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2009年11月に作成された記事

2009年11月30日 (月)

今年も光明寺へ

丹波から京都駅へ戻る途中に道草です。京都縦貫道の始点、沓掛ICを出て長岡京市へ向かいました。昨年訪れて感激した光明寺の紅葉をもう一度見たくなったのです。西京区の柿畑と竹林を抜けると見覚えのある場所に出ました。連休最終日の光明寺付近は大変な混雑で駐車場も一杯。同行者を車に残して光明寺の参道へ向いました。

 

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総門前に「浄土門根元地」と書かれた石碑があります。法然上人がはじめて「南無阿弥陀仏」のお念仏の教えを説かれた場所です。色付き始めた紅葉を求める人の波が続きます。一週間後の11月末が見頃のようです。

 

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同行者が待っていますから総門から境内に入るのは諦めて総門前の安楽院だけを訪ねることにしました。庭の美しい苔と紅葉のコントラストが美しい。その庭を眺めながらお茶を楽しむ人達が居ます。

 

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京都駅に立ち寄りました。駅ビルの11階から市内が一望できます。

 

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遅めの昼食を摂ることにして専門店街を歩くと何れの店にも待ち行列が・・・。一番奥に近い京都麺飯炒房「ハマムラ」を選びました。私と同行者はともに「海老ワンタンの香港麺」を注文しました。名前に惹かれたのです。そしてサイドメニューから揚げ餃子も。和風のラーメンとは違うまた食べたくなる美味しさで、香港で食べた細い麺の食感とさっぱりした出汁の味を思い出しました。新・都ホテルの先に東寺が見えます。

 

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<同行者のコメント> よほど光明寺が好きなのですね。このお寺の紅葉は確かにきれいですが私は一度見れば十分です。旦那さまが選んだハマムラの中華麺はとても美味しかったです。オチビちゃんたちはこの麺と豚マンに夢中!□

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2009年11月29日 (日)

七五三詣り

山間の道を走って大原神社(おおばらじんじゃ)に到着しました。二年前にオチビちゃんの三歳の宮参りをした神社です。関西地方では男の子も三歳で髪置(かみお)きの宮参りをすることをその時に知りました。

大原神社のhpによれば、仁寿2年(852年)に創建され、累代藩主の庇護を受け公卿諸侯の尊崇を仰ぎ、とりわけ綾部藩主九鬼侯の崇敬篤く、現在の広壮なる社殿は寛政8年(1796)に再建されたものだそうです。また拝殿唐破風の「龍の丸堀り」等の彫刻は見もので、京都府有数の絵馬を所蔵する芽葦の絵馬殿とともに京都府の指定文化財に指定されているとのこと。御祭神は伊邪那美命(いざなみのみこと)、天照大日霎命(あまてらすおおひるめのみこと)、月読命(つきよみのみこと)。安産、養蚕、五穀豊穣の神様として親しみを込めて「大原さん」と呼ばれ、大原に参詣することを「大原志(おばらざし)」と言い俳句の季語にもなっているそうです。

 

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参道の石段を上るべきですが七五三の衣装を着たオチビちゃんとコチビちゃんには大変ですから、お父さんは急坂を車で上り、茅茸屋根の絵馬殿前に車を停めました。石段を14-5段上った拝殿唐破風に「龍の丸堀り」が飾られています。大原には昔、大蛇がいて一人の青年が大蛇を退治しに行き、その髭をもって帰ったとの伝説に縁るようです。

 

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拝殿前でこどもおみくじを引いたオチビちゃんは平仮名で書かれたお告げを一所懸命に読んでいます。

 

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ご祈祷を待つ間、いつもお転婆なコチビちゃんはおしとやかな女の子になって見違えるよう。実は着ている着物はコチビちゃんのお母さんだけでなく、おばあちゃん(失礼、同居人)もお宮参りと七五三で着たものなのです。コチビちゃんのお父さん、ありがとう。

 

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拝殿に上がってオチビちゃんは袴着(はかまぎ)、コチビちゃんは髪置きの御祈祷と修祓(おはらい)を受け、千歳飴・破魔矢(はまや)と好きな玩具をいただきました。オチビちゃんは合体ロボット、コチビちゃんはお医者さんセットを手にして大喜びです。

 

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そのあとお父さんの実家に用意されたお祝い膳には立派な尾頭付きが一尾ずつ。ここでもびびり屋(怖がり)のオチビちゃんは鯛の目が怖いと大騒ぎをしています。
 
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<同行者のコメント> コチビちゃんが着てくれた着物が良く似合っていてとても嬉しいです。そして髪飾りは私の手作りでした

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2009年11月28日 (土)

奥京都の里山

京都縦貫自動車道を走りました。亀岡市を過ぎて南丹市に入ると朝霧が立ち込めはじめたのは丹後半島を一周するドライブに出掛けた時と同じ、やはり霧の多い土地柄なのです。霧と山が幻想的な景色を演出していますがドライブには支障ありません。田園風景を彩るように紅葉した山の木々が迎えてくれます。

 

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前回と異なる点も見つけました。京丹波町内で国道27号の下山バイパスが一ヶ月前の1025日に開通していたのです。京都縦貫自動車道の終点、丹波ICを出て国道9号から国道27号に反れて山陰本線と交差する辺りです。

 

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今回の目的地は丹後半島ではなく、だいぶ手前の福知山市です。オチビちゃんとコチビちゃんの二人が福知山市内にある大原神社(おおばらじんじゃ)で七五三のお宮参りをすることになったからです。その神社に向う前に丹波地方の里山に立ち寄りました。

 

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亀岡、京丹波、綾部、福知山など奥京都地域には豊かな里山が残っているようです。京都市内の艶(あで)やかな紅葉と違う黄葉が里山の雰囲気を演出していました。

 

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鯖街道(周山街道)沿いの高雄美山など観光地化された里山とは違う風情です。

 

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丹波には珍しい果物をプレゼントされました。四国や九州など南国で栽培される「デコポン」、果実の王様とも呼ばれます。ポンカンと清見(きよみ、温州みかんとトロビタオレンジの交配種)の交配種で凸(でこ)のような突起部が名の由来のようです。デコポンは寒さに弱いはずなのに何故か丹波地方でも実っていました。冬から春にかけてが旬、少し早目の試食です。硬くて厚い皮をむくと柔らかい袋が現れました。どんな味かと期待して口に入れるとちゃんとデコポンの甘酸っぱい味が広がって、四国遍路で高知県土佐市を旅した時に分旦の畑を急坂道で抜けたことを思い出します。

 

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2009年11月21日 (土)

はとバスで東京見物

夜遅くまで飲み歩いたため旧友たちと同じホテルに宿泊することにして、翌日の観光にも付き合うことになりました。早朝、ホテルの最上階から工事中の東京スカイツリー(自立式電波塔で世界一の高さを目指して634mへ計画変更)が朝焼けのなか遠くに望めました。高さがすでに200mを越えたそうです。反対方向には東京タワーが目の前に。

 

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東京駅丸の内南口のはとバス乗り場へ向いました。帰路に着くまでの時間を利用して友人達が選んだ「東京はやまわりコース」は3時間半で皇居前広場、国会議事堂、迎賓館前、六本木、東京タワー、銀座を回ります。効率が良いのですが皇居前広場と東京タワー以外は車中見物のようです。

 

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最初に立ち寄った皇居前広場は東京観光の定番のひとつです。島倉千代子さんのヒット曲「東京だョおっ母さん」(昭和32年)にも靖国神社や浅草とともに登場します。二重橋を背景に記念写真もはとバス観光の決まりごとです。楠木正成(まさしげ)の銅像まで玉砂利を踏みしめて歩きます。

 

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国会議事堂迎賓館六本木と巡っていよいよ東京タワー、スカイツリーが工事中ですが人気は昔と変わっていません。天気にも恵まれて大展望台(約150m高)から都心部はもちろん、富士山や丹沢山塊を望むことができました。ニュージーランド・オークランドのスカイタワー(東京タワーの333mとほぼ同じ328m、ガラス張りの床がある展望フロアは186m)と同様にガラスの床から覗く地上も迫力があります。大展望台1階から外階段を使って下りることにして外に出ると531段と表示されていました。

 

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階段を下りきった屋上で猿回しが始まったところでした。口上の巧みさと猿の可愛らしい仕草で足を止めました。なかなか達者な芸をこなします。

 

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土産物コーナーを抜けるとバスが待つ駐車場です。

 

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有楽町から皇居前広場に差し掛かりました。バスガイドさんが初代コロンビア・ローズさんの「東京のバスガール」(上述の歌と同じ昭和32年)を歌ってくれました。「若い希望も恋もある♪ ビルの街から山の手へ♪ 紺の制服見につけて♪ 私は東京のバスガール♪ ~~~」の歌詞に合わせて歌う人も・・・。集団就職が始まった昭和30年代初めにヒットした曲で、年配客が多いバスツアーには欠かせない歌なのでしょう。歌い終わる頃には現在修復工事が行われている東京駅丸の内駅舎前から建て替えが進む中央郵便局前を通過して短いバス旅行が終りました。

 

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何度も訪れている場所ですが「はとバス」で回っていると、上京して間もない頃、両親と一緒に皇居前広場、東京タワーや浅草を「はとバス」で巡ったことが思い出されました。もう40年近くも前のことです。

「はとバス」観光のあとは築地に移動して遅めの昼食です。選んだのは新大橋通りの市場橋交差点の近くにある「つきじ喜代村すしざんまい奥の院」。築地場外市場の外れで、新大橋通り沿いの国立がんセンターのすぐ前にありました。一階はカウンター席・テーブル席・小上がり、二階は座敷とテーブル席の大広間になっています。築地で寿司を堪能、次の機会にも元気で再会することを約束して、旧友たちともここでお別れです。
 
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2009年11月20日 (金)

ショーレストラン「六本木 金魚」

久しぶりに上京した古い友人たちと虎の門にあるホテル・オークラで軽い食事を摂(と)ったあと、近場の六本木に出かけました。六本木交差点から外苑東通りを飯倉片町方面へ歩き、瀬里名を過ぎた2本目の路地に入ると下り坂になり、右手に「金魚」の表示が見えます。紅白の縦縞模様に彩られた入口から地下へと続く階段にインパクトのあるポスターが目を惹きます。

 

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エントランスホール(待合室?)にはジャパンタイムズの紹介記事が貼られていました。「金魚」はニューハーフのダンスショーと食事を楽しむスポットなのです。

 

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少し待たされたあとステージのある奥の空間に案内されました。指定された座席に着くとボーイッシュな女性や背の高いエキゾチックな女性が対応してくれます。

 

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朱色の照明が不思議な空間を演出。さして幅が広くないステージに下がる緞帳(どんちょう)は相当の高さがあり縦長の空間を活かしたステージになるようです。

 

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ショーの間は写真撮影ができませんから私に残った記憶の断片からショーの進行を紹介します。意味不明の言葉が飛び出すことはご容赦ください。

 

                                                         

   

緞帳が上がりました。里見八犬伝のような絵が描かれたスクリーンが現れ、迫り上り舞台に載ったダンサーがロックのビート (クリックすると聴けます)に乗ってスピード感とダイナミッックさで踊ります。次いでメルヘンチックな舞台に変わって西洋人形風の衣装をまとったダンサーがコミカルに踊りながら可愛らしさを強調、美人ダンサーがロープを使ってフライイングすると緑色のレーザービームがステージと客席を縦横無尽に駆け巡ります。

2009_11150083 ステージが一転、影絵となったドラマーが3名、ダイナミックな演奏を始めました。さらにもう一人が加わり、次いで登場したブルーマンとレッドマンの小坊主が箒(ほうき)を持って踊ると、お化けのダンサーが現れて「ナンマイダー♪」を連呼、突然雨が降ってきて暗転。雨の雫(しずく)が客席最前列まで飛び散ってその場の客が慌てています。

沖縄の民族衣装を身にまとったダンサーたちが蛇味線(じゃみせん)、別名三線(さんしん)を演奏し、そして唄を歌い始めます。沖縄民謡「花」のようです。虫取り網をもった少年と少女が長く伸びた階段を下りてくる。迫り上がり舞台が頭上から降りてきました。そこへ米兵が登場・・・。退廃的な女性が二人現れて・・・。愛国婦人会の女性、防空頭巾の少女が自らの命を・・・。特攻隊員とともに戦闘機が空中に舞い上がり、傷痍軍人(しょういぐんじん)も登場。少年少女が再び現れてハイビスカスの花を持って空中に舞い上がって、遺骨箱を持った少女が・・・。

落下傘スカートの女性が2名登場、スカートを脱ぐと裸に近い姿になる。男性の衣装をまとったダンサーが二人現れ、さらに増えて群舞へと拡大。GACKT(ガクト)風のダンサーが長い布に身体を巻きつけて空中に舞い上がって演技、そして奈落へと落ちて行く。突然フラメンコダンスになり、レーザービームとともに舞台が迫り上がる。

2009_11150087_2 まるで宝塚のレビューのように華やか。強烈なビートに乗って踊ると突然パラパラに転換、色とりどりの扇子の乱舞。チアリーダー姿のダンサーが可愛らしい表情で愛想よく、登場した男装の麗人がパンタロンを脱ぐと短いパンツ姿に、衣装の早変わりが見事。雪が舞い降りて群舞に。

奇妙なダンスが始まりました。マスクを付けたダンサーたちがグラスを片手に踊る。旧共産圏某国の軍服に似た衣装のダンサーも踊る。シルクハットを被った男性とセーラー服姿の女子高生、ギロチンが登場して女子高生の片手が・・・。あやしげな群舞が続くとゾンビが空中に吊り上って闇に消える。

侍姿の二人がコミカルに踊る。果し合いか? 強風を二人羽織もどきで演出! 新聞紙や色々なものが飛んでくる。母親と赤ちゃんまでもが・・・。全てが吹き飛ばされて終わりかと思えば、もう一度最初から繰り返してとうとう決着か? まだまだ続いて、刀を持つ手が取れ宙に舞う。相手も着物を飛ばされ裸姿に、ナンセンスの極み!

幕間に小学生の格好をした子供が泣きながらたどたどしい口調で観客を沸かす話術も面白い。道行きのような男女が登場、琴を演奏する女性の横で踊る女性が、そして二人とも踊り始めると舞台が迫り上がって下から鮮やかな七色の着物姿の女性が5名登場、舞台が下りると上空からドレス姿の女性が降下、桜の花びらが舞い降りて終り。

ベレー帽と青い制服姿の女性が6名、警官のような帽子に被りなおして群舞。また雨が降り始める。客席最前列はまたもや水しぶきに覆われる。帽子が宙に飛ぶ。

長い階段ができ、西洋人形のような女性の中、白い衣装の男性が階段を下りる。軽やかなタップダンスを10名で踊ると、軽い衣装のダンサーが入れ替わってバレリーナのように舞う。タップダンサーが再登場、手拍子も。全員のタップダンスになって盛り上がる。無表情のタップが続いて急にライトアップ、フィナーレへ。

 

                                                           

 

MC(マスター・オブ・セレモニー)の浅倉南が登場してリーダーの三宮優子を紹介。その声はやはり・・・。続いて峰小鉄、高橋楓(かえで)、SHYNAなどのメンバーも、その他10名ほどは聞き漏らしました。最後に誕生月の客を舞台に上げる。一組目はスペインからの観光客、次いで日本人の男性客も、記念品のプレゼントと写真撮影でお開きに。

会場外のホールに出るとダンサー数名が客を見送ります。全員ではないのはスペースの制約があるからでしょう。タイのバンコック近くにある観光地パタヤビーチで見た同様のショーでは出口付近にダンサー全員が両側に並んで見送ってくれたため照れくさい思いをしましたが、六本木のダンサーも負けない美しさで圧倒されました。二人の美しいダンサーに挟まれた私は相好をくずしていますので罰として顔にシールを貼りました。

 

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2009年11月17日 (火)

三題噺:エジプト考古学・トピアリー・喜多方ラーメン

2009_05130159 帝国ホテルで開催された大手電話会社のフォーラムに出掛けました。情報通信技術(ICT)がテーマですが「ハイテクで探るピラミッドの謎」と題してエジプト考古学者の吉村作治氏が講演されました。一見、場違いのようですが、サイバー大学学長でもある吉村氏はICTと関係の深い人でした。ちなみに同大学はIT総合学部と世界遺産学部を有するインターネット通じて授業を行うユニークな4年制大学です。

2009_10290007 岡山県津山市で偶然食べたホルモンうどんとホルモンご飯を冒頭の「つかみ」に使い、「現地に行ってみないと分からない」ことを示唆しながら講師が話し始めました。30年前に日本へ戻った時にCTスキャンとCG技術を活用して発掘品を扱う手法を採用したことと、考古学でもっとも重要な遺跡発見に用いた電気探査が最初のハイテクであったことを紹介。電磁波を応用したピラミッド探査は100発100中で古いものと新しいもののミスマッチが当時話題になり、ロマンと夢を感じさせるこの手法は今やほとんどの考古学グループが使っていると自負。そして遺跡を発掘したあとの埋め戻しが地下鉄工事よりも大変であり電磁波探査には地球を壊さない利点があると強調します。

2009_10290003 データを用いた予測についても論を展開。経済の領域で予測が当たった試しがないのはデータの蓄積が少ないからとする一方で、過去を知る考古学は5000年の長い歴史があるのでデータ解析は有効であるとした。今の考古学では発見と発掘の結果を分類・数値化することをコンピュータがやってくれるので、その作業中に先を考えることができ、早く結論を出すことができるという。

1956年の「太陽の舟」(4500-4600年前)の大発見に続いて第二の太陽の舟を見つけようとした時に地中に埋まるものの反射を利用できる電磁波を地面に45度の角度で入射することで所在の発見につながった。しかしそれは存在の可能性を示すだけのことであり、さらに約4cmの穴を開けファイバスコープを入れて最終的に確認した。発掘作業は経済状態が悪化して一時中断したが20年契約の準備がこの10月にできた。

さらに衛星を活用することを思いつきロシアの衛星写真を東海大と協力して分析したことが1996年にツタンカーメンの大臣イパイの墓の発掘につながった。その後は手作業(つまりデジタルからアナログ)により2005年に未盗掘・未開封のミイラを発見、世界で3000人居ると言われるエジプト考古学者の中から4つの遺跡を見つけたことで表彰された。すべてコンピュータと電磁波を利用したお陰である。以前はハイテクに反対する先人も多かったが今やハイテクは常識となった。遺跡も当時の最先端技術であり、それを現代の最新技術で探すのは当然と考える。個人、国家、地球の未来を決めるのが政治で、過去の分析と反省から未来をつくることが大事であると講演を締めくくった。

講演内容の面白さとともに吉村氏の話術にも魅了されたあと会場を出て有楽町方面に歩くことにしました。東京宝塚劇場の前を抜けると右手にショッピングモールの日比谷シャンテ、その斜め向かいはイベント広場の日比谷パテオです。「大つけ麺博」が1111日まで開かれていました。人気の24店舗が週変わりで出店しているようです。

 

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私はパティオステーション前に置かれたトピアリーの方に目を惹かれました。蛙、亀、鳥、兎、などなど。ひとつひとつから作った人の発想が伝わるようで楽しくなります。

 

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日比谷シャンテ北の公開広場には東宝映画を代表するヒーロー「ゴジラ」の像があり、その銘版に「このゴジラが最後の一匹だとは思えない。古生物学山根恭平博士 1954113日」と書かれています。最初のゴジラ映画が封切りされた日のようです。千代田区の路上禁煙地区に指定されていますからこの広場も喫煙所になって・・・。

昼食の場所を探しながら晴海通りを有楽町駅方面に渡るとガード下に「喜多方ラーメン坂内」の看板が見えました。ドアを開けて中に入るとちょっとした階段の先にテーブル席とカウンター席が並び、天井がアーチ型をしているのはガード下の店らしくて良い。定番の喜多方ラーメンを注文。待つ間にも客が頻繁に出入りして人気店であることが分かります。福島県など南東北へのドライブ旅を思い出しながら肉厚のチャーシューとコシのある太めの縮れ麺、そしてさっぱりしたとんこつスープを味わいました。平日の昼時は半ライスが無料でサービスされます。ちなみに「喜多方ラーメン坂内」は喜多方ラーメン御三家のひとつである坂内食堂との協力で東京の企業が20年ほど前に始めた喜多方ラーメン専門店で、現在 全国におよそ60店舗(直営を含む)を展開しているようです。

 

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2009年11月11日 (水)

北信濃のドライブ旅(最終回): 小布施と善光寺

国道117号を南下、飯山市を抜けて中野市に入ると国道292号に変わり、志賀中野道路の下をクランク状に曲がる所から国道403号に反れ、7kmほど走ると小布施町の中心部に差し掛かりました。小布施(おぶせ)は千曲川の水運と街道の宿場として栄えた歴史ある町で栗の有名な産地でもあります。古い町並みと栗のお菓子を土産にしようとちょっと立ち寄ることにしました。
 

中町南交差点を左折すると「おぶせミュージアム・中島千波館」。おぶせミュージアムは小布施町の文化の拠点として平成4年に開館した町立美術館、そして地元出身の日本画家中島千波が寄贈した多数の絵を収蔵展示するのが中島千波館です。立ち寄った時も中島千波展が開催されていました。その先は石器時代から近代までの生活用具、農業、養蚕などの機具などを展示する町立歴史民俗資料館でした。

 

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美しく設(しつら)えられた店舗を見て歩くうちに小布施を描いた北斎の肉筆画などを展示する北斎館の案内を見つけて狭い道を辿(たど)りました。右斜め下が北斎館。

 

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北斎館前に出ると周辺には小布施らしく栗菓子の洒落た店舗が軒を連ねています。

 

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目当ての老舗竹風堂本店はその先の国道403号に面した場所です。竹風堂の駐車場入口を挟んだ向かい側の民芸品店前に置かれた巨大なカブトムシのオブジェが興味を惹きました。角にしがみつくのは赤ちゃん? 同行者もその民芸品店「自在屋」が気になったようで店内に入り、私は金属性の巨大カブトムシと木製ラクダのベンチを撮影。

 

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店内を覗(のぞ)くと、この自在屋も竹風堂の経営のようで、竹風堂の菓子コーナーも。同行者は民芸品選びを決めかねたようで栗菓子だけを買い求めました。駐車場脇で「栗あんソフトクリーム」を見つけたことを伝えると同行者は一目散に・・。この店もやはり竹風堂、同じ敷地内には中野土びな館と日本のあかり博物館もありました。

 

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小布施の中心部を駆け足で巡るだけでも予定外の時間が・・。またの機会にゆっくり散策したくなりました。町名をクリックすると小布施町のhpに入れます。

雨天のため4時になると夕闇が迫って来ました。最後の目的地長野市に向けて急ぎます。国道403号をそのまま走って須坂市経由でも行けますが、県道66号で千曲川の小布施橋を渡って国道18号に入るルートを選びました。長野市に入ると国道18号は混み始め、カーナビが北長野駅近くを通過する脇道を教えてくれました。ここはカーナビに任せることに・・・。狭い道ですが旧道のようで目的地にほぼ真っ直ぐ向っています。広い道との交差点に「善光寺は右折」との案内標識がありました。

鋭角に左折して坂を上った城山公園脇を下りて城山公園交差点を右折、城山公園西交差点を左折すれば善光寺の第3駐車場でした。経験から第1駐車場が一番近いはずですがそれを探している時間はありません。小雨が降り続く歩道を善光寺北交差点まで歩くと第1駐車場が見えました。やはり100mほど余分に歩いたようです。北門から善光寺の境内に入ると夕闇のなかに本堂が照明で浮かび上がっています。半周した正面から本堂に入って旅の無事を感謝して参拝しました。

 

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重要文化財 善光寺山門の特別拝観は11月30日まで受付時間が午後4時まで、本堂の内陣参拝・お戒壇めぐりも午後4時15分まで、腕時計を確認すると5時を回ったところでした。小布施に1時間余り滞在したことが災いしましたが、夕方の混雑による時間ロスも重なりました。そもそも計画自体が欲張りすぎなのですが・・・。その失敗はおくびにも出さず、本堂外陣で「びんずる尊者」の頭と足を反省を込めて摩(さす)らせていただきました。この外陣にはほかに妻戸(舞台)、閻魔像、親鸞松があります。

 

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上信越自動車道の長野ICに至る道は拡幅工事中で少し渋滞しましたが、高速道路の順調な流れに乗りながら交通情報を聴くと「関越自動車道の渋滞は30km」「中央自動車道の渋滞は10km」のアナウンスが流れています。前方に更埴(こうしょく)JCTが見えて来ましたが迷うことなく直進して長野自動車道に入りました。長野自動車のこの区間はまだ走ったことが無かったのです。姨捨(おばすて)SAを過ぎて一本松トンネル、立峠トンネル、明科トンネルなど長いトンネルを抜けると梓川(あずさがわ)SA、上高地へ旅したことを思い出して食事休憩することにしました。
 

以前 走ったことがある松本ICより先の長野自動車道から中央自動車道に入っても快調なドライブが続きます。相模湖ICや談合坂トンネルの渋滞はピークの15kmから10kmへと短くなったようで、あと100km余りを走行するうちに解消することを期待して巡航速度を守りました。交通情報のアナウンスは渋滞が5kmに・・。勝沼ICから笹子トンネルまでの上り坂も快調、大月ICも問題なく通過、談合坂トンネルに近づくと車列のスピードが落ちてやはり渋滞に巻き込まれるのかと思いながら時速30kmほどでトンネルに入ると、徐々にスピードが上がってトンネルを出る頃には通常の走行状態に。わが家まであと1時間ほどで辿(たど)り着けるでしょう。 [総走行距離:約850km]
 
<同行者のコメント> 今回も忙しい旅行でした。山と温泉とそば屋さんをハシゴするドライブは旦那さまらしいと思いますが、私は一ヶ所にゆっくり滞在するほうが好き!   それでも信州のおそばと温泉はとても良かったです。□

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2009年11月10日 (火)

北信濃のドライブ旅: 野沢温泉

北信濃のもっとも奥深い野沢温泉村へ向いました。野沢温泉は奈良時代の僧「行基」によって発見されたと伝えられる歴史の長い温泉で、13箇所もある外湯は村内のあちこちに広く存在します。いずれも自然湧出、年中無休で5時から(12月から3月までは6時から)23時まで営業、料金も無料(お賽銭)。地元住民と宿泊客だけが利用する共同湯でしたが今は観光客にも開放されています

毛無山(標高1650m)と水尾山(標高1044m)の山懐に抱かれた盆地にある野沢温泉村は温泉、スキー場、そして名物野沢菜で知られる観光地です。県道353号で北から入るルートと県道38号で南から入るルートがありますが、飯山からは関沢交差点から約6kmほどの後者が便利。北竜湖を迂回するように大きくカーブして低い峠を越える野沢温泉村の全景が見えました。そして山肌にはスキーゲレンデが幾筋も。

 

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市街地に入ると右手に大きな中尾駐車場がありました。ここに駐車して200mほどを歩くことを考えましたが、目的地の共同浴場「大湯」は長坂ゴンドラリフトに近い中心部にありますから、その近くまで車を進めてみることにしました。温泉地らしい風景が続きます。横落交差点過ぎた十字路を右折して北上、共同浴場「河原湯」の前を通過して狭い坂道を上るとちょうど大湯前に到着しました。最近建て直されたようでまだ新しい湯屋です。直ぐ近くの駐車場に空きがありました。

 

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大湯は外湯のシンボル的な存在で入口の上には薬師三尊が祀られていました。お賽銭を箱に入れて中に入ると脱衣場と浴室がつながっています。四角い浴槽が二つ、湯が注がれる奥の方が熱い湯ですから、手前の温めの湯に入ることにして掛け湯をするとかなりの熱さです。熱い湯が好きな私が何とか入れる温度(44-45度くらい)です。「ゆでだこの」のように真っ赤になった男の子がスノコの上で休憩中。湯気抜きの天井も立派です。かなりの混雑ですが奥の浴槽に入る人は誰一人居ません。手を入れてみるとかなりの高温でした。源泉の温度は66.4度と高いのです。草津温泉と同様に湯もみが必要でしょう。泉質は単純硫黄泉(低張性アルカリ性高温泉)、無色透明の湯は湯の華がそれほど多くはありません。一番奥にある飲泉場で一口飲んでみました。

 

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大湯の向かい側に大湯の「あくと(足湯)」がありました。先に大湯を出た同行者が他の女性客と一緒に入っています。こちらも結構熱いようです。

 

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昼時を過ぎましたので駐車場の方に教えられた道筋で大湯から中尾駐車場まで引き返しました。駐車場の中を横断するように左手に入ると手打ち蕎麦の「そばしげ」があります。この店も山ゴボウの繊維をつなぎに使う富倉の十割そばです。同行者は天ぷらざる、私は温かいとろろそばを注文しました。山ごぼうの葉っぱ、ナス、ししとうなどの天ぷらは注文を受けてから作るようで、野沢菜の漬物などを摘みながら待ちました。

 

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手打ちの平べったい蕎麦は期待通り、天ぷらも色鮮やか、山芋のとろろも適度に粘りがあって美味しく食べました。「またお蕎麦なの?」と言った同行者も気に入ったようです。

 

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車に戻ろうとすると雨粒が落ちてきました。晴れ男の神通力もこれまでのようです。源泉「麻釜(おがま)」にも立ち寄りたいのですが諦めて、もと来た道を関沢交差点まで引き返し、千曲川の大関橋を渡って国道117号で長野市方面へ向います。北信濃のドライブ旅も次回記事(第8話)が最終回です。(小布施へ続く)
 
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2009年11月 9日 (月)

北信濃のドライブ旅: 「阿弥陀堂だより」の舞台

東京の生活で心を病んだ勤務医の妻と彼女を暖かく見守る売れない小説家の夫が夫の故郷である山深い奥信州の飯山に移り住み、美しい四季がある豊かな自然と地元の人々との触れ合いによって、二人が生きる喜びを見つけるまでを描いた映画「阿弥陀堂だより」(2002年)の舞台となった場所を訪ねます。

主人公役を演ずる寺尾總(あきら)さんと妻役の樋口可南子(かなこ)さんが好演、阿弥陀堂(あみだどう)で一人暮らす老婆役の北林谷栄さん、今も清楚(せいそ)な香川京子さん、名脇役の井川比佐志さんなどのベテラン俳優が作品に厚みを与えました。そして黒澤明監督の助監督を長年努めた小林堯史(たかし)さんが監督を担当、国内外の賞を多数受賞した同氏の初作品「雨あがる」(2000年)に次いで二番目の作品となりました。「雨あがる」(山本周五郎原作、黒澤明脚本)は武士の面目とは何かを一人の浪人の仕官活動を通して伝えることで観る者に深い感動を与える秀作でした。

映画「阿弥陀堂だより」で唯一作られたオープンセットが阿弥陀堂で、それ以外は奥信濃 飯山の四季がそのまま映像化されました。この阿弥陀堂はロケ後も取り壊されず地元飯山市によって修復・保存されていると聞き、ミーハーな動機ですが、映画を見た時から一度訪れたいと思っていました。ちなみにミーハーとは昭和初期に生まれた俗語で流行に影響されやすい軽薄な人を意味します。語源はその当時の女性の名前に「みよちゃん」(ミー)と「はなちゃん」(ハー)が多かったことによるとされます。

長い前口上(まえこうじょう)になりましたがドライブ旅に戻ります。馬曲温泉から県道354号に戻って県道38号の富田入り口交差点(名前の表示はない)を右折すると、なだらかな上り坂が続きました。行過ぎてしまったのではないかと思われるほど長い坂道が1km以上も続きます。水車小屋横の木製灯籠に阿弥陀堂まで1.2kmと表示されていていましたので安心して進むと前方に福島神社が見えてきました。飯山の観光案内に指定されるままに神社左手にある休憩小舎「さんべ」の駐車場を利用します。

 

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道はここで「福島棚田」方面と二手に分かれます。少し迷いましたがまず右手の阿弥陀堂へ向かうことにしました。石仏とススキが出迎えてくれる舗装された急坂はゆったりとカーブしながら続き、振り返ると千曲川・大平峰・斑尾山の展望が開けて、かなりの高みまで来たことが分かります。道の両脇に並ぶ石仏は「三十三所観世音」で先の万仏山(標高1320m)まで続いているようです。

 

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左手から道が合流する場所に出ました。その角に車が2-3台停められそうなスペースがあります。それを指差す同行者に構わず私は右手に見えるお堂へと続く細い道へ。阿弥陀堂は閉まっていますが「戸を開けた後は閉めるように」と書かれています。薄暗い堂内には仏像と映画の説明パネルと映画シーンの写真がありました。寺尾總さんが演じた主人公を真似て縁側に腰を下ろして煙が立ち昇る里山の景色をしばらく眺めました。お堂の先へと小道を進むと三部社がありましたが行き止まりです。

 

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もと来た道を引き返すと一組のご夫妻と擦れ違いました。やはり映画を見た人なのでしょう。遊歩道に出るとタクシーが停まっています。挨拶した運転手さんと立ち話になりました。「観光客の多い春は棚田から阿弥陀堂を一周するルートが一方通行になりますが、この季節ならここまで車で上っても良かったですよ」と説明してくれました。

「さんべ」の駐車場に真っ直ぐ戻ると言う同行者と離れて福島棚田を一周する遊歩道を歩くことにしました。車が十分通行することができますがやはり歩く方が景色を何倍も楽しめます。棚田に沿った遊歩道を私と逆方向(正規の方向)に車で上る若いカップルと擦れ違いました。日本の棚田百選に選ばれた福島棚田の保存会「棚田の里三部」へ入る石畳があります。立ち寄りたいところですが同行者の待つ駐車場へ向うことに・・・。

 

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県道38号に戻った最初の交差点で辺りを探していると、同行者が「あれじゃない?」と木立を指差します。確かに「神戸(ごうど)の大イチョウ」の小さな案内表示が出ています。それに従うと畦道(あぜみち)のような狭い道が右へ左へと折れ曲がって鳥居の前に出ました。車が数台停まっています。学生のグループを先生が引率しているようです。樹高36m、幹囲13m、樹齢千数百年だそうです。樹齢が千年を越すと神神(こうごう)しく強い生命力を感じました。このイチョウは長野県の天然記念物です。

 

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もう一箇所、「阿弥陀堂だより」のロケ地になった小菅神社里社に立ち寄りました。関沢交差点から2kmほど入った所です。長い参道沿いに庚申塔や小市兵衛の力石、立派な仁王門が続きます。小市兵衛は奥信濃の昔話に登場する力持ちとのこと。

 

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急な石段を上って本殿に参拝。石段下で見かけた万葉歌碑は柿本人麻呂の歌「浅葉野に立ち神さぶる菅の根のねもころ誰故わが恋なくに」(浅葉野にはえて神神しいまでに年を経た菅の根のように ねんごろに心深く 誰のためにでもなく あなたのみを恋慕うのだの意)でした。この小菅(こすげ)神社は戸隠・飯綱とともに信州三大修験霊場のひとつで小菅山元隆寺(がんりゅうじ)が起源とされるそうです。

 

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奥社はさらに1km余り山に登ったところですから小菅神社里社を「阿弥陀堂だより」ロケ地巡りの終着点にしました。(野沢温泉へ続く)

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2009年11月 7日 (土)

北信濃のドライブ旅: 斑尾高原と馬曲温泉「望郷の湯」

明るい朝の日差しで目が覚めました。天気予報は下り坂と報じていますが今日も秋晴れで晴れ男は面目躍如(めんもくやくじょ)。外にでると黒姫山がゴルフ場越しに朝日に輝くのが見え、いつものことですが朝食前にホテル周辺を散策することに。ホテルがスキー場(スキーサーカス)と斑尾東急ゴルフクラブと一体となり、背景の美しい紅葉がゴルフ場の緑に映えています。

 

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夏にはさぞ見事だったと思われるラベンダー畑は切り株が寂しく残るだけ。早朝から犬を遊ばせる人がいるドッグランと誰もいないパットゴルフ場を抜けたフラワーガーデンには清楚なハクチョウソウ・シロクジャク・薄紫の菊・蒲の穂などが見られます。その先には秋のコスモスが咲き乱れていました。スキーゲレンデとリフトが斑尾山頂に向って伸びていますが尾根がせり出しているため山頂の姿は見えません。

 

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ホテルを出発。ほどなく県境を越えて新潟県妙高市に入ります。信越トレイルの案内板には長野県と新潟県の県境にある関田山脈の尾根沿いに斑尾山から牧峠を経て天水山に至る総延長80kmのコースが説明されています。

 

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2009_11010261 曲がりくねった道がちょうど斑尾山に向い、スキーゲレンデが山頂近くまで伸びる様子が見えました。斑尾高原ホテル前のT字路を左折すると昨夜立ち寄った「ルドルフ」の隣にレストラン・バーJazzy Houseを見つけました。ジャズを聴きながら食事と酒が楽しめるレストランと聞いて立ち寄り候補に入れていました。ウィンドウにダンボール製のサックスやジャズ・ミュージッシャンの人形などが飾られています。

 

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斑尾高原から飯山の市街地に向けて県道97号を下りはじめると前方に朝霧に浮かぶ高社山(こうしゃさん、1351m)と志賀高原の山々が見えて一枚撮影しました。国道403号に入って千曲川の中央橋を渡り、蛭川橋交差点を左折、県道38号の栄町交差点を右折、馬曲(まぐせ)川に沿って県道354号を上ると馬曲温泉の案内板が見えました。急坂を上った右手の駐車場は幸いにも2-3台分空いていました。
馬曲温泉では、入口横で地元の菊花展が開催され、周辺の山で紅葉が始まっています。
 
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入口の上にある木製の大きな看板には「まぐせ」と振り仮名がふられています。入浴料金は内湯と露天風呂を含めて500円、何度でも入ることができると受付の人から説明されました。朝6時から夜10時まで利用できるのはうれしい。10時前でしたがすでに入浴を済ませた人が休憩しています。
廊下を進んだ先が内湯でした。
 
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真四角な浴槽には茶褐色の湯が注がれています。泉質は単純泉(弱アルカリ性 低張性 温泉)、源泉の泉温は39.5度。窓越しに紅葉を見ながら湯を楽しんでいると2-3名の入浴客がありましたので露天風呂へ移ることにしました。
 
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売店と休憩所からいったん外に出て水車小屋の脇の石段を下ります。「望郷の湯」と表示されています。びっくりするほど小さな小屋が脱衣場でした。
 
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中へ入ると奥に深いので手狭感は感じません。さっそく露天風呂に向いました。露天岩風呂は景色に溶け込んで温泉のポスターになりそうなすばらしい開放感です。
 
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高社山の遠景を見ながらこの露天風呂を独り占めしていると北信濃の旅の楽しさが倍増するようで、いつまでもこの湯に留まりたくなりました。(阿弥陀堂へ続く)

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2009年11月 6日 (金)

北信濃のドライブ旅: 野尻湖とダイヤモンド黒姫

上信越自動車道を利用すれば信州中野ICから野尻湖に近い信濃町ICまでわずか21kmの距離ですが、県道29号で信州中野IC前を通過、千曲川を渡って国道117号から国道18号(旧北国街道)を走り、牟礼村から信濃町に入ると黒姫山妙高山が見えてきます。信濃町ICを過ぎた野尻湖交差点を右折して野尻湖畔に出ました。さらに右折すれば「ナウマンゾウ博物館」ですが時間が迫って来ましたので左折、野尻湖マリーナを通過して東へ向います。バックミラーを覗(のぞ)くと黒姫山に太陽が近づいて・・・。見晴の良い場所を探しながら野尻湖レイクハウスの少し手前に車を停めました。
 

湖畔へ向って歩くと水上スポーツを楽しむ人達が利用する桟橋が並んでいます。水上スキー、ウェイクボード(水上を滑るスノーボード)、バナナボートなどの案内が出ていますが、一般客は桟橋に立ち入れませんので、湖畔のベストスポットを選びながら時間を待ちました。モーターボートが2艘(そう)戻ってきました。

 

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野尻湖は黒姫山と斑尾(まだらお)山に挟まれた高原の湖です。飯綱高原・戸隠高原の山並みと湖面に浮かぶような琵琶島の鳥居を眺めていると空の色が変わり、湖面に映る夕日が輝き始めました。

 

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いよいよシャッターチャンスです。夕日が黒姫山の稜線(りょうせん)に掛かり始めました。季節的に山頂に夕日が沈むことは期待できませんが美しい落日にシャッターを何度も・・・。夕日の残滓(ざんし)がふっと消えるのを満たされた気分で眺めました。

 

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県道504号(信濃斑尾高原線)を走ります。日が沈んだあとの山道は瞬(またた)く間に黄昏(たそがれ)ますから沿道の紅葉に見とれている暇はありません。所々に設置された案内標識に従って下り坂を急ぎました。古海集落では県道96号との重複区間を走ると稲刈りの終った田圃(たんぼ)から煙が上がっています。

 

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案内標識に従って左折すると再び上り坂になり、トンネルを抜けると前方が開け、ゴルフ場の中に白い建物が見えました。暗くなる前になんとか宿泊地へ到着。ここはホテルタングラム。ホテルハーベスト斑尾、黒姫山がシルエットになっています。

 

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ホテルタングラムには和洋中と3つのレストランがありますが、健啖家(けんたんか)ではない(つまり少食家の)二人はいつも食べ切れなくて勿体無(もったいな)いので、斑尾高原のレストランで夕食をとることにしました。電話番号を入力すればカーナビが案内してくれますから夜の山道も気になりません。ところがカーナビの指示に従いかなり走って到着した場所にはレストランらしきものは見当たりません。またもやカーナビに騙(だま)されたようです。四国遍路をした時にも同じことを経験しています。レストランに電話を掛けて場所を聞くと斑尾高原の中心部との返事、ずいぶん行過ぎていました。

ホテルタングラムから約3km、斑尾高原ホテルのすぐ近くにあるレストラン・居酒屋「ルドルフ」は暗闇のなかにライトアップされて太っちょコックさんの人形とパスタ工房が出迎えてくれます。店内はヨーロッパ調の置物や飾り物などで賑(にぎ)やかですが調和がとれて落ち着いた雰囲気が良いです。

 

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同行者は例によって店員さんを質問攻め、店名はオーナーの好きな競走馬「シンボリルドルフ」に由来するとか、装飾品はオーナーのご夫妻が買い集められたものであるとか・・・。質問が一段楽してやっとオーダー、同行者はシーフードピザ、私はカルボナーラと赤ワインを選びました。同行者は「またカルボナーラ!?」とあきれていますが、私は蕎麦、うどん、フォー、パスタなど、どんな麺にも目が無いのです。そして今日はアッシー君が居ますから赤ワインの注文も忘れません。

競馬に興味がない私は帰宅後に調べてみるとシンボリルドルフは25年前のクラシック三冠馬でした。ちなみにルドルフ(Rudolf)はドイツ人男性の名前(皇帝や著名人にも多い)で、Ruhmeswolf(Ruhmesは名声・賞賛、wolfは狼)を意味することを久しぶりに引いたドイツ語の辞書で知りました。「赤鼻のトナカイのことですか?」と訊(き)かなくて良かった・・・。さらにドイツ語の余談です。ドイツ総統であったヒットラーの名前、アドルフ(Adolf)はEdelwolf(Edel高貴、wolf狼)、そしてEdelweiss(エーデルワイス、高貴な白)は映画「サウンド・オブ・ミュージック」で歌われたウスユキソウ(薄雪草)です。

店の奥に作品の展示室があると説明されていますので覗(のぞ)いてみました。店内の飾りつけと同様に見るだけで楽しくなるものが多数展示されています。

 

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ワインを飲みながら今日の出来事を話していると、まずカルボナーラが、次いでピザが配膳されました。石釜で焼かれたピザはサクサク感があって同行者の好みにピッタリ、ご機嫌の同行者が取り分けてくれて写真を撮る前に二切れが口の中に・・・。カルボナーラもさっぱりした味が気に入り、カーナビ迷子になったにも拘らず料理に大満足。
 
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道案内をそのカーナビに任せてホテルまで助手席で居眠りです。(馬曲温泉へ続く)

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2009年11月 5日 (木)

北信濃のドライブ旅: 間山温泉「ポンポコの湯」

国道292号で中野市に戻るとちょうど昼時でしたので予定した蕎麦屋へ向います。富倉そばが食べられる郷土(ごうど)食堂は新井交差点を左折して600mほど先の右手にありました。富倉そばとは飯山市富倉地区に伝わる伝統の蕎麦のことで、地元北信地方の玄そばを石臼挽き、山ゴボウ(雄山火口、おやまぼくち)の葉の繊維をつなぎに使った風味豊かなそばです。十割そばのような香りとつなぎ入りそばの喉ごしの良さを同時に味わえる特徴があるそうです。冬は雪深くてつなぎに使う小麦が取れなかったための工夫なのでしょう。富倉地区以外では郷土食堂など数店に限られるようです。

同行者は好物の山野菜天ざる、私は手打ちざるそばと笹ずしを注文しました。最初に出された野沢菜の漬物を食べながら店内を見回すと壁に色紙が多数貼られています。その中につい最近亡くなられた南田洋子さんの写真を見つけました。

 

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笹ずしは大きな笹の葉に載せられた山菜寿司で素朴な味、冬瓜の煮物が副えられています。山野菜天ざるは紅葉など色鮮やかな天ぷらと黒っぽいソバにインパクトがあります。京都や大阪の紅葉の天ぷらとはちょっと違いますが・・。ざるそばを摘んでみると、繋がりが弱いため短いことが気になりますが、癖が無く期待通りの美味しさでした。

 

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長野電鉄長野線の踏み切りで同行者が「あれ!」と言って突然指差しました。慌ててシャッターを押すと流線型の1000系電車が写っています。3年前に小田急のロマンスカー(10000形)を譲り受けた「特急ゆけむり」のようです。踏み切りを渡った中町上交差点から西条東交差点まで道幅が広くなり大崎市岩出山三島市中心部のように電線の地中化が行われていました。

 

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県道54号に出て間山へ向かい市街地を抜けると、急な上り坂になり、山あいへ入って行きます。この県道の名前は須坂中野線ですが須坂市には抜けられない旨の案内標識がありました。路傍にお地蔵さまと箒草(ほうきぐさ)を見かけました。案内表示に従ってさらに狭い脇道の急坂を上ると大きな平屋の施設、晋平の里 間山温泉「ぽんぽこの湯」が前方に見えてきました。中野市産業公社が運営する公営の日帰り温泉です。

 

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意外なほど広い駐車場がありました。食事処の左手にある下足を抜けた自動販売機でチケット(350円、休憩付は500円)を購入して休憩室の横の長い廊下で奥の浴場へ向います。脱衣場の先の内湯は良い展望を意識して総ガラス張りの浴場(大パノラマ風呂)と横に長い浴槽が設えられています。ガラス戸を出た石造りの露天風呂からの眺望は素晴らしく、屋根のある半露天風呂であることを忘れさせるほどです。肌触りが柔らかい湯の泉質はナトリウム・カルシウム-塩化物・硫酸塩温泉(アルカリ性低張性高温泉)、泉温は45.7度。露天風呂の近くに小振りのサウナと水風呂もありました。写真は食事処から撮影した景色で露天風呂よりも視界が悪くなっています。

 

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「晋平の里」と「ぽんぽこの湯」の名から連想されるように中野市出身の作曲家、中山晋平氏にちなんで命名されたそうで、「カチューシャの唄」の自筆楽譜と「証城寺の狸囃子」(千葉県木更津市)の色紙が受け付け横に飾ってありました。

 

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これに触発されて、旅程には入れていませんが、すぐ近くにある「中山晋平記念館」に立ち寄ることにしました。絵本に描かれる西洋館のように大胆な建物です。正面エントランスに大きなカリヨンのアーチが晋平メロディで時を告げています。中山晋平氏はおよそ3000曲を作曲したことで日本のフォスターと呼ばれることを知りました。

 

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代表曲を列記すると、「背くらべ」「てるてる坊主」「東京行進曲」「東京音頭」「シャボン玉」「背くらべ」「砂山」「アメフリ」「あの町この町」「兎のダンス」「雨降りお月」「証城寺の狸囃子」「あがり目さがり目」「カチューシャの唄」「ゴンドラの唄」「船頭小唄」「波浮の港」「鉾をおさめて」ときりがありません。何曲ご存知ですか?

 

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銀座の柳」が庭園にありました。「東京行進曲」に歌われた銀座のしだれ柳の故郷である長野県南安曇郡穂高町(現安曇野市穂高)から中山晋平記念館に寄贈されたものだそうです。リンゴ畑を抜けて次の目的地へ向います。(野尻湖へ続く)

 

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2009年11月 4日 (水)

北信濃のドライブ旅: 志賀高原

国道292号(志賀草津道路)の急坂を志賀高原方面へ。歓迎ゲートを過ぎると曲がりくねった山道に。坊平シラカバ園地では白樺と紅葉のコントラストが綺麗です。

 

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ループ状の坊平橋を過ぎた16号カーブで「潤満滝展望台」を見つけました。駐車場に車を停めて炭焼き小屋を横に見ながら坂道を200mほど上ると素晴らしい展望が開けて若山牧水の碑が訪れる人を迎えてくれます。展望台から見える角間川の潤満滝(かんまんだき)は落差が107m、幅も20mある長野県有数の滝ですがあまり知られていないようです。日光の華厳の滝(落差97m)ほどの水量はありませんが落差ではやや勝って1kmも先から水音が聞こえそうな迫力があります。しかし早朝は逆光気味で残念ながら上手く撮影できませんでした。

 

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沓打名水公園で佐久間象山の記念碑を見つけました。志賀高原に近い松代藩出身の洋学者佐久間象山(しょうざん)は同じ松代藩士であった浅井洌が作詞した「信濃の国」(1968年県歌指定)で国の偉人と歌われています。志賀高原の熊の湯温泉は多才な象山が発見・開発したと伝えられます。しかし尊王開国(公武合体論と開国論)を説いた象山は54歳の時に京都で尊皇攘夷派の熊本藩士に暗殺されました。

 

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一沼、琵琶池、丸池、蓮池の辺りが紅葉の名所ですが最盛期はすでに過ぎてしまったようです。写真は順に一沼・丸池・蓮池。

 

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国道292号をさらに進むと長池、三角池、田の原湿原、木戸池が続きます。

 

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平床大噴泉で蒸気が勢いよく吹き上げていました。熊の湯温泉を過ぎるとヘアピンカーブが続きます。すべてのカーブに番号が振られていることに気付いて51番まで確認。

 

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「スカイ喫茶のぞき」と微妙な名前の店を過ぎると横手山(標高2305m)に差し掛かります。緑に覆われた右手の急なスロープの形状が魅力的、「のぞき」の地名はこの景色によるものだろうとひとり納得する。左下の写真に写るとんがり山は笠ヶ岳(標高2076m)です。ちなみに志賀高原の最高峰は裏岩菅山(標高2341m)とのこと。

 

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道が直線的になるといよいよ県境の最高地点である渋峠に差し掛かります。横手山に上る渋リフトがスキーシーズン前の観光客向けに動いていました。

 

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志賀草津道路は国道の中で日本一標高の高いところを通る道路で、11月中旬から4月まで冬季閉鎖されます。一昨年3月に草津と白根山をドライブした時も閉鎖中でした。最高地点(標高2172メートル)は渋峠より数百メートル群馬県側に入ったところにあるようですが、群馬県側の白根山や草津温泉、さらには日本ロマンチック街道へと走りたい誘惑を振り払い、峠の写真を何枚か撮影して引き返すことにします。

下りのワインディングロードのドライブを満喫しながら蓮池まで戻り県道奥志賀高原線(県道471号)に入りました。志賀1号トンネル・志賀2号トンネル・志賀3号トンネルを抜けると高天ヶ原と一の瀬のスキー場が続きます。一の瀬の先で奥志賀林道へそれました。茶色くなった山肌を見ながら林道を快調に運転するとあっと言う間に奥志賀高原への分岐点に到着。ドライブに夢中で裏岩菅山を確認し忘れてしまいました。

 

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奥志賀林道をさらに先へ進めば野沢温泉へ抜けられますが、今回は野尻湖と飯山を経由して野沢温泉へ向うコースを計画しましたので、ここでもUターンして引き返します。折り返したあとは県道奥志賀高原線のドライブを楽しみました。左下の写真に写るとんがった山が岩菅山(標高2295m)で丸い方が裏岩菅山のようです。(間山温泉へ続く)

 

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2009年11月 3日 (火)

北信濃のドライブ旅: 渋温泉大湯

このところ理屈っぽい記事が続きましたのでそろそろ当ブログの主テーマに戻りたいと思います。秋が深まっていよいよ紅葉シーズンに入り、JR東海のCMは京都・光明寺の紅葉を連日紹介しています。昨年、訪れて感動した紅葉の名所です。しかし、まだ10月末ですから紅葉狩りには少し北方の高原が良いのではないかと久しぶりの北信濃を選びました。紅葉とともに温泉を満喫できそうです。

練馬ICから関越自動車道に入りました。朝日を背に受けながら快調なドライブです。藤岡JCTから上信越自動車道を利用して信州中野ICまで約225kmの距離は3時間弱。志賀中野道路と国道292号で中野市の市街地を迂回して志賀高原方面に向かい山ノ内町、湯田中温泉などがある渋・湯田中温泉郷に入ります。約1300年前僧行基によって発見されたといわれる歴史ある温泉です。今回の最初の日帰り湯には湯田中温泉のすぐ先にある渋温泉を選びました。

 

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横湯川に沿って古い温泉地らしい温泉旅館35軒が立ち並ぶ狭い石畳の道を中心部まで進むと共同湯の「渋温泉大湯」が坂道の途中にありました。

 

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渋温泉の外湯は宿泊客と地元専用ですが平成18年7月から大湯だけは日帰り客にも開放されました。6時から22時まで(日帰り客は10時から16時まで)年中無休でオープンしていますから朝風呂に最適です。階段を下りた男湯の入口は施錠されており鍵を借りる必要があることが分かりました。反対側の女湯も同様です。

 

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ちょうど通りかかった制服姿の女性に尋ねることに。偶然にも観光案内所の方のようですぐ近くの旅館松屋で入湯料を払って鍵を開けてもらうよう説明してその松屋さんまで案内してくれました。入湯料500円(二人で1000円)を支払うと番頭さんらしき人が大湯入口の鍵を開けてオートロック・ドアになっていることを説明してくれました。

 

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湯気抜き(右上の写真)のある四角い湯船が二つに仕切られています。右手奥の湯溜まりから湯が注がれる湯船の方が少し熱いようですが、いずれも44-45度くらいの熱めの湯です。やや褐色がかった緩和性低張性高温泉で、源泉の温度は60度以上と高温です。30分ほどフライイングした朝の9時半には他に利用客もなく、貸切も同然の温泉をのんびり楽しみました。温めの湯と言ってもかなりの熱さで休憩をしながら何度も湯の感触を味わいました。脱衣場の反対側にある小振りの「蒸し風呂」は源泉の湯気を利用しているそうです。ちなみに渋温泉大湯は9つある外湯の9番目「結願湯」です。

 

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向かい側にある七十八段の石段を上って「高薬師」にお参りしました。本当は1番湯(初湯)から9番湯(大湯)まで外湯巡り(渋温泉を一周)をしたあとに高薬師にお参りすれば満願成就なのですが宿泊客ではないので止むを得ません。

 

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逆のルートで6番湯まで外湯を巡りながら東の外れにある温泉寺に向いました。

 

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この寺には番外湯「信玄かま風呂」と武田信玄公安堵状の碑があります。

 

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温泉寺と言えば奥日光湯元温泉有馬温泉城崎温泉にもあったことを思い出します。なお同じ温泉寺でも河口湖にあるのは寺の名が付いていますが純粋な温泉旅館でした。(志賀高原へ続く)

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