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2009年3月16日 (月)

テレビドラマ「落日燃ゆ」

城山三郎氏のノンフィクション小説「落日燃ゆ」がテレビ朝日の開局50周年記念ドラマスペシャルとして3月15日に放送されました。A級戦犯として絞首刑になった唯一の文官である廣田弘毅(ひろたこうき)元首相の生涯を描いた物語です。1974年に新潮社から出版されたこの本を読み感動を覚えた記憶があります。

原作は誕生から時代を追って廣田弘毅(以下敬称略)の生涯を丹念に画いていますが、ドラマは東京裁判の判決シーンのフラッシュバックから世界金融恐慌と満州事変が勃発した当時に駐ソ連大使であった廣田が帰任するシーンに戻って始まりました。

任期を終えた廣田は外務省を退職するつもりでしたが、待命扱いで湘南の鵠沼に蟄居(ちっきょ)している時に、突然外務大臣に任命されます。さらに日本が国際連盟を脱退して不穏な社会情勢にある時に勃発した226事件(陸軍の一部青年将校などによるクーデター、高橋是清蔵相他が暗殺)で岡田首相が辞職し、後任は近衛文麿が辞退したため軍部に対処できる唯一の人物として、廣田が西園寺公望(きんもち)によって首相に指名されました。組閣では陸軍の圧力で妥協を余儀なくされますが226事件の処罰として陸軍の粛軍を断行します。ドイツとの防共協定に向けた陸軍の策謀が表面化すると廣田は英米を含む多国間協定を目指しましたが、寺内陸相(後に元帥・南方軍総司令官、終戦前にビルマで降伏、マレーシアで抑留中に死亡)が国会での追求に腹を立て解散を要求したため、廣田は閣内不一致を理由として総辞職することになりました。

しかし西園寺公の要請で近衛内閣の外務大臣に就任しました。盧溝橋事件を契機に支那事変が勃発、近衛首相は陸軍に押される形で全面戦争へと突入するなか廣田は辞任します。日本は三国同盟を締結して太平洋戦争を開戦しますが、ミッドウェイ海戦を契機に敗戦への道を転げ落ちます。同期の外交官である吉田茂が憲兵隊に逮捕されるエピソードの後に終戦を迎えます。このドラマの終末は東京裁判で、近衛元首相が自殺したこともあり廣田は一切弁解することなく文官としてただひとりA級戦犯として絞首刑を宣告され、巣鴨拘置所で死刑が執行されます。「あなたは廣田弘毅を知っていますか」のナレーションでドラマが終わりました。

原作の中盤以降のトピックスをそのままつなぎ合わせる構成としたため、適役の北大路欣也さんをはじめとする出演者が好演しましたが、細切れのストーリー展開の感があり、原作に比べるとやや平板なドラマになった嫌いがありました。しかし吉田茂と異なる道を歩んだ廣田弘毅の人となりとその功績を伝える点では良質のドラマでした。夫婦愛をことさら強調するのはテレビドラマだからでしょう。

 

 

<付録>

原作のあらすじをまとめてみました。廣田弘毅をもっとお知りになりたい方は長文ですがお読みください。なお原作では苗字(みょうじ)が広田と表記されていますが当ブログでは旧字体のまま廣田とします。

福岡市の石屋の息子として生まれて高等小学校へ進んだ時に成績優秀であることから篤志家(とくしか)の勧めで地元の中学校へ転校します。中学を卒業する時に自らの意思で名前を丈太郎(じょうたろう)から弘毅(こうき)に変えました。第一高等学校と東京帝国大学を卒業したあと、首席で外交官試験に合格して学歴貴族となります。外交官となったあとも順調に昇進して公使・大使を歴任、1934年には海軍出身の斉藤首相からの要請を受けて外務大臣に就任、強硬派の陸相や海相を押さえてソ連との外交を成功させました。協和外交を標榜する廣田は中国の蒋介石にも評価され、ここでも強行路線を主張する軍部を押さえることに成功します。

時の総理大臣の西園寺公望(さいおんじきんもち)の推薦により後任の総理大臣に推されましたが、政治は得意ではないとして廣田はこれを固辞しました。しかし近衛文麿などの説得があり昭和11年に総理大臣への就任を受諾します。同期の吉田茂を外相に指名しますが、英米と友好的であるとして軍部に不評であった吉田が辞退したため、自らが兼務することになります。就任直前に発生した226事件などに関して大規模な粛軍を行うとともに教育・税制の改善や国民生活の安定などの政策を推進しましたが、寺内陸相との閣内不一致が生じたため不本意ながら総辞職を余儀なくされます。

陸軍の圧力で誕生した林内閣も国会運営が不調で総辞職したことを受けて昭和12年に発足した第1次近衛内閣では再び近衛からの説得を受けて外務大臣に就任しました。しかしこれが廣田の運命を決めることになります。就任直後に発生した盧溝橋事件です。廣田の奮闘努力にも拘らず近衛首相が陸軍の暴走に引きずられ始め、日本軍はついに中国の首都南京を占領しました。そして南京虐殺事件が世界中に報じられるなか日本軍は中国奥地へと進軍して戦局は拡大して行きました。廣田は内閣改造を機に辞任しますが、米内内閣が発足すると求められて内閣参議となり、米内内閣が倒れると次期首班を選ぶ重臣会議のメンバーに押されます。近衛内閣、東条内閣、小磯内閣、鈴木内閣の発足にも関与するものの表舞台から離れて閑居生活に戻りました。そして終戦を迎えます。

大方の予想に反して廣田は連合軍からA級戦犯として東京裁判(極東国際軍事裁判)に掛けられることになります。軍国主義者ではないものの閣僚人事で軍の干渉を受け入れたことや軍部の暴走を止められなかった(黙認したと解釈された)ことで文官としてただひとり死刑の判決が下されました。総理大臣・外務大臣として軍部の暴走を止められなかった廣田に対する批判に一切弁明しなかったことがこの判決につながったのかもしれません。統帥権(とうすいけん)など他への波及を望まなかったのがその理由と思われます。11人の裁判官による6対5と僅差の死刑判決(3名が無罪、2人が禁固刑を主張したと伝えられる)で、東京裁判の問題を象徴する廣田への過酷な処罰でした。原作では米人弁護士が東京裁判の不当性をアメリカ連邦裁判所に訴願したため刑の執行が延期されましたが、同最高裁判所は連合国による裁判である(米国に権限がない)としてこれを却下したことが紹介されています。

私の好きな城山三郎さんの原作を読んだ時に感激したことを今も覚えていますが、このドラマを見たあとは権力の中枢にありながら戦争を防ぐことができなかった事実が浮かび上がったようにも思えました。それでも広田弘毅が「自ら計らわぬ」をモットーとする品格ある日本人であるとの考えは少しも変わりません。高潔な人格であるがゆえに、動乱の時代に求められ、そしてその犠牲になった人と言えるかもしれません。

参考: 「落日燃ゆ」(昭和61年発行、新潮文庫)

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