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2009年7月 2日 (木)

旧東海道ドライブ旅(静岡県中西部 その8): 小夜の中山

間の宿菊川の先にある「小夜(佐夜)の中山」は旧東海道で箱根峠、鈴鹿峠とならんで三大難所とされました。40年近く前に買いたての愛車で旧国道1号の「小夜の中山トンネル」を走ったことがあります。当時、ラジオの深夜放送でよく流れたロマンチックな響きのあるこの地名に惹かれたのです。

 

2009_06130181国道1号を深夜に走る長距離トラックの運転手さん達が「小夜の中山」近くからラジオの歌番組にリクエストした時にこの地名が紹介されたのです。携帯電話の無い時代ですから近くのドライブインから公衆電話でリクエストしたのでしょう。国道1号(島田金谷バイパス)が出来て県道381号(島田金谷線)となった「小夜の中山トンネル」を回り道して久しぶりに走ってみました。

 

本題に戻ります。石畳の道の近くから入る山道を見つけて茶畑の中に伸びる道幅の狭い旧東海道を走りました。高みに達すると久遠寺(きゅうえんじ)です。会津の上杉討伐に向かう徳川家康を掛川城主(5万石の小大名)であった山内一豊がこの寺で供応したことが知られます。この供応と小山評定(おやまひょうじょう)で家康に掛川城を差し出したことで忠誠心を認められ土佐20万石の大大名に出世したと伝えられます。驚いたことに境内で夜鳴き石を見つけました。夜鳴き石は小夜の中山トンネルの脇に置かれていると聞いていました。もうひとつあったのです。

 

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すぐ先の「小夜の中山公園」には茶屋の扇屋と西行の「年たけてまた越ゆべしと思ひきや 命なりけり小夜の中山」の歌碑があります。歳をとってまた小夜の中山を越えられるのは長生きさせてもらったお陰であるの意です。

 

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佐夜鹿一里塚を過ぎて茶畑に続くなだらかな道を進むと鎧塚(よろいづか)が茂みの中にありました。その近くにある歌碑は西山浄土宗光明寺の開基蓮生(れんせい)法師が詠(よ)んだ「甲斐が嶺(ね)は はや雪しろし神無月 しぐれてこゆるさやの中山」です。

 

蓮生法師は俗名が熊谷直実(くまがいなおざね)で平家に仕える家柄でしたが石橋山の戦いを契機として源頼朝の御家人となった平家物語にも登場する人物です。一ノ谷の戦いで平敦盛(たいらのあつもり)を討ったことへの懺悔(ざんげ)と世の無常を感じて出家し、浄土宗開祖法然上人の弟子になり、66歳で没するまでドラマチックな生涯を送りました。今回の旅で高野山奥の院の一之橋の少し先に平敦盛と熊谷直実の墓碑が並んでいることを知りました。なお蓮生法師の墓所は光明寺の境内にあります。

 

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その先には白山神社、古今集撰者である壬生忠岑(みぶのただみね)の歌碑、涼み松跡には芭蕉の句碑「命なり わずかの笠の 下涼み」、広重の絵碑などが続きます。

 

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下り坂に差し掛かると沓掛集落ですがその先で大変な難所が待ち構えていました。自動車学校にあるようなS字カーブが急坂となっているのです。

 

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この急坂を除けば茶畑を貫くなだらかな道はハイキング向きで難所とは思えません。昔は今と違って山深く、山賊や追剥(おいはぎ)が出たことで難所とされたのでしょう。

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