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2009年6月に作成された記事

2009年6月30日 (火)

旧東海道ドライブ旅(静岡県中西部 その6): 金谷宿

2009_06130150大井川橋を渡り終えると500mほどで大井川鉄道の新金谷駅近くの踏み切りに差し掛かりました。12時に近い時間ですので車を路肩に停めて駅の方を見るとやはり蒸気機関車が蒸気を出しながら停車しているのが見えます。しばらく待つことにしました。そして蒸気機関車に牽引された客車が目の前を通過するシーンが撮影できました。

   

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県道381号の少し南に伸びる旧東海道へ戻りました。県道228号から国道473号に移ると24番目金谷宿(本町の町並み)に入ります。佐塚書店前に佐塚本陣跡立札、地域交流センター前に柏屋本陣跡の立札、本陣跡、そして金谷一里塚の立札が続きます。

 

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JR東海道本線金谷駅直前のガードを潜ると旧東海道は不動橋に差し掛かります。ここが金谷宿の西の入口だったようです。

 

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国道473号を横切って旧東海道は上り坂になりました。その先に続く石畳の旧東海道には車が入れませんから手前にある駐車場に車を停めて金谷宿お休み処石畳茶屋で昼食にすることにします。私はとろろ蕎麦、同行者は茶蕎麦を注文しました。

 

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店内はかなり広くて土産物を売る売店と食事処の奥には旧東海道金谷宿にまつわるものが展示されていました。

 

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食事のあとは間の宿の「菊川」へ向かう予定ですが茶屋の前を上る石畳(金谷坂)の旧東海道は歩行者用ですし、近くに車が通れる道がありませんから、諏訪原城跡を経由することにしました。その前に石畳とその周辺を散策します。

 

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2009年6月29日 (月)

旧東海道ドライブ旅(静岡県中西部 その5): 大井川川越遺跡

留守番役の私は昨日のゴルフ中継を堪能しました。ミズノオープンよみうりクラシックで石川遼選手が2回連続でOBを打ちながらもその後は崩れることなくチップイン・イーグルで盛り返して優勝したことに感動しました。この優勝によって英国で開催される今年の全英オープン(The Open)の出場権を獲得しました。もうひとつ嬉しかったことはニュージーランド出身のデービッド・スメイル選手が2位に入って同じく出場権を得たことです。

今からちょうど10年前の4月に同居者とニュージーランドへ旅行した時のことです。帰国するオークランド空港の航空会社ラウンジで隣同士になった赤ちゃん連れのニュージーランド人のご夫妻と会話する機会がありました。社交的な感じの奥様は同行者に気さくに声を掛けてくれました。子供好きの同行者とは話が弾み(私は通訳に徹し)ましたがそのご主人は寡黙な人でした。ご主人がプロゴルファーであり日本でプレーすると説明して航空券の紙袋に書いてくれた名前がDavid Smailでした。奥様の自信に満ちた言葉が印象に残っています。それ以来、ゴルフ・トーナメントで彼の名前を見るたびに応援していました。日本で通算5勝を挙げ、今回の試合で5回目の全英オープン出場が決まり本当に良かったと思います。

本題に戻ります。島田の本通り(県道34号)を西に進みました。旧東海道は大善寺交差点を過ぎた三叉路で左前方へと入って行きます。東海パルプの工場沿いに400mほど狭い道を走ると宿場の雰囲気がある家並みに入り、さらに進むと大井川の堤防に行き当たりました。この辺りが島田宿大井川川越遺跡(国指定史跡)です。遺跡の名称がありますが古い町並み全体を指しているようです。
 
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堤防の上から大井川を一望できます。来た方を振り返ると左手に立派な島田市博物館がありました。

  

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さらに芭蕉句碑、川札(渡河切符)を購入した川会所川越茶屋、人足が集まった番宿などの町並みが続いています。

 

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漫画風に描かれた川越遺跡案内が大変分かり易いです。渡河の仕組みや川を渡る様子も上手く説明されています。旅籠が何軒か並んでいるのはせっかちな旅人が泊まったのでしょう。島田宿から川越地点まで3kmほどの距離がありますから、川止めが解除されたらいち早く渡ろうとしてこの地に宿泊した旅人の気持ちがよく分かります。

  

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大井川の水を防いだ島田大堤と「せぎ」跡が当時の様子を窺(うかが)わせました。

 

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2009_06130134 現在はこの渡河地点で大井川を渡ることができません。町並みをもう一度見ながら県道34号まで引き返しました。大井川橋の手前で県道34号は県道381号に吸収されました。大井川橋(昭和3年建設)が見えてきました。戦前のプラットトラスで最大橋長(1026.4m)があり、アーチ状開口部を持つ切石積の橋脚が16連並ぶ立派な橋です。

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2009年6月28日 (日)

旧東海道ドライブ旅(静岡県中西部 その4): 島田宿

関西旅行から戻った翌日は定例のゴルフコンペに参加しました。寝不足気味であったことと暑さのために不本意なスコアでしたが他のメンバーも調子が出ないのか順位は中位でした。この週末、同居人は趣味のサークル仲間と静岡に出掛けてしまいましたので、留守番をしながら「旧東海道ドライブ旅」の続きを投稿します。

一里山で国道1号と合流すると島田市に入りました。JR東海道本線六合駅を過ぎて大津谷川を渡った御仮屋交差点で国道から左に反れて本通に入ります。この本通商店街が東海道五十三次で23番目の島田宿です。大井川に沿った宿場町で、川止めにより京都方面へ上る旅人がしばしば足止めになって逗留(とうりゅう)したため大変な賑(にぎ)わいだったそうです。御仮屋(おかりや)は旅籠(はたご)が一杯になるか路銀(ろぎん)が無くなった旅人が借りた家のことだそうです。「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ 大井川」と詠(うた)われたように東海道の難所の一つです。日本髪の結い方で有名な「島田髷(まげ)」の発祥地でもあります。

 

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島田信用金庫七丁目支店の前に島田宿の標識がありました。藤枝宿の宿境から134町(約7.6km)と表示されています。歩道のタイル絵に「島田帯染め・安産祈願」と表示されているのは3大奇祭のひとつと言われる大井神社の帯祭りのようです。この信用金庫のシャッターにも同じ絵が描かれています。その横の壁に「蓬莱橋(ほうらいばし) 800m」の案内を見つけました。

   

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道草を喰うことになりますが立ち寄ることにしました。信用金庫の角を左折して路地を進むとJR東海道本線の狭い踏切を越えます。交互通行で渡る踏み切りはスリリングです。さらに進むと道幅が広くなり大井川の堤防上を走る県道342にぶつかりました。県道を斜めにつき切って堤防上の駐車場に車を停めました。幸いにも1台分のスペースが残っていました。

 

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大変な人で混み合う堤防の先に信じられない光景が広がりました。どこまでも続く木製の橋を歩く人並みです。定木(じょうぎ)で計ったように一直線で対岸まで伸びる蓬莱橋は長さが約897mで世界一長い木造歩道橋としてギネスブックに登録されています。往復すると約20分は掛かりますから先のスケジュールが気になりますが私はもちろん渡らずに居られません。渡橋料金は100円です。蓬莱橋を渡り始めると、幼稚園の遠足があるのでしょうか、親に手を引かれた園児達が対岸側から元気に戻って来ます。

 

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橋の中ほどにはめられた「ど真ん中」と書かれた踏み板を跨(また)いで歩きました。対岸には恵比寿様と吉祥天女が祀られています。その先はハイキングコースになっているようですがほぼ全員がUターンして出発地点に戻るようです。ちなみに蓬莱(あるいは蓬莱山)とは仙人が住む場所の意味です。

 

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島田宿に戻りました。「江戸時代の島田宿」の案内板、問屋場跡碑、刀匠島田顕彰碑、枡形跡(宿西見付跡)、などが続きました。本通2丁目交差点角の島田信金本店前には芭蕉句碑「するがぢや はなたち花も ちやのにほい  はせを」があります。その場では読み取れませんでしたので帰宅後に調べました。「駿河路に入って橘(たちばな)の匂いも茶の匂いが消してしまうくらいだ」の意味だそうです。「はせを」は芭蕉が自筆署名するときの表記です。

 

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本町2丁目交差点から250mほど西へ行くと大井神社がありました。

 

2009_06130121大井神社のhpによると先ほどの奴の絵は大井神社の御神輿行列に登場する大奴(おおやっこ)でした。島田宿に嫁入りした花嫁は大井神社に参拝したあと丸帯を持って町中の全戸に挨拶する風習がありましたが、後になって安産信仰のある大井神社の御神輿行列(大名行列を真似た行列)の大奴の大太刀(おおたち)に嫁入りの丸帯を下げて披露するようになったそうです。

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2009年6月27日 (土)

名四国道と刈谷天然温泉「かきつばた」

2009_06220276 オチビちゃんの家へ戻った夜には神戸に来ていたチビスケくん一家も合流しました。オチビちゃんとコチビちゃんは旅の疲れも忘れて従弟のチビスケくんの相手をして大はしゃぎです。お兄ちゃんとお姉ちゃん役が板についてきたようです。翌朝、通園(登園という表現もありますがこれは幼稚園側から見た言葉?)するオチビちゃんを幼稚園まで送ってそこでお別れしました。 

 

2009_06220278オチビちゃんが帰宅するのを待ちたいところですが名残は尽きませんので帰路につくことにします。お昼ちょっと前に出発しましたから時間はたっぷりあります。そこで国道1号を利用して京都へ向かい、相変わらず渋滞のメッカである大津と草津を経て、甲賀から車の少ない鈴鹿峠を快調に越えました。四日市で国道1号から国道23号(名四国道、めいしこくどう)に入って桑名市へ向かうところまでは前回と同じルートです。

 

今回はもう少し先まで国道23号を走ることにしました。国道23号は愛知県豊橋市と三重県伊勢市を結んでいる産業道路で、実質的には国道1号のバイパス役を果たしています。四日市市-豊明市の区間は名四国道(正式名称は名四バイパス)、豊明市-豊橋市の区間は名豊道路(めいほうどうろ)の名で呼ばれます。トラックの列に巻き込まれてちょっと窮屈ですが、名古屋港に入る築地口交差点の周辺を除くと、車列はほぼ順調に流れています。丹後通交差点からは名古屋高速大高線の高架下に快適な道が続きます。その大高線は名古屋南JCTで伊勢湾岸自動車道に吸収されますから国道23号もその高架下を片側3車線の高速道路と見紛(みまがう)うばかりの立派な道路となって伸びています。名四国道が終る豊明ICで伊勢湾岸自動車道に入ることにしました。

   

2009_06220291刈谷ハイウェイオアシスにある天然温泉「かきつばた」に立ち寄るためです。サービスエリア内に温泉があるのは中央自動車道の諏訪湖SAにある「ハイウェイ温泉諏訪湖」などの例がありますが、「かきつばた」は本格的なスーパー銭湯並の規模があります。高速道路の利用者だけでなく近隣の住民もサービスエリアに隣接した駐車場を利用してアクセスできるからでしょう。

 

2009_06220290内湯は替り湯(この日はトウガラシ)、ジェットバス、電気風呂、水風呂、タワーサウナが並んでいます。露天エリアには壺湯が3つとトロピカルな雰囲気の屋根が付いた立派な岩風呂があります。いずれも天然温泉です。泉質はナトリウム-塩化物温泉でヌメリはそれほどありません。泉温は39.2度で加温されています。ちなみに名称の「かきつばた」は刈谷市の花に由来するそうです。

 

内湯と露天風呂以外にもヒーリングルームの万寿洞と千寿洞が別料金で利用できます。この日は夫婦の日のプレゼントとして翌日からこれらのヒーリングルームを無料で利用できるサービス券を貰いました。また立ち寄る理由ができました。

 

最後は気になる燃費です。往路はほとんど高速道路を利用しましたが、復路は大阪から名古屋まで国道1号と国道23号を走ったあと豊明ICから伊勢湾岸自動車道に入って東名高速道路を走行しました。高速道路はもちろんのこと一般国道でもエコドライブに留意した結果、総走行距離約980kmにおける平均燃費は満タン法で16.8km/リッターとこれまでで最高の数値になりました。エコドライブの成果が着実に出ているようです。この調子で走れば今人気が沸騰するハイブリッド車は不要かもしれません。

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2009年6月26日 (金)

パンダ・鯨・南紀白浜温泉(後編)

翌朝、朝風呂をオチビちゃんと一緒に楽しみました。6時のオープン時間を待ちかねたように入浴客が続きます。朝日を浴びながらの露天風呂は昨夜の闇夜の入浴と比べてさらに開放感に溢れています。

 

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朝食を済ませた後は白浜道路で白浜方面に戻りました。昨夜の雨がすっかり上がって、朝から日差しが強く、暑い日になりそうです。

 

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白浜をはじめて訪れる私と同行者のためにオチビちゃんのお父さんが白浜の名所を案内してくれることになりました。そこで我儘(わがまま)を言ってホテル川久に立ち寄ってもらうことにしました。宿泊した部屋から遠目に見えた建物が気になっていたからです。左上の写真で半島がくびれた場所の奥に写っている茶色い建物です。正面のエントランスと対岸からその偉容(異様?)を撮影しました。

 

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岬を回り込むと不思議な形をした岩が海の中に見えてきました。白浜のシンボルである円月島(えんげつとう)です。島の中央に丸い穴が開いていることから円月島と呼ばれますが正式名称は高島だそうです。夕日の名所でもあるそうです。田辺海上保安部のhpによると51日前後及び811日前後には、夕日が円月島と四双島(しそじま)灯台と一直線に並んだ夕景を見ることができると解説されています。左下の写真ではアングルの関係で円月島の右手に四双島灯台が写っています。

 

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白浜の温泉街を抜けて白浜エネルギーランドを通り過ぎると千畳敷(せんじょうじき)に到着しました。その名の通りに広い岩畳を思わせる大岩盤が海岸に続きます。スロープ状になった白く柔らかい砂岩が打ち寄せる荒波に浸食され壮大な景観を創っていると白浜観光協会のhpに紹介されていました。柔らかい岩肌に彫り込まれた落書きが多いのは残念です。

 

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次に訪れた場所は三段壁です。千畳敷の南海岸にそそり立つ高さ50mの断崖が南北2kmにわたって続き、その岩肌に打ち寄せる黒潮が激しくぶつかり合うダイナミックな光景です。三段壁の名は地元の漁師たちが通りゆく船や魚の群れを見張った場所「見壇」に由来すると言われ、三段壁の下にある大きな洞窟は平安時代に勢力を誇った熊野水軍の隠し洞窟だったと伝えられる白浜の古跡です。(白浜観光協会のhpから引用) 

三段壁洞窟を撮影するため右手の岩場を50mほど歩きました。福井県の東尋坊に良く似た絶壁です。そして命の電話の看板が立っていました。今は崖っぷちにロープが張られているだけですが柵を設ける計画があると聞きました。

   

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2009_06220253_2 午後は高速道路で渋滞が発生しそうですから早めに帰路につくことになりました。南紀田辺ICから阪和自動車道に入って往路と同じ高速道路を北上します。予想通りに御坊(ごぼう)ICを過ぎた辺りから大渋滞に巻き込まれました。対面通行の高速道路でノロノロ運転が20kmほど続きましたが、前回と同じで長峰トンネルを抜けた海南ICで渋滞は嘘のように解消しました。

 

紀ノ川SAで遅い昼食です。前回立ち寄った時は鯛茶漬けとまぐろ丼でしたが今回は一度食べたかった和歌山ラーメンを迷わず選びました。カレーうどんを選んだオチビちゃんはいつのまにかラーメンを食べています。そしてコチビちゃんも右へ習え、柔らかいチャーシューを口一杯に頬張(ほおば)っています。和歌山ラーメンはストレート麺ととんこつ醤油スープの組み合わせに特徴があります。同行者はキムチをトッピングしたメニューを選び、私は刻み葱(ねぎ)だけが入ったものに胡椒(こしょう)を追加しました。

 

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食べ終わって何気なく周囲を見回すと横に並ぶどのテーブルも和歌山ラーメンのオン・パレードであることを発見しました。和歌山ラーメン、恐るべし!

 

<同行者のコメント> 3ヶ月ぶりにオチビちゃんたちと楽しい時間を過ごしました。二人ともこの前に会った時から成長しているのがうれしいです。旦那さまも二人の写真をいっぱい撮っていました。でもブログに載せられなくて残念ですね。□

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2009年6月25日 (木)

パンダ・鯨・南紀白浜温泉(前編)

オチビちゃんの両親に誘われて和歌山県の白浜へ出かけました。いつものようにわが家を七つ立ちして東名高速道路を走ります。つい最近、訪れたばかりの旧東海道の街道筋と宿場町の様子を思い浮かべながらの楽しくドライブです。走り慣れた伊勢湾岸道路に入って刈谷ハイウェイオアシスで朝食をとり、さらに東名阪道路と新名神高速道路も順調に走行して大阪のオチビちゃん宅に到着しました。

明くる日はオチビちゃんのお父さんの車に乗り換えて和歌山へと向かいました。すべてお任せの旅ですからとても気楽です。近畿自動車道から阪和自動車道に入って和歌山市まで走ります。さらに海南自動車道と湯浅御坊道路を経て再び阪和自動車道で南紀田辺ICまで走りました。今年1月に高野山へお礼参りに行った帰路の逆ルートですが次々に料金所が待ち構えているのは嬉しくありません。

国道42号から白浜道路に反れ、空港入口交差点を左折して到着したのは南紀白浜空港の手前にあるアドベンチャーワールドでした。丘陵地帯に広大な敷地を有するこの施設は自然な環境で動物達を見られるテーマパークです。首都圏近郊の多摩動物園や富士サファリパークなどと似たサファリワールドの他にも、イルカやアシカのショーなどがあるマリンワールド、ジェットコースターなど遊園地の施設も充実しています。そしてこの施設の目玉は何と言ってもパンダランドでしょう。開園時間の直後に到着した駐車場はまだ車が少なくてメインエントランス近くに駐車できました。

 

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アドベンチャーワールドを訪れるのが2度目のオチビちゃんとコチビちゃんたちは、前回は遊園地に夢中になってしまったため、今回は先ずサファリワールドへ向かいたいとするお父さんに従いました。

 

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途中、ビッグオーシャンでマリンライブ(イルカのショウー)が始まったところでしたので立ち寄ることになりました。イルカ達の見事な芸に客席から大きな歓声が沸きあがります。

 

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20分ほどのショーが終ったあとはサファリワールドのケニア号乗車場に向かいました。多摩動物園などと同様にトレーラーバスに乗って園内を一周しました。ゾウ、ライオン、キリン、シマウマ、クマ、ヒョウなどが間近に見られて二人は興奮しています。

 

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サファリワールドの動物達をたっぷり楽しんだあとはパンダランドへ向かいました。現在、中国以外では最も多い7頭がいるアドベンチャーワールドのパンダランドでは数頭が屋内外で遊ぶ様子が見られます。大した混雑もなくゆっくりとパンダが見られるのが良いです。現在の人気者は昨年9月に生まれた双子の梅浜と永浜です。この施設は中国成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地の日本支部として絶滅が危惧されるジャイアントパンダの自然繁殖にも取り組んでいるそうです。アドベンチャーワールド以外では神戸市の王子動物園に2頭いるだけとのこと。2008年に上野動物園のジャイアントパンダが死亡してからは日本が所有するジャイアントパンダはいなくなり、全て中国からの借物なのだそうです。

    

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アニマルランドでアシカなどのアニマルアクションが始まりました。

 

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動物達を見た後のオチビちゃんとコチビちゃんはやはりジェットコースター、ゴーカートなどの乗り物に夢中になっていました。

 

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宿泊は隣町の田辺市にあるハーヴェスト南紀田辺、田辺湾と内の浦湾を一望できる景観が素晴らしい施設です。内の浦湾は先月中旬に鯨が迷い込んでニュースになった場所です。今月の1日には湾外へ出たことが確認されたと報じられましたので残念ながら鯨に逢うことは出来ません。右下の写真は内の浦湾とアドベンチャーランド方面を撮影しました。右の丘で横一直線に伸びる赤い鉄橋のような施設は南紀白浜空港の進入(アプローチ)灯のようです。

 

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夕食は近くの地魚料理海鮮問屋「丸長」で新鮮な魚料理を楽しみました。夕食後はもちろん温泉です。オーシャンビューのホテルから海側に張り出した温泉施設にタイル張りの内風呂と露天岩風呂があります。浴槽はいずれも大きくはありませんが入浴客が少なくて快適でした。男湯は海側の目隠しがほとんどなく露天岩風呂の開放感は満点。泉質はナトリウム-炭酸水素塩温泉でヌメリ感がたっぷりあります。(続く)

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2009年6月18日 (木)

旧東海道ドライブ旅(静岡県中西部 その3): 藤枝宿

旧東海道は葉梨川に沿って進み水守交差点の先で国道1号を斜めに横切りました。東海道五十三次の22番目、岡部宿の西の入り口である内谷新田から4kmほど走ると藤枝宿に入ります。左車町の標識を路傍で見つけました。その向かい側は成田山新護寺です。この辺りに東木戸跡があったようなので探してみましたが見つかりません。少し先の下伝馬会館前に立派な常夜燈がありました。東海道藤枝宿絵図を参考にして宿場内を散策します。

 

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蓮生寺の前に藤枝宿の標識と常夜燈があり、その先にも常夜燈がいくつもありました。上伝馬町の新明神社近くにも藤枝宿の標識を見つけました。

 

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江崎パーキングに問屋場跡の大きな説明看板があります。上伝馬交番の隣です。Yahoo! の地図では蕎麦屋と表示されていますから最近駐車場に変わったと思われます。この近くにあるはずの本陣跡が見つかりません。絵図に示された辺りをキョロキョロ探しましたが・・・。そしてついに見つけました。30mほど北側の歩道にはめ込まれたタイル絵に上本陣跡が示されていました。タクシー会社と洋品店の間を指しています。

 

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正定寺前で見かけた「本願の松」の案内表示に惹かれて立ち寄ってみました。確かにご利益がありそうな立派な松です。

 

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ちょっとモダンなデザインの勝草橋を渡ります。ここが藤枝宿の西の入口です。橋桁に埋め込まれたプレートに田沼街道が始まる場所であると説明されています。相良藩主となった田沼意次(おきつぐ)によってお国入りのために整備された街道だそうです。

 

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2009_06130080橋を渡りきった右手に一里塚蹟と立派な常夜燈が立っていました。藤枝宿には多くの常夜燈があり夜を明るく照らして旅人を迎えた様子を想像しました。しかし昔の旅人は「早立ち」と「早着き」が鉄則でしたから、これは私の妄想に過ぎず、宿場内を歩く人のための街燈だったのでしょう。

 

道中で暗くなってしまうと追剥(おいはぎ)に遭(あ)ったり、宿場に着いても満室であると宿泊を断られる可能性もありました。確かに時代劇のなかで旅人は明るいうちに宿場へ到着しています。そしてお遍路さんも同じです。

 

青木交差点の五差路は複雑ですがとにかく真ん中の狭い道へと直進しました。鏡池堂六地蔵尊の辺りが中世の古東海道と分かれる追分だったようです。

 

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染飯(そめいい)茶屋蹟、瀬戸の染飯版木の標柱、千貫堤、そして松並木が続きます。染飯とは梔子(くちなし)で染めた黄色のおこわです。色素成分が同じであるサフランを使って炒めたお米を炊くサフラン・ライスに色が似ているようです。東海道中膝栗毛(ひざくりげ)で弥次さんと喜多さんが食べ、葛飾北斎は染飯茶屋を描いています。

 

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2009_06130088 上青島の一里塚跡の標識がありました。島田宿境まで29町と表示されていますからあと3kmほどです。ちなみに1町とは60間(約109m)で、36町が1里(約3927m)です。

 

宿場巡りの旅はまだまだ続きますが次の小旅行のため投稿を数日休止します。

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2009年6月17日 (水)

旧東海道ドライブ旅(静岡県中西部 その2): 岡部宿

県道208号の急な下り坂を一気に下りると岡部川の手前に岡部宿の大きな案内板がありました。この辺りが東海道五十三次の21番目「岡部宿」の東の入口なのでしょう。岡部川を渡って左に折れると大旅籠(おおはたご)柏屋(かしばや)が目に入りました。修復された母屋は国の登録文化財として当時の旅籠の様子を再現する歴史資料館となっています。人形は弥次さんと喜多さんが足を洗っているシーンのようです。

 

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岡部宿は五十三次の中でも規模が小さい宿場で、横町、本町、川原町の三町で構成され、南隣の内谷村を加宿としたそうです。そして問屋は宿の本町と加宿が交代でつとめたと岡部町商工会のhpに説明されています。

   

すぐ先に本陣跡碑が立っていました。その隣の真新しい岡部宿公園の先には問屋場跡碑もありました。県道208号に「つた街道」の表示があります。旧東海道が宇津ノ谷峠を越えるルートになる前の「蔦(つた)の細道」に由来するのでしょう。在原業平の伊勢物語に登場する平安時代の古道です。(注釈)蔦の細道は道の駅「宇津ノ谷峠」の裏手から岡部町の「蔦の細道公園」に抜ける山道

 

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左手の旧道に入ると岡部宿の標識姿見の橋がありました。小野小町が岡部宿に泊まった時に橋の上から見た水面に映る自分の姿がやつれていることを悲しんだと伝えられることが説明されています。現在は石の橋に変わっています。

 

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旧東海道沿いに宿場町の雰囲気を残す家並みと高札場跡などが続きます。正応院に立派な多宝塔がありました。

 

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県道208号に合流すると岡部宿の松並木と遊歩道が続きます。道路を拡幅したため右側(西側)だけに松並木が保存されていました。

 

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国道1号(藤枝バイパスの起点)と立体交差する内谷新田交差点脇に岡部宿の常夜燈と石の標識がありました。信号待ちで慌てて撮影したためぶれた写真になってしまいました。ここが岡部宿の西の入口です。

 

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2009年6月16日 (火)

旧東海道ドライブ旅(静岡県中西部 その1): 宇津ノ谷峠

今年のボランティア活動が軌道に乗った同居者を誘ってドライブに出掛けました。行く先はもちろん東海道五十三次巡りです。前回は府中宿で雨に遭ったため宿場探訪を途中で断念したことが心残りでしたから、先ず伝馬町通りに向かいました。静岡駅前から松坂屋の右手を入った所です。大きな眼鏡屋さんの前の歩道に府中宿の「本陣跡・脇本陣跡」の碑が立っています。100mほど東には「下伝馬町本陣・脇本陣」の碑も確認できました。朝の7時半ですからまだ人通りは多くありません。

 

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ここから旧東海道を厳密に辿ってみます。伝馬町通りは右手にカーブして江川町交差点へ向かいますがカーブの終ったところで早々と一方通行に出会いました。駅前から伸びる御幸通りに押し出されて江川町交差点を左折、そして前回散策した呉服町通りへ入りたいのですがここも一方通行で侵入できません。止むを得ず一つ先の交差点を右折しました。青葉通りを過ぎると七間町通りと交差します。右手の伊勢丹(札の辻址)を遠目に確認して七間町通りへと左折して南方向へ走りました。交差点の両角に映画館のピカデリーとオリオン座が並んでいます。そこで同行者が何かを発見しました。

 

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車を脇に停めて確認すると撮影機、サンライト、キセノンランプなど映画の機材でした。

 

2009_06130016左手の静岡ミラノを過ぎたところを右折、新通りへ左折すれば旧東海道は一本道となり安倍川の手前で本通りに吸収されました。安倍川橋の袂(たもと)にはあの「安倍川餅」の店が現在もあるようです。

 

つい先日往復した安倍川橋をまたまた渡ります。記憶がまだ新しい道を走って丸子宿に入りました。佐渡交差点で国道1号から旧東海道に反れたところに前回見過ごした地蔵堂があります。残念ながら名前や由緒の説明がありません。近くの公民館で草むしりをする人に尋ねようかとも思いましたが邪魔をしてはと先を急ぐことにしました。
 
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丸子橋を渡った右手に丸子宿高札場があります。ここが丸子宿の西の入口でした。

 

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旧東海道はなだらかな上り坂になると山が近くなり赤目ヶ谷中交差点で国道1号に吸収されました。宇津之谷トンネルの手前で国道を横切る高架橋を渡ると旧東海道は県道208号と別れて狭い道となり宇津ノ谷の集落に入りました。

 

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綺麗に整備された道が峠へと向かいます。宇津ノ谷峠は旧東海道で由比の薩埵峠(さったとうげ)と並ぶ難所でした。階段を上った高みから集落が一望できます。

 

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是非訪れたかった日本初の有料トンネルとして知られる「明治のトンネル」は人気(ひとけ)もなく寂しげです。旧東海道はほぼ真上の宇津ノ谷峠を越えていました。

 

2009_06130030ちなみに旧国道である県道は少し離れた「大正のトンネル」の方を通っていますが、宇津之谷トンネルにはこの外にも国道1号バイパス用として「昭和のトンネル(新宇津之谷隧道)」と「平成のトンネル」が上りと下りに利用されて、4つの時代に造られたトンネルが並んでいるのが珍しいと思います。

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2009年6月14日 (日)

ボランティア活動と6月の散歩道に咲く花

わが家にとって忙しい6月に入りました。というのは同居者が毎年やっているボランティア活動が山場を迎えているからです。アメリカから留学生を受け入れる活動はもう10年近くになると思います。毎年3ヶ月ほど前から受け入れ計画を作り始め、活動を手伝って下さるボランティアの方々を募集しなければなりません。いつも10数名の方に参加していただいているようです。今年はあのインフルエンザ騒ぎでボランティアを集めるのが例年以上に大変だったそうです。準備が終っても留学生を実際に受け入れる今月は、同居者が足留め状況になってしまい、ほとんど遠出をすることができません。

そのため私は興味を持つ分野の技術セミナー参加と頼まれた調査活動をする合間にスイミングやゴルフの練習に出かける忙しくても退屈な毎日を過ごすことになります。同居者とは近所を散歩するだけになるうちにいくつものお気に入りルートができました。今回は2ヶ月前の記事とは別の散歩道で見つけた入梅前の花々を何の衒(てら)いもなく紹介します。つまり今回は薀蓄(うんちく)や講釈も一切ありませんので羅列(られつ)したスナップ写真をご覧下さい。(6月1日から6日にかけて撮影)

 

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2009年6月11日 (木)

また新しい無線サービスが登場!

アイフォンの新型モデル(iPhone 3GS)が噂通りに発表されました。これまで弱点とされていた処理速度を高速化、通信速度のさらなる高速化、バッテリーの長時間化、カメラのオートフォーカス機能、ビデオ撮影機能とコピー&ペースト機能などがしっかり追加されています。ソフトウェアはもちろん「iPhone OS 3.0」を搭載しています。そしてソフトバンクモバイルによれば価格も従来品と余り変わらないとか。アップル社らしい商品戦略に感心するとともにちょっと悔しくもあります。いつものことですが・・・。

アイフォンについて愚痴を言うのが今回の趣旨ではありません。テーマは新しい無線サービスのWiMAX(ワイマックス)です。無線LANWi-FiWireless Fideity)と似た名前です。Wi-Fiと聞けば私と同世代の人ならばHi-Fi(ハイファイ、High Fidelity)を思い出すかも知れません。高忠実度あるいは高音質と言う意味です。ちなみに昔は高級なオーディオ装置のことをステレオ・システムあるいはハイファイ・オーディオと呼びました。私が好きだったコーラス・グループ「ハイ・ファイ・セット」(Hi-Fi Set、赤い鳥の一部メンバーが結成)はここから名前を採ったのでしょう。ヒット曲の「卒業写真」「冷たい雨」「フィーリング」や「スカイレストラン」などが懐かしいです。

本題に戻ります。WiMAXとはWorldwide Interoperability for Microwave Accessの略でインテル社が主導した国際的な無線通信規格のひとつです。71日からこのWiMAX規格のサービスがアメリカと韓国に続いて日本でも始まります。Wi-Fiだけでなく携帯電話とも似ていますが、広域の通信が可能で、高速で移動する人も利用できる優れた技術なのです。また通信速度も数10Mbps から数100Mbpsと有線のFTTH並みの速さが期待できるとして、多くの日本企業が全国サービスあるいは地域限定サービスを目標として実証実験を行っています。

このサービスを日本ではじめて全国的に始めるのはUQコミュニケーションズ社(KDDIJR東日本などが主要株主)です。既に今年2月から京浜地区で試験サービスを始めていますし、71日からの本サービスは名古屋と大阪の大都市圏を含めた地域から始め、近い将来はほぼ全国がサービス地域になるそうです。料金は定額制のようですから使い過ぎの心配はなさそうです。@niftyをはじめ10数社がこのサービスを利用してMVNO(仮想移動体通信事業者)としてのビジネスを始めるようですからWiMAXが賑やかな年になりそうです。

今週、千葉県の幕張メッセで開催されている展示会「インターロップ東京2009」(68-12日)でWiMAXがタイムリーなトピックスとして注目されていました。当面はインターネット接続などのデータサービスに限られるようですが、将来は音声サービスにも広がって携帯電話と競合する可能性もあります。UQコミュニケーションズ社の説明によれば初期の最高伝送速度は40Mbpsですが、将来は最大350Mbpsの速度が時速350kmで移動する人(新幹線の乗客を想定?)も利用できるそうです。

 

2009_0611interop20090001UQコミュニケーションズ社の展示ブースはもちろん、展示会場に詰め掛けた参加者の大半がUQ社のシンボルカラーが目だつ大きな紙袋を持ち歩いているため、何やらサッカースタジアムに似た雰囲気を醸し出しています。そして今日の講演会ではUQコミュニケーションズ社の社長が同社のUQ WiMAXサービスについて講演を行い、サービス開始への期待感を盛り上げました。

 

2009_0611interop20090007WiMAXサービスを受けるUSB送受信機(USBメモリやUSBワンセグ受信機並みの小型)だけでなくWi-Fiに変換する装置も発売されるそうです。これを使えばハンバーガーショップやコーヒーショップなどに限られていたWi-Fi(公衆無線LAN)サービスがどこでも利用できるようになりそうです。例えば屋台村の屋台やタクシーでもWi-Fiサービスを提供することが出来るでしょう。 

 

2009_0611interop20090052 自宅の窓際に設置すればどの部屋からでもWi-Fiで高速インターネット・アクセスが可能になるそうです。FTTHが引けない住宅には朗報でしょう。またWi-Fiと同様にWiMAXの送受信機を内蔵したPCを内外10社ほどのベンダーが発売を予定しているようですから、すでに1000万加入以上も普及したFTTH(光加入者システム)と競合する存在に成長するかもしれません。     

 

2009_0611interop20090005 UQ社のブースで見せてもらったカーナビに接続したWiMAX送受信機の用途に興味を持ちました。自動車に地域情報などが映像の形でリアルタイムに提供される様子をデモしてくれました。親切なサービスですが、情報過多で運転の妨げになるのではないかと心配します。お仕着せのサービスを押し付けられるようにも感じます。私にとって便利さと楽しみは裏腹の関係にあります。

   

2009_0611interop20090093同時開催されているIMC Tokyo 2009(マルチメディア関連)、RSA Conference Japan 2009(情報セキュリティ関連)、DSJ 2009(デジタル・サイネージ関連)はいずれも盛況ですが、私はデジタル・サイネージに興味を持ちました。電子広告板がネットワーク化されて、より効率的かつパーソナル化された広告媒体となり、新しい市場が生まれることを予感させる展示会でした。

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2009年6月 8日 (月)

「急がば回れ」: 地動説ドライブの勧め

GMの破綻

クライスラーに続いてGMの破綻が現実となりました。61日に連邦破産法11条を申請して早期の再生を目指すようですが、その道筋は同じプロセスで先行したクライスラーのように平坦ではなさそうです。ビッグスリーで残る1社のフォードはこれら2社に比べて良好な経営状態にあるとして政府の支援を受けていません。しかし破綻した2社が再生に成功する(破綻処理で身軽になる)と、皮肉なことに、フォードは一番苦しい立場に立つことになりそうです。

GMが破綻申請をしたことで自動的に上場廃止となった同社株が今日(68日)からニューヨーク・ダウ工業株30種平均銘柄(ダウ・ジョーンズ社が開発した指標で日本の日経平均銘柄に相当)から外されます。自動車メーカーが登録銘柄から名前を消すのは84年ぶりだそうです。GMについては当ブログの記事3ヶ月前に詳しく述べていますのでこの位に留めます。

GMの破綻で思い浮かんだ格言が「奢(おご)る平家は久しからず」ですがこの格言がGMに当てはまるかは疑問です。何しろ創業100年、そのうち80年間世界一の自動車メーカーの地位に君臨したのです。「奢る平家」と揶揄(やゆ)される平家は平清盛が太政大臣(だじょうだいじん)に任じられた仁安2年(1167年)から平家が壇ノ浦で滅びる元暦2年(1185年)までを「平家の天下」と見てもわずか20年足らずの短い期間です。源氏を滅ぼした平治の乱(平治元年、1159年)からとしても25年ほどです。

 

急がば回れとマーフィーの法則

GMなどアメリカの自動車メーカーには「急がば回れの」の格言(ビジネスモデルの再構築が必要)の方が相応しいかも知れません。この格言は、日常的に使われてその意味は分かり易いのですが、その由来は余り知られていません。調べてみると室町時代の歌「武士(もののふ)の矢橋(やばせ)の船は速けれどいそがば回れ瀬田の長橋」がその由来でした。東海道五十三次の草津宿と大津宿の間は「危険な渡し舟で琵琶湖を渡るよりも遠回りしても安全な瀬田の唐橋が良い」と言う意味です。

2008_03110014 前置きが長くなりました。今回は急ぎたい時の「思い込みのリスク」を紹介します。例えば、乗ろうとした電車にギリギリ間に合ったのはあなたに運あるいは付(つき)があったわけではありません。これは単なる偶然です。ゴルフのショットやパットの調子が良いのもやはり付ではなく、その日の体調が良かったのです。ところで渋滞が始まった高速道路はどうでしょう? 急ぐ時は3車線のどの車線を選べば良いのでしょうか。私が40数年の運転経験から学んだ付を呼ぶ(合理的な)運転方法を紹介しましょう。

矢鱈(やたら)に車線を変えるドライバーは「マーフィーの法則」を知らない人です。20年前に日本でもブームになった「マーフィーの法則」(沢山の法則が含まれる)の一法則が明快に説明しています。あなたがスーパーのレジに並んでいるとしましょう。早く進む列はなぜか、自分が並ぶ列ではなく、他の列なのです。そこで速く進む列に並び直すとなぜかその列の動きが遅くなるのです。この錯覚が「マーフィーの法則」です。

急ぐ場合の運転方法

2008_05210001 私の経験に照らし合わせると高速道路にも「マーフィーの法則」が当てはまります。渋滞した時は同じ車線でじっと我慢するのが正解です。もし渋滞が始まったばかりであれば出来るだけ走行車線(一番左の車線)を走りましょう。先を急ぐドライバーが追い越し車線に集まるので、車が少ない走行車線は一番速く走ることが出来るのです。

高速道路がスムーズに流れている時には、適宜車線を変えながら、一定のスピードを維持しましょう。燃費が良くなるのはもちろんですが平均速度も速くなります。猛烈なスピードを出した後に急ブレーキを踏むと言った乱暴な運転方法では決して目的地に早く到着できません。しかしルーレット族のように法定速度を大幅に上回って滅茶苦茶(めちゃくちゃ)なスピードを出すドライバーはこの限りではありません。平均速度は確かに速いのです。しかし寿命を確実に縮めて、あの世へも早く到着することになります。

2008_12060009 一定のスピードで走るコツは体感スピードだけではなくスピードメータを(できればタコメータでエンジンの回転数も)確認しながら運転することです。クルーズコントロール機能がある高級車はそのスイッチをオンにすれば容易ですが混雑する高速道路では逆に運転テクニックが必要です。長距離を一定速度で走行してエコドライブを目指す時の良いアイディアは一定速度で走る車を先導車とすることです。私の経験では高速バスの後に従うのがベストです。時速80-100kmの安定な速度で走ってくれます。なかでも成田空港行きのリムジンバスの走り方は高速道路を運転するドライバーにとって大変参考になります。ただし同じバスでも観光バスには気を付けましょう。時間の遅れを取り戻そうとしてスピードを出し過ぎることがあって安定した先導車にはなりません。

2008_12060152 高速道路ではルーレット族以外にも要注意の車が走っています。スポーツカー(あるいはスポーティな車)や派手な色の車に近づかない方が賢明であることは自明です。それ以外にもナンバープレートの番号が何やら格好良い車です。1番とか、1並び(111)、7並び(777)、8並び(888)など「ビンゴ!」と叫びたくなる番号や、ポーカーの強い上がり手のような番号には注意しましょう。自己顕示欲の強いドライバーであることが多いようで運転にもそれが現れるのを良く見かけます。意外と乱暴な運転をする車はワンボックスカー(キャブオーバー)です。外見に似合わず急な割り込みや追い越しをする車が多いのです。車高が高く不安定な車をハラハラしながら見送ることにしています。

蛇足:時にはうさぎになって休憩しましょう

2007_11200252 運転に疲れた場合は休憩を取ることが一番です。2時間(200km)が休憩をとる目安と言われますが私はもっと頻繁に休憩しても良いと思います。休憩を頻繁に取ったとしても目的地へ到着する時間にそれほどの差は生じません。最後に長時間ドライブで眠くならないようにする秘訣を紹介しましょう。高速道路は遮音壁に妨げられて景色がほとんど見えませんから、前方を走行する車とその運転スタイルを観察しながら運転するとあまり眠気を覚えることはないと思います。ゴルフ・スイングと同様に百人百様の運転スタイルがあって楽しめます。それに安全運転にも大いに役立ちますよ。

 

写真説明(上から): 名神高速道路関ヶ原(2008.3.5)、明石海峡大橋(2008.5.18)、新名神高速道路甲南トンネル(2008.12.1)、瀬戸大橋(2008.12.2)東名高速道路由比PA(2007.11.20)

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2009年6月 4日 (木)

旧東海道ドライブ旅(静岡県東部 最終回): 府中宿と天下泰平の湯

長かった旧東海道の旅もいよいよ府中宿で最終回を迎えます。東海道五十三次で19番目の府中宿は、横田に東見付が置かれ、上伝馬町に本陣、下伝馬町に脇本陣が設けられ、旧東海道で最大規模の宿場だったそうです。宿場は伝馬町(伝馬の施設が置かれていた)から呉服町、高札場のある札の辻の七間町、新通り川越町の西見附までの町々で構成されていたと伝えられます。

駿府城址(駿府公園)を巡りました。平成8年(1996年)に復元された東御門(ひがしごもん)、弥次さん喜多さんの像や猿の像などが堀端に見られます。

 

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今川氏の時代から呉服屋などの商店が多かった呉服町へ向かいました。現在も伊勢丹があります。案内表示のとおり呉服町通りが伊勢丹の手前から交通止めになっているため車を停めて歩くことにします。

 

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七間町(ひちけんちょう)通りとの交差点脇に札之辻址(高札があった場所)を見つけました。伊勢丹の目の前です。

 

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昔染物職人が住んでいたことが名の由来となった紺屋(こうや)町通りを歩いていると徳川慶喜公の屋敷跡の碑がありました。江戸時代は代官所が置かれていましたが慶喜公が明治政府に許されたあとはその住居に使われました。現在は懐石料理と結婚式場の「浮月楼(ふげつろう)」になっています。見事な池泉回遊式庭園は当時の面影を留めているそうです。

 

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急に雨が強くなってきたためここで散策を打ち切って車に戻りました。上伝馬町の本陣跡にも立ち寄りたいところですが今回は諦(あきら)めて日帰り温泉に向かうことにします。東海道本線のガードを潜って駿河区に戻り、久能街道(県道384号)を南下しました。八幡交差点の先は旧道そのままの狭い道が続きます。市立商業高校を回りこんで久能街道は幅の広い直線道路となって駿河湾に向かいます。大谷放水路西交差点を左折して国道150号を走ります。3km余り走行すると「すんぷ夢ひろば」の案内が見えました。指示に従って左折、急坂をカーブしながら上ると広い駐車場に出ました。

いちごハウスに囲まれた敷地内には沢山の建物が並んでいます。「すんぷ夢ひろば」は温泉施設以外にも様々な施設があるようです。目当ての「天下泰平の湯」は大きな太鼓橋を渡った正面にありました。入場料は平日1,050円(土日休は1,155円)と高めですが室内着とバスタオルのセットが含まれています。受付を抜けると下り階段となり、その先の廊下を行き当たった場所に室内着とバスタオルを受け取る場所がありました。

 

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更衣室は大量のロッカーが壮観です。さらに廊下を歩くと内湯です。L字型をした竹千代の湯(ジェットバス)、元服の湯(温泉)、結婚の湯(月替わり)が並んでいました。温泉の泉質はナトリウム・カルシウム-塩化物冷鉱泉です。

 

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露天エリアには忍耐の湯(壺湯)が4つ、独り立ちの湯(薬湯)、囚われの湯(打たせ湯)、江戸移城の湯(ジャグジー)、天下統一の湯と多彩です。徳川家康の生涯に因んだネーミングはまるで「双六(すごろく)」で遊ぶような演出がなされていました。雨足が一段と強くなりましたので東屋風のガラスで囲まれた建物に避難です。畳が敷かれた休憩室のような空間です。雨は土砂降りに変わりましたので上がることにしました。

   

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リクライニング・チェアが並ぶ2階のリラックスルームでしばし休憩です。奥に女性専用の入口がありますが、コの字型でひとつにつながっているようで、同行者がそちらから現れました。どこまでが女性専用なのでしょうか。雨が小降りになるのを見計らって帰路につきました。久能山東照宮はすぐ先ですが別の機会に立ち寄ることにしましょう。

余談です。静岡の地名はもともと駿河(駿府)と呼ばれていました。明治に入って浅間神社の裏手にある賤機山(しずはたやま)に因んで賤ヶ丘が予定されましたが語感の良い静岡に決定されたそうです。

<同行者のコメント> 忙しい旅でした。運転手さんはしばしば車を停めて写真撮影に余念がありません。車を降りてゆっくりしたのは丁字屋さんと天下泰平の湯だけです。雨の露天風呂に入るのは昨年の秋に山形の天童へ旅行したとき以来でしょうか。

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2009年6月 3日 (水)

旧東海道ドライブ旅(静岡県東部 その9): 丸子宿

ドライブ旅のゴールが近づきました。県道407号を東海道線に沿って走ると葵(あおい)区に入ります。東静岡駅を過ぎた辺りで旧東海道は東海道本線を潜るようですが、車は進入できませんので、そのまま進み静岡駅のすぐ手前の八幡交差点を右折しました。久能街道です。そこで歩行者天国の看板が目に入りました。七間町通り、青葉町通り、呉服町通りなどで車両規制があるようです。

そのまま駿府城の前を通り抜けて中町交差点を左折して本通り(県道208号)に入ります。すでに昼時になっていますので府中宿は後にして次の丸子宿を先に訪れることにしました。丸子宿でぜひ食べたいものがあるのです。一直線に伸びる広い道は安倍川方面に向かい、安倍川に架かる安倍川橋を渡り駿河区に入ると道幅が急に狭くなりました。手越原(てごしはら)交差点で国道1号に一旦吸収されますが、次に佐渡交差点で旧東海道(県道407号)は左に反れて行きます。

 

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国道1号と丸子川に挟まれた旧東海道は次第に山に近づいて行きます。東海道五十三次で20番目の丸子宿(まりこじゅく、鞠子宿とも書く)の本陣跡碑と一里塚跡碑だけが路傍に立っていました。

 

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目的地は丸子宿の奥にある丁子屋(ちょうじや)、創業は1596(慶長元)年で「とろろ汁」が有名です。駐車場に車を停めました。丁子屋の前に丸子宿の標識が立っています。道の反対側には細川幽斎の歌碑がありました。

   

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通り道になっている庭には府中(静岡市葵区)で生まれた十返舎一九の「東海道中膝栗毛(ひざくりげ)の碑」、芭蕉の句碑「梅若菜丸子の宿のとろろ汁」、駿府城の築城に使われる予定であった石材「辰石」があります。旧東海道に面して建つ安藤広重の浮世絵から抜け出たような茅葺(かやぶき)民家の店に入りました。食事処には東海道五十三次の浮世絵が飾られていました。

 

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私は定食の「丸子」、同行者は「本陣」を注文しました。とろろ汁は味噌とカツオ出汁のあっさりした味で麦飯の風味が感じられました。同行者から「むかご(零余子)」をひとつもらいました。香ばしくて美味しい揚げ団子(自然薯の弦にできる実)です。

 

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2009_05180287 旧東海道は丁字屋の前で丸子川を渡り、宇津ノ谷(うつのや)峠を越えて岡部宿に向かいます。次回に期待しましょう。

ゴールの丸子宿でとろろ汁を堪能したあとは後回しにした府中宿に戻ります。まだ時間は十分ありますから歩行者天国を歩いて府中宿の史跡を探すことにします。

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2009年6月 2日 (火)

旧東海道ドライブ旅(静岡県東部 その8): 江尻宿

旧東海道ドライブ旅に戻ります。袖師(そでし)交差点を抜けて辻町交差点に差し掛かりました。旧東海道は右手の細い道に入ります。清水駅前が江尻東町で江尻宿の入口です。江浄寺の参道入口を通り抜けて銀座交差点を右折しました。

 

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この交差点から始まる銀座通りが旧江尻宿です。カラータイルが敷き詰められ、電線が地下化された綺麗な通です。コインパーキングの前に江尻宿の標識がありました。

 

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2つ目の信号を左折して県道75号に入りました。目の前の稚児橋(ちごばし)で巴川(ともえがわ)を渡った先のY字路を県道75号と別れて旧東海道は右手に進み、一直線の道が1kmほど続きます。

 

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金屋橋を渡ったところが元追分でした。

 

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JR東海道本線と静岡鉄道の踏み切りを渡ります。複線が2つ並ぶ長い踏み切りは幅が狭い上に入口が折れ曲がって(くびれて)おり注意書き通りの危険な場所でした。その先の御門台(みかどだい)で旧東海道は県道407号に吸収されました。

 

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2009_05180234草薙(くさなぎ)駅近くに草薙神社の方向を示す案内標識があります。神話で大和武尊(やまとたけるのみこと、日本武尊)が東征の途中にこの地の国造(有力者)が野原に火を放って焼き殺そうとした時に、伊勢神宮で倭姫から授けられた天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ、三種の神器の一つで草薙剣とも称される)で草を薙倒(なぎたお)して迎え火を放ち、敵勢を追い払ったと伝えられる場所です。

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2009年6月 1日 (月)

秋葉原今昔物語(続編)

旧東海道宿場巡りのドライブ旅は難所の薩埵峠を無事に越えたところで再び小休止、唐突ですが舞台を秋葉原に移します。駅西口の秋葉原ダイビルで開催された「次世代ネットワーク」のセミナーに参加するためです。その昼休み時間を利用して秋葉原電気街を散策しました。1年前にブログ記事を書いた時からの変化を中心に紹介します。

駅ビルは工事用のカバーですっかり覆われています。駅前のラジオ会館は相変わらず派手な装飾が施されて健在のようです。

 

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中央通りに出るとガード下のラジオセンターと中央通りを挟んで反対側にある東京ラジオデパートも昔のままで、中央通りの景色はあまり変わっていないようにも見えますが、良く見ると歯が抜けたようにビルが取り壊されて再開発が進行しています。

 

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JR総武線のガードを挟んだ場所に秋葉原で一世を風靡したロケットの店(1号店と5号店)があったはずですが5号店跡は更地になっていました。昔良く出かけた昌平橋近く(石丸電気本店前)のロケットアマチュア無線本館にいずれも集約されたようです。

後ろに聳えている高層ビルがセミナー会場の秋葉原ダイビル、中央通り沿いで建築中の再開発ビル「秋葉原SIAプロジェクト」は旧ナカウラ本店跡地です。そして万世橋方面を振り返ると角の赤白に塗り分けられたビル(石丸電気駅前店だったと思います)はクローズしていました。代わって吉野屋や松屋などの店が中央通りに進出しています。

 

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中央通りを北上して神田明神通りとの交差点まで来るとここでも角地に高層ビル「住友不動産秋葉原ビル」が建設中です。日本通運の本社ビル(2005年に住友不動産へ売却)があった場所です。

 

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その向かい側にはあの「ヤマギワ電気本店」があったはずですがソフマップ本館に変わっていました。高級な照明器具やオーディオ製品を扱っていたヤマギワ電気は昌平橋近くのリビナ本館だけになったようです。

 

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その先の右手につくもeX.(九十九電機)があり、交差点の角に「胎内洞穴」と表示されたアキバのうさぎ神社(今年4月下旬にオープン)が見えます。富士山山麓にある吉田胎内(溶岩洞窟)や御胎内清宏園を真似たのかもしれませんが、どうも「萌え」の店のようで巫女の衣装を身にまとった女性が客に応対しています。店先(鳥居下)で「開運どらやきアイス」が売られています。ドラ焼きの中にアイスが入っているのだそうです。

 

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このように一時代を築いた家電量販店の大半が中央通りから姿を消してしまいました。

アキバ田代通りに入ると景色は一転してオフィス街の雰囲気です。秋葉原クロスフィールドのひとつであるUDXビルの脇を抜けると秋葉原ダイビルに戻ります。

 

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秋葉原クロスフィールドの2つの高層ビルをつなぐ歩道橋からJR京浜東北線の東側(再開発が進む東口)に富士ソフト秋葉原ビルとヨドバシ・アキバ、そして南側には秋葉原駅電気街口(西口)が一望できました。

 

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