« 2009年7月 | トップページ | 2009年9月 »

2009年8月に作成された記事

2009年8月28日 (金)

戦闘機図鑑

横田基地で開催された日米友好祭2009は子供のころから飛行機が好きだった私には貴重な機会になりました。ちょっとマニアックになり過ぎて当ブログの主題にはそぐわないのですが本編の記事に掲載しなかった写真を説明無しで(画竜点睛を欠きますが)掲載します。興味のある方は楽しんでください。なお当ブログでは飛行機に触れた記事を3度掲載(バンコックで危機一髪後になって感じること城南島)しています。

 

2009_08230060 2009_08230059  

 

2009_08230061 2009_08230062         

2009_08230063

2009_08230064 

2009_082300652009_08230070 

2009_082300712009_08230075

 

2009_08230086 2009_08230087 

 

2009_082300892009_08230090

 

2009_08230093 2009_08230102 

 

2009_08230109 2009_08230112 2009_08230113 2009_08230115

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月27日 (木)

ファイヤーフォックスと秋川渓谷瀬音の湯(後編)

早期警戒管制機E-3 Sentry airborneの上部に設置された円盤状の巨大なレーダードーム(ロトドーム)が目立ちました。この飛行機も沖縄の嘉手納基地から飛来したようです。日本は機体こそ異なりますが同様の機能を搭載した早期警戒管制機E767を導入しています。

 

2009_08230124 2009_08230125 

会場の行き止まりでUターンして向った格納庫前には輸送機とヘリコプターが展示されています。巨大な輸送機(カリフォルニア・ベースのC-5 Galaxy)の胴体内に入ってみました。映画やテレビ番組でしか見たことのない輸送機の内部は迫力があります。壁際にある申し訳程度の小さなベンチ腰掛けてみましたがとても長時間座れるしろものではありません。当たり前かもしれませんが旅客機とは根本的に違うのです。

 

2009_082301312009_08230133 2009_08230144 2009_08230145   

輸送機の巨大なタイヤにも触ることができました。主輪は片側に12輪(ダブルタイヤが前後に3組づつ配置)、計24輪、前輪もトラックのタイヤほどの大きさでした。タイヤ収納部の中に入って多数あるタイヤを胴体内に収納する機構をしげしげと観察しましたが全く理解できませんでした。

 

2009_08230153 2009_08230158   

もう一機の大型輸送機は短距離滑走路にも対応できるC-17 Globemaster Ⅲです。

 

2009_08230171 2009_08230172 2009_08230175 2009_08230181 

ヘリコプターエリアにはシコルスキー社製UH-60A Blackhawkやヒューズ/川崎重工製OH-6Dなど大型から小型まで様々なヘリコプターが展示されています。2001年に映画化された小説「ブラックホーク・ダウン」に登場したのはUH-60Lでしたが展示されたUH-60A(左下の写真)はその旧機種であるアメリカ陸軍戦術輸送ヘリコプターでした。
 
2009_082302112009_082302122009_08230207 2009_08230231
 
午後はC-130C-12などの輸送機やヘリコプターなどの飛行デモが予定されていますが、会場内には続々人並みが押し寄せていますので、次の目的地に向うことにしました。正午近くになって牛浜駅の混雑はピークを迎えたようです。改札制限が何度もアナウンスされ立川行きの上り電車に乗るまで30分近く掛かる混乱ぶりでした。

拝島駅近くの駐車場を出たあと、大渋滞が発生している国道16号(東京環状)を横切って都道7号(睦橋通)に入り、ほぼ一直線の道を秋川渓谷に向いました。JR五日市線の終点、武蔵五日市駅前で都道33号に変わります。五日市の街中は車が多くてノロノロ運転でしたが、それを抜けると秋川渓谷に差し掛かりました。十里木交差点を左折した檜原(ひのはら)街道は山間に分け入ります。新矢柄橋で秋川を渡った先の案内表示板に従って2度右折すると大きな駐車場(135台)が目の前に開けました。前方には入場待ちの車が2-3台あるだけでしたが、昼時だったせいか帰る車はほとんどなく、20分近くも待たされました。ここはあきる野市の第三セクターが3年前に建設した「秋川渓谷瀬音の湯」、自然に囲まれた心地よい雰囲気で、宿泊用ロッジもあるようです。

 

2009_08230272 2009_08230273   

汗を流すために先ず日帰り温泉に入りたいところですが入場待ちの長い列が出来ています。それではと食事処に向いました。こちらは記帳して待つほどもなくテーブルに案内されました。横田基地のエプロンでの強い照り返しのなかを歩き回った私は、食欲がそれほどなく、牛サイコロステーキ膳を頼みました。同行者は天ぷらそばとお刺身三点盛膳でしばらく逡巡(しゅんじゅん)した末に後者を選びました。いずれも美味しく、程よいボリュームが嬉しいです。
 
2009_082302762009_08230275 

日帰り温泉のエリアに戻っても相変わらずの混雑がありました。入館料は800円とリーズナブルなことも人気の理由でしょう。それほど広くないホールの両側に男湯と女湯が左右に配置されています。脱衣場も広くはありませんが脱衣ロッカーは大小を合わせて111箇所あり、内湯のカランは23箇所並んでいますから、利用者が多い割には混雑を感じさせません。大浴場から大きなガラス窓を通して秋川渓谷の樹林が良く見えます。露天エリアに出てみました。1段低くなっていますが岩風呂風の設えは悪くなく、ヌメリ感がたっぷり感じられる温泉を楽しめました。泉質はアルカリ性単純泉(ph10.1)、源泉温度は27度。その横には小振りの水風呂とサウナ風呂がありました。サウナはL字型をした小さなもので67名入れば一杯になりそうです。温度計は90度を指していました。

 

2009_08230293 2009_08230286 2009_08230287 2009_08230289   

ゆっくり温泉を楽しみたいところですが5時までには帰宅する必要がありますから1時間ほどで切り上げました。何とか間に合うだろうと帰路を急ぎましたが、渋滞があちこちで発生しており旧道などで迂回しましたが、とうとう大きな渋滞に・・・。帰宅したのが530分になってしまい同行者はオカンムリ! 牛浜駅での大混雑、炎天下の横田基地を歩き回ったあげく、時間に遅れたことが重なりました。

<同行者のコメント> 人混みはいやです。それに渋滞も。うちの旦那さまにしては珍しく混雑の真っただ中ばかりを選んだようなドライブはもう御免ですョ。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2009年8月26日 (水)

ファイヤーフォックスと秋川渓谷瀬音の湯(前編)

タイトルのファイヤーフォックスは次世代ウェブ・ブラウザ(インターネット閲覧ソフトウェア)ではありません。1982年に製作されたアメリカ映画のタイトルです。旧ソ連が極秘裏に開発した最新技術を満載する戦闘機「ファイヤーフォックス」に脅威を感じた米国が完成したばかりの実機を盗み出す話でした。最新技術とはレーダーなどの軍事用センサーに探知されないステルス機能とパイロットの意思に従って自動操縦ができる優れた機能。主演兼監督は近年アカデミー賞を2回獲得して名監督の誉れが高いクリント・イーストウッド、元々はテレビ西部劇「ローハイド」やイタリア製マカロニウェスタン映画の人気俳優として知られた人物でした。「ファイヤーフォックス」はスリリングなストーリー展開とファイヤーフォックス同士の壮絶な空中戦による結末が印象に残っています。

前置きはこれくらいにして本題です。822日と23日の二日間に亘(わた)って米軍横田基地(第5サプライゲート)で開催された日米友好祭2009に出掛けました。かなり前から一般に開放する基地祭として開催されてきましたが私が参加するのははじめてです。それは今回展示されるある戦闘機に強い関心を持ったからです。JR青梅線牛浜駅が会場の最寄り駅ですが、会場内に駐車場がないことと小さな牛浜駅周辺にはコインパーキングもほとんどありませんから、ひとつ手前の拝島駅近くのコインパーキングを利用しました。空きスペースが2箇所残っていたのは幸運でした。

拝島駅のプラットフォームは大変な混雑です。友好祭へ行く人達かと思いましたが良く見ればその多くは山歩きの服装ですから青梅か奥多摩へ向う人達でしょう。牛島駅に到着すると乗客の半数以上が下車、横田基地へ向う道には長い行列が出来ていました。幅の狭い歩道から人が零(こぼ)れ落ちそうです。10分ほど歩いて到着した5(牛浜)ゲートにはすでに大変な人だかりが出来ていました。入門のチェックがあるのです。国籍の分かる身分証の提示を求められ、次いで大きな手荷物を持つ人はその検査も受けなければなりません。ゲート横には大きな駐輪場がありますから自転車を利用するのが一番便利かもしれません。

 

2009_08230017 2009_08230020 

ゲートを抜けると大きくL字型に折れ曲がった(桝形を意識?)広い道に溢れんばかりの人並みが続きます。道の両側には蒲鉾(かまぼこ)屋根の建物が並んでいます。衣料品の売店や資材の受け入れ部門らしき名前が見られますが内部の様子はまったく伺(うかが)い知れません。

 

2009_08230022 2009_08230034 

前方に広い滑走路が見えてきました。格納庫と滑走路に挟まれたエプロン(駐機場)が主会場でした。会場の手前には各種の売店が並んでいます。ジャンクフードやTシャツなどの売店の雰囲気はまさにアメリカそのものです。

 

2009_08230038 2009_08230039 2009_08230040 2009_08230249 

Eagle 810と表示されたAFN(米軍放送、旧FEN)の放送ブース、アメリカ人による和太鼓演奏や日本人の盆踊りも披露されています。

 

2009_08230245 2009_08230246 2009_08230042 2009_08230247   

その先は軍用機の展示エリアで、滑走路寄りには様々な戦闘機が展示されていますから、撮影に力が入ります。戦闘機のコクピット内を見られるサービスが行われてそれを待つ長い行列が出来ていました。

 

2009_08230053 2009_08230049 2009_082300742009_08230088  

かなり奥まった場所に目当てのものを見つけました。F-22戦闘機が2機、その前には自動小銃を持った兵士が数名警備しているのは他の戦闘機と違います。このF-22がステルス戦闘機の代表機種で、日本を始め各国が導入を希望していますがアメリカは終始慎重な姿勢を貫いているようです。展示されているF-22は沖縄の嘉手納(かでな)基地に配備されている10数機のうちの2機が飛来したのでしょう。

 

2009_08230128

2009_08230105 2009_08230106 2009_08230110  

突然大きな声が聞こえました。「Hey! Hey you!」と言いながら自動小銃を持った兵士が誰かを指差しています。それらしき方向を振り返りましたが当事者は見当たりません。写真撮影に夢中になって規制ロープを越えたのかもしれません。F-222機とも真正面を向いているのは残念です。戦闘機の前面も撮影アングルとして面白いのですが、ステルス機能に不可欠なレーダー電波を吸収・散乱させる磁性体を貼った機体の表面は無表情です。本当はF-22を後方からも見たかったのですが・・・。エンジンからのジェット噴射を敵の赤外線センサーから覆い隠すための構造も最高機密なのでしょう。F-22の後方に巨大なコンクリートブロックが置かれているのはその証左かもしれません。(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月23日 (日)

富士山登山: ここはネフド砂漠!?

河口湖口(富士吉田口)下山道に入る時に山中湖がくっきりと望めました。

 

2009_08130278 2009_08130283   

八合目までは須走口登下山道とほぼ共用されていますから登山者と擦れ違うこともあります。「決して走らない」と呟(つぶや)きながら下山道をゆっくり歩きます。

 

2009_08130284 2009_08130285 2009_08130288 2009_08130291   

八合目の須走口江戸屋で小休止したあと、河口湖口下山道(河口湖五合目と富士スバルライン五合目の表記が混在して紛らわしい)に入りました。大きな砂利が混じったざら場では登山時に聞いた「逆ハの字」を下りでも試してみました。これが大きな失敗で親指が痛くなってきました。下山道では膝(ひざ)を持ち上げないで振り子のように足を前に振り出して踵(かかと)から下ろす歩き方に徹するべきでした。

 

2009_08130294 2009_08130293 2009_08130297 2009_08130301 

下山道の山側の石が少ない場所を選んで歩きますが、いつもの癖(くせ)が出て、つい膝を持ち上げる歩き方になってしまいます。九合目から頂上までの岩場で無理をしたのが徐々に響いてきたようで足が重くなってきました。多めに休憩回数を取りながら短時間休憩を心掛けて気が遠くなるほど長い葛折(つづらおり)を無事に通過しました。

 

2009_08130307 2009_08130308 2009_08130309 2009_08130310   

2009_08130312 六合目に向う落石対策シェルター内の大きな階段が脚に堪えて長めの休憩を取ることになってしまいました。3時間前に頂上で震えていたのが嘘のように強い日差しが暑くて思ったよりも水を多く消費したため底をついてしまいました。八合目を過ぎた辺りから自動販売機や売店を探しながら歩いたのですが何処にもありません。八合目の須走口山小屋江戸屋で購入すべきでした。

飲み水がなくなると急に気力が萎(な)えそうになります。期待した六合目にも売店はありません。あとは着実な足取りでゴールの五合目を目指すだけと心に決めました。残り1.2kmほどの吉田口へ向う道との分岐点辺りで湧き水「泉ヶ滝」に目が行きましたが「飲み水」の表示はありませんから空のペットボトルに水を注ぐことは断念しました。

 

2009_08130042 昨年と同様、前方に馬車が待っていました。別の登山グループを引率するガイドさんが馬車に向って「何名か乗りたい人がいるよ」と叫んでいます。「ここにも一人居るんだけれど・・・」と心の中で呟きました。昨年は膝を痛めても何とか歩き切りましたから今回も妥協はできませんが、本当は1分でも1秒でも早く水が飲みたかったのです。喉だけではなく口の中全体がカラカラになったようです。何故か映画「アラビアのローレンス」のシーンが頭に浮かびました。井戸の水を盗み飲んだベドウィンの男を別のベドウィンの族長(オマー・シャリフ)が射殺したシーンと夜の行軍で迷子になったベドウィンの若者をローレンス(ピーター・オトゥール)が灼熱の砂漠に戻って連れ帰ったシーンです。

 

2009_08130313 そんな衝撃的・感動的なシーンを思い浮かべながら昨年と同様になだらかな上り坂を黙々と歩いて、4時間半を少し越えましたが、無事にゴールインできました。8合目までを駆け下りた昨年はリタイヤー寸前になりながら4時間で下り切ったことに比べれば30分余りも遅いのですがまずまずの結果です。やはり兎は亀に負けないのです。(エコ登山を無視した苦しい理屈ですが・・)

 

下山途中に気が付いた反省点は、9合目から頂上までの岩場を急ぎすぎて足に疲労が溜まったことと、下り坂を歩く歩幅を小さくすることだけに気を奪われて膝に負担の大きい(悪い)歩き方をしたことの2点でした。そして変な歩き方を試して親指を痛めた(血豆を作る原因になった)ことも五合目の休憩所で見つけました。これは言い訳ですが、今回は5本指が分かれた薄手のソックスを同居者が準備してくれたことが事態を悪くしたようです。へ理屈は兎も角、まず平地での歩き方を改善することから取り組みたいと思います。そして今回は人が酸素と水で生きていることを実感した富士登山でした。

3時間ほどたっぷりと休憩を取ったあと軽く昼食を摂って12時40分にグループの集合にトップでサインアップしました。脱落者は無かったようです。次はお楽しみの日帰り温泉です。昨年と同じコースに変更しましたから温泉も同じではないかと心配しているとバスは河口湖大橋に向っています。このまま進むと御坂トンネルを経て甲府だが・・・と思っていると河口湖大橋を渡ったところを左折しました。到着したのは河口湖北岸に近い日帰り温泉「野天風呂天水」でした。

 

2009_08130316 2009_08130328 

門構えはなかなか立派です。渇きからは回復していますから、あとは汗にまみれた身体をさっぱりさせることです。

 

2009_081303192009_08130327   

2009_08130326 脱衣所の先にある内湯は思ったよりも小振りです。それにカランの数が10個足らずと少なくグループの半数は待たされる始末です。真っ先に浴室へ飛び込んだ私は大浴場と寝湯を楽しんだあとに露天エリアに移りました。こちらは岩風呂(2つに仕切られて片方が泡風呂)、歩行浴風呂、うたせ湯の3つです。いずれも湯の温度が温めで長湯には向いています。一番奥にあるサウナも小振りですが疲れた身体にはちょっと暑すぎました。泉質はカルシウム・ナトリウム-硫酸塩・塩化物泉(低張性、アルカリ性、高温泉)、泉温は45.2度でした。

〆として休憩所の座敷で生ビールを飲むことにしました。キンキンに冷えたジョッキーに注がれたビールが胃の中に入ってゆくのが分かります。もう一杯と言いたいところですが帰路はトイレ休憩がないそうですからお代わりを断念すると途端に汗が噴出しました。気が付くと休憩所には冷房がなく、開けられた窓から入る風もなく、かなりの暑さ。ここもエコでした。河口湖ICから入った中央自動車道は小仏トンネルを先頭に約11kmの渋滞が発生していました。この日からお盆の高速料金割引き(1000円均一)が始まったからでしょう。この渋滞にも係わらず5時半過ぎには西新宿に帰着できました。

 

<同居者のコメント> 本当にお疲れさまでした。今年も足を痛めたようですからもう富士山はコリゴリでしょう。来年もなんて言わないでくださいね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月22日 (土)

富士山登山: 強風でカメラが・・・

夜中の12時になるのを待って出発の準備を始めました。手洗いのあとに歯磨きをしようとすると「飲み水ではありませんから口に入れない方が良いですよ」と親切にアドバイスしてくださる方があって歯磨きを諦めました。後で考えるとペットボトルの水で口を漱(すす)げば良かったのかもしれません。防寒着に着替えた頃に電灯が点灯しました。昨日悩まされた微熱と身体のだるさはほとんど感じません。バッファリンの効果があったようです。帰宅後に調べるとバッファリンは軽度の高山病にも効果があるようです。
 

午前1時半です。御来光にはまだたっぷり余裕はありますが昨年以上の渋滞を考えて外に出ると富士吉田市の夜景が見えます。しかし強い風に吹き飛ばされた霧雨が顔を打つのが感じられました。本八合目江戸屋の前を抜けて九合目に向います。

 

2009_08130168 2009_08130170   

昨年は懐中電灯を持参しましたが手が塞(ふさ)がって不便をしましたので今年はヘッドライトを持参しました。LEDを使う最新型で単三乾電池3本で約40時間使用できる点と光のビームが絞られているのが特徴です。

 

2009_08130175 2009_08130180 

登山者の列に従ってゾロゾロと歩きます。8合5勺を過ぎるとほどなく九合目の鳥居が見えました。この頃から霧雨が降ってきたため写真に白いスポットが出てしまいました。

 

2009_08130188 2009_08130194   

その先の岩場は登山レーンと追い越しレーンの2列に交通整理されていました。体調の回復した私は迷わず追い越しレーンを快調に進みました。そのお陰で大渋滞にも係わらず2時間半で山頂に到着しました。

 

2009_08130202 2009_08130207   

御来光までまだ1時間近くありますが頂上の山小屋街はすでに大変な混雑です。山小屋に入る人と御来光を見るスポットへ向う人達が交錯してまるで繁華街を歩くようです。山小屋街抜けると須走り口頂上を通過しました。遮るものがない山頂を強烈な風が吹き抜けています。一歩一歩踏みしめながら朝日岳へ向いました。   

2009_08130214_2 東の空が薄明るくなってきました。今年も御来光を拝(おが)むことができそうです。昨年の場所より数メートル下がった場所を選びました。少しでも風の弱いスポットを期待して移動したのですが無駄な努力でした。三脚をセットして撮影の準備は完了しましたが強風に晒(さら)されていると急いで登ったことで温まった身体が急激に冷えて行くのが感じられます。そして指先が悴(かじか)んできました。
   

登頂した時に外した軍手をはめ直していると強風に煽(あお)られた三脚がカメラ(FinePix F30)と一緒に転倒してしまったのです。鈍(にぶ)い音がしたようです。慌(あわ)てて三脚を起こしました。大きな損傷はなくディスプレイも表示されていますが、念のため動作を確認をすると何か変なのです。ディスプレイには「ズームアラーム」と赤字で表示されています。ズームボタンを押してもまったく反応しません。良く確認すると2段に伸びたレンズ筒が変な角度に折れ曲がっていました。
   

2009_08130230_2 どうも1段目と2段目の軸がずれてしまったようです。御来光まで30分に迫っています。指先で軽く押してもビクともしません。撮影を諦めたくはありませんので意を決っして念力を送りながら力を入れると僅か動いたように感じました。もう一度やってみると確かに動きます。何度も繰り返しているとレンズ筒が自動的に本体内に収納されました。ズームボタンを押すと正常に動作します。もちろんアラーム表示も消えていました。

二度と飛ばされないようにカメラのストラップを握って御来光を待ちました。寒さが身に沁みます。もう一枚重ね着したいところですが・・・。地平線から太陽の上端が姿を現すと「出た~!」との声が聞こえ、私は待ってましたと何度もシャッターを押しました。
 
2009_08130243_22009_08130244_22009_08130245_22009_08130248_22009_08130250_22009_08130253_22009_08130255_22009_08130261_2 

太陽がすっかり姿を現しましたので撮影は一段落です。周囲を見回すといつの間にか大変な人だかりが出来ていました。

 

2009_08130263 2009_08130272    

御来光を無事に撮影できた安堵の気持ちに包まれて下山道へと向かう途中に火口を覗くと残雪は昨年よりも多いようです。

 

2009_08130268

2009_08130270    

朝日岳から下りると混雑する山小屋の店先に大きな雪の塊を見つけました。

 

2009_08130275 2009_08130276

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年8月21日 (金)

富士山登山: 突然の発熱

お盆が近付くとなぜか富士山に登りたくなります。昨年は河口湖口五合目から登りましたから今年は富士宮口にしようかと考えていると、7月中旬に富士宮口新五合目の駐車場で不幸な落石事故がありました。そのニュースで気をそがれてしまいもう一度河口湖口ルートの登山バスツアーに申し込みました。登山ガイドなしの山小屋で仮眠するプランです。しかし前日になって台風9号が接近したため申し込んだツアーはキャンセルになってしまいました。そこで空きのあるツアーを探すと翌12日に出発する本八合目の山小屋までガイドが付く昨年とまったく同じプランになったのはちょっと残念です。

早朝の西新宿に集合、集合時間に遅れたグループがあったため15分ほど遅れての出発です。中央高速道路はさして渋滞もなく、富士スバルラインを経由して、ほぼ予定通りに河口湖口五合目に到着しました。

 

2009_08130012 2009_08130026   

ここで合流した登山ガイドさんは登山客がピークとなる前の11時30分に出発すると告げました。出発を待つ人の波はまるで渋谷のハチ公前のような混雑です。五合目の出発ゲートを抜ける時に前を歩く二人連れの男性が気になります。ペットボトルを持つだけで登山荷物らしきものを一切持っていないようです。五合目周辺を散策する人たちかもしれません。

 

2009_08130032 2009_08130033   

一旦なだらかな下り坂になりますが既に経験済みですからウォーミングアップのつもりでゆっくり歩きます。路肩の崩落が昨年よりも大きくなっているようです。少し靄(もや)が出てきました。

 

2009_08130035 2009_08130044 

出発して30分で六合目に到着、ここからはなだらかな上りになります。

 

2009_08130045 2009_08130047   

その近くをブルドーザーが荷物を載せて唸り声を上げながら登って行きます。ほどなく雲を抜けて周囲が明るくなりました。

 

2009_08130052 2009_08130054 2009_08130062 2009_08130063   

ジグザグに折れ曲がる登山道歩いて岩場を登ると六合目から70分ほどで七合目の日の出館に到着しました。

 

2009_08130067 2009_08130071 2009_08130074 2009_08130075 

ここから長い七合目が続きます。山小屋の前で休憩している時に微熱を感じ始めました。額に手を当てると確かに熱があります。そして喉もイガラッっぽく時々咳がでます。数日前から咳をしていた同居者から風邪をもらったのかもしれません。同居者が持たせてくれた咳止めを飲んだ上にマスクをかけました。

 

2009_08130077 2009_08130081 2009_08130085 2009_08130100 

東洋館を過ぎる辺りが標高3000mポイントです。昨年は確かに標識がありましたが、渋滞の原因になるとして、今年は撤去されたそうです。山小屋が並ぶ険しい登山道を3時間近く登るとやっと八合目の元祖室に到着、標高が3250mと表示されています。

 

2009_08130126 2009_08130129   

再び瓦礫(がれき)の滑りやすい登山道になりました。ガイドさんがタイミング良く歩き方と呼吸法を全員にアドバイスしてくれました。逆ハの字に足を開いて歩くと滑り難いことと、大きく深呼吸することと鼻から息を吸って口から吐き出す呼吸法の2つです。呼吸は楽になって助かりましたが身体のだるさは増してきました。グループから脱落しないようにするのが精一杯です。

 

2009_081301352009_08130134   

雲海がずっと下の方に見えるようになると本八合目の富士山ホテル(最大400名収容)へ5時前に到着、標高も既に3400mです。昨年宿泊した山小屋「本八合目トモエ館」のすぐ近くです。脱落者が出た昨年は本八合目に到着した時間が7時であったことに比べるとかなり速いペースです。ガイドさんはこのまま下山して明日も別のガイドをするそうです。その元気さに圧倒されるとともにガイドさんが急いだ理由に得心が行きました。

 

2009_08130144 2009_08130156 

風が少し出て来ました。5時半頃に早い夕食です。ハンバーグ入りのカレーライスは昨年と同じでした。翌日の好天を願いながら6時過ぎには蚕棚(かいこだな)で横になりました。昨年休憩した本八合目トモエ館と同様に蚕棚が狭いのは止むを得ません。しかし今年は山小屋内が異常に蒸し暑くて身体を休めるだけになりました。咳止めの薬は効果がなかったようなので解熱鎮痛剤のバッファリンを服用しました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月12日 (水)

旧東海道ドライブ旅(浜松から豊川まで 最終回): 赤坂宿

御油宿の出口と次の36番赤坂宿の入口はわずか600mしか離れておらず、御油の松並木を抜けるとすぐ赤坂の見付跡がありました。

 

2009_08040276 2009_08040278   

その先の関川神社の楠は推定樹齢800年、高さ約26mで天然記念物に指定されています。「夏の月御油より出でて赤坂や」という芭蕉の句碑もありました。御油宿と赤坂宿の距離が近いことを詠んだ句だそうです。

 

2009_080402832009_080402812009_080402802009_08040285   

再建されたと思われる高札場跡、本陣跡の標識などが解り易く設置されており、宿場の整備に力が入っていることが分かります。

 

2009_08040286 2009_08040288 2009_08040289 2009_08040292 

この宿場の大きな旅籠であった「大橋屋」、陣屋入口址の標識、聖徳太子を祀った正法寺が続きます。大橋屋は現在も旅館を営業しているようです。

 

2009_08040296 2009_08040297 2009_08040298 2009_08040300   

休憩処に建てられた真新しい赤坂宿の標識には江戸へ7626町、京へ4916町と表示されています。

 

2009_08040302 2009_08040304 2009_08040305 2009_08040306 

一里塚、長沢城跡、常夜灯、観世音菩薩、常夜灯が街道筋に見られました。御油宿と赤坂宿の区間では国道1号がおよそ6kmに亘って並行しているための旧東海道は県道として今も昔の雰囲気を良く残しています。それは東海道本線が三河湾沿いの蒲郡を経由するルートを取ったことでこの地域が発展から取り残されたことがより大きな理由かもしれません。

 

2009_08040308 2009_08040310 2009_08040311 2009_08040312 

2009_08040317 関谷交差点で国道1号に合流、本宿(もとじゅく)を通過すると西三河に入って藤川宿に差し掛かりましたが今回の旧東海道ドライブ旅はここまでにしました。まだ昼時を少し過ぎただけですが午後3時過ぎに別の予定が入っているからです。それまでにはまだ時間の余裕がありますから岡崎ICから東名高速道路に入らず、そのまま国道1号を名古屋に向かって走ることにしました

次回に備えて岡崎宿、知立宿(ちりゅうじゅく)、鳴海宿の下見をしながら豊明まで走ったところで時間切れになり、笠寺で名古屋高速3号大高線に入りました。いかにも名古屋らしい一直線の高速道路は約10km先の市中心部まであっという間です。

<同行者のコメント> 出発して間もなくの東名高速道路で大変な豪雨に遭いました。前がほとんど見えなくて怖いくらい。浜松から先はいつものように車内でうたた寝をしながら時々は石碑や標識を見つけてあげました。少しは役にたったでしょう! 今回は所用があって残念なことに日帰り温泉はおあずけです。運転手さんは出発が遅くなった帰路の東名高速道路を以前のようなスピードで走り続けました。エコドライブはどうしたのでしょうか? でもあっと言う間にわが家に戻れてよかったです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月11日 (火)

旧東海道ドライブ旅(浜松から豊川まで): 御油宿

旧東海道(県道496号)は白鳥5丁目西交差点で国道1号に合流、名鉄名古屋本線の陸橋を越えた国府町藪下交差点から左手の旧道(県道374号)に入ると200m先の右手に秋葉山常夜灯がありました。寿しうなぎの「だるま」の向い側にある駐車場です。

 

2009_080402502009_08040254   

旧東海道を900mほど進むと姫街道(本坂越、磐田宿の見付けと御油宿を結ぶ浜名湖北岸を経由する街道)との追分である県道368号との交差点角、竹内新聞店前に常夜灯、秋葉山三尺坊大権現道の道標と国幣小社砥鹿(とが)神社道の道標230町)が並んで立っていました。
 
2009_080402562009_08040255 
 

御油橋で音羽川を渡ると35番の御油宿(ごゆじゅく)に入ります。

 

2009_08040257 2009_08040258    

旧東海道が右に折れる少し手前に高札場があります。その近くに東京医学校(東京大学の前身)の教師ベルツ博士の妻であった花の実家跡の案内板を見付けました。

 

2009_08040259 2009_08040260   

県道374号に戻った株式会社イチビキ第一工場角に本陣跡があり、さらに飯盛り女の墓がある東林寺が続きます。

 

2009_08040261 2009_08040262 2009_08040263 2009_08040265 

御油宿の松並木は天然記念物に指定された旧東海道を代表する松並木のひとつで、御油ノ松並木記念碑から約600mの距離に約350本もの松が今も残っています。

 

2009_08040268 2009_08040270 2009_08040271 2009_08040272   

小川を渡りました。ここが御油宿の出口のようです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月10日 (月)

旧東海道ドライブ旅(浜松から豊川まで): 吉田宿

国道1号で伝馬町交差点を過ぎました。地名から吉田宿に入ったのかと思いましたが関係はなさそうです。東八町交差点の北東角に立派な秋葉山常夜灯がありました。東八町交差点付近にあった東惣門から東海道五十三次で34番目の宿場である吉田宿ですが、ここから旧東海道は七曲と呼ばれた吉田藩吉田城下の複雑なルートを取ります。

 

2009_08040200 2009_08040204   

道筋を辿って東八町交差点を左折した最初の路地に入りたいところですが、車は進入できませんので、鍛治町交差点まで進んで右折、旧東海道に合流して鍛治町の商店街に入ります。旧東海道はさらに曲尺手町(かねんてちょう)でくすのき通りへ左折、最初の信号を右折します。中央分離帯の植え込みに吉田宿の標識を見つけました。

 

2009_080402062009_08040208    

呉服町を抜けて国道259号と交差する辺りに問屋場跡(札木町のNTT前の車道側)と「うなぎの丸よ」の前に本陣跡がありました。市電の札木駅近くです。清須屋と江戸屋の本陣があったそうです。

 

2009_08040214 2009_08040213 2009_08040216 2009_08040217   

2つ目の信号(松葉公園の角)を右折した上伝馬町を北上して国道23号と交差する場所に西惣門のモニュメントがありました。ここまでが吉田宿だったそうです。

 

2009_08040219 2009_08040223 2009_08040224 2009_08040225   

国道23号を過ぎた最初の信号を左折、船町交差点を右折、豊橋(とよばし)で豊川(とよがわ)を渡りました。昔は豊川が吉田川と呼ばれ、豊橋も吉田橋だったそうです。ちなみに少し上流に架かる国道1号の橋が吉田大橋で、地名の豊橋(とよはし)は明治に入ってから命名されたものです。

 

2009_08040227

2009_08040230 

2009_08040231 豊橋北交差点を左折した県道387号は次の御油宿(ごゆしゅく)へ向かう街道であることから御油道とも呼ばれます。豊川稲荷遥拝所の石碑と御油道の道標を見つけました。旧東海道は県道496へ反れて北西に向かいますが国道1号も200-300mの間隔を保って豊川市(とよかわし)へ向かって一直線に伸びています。

豊川放水路を高橋(たかばし)で渡る手前で小坂井町に入ります。名前の通りに高い堤防を越える橋です。高橋(たかはし)と言えば苗字をまず連想しますが橋の名前にも存在したことは小さな発見でした。

 

2009_08040233 2009_08040234   

JR飯田線の踏切を越えた四つ角のすぐ先にある秋葉神社に常夜灯を見つけました。

 

2009_08040237 2009_08040235 

明光寺門前に小さなお堂と常夜灯が並んでいます。

 

2009_08040238 2009_08040241 

伊奈村立場茶屋加藤家跡(俗称茶屋本陣跡)は吉田宿と御油宿の中間にあたり、立場茶屋が設けられたので、茶屋の地名ができたと説明されていました。明治遷都の時に明治天皇が加藤家でご休憩になられたことも書かれていました。佐奈川を渡ると豊川市に入ります。

   

2009_08040244 2009_08040246

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月 9日 (日)

旧東海道ドライブ旅(浜松から豊川まで): 二川宿

2009_08040159 旧東海道は県道173号(旧国道1号)に吸収されて境川を渡りました。この先は愛知県豊橋市です。一里山東交差点で国道1号に合流、右手に東細谷一里塚があったようですが行き過ぎてしまいました。

国道1号のなだらかな下り坂を3km余り走ると東海道新幹線が近づいて来ました。二川(ふたがわ)ガード南交差点で右折して(北にそれて)新幹線のガードを潜って梅田川(境川の下流)の筋違橋と東海道本線の踏み切りを渡ります。旧東海道を示す標識がありませんから注意しないと行過ぎてしまいそうです。

 

2009_08040162 2009_08040165   

交差点角(川口屋脇)に二川一里塚跡(江戸から72)がありました。川口屋さんは東海道五十三次の33番二川宿の案内所を兼ねているようです。

 

2009_08040167 2009_08040170 

宿場らしい町並みが西方へ続いています。八幡神社と小川を過ぎると醤油と味噌を製造販売する東駒屋の趣ある建物が目に入りました。

 

2009_08040171 2009_08040172 2009_08040173 2009_08040174   

そのすぐ先に新橋町の桝形があり、50mほど先には最近整備されたと見られる二川宿まちなか公園があります。角に東問屋場跡碑が立っています。

 

2009_08040176 2009_08040180   

二川宿本陣(馬場家本陣、隣に本陣資料館と復元された高札場)と脇本陣があります。

 

2009_08040183 2009_08040184 2009_08040187 2009_08040182   

中町の枡形角に高札場跡、少し先に西問屋場跡JR東海道本線二川駅の少し手前に立場茶屋跡もありました。二川宿には今も古い町並みが残っていました。

 

2009_08040189 2009_08040192   

2009_08040193 火打坂交差点で県道3号を横切って旧東海道はなだらかな上り坂(東三河環状線)になりました。500mほど坂を上った信州庵大岩店(蕎麦屋)から旧東海道は岩屋緑地に沿って左手に入りますが現在はガーデンガーデンの敷地になっていますから大岩町北交差点を左折することになります。旧東海道を地図で確認した時に奇異な印象でしたが道筋が変わっていたのです。

2009_08040194 なだらかな下り坂となって旧東海道(東三河環状線)は真っ直ぐ伸びています。路傍に真新しい石の標識を見つけました。松並木の最後の松(枯れたため20072月に伐採)があったことを記念して同じ年の11月に建てられたものだそうです。

飯村一里塚跡がある殿田橋交差点近くで国道1号と合流して吉田宿へと向かいます。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年8月 8日 (土)

旧東海道ドライブ旅(浜松から豊川まで): 白須賀宿

2009_08040118 湖西市に入りました。右手の山の上に大きな風車が旅人を迎えるように聳(そび)えています。支柱に浜名湖CCと書かれているのはゴルフ場が建設した風力発電施設(平成17年竣工)であるためでした。高さが約99mで、風車の直径が60mもある本格的なもので、1000キロワットの発電能力があるそうです。

 

旧東海道は蔵法寺を過ぎて国道42号と合流する手前を右折して潮見坂を上って行きます。その曲がり角に白須賀宿(しらすかじゅく)の標識がありました。

 

2009_08040119 2009_08040121   

急坂を上り切った辺りで東海道五十三次32番の白須賀宿に入ります。白須賀宿歴史拠点施設「おんやど白須賀」、潮見坂公園、明治天皇御聖跡碑、白須賀小学校と白須賀中学校の脇を通り過ぎました。

 

2009_08040122 2009_08040123 2009_08040124 2009_08040127   

曲尺手(かねんて、枡形)、再建された東伝馬、本陣跡、脇本陣跡を抜けます。

 

2009_08040130 2009_08040132 2009_08040133 2009_08040137

 

潮見坂の下にあった白須賀宿は津波の被害を受けて当初の場所より山寄りの高台へ移転したことが説明されていました。潮見坂の下に元町の地名がありましたからその辺りだったのでしょう。旧国道1号(現在の国道42号)と国道1号(潮見バイパス)は潮見坂を大きく迂回しており、東海道本線もこの急坂を列車が上れないとして浜名湖沿いに北上した鷲津を経由するルートになったため、白須賀は発展から取り残されたそうです。そのため昔の宿場の風情を今に残しています。白須賀宿の古い家にはそれぞれ屋号を書いた看板があるのを珍しく見ながら散策しました。

 

2009_08040138 2009_08040152   

白須賀宿を抜けた旧東海道は県道332号を横切って白須賀宿の加宿である境宿へと入ります。住宅地に火防樹の槙(まき)が残されていました。
 
2009_08040149_22009_08040141_22009_080401562009_08040154 

天保12年(1841年)に再建されたと伝えられる庚申堂(こうしんどう)に大きな三猿(さんえん)「見ざる、聞かざる、言わざる」の置物が並んでいました。奥にも四猿(しえん)が置かれています。孔子の論語にある「非礼視るなかれ、非礼聴くなかれ、非礼言うなかれ、非礼動くなかれ」であることを帰宅後に知りました。ちなみに4番目は「礼に外れたことで行動するな」の意。日光東照宮神厩舎の三猿が有名になったことで四猿の方は忘れ去られてしまったようです。

 

2009_080401432009_08040148 2009_08040144 2009_08040145

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2009年8月 7日 (金)

旧東海道ドライブ旅(浜松から豊川まで): 新居宿

舞阪宿から新居宿へ向かう車は国道1号を経由する必要があります。弁天橋を渡った弁天島の海浜公園から赤い鳥居と浜名大橋が望めました

 

2009_08040084 2009_08040082   

さらに中浜名橋西浜名橋を渡りました。浜名湖には浜名湖競艇場があって新居関跡周辺も家並みが建て込んで当時の様子を窺うことはできません。新居関は今切の渡しの渡船場と関所を兼ねていたそうです。現代の空港のようにイミグレーションの機能があった旧東海道でも珍しい施設です。

 

2009_08040087 2009_08040085 

脇道を少し南に入ったところに船囲い場跡の碑が立っていました。

 

2009_08040092 2009_08040090   

旧東海道に戻って31番の新井宿場内を西へ進むと旅籠紀伊国屋跡に真新しい資料館が出来ています。

 

2009_08040097 2009_08040099   

次の泉町交差点の周辺に疋田八郎兵衛本陣跡と飯田武兵衛本陣跡がありました。

 

2009_08040095 2009_08040094 

旧東海道はここで左に折れて南下します。寄席馬跡新居一里塚を過ぎた枡形近くに棒鼻跡(駕籠の先棒の意から転じて駕籠かきが集まる場所、宿場の出入り口)がありました。

 

2009_08040093 2009_08040101 2009_08040103 2009_08040105   

橋本交差点でいったん国道1号に入り、次の橋本西交差点で右手の旧道に入りました。昭和62年に再生された松並木が続く路傍に紅葉寺(もみじでら)跡の標識、藤原為家の歌碑「風わたる 濱名の橋の夕しほに さされてのぼる あまの釣船」、立場跡(たてばあと)が続きました。立場とは旅人や駕籠かきなどが休息する施設です。旧東海道の路傍に「浜名旧街道」と表示された今風の看板を見かけました。

 

2009_08040108 2009_08040109 2009_08040110 2009_08040114   

明治天皇御野立所址は明治元年に明治天皇が京都から東京へ行幸(ぎょうこう)された折、豊橋吉田宿から新居宿へ向かう途中に休憩した場所と説明されています。

   

2009_080401152009_08040116

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月 6日 (木)

旧東海道ドライブ旅(浜松から豊川まで): 舞阪宿

オチビちゃんたちが大阪へ帰って行きましたので東海道五十三次を巡るドライブ旅を続けることにして東名高速道路の浜松ICから国道152号を市街地に向かいました。前回見逃した馬込・向原の一里塚跡をまず確認しなければなりません。浜松東警察署近くの場所を確認していますから今度は迷うことはないはずでしたがやはり見つかりません。道路の斜向かいで店先を掃除する年配の方にお尋ねすると一里塚の小さな標識が植え込みにあると教えて下さいました。しかし何かの理由で撤去されてしまったようです。

連尺交差点で国道257号にそれてJR東海道本線と東海道新幹線を潜って鎧橋(よろいばし)を過ぎると中津川保険事務所の駐車場脇に若林一里塚跡碑がありました。江戸から66里の地点です。東若松交差点で国道が西へと方向を変えた若松町にはわずかですが松並木が残っています。熊野神社の前に高札場跡の標識がありました。

 

2009_08040027 2009_08040034   

日本生命の営業所近くで堀江領境界石の標識を見つけました。この地点までが浜松藩領だったようです。旧東海道は篠原に入ったところのY字路を右にそれます。洋品店スギオの斜め手前の住宅地内にある篠原の一里塚跡を過ぎると旧街道らしい真っ直ぐな道が続き、舞阪駅南入口交差点の先から見事な松並木が続きます。

   

2009_08040035 2009_08040036 2009_08040038 2009_08040047   

舞坂橋跡浪小僧の像の先で国道1号と交差すると30番目の舞坂宿(現在は舞阪宿と表記)に入ります。

 

2009_08040051 2009_08040052   

見付跡から道幅が狭くなりました。その先には舞坂一里塚跡と常夜灯が左手にあり、その向かい側には新しく作られた一里塚跡碑と舞坂宿の案内があります。

 

2009_08040059 2009_08040060   

宝珠院の前に仲町の常夜灯があり、その先には舞坂宿本陣跡碑と平成9年に復元された脇本陣が向かい合っています。道が浜名湖で行き止まりになりました。

 

2009_08040067 2009_08040068 2009_08040069 2009_08040070   

交差点の脇に今切の渡しの本雁木(ほんがんげ)跡の案内板があります。雁木とは船着場だそうです。西町の常夜燈が左手に立っていました。

   

2009_08040071 2009_08040073 2009_08040075 2009_08040076   

本雁木の北には北雁木、南には渡荷場(とうかば)と計3つの渡船場があったと説明されています。

 

2009_08040077 2009_08040079 

旧東海道はここから今切の渡し(海路)で次の新居宿へと向かいます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年7月 | トップページ | 2009年9月 »