください。

 

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観察広場の先にあるネイチャーセンターには野鳥に関する展示が多数ありました。こちらにも望遠鏡が何台か設置されています。「潮入りの池」に並ぶ杭の上で川鵜(かわう)が休憩していました。

 

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案内に惹(ひ)かれてB1階へ下りると干潟を観察できる「潟がたウォーク」がありました。トビハゼやハサミシャコエビが作った頂上部に穴がある火山のような土の盛り上がりがあちこちにあります。しばらく眺(なが)めていましたが何も現れません。残念です。

 

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次いで向かったのは2号観察小屋です。こちらは風が入りませんから快適です。やはり望遠鏡が設置されています。訪れる人が少ないので落ち着いて観察できました。ここでも望遠鏡とデジカメを組み合わせて望遠撮影を試みました。写真の出来栄えはいまひとつです。難しい撮影手法に取り組んだ努力が伝わると良いのですが・・・。真っ白い小鷺(こさぎ)は餌(えさ)を探して忙(せわ)しなく歩き回っています。望遠鏡とカメラを左右の手で操作しながら立ち止まるタイミングを待って撮影しました。

 

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環七を戻って東邦医大通りに入り、呑川(のみがわ)手前の蒲田小学校前入口交差点を右折しました。商店街を抜けた右手に「ゆ~シティ蒲田」があります。マンションと一体になった銭湯でした。一階の駐車場に車を停めました。10台分の広さがあります。

   

2009_03070205 2階の入り口にある券売機で450円の入場券を購入しました。受付のすぐ奥にある暖簾(のれん)をくぐると脱衣場です。さほど広くありませんがそれでも50くらいのコインロッカー(使用後に返金)があります。常連客向けの入浴用品入れロッカーもあるのはまさに下町の銭湯です。

   

天井の高い明るい浴室に入りました。壁がベージュ色のタイル、床がピンク系のタイルで覆(おお)われ、ポップなタイル画がアクセントになっていました。洗い場のカランは20個、浴槽は雛壇(ひなだん)のように配置されています。一番上はジャグジー、左右に座湯・電気風呂とバイブラ・バスが並び、湯が流れ落ちる仕組みになっています。

   

2009_03070211 左手の奥には水風呂があり右手のドアを2つ抜けると露天風呂です。窓が小さく石のタイルが壁に貼られていますから穴倉のようです。これで露天風呂なのかと見上げるとガラスの天井に空気抜きの仕組みがありました。黒湯はコーラほどの濃い色です。加熱・循環されて塩素系の薬が入っていますのでカルキ臭が少しあります。肌触りは思った通りの黒湯でした。涼みがてら打たせ湯を利用してみました。

   

2階の休憩室で同行者を待つ間に3階から歌声が聞こえてきました。覗(のぞ)いてみると食事処を兼ねた休憩室でした。舞台の上で年配女性が熱唱しています。タバコの煙に追われて階下に下りました。

 

<同行者のコメント> バードウォッチングとは珍しい場所を選びましたね。望遠鏡をのぞいていると面白くなってきました。先日のカワセミと同様に大きなレンズがついたカメラで撮影する人たちを見かけました。温泉は良かったです。毎日通う常連さんとご一緒しました。かなり遠くから通うかたもいらっしゃるようです。こんな温泉が近くにあれば通いたくなる気持ちは良く分かります。

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2009年3月13日 (金)

作曲家 杉本眞人

NHK総合テレビの歌謡コンサート「すぎもとまさと名曲選」(2月24日)を観ました。700曲以上を作曲した杉本さんの作品から選ばれた7曲が続けて披露されました。そのイントロとして代表曲の吾亦紅(われもこう)をギーターとコルネットバイオリンの伴奏で杉本さん自身が歌いました。昨年来、繰り返し聴いた曲です。

小柳ルミ子さんの歌う「今さらジロー」はアップテンポのダンサブルな曲で11名の男性ダンサーが雰囲気を盛り上げました。そして因幡晃(いなばあきら)さんは「忍冬(すいかずら)」を独特の歌唱法で歌いました。久しぶりの歌声で私のカラオケ十八番の「わかって下さい」も聴きたくなりました。

演歌とポップスのあとに秋元純子さんが歌った「ベサメムーチョ」はラテンの雰囲気に溢れています。歌声の魅力が歌唱力とともに光ります。「鮨屋で・・・」は初めて聴く歌でしたが、あさみちゆきさんの感情を込めた歌声に引き込まれました。まさに杉本さんの世界です。五木ひろしさんの「それは・・・黄昏」はまさに五木節ですが、この曲もやはり杉本さんの作品であることを知りました。ただ歌詞の間違いはちょっと残念です。

ちあきなおみさんのアルバムに入る冬隣(ふゆどなり、昭和63年)を杉本さん自身が弾き語りで歌いました。音合わせの時に起伏の大きい(クエスチェンドとディクエスチェンドのある)ちあきなおみさんの歌声にギターを弾く手が震えて鳥肌が立ったと語るのが印象的です。ちあきなおみさんが歌う姿を思い浮かべながら聴き入りました。

8曲目以降の3曲が杉本真人さんの作品でないことは興醒(きょうざ)ましでしたが、それでも杉本ワールドにたっぷり浸(ひた)ることができた45分番組でした。

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2009年3月 8日 (日)

南青山界隈(後編)

次に訪れたのは青山霊園の北隣にある梅窓院(ばいそういん)です。ここは徳川家康の重臣(老中)であった青山幸成が逝去(せいきょ)した時に青山家下屋敷内に建てられた青山家の菩提寺(ぼだいじ)です。梅窓院の名は幸成の法名から付けられたのだそうです。藩主であった郡上(岐阜県郡上市)との縁で「郡上おどりin青山」が毎年6月に開催されているようです。

 

梅窓院に隣接して建つCSK青山ビルは大手ソフトウエア開発会社のCSKが梅窓院から52年間の定期借地をして平成15年に建てた本社ビルです。梅窓院の本堂が入る小振りのビルがCSK青山ビルと密着するように建てられていますので、一見すると寺院がオフィスビルの軒先(のきさき)を借りているようにも見えて面白いです。

 

梅窓院参道                   梅窓院不老門 

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梅窓院山門                   梅窓院本堂2009_02160137 2009_02160135 

 

一旦青山通りへ出てCSK青山ビルを回り込むように梅窓院の祖師堂へ向かいました。そこで意外な店を見つけました。「花畑牧場ホエー豚亭」です。生キャラメルで人気沸騰中の花畑牧場が東京に進出して25日にオープンしたばかりのレストランです。ホエーとはチーズの絞り汁(乳清)のことのようです。青山霊園に沿って南へ歩きました。

梅窓院祖師堂                  花畑牧場 ホエー豚亭

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赤坂通りの南青山4丁目交差点角に根津美術館があります。残念ながら改装工事のため平成2110月まで休館中でした。この交差点を過ぎると南青山のブランドショップ街に入ります。表参道(北青山と神宮前)に比べると道幅が狭く落ち着いた印象があります。華やかなマルニ、クロエ、カルティエなど欧州ブランドの店が並びます。

 

根津美術館                   散歩道の案内地図

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マルニMARNI)                 カルティエ(Cartier/クロエ(Chloe2009_02190020

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店名表示が一切ないコム デ ギャルソンに若い女性達は迷うことなく足を踏み入れて行きます。フランス風のブランド名ですが、日本を代表するデザイナーの川久保玲(れい)氏が1973年に設立した純国産のプレタポルテ・ブランドです。アバンギャルド(前衛)が売りで世代を超えた女性に広く支持されているそうです。

   

コム デ ギャルソン               同左

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夕闇(やみ)が迫って来ました。青山通りに行き当たった表参道交差点の角にはサマンサタバサの表参道GATE店があります。今、バッグとジュエリーで若い女性に人気があるそうです。寺田和正氏が1994年に設立した新興企業です。ブランド名から1960年代のアメリカの人気テレビドラマ「奥様は魔女」(主人公がサマンサ、娘がタバサ)を連想しますが、やはりブランド名の由来はこのドラマのようです。ちなみにタバサの綴(つづ)りが日本人に読みにくいためか "Tabitha" から "Tavasa" に変えています。

   

<同行者のコメント> 墓地めぐりはもう何回目でしょうか。都内の大きな霊園だけでも谷中霊園(旦那さまの遠いご先祖様の墓があるとかで連れて行かれました)、染井霊園雑司が谷霊園、そして今回は青山霊園でした。私は霊園の事務所で休憩です。すぐ近くに花畑牧場のレストランがありましたが食事をしないと生キャラメルが買えないのだそうです。ガイドさん、今度は霊園ではなくてこのレストランに直行しましょうね。ブランドショップはやはり今回も通過するだけでした。□

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2009年3月 7日 (土)

南青山界隈(前編)

乃木坂のあとに訪れたのは南青山2丁目の青山霊園です。日本で初めての公営墓地で、美濃国郡上藩(現在の岐阜県郡上市にあった藩)の藩主であった青山家の下屋敷跡に1872年(明治5年)に開設されました。現在は東京都の管理になっています。

 

乃木坂トンネル沿いの歩道から園内に入りました。赤坂通り(都道413号)脇にピンク色をした梅の花が優しく迎えてくれました。3月下旬から咲く染井吉野(桜)も良いのですがやはり早春に咲く梅の花が最高だと思います。

 

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広大な園内には著名人の墓が多数あります。外苑前に近い霊園事務所から西麻布へ抜ける自動車道である霊園中央通り(サクラ並木)のほか、歩道のみの乃木将軍通りや外人墓地通りなどに沿って犬養毅・池田勇人・後藤新平・小村壽太郎・吉田茂などの政治家、尾崎紅葉・国木田独歩・斎藤茂吉・志賀直哉などの文豪、中江兆民(思想家)・長岡半太郎(物理学者)・藤島武二(画家)・中村歌右衛門(歌舞伎役者)・乃木希典(のぎまれすけ、軍人)など数え切れません。
 
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ユニークなのは忠犬ハチ公の墓碑が飼い主であった東京大学教授上野英三郎博士の墓地にあることでしょう。しかし東京ドームの5-6倍の広さがある霊園ですから闇雲(やみくも)に探しても見つけられませんでした。またの機会に探したいと思います。

 

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撮影した写真のなかから何枚かを紹介しましょう。(順不同)

緒方竹虎(ジャーナリスト、政治家)    後藤新平(満鉄初代総裁、東京市長)夫妻

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斉藤茂吉(歌人、精神科医)          志賀直哉(小説家、代表作「城崎にて」)   

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尾崎紅葉(小説家、俳人)           同(墓誌)

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大久保利通(政治家、元勲のひとり)    将軍通り(乃木稀典の墓所へ向かう道)

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乃木将軍墓所                  乃木希典(陸軍大将、学習院院長)夫妻2009_02160128

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池田勇人(所得倍増を実現した総理大臣)  藤島武二(画家)

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F.W.イーストレーキ(新聞創刊者)       F.ブリンクリー(海軍省教師)

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(続く)

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2009年3月 5日 (木)

テレビドラマ「白洲次郎」

228日に放送されたNHKドラマスペシャル「白洲次郎」(第1回)を観ました。戦前・戦後の動乱期に活躍したこの異色の日本人については伝説的な存在としての知識しか持ち合わせていませんでしたが、今回のドラマ化でその生い立ちや人となりを知ることが出来ました。

生い立ち

綿貿易商の「白洲商店」を興(おこ)して巨万の富を築いた白洲(しらす)文平の次男として現在の兵庫県芦屋市に生まれた白洲次郎は、少年時代から外車を乗り回すだけでなく破天荒な性格のために学校からはみ出す不良少年で、旧制神戸一中を卒業した後は英国のケンブリッジに留学することになります。 

そこで次郎は西洋中世史などを学ぶとともに大英帝国の哲学と思想の洗礼を受け、カーマニアとしても英国ベントレー社のスポーツカーを乗り回すなど日本に居た時と同様にその自由奔放さを遺憾なく発揮しました。しかしケンブリッジ大学を卒業して大学院に進んだ時に父の事業が金融恐慌のあおりを受けて破産、9年間で日本への帰国を余儀なくされます。

結婚

東京に戻った次郎と樺山(かばやま)正子との出会いが第1回を盛り上げました。伯爵の孫娘であった正子は米国留学から帰国したばかりで、エキセントリックな二人が英語で交わす会話に聞き惚(ほ)れました。薩摩隼人(はやと)の貴族院議員である正子の父樺山愛輔(あいすけ)は白洲次郎の父文平と知己(ちき)であったため逆に二人の結婚に猛反対します。しかし正子の強い意思には逆らえずしぶしぶ結婚を認めました。

抜擢

その後、次郎は貴族院議長近衛文麿(このえふみまろ)の知遇(ちぐう)を受けます。英米と上手く渡り合う必要性を痛感する近衛によって英国人脈を持つ次郎はそのブレーンに抜擢(ばってき)され、軍部の独走を懸念して外交官(元奉天総領事)の吉田茂と元内大臣牧野伸顕(のぶあき、大久保利通の次男)との橋渡し役を命じられます。それは外交官出身の外務大臣広田弘毅(こうき)を次期総理大臣に推す動きでした。 

何やら坂本龍馬を想起させるシーンですが、白洲次郎がこれほどまでに重用されたかどうか真偽のほどは定かではないようです。ここで名前が登場した広田弘毅を主人公とする城山三郎著「落日燃ゆ」がドラマ化されて315日にテレビ朝日で放送されます。当ブログはこのドラマも採り上げるつもりです。

本題に戻ります。その後も軍部の圧力で短命の内閣が続いたあと第一次近衛内閣が発足しました。軍部に引っ張られる形で日中戦争に突入した近衛文麿の姿勢に疑問を持つ次郎は自ら行動しようと再び英国に渡ります。ケンブリッジ時代の旧友達に向かって話す(伊勢谷友介さんが演じる)次郎の英語は格調が高く感動を覚えました。しかし国際情勢がすでに後戻りできないほど悪化していたため次郎の考えは英国人に感情論としてしか伝わりません。

開戦

そして近衛内閣(第三次)が総辞職すると日本は太平洋戦争に突入しました。次郎は帝国水産統制会社(日産財閥の日本水産から分離した会社、現在のニチレイ)の取締役を辞職、食料不足を見越して東京府南多摩郡鶴川村(現在の東京都町田市)に転居して農業を始めます。武蔵と相模の国境に位置することから無愛想をもじって自らの住まいを「武相荘」(ぶあいそう)と名付けたそうです。美しい田園風景が印象的でした。

ドラマ展開と白洲次郎の魅力

大掛かりなセットや英国ロケなどNHKらしい贅沢(ぜいたく)さと俳優陣の豪華さが光ります。主演の伊勢谷友介さん(次郎役)と中谷美紀さん(正子役)、岸辺一徳さん(近衛文麿役)、原田芳雄さん(吉田茂役)、奥田瑛二さん(父文平役)、原田美枝子さん(母芳子役)などの演技に惹き込まれました。

3回の第2回(37日放送予定)はいよいよ終戦と終戦直後の激変期に移ります。吉田首相の側近として占領軍のGHQ(連合国最高司令官総司令部)を相手に活躍、通商政策を重視した貿易庁(商工省に統合されて通産省となる)の初代長官となり、吉田首相の退陣後は東北電力会長などの実業家に転進する白洲次郎が登場するのでしょう。次回が楽しみです。

現代の日本人が失くしてしまったダンディズム(伊達に徹すること)に溢(あふ)れ、プリンシプル(原則・信条)に基いて権力者に媚(こ)びない強烈なリベラリズム(自由主義)を貫いた白洲次郎は今の不安定な時代が求める理想の人物像かも知れません。

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2009年3月 1日 (日)

乃木坂界隈

国立新美術館の西門から環状三号線(都道319号)に出ました。六本木トンネルに向かうと六本木ヒルズが少しずつ近づきます。トンネルに入るところで面白いものを見つけました。東京都が展示場所を提供するストリートペインティング(壁画)です。ROPPONGI  SEASIDE TUNNEL」(桑久保徹作)と「夕方の絵」(松本力作)などが続きます。私が気に入ったのは「ジッパー」(北川純作)です。

 

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トンネルを抜けて星条旗通りに入りました。変わった名前はこの通りの先にある在日米軍の機関紙「星条旗新聞社」(THE STARS AND STRIPES)に由来するようです。政策研究大学院大学にそって大きく左へカーブするなだらかな坂道を上ると国立新美術館の正門前に差し掛かりました。ちなみに政策研究大学院大学と国立新美術館は東京大学の六本木キャンパス(物性研究所と生産性技術研究所、各々千葉県柏市の柏キャンパスと目黒区の駒場キャンパスへ移転)の跡地に建てられた施設です。

直線になった道を歩くと外苑東通り(東京ミッドタウン西交差点)に行き当たります。通りの反対側は東京ミッドタウンです。左折して外苑東通りを乃木坂方面に向かいます。

 

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乃木坂陸橋の手前に変わった店「魚真 乃木坂店」を見つけました。寿司屋風の建物と屋台が一緒になったような店構えと大漁旗の飾りつけが面白い(強烈なインパクトがある)ので入ってみることにしました。昨年9月に始めたというランチメニューはネギトロ丼とばらちらし丼(海鮮丼)のわずか2種類でした。私は前者を注文、同行者は後者に店員が勧める納豆を追加しています。

 

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店の人にいろいろ質問してみると親切に答えてくれました。経堂にある築地仲買の鮮魚店が経営する店だそうです。ガソリンスタンド(コカコーラの店)の跡地に2年半前に建物を生かして(居ぬきで)飲食店にしたそうです。たしかにその雰囲気が残っていました。ちなみに夜は寿司や刺身の他におでんなども提供する居酒屋になるそうです。乃木坂の他にも渋谷、恵比寿、下北沢、北沢、吉祥寺、原宿など都内に9店舗を展開しているようです。別の店にも機会を見つけて立ち寄りたくなりました。

赤坂通りと外苑東通りが交差する角に乃木公園(旧乃木邸)と乃木神社があります。ここは赤坂8丁目です。乃木神社の前にある坂であることから乃木坂と呼ばれました。この坂を下りると赤坂サカスに至ります。その乃木坂が何時(いつ)しか乃木坂陸橋を中心とする赤坂・南青山・六本木にまたがるエリアを指すようになりました。

 

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乃木坂陸橋を潜(くぐ)って乃木坂トンネルの手前を右手歩道に入るとイロハ坂のようなつづら折れのスロープが続きます。

 

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外苑東通りの下を抜けたところに立つ白亜の建物はウェディングドレスで有名な桂由美ブライダルハウスでした。乃木坂トンネルにそって伸びる歩道は国立新美術館脇を抜けて青山霊園の方に続いています。

 

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<同行者のコメント> たまにはフランス料理を食べたかったのですが大好きな海鮮丼が食べられて良かったです。納豆をたっぷり入れたあと旦那さまに少しすすめました。納豆はどうも苦手らしく一口食べて「納豆の味が強すぎる・・・・」と言い訳をしています。

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