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2010年3月10日 (水)

栃木の小京都(その2): 織姫神社と足利氏の遺構

次に向ったのは織姫神社1300年の歴史と伝統を誇る織ものの町である足利の守護神として奉った神社です。県道40号で足利市の市街地へ走って市役所の少し手前の交差点から消防署の前を通過。鍵の手になった交差点を通り過ぎればあとは案内表示に従って織姫観光道路で両崖山中腹にある織姫公園まで上るだけです。公園の駐車場から歩くと昭和に入って再建された銅葺き朱塗りで均整の取れた美しい神殿が見えてきました。夜景の名所と言われるだけあって市街地と渡良瀬川がよく見えました。

 

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駐車場に戻る途中で大山阿夫利神社参道入口の名を見かけました。神奈川県伊勢原市にある大山阿夫利神社と同じ名前が気になり参道の石段を上りたくなりましたが、もう4時をだいぶ過ぎていますので断念せざるを得ません。帰宅後に調べると足利市では五穀豊穣の神である阿夫利神社を信仰する大山講が江戸時代から盛んに行われていたそうですが伊勢原市の大山阿夫利神社との関係は分かりません。大山阿夫利神社をこの地に招来したのか、それとも祭神が同じ大山祇大神(オオヤマツミノカミ)だからでしょうか。雨降山大山寺は奈良時代の良弁僧正によって天平勝宝4年(西暦752年)に阿夫利神社の神宮寺(神社に付属する寺院)として建立されたことも知りました。

市街地に入って太平記館の駐車場に車を停めました。広い昭和通りの反対側が堀をめぐらせた足利学校です。 平安時代後期もしくは鎌倉時代初期に創設されたと伝えられる日本最古の高等教育機関は室町時代になるとよく整備され、16世紀初頭になると生徒が3000人を超えたことが1550年(天文19年)にフランシスコ・ザビエルが「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と世界に紹介。足利学校は1872年(明治5年)まで続いたそうです。現在の建物は落雷により消失してしまった江戸時代の様子を復元したもので国の史跡に指定されています。(足利観光協会のhpより) 案内標識に従って入口に向いましたが午後4時までの開館時間を40分も過ぎていました。

 

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タイル舗装された洒落た道を歩いて足利氏宅跡鑁阿寺、ばんなじ)へ向いました。道の脇にある小さな公園に足利幕府を開いた足利尊氏(たかうじ)の銅像がありました。

 

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鑁阿寺は源姓足利氏2代目義兼が建久7年(1196)邸内に持仏堂を建て、守り本尊として大日如来を祭ったのが始まりで、3代目義氏が堂塔伽藍(がらん) を建立し足利一門の氏寺としたそうです。本堂(大御堂)、鐘楼、経堂(一切経堂)が国の史跡に指定されています。(足利観光協会のhp) 屋根のある太鼓橋を渡り山門を潜(くぐ)りました。周囲を堀と土塁がめぐる鎌倉時代の武家屋敷の雰囲気があります。

 

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ほぼ正方形の敷地は本堂を中心に4つの門からアクセスできる配置になっています。本堂は修理のためにシートで覆われており、その右手前には鐘楼、左手前には多宝塔、その奥に経堂が立ち並んでいます。

 

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大銀杏(天然記念物)がひときわ目を惹(ひ)きました。推定樹齢は約550年、周囲9m、高さ約30mと説明されています。鐘楼の前にあるのは弘法大師像です。(続く)

 

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