無駄とは?
無駄について考えました。辞書には「役に立たないこと」「効果・効用がないこと」と説明されています。語源を調べると、無駄の「駄」は馬に背負わす荷の意味ですが、無駄とは荷が無くて馬が余っている状態であるとする説がありました。つまり有益ではない部分を指すのです。駄目(だめ)と言う言葉もあります。これは囲碁用語、双方の境界にあってどちらの地にも属さない場所を指し、ここに石を置いても自分の地にならず無駄になることから、やっても無駄なこと、してはいけないことを意味するようになりました。
現在、新しい政権下で無駄を排除するために予算の見直が行われています。無駄を無くすことについては誰しも総論では賛成するのでしょうが、無駄とは何かについては意見が分かれるようです。当事者や関係の深い人たちは無駄ではないと主張します。短期的な視点か長期的な視点かでも見方が異なります。インターネット記事の中には自動車のハンドルに遊びがあることになぞらえて「徹底した無駄排除は硬直した社会を造りかねない」とする的外れな見方や、例え無駄であっても「景気浮揚効果があれば良い」とする乱暴な意見も見受けられます。非論理的で情緒的な意見だと思います。しかし明らかに無駄と分かる支出であってもそれで恩恵を受ける人たちには決して無駄ではなく既得権あるいは死活問題と考えるでしょう。限られた予算を有効に使うために総花的な考えを廃して優先順位付けするのが政治だと思います。
時間軸の視点も重要です。効率化の判断には社会環境や経済情況が変化することを考慮する必要があります。身近な例ですが、個人が手持ち資金を金融商品に投資するとします。見込み利回りの高い金融商品を選べば資産を最も効率良く増やすことが出来るはずですが、長期に亘(わた)って経済環境(利回り)が変わらないことが前提条件です。しかし高利回りには高いリスクが伴うのです。単利と複利でも後者の方が計算上は中長期で利回りが有利になるはずですが結果がその通りになる保証はありません。投資評論家と称する人が毎月分配型(単利)の投資信託が不合理であると指摘したのを覚えています。しかしこの見方は一面的です。利息を元本に自動的に組み込む再投資型(複利)は投資額と利息の両方が基準価格の変動に影響されます。このリスクを回避するには毎月分配型に投資しておいて基準価格の上昇局面が続くようであれば利息を再投資に回せば良いのです。ただし手数料や課税を考慮した最終利回りで判断する必要はありますが・・・。
ビジネスでも同様です。10年ほど前から「選択と集中」が企業経営に重要であると喧伝(けんでん)されましたが、これもハイリスク・ハイリターンの経営戦略ですから最良とは限らず、市場環境が変われば最悪の選択だったことになり兼ねません。飛ぶ鳥を落とす勢いだった企業が数年後に凋落する事例は事欠きません。やはり長期的な経営理念に基づいた俊敏な経営判断が不可欠だと思います。個人も同様で、気紛れではなく自分の価値観に従って行動する必要があると思います。流行に流されないことが重要でしょう。例えば、商品を購入する時には、選択を急がず慎重に良いものを選び、出来るだけ長く使うことが良いと思います。「今がお買い得」などと言うキャッチコピーに惑わされないことです。つまり無駄とは自分の価値観に合わない物(事)へその時の流行や物珍しさで飛びつくことだと思います。そして物を所有することが目的ではなく、それを長く楽しむことを目的とすれば、自ずと無駄が減るのではないでしょうか。
身近な例でもう少し説明します。外食や買い物の回数を減らすことも生活から不要不急の出費を排除するうえで有効かも知れませんが、そればかりでは息が詰まりそうです。むしろ毎日あるいは毎月継続する出費を押さえることが効果的であり、逆に収入はスポット的なものでもコツコツと努力して得ることが良いと思います。定期収入が増えることや一発勝負の宝くじに当選するのは確かに嬉(うれ)しいことですが、いずれも現実には可能性が低いでしょう。やはり当ブログの記事「お金は大事」で紹介した上杉鷹山が言う「入るを量りて出を制す」の精神が大事だと思います。
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