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2010年4月に作成された記事

2010年4月28日 (水)

3D映画「アリス・イン・ワンダーランド」

昨年末に公開された3D映画「アバター」に続いて今月17日に日本で公開された3D映画「アリス・イン・ワンダーランド」を封切り3日目の19日に前回と同じラゾーナ川崎の東急シネマズ川崎のIMAXスクリーン(シアター7、定員516名)で観ました。全世界で爆発的なヒットをしたアバターを上回るペースの観客動員数を叩き出しているそうです。
 

2010_04190002 「アリス・イン・ワンダーランド」は不思議の国のアリスの続編で、19歳に成長したアリスが再び地底世界に迷い込むこの映画のための創作話です。貴族の息子にプロポーズされたアリスが例のチョッキを着た白うさぎ(マクトウィスプ)に誘われて兎穴に落ちます。身体が小さくなる薬(ピッシュサルヴァー)を飲んだり、逆に大きくなるケーキ(アッペルスヘン)を食べたりするのは前回と同じですがアリスは何も覚えていません。

穴底のドアを出るとそこにはアリスがすっかり忘れてしまった様々な動物や人間がアリスの来訪を待っていたのです。口の大きな愛嬌のあるネコ(チェシャ猫)、太っちょの双子(トウィードルダムとウィードルディー)、芋虫のアブソレム、三月うさぎ、ヤマネのマリアキン、龍のような怪獣のジャバウォックなどが・・。
 

今回はジョニー・デップが演じる帽子職人のマッドハッターが重要な役回りです。終始白塗りのピエロのような化粧をしています。上の前歯の間にある隙間(お歯黒)がアクセント。赤の女王(イラスベス)と白の女王(ミラーナ)の対立を面白おかしく描いています。残酷なシーンも所々で登場しますが、ディズニーの映画ですから、地下世界で様々な経験を積んだアリスが成長、自立した大人になるハッピーエンドが待っていました。
 

2010_04190003 映画監督のジョージ・ルーカス氏が設立、アップル(当時はアップルコンピュータ)を一時退社したスティーブ・ジョブズ氏が買収、後にウォルト・ディズニー社が再買収したピクサー・アニメーション・スタジオが製作した映像は美しくて期待通りです。3D映像を活かして観客に向ってあらゆるものが突進してくる演出に年配者は少し疲れます。と言っても単純なストーリーながら大人も楽しめるファンタジー映画でした。

ちなみに23日からギリシャ神話を題材にした3D映画「タイタンの戦い」(リメイク版)も同じ映画館で上映されています。こちらは僅(わず)か175名を収容するシアター4ですからスクリーンはIMAXではありません。
 

<同行者のコメント> とても楽しい映画でした。アバターの時はそれほどでもなかったのですが、今回は場面が切り替わる時に船酔いのような気分になりました。小さな子供の目には3D映画が良くないと外国で指摘されたのはその通りだと思います。シルク・ドゥ・ソレイユで買いそびれたポップコーンは大きいサイズを買いましたが、少し残ってしまいましたので、ドギーバッグ(実は普通のビニール袋)を売店でもらいました。

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2010年4月25日 (日)

シルク・ドゥ・ソレイユは完璧にクールだ!

千葉県浦安市へ出掛けました。東京ディズニーリゾート内にある「シルク・ドゥ・ソレイユ」(CIRQUE DU SOLEIL)の公演を観賞するためです。その名称はフランス語で「太陽のサーカス」を意味するとのこと。1984年にカナダで設立されたエンターテイメント集団が東京ディズニーリゾート(オリエンタルランド)とウォルト・ディズニー・カンパニーと業務提携して発足、2007年(平成19年)10日に正式名称「シルク・ドゥ・ソレイユシアター東京」として常設劇場を開設、2008年10日から日本オリジナル作品「ZED(ゼッド)」がスタートしました。

2010_04160131コンセプトは「人生は冒険。そこに、詩(うた)が生まれる。」で、主人公の名はZed(ゼッド)。彼が旅する世界は、天と地。そこであらゆる生命と、大いなる女神と、スフィンクスと…命の躍動に出会います。(同劇場のhpより)
 
 
 

2010_04160194夜の7時から始まるショーですから同じディズニーリゾート内にある「東京ベイホテル東急」に宿泊することにしました。10階の部屋から葛西臨海公園の大観覧車と右手遠方に工事中の東京スカイツリーが見えます。
 
 
 

ディズニーリゾートの敷地のちょうど反対側にある「シルク・ドゥ・ソレイユシアター東京」まではシャトルバスとモノレールを乗り継ぎ、モノレールの最寄り駅「リゾートゲートウェイステーション」から10分ほど歩く必要がありますから、ホテルの係員の薦めに従いホテルからタクシーを利用しました。

2010_04160155劇場周辺は入場待ちの高校生グループで溢(あふ)れていて、これは大変と劇場内に急いで入るとロビーも大変な混雑、まだ入場時間ではないので待っているのです。ミュージシャンで芸術家の石井竜也氏が制作した顔魂「太陽風~PROMINENCE」が目を惹きました。Zedからインスピレーションを受けて制作されたとの説明も。 
 

軽い食べ物と飲み物を購入してロビーで待つと6時半過ぎに入場が始まりました。

2010_04160137人波に押されて入った入場通路の先は不思議な空間です。軽食を食べ終わった頃にピエロが二人現れて2170名を収容する会場内のあちこちで観客を笑わせているのに気付きました。入場客を案内したり、すでに着席している客をからかったり、ピエロ同士で鬼ごっこやカクレンボをしたり、10分ほど時間が経つとごく自然な形でショーが始まりました。

2010_04160150_2 舞台に置かれていた大きな本を一人のピエロが持ち出して、もう一人のピエロがこれまた大きな鍵を取り出しますが、その鍵で本を開くまでの過程がやたらと長いのです。やっと開いた本の中にピエロが次々と入って行きます。そして照明が暗転するとともに天井から巨大な布が落ちて来ると、いつの間にか舞台中央に出来た丸い大きな穴に吸い込まれてしまいました。   

 

主人公のZedが冒険するストーリーアクト(演技者)は劇場のhpで見ることができます。注釈;劇場内は撮影禁止ですからここで掲載する写真はすべて劇場のロビーとエントランス・アプローチに飾られたパネルを写したものです。 

2010_04160157_22010_04160163_2アクロバット・ダンス、ワーヤーを使いピーターパンのように空中をフライイングする「バンジー(Bungee)」、投げ縄のパフォーマンス「ラッソ(Lassos)」、縄跳び、長いカーテン状の布を身体に絡(から)ませて縦横(じゅうおう)に身体を上下させる「ソロ・ティシュー(Solo Tissue)」の演技、ジャグリング、ストラップ(つり革)を使用した空中演技、舞台後方のバルコニーのような場所にも演技をする人たちが現れました。

身体の重さを感じさせない軽やかさだけでなく、高所から自由落下、舞台直前で布を巻き付けて身体を止める「バンジーパフォーマンス」など驚かされることばかりです

 

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そしてサーカスの花である綱渡りの「ハイ・ワイヤー(High Wire)」とブランコの「フライング・トラピス(Flying Trapeze)」も登場。綱渡りでは綱の上で他の演技者を飛び越えて後ろ宙返りをして見せ、ブランコは空中で回転するだけでなく体操のウルトラDレベルの捻(ひね)り技も加えます。一番驚かされたのは「天と地の誓い」のハンド・トゥ・ハンドでした。力強さと完璧なバランスを静かに表現。これらの演技の合間にピエロが登場して観客をリラックスさせるのは精神安定剤になっているようです

2010_04160142動と静、柔と剛、スピード感とバランス感、と様々な対比が上手く劇場内を3次元的に駆使する舞台演出に盛り込まれています。それをさらに盛り上げるのが舞台裏から流れる音楽、リズミカルなビートサウンドと静かに流れる重奏低音が絶妙の組み合わせで展開されます。演技の雰囲気はこちらから、音楽はこちら からアクセスできます。
 

2010_04160143_2最後はアーティストたち全員が集まって、それぞれのパフォーマンスでフィナーレを飾り、7名の楽団員も舞台に登場、出演者全員がフィナーレの挨拶をします。観客席からのアンコールに応えて3度目の挨拶をして終了となりました。演技に魅了された90分はあっという間に過ぎて夢見心地で劇場を後に。ホテルの部屋に戻ると葛西臨海公園の大観覧車もライトアップされていました。

<同行者のコメント> ほんとうに素晴らしいショーで大満足。旦那様にねだって良かったと思います。ショーは申し分なかったのですがポッポコーンを買い損ねたことだけがちょっと残念。来週見に行く「アリス・イン・ワンダーランド」の映画館では「アバター」の時よりも大きなポップコーンを買おうと心に決めました。

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2010年4月23日 (金)

平将門縁の地「坂東」 龍ヶ崎市の日帰り温泉「湯ったり館」

国道294号をさらに東へ走りました。取手市の国道294号交差点を左折して国道6号に入って龍ヶ崎市へ向います。牛久沼(うしくぬま)の手前にある小通幸谷(こどおりこうや)交差点を右折した県道5号で龍ヶ崎市の市街地を抜けて、半田町交差点を左折、県道68号を北上、長戸小入口交差点で右手の脇道に入り、緩(ゆる)やかな坂道を上ると公園のような場所に出ました。龍ケ崎市農業公園「豊作村」の温浴交流施設「湯ったり館」は龍ヶ崎市農業公社が運営管理する温浴交流施設(ごみ清掃工場に隣接して2000年にオープンした日帰り温泉施設)です。入館料は500円、手ぶらの客向けに貸しタオルや館内着のサービスもあります。

 

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男湯の「ふれあいの湯」には気泡風呂、ジェットバス、水風呂、サウナ、露天エリアには東屋風の屋根が付いた薬湯(この日は高麗人参)とやや大き目の檜(ひのき)風呂があります。湯はすべてイオン化作用の強い光明石(こうめいせき)を通した人工温泉。

 

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交流サロンと名付けられたリクライニングチェアが並ぶ休憩室もありました。

 

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2階は宿泊施設やゲームコーナー・卓球コーナーがあるようです。「コロッケの街 龍ヶ崎市」の町興(おこ)しポスターが貼られていました。

 

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守谷市の海禅寺からどこにも立ち寄らないで25km以上走り続けて龍ヶ崎市(旧北相馬郡の一部)の日帰り温泉施設まで来たことを不思議に思ったらしい同行者は「何か特別な温泉なの?」と訊(たず)ねます。通過した常総市にも天然温泉「きぬの湯」の綺麗な施設があったことを覚えている様子。最初の計画ではこの「きぬの湯」を立ち寄り候補に考えていましたが龍ヶ崎の名前に惹(ひ)かれてドライブしてみたくなったのです。

龍ヶ崎市のhpによると地名の由来は定説とされるものはないそうですが、竜巻が多い土地柄だったから、龍が降ってきた地の先にあるから、町の形が龍を思わせるから、龍崎氏が治めていたからなどが紹介されています。龍ヶ崎氏とは将門を討ち取った藤原秀郷の一族である下河辺氏が後に名を龍ヶ崎氏と変えたものです。平将門にまつわる伝説として「蛟もう神社」と「信太関跡」(将門が支配した関所)、史跡は藤代川の戦いで甥(おい)の将門に敗れて没した常陸国太守・平国香の供養塔があるだけです。

このように龍ヶ崎市で将門に纏(まつ)わるもののほとんどは伝承ですが将門が駆け抜けた坂東の地を少しでも広く走りたかったのです。そして信号機が少なく行き交う自動車も数えるほどの田園地帯の道は楽しいドライブとなりました。利根町の若草大橋有料道路で利根川を渡った千葉県印西市(いんざいし)の中の口交差点で県道59号(木下街道、きおろしかいどう))に入り、白井市を経由、鎌ヶ谷市の狭い県道の大渋滞を必死の思いで通り抜けました。中山競馬場脇を過ぎた原木(ばらき)ICから京葉道路に入れば一之江ICで首都高速7号小松川線に繋(つな)がります。

<同行者のコメント> 平将門についての講釈を聞きながらの長いドライブでした。最後は牛久沼のある龍ヶ崎市へ。ずっと昔のことですが旦那さまの車で牛久沼へ連れてこられたことがあります。沼に面した料理店で旦那さまがドジョウの柳川鍋を美味しそうに食べるのを見ていた記憶がよみがえりました。どうしてドジョウが美味しいのでしょう。龍ヶ崎市の温泉では地鶏の産みたて卵をお土産に買いました。□

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2010年4月22日 (木)

平将門縁の地「坂東」 守谷市の史跡

国道294号を水街道まで戻ってさらに南下、常磐自動車道谷和原ICを通過して守谷市(旧北相馬郡の一部)に入りました。北園交差点を左折してつくばエクスプレスの高架を潜り、関東常総線の高架を潜った本町の守谷城址(守谷城址公園)を訪れました。真新しい瀟洒(しょうしゃ)な家が立ち並ぶ住宅地(ひがし野)が迫っています。つくばエクスプレスが開通したことで都心(秋葉原)まで約40分(快速なら約35分)の近さに人気があるのでしょう。隣接するJR総武線沿いの取手市と同様の新興住宅地です。

   

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守谷城は平将門の後裔(こうえい)と称した下総相馬氏の居城でしたが江戸初期に廃城となったようです。地元では平将門が坂東独立王国の王城として建設したという伝説があるようで立ち寄ってみました。小貝川に近接する湿地帯に守谷城址が浮かぶようであったそうです。今はその湿地帯が守谷沼となってわずかに残るだけでした。

 

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平ノ台(主郭跡)へ上る途中に立派な空堀が残っていました。

 

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虎口(こぐち)を抜けた平ノ台は守谷城址の案内板があるだけの広場です。

 

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続いて訪れた愛宕神社は愛宕(あたご)中学校に隣接する場所にある長い参道が続く立派な神社、平将門が京都の愛宕神社を擬(ぎ)して創建したと伝えられます。

 

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そして三番目に訪れた高野(こうや)の海禅寺(かいぜんじ)は紀州の高野山にある金剛峰寺(こんごうぶじ)を模(も)して将門が創建したと伝えられる寺であることが海禅寺縁起(えんぎ)の案内板に書かれています。地名の高野もこれに由来するそうです。

 

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この寺には将門の位牌(いはい)と7人の影武者の墓があるそうですがいずれも後世になって作られたもののようです。立ち寄った記念に本堂を一枚撮影しました。

 

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2010年4月21日 (水)

平将門縁の地「坂東」 常総市の史跡

県道3号で菅生沼の南端を掠(かす)めると常総市(じょうそうし)に入ります。2007年に水海道市(みつかいどうし)が結城郡石下町(いしげまち)を編入合併して誕生した新しい市で、その名称は公募で決められたそうです。鬼怒川を渡った小絹東交差点を左折、国道294号(常総バイパス)で石下(いしげ)へと向いました。水海道の市街地を過ぎると定規で描いたように一直線の道路になり、工事中の圏央道(首都圏中央連絡自動車道)の水海道ICを横切ってしばらく走ると左前方に大きな城が見えます。関東常総線石下駅に観光案内地図があるだろうと予期して駅を目指していたのですがその前にこの城に立ち寄ることにしました。

 

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見るからに観光城のようです。駐車場に車を停めて城の入口に近づくと常総市地域交流センター(豊田城)の看板が見えます。

 

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相変わらず雨が降っていて視界は良くありません。最上階(7階)からの展望を諦(あきら)めて車に戻る途中に石下地域の観光案内図を見かけました。

 

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そこに表示された石毛城址は石下駅の北西方向、鬼怒川に近い場所のようです。案内図の近くで城を背景に立つ銅像(上から2番目の写真)は地元出身で正岡子規門下の長塚節(たかし)氏、かなりユニークな出で立ちでした。

 

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歴史上の豊田城は平将門を滅ぼした平貞盛の流れを汲む豊田氏の豊田郷にあった城で、その場所は小貝川河川敷(圏央道が横切る近く)だったようです。そして石下にあった石毛城は豊田城の防衛のために造られた城です。

余談ですが、石下と石毛の違いを帰宅後に調べてみました。5世紀頃から「伊師毛」と記され、和銅6年(713年)に「石毛」に変わり、江戸時代の寛永7年(1630年)の検地により「石下」と改められ、現在に至っているそうです。

石下中学校の前から踏み切りを渡って交番西交差点を左折して県道357号で街中へ入ります。石毛城址の案内板を探しながらゆっくり走りますが見つかりません。石下駅にはもっと詳しい地図があるだろうと思い立ち寄りましたが残念ながらそれらしきものはありません。先ほど撮影した案内図をデジカメの小さなディスプレーで確認、もう一度チャレンジ。今度は歩いて探しましたが一向に見つけられません。近くのガソリンスタンドに飛び込んで石毛城址の場所を訊ねると客対応の後にさきほど立ち寄った豊田城の場所を教えてくれました。城址であることを強調して再度聞くと地元の詳しい地図を取り出して調べてくれますがそれでも見つかりません。「近くに八幡神社があると思う」と私が言うとこれが良いヒントだったようで「それなら公民館の近くだ」と直ぐその場所を地図上で指差してくれました。公民館前の路地を入った民家に囲まれる場所は石毛城の大きな説明碑と石毛城址碑が残るだけです。

 

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次は将門公苑です。アイフォーンで情報検索すると向石下(むこういしげ)にあることが分かりました。向石下へ行って探せばと軽い気持ちのまま付け替え工事が行われている狭い石下橋で鬼怒川を渡りました。500mほど先の十二天神社の周辺を探索しても見つかりません。車がやっと入れる右手の路地を自動車学校のコースのように注意しながら徐行して走り回りますがそれらしきものが見つかりません。ゴルフ練習場「石下GC」で路地は行き止まり。

ここで常総市民俗資料館が近くにあることを思い出しました。その住所をカーナビに入力、そこで将門公苑の所在を聞こうと考えたのです。県道24号を700mほど西進して右手の脇道に入ったところです。しかし到着して驚きました。見るからに老朽化した建物で、しかもクローズされていたのです。落胆しながらUターンをする場所を求めて少し先へと進むと、左手に長塚節氏の歌碑を見かけました。ここで私の悪い癖がつい出て、長塚節の生家を目指して県道136号をさらに先へと走っていました。

 

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長塚節氏は明治時代に活躍した歌人・小説家で正岡子規の後継者と言われます。豊田城にあったのと同じ銅像が立つ立派な生家(豪農であった)をボランティアの方が案内してくださるとのことですが、例によって先を急ぐドライブ旅ですから、丁重に辞退しました。すでにかなりの道草を食っています。

 

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帰宅後に確認すると将門公苑は石下GCの反対側(左手)、法輪寺辺りにありました。向石毛城跡の碑、平将門公本拠豊田館跡の碑、平将門のレリーフがあるようです。

将門公苑を探索し損なった原因は十二天神社に気を取られたことと石毛城址の所在を見つけるのに手間取ったことも影響したかもしれません。何れにしても事前調査が不十分だったようです。イソップの寓話「酸っぱい葡萄(ぶどう)」風の言い訳をすれば、常総市(旧石下町)は将門公苑(豊田館跡)が将門の生まれた場所としていますが、豊田館は父である平良将(よしまさ)の館であって、将門がここで生まれたと言う歴史的な論証はなさそうです。この原稿を書いていて見つけました。豊田城にあった案内図には将門公苑と香取神社(良将が創建)もしっかり表示されていたことを・・・。

将門生誕の地としてはこの豊田館(とよだやかた)の他にも、母の実家があったとされる取手市寺田や良将の領地があった千葉県佐倉市将門町など多数の伝承があるようです。将門の母は下総国相馬郡の有力者であった県犬養春枝(あがたのいぬかいのはるえ)の娘と伝えられます。

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2010年4月20日 (火)

平将門縁の地「坂東」 坂東市の史跡(後編)

延命寺から100mほど戻って左手の小道に入りました。100mほど先の左手にある「石井の井戸」は地下水の湧き出し口で将門が石井の営所を造る理由となったようです。その時の説話が石碑に説明されていました。

 

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その説話に関係があるとされる一言(ひとこと)神社脇を抜けて200mほど進んだ道が折れ曲がった先に「九重の桜」がありました。京都御所の紫宸殿(ししんでん)前にある桜を根分けしたもので、恩赦によって将門の帰国が許された時に将門縁の地に移植されたという伝承があるそうです。ちなみに九重はかって王宮を意味する言葉でした。立身出世を求めて上った京に強い憧(あこが)れを持つ将門を象徴するように思えます。

 

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岩井交番前交差点近くまで戻った「富士見の馬場」は将門が軍馬の調練を行った場所と伝えられます。優れた騎馬隊が将門の強い軍事力となった背景です。ここで余談。野馬追(のまおい)で知られる陸奥国(むつのくに、福島県相馬市)の奥州相馬氏は将門の子孫とする説が伝えられますが実際は同じ桓武平氏の平良文(よしふみ、将門の叔父)の子孫と称する千葉氏の師常(もろつね)が将門の別称であった相馬の名を鎌倉期に継いだようです。下総国(しもうさのくに)の地に留まった下総相馬氏は衰退して相馬郡(千葉県と茨城県のまたがる中世の行政区)の地名だけとなり、明治初期に南北に分かれた相馬の地名も今や茨城県側の北相馬郡(利根町)が残るだけになりました。

 

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電線が地中化されたさくら通りを経て総合文化ホール「ベルフォーレ」に立ち寄ります。

 

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音楽ホール・アトリウム・図書館が入る施設の前庭広場に将門の騎馬像がありました。

 

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彫刻家一色邦彦氏の作。折立烏帽子(えぼし)を被(かぶ)り、狩衣(かりぎぬ)姿に太刀を差し、黒鹿毛の駒に乗った勇姿は京で栄達を願った将門らしさを感じます。

 

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近くの岩井公民館には生誕1100年を記念した平将門文学碑があるようですが新しいものですからパスして辺田交差点まで戻り、菅生沼(すがおぬま)へ立ち寄ることにしました。坂東市と常総市の境界にある菅生沼は南北約5キロメートル、東西約200~500メートルの細長い沼です。

 

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茨城県自然博物館の屋上から菅生沼が良く見晴らせました。

 

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眼下には花が咲く美しい庭園が見えます。案内図によれば「とんぼの池」を中心に森や広場が多数あるようです。手前に見えるのは「花の谷」と「花木の広場」。

 

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降り続く雨と時間の制約から心残りですが散策を諦(あきら)めることにしました。

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2010年4月19日 (月)

平将門縁の地「坂東」 坂東市の史跡(前編)

首都高速中央環状線の江北JCTから首都高速川口線に入って川口市の安行ICまで走り、県道239号で首都高速の下を赤山交差点まで進み、県道161号で茨城県坂東市を目指しました。坂東市は東京外環、東北道、常磐道のいずれの高速道路からも離れていることから今回選んだルートを詳しく紹介しましょう。

川口市から草加市の端をかすめ、越谷市の七左町交差点で国道4号と交差、東武伊勢崎線越谷駅前を経由、東越谷3交差点で県道115号へと左折、花田(西)交差点を右折して県道19号に入り、北葛飾郡松伏町の折れ曲がった道を経由して野田市に入る。野田橋で江戸川を渡り、野田市の野田橋下交差点を左折、県道3号に入って国道16号を横切り、芽吹橋(めふきばし)で県境の利根川を渡れば茨城県坂東市です

かなり複雑ですが、利根川に架かる橋が少ないことが最大のネックで、これが一番短いルートのようです。こんなルートを走るのが面倒と思う方は常磐道の谷和原(やわら)ICを出て国道294号と国道354号を利用すれば迷うことはありません。

ここで坂東についての薀蓄(うんちく)です。坂東は坂の東と書くように足柄(あしがら)峠や碓氷(うすい)峠の坂から東の地方を指す古称です。坂東太郎が利根川の異名であるように関東地方全体を意味する名称ですが、2005年(平成17年)に岩井市と猿島町(さしままち)が合併して成立した市の名称にも使われています。その坂東市は平将門が活躍、新皇を宣言して関東の大部分を含む「東国独立国家」を創り、そして終焉(しゅうえん)を迎えた場所でもあるのです。注釈;一部では阪東の表記が使われます。大坂と大阪の例と同じでしょう。他に板東英二さんの例もあって紛らわしい。

辺田交差点を左折して国道354号に入り、岩井交番前交差点を右折して県道20号(結城街道)の直線道路を1km余り走ると左手に岩井の国王神社が見えました。

 

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国王神社(こくおうじんじゃ)にある茅葺き屋根の社殿が落ち着いた印象を与えます。 

 

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御神体の将門坐像(ざぞう)は拝殿にある写真でその姿を見ることが出来ました。寄木造坐像は高さ28寸の衣冠束帯(いかんそくたい、公卿の正装)姿で右手に笏(しゃく)を持ち、目が釣り上がったように見える厳しい表情は将門が気迫に満ちた武人であったことを良く表現。将門の三女、如蔵尼(にょぞうに)の作と伝えられるそうです。ちなみに社殿と将門座像(宝物庫に収蔵)は茨城県の重要文化財に指定されています。   

 

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左手に掛けられた絵も同様の表情です。

 

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境内には天然記念物のアラカシ(粗樫)の大木が聳(そび)えています。これと向かい合うようにして将門研究で知られる赤城宗徳氏(元農林水産大臣)による立派な「平将門 追慕之碑」(昭和42年建立)が雨に濡れていました。

 

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続いて結城街道の反対側、約200m南南東に位置する島広山(しまひろやま)にある将門の本拠地「石井の営所」を訪れました。山とは地元の言葉で森のことのようです。

 

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将門の下僕が平良兼(よしかね、将門の伯父で上総介を任官)の甘言(かんげん)につられて営所(えいしょ、兵舎)内を調べあげて通報、良兼は好機到来とばかり精兵八十余騎で夜襲をかけますが将門方が急遽体制を整えたために逆襲されて敗走したことが伝えられます。石井の営所は政治・経済・軍事の拠点として栄えましたが藤原秀郷と平貞盛の連合軍と合戦して将門が破れると焼き払われてしまったそうです。

注釈; 平貞盛の子孫が武士として始めて太政大臣に任ぜられた平清盛、藤原秀郷の子孫には蒲生氏郷など多くの武家が存在する

 

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さらに200m余り先にある延命寺の山門は、見ごたえのある四脚門形式で、室町時代の建築様式を遺(のこ)した茅葺(かやぶき)切妻造りでした。

 

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その山門を抜けて石造りの太鼓橋で渡った正面が寝殿造りを模した朱塗りの薬師堂(仮堂)。堂内の厨子(ずし)殿に奉安する薬師如来像は、将門の守り本尊と称する持護仏で、将門の死後に祀られたものと伝えられています。(坂東市のhpより

 

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寺前に群生したオオアラセイトウ(別名が諸葛菜、紫花菜)が綺麗に咲いていました。

 

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ハマダイコンとよく似た可憐(かれん)な花です。(続く)

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2010年4月17日 (土)

大橋ジャンクションの走り初め

41年振りの遅さが記録された昨日からの積雪のため未明から首都高速道路が5号池袋線の戸田南~美女木JCTなど一部区間で通行止めになったようです。

さて今回のトピックスは3月28日に開通した首都高速道路の中央環状新宿線と3号渋谷線を接続する大橋ジャンクション(JCT)です。土地の制約から簡単な構造のJCTしかなかった首都高速で最初の本格的なJCTとして私は以前から興味を持っていました。関連ブログ「これって、何!」でも工事中の大橋JCTに触れています。高速道路などのJCTはインターチェンジ(IC)と同様に4つ葉のクローバ型が基本形ですが、大橋JCTは敷地を最小限にするために4つ葉を1つに折り畳んだ構造になっています。しかしメビウスの輪のように頭でその構造を想像するのは至難の業です。そして半径が小さい2重ループになっているためJCTというよりも螺旋(らせん)階段のように思われます。螺旋階段で思い出すのが会津若松の飯盛山にある「さざえ堂」です。螺旋階段を登るといつの間にか元の入り口に出る不思議な仕掛けでした。

一般道路にもループ状の区間が以外に多いのです。伊豆の河津七滝へ行った時に走った二重のループ橋(七滝高架橋)、志賀高原の「坊平橋」(ループ橋)、身近なところではレインボーブリッジのループ橋や新宿駅西口地下広場へ降りるループ道、立体駐車場内のループ通路などがあります。昔の話ですが学生時代に山陽地方を旅行した時に呉市の音戸大橋(1961年完成、橋の両側が2重ループ)に立ち寄っています。通常、ループ橋は高低差が大きい、敷地に余裕がない、あるいは橋の下を船が通過できるようにする場合に採用されますが、大橋JCTは最初の二要件を兼ね備えた特別な存在(高低差約70mの4層ループ構造、国立競技場とほぼ同じ広さ)なのです。

開通時の混雑が解消した頃合を見計らい、4月15日に東北道方面へドライブした折に、大橋JCTから中央環状新宿線を走りました。雨模様の3号渋谷線から入った大橋JCTはトンネル状の二重ループが続きます。

   

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一周したところで自動車の横転事故に遭遇、急な下り坂カーブでスピードを出し過ぎたのでしょう。ただでさえ狭い二車線のループ道が車線規制されていますから細心の注意を払いながらゆっくり走行しました。

 

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スピードを落としても地下深くへ急速に下りるのは落ちて行くようで、今日(4月17日)封切りされるアメリカの3D映画「アリス・イン・ワンダーランド」(不思議の国のアリスのその)でアリスが落ちた深い穴もこんな感じかもしれないと思いながらさらに下りて行きました。ちなみにこの映画は週末の混雑を避けて月曜日の鑑賞を予約しています。

 

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大橋JCTを抜けて中央環状新宿線(山手トンネル)の富ヶ谷ICと初台南ICを過ぎると西新宿JCT、さらに中央環状線の既存地下区間(山手トンネル)を走り、要町付近で中央環状線の地上区間に出ました。

   

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2010年4月14日 (水)

映画「007シリーズ」を堪能する

2010_04140011 寒暖の差が激しいこの頃は気候までがアナログからデジタルに変わったのかと思うほどです。それでも今日の午前中に出掛けた赤坂見附のグランドプリンスホテル赤坂では新館へ向かうアプローチに葉桜と一緒にもう躑躅(つつじ)の花が鮮やかに咲いていました。

 

今回のテーマは人気映画の「007シリーズ」です。シリーズ最初の作品はマイナー映画であった「007/ドクター・ノー」(1962年、テーマ曲)、「007」の名を一躍有名にした「007/ロシアより愛を込めて」(1963年、予告編主題歌)と「007/ゴールドフィンガー」(1964年、主題歌)、そして「007/サンダーボール作戦」(1965年、オープニング主題歌)、さらには日本が舞台となった「007は二度死ぬ」(1967年、主題歌)が衛星放送で放送されました。「007シリーズ」全22作品を3月21日から一挙放送するWOWOWの意欲的な企画です。私にとっての「007」は高校時代に洋画に夢中になる切っ掛けの一つでした。これまで何度も見ているシリーズですがやはりジェームズ・ボンド役はショーン・コネリーでなければいけません。

 

WOWOWの番組紹介では事前に行われた視聴者アンケートの結果、一番好きな007映画は「ロシアより愛を込めて」、お気に入りのボンド・ガールの1位はミスユニバース(2位)に選ばれた美しく気品があり妖艶なダニエラ・ビアンキ(ロシアより愛を込めて)、好きな悪役はロバート・ショウ(ロシアより愛を込めて)、好きなボンド・カーはアストン・マーチン(ゴールドフィンガーとカジノ・ロワイヤル)、好きな主題歌はシャーリー・バッシーの迫力ある「ゴールドフィンガー」、そして一番好きなジェームズ・ボンドはもちろん初代のショーン・コネリーでした。この結果に私も異存はありません。「007シリーズ」を観て俳優ショーン・コネリーを好きになった私はこのアクションスターが後年演技派俳優になるとは思ってもみませんでした。

 

英国の作家イアン・フレミングの原作を映画化して50年近く前に始まったこのシリーズは、今になって観るとそれほど刺激的ではありませんが、当時は上映中にリラックスする暇を与えないエキサイティングな映画でした。一番人気の「ロシアより愛を込めて」(当初の日本語タイトル「007危機一発」は意図的な誤字)は暗号解読器を巡る争奪戦です。亡命を希望するソ連のトルコ大使館員が暗号解読器を手土産に007に接近、二人がオリエント急行で国外脱出を図るが次々に追っ手が現われて・・・。「ゴールドフィンガー」は金市場の支配を企む男との対決で日系プロレスラーのハロルド坂田が殺し屋として登場、若い女性パイロットの飛行隊(空中サーカス)が花をそえ、アメリカの金貯蔵庫であるフォート・ノックスが最後の舞台でした。いずれの作品も主題歌が魅力的。

 

次ぐ「サンダーボール作戦」は盗まれた原子爆弾を奪い返す話で、ここまでが面白さのピークだったと思います。主題歌は私の好きなトム・ジョーンズが歌います。題名のサンダーボールを直訳すれば雷の玉、つまり原始爆弾のこと。NATO空軍に所属する英空軍機ごと奪った2発の原子爆弾で悪の組織であるスペクターが英国政府を恐喝(1億ポンド相当のダイヤモンドを要求)するという荒唐無稽な話をジェームズ・ボンドが面白く仕上げています。バハマ諸島のナッソーが舞台に。圧縮空気を利用した飛行装置(ドラえもんの竹コプターもどき)、時計型ガイガーカウンター、水中で呼吸できる器具など秘密兵器が盛りたくさん。スペクターとの水中戦がエキサイティング、バルーン内の007とヒロインが飛行機に救助されるまでハラハラさせられるアクションシーンの連続でした。

 

アメリカの有人宇宙船を捕獲した正体不明の巨大宇宙船が日本辺りに着陸したとの情報と香港でジェームズ・ボンドが殺さるシーンで始まった「007は二度死ぬ」では丹波哲郎さんが日本の諜報機関のトップ「タイガー田中」役で出演、ボンドが浜美枝さんの演じる日本女性(キッシー鈴木)と結婚、相撲横綱の佐田の山さん本人が登場するなどオリエンタルな雰囲気に溢れていました。ボンド・ガールに浜美枝さんと若林映子さんが選ばれましたが、私には若林映子さんの流暢な東洋風英語と浜美枝さんの美しさが印象に残っています。日本的でセクシーなトヨタ2000GTがボンド・カーとして使われ、日本の各地でロケが行われて、忍者も登場するなどサービス満点。その効果があって日本での興行は成功しましたが映画としては観光地紹介とエキゾチックさを強調する平凡なものだったと思います。この映画を最後にショーン・コネリーは一旦降板しています。

 

2007_01050077上記作品に加えてショーン・コネリーがカムバックして出演した「007/ダイヤモンドは永遠に」(1971年、主題歌)が4月3日に放送されました。「ダイヤモンドは永遠に」はタイトルから連想されるように国際的なダイヤモンド密輸組織と戦う話でシャーリー・バッシーが「ゴールドフィンガー」に続いて映画タイトルと同名の主題歌を歌ったことや、ムスタングがボンド・カーとして使われたこと、月面車も登場したことは印象に残っていましたが、映画としてはそれほどのインパクトを感じませんでした。社会人になってから観たためかもしれません。その印象は40年近く後になって観てもやはり同じです。

 

2009_102900341_227年間で48作品が製作された「男はつらいよ」(山田洋次監督、渥美清さん主演)ほどの本数ではありませんが、1954年にスタートして2004年まで50年間製作された「ゴジラ」とほぼ同じ期間続いている「007シリーズ」は長寿映画の代表格と言えるでしょう。ちなみに4月29日より48時間連続で全22作品(吹き替え版)が一挙にWOWOWで放送されます。

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2010年4月11日 (日)

わが家のアイフォーン騒動

わが家のアイフォーン愛用者(同居人)から突然苦情を突きつけられました。お気に入りの「数独」アプリが突然使えなくなったと言うのです。手に取って調べてみると、購入時に入っていたアプリは正常に使えるのですが、App Storeで追加購入したアプリがすべて使えなくなっていることが判明。アプリのアイコンをクリックしてもメニュー画面にすぐ戻ってしまうのです。よろず便利屋である私の出番ですからアップルのホームページにアクセスして調べてみました。アイフォーンが反応しない場合にはリセットしてみるように書かれていますので試してみると、説明書き通りにリンゴのマークは出るものの、一向に改善されません。アプリに不具合が発生したようですがどれが悪いアプリなのか見当もつきません。以前、アプリのアイコンが一つだけ色が薄くなって反応しなくなり、そのアプリを削除・再インストールして解決したことがありましたが、今回はどのアイコンも変化がありませんから闇雲(やみくも)に削除するのは躊躇(ためら)われます。そしてパソコンのUSB端子にアイフォーンを接続して確認しようとしましたがパソコンのアイチューンズ(iTunes)が認識してくれません。

 

本格的な故障に違いないと専門家にチェックして貰うことにしました。アイフォーンを購入した家電量販店では、先日のパソコンと同様に、メーカーの修理部門へ送り返すため日数が掛かりそうです。ちなみにパソコンの場合はちょっとした部品の交換に10日以上も待たされたのです。それではと渋谷にあるアップルの直営店へ出掛けました。平日の午後なのに店内は若い人たちで混雑しています。来店の目的を店員に告げると2階のジーニアスバー(Genius Bar)へ行くようにと。さっそく2階に向うと別の店員が親切そうに目的を訪ねてくれ、フロアに置かれたパソコンで時間を予約するように促しました。システマチックな対応だなと思いながら画面を覗(のぞ)くと予約可能な時間は一番早いものでも4時間近く先なのです。「こんなに先なの?」と聞くと「これでも今日は早いほうですよ」とすまし顔で答える店員。この物言いが気に入らない私は「ここは人気のラーメン店か?待ち時間の長さを自慢にするとは!」と減らず口をたたきたくなりますが、そこは大人ですから「また明日にでも・・・」と言うと、「ホームページにアクセスすれば自宅から予約できますよ」と親切なアドバイスが私の背中に突き刺さりました。

 

帰宅してアップルのホームページを開き、渋谷店のジーニアスバーのコーナーで予約しようとすると、予約する前に確認すべきことが箇条書きになっていました。自分でデータのバックアップを取るようにとの注意書きに続くトラブルシューティング・アシスタントの項には、まず充電をして電池の残量を確認、スリープ/スリープ解除ボタンを長く押して再起動、疑わしいコンテンツ(アプリケーション)の削除、ソフトウェアのアップデート、最新版のアイチューンズを使ってアイフォーンを復元するなどなど。それでも駄目な場合はApple Expertなどの専門家に相談するようにとも書かれています。指示の多さに辟易(へきえき)しながらも影響(リスク)が少ないと思われるアイフォーンの再起動とパソコンにある最新版アイチューズ(iTunes 9.1.0.79)を削除して再インストールしてみました。が、何の変化もありません。

 

最新版のアイチューンズにしても相変わらずアイフォーンを認識してくれないのです。これではアイフォーンのOSを最新版に出来ません。ここでオーバーヒート気味になった私の頭に閃(ひらめ)くものがありました。USBコードが原因かもしれないと! アイフォーン純正のコードに交換すると何と言うことかパソコンがちゃんと認識してくれました。そうでした。普段使っているコードは緊急充電用として出先で急遽購入したものだったのです。さっそくアイフォーンのiPhone OSを最新版の3.1.3にアップグレードするとパソコンと同期を取り始めましたからアプリのトラブルも直るかもしれないと期待が膨らみます。

 

しかしその期待はみごとに裏切られました。パソコンとの接続問題はコードが原因であるという初歩的なミスでしたが、アプリにアクセス出来ない問題はまだ残っています。一つずつ削除しながら正常に戻るかどうかを確認するのが正しい方法ですが、私はその前に逆の発想で、新しい無料アプリを追加して様子をみることにしました。新しいアプリをApp Storeからダウンロードしようとするとそれが中断されて「利用規約が新しくなったので承認するように」とのメッセージが出ました。これにOKするとダウンロードが正常に実行され、そのアプリが問題なく起動。これで不具合のあるアプリだけを削除すれば良いはずと、一つずつ確認すると何ということかすべて問題なく使えます。やれやれです!アプリの認証プロセスに関係する不具合だったかもしれませんが、とどのつまり原因が判明しないままの解決に終りました。

 

2010_04090001_22010_04090003_2 それでは何か新しいアプリを追加ダウンロードしょうと探していると「ラジ朗(らじろう)」が目に留まりました。あの「ラジコをアイフォーンで聴けるアプリでした。ラジコ公認ではないので将来使えなくなる可能性がある旨の断り書きがありましたが、無料ですから、お試し用としてダウンロードしました。ラジコで配信する7局がすべて快適に聴くことができます。ただしWiFi(無線LAN)経由のみでソフトバンクモバイルの3G携帯電話経由では利用できません。使い勝手も「コミュニティFM for iPhone」(i-コミュラジ)と同程度で満足できるものです。ついでにGoogle EarthGoogle Mobile App(音声による情報検索)もダウンロード。大変な1日になりましたが収穫もあって「これにて一件落着!」。

 

2010_04090009 恒例の蛇足です。注目されるタブレットPCの「iPad(アイパッド)」が4月下旬に日本でも発売されることになりました。世界に先駆けて発売されたアメリカでは順調な売れ行きとのこと。アイフォーンで味をしめた私はアイパッドも買いたいと思い始めた矢先、アイパッドにも使われるiPhone OSはバージョン4が今年の夏にリリースされる予定と報じられました。ニュースを読み進むとこれまでアイフォーンの欠点のひとつとされたマルチタスクを利用出来ないことが改善されるそうです。これは朗報(ろうほう)だと最後まで読んで悲報であることを思い知らされました。この機能を利用できるのは最新のハードウェア(アイフォーン3GS)で、わが家の初期バージョン製品(アイフォーン3G)はサポート対象外。バックワードコンパチビリティのないのがアップル製品の常であることを再認識。そうであってもアップル病(マック病)が再発した私はアイパッドを益々欲しくなりました。

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2010年4月 8日 (木)

目黒川と花散らしの雨

所用で目黒雅叙園を訪れました。都内で桜が満開になったと報じられて5日も経った昨日は生憎の雨模様、JR山手線目黒駅から行人坂を下りると3分ほどで施設拡張工事が進む目黒雅叙園に到着。工事のため右手のオフィスビル「ARCO TOWER」寄りの歩道を歩くとテラス越しにまだ満開と言えそうな桜の花が見えます。期待していなかっただけに嬉(うれ)しくなり、所用を済ませたら花見をしようかと思い立ちました。

 

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雅叙園の館内にある季節を演出する飾り付けはもちろん桜の花がモチーフでした。

 

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2時間ほど経ってから目黒川縁(べり)に下りてみました。太鼓橋です。下流方向を見やると両岸の桜並木の花が見事、そして川面(かわも)には「花散らしの雨」で桜の花びらが薄いピンク色の雲のように浮かんでいます。風が吹き寄せたのでしょう。

 

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上流に向って散策することにして目黒新橋へと目黒川左岸を歩きます。

 

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目黒新橋の袂(たもと)で目黒通りを横断、今度は右岸の桜並木に移るとここでも桜の花びらが川面で吹き寄せられ渦巻き形の花筏(はないかだ)を作っていました。

 

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次の橋は「ふれあい橋」、目黒区民センター前の幅の広い歩道橋です。

 

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田道橋を渡ると「ふるさとの川案内」があります。以前、池尻大橋まで花見をしながら目黒川を散策したことを思い出しました。

 

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中里橋から上流を見ると川面に浮かぶ花びらが墨絵のように不可思議な模様(風紋)を描いています。目黒川では雨の花見も一興でした。川に沿ってさらに進むと中目黒に至りますが、夕方に別の予定が入っていますから、ほぼ中間点である目黒と中目黒の境界に架かる中里橋から三田の住宅街を歩いて目黒駅まで戻ることにしました。

 

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2010年4月 7日 (水)

南房総の花と灯台(最終回) 馬来田と静養園「琥珀の湯」

県道167号(久留里街道)の真里谷交差点を過ぎたJR久留里(くるり)線馬来田(まくた)駅の地図で目的地の所在を確認しました。真里谷交差点を左折しても行けたようですが駅前から伸びる県道168号を東進、小さな案内標識に従って最初の脇道に入りましたが車には行き止まりの道でした。その先の富来田中学校前の交差点まで迂回して武田川へ向います。武田川沿いに約400mも続く「うまくたの路」は菜の花ロードでした。武田堰の先にある駐車スペースまで狭い道を進みました。土手に自生する菜の花は元気がなくて期待外れ。駐車場の先橋の袂(たもと)に馬来田(うまくた)にゆかりの歌が3首書かれた万葉歌碑があったようですが見過ごしてしまいました。

 

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真里谷交差点に戻る道に面したCAFE &花工房「ハンノ木」の店先に花がいっぱい飾られていました。

 

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馬来田とは変わった名前だと思い調べてみると、古代の豪族「馬来田国造」(うまくたのくにのみやつこ)がこの地を支配し、万葉集にも馬来田に縁の歌が3首入っているそうです。駅名(まくた)と地名(うまくた)で読み方が異なるのは珍しい例です。

そして真里谷には真里谷城址があります。室町時代の武将で上総武田氏の祖である武田信長が築城したとされており、その傍流の真里谷武田氏の居城となったようです。上総国において里見氏と対抗した勢力でした。

県道167号でJR久留里線の東横田駅まで走り、国道409号で首都圏中央連絡自動車道の木更津北ICを通過、小櫃川(おびつがわ)沿いの国道410号で国道16号の16号長須賀交差点まで走って左折、国道16号の終点を目指します。小糸川を渡った富津市青堀の大堀交差点から右手に入ったところがホテル静養園「天然温泉静養園」の看板が屋上に目立つ建物で、玄関前に温泉の源泉がありました。

 

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このホテルの「琥珀(こはく)の湯」は日帰り入浴(13時~22時)が650円です。午後4時前であるためか人の気配がほとんどありません。受付の人に左手の浴室を案内されました。予想以上に小さな脱衣所の先に不思議な形をしたタイル張りの小型浴槽があります。伊香保温泉露天風呂の浴槽に似てラグビーボールのような形をしています。浴槽に掛け流しになる湯は黒湯で、泉質はナトリウム-塩化物泉(弱アルカリ性高張性低温泉)、泉温は27.5度、褐色透明・塩味・無臭です。地下750mから自然湧出する湯の湧出量は45リットル/分。低温の源泉を加温、一部循環ろ過しながら、男湯と女湯で各々約5リットル/分の掛け流しをしていると説明されています。

 

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露天風呂も小振りの四角い浴槽(コンクリート製)で玄関脇に面しています。

 

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濃厚な湯に満足して帰路に着きました。新日本製鉄君津製鉄所脇を抜け、混雑する国道16号を東京湾アクアライン連絡道まで走りました。左折して袖ヶ浦ICに差し掛かると同行者がICの入口を指差しますが、それに逆らってそのまま国道409号を走ります。怪訝(けげん)そうな同行者に1区間(3.9km)走るだけで150円(ETC割引で100円)掛かることを説明、往路に出た木更津金田ICから東京湾アクアラインに入りました。ゲートには横風のため最高速度が60km/hに制限されていると表示されています。

 

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日が傾いて来ましたが日没まで時間はたっぷりあります。「海ほたる」に寄って軽い夕食を採りながら夕日を眺める趣向で5階まで上がり、西に面したうどん屋「木更津庵」を選びました。私は「木更津釜揚げうどん」を、同行者は「ひやしアサリうどん」を注文。

 

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羽田空港に着陸する飛行機が「風の塔」をかすめるように高度を下げて行きます。まるで山手線の電車ように等間隔で続く飛行機の列は機械仕掛けそのもの! そして上空には大きく旋回しながら順番を待つ飛行機も確認できました。

 

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長かった南房総のドライブ旅もいよいよ終わりです。

<同行者のコメント> ドイツ村では風が強くて大変、旦那さまは下見のために訪れたようで花の写真ばかり撮っていました。温泉は営業していないのかと思うほど静かで私たちの他にはお客さんが居なかったみたいです。最後に休憩した海ほたるから見る夕日がきれいでした。

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2010年4月 6日 (火)

南房総の花と灯台 東京ドイツ村

国道297号(大多喜街道)を走りました。見覚えのある風景です。大多喜町に入るといすみ鉄道のジーゼル車が菜の花で彩られた線路を走るのが見えます。大多喜城には立ち寄ったことがありますので道の駅「たけゆらの里おおたき」に立ち寄るだけで大多喜町を通過、峠を越えた市原市の米沢交差点で国道409号(房総横断道路)に入って袖ヶ浦市へ。三高交差点を右折、県道24号(久留里街道)と県道165号で東京ドイツ村に到着。千葉県にあっても東京の名が付くのは東京ディズニーリゾートと同じです。

車に乗ったままゲートを潜って入園しました。入園料は1200円ですが、東京ドイツ村のhpで印刷した割引クーポン券を持参すると100円引きになります。

 

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自動車用道路を使って車で園内を移動、好きなスポットの駐車場が自由に利用できるのは便利です。

  

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桜、シバザクラ(芝桜)、水仙が咲いていましたがバラの時季にはまだ早いようです。

 

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シバザクラは5分咲きと言ったところ。近くまで行くことにして坂道を上りましたが、この日は風が強いため飛ばされた砂粒がサンドブラストのように私の顔を打ちます。「これはたまらん」とシバザクラの撮影もそこそこに車内へ逃げ込みました。

「セント エンジェル ゴルフ リンクス」(パターゴルフ場)と観覧車の脇を抜けて園内を半周、「マルクトプラッツ」(ドイツ語で市場の意)で休憩。千葉物産館、キャラクターショップ、フードショップ、映像館、バーベキューやドイツ料理が味わえるレストランもあります。同行者がキャラクターショップで土産物を求めている間に私はツバメの巣を発見!

 

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隣のレストランに入って昼食です。ジャーマンプレートが売り切れ、アイスバインにしようか迷った末にジャーマンポテトと仔牛のカツレツを注文。ドイツらしい素朴な味でした。

 

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子供向けの遊園地の先にある菜の花畑では菜の花が満開、その周辺にはクリスマスローズとハクモクレン(白木蓮)も咲いていました。もう少し暖かくなればオチビちゃん、コチビちゃん、チビスケくんたちが楽しめそうなゆとりある空間です。ですが日を除(よ)ける屋根や樹木が少ないので夏はちょっと厳しいかも知れません。

 

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三高交差点まで戻って国道410号を南下、真里交差点を左折して県道167号を経由、そして国道410号に入って馬来田へ向います。(続く)

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2010年4月 5日 (月)

南房総の花と灯台(外房編Ⅴ) 勝浦灯台と八幡岬

朝食を済ませると同行者は再度卓球の挑戦状を突きつけてきました。受けて立つことにした私は、昨夜に勘を取り戻していましたから、余裕で45分の試合を制して終了。

勝浦市内を抜けて八幡岬の「勝浦灯台」に向います。串浜大橋際で国道126号から市街地に入り、勝浦市役所脇を通り過ぎ、丘陵地帯の道に入りました。

官軍塚の表示が目に入りました。広い駐車場にある説明書きには「戊辰の役で函館の五稜郭に移って官軍に抵抗した旧幕府の海軍副総督の榎本武揚を鎮圧するために向った肥後藩の援軍が乗る船が暴風雨のため勝浦川津沖の岩礁地で難破。川津の住人が救助活動を行うも130名の犠牲者が出たことでこれを供養したのが官軍塚である」旨が書かれていました。官軍碑は小高い場所にあるようですから立ち寄るのは断念して、潮岬の紀伊大島樫野崎にあるトルコ軍艦遭難慰霊碑のことを思い出しながら、勝浦灯台を目指しました。

前方に海が見えてきました。灯台に入るゲート前に駐車。50mほど歩いた場所にあるフェンスで囲まれた八角形の灯台は大正6年に点灯された勝浦灯台で、塔高21.2mと中規模ですが、海面からは71mもある光達距離は約41kmとパワフルです。

 

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灯台から海越しに八幡岬公園が見えます。

 

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入り江を回りこむような弓形のコースに沿って走り、ランニングの練習をする人達を追い越しました。小さなトンネルを抜けると八幡岬公園の駐車場です。うぐいす(鶯)の鳴き声を聞きながら散策路を歩きました。

 

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展望広場から先ほど立ち寄った勝浦灯台が見えます。

 

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この八幡岬公園は勝浦城址で、駐車場が三の丸、売店が二の丸、展望広場が本丸址のようです。一番高い場所にある八幡神社へ続く石段脇に城址の碑がありました。

 

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勝浦城主であった正木頼忠の娘が徳川家康の側室になった「お万の方」で、家康勢に攻められて城を明け渡す時にお万が布を使って崖を下りたことから「お万の布ざらし」と呼ばれたことが説明されていました。水戸光圀はお万の方の孫に当たることも。

 

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勝浦湾の小島に赤い鳥居が目立ちました。宮島にある厳島神社の鳥居に似ています。

 

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帰宅後に調べると平島の鳥居でした。勝浦市のhpによると勝浦大漁まつりで八幡神社の神輿(みこし)が勝浦港で舟に乗せられ平島を旋回する行事があるそうです。戦に破れ房総まで逃れた源頼朝が勝浦までやって来てこの島で一夜を過ごしたと言う伝説(史実ではない)も知りました。遠くに見える円筒形の施設は以前訪れたことがある勝浦海中展望塔です。今回の外房巡りはここまでにして再び内房へ向かいます。

 

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<同行者のコメント> 灯台めぐりのあとはカラオケ三昧の旦那さまにはあきれてしまいます。そして卓球では「つい本気を出してしまった」と意地悪なことを、くやしいです。でも夕食で出された食器がエキゾチックで私は好きです。□

 

P.S. 人気テレビドラマ「水戸黄門」に24年間出演して来た由美かおるさんが来週から始まる第41部を最後に降板することが今日のニュースで報じられました。

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2010年4月 4日 (日)

南房総の花と灯台(外房編Ⅳ) 鴨川から勝浦へ

太海(ふとみ)で国道128号(外房黒潮ライン)から県道247号に反れて「鴨川灯台」へ向いました。鴨川漁港の防波堤に向うと目の前の弁天島の上に灯台が見えます。

 

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鉄製の橋が防波堤と弁天島を結んでいるのを見つけて渡ることにしました。

 

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波打ち際の岩場で釣りをする人と海鳥がのんびり遊ぶ様子をしばらく見下ろしていたいのですが、午後4時になると日が傾いて薄暮の雰囲気が近づいていますので、この日の宿泊地へ向かうことにしました。

 

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国道128号に戻って安房小湊を過ぎると勝浦市です。2001年に閉園した行川(なめがわ)アイランド前を通過して内陸部に入りました。行く手に見えてきたのは新しく開発されたリゾート地のようで瀟洒(しょうしゃ)な建物が並んでいます。三井不動産が開発したミレーニアム勝浦は「太陽と風の丘」の愛称がついている高台に広がる別荘地でした。風力発電の施設(スウェーデン製で高さ30m)は近くのホテル「ブルーベリーヒル勝浦」で使う電気を賄(まかな)っているそうです。

 

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到着した宿泊施設に水仙やローズマリーの花が咲いています。県道297号から国道128号に入る直前に通り過ぎたイギリス風の建物と庭園が見えた道の駅「ローズマリー公園」(南房総市白子)に時間がなく立ち寄れなかったことを思い出しました。

 

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明るいうちに到着したことで先ずは風呂に入ってさっぱりと。夕食はボリュームの少ないものを選んで正解でした。やはり追加した舟盛はオーバーだったようです

 

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夕食を終えた後には予約しておいたカラオケをたっぷり楽しみました。他に利用者がないため2時間にも及び、30曲を超えたところで「助さん、格さん、もう良いでしょう」と水戸黄門の台詞を言い放って終了です。

寝るにはまだ早いと思っていると同行者が卓球をやろうと誘います。何年ぶりか思い出せませんが懐かしさもあって応じることにしました。最初はぎこちなかったプレーも段々熱が入ってくると、自分が優勢と見た同行者がカウントを始めました。立て続けにゲームを落とした私は男の意地だと挽回して1時間後に何とかタイに持ち込みドローでお開きに・・。もう一度お風呂に入ったあとは「白川夜船」でした。(続く)

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2010年4月 3日 (土)

南房総の花と灯台(外房編Ⅲ) 千倉町白間津から鴨川市江見へ

次に向ったのは「安房白浜港灯台」です。その場所を事前に確認できなかったために灯台の姿を探しながらゆっくり走りました。名前から白浜港の近くにあるのだろうと想像しましたが白浜港が見つかりません。名倉漁港や乙浜(おとはま)漁港にもそれらしき灯台は見当たりません。そうこうしていると隣町の千倉町白間津(しらまづ)に入っています。そして荒磯に立つ白浜港灯台がついに見えました。房州ちくら漁協の脇から岩場に下りて、滑りやすい足元と波のしぶきに注意しながら灯台まで歩きました。円柱形の平凡な灯台ですが茶色い荒磯とのコントラストが綺麗です。

 

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国道410号の千倉町平磯や白間津(しらまづ)にある「露地花畑」は海岸から山麓まで色とりどりの花のキャンパスが広がっています。田んぼの裏作として切花の露地栽培が行われているそうです。道の駅「白間津花のパーキング」に車を停めました。

 

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ポピー、キンセンカ、ストック、マーガレット、金魚草、矢車草、菜の花、クリセンセマム、デージーなどが一面に咲いて見事です。花摘みも出来ますがパッチワークの絨毯(じゅうたん)を敷き詰めたような花畑を眺めるだけで楽しくなります。

 

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県道297号(房総フラワーライン)に反れ、ローズマリー公園を通過、フラワーライン入口交差点で国道128号(外房くろしおライン)に入りました。

南房総市和田町の市街地を抜けた柴にある「花の広場公園」は銀色に輝くクジラの尾のモニュメントが目印の公園で、約5800平方米の敷地内には散策路が設けられ、花壇や花壇を見渡せる丘などがあり、これらを眺めながら散策ができます。この季節にはポピー、菜の花、キンセンカが咲いていました。

 

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ひときわ目を惹く鯨の尾の彫刻は「潮」(デザイン秋濱克大氏、製作橘智哉氏)でした。

 

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鴨川(かもがわ)市に入った江見には「江見港前島灯台」がありました。江見港の防波堤に突端にある前島に建つ赤茶色に塗られた灯台です。

 

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釣り人が一人、そして小さな漁船が港に戻ってくるのが見えました。(続く)

 

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2010年4月 2日 (金)

南房総の花と灯台(外房編Ⅱ) 布良港から野島崎へ

パソコンのトラブルでデータを失う被害を2度経験(本体ハードディスク)した私はデータを二重にバックアップしていますから、他のパソコンを使って当ブログへ記事を投稿することは何でもないことでした。何も投稿を中断する必要はなかったと思いながら12日ぶりに「南房総のドライブ旅」の記事に戻ります。

以前、立ち寄ったことがある南房パラダイスを通りすぎた相浜交差点で国道410号(房総フラワーライン)に入り、「布良鼻灯台」を求めて布良(めら)港に向いました。すでに廃止された灯台ですがその形だけでも見られないかと思ったのです。

 

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港周辺の狭い道を何度も走り回りましたが灯台の姿は見つかりません。ちょうど通り掛かったご婦人に布良鼻灯台のことを訪ねると、「以前は山の上にあったが、GPSが使われるようになったため、海上保安庁が廃止してしまったので今はない」と教えて下さいました。かなり詳しいことをご存知ですから漁師のお宅の方かも知れません。国道410号に戻ってこの辺りかなと適当に写真を撮りました。帰宅後に調べると写真に写る3つの小山のうち中央の小山(立ち木が低くなった場所)に布良鼻灯台があったようです。

 

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国道410号に戻って館山市と南房総市の境界にあるヘアピンカーブを過ぎた白浜フラワーパークに立ち寄りました。ポピーやキンギョソウが満開、ストック、キンセンカ、水仙、パンジー、マーガレット、菜の花なども楽しめました。

 

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売店で買った菜の花ソフトクリームはあっさりした甘味が美味しい。

 

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白浜フラワーパークを過ぎると道は平坦になって白浜町の市街地に差し掛かり、前方に「野島埼灯台」が見えてきました。南房総を代表する白亜の八角形をしたこの大型灯台は観音埼灯台に次いで2番目に古い煉瓦(れんが)造の洋式灯台(関東大震災後に改築された地上高約29m)。これまで何度も立ち寄っています。

 

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見慣れた一直線の道で灯台に向い、灯台の手前から少しそれた遊歩道を歩きました。

 

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房総半島最南端の碑の近くにある「最南端の石」(南アフリカ産)はエジプトのピラミッドに使われた平均的な石とほぼ同じ重量(28トン)があると説明されています。

 

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後方にそびえる野島埼灯台の両側には野島埼無線方位信号所とエアサイレン式の霧笛(むてき)舎が並んでいます。 

 

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前者は船舶や漁船が正確な方位を測定できるレーダー(レーマークビーコン、9GHz帯1.2W)で、船舶用気象通報(中波放送)も付属しています。後者は霧信号所のこと。霧や雨などで視界が悪い時に船舶に対し音で信号所の方位を知らせるもので、音の鳴り方(断続)でどの信号所であるかが識別できたのだそうです。GPSの普及によって残っていた5箇所の霧笛が3月末に廃止されたことをニュースが伝えました。ちなみにここ野島埼の霧笛は15年ほど前に廃止されています。

霧笛で思い出すのはカートを運転中に事故死した赤木圭一郎さんが主演した映画「霧笛が俺を呼んでいる」(1960年)で同名の主題歌を歌っていました。マドロス(オランダ語で船乗りのこと)が人気を集めた時代です。朝日と夕日が見えるベンチ(房総最南端のベンチ)はロマンチックなスポットですが朝夕には混雑しそうです。

   

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マニアックな情報です。霧笛舎のホーン横にアマチュア無線のHF(短波)用グランドプレーンアンテナ(ブラウンアンテナ)に似たものに鳥がとまっているのが見えました。

 

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これも調べてみると海洋短波レーダー表層潮流観測システム(通称はHFレーダー、短波レーダー)のアンテナでした。電波の分野に詳しいと思っていた私ですがその存在を知りませんでした。八丈島にある同様の設備とセットになって海流の動きを計測できる優れものです。周波数は5MHz帯で15kHzの幅で周波数を変化させた垂直偏波の電波が海面の波(回折格子となる)によって散乱されたものを受信してドプラー効果をコンピュータで解析(表層波と潮流のベクトルを分離するため2地点から送信された電波の散乱波を合成)するのだそうです。周波数を変化させる幅を大きくすれば観測精度(5MHz帯では30m長の波を観測可能)が上がるはずです。大学など他の機関のシステムを含めると全国に10数ヶ所あるようです。なおこのシステムで測定された現在の海流の様子を知りたい方は海上保安庁のhpを参照してください。(続く)

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