旧東海道ドライブ旅(岡崎から熱田まで): 宮宿
旧東海道(県道222号)は笠寺一里塚に差し掛かりました。江戸日本橋から八十八里です。東側(右手)の一里塚だけが残っており一里塚に茂る榎の巨木が見事です。
一里塚の400mほど先に笠覆寺(りゅうふくじ、笠寺観音)があります。真言宗の名刹で名古屋二十一大師霊場第十六番、尾張四観音のひとつです。天平年間(729年から)に禅光(あるいは善光)上人が開基した寺(当初は小松寺と呼ばれた)で十一面観世音が安置されています。多宝塔を過ぎて西門を出ると笠寺商店街に出ました。
旧東海道(県道222号)を挟んだ山門の反対側に玉照姫泉増院があります。小松寺の開基からおよそ200年後のこと、長者の家に仕える美しい娘が荒れ果てたお堂で雨に濡れる観音様を可愛そうに思い自分の笠をかぶせたところそのご利益か、後日関白・藤原基経公の息子である中将・藤原兼平公がその娘を見初めて妻(玉照姫)に迎えました。兼平公と玉照姫は結ばれた縁を観音様に感謝して大きな寺を建立、小松寺を改めた笠覆寺(笠寺観音、笠寺)と地名の由来になったと説明されていました。
笠覆寺の西門前は一方通行ですから車は手前で左折して名古屋環状線の笠寺西門南交差点を経由する必要がありました。旧東海道へ戻って名鉄本笠寺駅近くのガードを潜ります。建て込んだ地域を通過して山崎川の呼続橋を渡ると旧東海道は左手に向います。松田橋交差点で名古屋高速空港線を潜ると国道1号に合流しました。
JR東海道本線を陸橋で越えて新堀川の新熱田橋を渡ると熱田区に入ります。国道1号の道幅が急に広くなりました。旧東海道はその手前の内浜交差点から陸橋に入らず熱田橋を渡りますがその先は一方通行で進入できません。名鉄河和線のガードを潜ったところに伝馬町一里塚跡、伝馬町の商店街、ほうろく地蔵などがあるようですが今回はパスすることにします。いよいよ東海道五十三次の41番目、宮宿(宮の宿、熱田宿)です。国道1号の伝馬町東交差点と伝馬町交差点を過ぎた熱田神宮南交差点を左折して国道247号に入りました。この交差点を右折すると熱田神宮、旧東海道はこの交差点の少し南を同様に左折して七里の渡しへと向います。
旧東海道は国道247号を斜めに横切って路地に入りますが車は右折できませんから内田橋北交差点を経由する必要があります。右手に脇本陣格の旅籠屋の跡に建つ丹波屋住宅(市有形文化財)と明治中期に建てられた元料亭の熱田荘が並んでいました。

道路を挟んで「宮の渡し公園」が広がっています。ここが七里の渡し舟着場跡です。
復元された熱田常夜灯と時の鐘が船着場の雰囲気を醸し出しています。
七里の渡しは宮宿と桑名宿を海路で結ぶ旧東海道で唯一の区間です。その距離が七里(所要時間は約4時間)であったことからその名があります。陸路でないのは両宿の間は木曽川・長良川・揖斐川の河口に近く湿地帯であったためでしょう。織田信長が鎮圧に梃子摺(てこず)った長島一向一揆の拠点となった長島城や願証寺がある長島は湿地帯であったことを何かで読んだことがあります。事故や犯罪が起こる可能性のある海路を避けるため脇往還(街道)として佐屋街道があったそうです。愛西市佐屋宿までは陸路でその先はやはり三里の渡しで桑名宿に向ったとのことですが、海よりも天候に左右され難(にくい川を利用するこちらのルートの方が安心だったようです。
この宮宿を今年5月中旬に三島市の三嶋大社から始めた東海道五十三次を辿る長いドライブ旅の終点とすることにしました。旅の無事を感謝して熱田神宮に参拝するため宮の渡し公園から旧東海道を逆に辿ると、先日は混雑のためにうなぎ料理の「ひつまぶし」を諦めたあつた蓬莱軒の前に出ました。裏手の駐車場に本陣跡の案内板があったことを思い出します。その説明によると2箇所あった本陣は赤と白を付けて区別され蓬莱軒裏にあったのは赤本陣(西本陣)の方で、戦災によって遺構はまったくないことも書かれていました。ちなみに白本陣(東本陣)は伝馬町の中ほどにあったそうです。



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