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2010年3月 5日 (金)

栃木の小江戸(その2): 太平山神社から日光礼幣使街道へ

太平山神社へ向いました。徳川吉宗が建てた立派な「随神門」には、表に左右大臣、裏側に仁王像があり、寺院として栄えていた頃の名残であると説明されています。この山門から長い石段が続いています。

 

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53代淳和(じゅんな)天皇の御代(823-833年)に太平山神社が造営されたそうです。雨で滑りやすい石段を子供のように段数を数えながら上るとおよそ250段もありました。先ほどまでの寒さが嘘のよう。勅旨門をくぐった本殿には太平山神社の主祭神である瓊瓊杵命(ににぎのみこと)・天照皇大御神(あまてらすおおみかみ)・豊受姫大神(とようけひめのおおかみ)が祀られています。

 

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石段を下りて見晴台に向います。大きく迂回する急な道を上ると太平山神社脇に出ました。石段が苦手な方はこちらから太平山神社の本殿へ楽に行けます。振り返ると栃木市方面の視界がかなり開けはじめました。太平山神社で好天を願ったことが叶えられたようです。雨は続いていますが山の木々から水蒸気が立ち上っているのが見えます。

 

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見晴台入口まで戻ると先ほど上って来た道がいつの間にか工事のため通行止めと表示されています。止むを得ず太平山遊覧道路(約7000本ある桜の名所)を謙信平へと逆戻り、再び謙信平の展望台に立つと霧が少し薄れて下界が薄っすら見えます。

 

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謙信平の先にある六角堂(市指定有形文化財)へ足を伸ばすことにしました。太平山が寺院であった時の別当寺で本尊は慈覚大師作と伝えられる県内で一番古い木造彫刻の虚空蔵菩薩(県指定有形文化財)です。明治時代後期に暴風雨で崩壊した時に京都頂法寺の六角堂を模し堂宇を建立したため通称六角堂と呼ばれています。

 

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真っ直ぐな下り坂を下りると国学院大学付属校前に出ました。県道269号をそのまま栃木市街地へ戻ってカラー舗装された道に入ります。この日光例幣使街道は東照宮に幣帛(へいはく、神に奉献するもの)を奉献する京からの勅使(日光例幣使)が通った道です。中山道の倉賀野宿(高崎市)から日光坊中まで続いていました。江戸日本橋と日光坊中を結ぶ日光街道の西に位置します。

市街地から少し離れた街道沿いにある創業天明年間の味噌屋「油伝(あぶでん)味噌」に立ち寄って専用駐車場に車を停めました。午前10時半を回ったところです。店内で味噌田楽を食べるつもりですが改装中との表示がでています。「田楽」と書かれた左手の建物の障子戸を開けて田楽を食べたい旨を伝えると「少し早いですが大丈夫です」との返事。同行者と一緒にストーブが焚(た)かれる店内へ入って驚きました。まるで博物館のように懐かしい調度品が置かれていたのです。

 

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ハンドルの付いた磁石式電話機と中破・短波が受信できるラジオ。後者にNATIONAL DIALの表示がありますから松下電器(現在のパナソニック)が1950年代に販売したラジオ用部品キットを他のメーカーが組み立てたものでしょう。スーパーヘテロダインの表示には懐かしくて涙がこぼれそう。アナログ人間に必須アイテムのマジックアイ(同調表示器)もしっかり付いています。他に古い金銭登録機や頑丈な鍵が付いた銭函(ぜにばこ)、そして小池の文字が書かれた袢纏(はんてん)のようなものが・・・。

 

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田楽を待ちながら興味深げに店内を眺める我々に老主人が話しかけてくださいました。電話は何番でしたかと問えば「当時は32番でした」、銭函は店先に置いたもので上部の投げ入れ口には手が入らない仕組みがあり、金銭登録機は大正時代のもので今もお金の収納に使っていること、そして半纏と見えたものは皮製の羽織(扇子の家紋付)であることを詳しく説明。さらに油伝が250年ほど前に創業した油屋で創業者の伝兵衛の名をとって屋号の「油伝」としたこと、150年ほど前に味噌製造や質屋を始めたこと、私の詮索に答えて栃木の地名の由来(水明宮の説)、幕末に水戸天狗党(尊王攘夷過激派)が放火したことで蔵が建てられたこと、川の流れを変えて水害がなくなったこと、市内の観光施設についてと、ボランティアの観光ガイド役を務めていただきました。

注文した「田楽盛り合わせ」は豆腐・里芋・コンニャクの3種、「伝兵衛もち」は私の好きな五平餅と形が似ていますがよくついたもちに田楽盛り合わせとは異なる味付け(ゴマ風味)の味噌が使われて、いずれも期待通りの美味しさです。

 

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戸外に出て明治時代の油伝味噌の様子を伝える絵図と立ち並ぶ蔵や味噌工場の様子、そして私が興味を持った水琴窟も説明してもらいました。明治23年頃とほぼ同じ規模の建物は国の登録有形文化財に指定されています。

 

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油伝味噌の本業は現在も味噌製造ですが無添加味噌の味を知ってほしいと田楽茶屋を始めたのだそうです。皆様にもお勧めしたい観光スポットでした。(続く)

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