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2009年7月に作成された記事

2009年7月30日 (木)

貝・蟹・クラゲ

オチビちゃんたちが遊びに来てくれました。幼稚園でプールに入る機会があるオチビちゃんの希望でわが家の近くにある温水プールへ出掛けました。2歳のコチビちゃんも入りたくてウズウズしていましたが、まだオシメが取れていませんから、残念ながらギャラリー席で見学するだけです。オチビちゃんはウォータースライダーを滑り下りたり、流れるプールでは浮き輪につかまりながら足をバタバタさせて泳ぐ気分を満喫していました。

翌日はコチビちゃんも楽しめる場所として先日訪れたばかりの「大森ふるさとの浜辺公園」へ向かいました。この日は早朝から天気がすぐれなかったことで駐車場には車が数えるほどしか停まっていません。オチビちゃんたちが目敏(めざと)く大きな滑り台を見つけました。先日も子供達が楽しそうに滑っているのを見かけました。その時に男の子達はダンボールの切れ端をお尻の下に敷いていたのを思い出しましたが、滑り台に近づいてその理由が分かりました。滑る部分が板ではなくて、荷物を運ぶコンベヤーのようにローラーが多数取り付けられているため、体重があるとお尻が痛いのです。苦肉の策として持参した敷物で代用しました。

   

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浜辺橋を渡った砂浜にも人影はほとんどありません。テントの屋根がついた大きなベンチに腰掛けて海に入る準備をします。足だけ海に入るのですが二人とも水泳パンツに履き替えました。そして浮き輪をしっかり抱えて波打ち際へ一目散に駆けて行きます。

 

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水の中に足を踏み入れてジャブジャブと歩き回って楽しんでいます。

 

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オチビちゃんが砂浜で貝殻を見つけました。コチビちゃんも負けずに貝殻探しです。

 

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近くで何か不思議なものを発見、波に打ち上げられたクラゲでした。クラゲを興味津々で眺める二人にお母さんが「ポニョにでてくるクラゲだよ。でも触ると針で刺されて痛いわよ!」と説明すると、怖がりのオチビちゃんは浜辺での遊びを諦めてしまったようです。滑り台で遊びたいと言って走り出してしまいました。

 

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ベンチに戻ったコチビちゃんに隣のベンチにいるちょっと年上の男の子が小さなバケツに入った蟹を見せてくれました。お祖父さんが捕まえてくれたそうです。コチビちゃんは何度も見せてもらっています。そこへ滑り台から戻ったオチビちゃんも一緒になって蟹が動く様子に見入っています。そのお祖父さんは生きた貝をいくつも見つけたようで男の子にプレゼント、小さなバケツは蟹と貝が入り混じって大変な混雑になりました。

 

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人影の少なかった浜辺に保育園児(幼稚園児?)のグループがやって来ました。保母さんの指示でテキパキと行動しています。もう少し浜辺で遊びたいところですが雲の切れ間から強い日差しが射し始めましたので帰宅することにしました。

<同行者のコメント> 前回はやっぱり下見でした。今日は訪れる人が少なくて二人とも思う存分遊べたようです。オチビちゃんは長い滑り台が気に入ったようですし、コチビちゃんは生きた蟹が見られて嬉しそうでした。今度は潮干狩りに来ようかしら。

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2009年7月25日 (土)

また新しい無線サービスが登場!(続編)

江東区有明のビッグサイトへ出掛けました。無線関係の展示会「ワイヤレスジャパン2009」とセミナー「ワイヤレス コンファレンス2009」に参加するためです。初日(7月22日)のセミナーを受講する合間を利用して展示会場へ足を伸ばしました。先月も似た展示会を見ていますから新しいテーマにポイントを絞って見て回りました。

最初に立ち寄ったKDDIのブースで先ず目に入ったのは新しいブランドの携帯電話端末「iida」です。iidainnovation(進化、改革)、imagination(想像力)、design(人を幸せにするデザイン)、art(作品)を組み合わせた造語で、まったく新しい価値観を持った製品ブランドであると説明されています。写真はiidaブランド作品の「G9」「私の犬のリンリン」「水玉で幸福いっぱい」です。

 

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2009_07220043_2 その先にNAVITIMEのブースがありました。ナビゲーションのサービスを提供するユニークなベンチャー企業(株式会社ナビタイムジャパン、2000年設立)です。徒歩と車用のルート案内、電車やバスの乗り換え・時刻表案内、道路交通情報、ホテル・グルメ検索などを含む総合ナビゲーションを謳(うた)っています。PC向けだけでなく、携帯電話やスマートフォン向けのサービスがあるようです。ただしiPhoneは今のところサービスの対象外とのことです。

携帯電話端末で世界のトップ企業であるノキア・シーメンスと、躍進が著しい中国の華為技術(Huawei)は次世代の携帯電話システムの「LTELong Term Evolution)」をデモ展示していました。

 

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国内の携帯電話端末市場で4年前から首位を維持するシャープのブースで興味深い製品を見つけました。グローバル市場向けスマートフォンとソーラー充電機能を搭載した携帯電話端末です。他の日本ベンダーが撤退した欧州や中国を初めとする海外市場におけるシェアを拡大しようとする意欲が感じられます。ソーラー充電機能は携帯用電子機器にとって便利な機能です。その他にもカメラの高解像度化(1000万画素)・防水やタッチパネルなど魅力的な機能を充実させる積極的な商品戦略(2009年度国内シェア30%、2-3年後に海外向け1000万台を目標)が見て取れました。

 

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最後に立ち寄ったNTTドコモのブースはポップなイメージで、カテゴリー別に商品ブランドを再編した商品群を展示したり、アプリケーションを強調したりと、従来の技術中心の展示傾向から脱皮しようとする意気込みが感じられます。とは言っても私は新しい技術に興味を惹かれました。携帯電話で触覚を遠方に伝える技術です。

 

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まだ試作実験の段階ですが来場者は丁寧な説明を受けた上で直接触れて試すことが出来ました。離れた場所にある硬いガラス瓶を遠隔操作で叩くとその感触が手元の操作レバーで感じられます。柔らかいゴムボールはボールを押した時の感触があります。さらに遠隔地からギターをピックで爪弾くとその感触が指先に伝わります。 

 

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将来は洋服生地の感触も伝えられるようにしたいと説明してくれました。人間の五感のうちで、「聴覚」と「視覚」に対応する携帯電話に「触覚」が加わる日も近いかもしれません。そして「嗅覚(きゅうかく)」や「味覚」を遠隔地に伝える基礎技術も開発されているようですから「五感」に対応した臨場感のあるコミュニケーションが期待できそうです。

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2009年7月21日 (火)

村上春樹を読み返す

先週水曜日(7月15日)に今年の芥川賞と直木賞が決まりました。芥川賞は磯崎憲一郎氏の「終の住処」(ついのすみか)、直木賞は北村薫氏の「鷺と雪」です。芥川賞でひとつ思い出したことがあります。

今から10数年前に東南アジアのある国に出張した時のことです。取引先との会食の場で現地の若い幹部が日本人作家の村上春樹氏を絶賛したのです。私は酒が入っていたせいか、村上龍氏と取り違えて頓珍漢(とんちんかん)な受け答えをしただけで、もっぱら聞き役に回って話題が他へ移ることを待っていました。

帰国してはじめて知りました。村上春樹氏は1948年生まれで私と同世代と言っていい年齢です。1979年に「風の歌を聴け」で作家デビュー、アメリカ文学からの影響を強く受けた都会派の作家で、村上龍氏(1952年生まれ)とともに注目されたそうです。「限りなく透明に近いブルー」(1976年)で芥川賞を受賞した村上龍氏の華やかさに比べると知名度は高くなかったようですが、デビューが3年ほど遅かった村上春樹氏も「風の歌を聴け」で数年後に芥川賞候補に選ばれています。1987年に発表した「ノルウェイの森」は400万部以上を売り上げるベストセラーになったことも知りました。その後も「羊をめぐる冒険」などの作品が英訳されて海外でも人気の高い作家になったようです。

そこで村上春樹氏の作品をデビュー作の「風の歌を聴け」を手始めに何作か読んでみました。平易な文体ではあるのですが英文を和訳したような言葉使いには馴染めませんでした。アメリカ文化への憧憬(しょうけい、どうけい)が再び強くなり始めた1970年代初頭の雰囲気を良く伝える一方で、日本人にとっては非日常とも言えるアメリカ的な存在(カタカナ言葉で表記)が溢れていることには抵抗がありました。そしてそれらの小説をすっかり忘れ去ってしまいました。

風の歌を聴け

今年5月に発刊された「1Q84」で再燃した村上春樹ブームに触発されて村上春樹氏の小説を読み返してみたくなりました。「風の歌を聴け」は大学生の主人公が海辺の街(著者が中学に通った芦屋市を想定か?)へ夏休みの帰省中に、3年前の春に大学へ入った時に出会った通称を「鼠」という金持ちの息子と二人が入り浸るジェイズ・バーで交わす会話と、そのバーで偶然知り合った正体の知れない若い女性と交わす会話が交錯して物語を綴(つづ)っています。8月のわずか19日間の出来事です。学生運動が最後の盛り上がりを見せたあとは跡形もなく消え去った1970年の設定でした。主人公が交差点であるかのように、通りかかった人と短時間に交わす会話が続きますが、その人たちは皆、それぞれの目的地に向かって交差点を離れて行くのです。

そして8年後の後日談が短く続きました。結末ではありません。自らの近況と「鼠」が相変わらず小説を書き続けていることを短く伝えます。冒頭に触れた米国人作家デレク・ハートフィールドが再び登場しました。彼の小説との偶然の出会いとその墓を訪ねてアメリカに渡ったことがこの小説を書くことにつながったとあとがきを締めくくりました。

10数年が経過して心の余裕が私に生まれたためか、それとも日本語が少しずつ変わっているのか、今回は比喩的な表現を多用する文体への抵抗感も少なく一気に読み終えました。しかしテーマの難解さは前回感じた時とほとんど変わっていません。「鼠」や「若い女性」との会話もほとんど相手が主導権を持っている(つまり主人公の主体的な会話はなくてもっぱら聞き役に徹している)のです。生い立ちのところでその性格に少し触れているのですが・・・。枝葉をすべて削ぎ落とした記述はすべて観念の世界の出来事のようにも思えてきます。

1973年のピンボール

次に読み返したのは「1973年のピンボール」(1980年)で、「風の音を聴け」の続編と言える小説です。主人公は1972年に友人と一緒に英仏文の翻訳事務所を渋谷で開いています。前作と似て正体不明の双子姉妹が主人公のアパートに居ついて奇妙な同居生活が始まったことが回想されました。1973年の秋、大学を追い出された「鼠」は遠く離れた主人公の田舎町にあるジェィズ・バーでバーテンのジェイと過ごす時間以外は親が買ってくれたマンションの一室で孤独な日々を送っています。

主人公の日常に戻って仕事場での様子とともに工事業者がアパートの部屋に残していった古い電話用配電盤に興味を持つ双子との会話が細かく描写されます。次いで「鼠」がジェイズ・バーでピンボールにのめり込んだ様子が丹念に描かれます。一方、主人公も東京でピンボールの「スペース・シップ」に凝った1970年とその翌年2月にゲーム・センターが閉鎖されてピンボールと別れを告げたことを回想します。

ある日、主人公は「スペース・シップ」が無性に懐かしくなり、偶然紹介されたピンボールに詳しい大学講師にその行方を調べてくれるように依頼しました。大学講師はピンボールの所在まで連れて行きますが、なぜか主人公ひとりだけを「スペース・シップ」に会わせると所有者と約束したと言うのです。三年ぶりに再会した「スペース・シップ」を前に昔の恋人と再会したような会話が続いたあとは静かにその場を後にします。居候をしていた双子も新たに旅立ってゆくことになります。

「鼠」は不用品の売買で偶然知り合った女性と別れていました。長い逡巡(しゅんじゅん)のあとで「街(別の世界)」へ出ることを決心してジェイにそれを告げます。そして安らぎの場所を求めて・・・。

羊をめぐる冒険

3冊目は「羊をめぐる冒険」です。三部作の3作目は19701125日に始まります。絶望的な大学生活を続けていた主人公が偶然知り合った年下の女性との不器用な会話が描写されます。そして三島由紀夫事件をさり気なくテレビに登場させます。1978年の7月、その女性が交通事故で死んだことを人伝に知ります。そして主人公が1ヶ月前から別居していた妻と離婚するシーンが続きました。

離婚して2ヶ月後に知り合った耳のモデルをする女性との会話に変わり、その女性が予言めいて口にした「羊の冒険」が始まります。主人公たちが経営する事務所に奇妙な依頼(要求)が持ち込まれたのです。そして依頼者の大邸宅に招かれました。

そのしばらく前のことです。行方が分からなくなっていた「鼠」から5年ぶりに手紙が届けられました。彼の住所は書かれていません。半年後に届いた2通目の手紙には同封した「羊の写真」を人目につくところに持ち出してほしいとの依頼が書かれています。

依頼者の邸宅で主人公は羊にまつわる不可思議な要求を突きつけられます。思案の結果、事務所を辞めてガールフレンドと探し物があると思われる北海道へと旅立ちます。1週間以上を無為に過ごした後に身近な場所で出会った「羊博士」から探し物の所在を教えられます。長い列車旅で山奥の小さな町に辿り着き、さらに山奥深くにある牧場へと分け入りました。そこは間違いなく捜し求めていた場所でしたが予期した人の影は見えません。立派な山荘でうたた寝から目覚めた主人公はガールフレンドの姿がないことを知るのですが、それでも待ち人が戻ることを待ち続けます。翌朝、「羊男」が突然現れて女性を追い返したことと、主人公はもう二度と彼女に会えないことを告げた。

一人ぼっちの生活が1週間以上続きました。3度目の雪が降った12日目に再び「羊男」が現れて主人公の言葉を相手に伝えられなかったと告げた時に、主人公は「明日には引き上げる」と伝えます。1ヶ月の依頼期限がもう迫っているのです。その夜、待ち人の声が聞こえました。闇のなかでふたりの長いながい会話が始まりました 

そして・・・

村上春樹氏は海外での高い評価に比べるとこれまで国内の文壇における評価があまり芳しくない珍しい作家です。その評価の乖離にも拘らず、出版不況の最中にあっても、何百万部も売り上げる村上春樹氏の人気の秘密をもっと知りたくなりました。上記の3作のほか、「ノルウェイの森」や「世界の終りとハードボイルド・ワンダー・ランド」などの旧作を読み返すだけではなく、最新作の「1Q84」も読んでみようと思います。

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2009年7月17日 (金)

大森ふるさとの浜辺公園と六郷温泉

環七通りを東進して湾岸通りと交差する高平橋JCTを左に反れ、平和島公園を一周、環七通りの下を潜りました。案内標識に従って右折すれば狭い道が駐車場へと入って行きます。ここは「大森ふるさとの浜辺公園」です。北側には平和の森公園(平和島運河跡)が長く伸びています。先日訪れた東京港野鳥公園の少し手前です。

 

2009_07120007「大森海苔のふるさと館」の前を抜けて内川に架かる浜辺橋を渡ると海鵜たちが出迎えてくれました。さらに緩(ゆる)やかな坂を上がると真っ白に輝く砂浜が見えてきました。大森海岸を人工的に再現したこの浜辺は2007年に開園した大田区の海浜公園で、海岸線から200mほど沖には大森干潟も造られました。 その保護のためでしょうか遊泳は許可されていません。

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お昼に近い時間でしたから子供連れのグループで浜辺が大変な賑やかさです。波打ち際を歩いてみました。千葉から運ばれた砂で作られた砂浜はやや人工的な印象ですが弓形に反った海岸線が魅力的です。砂山を作ったり、水に入ったり、元気に遊ぶ子供たちの歓声が聞こえます。砂浜には日除け用にテントを張る家族連れもいます。
 
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浜辺から70mほどの場所にアサクサノリを養殖実験していることが案内板に説明されています。南端の護岸まで砂浜を歩きました。300mほどの長さがあります。運河の水門へと続く護岸の岩場では釣りをする人達がいます。大森東避難橋越しに、羽田空港を次々と離陸する旅客機が見えました。城南島海浜公園よりも3倍ほど遠いうえに、南風に向かって離陸する飛行機は遠ざかって行きます。(左下の写真)
 
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夏日となったこの日の暑さを避けるために「大森海苔のふるさと館」に入りました。海苔作りの歴史と道具が展示されているのを興味深く見学しました。2階には海苔抄(す)きを体験できる施設がありました。すべて無料ですからお勧めしたい場所です。

 

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第一京浜(国道15号)を4km余り南下しました。多摩川を渡る六郷橋の手前を左手に入って国道の下を右手方向に潜(くぐ)ります。京浜急行の六郷土手駅の脇にある路地に入ると建て込んだ場所に「六郷温泉」の看板を見つけました。入口に4台分の駐車スペースがあります。

2009_07120058 外観は普通の銭湯で、もちろん昔ながらの木製の鍵が付いた下足箱があります。番台ならぬフロントで料金(午後3時までは550円、それ以降は450円)を支払いました。暖簾(のれん)を潜って入った脱衣場は坪庭に面した休憩スペースが続きます。浴室は明り取りのある高い天井で開放感があります。銭湯につきものの富士山の絵は描かれておらず、黄色・黄緑色・スカイブルー・ベージュ色に塗り分けられて明るさを演出しています。その色使いはちょっと微妙な印象を与えますが・・・。 

浴室内は手前にカランが25箇所ほど並び、右手奥には小振りのタワーサウナ(追加料金は不要)が設置されています。L字型の浴槽は5つに仕切られていました。左から温泉浴槽(肩の打たせ湯付きですが故障?)、同(立ち湯のように深く、温度も44度位と高い)、白湯の浴槽が2つ(温めと熱め)、右端は源泉の水風呂の順です。プレートに書かれた文字がかすれてよく読めません。

 

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2009_07120063泉質は重曹含有単純泉(浴室内の表記は、ナトリウム・塩化物含温泉 弱アルカリ性)、いわゆる黒湯で循環加温されています。それほど濃い色ではなくてヌメリ感も少ないと感じました。

脱衣所脇の休憩所には椅子が置かれ、大型の扇風機が柱に1台あり、庭を見ながら涼むことができるレトロな佇(たたず)まいが残る下町の銭湯でした。

<同行者のコメント> オチビちゃんたちが遊びにきた時に一緒にこようかしら。旦那さまはその下見に来たのでしょうか? 帰りがけに寄った海苔のふるさと館にはいろいろな展示とともに休憩できる場所があっていいですね。屋上にも上ってみました。

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2009年7月12日 (日)

車はタイヤで走るのです

ずっと昔のことです。「車はガソリンで走るのです」と言うキャッチフレーズがありました。1971年に放送されたモービル石油のCMソング「のんびり行こうよ」(作詞作曲はマイク眞木さん)にこのキャッチフレーズが加藤和彦さんのナレーションで続きました。しかし理屈を捏(こ)ねれば車はガソリンだけで走るのではありません。ガソリンをエンジンで燃焼させて得た動力エネルギーをタイヤに伝達して路面との摩擦によってはじめて車は走るのです。見方によれば主役はタイヤかもしれません。人間に例えれば靴のように歩いたり走ったりする時に無くてはならない存在なのです。しかしガソリンやエンジンに関心を持つドライバーは多いのですがタイヤに注意を払う人はそれほど多くないように思われます。今回は「車はタイヤで走るのです」をテーマに取り上げました。

タイヤとは?

2009_0611interop20090097 タイヤとは何でしょう。基本的な役割は自動車の荷重を支えるとともに路面からの衝撃を吸収して車の乗り心地を良くすることです。そしてエンジンの動力を路面に効率よく伝えることとハンドル操作に応じて方向を変えることです。パンクしたタイヤで運転した経験のある人はこれらの機能がいかに重要であるかを理解できると思います。パンクした自転車でも同様の経験が出きるかもしれません。しかし現在の自動車タイヤが持つ機能はそれだけではありません。路面をグリップして滑りにくいことが求められます。特に雨が降った時には安全運転のために不可欠な機能です。最近はこれらに加えて転がり抵抗が少ないことがエコドライブ(省エネ)の観点から重視されるようになりました。つまりタイヤは自動車が走るために不可欠な存在なのです。

タイヤの種類と特徴

タイヤは用途によって、ノーマルタイヤ、スノータイヤ(スタッドレスタイヤ)、スペアタイヤなどの種類があります。ノーマルタイヤは通常の走行に使用するタイヤで、スノータイヤは名前で分かるように雪道や氷結した道路に適したタイヤです。一方、スペアタイヤは使用中のタイヤにパンクなどの不具合が発生した時に交換して一時的に使用する特殊な用途のタイヤです。昔はノーマルタイヤと同じものをスペアタイヤとして使用していましたが、トランクの収容スペースを節約して重量を最小にするため細身のスペア専用タイヤが一般的になりました。

このほかにもタイヤの形状や構造による分類があります。昔は自転車のタイヤと同じ様にチューブが入ったタイヤが一般的でしたが、現在はタイヤホイールとの密着性が良いチューブレスタイヤが使われています。荷重を支えるタイヤの骨格もバイアス型とラジアル型がありましたが現在はほとんど後者になりました。またタイヤ断面の縦横比も様々です。乗り心地を重視する縦長の形状から運転性能を重視すると幅広(扁平)の形状まで何種類もあります。そして最も性能に微妙な影響を与えるのがタイヤの溝(トレッド・パターン、あるいはグルーブ)の形状です。乗り心地を良くすることはもちろん、路面の水を上手く逃がしてスリップしにくくするために様々な模様が考案されています。

エコドライブ

2009_0611interop20090094_2 エコドライブには転がり抵抗の少ないタイヤを選ぶことで効果があるようです。一般的なラジアルタイヤに比べて転がり抵抗を20-30%減少させたタイヤが「エコタイヤ」として市販されています。タイヤのグリップ力(滑り難さ)と相反する難しい要求ですが、タイヤの材質(シリカなど)、構造(真円性など)、軽量化に工夫があるようです。

エコタイヤの先駆者であるミシュランの解説では自動車が100kmで走行している時に受ける抵抗は、空気抵抗が65%、タイヤの転がり抵抗が20%、その他が15%とする例が紹介されていました。つまり空気抵抗の1/3近い大きさの転がり抵抗は当然燃費に大きく影響しますから、エコタイヤを選択するだけで燃費を改善できるのです。横浜タイヤのCMでは燃費が4.4%も改善すると謳(うた)っています。わが家の愛車のタイヤはまだ溝の深さは残っていますが、タイヤ表面の柔軟性が失われ始めましたので、この原稿を書き始めたことを機に交換しました。転がり抵抗をさらに減らしたエコタイヤですから燃費がどれだけ改善できるか楽しみです

運転の仕方によってもっと大きく(10-20%)燃費が変わります。発進時にタイヤをスリップさせるのは論外ですが、滑らかな加速と減速は燃費を向上させる上で大きな効果があります。すなわち運動エネルギーを熱に変えてしまうブレーキの使用を極力減らして、停車する時だけにブレーキを使用する運転方法がエコにつながります。さらに発車する時にエンジンをかける(暖機運転はしない)、信号待ち時にエンジンを止める(マツダによると都市部では約10%の燃費改善効果)、不要な重量物は乗せないなども、小さな燃費改善策ですが「塵も積もれば何とやら」でエコドライブにつながるのです

 注釈: エコドライブは目的地に早く到着する秘訣でもあります。しかしルーレット族など法定速度を大幅に上回るスピードを出すドライバーには当てはまりません。やはりスピードを出すドライバーが先にゴールイン、つまり兎は亀に勝つのです。でもその代償として兎は亀ほどは長生きを出来ませんが・・・。

安全ドライブ

2009_0611interop20090096安全ドライブの秘訣もエコドライブと似ています。急発進・急減速・急カーブなど「急」が付く操作はご法度(はっと)です。すなわちタイヤをスリップさせながら速度を変えることや進路を変えることは危険な運転方法です。タイヤ自身の空気圧が不適な場合も危険を増します。空気圧が適正値より低いと燃費が悪くなるとともに運転(ハンドル操作)がし難(にくく、最悪時にはパンクする危険もあります。逆に空気圧が高過ぎてもいけません。乗り心地が悪くなるとともにタイヤのグリップ力が低下して危険ですし、空気圧が低い時と同様に、タイヤが偏(かたよ)った減り方をしてタイヤの寿命を縮めます。

高速道路をドライブする時には空気圧を5-10%程度高めにするのが良いと言われます。高速走行時にタイヤがスタンディングウェーブ現象(タイヤのトレッドや側面が定常波で波打つ状態)を起こしにくくしてバースト(急激なパンク)を防ぐためです。スタンドで給油する時に空気圧もチェックして貰えば手数はかかりません。また高速道路や山道を長時間運転する時は休憩時にタイヤの温度を直接手で触れて確認しましょう。空気圧が低いことやブレーキを多用してタイヤの温度が上昇したことを知ることができます。 

 注釈: 定常波は定在波とも呼ばれ、進行波と反射波が合成される場合(例、電波アンテナのインピーダンス整合が良くない時に発生)あるいは閉曲線上で波が重なり合う場合(例、回転中のタイヤで2方向に伝わる波の波長がタイヤの円周の整数倍になって共振する時、または波が治まる前に回転し終えて次の波と重なる時)に発生します。

タイヤの寿命

タイヤはワイパーなどと同様にゴム製品ですから消耗品です。走行距離が長くなって磨(すり)り減ったら交換する必要があります。タイヤの溝が2-3mm以下になったら黄信号(スリップサインが出る1.6mmは赤信号)です。乗り心地が悪くなりますし、雨道で滑り易くなります。そして路面から拾う音(摩擦音)も大きくなります。またゴム製品の特徴ですが、紫外線などの影響で経年変化が起きますから、例え走行距離が短くても、3-4年(保管場所にも因りますが)経ったら表面の劣化状況を確認しましょう。表面が硬くなるか細かいひび割れが目で確認できるようになったら黄信号です。タイヤの取り付け位置を定期的に入れ替えるローテーションは前輪と後輪の荷重の違いや左右の車軸の傾きでタイヤが不均等に磨耗することを軽減して寿命が縮まるのを防ぎます。

窒素ガス封入

最近は自動車タイヤに窒素(ちっそ)ガスを入れることが注目されているようです。通常の空気と比べてタイヤの温度変化による内圧変化が少なくタイヤに起因する事故を減らせるだけでなく、金属製のタイヤホイールが酸化腐食するのを防止することもできます。また普通の空気(酸素を約20%含む)よりもタイヤから漏れにくい特長も喧伝(けんでん)されています。しかし漏れた後に空気を補充すれば酸素の比率が段々下がるはずです。それに何と言っても窒素ガスを準備しているスタンドはほとんどありませんから、一般の車には過剰な拘(こだわ)りだと思います。ちなみに飛行機やレーシングカーのタイヤにはその特殊性から窒素ガスが使われているそうです。

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2009年7月 7日 (火)

旧東海道ドライブ旅(静岡県中西部 最終回): 浜松宿と遠州和の湯

旧東海道は森下交差点付近の三叉路で県道261号と別れて若宮八幡宮を過ぎた天竜川の堤防上を北上したそうですが、現在は手前で行止まりになっていますから、T字路を右折して北上します。旧東海道の渡し場はさらに上流の池田(現在の豊田池田の渡し公園)にありました。街道筋から北にそれているのは天竜川の流れが速かったからでしょう。近くに池田の渡船の歴史を展示する「池田の渡し歴史風景館」があります。ちなみに見附宿からは姫街道(旧鎌倉街道)が近道になっていたようです。

   

今回は立ち寄る時間がありませんのでそのまま天竜川橋を渡って浜松市に入ります。隣の新しい橋は国道1号用の新天竜川橋と新新天竜川橋(20083月開通)です。

 

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天竜川を渡り終えた天竜川西交差点を左折して堤防上の道に入りました。「舟橋跡」と「天竜川木橋跡」の棒標が並んで立っています。いずれも明治に入ってから造られた橋の跡です。「舟橋」とは舟を並べた上に板を敷いた仮設の橋で、後に木橋に架け替えられたそうです。

 

2009_06130318堤防を下りて六所神社前を通過、県道344に入って安間交差点で県道261号に合流しました。国道1号の下を潜って進むと子安交差点で国道152号に吸収されました。浜松東警察署の辺りに一里塚があると聞いていましたので歩いて警察署の前を探してみましたが見つかりません。後で調べると警察署から30mほど先の車道側植え込みに棒標があったようです。

 

その代わりではありませんが少し先にある馬込橋の東詰(づめ)外木戸の棒標を見つけました。浜松宿は東海道五十三次で29番目、駿河国と遠江国で最大の宿場町です。連尺交差点を左折して国道257号に入りました。江馬殿小路跡(えまどのこうじあと)の名に惹かれました。帰宅後に調べてみました。戦国時代の武将で今川氏の家臣であった飯尾豊前守連龍(つらたつ)が浜松を治めていた時の家老の一人江馬安芸守泰顕(やすあき)の屋敷の脇道を江馬殿小路と呼ぶようになったということです。

   

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伝馬町交差点を左折して浜松駅に向かうと夕方の浜松駅前は車で大変な混雑です。駅舎の写真を撮ろうと送迎用のヘアピンコースに入り、1枚撮影したところで後続車に押し出されるように引き返しました。

 

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伝馬町交差点まで戻ると「ザザシティ浜松」の前の植え込みに梅や本陣跡の立て看板があります。伝馬町交差点を右折した銀行前に川口本陣跡、浜松信金の前に杉浦本陣跡、そして連尺交差点の手前に高札場跡が続きます。

 

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2009_06130317 連尺交差点を行過ぎたガソリンスタンドの前に浜松城大手門跡の立て看板も見つけました。夕闇(ゆうやみ)が迫ってきたようですから浜松宿を今回の旧東海道ドライブ旅のゴールにすることにしました。当初の心積もりでは次の舞坂宿まで行く予定で、ドライブ旅を〆(しめ)る日帰り温泉として浜名湖に近い舘山寺(かんざんじ)温泉を考えていましたが、いずれも断念です。

 

代案にしていた袋井市の日帰り温泉へ向かうことにしました。国道152号を戻り北島JCTで国道1号に合流しました。新天竜川橋を渡ったところで入った磐田バイパスは高速道路並の立体交差の道が続きます。堀越ICを出て東名高速道路の袋井ICとは反対方向へと右折しました。川井交差点を左折して川井東交差点を右折すればほぼ一本道です。JR東海道本線とJR東海道新幹線を潜った谷坂で案内表示に従って左折すると目的地に到着です。堀越ICから4kmほど、10分足らずの距離です。

 

日帰り温泉「遠州和(やわらぎ)の湯」は袋井市郊外のお茶畑とゴルフ場に囲まれたまだ新しい(リニューアルされた)施設でした。薄暗くなった駐車場(220台の容量)は車でほぼ一杯になっています。入館料は1000円だと思っていましたが午後5時以降は800円と安くなっていました。「鶴の湯」と「亀の湯」が週替わりで男女の湯になるようです。この日は「亀の湯」が男湯でした。

 

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地下1500mから汲み上げられた源泉の泉質はナトリウムー塩化物温泉(食塩泉)と説明されています。小さめの脱衣場から内風呂に入りました。マグナムバス、ジェットバス、電気風呂、水風呂などが並んでいます。湯は源泉に加水・加温されているようです。サウナに入ったあと階段を下りて露天エリアに出ると大きな岩風呂が並んでいました。こちらは源泉を加温(加水なし)・循環ろ過しているそうです。巡回しながら異なる雰囲気が楽しめます。電気風呂は人気があるのか入浴客で一杯でした。暗がりにワコーゴルフ倶楽部(9ホール・パー29のショートホール)が見えて開放感があります。柔らかい温泉の湯が長いドライブ旅で疲れた心身を優しく癒(いや)してくれるようです。

 

<同行者のコメント> 前回以上に大変なドライブでした。運転手さんは地図を眺めたり、カーナビと喧嘩したりで、寄り道の多い忙しい旅になりました。温泉に入ったあとはそれまでのあわただしさが嘘のように東名高速道路を快適にドライブできました。私は高速道路のドライブの方が楽しいです。

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2009年7月 6日 (月)

旧東海道ドライブ旅(静岡県中西部 その12): 見附宿

旧東海道(県道253号)は川井交差点で旧国道1号(県道413号)に吸収されました。小さな川を木原松橋で渡ったところで旧東海道にしたがって右手に入ると木原松橋の標識がありました。

 

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200mほど進んだ左手に木原一里塚があり、さらに100mほど先の右手に許禰神社(こねじんじゃ)がありました。関が原合戦に向かう徳川家康が戦勝祈願をしたあと腰掛けて休息したと伝えられる「徳川家康公腰掛石」と樹齢300年以上とされる御神木の楠(くすのき)の巨木があります。神社の北側にある木原畷(なわて)の古戦場は徳川家康が武田信玄に大敗を喫する三方ヶ原合戦の発端となる小競り合いが行われた場所であると説明されていました。畷とはたんぼ道あるいは真っ直ぐで長い道のことです。

 

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ほど先の右手に木原の標識がありました。袋井宿宿境まで十七町(約1.9km)、次の見附宿(みつけじゅく)宿境まで一里二町(約4.1km)と表示されています。

県道413号に合流して三ヶ野橋を渡りました。旧東海道は国道1号を離れて少し南側のルートを取りますが、そのまま国道1号を走りました。

 

2009_06130294旧東海道が国道1号に左後方から合流すると、すぐ右手へと反れて行きますので、それに従いました。富士見町東交差点のすぐ手前です。300m余り走ると三叉路の角に富士見町の秋葉石灯籠(常夜燈)が立っているのが見えました。大正4年に建てられたものであることが説明されています。直進して急な坂を下りたところに愛宕山(あたごやま、愛宕神社)の石段が続いていました。 

 

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ここが東海道五十三次で28番目の遠州見附宿の東木戸跡で旧東海道に木戸跡の看板が、見附宿場通りには木戸風のモニュメントが立っていました。西から江戸へ旅する旅人がはじめて富士山を目にしたのが近くの高台からであったことから見附宿の名が付けられたそうです。すぐ東に富士見町の地名があることから頷(うなづ)けます。


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2009_06130300 見附宿場通りを西に走って中川橋を渡り、県道86号と交差して、次の県道44号を左折しました。交差点近くに旧御朱印屋敷冷酒清兵衛邸が見えます。右手に西木戸跡の標識木戸風モニュメントが東木戸と同様にありました。本陣跡、問屋場跡、高札場跡など肝心なものを見過ごしたようです。街中では藤枝宿でしたように徒歩で巡(めぐ)るべきでした。 

 

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2009_06130303 左手の府八幡宮の前に車を停めました。県道58号の反対側に遠江(とおとうみ)国分寺跡があるはずですが表通りからは見えません。JR磐田駅に向かうこの県道はジュビロードと呼ばれているそうです。もちろん地元のサッカーチーム「ジュビロ磐田」にちなんだもので、歩道に選手の足型や手型が多数あるそうです。ブライトタウン磐田駅前店の角を右折しました。 

 

なだらかな坂道を上ると600mほど先の大きな施設の前に中泉の標識が立っていました。西北西へ一直線に伸びる道が次第に混み始めました。夕方が近いのです。

 

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2009_06130306 宮之一色一里塚63番目)を探しながら運転しましたが少し行過ぎてしまいました。見つけた標識は後方を指しています。宮之一色バス停付近にあるだろうと当て推量したのが失敗でした。ひとつ手前のバス停「下万能」近くの「AGスクエア」前にあったようです。注意力が散漫になったのかもしれません。今回のドライブ旅のゴールは間近ですから気を引き締めることにしました。

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2009年7月 5日 (日)

旧東海道ドライブ旅(静岡県中西部 その11): 袋井宿

松並木を進むと袋井の浮世絵版画がありました。凧揚げの様子が広重によって描かれています。この絵にある丸凧が20年前に再現されて、袋井市で毎年凧揚げ大会が小笠山で開催されているそうです。(小笠山総合運動公園エコパのhpより)

 

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2009_06130260 旧東海道は工場地帯へと入って行きます。大和ハウスの工場角に突然大きな鳥居が見えました。富士浅間宮の赤鳥居です。ここから参道が続きますが東名高速道路に分断されて富士浅間宮(ふじせんげんぐう)は見えません。

袋井市立袋井東小学校の敷地を背にして久津部(くつべ)一里塚跡の碑がありました。昭和47年に袋井東小学校創立100周年を記念して跡地に造られたものだそうです。60番目の一里塚です。学校の正門には「東海道五十三次 どまんなか 東小学校」の看板が掛かっています。

 

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路傍に油山道道標を見つけました。真言宗の古刹である油山寺(ゆさんじ)へ至る道であったことが隣に立つ東海道松並木の案内板に説明されています。油山寺は前回触れた可睡斎のすぐ近くです。

 

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松並木を抜けると旧東海道(県道253号掛川袋井線)は新谷交差点で県道413号(旧国道1号)に行き当たりました。旧東海道は左斜め前方へ進むようですが車は進入できませんので県道253号に従い左折して広岡川の手前を右折しました。袋井市役所南交差点の角に大きな袋井宿入口の石碑が見えます。

 

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その横に袋井宿と天橋の説明がありました。天橋(阿麻橋)は東海道五十三次で27番目の宿場である袋井宿の東入口に架かる土橋だったそうです。土橋(どばし、つちはし)とは木組みの上に土を突き固めた橋のことです。

    

2009_06130271広岡川を渡ると交差点の角に「東海道どまん中茶屋」があります。先ほどの説明にあった広重の浮世絵版画「袋井 出茶屋ノ図」と袋井宿の標識が立っていました。そして油山寺への道案内標識もあります。写真を撮影していると茶屋の人がお茶をすすめてくれましたが、先を急ぎますので、丁重に辞退しました。ボランティアの方々のようです。ありがとうございました。 

   

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旧東海道は右へ大きくカーブします。静橋北交差点の手前右手に袋井宿東本陣跡が綺麗な公園として整備されていました

 

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その向かい側は袋井宿場公園になっています。袋井宿の案内板と「つぎ見附宿」と書かれた袋井宿道標があります。

 

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200mほど西へ行った御幸橋の袂(たもと)に秋葉山常夜燈と高札場がありました。ここが袋井宿の西の入口です。この袋井宿は東の入口から西の入口まで五町十五間(約570m)あったと説明されていました。

 

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2009年7月 4日 (土)

旧東海道ドライブ旅(静岡県中西部 その10): 掛川宿

城下町らしい七曲を辿(たど)りたいのは山々ですが先を急ぐことにします。

 

県道37号の中町交差点付近から掛川城が見えました。山内一豊が城郭の基本を造ったと伝えられ、幕末近くの地震で崩壊した天守閣などは平成6年(1994年)に戦後初の木造の城として再建されたそうです。

 

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この掛川城の蕗(ふき)の門がある円満寺へ向かいました。明治初期、掛川城が廃城となった時に円満寺が買い受けて現在の場所へ移築されたことが説明されていました。残念ながら東海道五十三次で26番目「掛川宿」の遺構はほとんど残されていません。

 

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十九首(じゅうくしょう、じゅうくしゅ)塚の名前を見つけて立ち寄ることにしました。旧東海道(県道37号)から路地に入って150mほど歩いた場所です。東光寺の隣、逆川にそそぐ小川のすぐ近くです。平安時代の中期に関東一円を占拠(平将門の乱と呼ばれる)して自ら新皇(しんのう)と称した平将門(たいらのまさかど)とその武将18人が討伐軍に処刑され、その首を京へ運ぶ途中に祟(たた)りを恐れた藤原秀郷がこの地で埋葬したことが詳しく説明されていました。全員の墓標に名前が彫られてリアリティはありますが伝承に基づいて平成になって新たに祀られた首塚と思われます。

 

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将門の首は京に運ばれて晒(さら)されたのは事実のようですが、その首は江戸まで飛んで帰ったとする俗説があります。平将門と言えば千代田区の神田明神と大手町の「将門の首塚」に参ったことがあります。反逆者あるいは時代の寵児として時代によって社会的評価が分かれる武将です。庶民には英雄として根強い人気があるようです。

逆川を越えた二瀬川交差点で国道1号に入り大池橋で逆川(さかがわ)支流の倉真川(くらみがわ)を渡りました。旧東海道はここで左に折れて南下します。直進する道は秋葉詣(もう)でのために人々が利用した秋葉街道です。

 

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旧東海道(県道253号掛川袋井線)は天竜浜名湖鉄道のガードを潜(くぐ)ると右にカーブします。蓮祐寺(れんゆうじ)の前に大池一里塚跡の標識を見つけました。

 

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国道1号(掛川バイパス)と東名高速道路を潜り、岡津の松並木を抜けて小さな川を渡ると善光寺(仲道寺)がありました。東京と京都の中間にある寺で仲道寺(ちゅうどうじ)とも呼ばれたことが表示されています。この辺りが旧東海道の中間地点なのでしょう。

 

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仲道寺の先に原川の松並木が続いて旧東海道の雰囲気が感じられます。

 

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原川の光西寺前に「間の宿原川」の説明がありました。掛川宿まで一里十八町(約6km)、袋井宿まで三十三町(約3.6km)の位置にあるそうです。旧東海道は原川の松並木を抜けて行きます。

 

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再び国道1号(掛川バイパス)に行き当たりました。ここで国道1号に入って原野谷川(はらのやがわ)を同心橋で渡ります。同心橋を渡り終えたところで旧東海道は南に反れて行きます。細い坂道を下りました。

小さな花茣蓙(はなござ)公園前で可睡三尺坊道標跡の標識を見つけました。可睡三尺坊とは秋葉総本殿可睡斎(あきはそうほんでんかすいさい)に祀られている三尺坊大権現(さんしゃくぼうだいごんげん)のことで、秋葉信仰(火防、ひぶせ)の総本山です。秋葉山秋葉寺が明治初期に廃寺となった(その跡に秋葉山本宮秋葉神社が再建)ため、そこに祀られていた三尺坊大権現が可睡斎に移されたそうです。ちなみに秋葉の名前は秋葉寺があった秋葉山(標高866m)に由来します。秋葉原の地名の由来となった東京の秋葉神社(全国に約800社あるとされる秋葉神社のひとつ)もこの秋葉信仰によるものです。当ブログで紹介した愛宕神社も同じく火防の神を祀っています。

 

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この公園の名前が花茣蓙なのはこの地(名栗)が昔から花茣蓙で有名だったことによると思われます。秋葉の名前でつい本題から反(そ)れてしまいました。街道巡りに戻りましょう。松並木が袋井宿へと続きます。

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2009年7月 3日 (金)

旧東海道ドライブ旅(静岡県中西部 その9): 日坂宿

沓掛の急坂を下りきったところで安藤広重作「日坂宿」の浮世絵版画を見つけました。

 

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2009_06130214 そして国道1号の下を抜けると東海道五十三次で25番目の日坂宿(にっさかしゅく)に入ります。鈴鹿の坂下宿と由比宿に次いで3番目に小さい宿場だそうです。今も宿場町の雰囲気を残しているそうで興味はありますが、静岡空港近くまで走ってかなり時間をロスしましたのでまたの機会に譲ることにして、遠江国一ノ宮の事任(ことのまま)八幡宮に立ち寄るだけにしました。

 

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牧之原台地を走り回っただけでなく「小夜の中山」に拘(こだわ)り過ぎたため予定より1時間以上遅れています。 参考情報: 掛川市のhpで日坂宿が解説されています。

 

2009_06130220 国道1号(掛川バイパス)の八坂ICを過ぎて道なりに左手の旧東海道に入りました。綺麗に整備された57番目の伊達方一里塚跡の石碑が右手にあります。その向かい側に小さな社(やしろ)がありました。大頭龍(だいとうりゅう)神社と立派な名前に驚いていると、その横にある道標に「大頭龍神社 是より一里十五丁(約5.6km)」と表示されています。そちらが本社なのでしょう。

   

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2009_06130222旧東海道は600mほど先で従来の国道1号に戻ります。3kmほど逆川(さかがわ)沿いに走った木村橋交差点の三叉路を左に進んだ右手に「成滝」の標識がありました。真新しい駐車場の横です。日坂宿宿境まで一里六丁(約4.5km)、掛川宿宿境まで二十町(約2.2km)と表示されています。

大頭龍大権現と福天大権現の参道標を見つけました。大頭龍権現は菊川市にある神社で、福天大権現も同じ菊川市の龍雲寺の敷地内にあるようです。川崎湊(牧之原市静波)へ至る川崎街道の始点であると説明されています。

 

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馬喰(ばくろう)橋を渡った左手に葛川(くずかわ)一里塚と秋葉常夜燈がありました。

 

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掛川市内案内図に描かれた旧東海道は何度も折れ曲がる複雑なルート(七曲がり)で掛川宿へ入ることが説明されています。葛川一里塚の斜め前方の和菓子屋「もちや」の駐車場脇に馬喰橋一里塚跡の標識がありました。ここが北側の葛川一里塚跡の位置を示しているようです。

 

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2009年7月 2日 (木)

旧東海道ドライブ旅(静岡県中西部 その8): 小夜の中山

間の宿菊川の先にある「小夜(佐夜)の中山」は旧東海道で箱根峠、鈴鹿峠とならんで三大難所とされました。40年近く前に買いたての愛車で旧国道1号の「小夜の中山トンネル」を走ったことがあります。当時、ラジオの深夜放送でよく流れたロマンチックな響きのあるこの地名に惹かれたのです。

 

2009_06130181国道1号を深夜に走る長距離トラックの運転手さん達が「小夜の中山」近くからラジオの歌番組にリクエストした時にこの地名が紹介されたのです。携帯電話の無い時代ですから近くのドライブインから公衆電話でリクエストしたのでしょう。国道1号(島田金谷バイパス)が出来て県道381号(島田金谷線)となった「小夜の中山トンネル」を回り道して久しぶりに走ってみました。

 

本題に戻ります。石畳の道の近くから入る山道を見つけて茶畑の中に伸びる道幅の狭い旧東海道を走りました。高みに達すると久遠寺(きゅうえんじ)です。会津の上杉討伐に向かう徳川家康を掛川城主(5万石の小大名)であった山内一豊がこの寺で供応したことが知られます。この供応と小山評定(おやまひょうじょう)で家康に掛川城を差し出したことで忠誠心を認められ土佐20万石の大大名に出世したと伝えられます。驚いたことに境内で夜鳴き石を見つけました。夜鳴き石は小夜の中山トンネルの脇に置かれていると聞いていました。もうひとつあったのです。

 

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すぐ先の「小夜の中山公園」には茶屋の扇屋と西行の「年たけてまた越ゆべしと思ひきや 命なりけり小夜の中山」の歌碑があります。歳をとってまた小夜の中山を越えられるのは長生きさせてもらったお陰であるの意です。

 

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佐夜鹿一里塚を過ぎて茶畑に続くなだらかな道を進むと鎧塚(よろいづか)が茂みの中にありました。その近くにある歌碑は西山浄土宗光明寺の開基蓮生(れんせい)法師が詠(よ)んだ「甲斐が嶺(ね)は はや雪しろし神無月 しぐれてこゆるさやの中山」です。

 

蓮生法師は俗名が熊谷直実(くまがいなおざね)で平家に仕える家柄でしたが石橋山の戦いを契機として源頼朝の御家人となった平家物語にも登場する人物です。一ノ谷の戦いで平敦盛(たいらのあつもり)を討ったことへの懺悔(ざんげ)と世の無常を感じて出家し、浄土宗開祖法然上人の弟子になり、66歳で没するまでドラマチックな生涯を送りました。今回の旅で高野山奥の院の一之橋の少し先に平敦盛と熊谷直実の墓碑が並んでいることを知りました。なお蓮生法師の墓所は光明寺の境内にあります。

 

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その先には白山神社、古今集撰者である壬生忠岑(みぶのただみね)の歌碑、涼み松跡には芭蕉の句碑「命なり わずかの笠の 下涼み」、広重の絵碑などが続きます。

 

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下り坂に差し掛かると沓掛集落ですがその先で大変な難所が待ち構えていました。自動車学校にあるようなS字カーブが急坂となっているのです。

 

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この急坂を除けば茶畑を貫くなだらかな道はハイキング向きで難所とは思えません。昔は今と違って山深く、山賊や追剥(おいはぎ)が出たことで難所とされたのでしょう。

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2009年7月 1日 (水)

旧東海道ドライブ旅(静岡県中西部 その7): 間の宿菊川

金谷駅近くまで戻って県道381号(島田金谷線)を「小夜の中山」方面に走ると諏訪原城跡の案内表示が左手の県道234号を指しています。立ち寄りたい気持ちで脇道に反れて駐車場に一旦車を停めましたが、広い城址巡りには時間がかかりそうですから先を急ぐことにします。

 

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駐車場のすぐ先に先ほどの茶屋前から続く金谷坂石畳の下り口がありました。その石畳の道は自動車道を斜めに横切って(400mほど重なったあと)菊川坂を下って菊川へと続くのですが、ここで私は何を血迷ったのか、とんでもないことを思いつきました。

 

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先ほど来た県道381号は国道1号のさらに北へと迂回しますから、もっと便利なルートを探そうとポータブル・ナビに「菊川宿」と入力したのです。検索がヒットしませんので「菊川」に変更すると南へ向かうルートを示しました。それに従って茶畑の中を走るといつまでたっても西へ向かって下りる横道がありません。

 

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2009_06130168お茶の郷」を見かけましたがカーナビはまだ南東を指しています。ついには国道473号に入って先月4日に開港したばかりの富士山静岡空港の入口交差点に差し掛かりました。地図帳をもう一度眺めて驚きました。旧東海道の「菊川宿」はJR東海道本線が通る菊川市にあるのではなく島田市にあったのです。もう少しでカーナビ迷子に陥って新空港見学ツアーになるところでした。

そう言えば菊川宿に向かう旅人は急な菊川坂を下りるはずです。先ほど通過した金谷坂の石畳の下り口に戻り、さらに400mほど進んだ交差点の反対側、菊川坂石畳の下り口横に車が通行できる急な坂道がありました。先ほどは見逃して通過していました! その坂道を慎重に下りて高麗橋を渡ると菊川の町並みに入ります。

 

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間の宿(あいのしゅく)菊川は金谷宿と日坂宿の間にある休憩のための宿場で、宿泊は許されなかったそうです。さんぽ茶屋(菊川の里会館)には承久の変(1221年)で捕らえられ鎌倉へ送られる途中に中納言藤原宗行卿が詠んだ詩碑と同じく正中の変(約100年後)で鎌倉に送られた日野俊基の歌碑が並んでいました。

 

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2009_06130180 さんぽ茶屋の前から石畳の道が自動車道を横切って神社脇を山に向かって伸びているのが見えました。ここが菊川宿の西の外(はず)れです。いよいよ今回のドライブ旅のハイライトである「小夜の中山」が間近に迫りました。期待が高まります。

 

   

 

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