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2009年10月 2日 (金)

英語を学ぶ

国連総会における鳩山首相のスピーチをテレビ・ニュースで観て思うことがありました。国連加盟国に概ね好評であったチャレンジングなCO2削減目標(2020年までに1990年比で25%削減)とともに鳩山首相の英語にも注目したのです。流暢(りゅうちょう)とまでは言えませんが、アメリカの大学院に留学されただけあって、きちんとした英語を話されたことです。外交の場では母国語でスピーチすべきとする意見もありますが、フランスや中国の元首などが母国語でスピーチするのと異なり、英語で話されたことは良かったと思います。聞く人に話し手の想い(感動を与える)と人となり(品格)が伝わる効用があるからです。ちなみにフランス語と中国語は英語・ロシア語・スペイン語・アラビア語とともに国連での公用語です。戦勝国である常任理事国(米・英・仏・露・中)の言語と母国語とする国が多いスペイン語とアラビア語が採用されたようです。

鳩山首相のスピーチを聞いていて何故か、同様に海外留学経験がある前首相のことに思いが至りました。昨秋の国連総会での演説は冒頭(約10秒間)のみ英語でしたがお世辞にも上手いとは思えません。日本語と同様に聞き取り難く、また日本語を直訳したような奇妙な表現もありました。英語を話す能力は語学力そのものですから母国語である日本語の水準を超えることはまず無いと言っても良いでしょう。つまり日本語や英語に限らずコミュニケーション力の弱いスピーチは有用ではないと思うのです。

前置きはさておき、私と英語の関係を振り返ってみます。教育熱心な両親の影響で小学校の時は書道と珠算の塾に通った私は、中学に入ると英語塾に通うことができました。今では珍しくないことですが50年前の日本では稀(まれ)なことだったのではないかと思います。ましてや経済的に余裕のなかったわが家では困難だったはずです。その経緯を憶えていませんが私が無理にねだったのでしょう。その成果は如実に現れて英語が私の得意科目になりました。しかし進学した隣り町の高校(県下一の進学校)で最初の洗礼を受けました。中学の英語の試験でほぼ満点を取るのが当たり前だった私ですが最初に受けた試験で50点も取れなかったのです。井の中の蛙(かわず)であった私は大変なショックを受けて英語との格闘が始まりました。当時の高校生に必携の「赤尾の豆単」(旺文社の英語基本単語集)を端からはしまで暗記するとことに努めて、3年間で6000語近くを覚えました。そしてイディオム(慣用句)も手当たり次第に記憶しました。このお陰で大学受験では英語科目を難なくクリアーできました。

英語の読み書きを出来るようになった私ですが英語での会話はほとんどできません。そこでデパートの配達や家庭教師などのアルバイトで得たお金を使ってYMCAの英会話学校に通うことにしましたが、その成果を確認出来ないうちに就職のため上京しました。会社生活にも慣れた2年目から自由が丘の英会話個人塾(英国人の先生)に通い始めましたが相変わらず上達は遅々としたものだったと思います。思い切ってリンガフォンの英会話教材(レコードとテキスト)を1ヶ月分の給料を叩(はた)いて購入したもののやはり手応えがほとんど感じられません。その後、社内教育の一環として英会話の初級から上級までのコースを受講した私は少しずつですが手応えを感じ始めたことを覚えています。長い時間を掛けることではなく集中して学習することが上達の秘訣であることも知りました。そして最初の試練(チャンス)が訪れました。

30歳になった時に始めての海外出張をすることになったのです。私が設計したシステムの契約交渉が目的です。東南アジアの某国に向かった私は1ヶ月に亘(わた)る交渉を通訳なしに英語で行ったのです。交渉相手の責任者は父親の年齢に近い人で英国留学の経験があったようです。その人との触れ合いが私に英会話に必要なことを教えてくれました。テクニックではないのです。自分の考えを相手へ真摯(しんし)に伝えようとする熱意の重要さです。この経験が私にとって大きな自信になりました。東南アジアの国々だけでなく、英語を母国語とする国でも多くのことを学びました。英語と米語の違いや東南アジアに固有の英語があることなど英語の多様さです。

自信がつくと英語への関心がさらに深まり、米国の映画は英語モードで観ました。そしてFENのラジオ放送(旧極東放送、現在のAFN米軍放送)を聴いたり、、アマチュア無線での交信もラバースタンプ(ゴム印、決まり文句)だけではなく雑談をするように努めました。しかし英語圏のある国で招待された知人宅では小さな子供が「どうしてこの人はあんなにゆっくり話すの?」と父親に言うのを漏れ聞いてショックでした。当時は英語を正確に話そうとしていたため会話のテンポが遅かったのです。それでもしばらくすると大勢の前で英語によるプレゼンテーションが出来るようにまでなりました。そして40歳台前半の5年間を過ごした米国でさらに英語は上達したようです!? ここでも最初は試練が待ち受けていました。マクドナルドのカウンター(ドライブスルーはもちろんのこと)で私の注文が店員に通じないのです。訛(なまり)の強い地方だったこともありますが、私の英語はテンポが遅すぎて相手にされなかったのでしょう。滞在中にそのテンポも少しずつアップしたようです。

苦節40年で英語を不自由なく話せるようになりましたが日本語訛(なまり)はとうとう抜けませんでした。これまで50年に亘(わた)る英語との付き合いは現役を退いた今も続いています。英文資料を調査・分析してレポートを作成したり、英文ニュースの要旨を日本語でまとめる仕事に生かされているだけでなく、時々再会する海外の友人との会話も英語で楽しめます。不思議なことですが、英語との付き合いが長くなるほど、日本語への関心も強くなりました。言葉は生きている存在であることが興味深いのです。そして英語を学ぶことは手段であることを再認識、「英語を学ぶ」ではなく、「英語で学ぶ」ことに本当の楽しさがあることを最近になって知りました。

予定より1ヶ月ほど遅れて9月23日に放送されたNHKドラマスペシャル「白洲次郎」(最終回 ラスプーチンの涙)を観ました。半年間も待った甲斐がある優れた最終回でした。

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