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2010年5月に作成された記事

2010年5月31日 (月)

旅の思い出を記録に残しましょう -アイフォーン活用編-

株式時価総額でマイクロソフト社を凌駕したアップル社のアイパッド(iPad)が5月28日に国内でも発売されて大変な人気を集めているようです。ソフトバンクの表参道店では徹夜組を含む約300人が、アップルストア銀座店には何と1200人が行列を作ったと報道されました。私は購入する前にアイパッドのメニューと料金プランを慎重に比較検討中です。アイパッドを購入した時にはその使い勝手を当ブログで紹介したいと思います。

新商品のアイパッドに周回遅れの感がありますが、今回の記事はわが家におけるアイフォーンの活用法を紹介します。

ブログを始めた頃

当ブログのタイトルが示すようにドライブ旅に出掛けることが多いわが家では旅の計画作り以上に旅の楽しさを記録に残すことが大変です。その記録手段として2005年10月に始めた当ブログ「温泉大好き、ドライブも!」はこれまで計695件(今回が696件目)の記事を書いてきました。

ずっと同じテーマで記事を書いてきましたが、最初から読み返してみると、書き方に様々な変遷があることに気付きます。最初は印象に残った事柄だけを簡潔に述べるだけで添付する写真も1枚に限定していました。同行者にコメントを入れてもらう合作手法は最初からのもの。投稿しはじめて1ヶ月近く経った14件目の「熊野古道と温泉」ではその土地の説明や訪問先についての記述とともに写真の枚数も6枚に増えています。

昔の旅を回想する記事もまとめて書き、「思い出に残る海外の旅行先」など総集編的な記事が続きました。記憶の隅に埋もれてしまいそうな旅の思い出を振り返っています。

そして「緊急事態、私の顎が溶ける!?」から旅と無関係な日常の出来事も書き始めました。子供の頃から好きだった映画・音楽・ラジオ制作などの趣味、「箱根の湿性花園」では草花の撮影にチャレンジ。2ヶ月が経過したこの頃から訪れた場所のhpへリンクを追加するようになっています。

旅の思い出を残しましょう」ではアナログ記録をデジタル化したことに触れて、その過程で思い出した海外の旅先を12件ほど立て続けに書いています。旅の思い出のアーカイブ作りが楽しくて毎日のように投稿しました。

その合間に書いた「箱根の楽遊壽林自然館」「箱根駅伝と雪の芦の湯」「氷結した山中湖と道志川温泉」などではドライブルートの説明を入れて現在のスタイルに近いものが定着し始めました。ほぼリアルタイムで旅の記事を書くようになると投稿ペースが落ちて月に3-4件に減っています。

記事スタイルの変遷

半年余りが経過した翌年5月の「宮城の温泉」では連載記事の手法を用いました。これは8月の「ドイツの古城巡り」へ引き継がれて、各記事も徐々に長くなり、添付する写真も20枚前後とアルバム化して行きました。その影響もあって月当たりの記事数も10-15件へと回復?しています。

一年を過ぎた辺りからリンクの手法を用いて関連する記事や訪問先のhpを適宜参照できるようにしました。そして1年半後の2007年3月に書いた閑話「和製英語と日本語の変化」で新井満氏が訳詩・作曲した「千の風になって」(歌:秋川雅史氏)で始めて音声情報へのリンクを張りました。

同年7月の「銀座の史跡探訪」ではじめて地図情報を記事に貼り付けました。文章の説明だけでは街角の詳しい場所を説明し難かったからです。11月の「池上本門寺と蒲田温泉」ではYouTubeにリンクを張り、「丹後半島のドライブ旅と城崎温泉」や「城南の緑道と淡島温泉」からはドライブルートや緑道のルート説明に地図情報を積極的に活用しました。関連記事へのリンクと合間って、各記事はくもの巣(Web)のように絡(から)み合い始めます。

2008年1月にはじめた「四国・お遍路ドライブ旅」では遍路道を説明するために地図情報リンクが役立つはずと思いましたが、際限がなくなってしまうと使用しませんでした。しかし翌2月の「大山道探索」では旧街道のルートを説明するには地図情報リンクが適していると考え直して試してみました。結構役立ってくれたようです。3月の「大和路のドライブ旅」では使い方のコツを覚えてほぼ現在のスタイルになりました。連載記事が多くなったことで月当たりの記事数も20件前後に増えています。

6月の「洛北ドライブ」、7月の「名古屋丸ごと散策」、8月の「富士山登頂」、9月の「奥の細道擬紀行」、10月の「空海の風景@京都」では旅のコンセプトを明確にすることに努めました。

2009年1月の「記録を残しましょう」ではデジタル記録の失敗例を紹介、同4月の「宮川渓谷」では現場で録音した鳥の鳴き声を本文に貼り付けました。

2009年5月-9月の「旧東海道ドライブ旅」、11月の「北信濃のドライブ旅」、2010年1月の「富士山で奇蹟を祈る」、3月の「栃木の小江戸・小京都」「南房総の花と灯台」、4月の「平将門縁の地坂東」、そして今月の「八ヶ岳周辺の清水と古代遺跡」などでもこの手法を実践しています。そして2月から写真サイズにも変化を持たせました。

アイフォーンの活用

「そんなブログ記事の回想はもう沢山。タイトルにあるアイフォーンの活用はどうしたんだ?」との声が聞こえるようです。前説(ぜんせつ)が長くなるのは当ブログの特徴で、いよいよ真打のアイフォーンが登場します。実は活用法のヒントをすべて前説に書いてしまいましたが、具体的なアイフォーン活用法を一つひとつ説明します。

2010_0524_0017 アイフォーンの優れた特徴であるウェブ検索機能、地図検索/GPS機能、ボイス/手書きメモ機能などが旅の記録を残す上でとても便利なのです。オンラインメモのEvernoteアプリを入れればスマートにメモを取るだけでなく、専用サーバー上に保管されたメモは自宅のPCからも見ることができるのです。そのメモの検索や写真に写る文字情報(現在は英文字だけですが近いうちに日本語にも対応予定)も認識して検索することができます。

2010_0529_0014 知りたい情報はYahoo!Googleの検索サイトで調べ、現在の位置をアイフォーンのマップ情報で確認すれば迷子にならず、ちょっとしたメモは音声あるいは手書き文字で入力しておけば後でブログを書くときに役立ちます。ある程度纏(まと)まったメモはEvernoteに保存しておけばなお安心です。そしてTwitter機能も便利そうですが、私の場合は旅先で利用するとリアルタイムで私の行動を公開することになりますので、今のところはブログ記事を投稿したあとの告知目的だけに留めています。映像で記録を残したい人にはUstreamが便利。オンライン中継をすることもできる優れものアプリです。

2010_0524_0021私が特に便利だと思うのはGPS関連機能です。アイフォーンの設定画面(一般)で位置情報サービスをオンにしておけば撮影した写真に位置情報(ジオタグ)が添付されますから、何処で撮った写真なのかを後になって正確に知ることができて便利。ちなみに最新のデジカメには同様の機能があるようですが・・。しかしこの機能には十分留意する必要があります。自宅や知人宅などで撮影した写真から個人情報(住所)が漏洩する危険があるためで、私はアイフォーンで撮影した写真をブログに使用(掲載)しないことにしています。

もっと便利だと思う機能は「マップ+コンパス」、どのようなルートで移動したかを地図上にプロットして経路を視覚的に表示してくれます。しかしこの機能は最新タイプである3GS向けで、わが家の旧バージョンのアイフォーンでは利用できないのが残念。3GSにはその他にもデジタルコンパス、経路表示、ビデオ撮影・編集機能が追加されていますが、旧版の3Gをこよなく愛する私はこれらの追加機能を指をくわえて眺めるだけですが・・・。

2010_0524_0023衣替え

ところで、わが家のアイフォーンはデストロイヤーのマスク風の黒いソフトケースから黒いハードケースに最近変わりました。接写レンズが欲しいと言う私の言葉に優しい息子が接写レンズ付のケースをくれたのです。感謝しながら使っています!

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2010年5月26日 (水)

「国境の南、太陽の西」を読む

八ヶ岳周辺を巡るドライブ旅の長い記事を書き終えたあとは晴耕雨読の日々が続きました。私の「耕」とは例によって芝生を刈る(ターフを取る)ゴルフです。はっきりしない天気が続くなか昨日だけは五月晴れ(と言うよりも初夏の天気)に恵まれてコンペを楽しみました。ちなみに先月は不本意なスコアにも係わらず荒天で調子を乱した参加者が多かったため優勝(ハンデ数が減少)していましたから、今回は無欲で臨んだのが幸いしてミスが少なく好スコアが出て望外の結果(1打差の準優勝)に・・。その他の天気が優れない日は村上春樹氏の長編小説を読んでいました。今回選んだのは「国境の南、太陽の西」(1992年)で、前回読んだ「アフターダーク」(2004年)より10年以上前の作品ですから、やはり一人称で文章が書かれています。

2009_1128_0096主人公のハジメ(僕)は大都市近郊の小さな町にある中産階級が住む住宅地で育ったが、一人っ子であるため自分の殻に籠る子供であった。小学5年生の時に転校して来た女の子(島本さん)は脚が悪く、家が近いこともあってサポートするうちに仲良くなる。彼女も一人っ子、レコードで音楽を聴くことが好きになった主人公は彼女の家へしばしば遊びに行くようになる。そこでよく聴いた曲がリストのピアノ・コンチェルトやナット・キング・コールの「プリテンド」と「国境の南」など。

しかし中学生になった時、隣町に引っ越すことになった主人公は、何となく気詰まりで彼女の家から足が遠退き、ついには会いに行くのを止めてしまう。そして主人公は特殊であることを避けて普通の子としてスイミングや読書をひとり楽しむ中学生時代を送る。

高校二年生の時に始めてできたガールフレンドはイズミ、それほど(島本さんほど)美人ではないが、久しぶりに心が通う相手に思われて付き合い始める。しかし卒業間近になってイズミに紹介されたイズミの従姉(いとこ)の女子大生と深い関係になった主人公はイズミを深く傷つけてしまう。

2008_0229_0020 大学に入った主人公は大学のストライキや学生デモに参加するが、自分が求めるものを大学で得られないまま卒業する。知人の紹介で何とか入った教科書を編集・出版する会社で編集やゲラ刷りの校正など退屈な仕事に満たされない気持ちで20代を過ごす。高校を出て以来、冷凍されたような12年間であった。

28歳の時、主人公は渋谷の雑踏で島本さんに似た女性を見かける。足を引きずって歩く癖(くせ)もそっくりである。思わずあとをついて歩き出す主人公。青山方面への坂道をずっと歩いて(中略)、タクシーをつかまえようとする彼女に声を掛けそうになった時に主人公は見知らぬ男に肘(ひじ)をつかまれて引き止められる。その間に女性はタクシーに乗ってどこかへ去ってしまう。

2010_0506_0384 30歳になった時、主人公は旅行先の八ヶ岳で知り合った女性(有紀子)と一目で惹かれあって結婚する。有紀子の父は中堅の建設会社の社長で、結婚の許しを求めに訪ねた主人公に二つ返事で認める。結婚して半年後、義父は「自分の会社に来ないか」と誘う。「自分は向いていない」と辞退する主人公に、「それでは自社が持つ青山の新築ビルで何か商売をやってみないか。家賃は貰うが、資金は必要なだけ貸してやるよ」と。

Aoyama1 主人公は義父の支援を得てジャズを流す上品なバーを始める。学生時代にそういう店でアルバイトしていて経営のノウハウを知っていたのだ。思い通りに仕上がった店は予想以上に繁盛して、2年後には同じ青山でさらに大きな2店目を出す。ビジネスが順調に進むとともに2人目の女の子が生まれて、主人公は生まれて始めて自分が求めるものが得られたように感じる。

その少し前、最初の女の子が生まれてまもなく、主人公は会葬御礼の葉書を受け取った。そこに書かれた名前はあの女子大生のものであった。イズミが送ってきたものであることは確かだが・・。そのイズミの消息を教えてくれたのは主人公の紹介記事を雑誌で読んだ同級生。しかしその説明は要領を得ないもので・・・。

Aoyama2雑誌に主人公の記事が出て1ヶ月ほど経ったある日、主人公の店で綺麗な女性が一人静かにダイキリ(カクテルの一種)を飲んでいる。良くあることと注意を払わない主人公。その女性は2時間ほどそうしていたあとに主人公のところへやって来てタバコの火を求める。その瞬間、主人公はあの懐かしい吸引力を思い出した。「島本さん」と乾いた声を発する主人公。さりげなく昔の思い出話が始まる。そして渋谷で見掛けて後を追った女性であることも知らされる。

3ヶ月ほど経ったある雨の夜、島本さんは再び店に現れて奇妙な頼みごとを主人公に持ちかける。「綺麗な谷川で、川原があって、すぐ海に流れ込む川」へ連れて行って欲しいと。その眼差しを見た主人公は日帰りの飛行機旅を約束する。旅行好きな主人公が覚えていた石川県の小さな川である。二人で訪れた谷川が気に入った島本さんは川原に下りて白い灰を水に流す。散骨のためだったのだ。そこで主人公は逆デジャブ現象を感じる。作者が言う逆デジャブとは予視感(私の造語)で、近い将来に同じ様な景色を見るだろうとの予感を指します。飛行場へ向うレンタカーの中で島本さんが体調を崩したため、主人公は車を停めて島本さんの持っていた薬を飲ませて介抱する。出発時間を過ぎていたが降雪のため1時間半遅れで二人は何とか帰京する。

2009_0219_0019 数日後、主人公は義父から幽霊会社の設立名義人になることを求められる。何やら暗い背景を感じた主人公だがそれでも断ることはできない。主人公は毎週のように島本さんと青山の自分の店や表参道で会うようになるが島本さんの中には彼女だけの孤立した小世界があると感じる。「ある種のものごとは一度前に進んでしまうと、もうあとには戻れない」と島本さんは語る。

ここまでが前半(私には「国境の南」のメロディーが流れる)のあらすじです。大分長くなりましたから後半(「太陽の西」になる?)のあらすじはあえて伏せてポイントに触れだけにします。デューク・エリントンとビリー・ストレイホーンが作曲したスタークロス・ラヴァーズ(The Star-Crossed Lovers、悪い星のもとに生まれた恋人達の意)をヶ月振りに訪れた主人公の店で聞いた島本さんは二人のために作られた曲のようだと主人公に言う。そして「国境の南、太陽の西」の意味が・・・。

2009_0216_0115島本さんを誘って訪れた箱根の別荘で主人公は翌朝目覚めた時に島本さんが居ないことに気付いて・・。「存在することと存在しないこと」「事実であることと事実ではないこと」、それを確認する根拠、つまりそれを証明する別の隣接した現実の連鎖が続いていると考えるようになった主人公はある日、まったく無表情な顔をしたイズミの姿を偶然タクシーの中に・・。主人公は自分の中にあった何かが消え・途絶えてしまったことを感じる。やっとの思いで店に戻った主人公はその気持ちを察したピアニストが弾く映画「カサブランカ」の「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」を聴いている。深夜になって帰宅した主人公と妻有紀子の長い対話の後に有紀子が言う、「あなたは私に向ってまだ何も尋ねていない」と。長い夜が明けて、空を染めた青を太陽の光が呑み込み、新しい一日が始まるのを主人公は不安な気持ちで眺めている。そして誰かの手が背中にそっと置かれ・・。

村上春樹氏の代表作のひとつである「ノルウェイの森」(1987年)の5年後、著者が米国プリンストン大学の客員研究員であった時に書かれたこの作品は同様のモチーフを扱っています。村上作品としてそれほど人気は高くありませんが、主人公が幼年期から壮年期まで成長する過程に感じたことを上手く表現しているのは流石(さすが)! 読みながらそれに共感する自分が居ることに気付かされました。

注釈; 写真は絵画館前、青山通り、八ヶ岳、青山一丁目(2枚)、南青山、青山霊園

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2010年5月21日 (金)

八ヶ岳周辺ドライブ後記

2010_05060092 今回の走行距離は約650kmでした。地図上で概算距離を測れば約350km、道路の曲がりを考慮した実ルート長でも高々2-3割増しの450km程度でしょう。実際の走行距離が200kmも多いのは重複走行したルートが多いためです。宿泊地の蓼科ではビーナスライン、メルヘン街道、湯みち街道を何度も往復しました。そして立ち寄り先に追加した遺跡(4ヶ所)の所在地を探索したことも貢献?したようです。当初のテーマは「中信濃の水を巡るドライブ旅」、そのアクセントとして茅野市にある中ッ原(なかっぱら)遺跡と尖石遺跡の2箇所に立ち寄ることにしていました。先月中旬、茨城県南西部に平将門縁の地を求めてドライブした時に将門公苑を見つけられなかったことを反省して、もちろん所在地を事前にしっかり調べました。

2010_05060031 しかし今回は中ッ原遺跡にある説明文で知った同じ茅野市の棚畑遺跡、そして芋づる式に隣接する諏訪郡原村の阿久遺跡、富士見町の井戸尻遺跡、さらに山梨県北杜市の金生遺跡を立ち寄り先候補に追加したのです。棚畑遺跡は、宿泊先で朝食前にアイフォーンを使ったインターネット検索で米沢地区にあることまで調べましたから、現地に行けば簡単に見つけられるだろうと蓼科高原から10数km急な坂道を戻りました。場所を聞こうとした八ヶ岳総合博物館は当日休館、米沢地区の工業団地と言うキーワードだけで訪れた福沢工業団地は外れ、中大塩で折角聞いた道順を取り違え、北大塩の農協で教えていただいた情報で向かった永明寺山方面では市民の森へ入る砂利道を無為(むい)に探すことに・・。私のカン(勘)ピューターはどうも性能が衰え始めたようです。

2010_05060331 駅前の周辺案内地図で確認できた金生遺跡と地図帳でおおよその場所を確認した井戸尻遺跡はほぼ問題ありませんでしたが、やはり地図帳で所在を確認できた原村の阿久遺跡は案内標識が良く整備されていたため案内標識に従いましたが、脇道に入る肝心の場所には道路の一方向だけに案内標識があり、その場所を行き過ぎる失敗を・・。案内標識の裏表(あるいは左右二ヵ所)に表示して欲しいものです。その上、目的地へ100mほどに近づいた農道の左折地点には案内標識がなく、辺りを見回して100mほど左手に説明看板らしきものを見つけてなんとか辿(たど)りつきました。つまりカーナビと同じで「目的地周辺です(あとは自分で探しなさい)」式の案内方法であったため、最後の約800mで戸惑(とまど)いました。他の地域以上に案内標識が充実しているのに「画竜点晴(がりょうてんせい)を欠く」この状況は残念。これは私の我侭(わがまま)でしょうか。

2010_05060369 今回のドライブ旅では、竪穴式住居の中にしばらく留まったり、八ヶ岳の湧水の流れに見とれたりしたことで、数千年前に遡(さかのぼ)って古代人になったような気分になりました。狩猟生活をしていたと考えられる縄文人には水の存在が大事だったのでしょう。飲み水だけでなく、食料となる木の実・川魚・貝などが育つためにもきれいな水が不可欠です。そして水はけの良い高台あるいは傾斜地が選ばれているのは湿地帯が住居用地に適していなかったからです。人工的な排水設備を造ることで平地に住んで農耕を行うようになった近代人とは違い、近くに水場があってしかも水はけの良い場所が古代人の住居用地の条件だったのでしょう。そうした地形から見晴らしの良い風光明媚(ふうこうめいび)な場所が多かったようです。

2010_05060367 つまり古代人の住居があった場所は現代において別荘地に求められる条件と重なります。蓼科、原町、富士見町、北杜市(大泉・小泉地区)、小海町にはいずれも大型の別荘地がありました。時代が変わっても人間に魅力ある住環境は余り変わっていないのかも知れません。

余談です。古代遺跡の場所を地元で尋ねると必ず返ってくる質問は「出土品が展示される歴史博物館へ行きましたか?」「何も残っていない出土場所を何故見に行くのですか?」と至極(しごく)もっともなものでした。古墳公園や歴史博物館へ出掛ける地元の人は多いのでしょうが、石碑や案内看板だけが残る発掘場所をわざわざ訪れる人は地元でも少ないようで、古墳の出土地を詳しく知っている地元の方は余りいらっしゃらないようでした。私が発掘場所に拘(こだわ)るのは、出土品は写真でも詳細に確認できますが、古墳のあった場所を写真で理解する(環境を感じる)ことは難しいと思うからです。住環境や生活の場に興味を持つ私には博物館の展示品(出土品)は興味の一部分でしかないのです。

 

 

<<再び感謝します>> 「八ヶ岳周辺の清水と古代遺跡」の記事(全11回)がいずれもココフラッシュ(ドライブ)で取り上げていただきました。ここに深く感謝します。

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2010年5月20日 (木)

八ヶ岳周辺の清水と古代遺跡(最終回) 原村の阿久遺跡と韮崎旭温泉

日が傾いてきました。八ヶ岳山麓を一周して予定外の古代遺跡を井戸尻まで巡りましたが、旅先で知った4ヶ所の古代遺跡(棚畑・金生・井戸尻・阿久)のうち阿久遺跡だけを訪れないことは心残りになると、隣りの原村へ向います。国道20号で北西に走り、富士見町の神戸八幡交差点を右折して県道90号でJR中央本線すずらんの里駅脇を通過、中央自動車道の諏訪南ICを通り過ぎ、原村の御射山交差点に差し掛かると前方に八ヶ岳が開けます。

 

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左折して県道425号を北西へ進むと原村の中心部に入ります。地図帳で確認すると県道197号へと左折してそのまま走れば良いはずです。集落の中を細い道が曲がりくねりながら続いた後に広い道と合流しました。どこから来る道だろうかと考えながら、中央自動車道がだんだん近くなり、そろそろ案内標識があっても良い頃だと思った時に茅野市との境界に差し掛かってしまいました。行過ぎたようですから引き返すと、先ほど合流した広い道に八ヶ岳を背景とした大きな案内標識があることに気付きました。

 

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少し先の案内標識にある右折表示に従って走りました。800mと表示されていましたが車のトリップメータは1000m近く増えています。

 

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また引き返すことにすると、三差路脇に大きな赤松(原村指定天然記念物のからかさまつ)があり、すぐ先に阿久遺跡は左へと表示されていました。標識の裏側には何も書いてありませんから通り過ぎたのは不可抗力!?

 

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釈然(しゃくぜん)としない気持ちで狭い農道を走りました。次の案内標識は見当たりません。差し掛かった農道の十字路で辺(あた)りを見回すと、左手の200mほど先にこんもりとした雑木林(ぞうきばやし)が見えました。何やら立て看板もあるようです。

やっと到着しました。国指定史跡の阿久(あきゅう)遺跡です。地図帳で再確認すると雑木林の中心部に遺跡の表示が描かれていますので、轍(わだち)の残る未舗装の道を急ぎ足で歩きました。

 

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雑木林の200mほど先は木が間引かれて明るくなっていますが行き止まりです。

 

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反対側の木の間から中央自動車道が間近に見えました。

 

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入り口まで引き返して看板の説明文をよく読むと中央自動車道の建設時に発掘調査を行ったあと、埋め戻して高速道路が建設されたことが説明されています。山梨県笛吹市の釈迦堂PAと同じでした。平成5年に造られた説明看板には史跡公園を作る計画があることも書かれていますが16年後の現在まで進展はないようです。

 

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高速道路の反対側に何かあるかもしれないと期待して行って見ましたが・・・。

 

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最後は手応えの無い結末になりましたが、八ヶ岳を1周したドライブに満足して帰路に着きました。元来た県道197号と県道17号で富士見町との境界まで走り、県道189号を利用して国道20号に出ました。国道20号へ直ぐ出なかったのは少しでも八ヶ岳山麓のドライブを楽しみたかったからです。

3kmほどで北杜市(ほくとし)に戻り、15kmほどで韮崎市(にらさきし)に入りました。国道20号は釜無川(かまなしがわ)を渡って韮崎市の中心部へと向いますが、混雑が予想されますから、手前の円野郵便局前交差点(三差路)で右手の県道12号へ反れ、信号の無い田舎道のドライブを楽しみました。

県道12号をさらに南下して鍛冶屋交差点を左折、約150m先を右折して到着したこの日の日帰り温泉は韮崎市旭町にある「韮崎旭温泉」。道を挟んで隣にある老人健康保健施設あさひホームの経営者が掘った温泉で2001年に開業したそうです。田圃(たんぼ)の中に建つ田舎商店風?の建物は至って平凡で、温泉マークがあることで何とか温泉施設であることが確認できました。

 

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入口を入った左手にカウンターがあります。利用料金は500円と安い。

 

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浴室では大きなL字型の浴槽に少し白濁した湯が掛け流しになっています。よく見ると細かい泡で湯が白濁しているように見えたのです。気泡温泉の泉質はナトリウム-塩化物・炭酸水素塩泉、源泉の温度40.5℃。1200mの地下から汲み上げているアルカリ性の源泉は湧出量が393リットル/分。食塩泉系の保温効果と重曹泉系の美人の湯に特徴があり、加水と加温など人口処理を一切していないと説明されていました。

確かに温めの湯は大変気持ちが良く、いつもより長い時間の入浴になりました。利用客のほとんどは地元の方のようで7-8名の入浴者は今年の気候と農作業の話題で持ち切りでした。地元住民向けの施設ですが信州や甲州に出掛けた時に温泉好きの方に立ち寄りをお薦めしたい温泉です。なお浴室の左手前にには浴槽の割には広い畳敷(たたみじ)きの休憩室があります。外に出ると日はとっぷりと暮(く)れていました。

ちなみにこれまで山梨県の日帰り温泉では、天恵の湯秋山温泉赤松湯ぷくぷく大菩薩の湯多摩源流小菅の湯金山沢温泉紅富士の湯野天風呂天水紅椿の湯ももの里温泉河口湖畔温泉寺などに立ち寄っています。

県道12号から県道20号を経由して竜王立体交差点で国道20号(甲府バイパス)に出て、甲府昭和ICで中央自動車道に入るかどうか迷いましたが、そのまま甲州街道を走ることにしました。法定速度の30kmあるいは40kmで安全運転をする車に前方をブロックされて快適なドライブとは言えませんでしたが、大した渋滞もなくほぼ予想した時間に帰宅できました。今回もずいぶん欲張ったドライブ旅で記事も長くなってしまいました。最後まで読んでいただいた方、本当にありがとうございます。

尚、今回のドライブ旅では以下の資料を参考にしました。

   「蓼科高原の自然・名所」 http://www.tateshinakougen.gr.jp/nature.html

   「小海町観光協会」 http://www.koumi-kankou.net/

  「清里観光振興協会」 http://www.kiyosato.gr.jp/

   「清泉寮(KEEP協会)」 http://www.keep.or.jp/ja/

<同行者のコメント> ずいぶんたくさんの場所へ行ったようですね。でも私はほとんど車の中で留守番をしていましたから、ブログ記事の写真と説明で行った場所を今になって知りました。でも清里だけは良く覚えています。旦那さまらしくない場所だと思いながら美味しい昼食をいただきました。サクラポーク(山梨豚の愛称)がとても柔らかく調理されていて、ナスのオイル付けもさっぱりして、つい調理の秘訣をウエイターさんに聞いてしまいました。シェフに確認したようで丁寧に説明してくれましたが、肝心なポイントは・・・。蓼科で入った温泉は高原らしくて楽しく、そして最後に入った韮崎の温泉は田んぼの中の小さな温泉で、入る前には??でしたが、お湯がとても良かったです。□

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2010年5月19日 (水)

八ヶ岳周辺の清水と古代遺跡(10) 金生遺跡・井戸尻遺跡

真っ赤に塗られたアーチ構造の東沢大橋を渡って県道11号を南に走りました。アーチ橋の後方に見えるのは権現岳(標高2715m)とその左の三ツ頭(みつがしら、標高2580m)、右端にわずかに写っているのは牛首山(標高2320m)と八ヶ岳最高峰の赤岳(標高2899m)のようです。

 

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天女山(てんにょさん)入口交差点を左折して県道28号で小海線(八ヶ岳高原線)甲斐(かい)大泉駅を目指します。道路脇に別荘地の看板が目立ちます。

棚畑遺跡と同様、訪問先に追加した金生(きんせい)遺跡の場所を確認するために立ち寄ったのです。期待通りに駅前広場に大泉高原の大きな案内地図看板がありました。地図の左下、駅からかなり離れた場所に金生遺跡を見つけました。谷戸城跡のすぐ南のようです。案内地図に従い県道28号で若林交差点を右折、県道606号を谷戸まで約2km西進した十字路を左折、町道(逸見神社通り)を1kmほど南下して目印の逸見神社まで難なく走りました。あと少しのはずです。谷戸城通りを探せば良いだろうと適当に選んだ左手の農道に入ってみました。

気が付くと矢戸城跡に行き当たりました。私の山勘(やまかん)が当たって正に谷戸城通りだったのですが、遺跡は丘や小山にあるだろうとの先入観で農道の十字路を左手の小山に注目して反対方向へ曲がってしまったのです。

 

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金生遺跡は谷戸城跡の南にあるはずであると600mほど南に走ると狭い農道の先に金生遺跡(国指定史跡)を見つけました。甲斐駒ケ岳が見える比較的平らな田園地帯でした。縄文時代には田園ではなかったはずですから潅木林(かんぼくりん)だったのでしょう。遺跡の入口にはオブジェが左右に建てられています。発掘されたシンボル的な形状をした石棒を模(かたど)ったもののようです。

 

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竪穴(たてあな)式住居が3棟再現されていました。

 

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尖石遺跡にあったものと少し構造が違うのでよく見ると、円錐(えんすい)型の屋根の下に円筒形の部分があり、しかもそこが粘土か何かで白く塗られています。調べてみると通常の竪穴式住居は伏屋式(ふせやしき)で、金生遺跡に再現されているのは壁立式(かべだちしき)と呼ばれるそうです。壁立式は拠点集落の大形住居や首長居館などに採用された権威を示す形式で伏屋式とともに弥生・古墳の両時代に築造されたと考えられるそうです。アフリカなどの住居と似ていて何かエキゾチックな感じさえします。

 

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住居跡38軒、配石遺構5基、集石遺構3基、石組み遺構16基など豊富な遺物が発見されましたが、発掘時に住居跡に「掘り込み」や「周堤」が見られなかったことから壁立式で再現されたそうです。

 

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右手奥の小屋に祭祀(さいし)遺構がありました。縄文晩期終末(2300年ほど前)のもので、発掘調査された時の姿でレプリカによる復元展示がしてあります。ちなみに気になった金生の名称は大泉町谷戸の字名でした。

 

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谷戸の十字路まで戻って県道608号をさらに西進して中央自動車道を潜(くぐ)り、JA梨北小淵沢支所前交差点で県道17号(七里岩ライン)に合流してさらに小淵沢(こぶちざわ)方面に走ると駒ケ岳など南アルプス北端の山々が前方に見えてきました。

 

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富士見町に入った最初の三差路にある井戸尻遺跡の案内に従って右折すると農道のアップダウンが続きました。2km余り走ると右手の傾斜地にある井戸尻遺跡に再現された竪穴式住居が見えますので駐車スペースと思われる場所に車を停めました。

 

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国指定史跡である井戸尻遺跡(井戸尻史跡公園)へ向う農道には車での進入を遠慮するよう注意書された立て看板があります。それほどの距離ではありませんから緩(ゆる)やかな坂道を歩いて登りました。標識から見て12号住居跡まであったようです。井戸尻考古館のhpによると出土品から推定して縄文時代中期にはすでに農耕(雑穀栽培)が行われていたそうです。ちなみに母沢(はあさわ)川から中央自動車道に近い鹿の沢までのおよそ2.5㎞の範囲には井戸尻の他にも曽利(そり)・藤内・九兵衛尾根・居平・唐渡宮・向原などの遺跡があって井戸尻遺跡群と総称されています。

 

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来た方向を振り返ると白州町の雨乞岳(標高2037m)などで山麓部は隠されていますが、南アルプス(赤石山脈)の北部にある頂(いただき)が尖がった駒ケ岳(標高2967mとその左後方の鳳凰三山(地蔵ヶ岳、観音ヶ岳、薬師ヶ岳)の残雪が輝いています。縄文人も同じ景色を眺めていたのでしょう。

 

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反対方向には八ヶ岳連峰南端の編笠山(標高2524m)と雲に覆われた権現岳(標高2715m)の頂上付近が手前の小山越しに見えました。(続く)

 

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2010年5月18日 (火)

八ヶ岳周辺の清水と古代遺跡(9) 清里高原の清泉寮

日本一高い場所にある踏切から500mほど先の清里駅(標高1274m)は日本で2番目に高い場所にある鉄道駅です。駅周辺は今や人気の高原リゾート地になっていて洒落(しゃれ)たペンションやショップが建ち並んでいます。

清里は八ヶ岳連峰の南麓に位置し、緩やかで圧倒的な広がりの裾野と、変化に富む富士山・南アルプス等3000m級の山々とのコントラストが美しい高原で、四季折々に変化する自然やのどかな牧場、森の美術館や各種スポーツ・登山・トレッキングなど、観光だけでなくアウトドアフィールドとしても魅力がいっぱいであると清里観光振興会のhpが紹介しています。

40年近く前(清里ブームが起きるずっと前)に訪れた清里は小さな駅があるだけの寂しい場所だったと覚えています。調べてみると清泉寮(せいせんりょう)はすでにあったようです。終戦後、米人ポール・ラッシュ氏が創設した「財団法人KEEP協会」のことです。小海線が部分開通した昭和8年に始まった山梨県の八ヶ岳開拓事業と東京市(現在の東京都)の小河内ダム建設で移住した農民によって開拓されたのが清里だそうです。

 

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ちなみにKEEP(キープ)とはKiyosato Educational Experiment Projectの略で、上述のポール・ラッシュ氏が第2次世界大戦で破綻した日本を再建するため、八ヶ岳山麓の農村をモデルに、酪農を中心とした高冷地農業を全国に広めた活動です。

遅い昼食にすることにします。清泉寮の駐車場に車を停めて清泉寮本館へ向かうと手前のジャージー・ハット(売店)のウッドデッキに足湯を見つけました。

 

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地下から汲み上げられる温泉で、泉質はナトリウム・マグネシウム-炭酸水素塩泉(低張性弱アルカリ高温泉、PH7.7)、泉温は46.2度と説明されています。

 

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ポール・ラッシュ氏の胸像です。

 

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本館2階にあるレストランを選びました。左手の玄関にあるXマークは聖アンデレというキリスト教の守護聖人にちなんだ十字架だそうです。階段とダイニング・ホール内部にはアメリカンインディアン(米国南西部にあるフォーコーナーズの砂漠地帯に住むナバホ族)の版画や装飾品が多数ディスプレイされています。レストランの方から米国人支援者からポール・ラッシュ氏に寄贈されたものであるとの説明を受けました。なめし皮の服や羽飾りが見事です。

 

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同行者はお薦めランチ(サクラポークのソテー)を注文、「あなたは本日のパスタね」と見透かしたように言うため、へそ曲がりの私はオリジナルビーフカレーにしました。いずれのメニューにもパン・サラダ・スープビュッフェ・デザート・ドリンクが付いています。

 

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ドライブ中の私はアルコールを飲めませんからカラフェで出された喉越しの良い!八ヶ岳の清水をガブ飲み、同行者はKEEP農場の濃厚ミルクを。デザートがカラフルです。

 

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その後、同行者は1階のショップで土産物を品定めしていますので私は敷地内を散策。買い物が終わった同行者を誘って隣のジャージー・ハットに立ち寄りました。ここで売られる清泉寮ソフトクリームは濃厚な味に人気があるようです。ソフトクリームが大好きな同行者のためを思ったのですが、一口食べた同行者は微妙な顔をしながら私にそのソフトクリームを差し出します。私も少し舐(な)めてみましたが子供の頃に食べた不二家のミルキーキャラメルのように感じられて・・・・。

 

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清泉寮の敷地内には他に「やまねミュージアム」や「アメリカンフットボールの殿堂」もありますが先を急ぐことにしました。(続く)

 

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2010年5月17日 (月)

八ヶ岳周辺の清水と古代遺跡(8) 麦草峠・小海町の松原湖・野辺山の日本鉄道最高地点

前日にも見かけた柏木博物館を過ぎると国道299号(メルヘン街道)は曲がりくねった上り坂となり、楽しいドライブが続きます。すぐ下の写真は湖東地区から見た八ヶ岳連峰、2番目の写真はメルヘン街道をかなり上ったこの辺りで撮影しました。

 

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街道脇の石段で日向木場展望台(ひなたこばてんぼうだい、標高1950m)へ登ってみました。

 

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八ヶ岳連峰が望めます。

 

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道が単調になると4月20日に開通(冬季通行止めが解除)した麦草峠(標高2127m)、その周辺では残雪が見られます。

 

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この峠を過ぎると佐久郡佐久穂町に入ります。白駒池は北八ヶ岳最大の池で一周約40分の遊歩道が付けられています。原生林と高山植物が見られようですから是非立ち寄りたいのですが、棚畑遺跡の探索に1時間半も予定外の時間が掛かっていますので、今回はパスすることに・・。蓼科山山麓にはこの外にも雨池、七ッ池、双子池(雄池と雌池)、亀甲池があります。

しばらく尾根道が続いたかと思うと小海町に入ったメルヘン街道は再び「いろは坂」のように折れ曲がって佐久穂町へ戻ると八千穂高原ですが、その手前の三差路を右手の県道480号(松原湖高原線)に入りました。なだらかにカーブしながら県道は一気に高度を下げて行きます。小海リエックスガーデン入口周辺には見事な白樺林がありました。

 

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大木の枝にボールのようなものがくっついています。ヤドリギに寄生されたようです。

 

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県道480号(松原湖高原線)で松原湖へ向います。若葉が芽吹いた新緑が輝いています。サラサドウダンツツジの群生地がありますが開花はまだでしょう。蓼科高原ほどの規模ではありませんが別荘地が開発されていました。

 

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麦草峠から1000mも下がった場所にある松原湖(海抜1123m)は八ヶ岳の噴火でできた湖で上高地と同様の生い立ちです。松原湖と長湖など3つの湖の総称として使われることもあるようです。残雪がまぶしい北八ヶ岳の景色を楽しみました。

 

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周辺には民宿や釣宿が多数立ち並んでいます。湖畔に芭蕉の句碑(2箇所)があるようですが今回はパス、同行者は急な高度変化(10km余りの走行距離で1kmの高度差)で耳が変になったと訴えています。

 

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さらに急坂を下りてJR小海線の松原湖駅近くで国道141号(佐久甲州街道)へ出ました。JR小海線(愛称八ヶ岳高原線、昭和10年に開通した78.9kmの高原列車)沿いに山間の道を走ります。小海町には小海を始め海ノ口や海尻など「海」が付く地名にが目立ちます。北八ヶ岳山塊と奥秩父山塊に挟まれたこの地は太古の時代に海が広がっていたのでしょうか。ちょっと信じられません。実は太古の昔に天狗岳の噴火による溶岩で千曲川や相木川がいたるところを堰き止められ、いくつもの湖が存在したことから、海にちなんだ地名が残っていると言われています。

 

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海ノ口にある「いろは坂」のようなカーブを過ぎた野辺山(南牧村)には日本最大の電波天文台(野辺山宇宙電波観測所)があります。JR線最高駅(標高1345m)である野辺山駅からほぼ南へ2km余り、今回のテーマとは無関係ですから、興味は大いにありますが、この先の計画を変更したため通過することにしました。ちなみに戦前は野辺山海軍航空隊予科練の特攻隊員の飛行練習場があったそうです。

 

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山梨県に入って日本一高い場所にある踏切(標高1375m)を渡りました。

 

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20代前半(40年近く前)に車を購入した時に訪れています。今は大きなホテルや店舗が建ち並んでいて当時の面影がありませんが、踏み切りそのものの様子はその時の写真とほとんど同じでした。(続く)

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2010年5月16日 (日)

八ヶ岳周辺の清水と古代遺跡(7) 女神湖・白樺湖・音無の滝・棚畑遺跡

ドライブを再開、ビーナスラインをさらに進んで白樺湖(しらかばこ)へ向います。

 

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八子ヶ峰(やしがみね、標高1833m)や車山(くるまやま、標高1925m)はまだ残雪があります。

 

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車山に続くなだらかな霧ヶ峰とその右後方にある三峰山(みつみねやま、標高1887mの尖った山)は小さく見えますが、両者の間に狙った穂高連峰など北アルプスの山々は残念ながら春霞(はるがすみ)の彼方(かなた)です。

 

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女神湖へと回り道してみると湖畔の小さな湿原には水芭蕉が咲き始めていました。

 

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ポンプで水を供給しているようです。

 

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白樺高原スキー場と蓼科山(標高2530m)を背景にした女神湖です。堰堤(えんてい)が人造湖であることを示しています。

 

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白樺湖の東の入口にあるのはテレビCMで知られる池の平ホテルです。池の平と言えば私は長野県東御市(とうみし)の湯の丸高原にある池の平湿原を思い出します。そのような混同を避けるためかどうか分かりませんが池の平ホテルは白樺リゾートの名をCMで使っています。写真の右後方に写っているのは車山です。

 

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久しぶりに訪れた白樺湖は以前と変わりないように見えますが、ところどころに営業を止めた店舗や美術館などが目に付きました。写真は白樺湖のほぼ西端から蓼科山を撮影したものです。

 

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車山高原・霧が峰高原・美ヶ原高原へと足を伸ばしたいところですが断念、国道152号(大門街道)へと左折して白樺湖周辺の景色を堪能(たんのう)しながら芹ヶ沢交差点まで南下、途中のつづら折れ近くで音無(おとなし)の滝を撮影しました。武田信玄が川の瀬音がうるさくて軍議(ぐんぎ)が出来ないため、大声で「うるさい」と怒鳴ると川の瀬音が無くなったことから、音無川と呼ばれるようになったと由来が説明されています。

 

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芹ヶ沢の三差路を右折して米沢地区の棚畑(たなばたけ)遺跡を目指しました。早朝の散歩から戻ったロビーでレプリカを見た縄文のビーナスが出土した棚畑遺跡を訪問先に急遽追加したのです。アイフォーンで検索して米沢地区の工業団地にあることを突き止めています。詳しい場所を確認する方法は市役所に電話をするか、検索時に見つけた八ヶ岳総合博物館で聞くのが良いと考え、そして後者を選びました。

国道152号(大門街道)で茅野市街地方面へと戻ります。福沢工業団地入口交差点を通過すると博物館の案内表示があって難なく到着できました。しかし当日は休館日! これは先日常総市民俗資料館を訪ねた時と同じ失敗です。

 

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福沢工業団地入口交差点があったことを思い出して現地で探すことにしました。高台にあるこの工業団地は遺跡の場所として相応(ふさわ)しいように思われ、団地内を徐行して探索しましたがそれらしき標識や案内板は見つかりません。通り掛った地元の年配者にお聞きすると、「農道から広い道へ出た大塩の方だ」と教えて頂きましたのでその大塩を目指しました。途中の菅沢橋(すげさわばし)に「縄文のビーナス」のレプリカが飾られています。確信を得て中大塩の商店でさらに詳しい情報を得ました。

 

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「県道192号(ビーナスライン)に出て1kmほど先を右手の脇道へ鋭角に入る」と明快ですから間違いありません。ところが頭に血が上っていた私は左折と右折を取り違えてしまいました。約1.5km走行して入った湖東の工業団地も違うようで、ビーナスライン沿いにある「りんご屋」さんで尋ねると「北大塩交差点にある農協で訊(き)くと良い」とのアドバイスが・・。3色のヤエザクラがびっくりするほど綺麗に咲いていました。

 

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農協まで戻って売店の店員さんに訊(き)くと道順を具体的に教えてくれました。反対方向だったのです。その情報に従って農道を走ると永明寺山公園・市民の森入口の大きな看板と縄文のビーナスの写真看板がありますが出土地の案内はありません。

 

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右折して緩やかな坂道を1kmほど登りましたが何も見当たらず、引き返して市民の森へ砂利道を登ってみますがこれまた空振り。県道まで戻って別の店で聞くと親切に教えて頂けました。「大きな看板があるところを右手に入って数十m。縄文のビーナスは尖石の博物館にありますよ。」と。実物ではなく出土地に関心を持つことを不思議に思われた模様。日本電産ニッシンの工場敷地角にやっと棚畑遺跡の碑を見つけました。米沢地区でのこの右往左往に興味がある方は地図情報リンクで確認できます。

 

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工業団地のキーワードに引き摺(ず)られて米沢地区の工業団地巡りをする結果になってしまいました。人は冷静さを失った時の思い込みと注意力低下が悲惨な結果を招くことを痛感。米沢地区(長さ約10kmで幅4-5kmもある大都市の区ほどの広さ)を走り回る予定外の行動で1時間余り時間を浪費しましたから!?先を急ぎます。(続く)

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2010年5月14日 (金)

「将門記」を読む

「八ヶ岳周辺の清水と古代遺跡」を巡るドライブ旅はやっと折り返し点に差し掛かりましたが、ここで気分転換をするため、幕あい(intermission)の小休止にしたいと思います。私はこの長いブログ記事を書きながら「将門記(しょうもんき)」(山川出版社)を読んでいました。平将門(たいらのまさかど)の後半生を記したこの書物は将門が亡くなった4ヶ月後に書かれた(後年になって書かれたとの説もある)とされます。

2010_05130020父の急死で京の宮仕えから地元坂東に戻った将門が伯父たち一族との土地争いや彼らと姻戚関係にある源護一族との抗争が幕開けです。戦上手の将門は一度敗れたものの劣勢を挽回、争いに決着を付けて隆盛の勢いとなりますが、予期せぬことで常陸国(現在の茨城県)の国司と衝突した将門は運命の歯車が狂います。常陸国軍は兵の数では圧倒的に勝るものの将門の敵ではなく、国府を包囲されると国司は降伏して国印(国司が公文書に用いる印)と国の倉庫の鍵を差し出します。常陸国を制覇した将門の配下である皇族の興世王(おきよのおう)が一国とはいえ朝廷へ反逆してしまったのだから坂東八国すべてを奪い取るよう唆(そそのか)しました。

下野国(しもつけのくに、現在の栃木県)、次いで上野国(こうずけのくに、現在の群馬県)の国府も同様に制圧して国印と国倉の鍵を奪い占領、将門は新皇(しんのう)に即位します。将門から主君の太政大臣藤原忠平(ただひら)へ書き送られた弁明の書状や信濃国府などからの報告で京の朝廷は大騒ぎとなります。将門が天皇に代わって坂東八国と伊豆国の各統治者に部下を任命したのです。

2010_05130028恐れおののいた朝廷は寺社の調伏(ちょうぶく、祈祷による悪魔退治)を行うとともに将門追討の命令を出します。これにより一度は恭順の意を示していた下野国南東部(現在の佐野市)の藤原秀郷と将門を裏切った従兄弟の平貞盛が連携。坂東各地で貞盛の所在探索に力を注ぎ過ぎた将門の隙(すき)をついて、手勢が手元を離れた将門に合戦を挑(いど)んで数度にわたる激戦となります。最後の戦で将門は風を背にして優勢にありましたが、突然風向きが反転したため形成が逆転(中国の三国志にある赤壁の戦いと同じ)、何処からともなく飛んできた矢に当たって将門は戦死、その首は京に送られるまでを将門記が記述しています。

2ヵ月前に将門縁の地として茨城県南西部(旧下総国相馬郡の坂東市、常総市、守谷市、龍ヶ崎市)をドライブした私は、何か物足りなさを感じて、海音寺潮五郎氏の「悪人列伝」だけでなく当時の記録である「将門記」を読んでみたくなったのです。将門記は表音漢字を用いる和化(わか)漢文で書かれていますから、私には原書は読めそうもなく、良い解説書がないかと探して見つけたのは村上春樹氏が書かれた「将門記」でした。村上春樹氏と言っても私が閲読(えつどく)している人気作家の村上春樹氏ではなく同姓同名の将門研究家で、世代が違いますが同じ大学の先輩と後輩のようです。

2010_05130030例によって前置きが長くなりました。「物語の舞台を歩く」と冠した上記の将門記は原本の解説だけでなく、登場する土地(茨城県、栃木県、群馬県、千葉県を主に、長野県、埼玉県、東京都、神奈川県等を含む)を隈(くま)なく歩いて、主な遺跡や史跡の写真を掲載するとともに現在の地図と古地図を使って立体的に解説。読み難(にく)い地名や言葉にはルビ(振り仮名)が振られて親切です。

上述した経緯を将門記の記述を引用しながら詳しく解説、記録が残っていない場所も様々な資料を引用して候補地を示し、合戦に明け暮れた将門の戦い振りも分かり易く描写しています。前半は一族との争いと従弟の平貞盛との確執を詳しく解説、後半は坂東に王国を樹立するものの秀郷と貞盛の連合軍に敗れる経緯を時系列順に並べ直して説明します。

2010_05130031最後の章では平将門一族と家来達の行く末と落ち武者伝説にも触れたあと、「将門の乱」の評価を行っています。将門は過(あやま)って自身の分際(ぶんざい)を越えた大望を抱き、流れ行く水のように生涯を閉じ、秀郷や貞盛に官位を与える結果となったことは、まさに憐(あわ)れむべきことであると締(しめ)くくります。

平家物語など軍記物語の源流と言えるこの将門記は将門の後半生を語るものですが、将門の宿敵である平貞盛の家系が平清盛につながり、その清盛一族も同じく滅びてしまうという武家社会の系譜を想起させ、大きな歴史ロマンを感じさせる良書でした。

注釈; 写真は今週の初めにわが家と近所で撮影した春の花です。気分転換のために掲載したもので記事の内容とは関係ありません。

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2010年5月13日 (木)

八ヶ岳周辺の清水と古代遺跡(6) ピラタス蓼科ロープウェイ・朝の散歩道

県道192号(ビーナスライン)の急坂を上り切った北山の三差路を右手に入ります。
 
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折れ曲がった道を進むと「ピラタス蓼科ロープウェイ」の山麓駅に到着しました。
 
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北八ヶ岳の北横岳(きたよこだけ)と縞枯山(しまがれやま)に挟(はさ)まれた標高2240mに広がる坪庭自然園は北八ヶ岳の噴火活動によってできた溶岩台地で、ピラタス蓼科ロープウェイで標高1771mの山麓駅から約7分で行くことができます。園内には20数種の珍しい高山植物が自生して1周約30分の遊歩道を気軽に散策することができるそうです。(茅野市観光連盟のhpより)  山麓駅舎越しに北横岳は見えますが手前の小山が視界を遮(さえぎ)るため縞枯山の頂(いただき)を望むことは出来ません。
 
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縞枯山の名前が気になってWikipediaで調べてみました。縞枯(しまがれ)とはモミ属のシラビソ・オオシラビソが一斉に立ち枯れ、その跡に稚樹(ちじゅ、筆者注;若木のこと)が一斉に成長して、またある年月で一斉に立ち枯れるというサイクルを繰り返すため、その立ち枯れが標高に沿って帯状に見え、その帯が年々わずかずつ移動していく現象で、北隣の横岳でも見られるそうです。 

矢崎虎夫記念館方向を振り返ると天狗岳や赤岳などの八ヶ岳連峰が見えます。

 

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いつもよりも早い時間ですが、山の中ですから、宿泊地へと急ぎました。ちょうど4時にチェックイン、すぐ温泉となるべきですが、1時間前に小斉の湯で露天風呂のハシゴをしたばかりですから、しばらく休憩をとることにしました。

 

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それでも予約した夕食時間まで余裕がありますから気分転換にカラオケを・・。1時間近く懐メロに限定した連想ゲーム(曲名録を見ないで思いつくままに曲名をリモコンへ入力するゲーム、もちろん歌います)を楽しみました。

夕食後、腹ごなしにともう一時間カラオケ三昧。今度は外国曲限定の連想ゲームにしました。英語の歌を数曲歌ったあとは、スペイン語の懐メロ(トリオ・ロス・パンチョスやフリオ・イグレシアス)をグッサン(山口智充さん)の真似をして歌うと、歌詞に気を取られてテンポが崩れ、テンポを合わせようとすると歌詞がメロメロになり、隣りで眠そうにしていた同行者からキツイ指摘が・・・。スペイン語の発音やリズム感は私よりも良いのです。それではと歌ったイタリア語の「ボラーレ」「フニクリ・フニクラ」、フランス語の「ラ・メール」「聞かせてよ愛の言葉を」などでも同様の指摘を受け、やけくそになった私はアダモの「雪が降る」を思い入れたっぷりに歌いました。気が付けば日本語バージョン! きちんと発音した英語の歌や気持ちよく歌えたアダモの歌と、それ以外のいい加減な(はちゃめちゃな)発音のスペイン語やイタリアの歌も採点結果は似たようなもの。実は採点を止める操作方法が判らず全曲採点されてしまったのですが、カラオケの採点は外国語の発音の良し悪しを考慮していないようです。

カラオケに付き合ってくれた同行者のために温泉卓球が続きました。前回のように1時間は無理で45分ほどで試合終了、汗を流すために温泉風呂に入ることにしました。泉質はナトリウム-塩化物(弱酸性低張温泉)・PH3.1と小斉の湯とほぼ同じものです。源泉から離れているためか湯温は温めでゆっくり一日の疲れを癒(いや)しました。

ぐっすり眠ることができた翌朝は爽(さわ)やかな目覚めとなり朝食前に散歩に出掛けました。朝靄(あさもや)で遠くの山が霞(かす)むことから高山に居ることを実感しながら遊歩道を歩くと鳥の鳴き声(その1その2)が聞こえてきます。

 

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同行者が雉(きじ)を見つけましたが直ぐ木立の中へ飛び去ってしまいました。

 

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次いで狐も見つけたとの声で急いで撮影、そっと近づいてもう一枚撮影しようとした途端、茂(しげ)みへさっと身を隠してしまい・・。直ぐ下の写真では、枝越しで見づらいのですが、狐がこちらを振り返っています。2枚目の写真は2匹が「頭隠して・・・」。

 

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遊歩道をもう少し先まで歩きました。

 

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ロビーに戻ると「縄文のビーナス」のレプリカと和田峠の「黒曜石(こくようせき)」が飾られていることに気付きました。

 

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今回のテーマにピッタリだとカメラに収めました。 (続く)

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2010年5月12日 (水)

八ヶ岳周辺の清水と古代遺跡(5) 聖光寺・小斉の湯

ビーナスラインを蓼科湖方面へ引き返して蓼科湖北側にある聖光寺に立ち寄ります。

 

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蓼科山聖光寺は奈良薬師寺の流れをくむ交通安全祈願、交通事故遭難者慰霊、負傷者の早期快復の祈願寺です。標高が高いため5月の連休頃が見頃になる境内のソメイヨシノは本州で一番遅い桜とも言われ、訪れた日も満開の桜を見物する人が境内に溢(あふ)れていました。強い日差しはまるで初夏のようで、3月下旬から4月初旬のお花見に慣れた私には不思議な感じがします。

 

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立派な山門から本堂へ向かう桜並木の参道は途中から先が工事中で迂回する必要がありました。

 

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境内にはテント張りの売店が並んでお花見の雰囲気を盛り上げています。

 

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次いで向ったのは日帰り温泉の「小斉の湯」です。数年前に家族全員で蓼科に旅行した時に宿泊した蓼科グランドホテル滝の湯の近く、スイスの山小屋風のホテルハイジの向かい側にあります。蓼科には良い温泉が多くて日帰り温泉のサービスを提供している旅館やホテルが多数ありますが、小斉の湯には傾斜地に配置される独立した露天風呂が5つもあることに惹(ひ)かれます。この日は日帰り温泉の入口が閉じられていたため旅館の入口から入りました。

   

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利用料金は700円でほぼ一日中(8:00-22:00)いつでも利用できるのは嬉しい。杜鵑峡のショート・トレッキングと聖光寺で強い日差しを浴びましたから温泉が待ち遠しくなっていました。木の回廊と階段で5つの露天風呂を巡ることが出来ます。上段に女湯が2つ、下段に男湯が2つと貸し切り湯が1つならんでいます。脱衣場はそれぞれについていますから露天風呂の梯子(はしご)は大変です。内風呂を含めてすべて源泉掛け流しです。泉質は酸性ナトリウム-塩化物・硫酸塩温泉(弱酸性低張性高温泉)、源泉の湯温は62.6度。

 

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最初に入ったのが「岩間の湯」、標高は1270mと表示されています。浴槽は3つに仕切られて、「熱めの湯」「温(ぬる)めの湯」そして「金魚専用」の区分になっています。もちろん金魚専用部分には入れません。掛け流しの湯がかなり熱いので温度を調整する冷水の蛇口が付いています。目隠しの塀があって浴槽からの視界は良くありませんから青空を見上げました。

 

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二番目は「見晴しの湯」(標高1275m)、開放感が抜群です。遮(さえぎ)るものは何も無くて蓼科湖方面を見渡すことができます。

 

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昨秋訪れた奥信州・馬曲温泉の「望郷の湯」ほどではありませんが開放感があります。浴槽は熱い湯と温い湯の2つだけ。こちらも水の蛇口がついています。蓼科湖を眺(なが)めながら温めの湯をゆっくり楽しみました。

 

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刺激のある弱酸性温泉(長野県唯一の酸性泉はPH3!)を十分堪能(たんのう)しましたから本館にある内湯は覗(のぞ)くだけにしました。最近改装されたと思われる内湯は壁に大きな岩を配してポイントとなっていますが浴槽は至って平凡な造りです。

 

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女性専用露天風呂「仇討ちの湯」(標高1280m)と同じく「森林浴の湯」(標高1282m)はさらに見晴らしが良いかと思い同行者に聞くと2つとも良かったそうです。女湯の名前が「仇討ちの湯」と付けられていることが不思議です。ロビーには芸能人の色紙が多数貼ってあり、テレビの取材を受けたことも紹介されていました。

県道192号(ビーナスライン)を蓼科中央高原に向けてかなりの勾配の上り坂を快調に走ると標高がぐんぐん上がって行きます。(続く)

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2010年5月11日 (火)

八ヶ岳周辺の清水と古代遺跡(4) 無芸荘・蓼科大滝・蓼科湖・杜鵑峡

昼時近くなりましたので横谷峡入口交差点の近くにある大東園に向いましたが、残念なことにこの日は休業日であると知り、次点候補に考えていたもうひとつの蕎麦屋に向いました。横谷峡入口交差点前にあるちょっとユニークな意匠の建物にある信州手打ち蕎麦工房「遊楽庵」に入りました。

 

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時間が早いのか他には客がありません。私は「つけとろ」を、同行者は「天せいろ」を注文。待つ間、窓越しに外を見ると小さな笊(ざる)を持った2人の若い男性店員が何や収穫に出掛ける様子。何気なく眺(なが)めていると植え込みの辺りに自生している(それとも栽培している)野草を摘(つ)んでいるようです。

配膳された「天せいろ」には野草の天ぷらが盛られています。一つ貰(もら)った野草の天ぷらは衣のサクサク感と微(かす)かな苦味が美味しい。同行者は「材料費が掛かってないわね~!」と呟(つぶや)いています。「つけとろ」は十割蕎麦との相性が良くて食感を楽しみました。

 

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店を出る前に蕎麦打ち場の横に展示されていた道具類を興味深く見学しました。「遊楽庵」では蕎麦打ち体験もできるようです。

国道299号(メルヘン街道)の曲がりくねった道を半分ほど引き返した蓼科ブライトン娯楽部前の三差路を左折して北山の別荘地を抜け、行き当たった県道192号(ビーナスライン)をさらに左折、蓼科郵便局近くにある無芸荘に立ち寄りました。
 
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映画監督の小津安二郎氏が仕事場・接待の場として使用した蓼科プール平にある別荘で、現在は蓼科観光協会が維持管理しています。元々は諏訪の製糸業で名高い片倉家が蓼科の別荘として地元の旧家を移築したものだそうです。敷地内に高浜虚子句碑がありました。

内部を見て回ったあと囲炉裏端(いろりばた)で案内人の女性と建物・五右衛門風呂・古い備品について話が弾(はず)みました。

 

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以前はもう少し山の方にあったものを2003年頃に観光用として現在の場所に移築したとか、奇遇ですが案内人さんが我われの住まいのすぐ近くに住んでいたことも知りました。建物の内外に置かれた大量の薪(まき)は夏場に囲炉裏で使うものとの説明でした。それほど屋内が涼しいのです。そして冬場(11月中旬~4月中旬)は施設がクローズされるそうです。あれこれ話が弾んでつい長尻(ながじり)になってしまいました。

蓼科高原・プール平の駐車場に車を停めて蓼科大滝を目指しました。郵便局と共同浴場の間を抜けて右手の路地に入ると、その先に階段があり、大滝遊歩道に入ると人影の無いサワラとミズナラの原生林へと導かれました。原生苔(こけ)の緑が鮮やかで不思議な世界を演出しています。

 

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鴬などの鳴き声が聞こえます。10分ほど歩くと突然滝の音が聞こえてきました。東屋の先に端正な姿の蓼科大滝が迫力をもって迫ります。訪れる観光客が少ない蓼科の穴場スッポトです。

 

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蓼科湖にも立ち寄リました。八ヶ岳の残雪が湖越しに望めます。

 

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湖畔の「湖の美荘」で同行者は好きなソフトクリームを求めました。選んだ「みゅくれバニラ」と言う高級バニラ(店員の説明)は確かに美味しい。説明書に「みゅくれ」とはフランス語で美味しいミルクの意味とか・・。調べてみると確かにありました。乳脂肪分を抑えたヘルシーなソフトクリームの名前で、クリーミーな舌ざわりとほどよい甘さに人気があるそうです。 

蓼科高原バラクライングリッシュガーデンの手前を右手に入って500mほど走ると滝の湯川に出合いました。先ほど訪れた蓼科大滝の下流で、ここが杜鵑峡入口のようです。

 

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杜鵑峡(とけんきょう)は信濃十名所の一つとされる景勝地で、高さ数十メートルに及ぶ溶岩の断崖を縫(ぬ)って滝の湯川が流れ下っています。蓼科の隠れた美景で、明治21年(1888年)に「ホトトギスが鳴く峡谷」の意味で峡と名付けられたと説明されています。ちなみに杜鵑はホトトギスの漢名です。

峡へ向う遊歩道は急な上り坂が続きます。かなり上った後は下り坂になり、小さな吊り橋(霧島の橋)で対岸に渡り、落ち葉に覆(おお)われた遊歩道となって続きます。

 

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説明にあった通りの美しさ。そして鶯(うぐいす)などの鳴き声も聞こえます。

 

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岩場を過ぎると再び急な上り坂がジグザグと続きます。息が切れそうになったところにちょうど東屋があり、しばらく休憩しました。

さらにアップダウンが続いたあとに砂利道の林道に出ました。ここでも鶯の鳴き声が聞こえます。私と同行者の会話と砂利道を歩く音が入っているのはご容赦ください。同行者が木の上に何かの巣を見つけました。

 

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30分の周遊コースは足場の悪いアップダウンが難儀でしたが、渓谷美と鳥の鳴き声を愛(め)でるには最高の場所かもしれません。(続く)

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2010年5月10日 (月)

八ヶ岳周辺の清水と古代遺跡(3) 御射鹿池・王滝・乙女滝

さらに東進して約1.5km、十字路を左折して800mほど先を右折、県道191号(湯みち街道)で御射鹿池(みしゃかいけ)へ向いました。東山魁夷(かいい)画伯の「緑響く」という名画のモデルになったともいわれる人工貯水池です。

 

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幻想的な美しさに惹かれて池の左側の白樺林を散策。

 

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右手の堰堤(えんてい)まで足を伸ばすと道路脇に魚道がありました。

 

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奥蓼科温泉郷は甲斐(山梨)の名将・武田信玄が、傷ついた家臣や兵を休ませるために隠し湯として開いたと伝えられます。「湯みち街道」と呼ばれる温泉郷への道沿いには、湯治場への道しるべとして66体の湯みち観音の姿も見られました。

 

ここで蓼科の薀蓄(うんちく)です。蓼科(あるいは蓼科高原)は八ヶ岳連峰の一つである蓼科山(たてしなやま、愛称は信濃富士・諏訪富士)の茅野市側山麓地域を指しますが、大きく分けて八ヶ岳天狗岳の登山口に向かう湯みち街道と渋川沿いの奥蓼科、蓼科湖や蓼科温泉があるビーナスライン沿いの古くから別荘地であった蓼科高原、国道299号(メルヘン街道)沿いの横谷峡などがある蓼科中央高原、の3つがありますが、茅野市と北佐久郡立科町に跨(またが)る白樺湖エリアを含むこともあるようです。ちなみに蓼科山北麓にある立科町は戦後の町村合併で蓼科町となるところを、「蓼」が当用漢字になかったため、蓼科山の古名から「立科」が採用されたそうです。

 

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県道191号を100mほど走ると「おしどり隠しの滝」の案内表示が見えますが、旅館の私有地として立ち入りが制限されているようで、通過することにしました。さらに2kmほど走った最初の三差路を左折、急な坂道を下りて別荘地内の坂道を抜けて約2.8km走ると国道299号(メルヘン街道)に行き当たりました。茅野市と埼玉県入間市を結ぶ国道299号のうち、茅野市と隣町の佐久穂町にある八千穂高原の区間を呼ぶ愛称です。名前の由来は日本ロマンチック街道と同様にドイツのメルヘン街道に似ているとされるためだそうです。

車に戻って国道299号をさらに先へ進んだ柏木博物館脇から右手の道にそれて横谷観音平駐車場に駐車。急な階段を約3分下りると横谷観音がありました。

 

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横谷(よこや)観音の先にある展望台から眼下に横谷峡随一の王滝が見えます。

 

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時間があれば横谷峡遊歩道(横谷峡トレッキングコース、所要時間約50分)を踏破したいところですが今回は両端の王滝と乙女滝だけを見る「キセル滝めぐり」に留めることにします。

 

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国道299号を1km余り西進して左手の脇道に入って横谷峡へ向います。横谷峡は長野県内屈指の紅葉スポットであるとともに冬は氷結した氷瀑群として人気があるそうです。横谷温泉旅館の手前から横谷峡遊歩道に入って渋川へ下りる途中に乙女滝がありました。名前とは裏腹で豪快な滝です。

 

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乙女滝は横谷峡(渋川)を立体的に横切る大河原堰(全長12.5km)の一部として坂本養川が造ったものであることを尖石遺跡にあった説明で知ったばかりですが、実物をみるとその着想の雄大さに改めて驚かされます。川崎市の二ケ領用水と東京都の多摩川沿いの六郷用水(別名次大夫堀、じだゆうぼり)を開削した用水奉行小泉次大夫(こいずみじだゆう)に比肩する人物のようです。

「乙女滝下樋場」まで下りると渋川を立体交差する大河原堰の樋(水道橋)を見ることができました

 

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このまま引き返すのも心残りで遊歩道を霧降の滝方面へ歩くと滝音が聞こえます。

 

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もう霧降の滝に到着したのかと思って近寄ると千葉・養老渓谷にある粟又の滝にも似た無名の滝のようです。

 

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同行者が気になり横谷温泉旅館の敷地を横切って駐車場へ戻りました。(続き)

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2010年5月 9日 (日)

八ヶ岳周辺の清水と古代遺跡(2) 多留姫の滝・尖石遺跡・与助尾根遺跡

県道192号をさらに進むと国道152号(大門街道)との立体交差があります。ここを右折して国道152号で大きく右にカーブして2km余り走った山寺上交差点を左折して県道17号を南下します。

 

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大泉山(おおずみやま、1115m)を左手に見ながら回り込むように進むと玉川に差し掛かりました。大きな橋となった新道で玉川を渡った交差点から左に回りこんで旧道へと下りると多留姫(たるひめ)神社が見えます。

 

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玉川に架かる吊り橋(柳影橋、りゅうえいきょう)を渡ると大泉山南麓の岩場を流れ落ちる柳川の多留姫の滝は2段に分かれていて、上部は幅と長さが約9m、下部は高さ3mで幅1mと狭くなっていると説明されています。

 

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滝の周辺には松尾芭蕉、小平雪人など有名な歌人の歌を刻んだ約20の石碑が点在しています。(下の写真は玉川の下流方面と県道17号新道のコンクリート橋)

 

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すぐ下流に「ながれ橋」を見つけて渡ってみました。4本の丸太を組み合わせた橋桁(はしげた)の片端がロープでコンクリート製の橋脚(きょうきゃく)に結ばれています。

 

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増水した時にわざと流して上流から押し流される倒木や岩から橋を守る仕組みです。今でも全国各地にありますが一番有名で大規模な「流れ橋」は木津川にある「上津屋橋」(こうづやばし)で、岩清水八幡宮の少し上流、京都府八幡市(やわたし)と久御山町(くみやまちょう)を結ぶ木橋です。昨年の台風18号による増水ですべての橋桁が流されて来月には元の位置に戻す作業が完了するそうです。ちなみに四国遍路の記事で紹介した潜水橋(徳島高知の沈下橋)も目的は同じです。

県道17号を引き返して南大塩交差点を右折、2km余り走ると尖石(とがりいし)遺跡がありました。八ヶ岳の西側、標高1,000m余の台地にあり、約5,000年前の縄文時代の代表的な遺跡です。台地の南斜面には石斧(いしおの)を研(と)いだ跡のある「尖り石」と呼ばれる巨石があり、遺跡の名前はこれに由来するそうです。尖石遺跡は国の特別史跡に指定されています。

 

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尖石縄文考古館には国宝「縄文のビーナス」や重要文化財「仮面の女神」などが展示されています。注釈;その写真と説明は同考古館のhpを参照 その右手に与助尾根遺跡には縄文時代の竪穴式住居が6軒再現されていました。これまでに28軒の竪穴(たてあな)式住居址が確認されているそうです。

 

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内部に入ってみました。松本清張作「波の搭」の巻頭で主人公の青年検事が諏訪湖近くにある古代人の住居(竪穴式住居)で昼寝をしていた場面を思い出します。ちょうど50年前に書かれた社会派推理小説です。

 

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道路の反対側には尖石遺跡があります。案内図(与助尾根遺跡にあるものと同じ)を見ると真っ直ぐのびる遊歩道に沿って与助尾根遺跡よりも多い180余りの住居址が確認されたそうです。石を丸く並べた基礎部と石囲い炉址のみが再現されていました。

 

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左手の階段を下りると尖石がありました。高さ1.1m、根元の幅1m、確かに先端が尖っています。ただし地中に埋まっている深さは不明だそうです。

 

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滝之湯堰(たきのゆせぎ、10.4km長の用水路)が竜神池へ向って流れる尖石縄文考古館脇に建つ銅像は諏訪藩の治水に貢献した名主の坂本養川(ようせん)、蓼科山の豊かな水を山麓の村々に配り、乙女滝による水の流量調整、水温調整のために蓼科湖を造ったことなどが説明されています。

 

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養川は江戸時代中期(天明・寛政年間)に40年以上かけて諏訪の山浦地区(現在の茅野市、原村、富士見町)に18本以上も開削した用水路が地元では「養川堰(ようせんせぎ)」と呼ばれているそうです。(続く)

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2010年5月 8日 (土)

八ヶ岳周辺の清水と古代遺跡(1) 茅野市の殿様水・中ッ原遺跡・お茶清水

ゴールデンウイークの渋滞が解消した中央自動車道で中信州(なかしんしゅう)を目指しました。新緑を求めて水の豊かな中信州の茅野市と小海町を訪れるためです。諏訪ICから国道152号(ビーナスライン)に入って、御座石(ございし)交差点を左折して県道192号(ビーナスライン)で上川(かみかわ)沿いに北上、米沢(よねざわ)地区に入ると県道は右に大きくカーブして東へと向きを変えます。

 

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北大塩口交差点を左折して狭く曲がりくねった道を1km余りで出た県道424号へと左折、川沿いに800mほど北西へ進んだ山間部で県道がほぼ直角に折れ曲がる場所に「殿様水」と書かれた石碑が立つ小さな公園がありました。

 

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殿様水は高島藩主・諏訪忠怒(すわただみち)公が巡検の帰りに立ち寄った際、村役人がこの水を差し上げたところ「甘露、甘露、これぞ天下の名水なり」と言われたと伝えられ、殿様水と呼ばれるようになったそうです。

 

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県道424号を引き返した十五社神社前を右折、県道192号へ戻って約2km東進、花蒔(はなまき)公園の手前を右に入ると「中ッ原(なかっぱら)遺跡」がありました。

 

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縄文時代中期前半~後期前半(約5,0004,000年前)の集落跡で、昭和初期から行われた発掘で竪穴住居址(たてあなじゅうきょし)が約200軒発見されています。

 

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そして中ッ原遺跡を一躍有名にしたのは、平成128月に全長35cm程で顔が逆三角形の大型仮面土偶「仮面の女神」が出土したことです。その特徴は胴部に施された手の込んだ紋様とはっきりと模(かたど)られた女性器で、完全な形をした国内最大級の土偶として2006年に国の重要文化財に指定されました。

 

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発掘現場にある「仮面の女神」(下の写真で横たわっている)と浅鉢形土器(重要文化財)はいずれもレプリカで、本物はすぐ近くにある(3kmほど離れた)尖石縄文考古館に展示されているそうです。

   

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県道192号に戻って500mほど先(立体交差の手間)の道路脇にお茶清水があります。武田信玄が北信濃の村上氏攻略や上杉謙信との川中島の合戦のため幾度も軍勢を率いて茅野を通過しましたが、お茶清水」はそのルート沿いにあった湧水で、ここで休息をとった信玄がお茶を立てて一服したと伝えられます。

 

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湧き水は涸(か)れているものの「中の棒道」との間を清水が流れていました。

 

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注釈; 遺跡や名所の説明は蓼科高原のhpを参考にしました。(続く)

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2010年5月 4日 (火)

アイフォーンの楽しみ方(入門編)

2010_04290005 アイフォーンを購入して1年が経過したわが家ではアイフォーンがマイブームならぬ「わが家ブーム」になっています。取得早々に追加購入したアプリは私好みのアイビール水準器。次いで同居者の好きな数独とソリテリアなどのゲームもインストール。リバーシ(オセロ)、グルナビ、乗り換え案内、漢字力、高速道路の料金検索と交通情報、Google EarthGoogle音声検索、山手線LITE(発車メロディー、現在は使用不可)も。

 

最近はラジオが聴けるアプリにも凝っています。コミュニティFM for iPhoneやラジコに対応するラジ朗です。FM放送は勿論のことAM放送もステレオのクリアサウンドで聴けるのが魅力。

 

2010_042900042010_04290003ツイッターもアイフォーンに向いています。出先の何処からでもアクセスできるので便利。携帯電話の通話料金が気になる人には無料電話のスカイプ(Skype)が良いでしょう。

 

ちょっとマニアックですがセカイカメラもあります。カメラを通して見える建物や場所(位置情報)に貼られたエアタグ(情報の目印)を経由して街角に関連する情報にアクセスできる優れた仕組みです。つまりデジカメとGPS機能を組み合わせることで現実環境にコンピュータを用いて情報を付加した「拡張現実」を実現しています。バーチャルリアリティとは逆にあくまでも現実を重視した発想なのです。

 

2010_04290002_2 最近のお気に入りはOpera Mini Web browser(v5.0)。レスポンスが良いと言われるSafariなどのブラウザよりもずっとアイ フォーンに向いています。サーバがレンダリング(画像・音声などの生成)をしてくれますから、処理能力が限られるアイフォーンでもWebサーフィングが軽快迅速に出来ます。一部のアプリに対応していないのは難点ですがサクサク感を持ってWebにアクセスできるのは大きな魅力です。注釈;アップルはPCによる比較結果でアイフォーンにも標準搭載されているSafariがOperaより倍以上早いとhpで説明していますが・・。

   

余談です。シュウカツ(就職活動)中の学生にアイフォーンが今や必須アイテムになっているそうです。外出中でも志望会社の面接情報(募集期間が短いことも)をホームページで適宜確認したり、ツイッターで情報交換ができるのはアイフォーンならでは。

   

P.S. ラジコが聴ける公式アプリ「rajiko version 1.0.0」が5月7日付けでAPP Storeから無料ダウンロードできるようになりました。3GとWiFiのいずれでも利用できます。サービス地域内であることをアプリの立ち上げ時にGPSで確認するプロセスはちょっと時間を要することが難点ですが、「ラジ朗」よりも完成度が高いようです。(5月13日追加投稿)

GPSを使う位置確認プロセスの所要時間が短縮されました。(5月15日追加投稿)

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2010年5月 1日 (土)

「アフターダーク」を読む

村上春樹氏著「1Q84」の第三巻(Book 3)は昨年出版された前二巻を越える関心が集まるなかで発売されました。4月16日に替わる真夜中の12時に長い行列を作ってこの本を買い求める人々をテレビのニュースが報道。初版が50万部、さらに20万部が増刷されることも伝えています。出版不況の最中にあっても村上春樹氏作品の販売だけはまるで別世界の出来事のようです。

2009_02250056 村上春樹作品の閲読(えつどく)に取り組む私が今回読んだのは「アフターダーク」(2004年)。浅井エリとマリの姉妹を軸に私たち(物語の語り手である観念的な視点としての存在)が話を展開します。冒頭、深夜のデニーズ(風景描写から見て渋谷にある店ですが写真は新宿駅東口周辺)で分厚い本を読むマリに気付いた昔の知人(と言っても姉と一緒のマリに一度会っただけ)の大学生高橋テツヤが席に割り込んでくる。高橋が主導してその時の話をするうちに高橋が持ち歩いているトロンボーンの話題に移り、古いジャズ・レコードで聴いた「ファイブスポット・アフターダーク」を思い出した高橋は「姉さんによろしく伝えて欲しい」と言い残してジャズ演奏の練習場所へと夜の街に消えた。

舞台は変わって同じ時間に深い睡眠状態にあるファッションモデルのエリを描写、簡素な部屋を見て回る「私たち」が居る。12時になると同時に室内にあるテレビは、電源プラグが抜かれているにも係(かかわ)らず、徐々に画像をスクリーンに映し出し始める。それは男の姿のよう・・・。

30分が過ぎてもマリは同じ場所で本を読み続けている。そこへ短髪を金髪に染めた見知らぬ大柄な女(カオル)が現れて、高橋からマリは中国語が出来ると聞いたからと、奇妙な頼みごとをする。カオルがマネージャーをするラブホテル「アルファヴィル」で怪我をさせられた中国人娼婦の通訳である。マリは生まれて始めて闇の社会を垣間見ることに・・。

浅井エリの部屋に戻る。テレビは雑音とともにみすぼらしい男の姿を乱れながらもさらに明瞭な映像で映し出し始めた。顔全体を覆(おお)う半透明のマスクを被った「顔のない男」がエリの様子を凝視しているようである。まるで脳波の動きのような雑音が入る。

2009_02250007 マリはカオルに誘われて小さなバーのカウンターに腰掛けている。そして問われるままに自分のことを語り始める。美しい姉と比べられて育ったこと、不登校になって友達のいる横浜の中国人学校に通ったことなど。ラブホテルの名前「アルファヴィル」と同じタイトルの古いフランス映画(1965年製作の文明批評映画)のことも。カオルは女子プロレスラーであったことを。このまま自分のホテルに居たらどうかとのカオルの申し出を遠慮してスカイラークまで送ってもらったマリは洗面所で自分に何かが起こるのを予期しているように鏡を凝視し続け、彼女が去った後にも鏡の中のマリがこちら側を見ている。

カオルから聞いたと高橋が練習の合間にスカイラークへやって来る。マリをカオルに紹介したことを詫(わ)びた後、高橋は自身の近況や司法試験を目指すことにした動機を話す。気分転換に小さな公園へ移動した二人の会話はさらに続き、姉の現状についても語り始めるマリ。深夜のファミレスでの時間つぶしに飽きたマリは演奏練習に戻る高橋にホテル「アルファヴィル」の玄関まで送ってもらい、先ほど知り合ったばかりの女性従業員(通称コオロギ)とお互いの身の上話を語り合う。コオロギは人たちに追われて逃避行中の身であることを明かし、そしてマリは姉の現状について話し始める。

真夜中の12時少し前(正確には23時56分)から始まったこの話は時間の経過と空間の移動を伴なって進行する構成が他の村上作品と同様で、要所にジャズやポップス音楽を登場させながら現実の世界と観念の世界が同時進行するのです。そして虚と実や善と悪の曖昧な境界、人と人との心理的な距離感も。高橋に駅まで送ってもらったマリが日吉の自宅に戻って空が明るくなった午前7時少し前(6時52分)までの経緯を描写、余韻を残して終わりました。これまで読んだ村上春樹氏の7作品では始めて三人称で書かれており、観念的な存在である「視点」が場面を描写することで、村上春樹作品の特徴を維持しながら新しい構想を取り入れた斬新な小説になったと思います。

   

   

<<感謝します>> @niftyココログの「ココフラッシュ」に当ブログ掲載記事のうち、南房総の花と灯台から9件、大橋JCTの走り始め、平将門縁の地「坂東」から4件、計14件が取り上げられました。出来るだけ多くの写真でドライブ旅の楽しさを伝えようとする当ブログを評価していただいたことに感謝しております。

 注釈;この記事を投稿した時点での件数

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