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2010年6月に作成された記事

2010年6月27日 (日)

THIS IS IT

近畿ドライブ旅は第一ステージの近江・湖西編が終わったばかりですが一息入れたいと思います。昨夜、同居者が待ち望んでいたマイケル・ジャクソンの遺作とも言える映画がWOWOWで放送されました。マイケル・ジャクソンが10年振りに企画したライブ公演の練習風景をドキュメンタリー映画化したものです。昨年月にロンドン・O2アリーナの「最後のカーテンコール」で7月にまた会おうと宣言して世界中の注目が集まりました。

その時の彼の言葉が”This is it"、50年前のギリシャ映画”Never on Sunday"(邦題:日曜はダメよ)と同様に日本語に訳しにくいのですが、「これだよね!」(つまり最後の公演)といった意味でしょうか。“This is the oneと似た表現です。しかしそのロンドン公演を目前にして50歳のマイケル・ジャクソンは昨年6月26日に突然この世を去りました。昨日はマイケルの一周忌だったのです。

午後7時に始まった番組はバックダンサーたちのコメントと練習風景を淡々と写したあと、カジュアルな服で踊るバックダンサーたちの前にムーンウォークを交えてエネルギッシュに歌うマイケルが登場して何の気負いもなく独自の世界を展開する。ビートに乗った軽やかな歌と切れの良い踊りとマイケルが主導する話し合いで演出が積み上がる

ロボコップのような出で立ちの数え切れない人々の群れがマイケルのダンスに従うシーンに続いてダンサーやスタッフの一人ひとりと情熱的に話し合うマイケルがいる。歌手であり、ダンサーであり、演出家であり、コンダクターでもあるマイケルがショーを作り上げるプロセスは本番さながらの迫力を持って観客に迫る。自らに酔いしれているようでもあり、観衆だけではなく世界中のファンへメッセージを伝えようとしているようでもある。

突然モノクロ映像に変わって映画「カサブランカ」やギャング映画の雰囲気に転換すると、その場面にマイケルが登場、ワープするように練習風景に戻って細かく指示を出す。モノクロ映像と練習風景が交錯、練習風景もモノクロ画面に・・。ミュージック・ディレクタと曲のテンポの微妙なタッチを詰めるマイケル。天才としか表現できない彼の感性が遺憾なく発揮されて演出は少しずつ完成されて行く。女性ダンサーとからむマイケル。すべてが一部の狂いもなく進むように見えるが手直しを躊躇(ためら)わないマイケル。そして完成度の高い演出が徐々に出来上がる。

ジャクソン・ファイブのアナウンスがあってマイケルが舞台の迫(せ)りから登場する。イヤー・モニターの音に戸惑うマイケル。自分の声が聞こえなくて歌いにくいという。バラード曲の”I'll be there"に変わり、ジャクソン・ファイブの映像が重なる。

リズミカルな曲に戻ってダンサーの妙技がいかんなく披露される。伸びやかな高音で女性歌手とデュエットする歌は二人が会話するようでマイケルの意外な一面を見る。二人がアカペラで歌い始める。やがて演奏が戻って曲が終わる。ロンドン公演(タイトルが“This is it)で使用される映像が撮影されているのだ。

撮影を担当するスタッフ以外を退場させて撮影が始まった。雷鳴と共に始まったのはマイケルの最大のヒット曲のひとつである「スリラー」。ゾンビの映像とマイケルがひとりで歌い踊る練習が交錯、巨大な蜘蛛も登場する。モンスターの衣装をまとったダンサーを従えて徐々に盛り上がる舞台と映像はまさに本番そのものである。暗転した後に花火が連続して炸裂(さくれつ)する。

炎とポールダンス。マイケルのきらびやかな衣装が紹介されクレーンに試乗するマイケルがいる。舞台に下りたマイケルが「ピート・イット」を歌うとマイケルの世界がさらに広がる。女性ギタリストが弾くエレキギターが吠(ほ)えてマイケルが率いるダンサーたちの群舞が始まる。最後の盛り上げの演出を指示するマイケル。女性ギタリストとの掛け合いとそれを盛り上げるマイケルの演出は最高にクールだ。男性ギタリストも参戦して舞台は最高潮に達する。

暗転した後、日の出とレインフォレストの映像で環境保護の重要性を訴えるビデオを背景に歌うマイケル。「今その時」と言うマイケル。下腹部に手を当てて腰を振る独特の振り付けで踊りながらリズミカルに歌うマイケル。出演者とスタッフ全員が手をつないで新たなチャレンジに取り組む意気込みをマイケルが伝えて舞台練習が終わる。マイケルが歌うHeal The World”でエンディングに。

マイケルが世界最高のエンターティナー振りをいかんなく発揮した約1時間40分の映画はあっというままに終わりました。幻と終わったロンドン公演ですがこの映画を見るだけでも彼の偉大さと楽しさを味わうことができる秀逸な作品でした。マイケルの歌とダンスはもちろん、舞台演出の素晴らしさに大感激した元演劇少年が居ることに気付きました。ちなみにこの映画宣伝サイトで主なシーンを観ることができます。

続いて放送された1時間のベスト・ヒッツ・コレクションでショートフィルムも堪能(たんのう)ました。Rock with youBeat itBlack Or Whiteの映像美、Scream、長編の“Ghosts”、Smooth Criminalのゼログラビティ、マイケル・ジョーダンが出演したJam、世界に影響を与えた偉人たちも登場、現状の地球に危機感を示すEarth Songはノーベル平和賞に度もノミネートされた彼の一貫した活動メッセージ、そして”Heal The world"(世界を治療しよう)が続き、最後はもちろん"This is it"(2009年)。各々の説明は無用でしょう。

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2010年6月23日 (水)

近江・湖西ドライブ 鯖街道と朽木温泉「てんくう」

2010_06190147 安曇川を遡(さかのぼ)って県道293号を西へ向かいました。県道23号に合流すると徐々に高度を上げながら山間の地へと入って行きます。安曇川が大きくS字状にカーブするのに合わせて県道23号もそのS字をなぞり、国道367号に行き当たりました。国道367号(若狭街道)は鯖(さば)街道とも呼ばれる約80kmの古い街道です。

2010_06190145 織田信長が越前の朝倉氏を攻めたときに妹の夫である浅井長政が朝倉側に付いたために戦いに敗れて京まで退却したルートとして歴史上良く知られる街道です。鯖街道については京都市北部の大原美山をドライブした時に触れていますが、福井県(若狭)の小浜市から京都まで鯖を運んだ街道なのです。

余談ですが鯖街道にはいくつものルートがありました。東ルートには琵琶湖の水運を利用するもの、琵琶湖沿いの国道161号、あるいはやや内陸の国道367号の3つ、西ルートは国道162号(周山街道)、真ん中のルートは鞍馬から花脊峠・久多・朽木小入谷・根来坂峠を越える最短距離の「針畑越え」です。針畑越えは根木坂峠が登山道となっているため車は通行することができません。

国道367号と県道23号が交わる朽木(くつき)は鯖街道の宿場町、周辺でとれる物産の集散地としても栄えました。近年は観光事業に力を入れて温泉やキャンプ場を兼ね備えた多目的施設「グリーンパーク・想い出の森」をオープンしています。

2010_06190149その施設内にある朽木温泉「てんくう」をこの日の日帰り温泉に選びました。高島市朽木の市街地から山道を上って立派なグランドを過ぎると到着しました。結構広い駐車場はほぼ満車状態で、一段下がった駐車スペースの一番奥に1台分の空を見つけました。「山女魚の里」と表示された建物はどこにでも在りそうな平凡なもの。 

2010_06190153 ショップの先にある食事処「里山レストラン天空」で遅い昼食にします。私は岩魚のづけ丼、同行者は熊笹うどんが付いた鯖(さば)寿し膳を注文しました。岩魚のづけ丼は期待以上の美味しさでご飯も完食しました。 

 

 

2010_06190154 笹うどんは丹後半島から城崎温泉をドライブした時に食べましたがちょっと変わった風味があります。鯖寿しが好物である私は一つ貰って食べました。普通の味だと思いましたが同行者はちょっと生臭いという。

 

 

2010_06190161 1995年にオープンした温泉施設は屋根付きの廊下を渡った先にあります。カウンターで料金(ひとり600円)を支払うと奥のカウンターを案内されました。領収書を見せてロッカーの鍵を貰う仕組みです。カウンターの手前には左右に男湯「石の湯」と女湯「木の湯」がありますが、内湯だけとのことですから、奥の「てんぐの湯」へ向かいます。

2010_06190165 脱衣場はそれほど広くありません。内湯もコンパクトでカランの数は20個、L字型をした主浴槽を中心に源泉風呂と水風呂が配置されています。泡風呂が2人分付属する主浴槽で身体を温めた後は露天風呂です。瓢箪(ひょうたん)型をした浴槽に湯が掛け流しになっていました。湯口の周辺には緑色に塗られたものが取り囲んでいます。

2010_06190169 露天風呂の浴槽に入って後ろを振り返ると巨大な天狗の頭があります。朽木に天狗伝説が伝えられるからでしょう。男湯と女湯の仕切りとしてはユニーク、双方を行き来出来るようですが従業員が清掃作業などに利用、あるいは掃除用器具の収容場所かもしれません。天狗から連想して緑色の物体は天狗の団扇(うちわ)かもしれないと・・。

2010_06190167 泉質はアルカリ性単純温泉、泉温は25.8度、透明ですがやや黄色掛かっています。加熱・ろ過循環をしているが加水はしていないとのこと。全体に平凡な印象ですが、温泉が比較的に少ないエリアであり、料金も妥当ですから人気があるのでしょう。階下には別料金のプールゾーンもありますが見学するだけにしました。

2010_06190174 山から里まで下りて温泉がある辺りを振り返って巨大な天狗の顔を捜しましたが見つけられませんでした。ちなみに「てんくう」とは天空と天狗をかけたネーミングのようです。雨が強くなりましたから朽木の散策は諦(あきら)めて、鯖街道で朽木から京都を目指すことにしました。 

 

2010_06190179 鯖街道沿いには鯖すしを提供するすし屋が多数立ち並んでいます。余りの多さに小浜から運ばれる鯖が京都まで届かないのではないかと心配性の私には思えました。いよいよ鯖街道ドライブの開始です。 

 

 

2010_06190177 朽木を出ると国道367号は信号機が一つも無い道が安曇川に沿って20km以上も続いて大津市に入ります。この街道にもサーキット族(カミナリ族)が出没するのか「ゆっくり走ろう」と大きく表示されていました。この日は雨が幸いして交通量が少なく、ほぼ貸切状態で鯖街道のドライブを楽しめそうです。 

2010_06190183 高度を徐々に上げていくつものトンネルを抜けます。動物や花の絵が各々のトンネルの入り口に描かれているのが面白い。猪に続いて鹿がくれば次は蝶かと期待すると、意外にも猿でした。何か意味があるのかもしれませんが私にはこの謎解きが出来ませんでした。

 

2010_06190187 滋賀県道路公社の途中トンネルだけは有料(150円)ですが今年の10月から無料になると表示されています。

 

 

 

 

2010_06190189 途中トンネルと途中越を通過すると府道367号は高度を下げて大原に差し掛かります。ここから先は2年前に京都市内から大原までドライブした時に通過した区間です。さらに高度を下げて八瀬を過ぎて京都の市街地に入る頃には雨が益々強くなって来ました。

 

2010_06190204 東大路通の交差点で信号待ちをした時にこの3年間探していたものをついに見つけました。奇妙な物が置かれた商店の2階に掛けられていた琺瑯(ほうろう)看板は「大村昆さんのオロナミンC」、水原弘さんと由美かおるさんもあります。大村昆さんは伊香保温泉で見た4つに欠けていましたが、これで大塚五人衆の写真がすべてそろいました。

2010_06190207 さすが京都! じっくり撮影したいところでしたが後続車に押されるように市の中心部へ・・。混雑する東大路通から烏丸(からすま)通に入ると前方に東本願寺が見えてきました。ここが湖西ドライブの終着点です。 

 

 

<同行者のコメント> 雨の中のドライブでした。山の上に棚田を見に行ったり、古墳を巡ったり、きれいな水が流れる集落を訪れたりと、人込みとは無縁の場所ばかりでした。ただ一か所混んでいたのは朽木の温泉施設です。その温泉がある「グリーンパーク・想い出の森」の広さに驚きました。旦那さまが昼食に選んだ岩魚のづけ丼を一口もらいましたがとても美味しかったです。そして温泉も。

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2010年6月22日 (火)

近江・湖西ドライブ 生水の郷・針江

次の目的地である新旭町まで国道161号を北上、新旭交差点から針江(はりえ)地区と思われるエリアを琵琶湖畔まで探しましたが目的とするものを見つけられません。

2010_06190120奥の手としてJR湖西線の新旭駅に立ち寄って観光案内図で確認しましたが残念ながらその場所が示されていません。駅の東口にある立派な銅像も念のために確認しましたが関係はなさそう。それではと駅構内に入って探すと他地域のものに混じってやっと針江の観光パンフレットが見つかりました。 

2010_06190130 パンフレットの地図には「生水(しょうず)の郷」が表示されていますので間違いなく行けると思ったのですが、粗忽(そこつ)な私はその地図をしっかり確認しなかったため、生水の郷と表示された国道161号(高島バイパス)の東側を必死に探すものの、やはり見つけられません。

 

2010_06190123 もしやと民家が多い国道の西側も探すと住宅の軒先を流れる清流がありました。あらためて案内図をじっくり確認すると「生水の郷」の表示から細い線が伸びて国道の西側を示しています! 迂闊(うかつ)でした!!

 

 

2010_06190124生水の郷」と呼ばれだけあって湧き水の豊富な地域で、どこからともなく綺麗(きれい)な水が集まってきます。 

 

 

 

 

2010_06190128 湧き水を集めながら集落の中を巡る針江大川、枝分かれした水路、そしてその水を利用する「カバタ(川端)」があります。 

 

 

 

2010_06190133 で見かけた小さな案内表示に従って進むと日吉神社の前に出ました。ここが生水の郷の中心部!! 

 

 

 

   

2010_06190135 平成の水百選に選ばれているそうです。

 

 

 

 

 

2010_06190137 飛騨の郡上八幡に似た傾斜地を想像していた私は、針江地区がほぼ平らな土地であることを意外に思いながら、観光客と思しきグループを真似て針江大川沿いに散策してみました。 

 

 

2010_06190138 この地域は安曇川(あどがわ)が琵琶湖に注ぐ場所に形成した三角州に位置しますから、伏流水が湧き水として針江地区の豊かな清流となっているのでしょう。

 

 

 

2010_06190140 生水の郷を手探りで探している時に琵琶湖畔の県道333号(湖周道路)沿いに「しんあさひ風車村」や六ツ矢崎浜オートキャンプ場などを見かけました。高島市北部の今津とマキノにも足を伸ばしたいところですが、今回は諦(あきら)めて、次のテーマへ移ることにします。(続く)

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2010年6月21日 (月)

近江・湖西ドライブ 継体天皇縁の地

2010_06190066 近江高島駅の200mほど東にある大溝(おおみぞ)城址に立ち寄りました。信長の甥である織田信澄が安土・桃山時代に築城したものです。石垣に囲まれた小高い森が大溝城の天守跡で琵琶湖の内湖である乙女が池に面しています。アプローチが分かり難いので乙女が池の駐車場に車を停めて探しました。

2010_06190071 乙女が池の畔にある木道は利用中止と表示されています。隣接する高島総合病院の裏手にある駐車場で仕事をする若い男性に行き方を尋(たず)ねると親切に教えてくれました。フェンスの隙間から草が生茂る場所を抜けるようです。教えられた通りに病院の敷地を回りこむと確かに石垣と大溝城址の表示が見えました。

2010_06190061 織田信澄は新荘城下(現新旭町)から商家や寺院などを移して城下町を造ったそうです。その雰囲気が残ることを期待して大溝城下町が残る勝野地区に立ち寄りました。現在の町並みは少し時代が下がった江戸時代に伊勢上野藩から移封されて近江大溝藩の初代藩主となった分部光信(わけべみつのぶ)が建設したものだそうです。

2010_06190079 県道300号を北上すると県道558号(西近江路)と変わります。鴨交差点を左折した県道23号で鴨地区にある高島歴史民俗資料館に立ち寄りました。これまでの度重なる失敗に懲(こ)りて休館日でないことを確かめています。次に立ち寄る場所の情報を収集するのが目的です。

 

2010_06190082 近くの鴨稲荷山古墳(かもいなりやまこふん)など高島市の遺跡から出土品(石棺や副飾品など)や継体天皇に縁の立派な展示があり、期待以上に多くの収穫が得られました。 

 

 

2010_06190083 これらの出土品の特徴は朝鮮半島との交流があったことの裏付けとされているようです。

 

 

 

 

2010_06190088 ちなみに継体天皇はここ高島市の出身と伝えられます。

注釈; 福井県三国市の出身とする説もあります

 

 

 

 

2010_06190089 館内に貼られたポスターで継体大王(大王は天皇の古称)の展示会が大阪で開催されていることも知りました。予備知識を得た私は先ず高島歴史民俗資料館から200mほど北にある鴨稲荷山古墳へ向います。

 

 

2010_06190099 この古墳は湖西地方では平野部に立地する唯一の前方後円墳で、墳丘はほとんど失われています。推定では全長45m・後円部の直径25m・高さ5mほどの周濠をめぐらしたものであったようで、継体天皇を擁立した古墳時代後期の三尾(みお)族長の墓と言われているそうです。

 

2010_06190103 明治35年(1902年)に出土した巨大な家型石棺(全長3.3m、幅1.2m、高さ1.1m)は露天に展示されて劣化進んだことで現在は志呂志神社脇に作られた小さな公園の一段高くなった場所にある建物に収容されていました。Yahooの地図では県道の東側を示していますが資料館の案内図に従って石棺のある場所を撮影しました。

2010_06190108 県道23号の左手に継体天皇伝承地[えな塚」の標識を見つけて立ち寄ることにしました。空き地の先に小さな土盛が見えます。立て看板に書かれた説明は「継体天皇は高島の地に誕生され、母・振姫(ふりひめ、振媛とも表記)がお産のあと天皇の「へその緒」を埋めたのがこの胞衣塚だと伝えられる」とあります。

2010_06190111 ちなみに胞衣(えな)とは胎盤のことです。この塚は大きさが直径約11.5m・高さ約2.5mの円墳で6世紀の築造と推定されます。塚の上の松は御殿(ごんでん)松、すぐ近くを流れる川は御殿川(ごんでんがわ)と呼ばれることから、昔は近くに大きな屋敷があったようです。高島歴史門族館から来る時に渡った鴨川の橋は天皇橋でした。

2010_06190116 県道23号をさらに北上して南市交差点を左折、県道297号を1kmほど西進した田中交差点の直ぐ先を右手に入りました。次いで立ち寄った田中古墳群は田中神社の裏山一帯の泰山寺野台地(たいざんじのだいち)先端部に分布する古墳群で王塚(おおつか)を中心に全部で44基の古墳で構成されていることが調査で明らかとなったそうです。

2010_06190117 地元で王塚と呼ばれる彦主人王(ひこうしおう、ひこうしのおおきみ)御陵は直径約58m・高さ10mの規模2段重ねの帆立貝式古墳で、周囲に3基の陪塚(ばいづか)を伴う古墳時代中期のものと考えられています。

 

 

2010_06190119 被葬者は継体天皇の父である彦主人王の安曇陵墓参考地(りょうぼさんこうち)として宮内庁が管理しているため立ち入ることはできません。

 

 

 

その他にも安曇川町には彦主王御陵のすぐ近くに継体天皇の母振姫の産屋があったとされる三尾神社旧跡と出産の際の「もたれ石」、安曇川駅近くには継体天皇の長子である安閑(あんかん)天皇を祀る安閑神社には神代文字と伝わる文様が描かれた大きな「神代石」があります。

近江国高島郡(あるいは越前国三国)出身の継体天皇は応神天皇五世の孫とされる謎の多い天皇です。関心を持つ私はこれまで当ブログ記事(古墳時代から大和政権へ一休寺といちご狩り継体天皇と河内国)でその縁の地を紹介しています。(続く)

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2010年6月20日 (日)

近江・湖西ドライブ 畑地区と鵜川地区の棚田

梅雨の季節が近づいているようです。その予報に急(せ)かされるように近畿地方へのドライブ旅に出掛けることにしました。いつも通りに東名高速道路・伊勢湾岸自動車道・新名神高速道路を乗りついで大津ICまでの約450kmを順調に走りました。琵琶湖沿いの国道161号(西近江路)で湖西を北上します。3年前の夏に明智光秀の坂本城址を尋(たず)ねて走ったルートです。

2010_06190020 今回はさらに北部に位置する高島市が最初の目的地ですから、坂本過ぎた琵琶湖大橋交差点を左折して真野ICから西大津バイパス(国道161号)に入って比叡山と比良山(標高1051m)を眺めながら一本道を走ります。

高島市は律令制度時代から近江国高島郡と呼ばれた土地で、鎌倉時代の初期に近江源氏である佐々木高信がこの高島郡に所領を与えられて戦国時代まで続きましたが、明智光秀を中心とする織田方の軍勢に攻められて滅びました。そして大溝城が京極高次の居城となりましたが江戸時代には天領の大溝藩となります。

明治時代になると高島郡役所が今津に置かれ、平成の大合併でマキノ町、今津町、新旭町、安曇川町、高島町が合併して現在の高島市が2005年に誕生しました。余談ですが百貨店「高島屋」の屋号は創業者である飯田新七の義父が近江国高島郡の出身であったことに因(ちな)んだものだそうです。

2010_06190024 湖西道路は志賀バイパスと名を変えて南比良が終点です。県道322号で湖西道路(国道161号)に出てさらに北上すると大津市から高島市に入りました。湖畔沿いの道が2kmほど続いたところで湖の中に大きな鳥居がみえましたので車を停めることにしました。鳥居の先は沖島です。

 

2010_06190025 全国の白髭(しらひげ)神社の本社であるこの白髭神社は「近江の厳島(いつくしま)」とも呼ばれ、延命長寿・長生きの神様として知られます。

 

 

   

2010_06190030 祭神は猿田彦命(さるたひこのみこと)で創建1900年と近江最古といわれる歴史を誇り、本殿は桃山様式の建築で国の重要文化財に指定されています。

 

 

  

2010_06190027 境内には紫式部の歌碑「みおの海に 網引く民の てまもなく ちゐにつけて 都恋しも」がありました。 

 

 

 

 

2010_06190031 駐車場の脇にあるのは松尾芭蕉の句碑「四方より 花吹き入て 鳰の湖」です 

 

 

 

 

2010_06190034 与謝野鉄幹・晶子夫妻が参拝した時に詠んだ歌碑「しらひげの 神のみまへに わくいづみ これをむすべば ひとの清まる」もありました。 

 

 

 

2010_06190035さらに北上した国道勝野の立体交差点を左折して県道296号(畑勝野線)に入りました。道はだんだん山間に入って行きます。約8km走ると県道の終点である畑地区に到着。この畑地区にある棚田(日本棚田百選の一つ)を見るのが目的です。昨秋も北信州・飯山にある福島棚田を訪れています。 

2010_06190036 見事な棚田が山の中腹まで続いています。20年以上前のことですがインドネシアのジャカルタからバンドンまで約4時間の汽車の旅をした時に巨大な棚田を見て感動したことを思い出します。それに匹敵するほどの規模ではありませんが見事な棚田です。 

 

2010_06190040_2 標高400mの山間地にすり鉢状に広がる棚田に囲まれるように集落が立ち並んでいます。全部で359枚ある棚田は標高差が100mもあるそうです。

 

 

 

2010_06190047 石積みの畦畔(けいはん、耕地間のあぜ)で見事に造られた棚田です。「ほ場」とは田畑や樹園地のように作物を栽培する農地を指すことをはじめて知りました。

 

 

 

2010_06190049 最近人気が出ている農業体験(田植えと稲刈りなど)ができる棚田のオーナーを募集していました。一区画(100平米)の年会費が3万円、収穫米(コシヒカリ玄米)約40kgと畑産品が貰える特典が付いていますが、田植えと稲刈りだけの作業を行う「おまかせコース」と草刈や施肥などの作業も行う「こだわりコース」から選べるようです。  

2010_06190050ちなみに大津市との境界に近い鵜川(うかわ)にも規模は小さいのですが棚田があるようですから広域基幹林道鵜川・村井線を走りました。ガリバー旅行村入口を右手に見ながら通り過ぎると金網のゲートがありました。獣害防止対策と説明されています。山全体を金網のフェンスで囲んでいるのでしょうか。 

「日本の滝百選」の一つである八ツ淵の滝に立ち寄るつもりでしたが、崖崩れに注意するようにとの立て看板が目に入って崖の様子を確認しながら林道を走ったため見過ごしてしまいました。後で調べるとガリバー旅行村の駐車場が滝への入口だったようで見つからないのは当然でした。

2010_06190053鹿ヶ瀬地区から曲がりくねった林道での山越えドライブを楽しみながら鵜川地区に入ると、こちらにも同じ様な金網のゲートがあります。 ゲートをロックする機構がちょっとした知恵の輪のように複雑ですから知能が高い猿でも開けるのは難しいと思われます。でも猿ならフェンスを飛び越えるのは容易ですから、鹿・猪・それとも?? 

2010_06190057琵琶湖畔まで続くように棚田が広がっていました。私には棚田が沖島にまで続いているように思えてなりません。人の営みの大きさを肌で感じます。  

 

 

 

2010_06190056JR湖西(こせい)線を走る電車が遠ざかって行くのが見えました。次回はその後を追うことにします。(続く)

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2010年6月12日 (土)

ラーメン小僧の都心探索

都心へ所用で出掛けた昼時には、繁華街の立ち食い蕎麦屋ばかりではなく、時としてラーメン店にも目が行きます。格別ラーメン好きと言う訳でもなく、ましてやラーメン通にはほど遠い私ですが、最近印象に残った都心のラーメン店を3軒紹介します。

2010_06030024 最初は「三田製麺所」(六本木店)、六本木交差点から左側の歩道を飯倉方面に50mほど歩いたバス停前にあり、当ブログで紹介した「ショーレストラン六本木金魚」の少し手前です。讃岐(さぬき)のうどん屋のような名前のラーメン店は港区芝5丁目に田町本店があるつけ麺専門のチェーンです。 

2010_06030022 店内はカウンター席のみが約10席あり、入口横の券売機でチケットを購入してしばし待つと、空いた席に案内されます。席の番号表示のある磁石付きクリップでチケットを厨房の壁に貼り付けるシステムはとてもアナログ感覚で良い。待つこと数分でカウンターの一段高い場所に麺が入った器とつけ汁の器が2つ並びました。 

2010_06030019麺は太目でストレートに近く、一旦水で〆たあとに暖めた「あつもり」。つけ汁は一見するとシチューのようにも見えます。麺を観察した後につけ汁に入れると程よく絡み合ってこくのある汁と腰のある麺がマッチしています。魚介と獣のダブルスープのつけ汁には大きなメンマと青物野菜、チャーシューの角切りなどが入って、正にシチューそのもの!

2010_06030020 食べ終わると、残ったつけ汁に暖かいスープを追加してもらい「スープ割り」で飲む客や、ご飯にかけて食べる常連客も見受けられました。ちなみにつけ麺は並サイズの700円から多彩なメニューがあり、好みに応じて選ぶことができます。つけ麺ブームは相変わらずで店の数も増えていますがその人気店の一つは期待通りでした。 

2軒目は都内で有数のラーメン激戦区の目黒にあるつけ麺「づゅる麺池田」です。JR山手線目黒駅西口から南方へ下りる権之助坂の途中、右手にあります。この辺りにはラーメン店はもちろんのこと、多数の食事処が建ち並んでいますが、鮮やかな緑色に店名が白抜きで書かれた暖簾(のれん)が目を惹きました。

2009_04230141 近くに田丸などの老舗(しにせ)や青葉・野方ホープなどライバル店は数え切れませんが私の直感はこの「づゅる麺池田」を選んだのです。歩道のガードレール側に数名の列が出来ていますが券売機で食券を買って並ぶことに。その券売機の周辺にはやたらと注意書きが貼られ、立て看板には北海道産小麦3種の自家製麺と手書きされている。 

2009_04230142_2 特濃つけ麺(ポターづゆ)もメニューに加わったとの告知などを読みながら10分ほど待つと店内へ案内されました。入った店内はカウンター席が10席、4人掛テーブルが2卓あり手狭に見えますが2階にもまだテーブル席があるようです。定番の「つけめん」(750円)に興味をそそられましたが塩ラーメン(750円)の魅力に負けました。 

2009_04230144豚骨を使用せず鳥・魚介・野菜を主体としたスープはあっさりした私好みの味です。見た目にはスープが薄茶濁色で醤油か味噌かと思うほど。インパクトが欲しい人は卓上の「魚粉」を入れるようにアドバイスされています。ちなみに店名の「づゅる麺」は太麺をすする音に由来しているようです。次回は是非つけ麺を食べてみたいと思います。

2009_10290017 3店目は当ブログで紹介したことのある「喜多方ラーメン坂内(有楽町店)、JR山手線有楽町駅の高架下にあります。前回の説明とできるだけ重複しないような視点から紹介しましょう。ガード下のアーチ構造を利用した店内は、天井が低く、さほど綺麗とは言えませんが、照明が薄暗くて落ち着いた雰囲気です。 

2009_10290015中央に大きなカウンター席があるユニークなレイアウトです。私は5卓ある4人掛けテーブル席のうちで入り口に近いテーブルに案内されましたので、カウンター席に陣取るサラリーマン風の客達の喧騒(けんそう)から離れて、ゆったりした気持ちでラーメンを味わうことが出来ました。従業員は訛(なま)りからみて大陸から来た人達のようです。 

2009_10290009 店内の飾りつけが会津の雰囲気を醸し出しています。注文した「喜多方ラーメン」(580円)、大きくて肉厚のチャーシューが5枚入った醤油ベースの豚骨スープと太目の平打ちちぢれ麺が私の好みにピッタリです。豚骨味が強過ぎないこと、チャーシューが多い割りに値段が安いこと、そしてランチタイムは禁煙になっていることも良いのです

2009_10290012_2 半ライスがサービスで付いてくるようでしたが私には重過ぎるので辞退しました。焼豚ラーメンも豚肉がテンコ盛りで人気メニューのようですがやはり重過ぎるようで・・・。

今回紹介した3店はいずれも、独自の特徴を出しながら、奇を衒(てら)っていないことに好感が持てました。ラーメンは創作料理の典型ですから、どんなアイディアも許されるのでしょうが、基本に忠実であることが店が長続きする秘訣ではないかと思います。

参考情報ですが、6月4日から6月27日まで赤坂サカスで「最強ラーメン烈伝 in サカス」をTBSが開催しています。前期(15日まで)と後期(16日から)に各々9店舗が入れ替わって出店するようです。上記の「喜多方ラーメン坂内」を紹介したブログ記事でも触れた「大つけ麺博」と同様のイベントです。

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2010年6月 9日 (水)

今、クラウドがホットだ!

2010_06090090 昨日の68日(米国時間では67日)にアップルが「アイフォーン(iPhone)4」を発表しました。これまでの「アイフォーン3GS」に較べると、表示パネルのサイズは3.5インチと同じですが、画像解像度が4倍に向上しました。そして裏面と表面に計2つのカメラが搭載されて高解像度(ハイビジョン)のビデオ撮影も出来るため、この機種同士ではWiFi経由でビデオ通話が無料で利用出来るそうです。

2010_06090037 写真で見る限り外見はそれほど変わっていないようですが、厚さが9.mmと薄くなり、ややシャープなイメージに変貌、3GSで改善されたバッテリーの持続時間もさらに長くなったそうです。そして基本OSがバーション4でマルチタスクが可能となり、先日発売されたアイパッド(iPad)用とアプリを共通化できます。ちなみに6月24日に日米同時発売されるとのこと。 

2010_06090045 このように端末としては利用者にとってマイナーチェンジですが、掲載する広告を集める戦略が加わったことでグーグルとビジネスモデルが競合しますから、いよいよアップルとグーグルが全面戦争に突入するかもしれません。アイパッドに続いてアイフォーン4を市場投入するアップルの快進撃から目が離せません。

 

2010_06090049 さて本題に入ります。記事のタイトルにある「クラウド」とは「雲(Cloud)」のことです。「雲がホット」とは何だ! 雲は氷と水滴の集合体だから冷たくてホットであるはずがない」と論理的に反論する方もいらっしゃるかもしれません。その通り空の雲は冷たいのですが、地上の雲である「クラウドコンピューティング」は情報通信(ICT)産業で今熱い注目を浴びているのです。

2010_06090050 情報通信の分野でクラウドと言えばこれまでもネットワークのことを指すのです。と言うのは情報分野の人には通信網が複雑すぎて理解できなかったために通信網のことを雲で表現したことがその始まりで、ブラックボックスと同意語なのです。そして今はインターネッ全体のことも雲(クラウド)で表すようになっています。 

 

2010_06090055 つまり今注目されるクラウドコンピューティングとはインターネットを利用する情報処理のことを意味します。電気を利用する人はその電気がどの発電所で作られたかには関心を持たないで利用しますし、水道でもどの河川水系から引き込まれた水が提供されているを考えません。それと同様に情報処理や情報提供サービスでも提供元の所在場所や提供方法には拘(こだわ)りが無くなりつつあります。

2010_06090064とは言ってもクラウド型情報処理・情報提供サービスは電気・ガス・水道サービスと同じではありません。いつでも、どこからでも、どんなサービスでも、どれだけ多くても(少なくても)、使っただけの料金で、止めたい時は自由に、などの条件を備えており、さらに双方向性もあるのです。最近は電気でも太陽光発電で限定的に双方向性が一部実現していますが基本的には一方向のサービス提供です。

2010_06090082_2前置きが長くなりましたが、クラウドコンピューティングを扱う展示会へ今日出掛けました。幕張メッセで6月7日から開催されているInterop Tokyoの展示会で、IMC Tokyo 2010(マルチメディア)DSJ 2010(デジタル・サイネージ、電子看板)の展示会も同時に開催されています。私の主目的はクラウドコンピューティングについての講演を聴くことですが、これら3つの展示会場も見て回りました。

2010_06090072印象に印象に残ったのはクラウドコンピューティングのフィーバー(過熱)ぶりと、デジタル・サイネージ展示館における三菱電機のDIAMOND VISION、大日本印刷(DNP)のバーチャルマネキン、シャープの高精細大型マルチスクリーンの60v型「PN-V601」でした。マルチスクリーンの迫力に圧倒された私は思わず写真を何枚も撮影していました。象の手前に見える青いものは鯨の口先です。 

2010_06090087 海外勢では韓国のSamsungが52型裸眼立体液晶ディスプレイ(一番下の写真)を展示していたのが目に付きました。ピノキオの鼻が急に長く伸びる(飛び出す)のがはっきり確認できますが、立体映像の完成度では眼鏡を用いる方式には遠く及ばず、まだ改善の余地がありそうです。 
 注釈;赤い車はNAVITIMEブースの展示品です

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2010年6月 7日 (月)

湘南ドライブ(後編)

2010_06020057_2 慶応大学湘南藤沢キャンパス前を通過して茅ヶ崎市へ向います。県道404号で国道1号まで走り、さらに直進してJR東海道線を潜った幸町交差点を右折、茅ヶ崎駅前の右手から海岸に延びる「サザンロード」をゆっくり走りました。あの人気グループ「サザンオールスターズ」にちなんで命名されたそうです。

2010_06020058_2 駅の正面から海岸に至る雄三通り(県道310号東海岸通り、あるいは加山雄三通りとフルネームで呼ばれる)もあるとか。サザンロードから海岸線を走る国道134号に出て、300mほど西方の県立西浜駐車場交差点から砂浜にある広い駐車場へ出てみました。 

   

2010_06020060_2 茅ヶ崎漁港の西側に広がる砂浜では裸で日光浴をする人や砂浜を散策する人などが皆思いおもいに楽しんでいるようです。東側の「サザンビーチ」(旧茅ヶ崎海水浴場)ではサイクリングロード沿には有名なモニュメント「茅ヶ崎サザンC」(2002年設立)があります。

 

2010_06020065_2 国道134号を江ノ島方面に走りました。防砂林の中をほぼ一直線に走る快適なドライブコースです。

 

 

 

 

2010_06020069_2 江の島入口交差点を過ぎました。

 

 

 

 

   

2010_06020071_2 藤沢市の片瀬東浜から鎌倉市由比ガ浜までの区間は1975年まで湘南道路と呼ばれる有料道路でしたが現在は国道134号の一部となっています。

 

 

 

2010_06020075_2 腰越の切り通しを過ぎると国道134号沿いの景色は変わります。江ノ島電鉄の線路が国道134号と隣り合わせて鎌倉駅方面に伸びています。海岸近くまで迫った丘の上には相模湾を見晴らすことができる高級住宅が建っています。テレビの住宅紹介番組に登場する庶民が憧(あこが)れる一流建築士によるデザインなのでしょう。

2010_06020079_3 鎌倉高校前の南イタリア料理の「AMALFI」(世界遺産のアマルフィ風の建物)や七里ヶ浜のハワイアンレストラン「モアナマカイ珊瑚礁」など洒落たレストランが立ち並ぶエリアを過ぎると稲村ヶ崎駅、次の目的地である「稲村ヶ崎温泉」はもう間近です。

 

2010_06020082_2 稲村ガ崎と言えば新田義貞が倒幕のために鎌倉へ攻め上った時に干潮を利用して強行突破したと伝えられる要害の地です。後醍醐天皇から下賜された黄金の太刀を海中に投じて龍神に戦勝の祈願をしたという伝説もあるそうです。注釈;稲村ヶ崎・稲村ガ崎と2つの表記が存在

 

2010_06020086_2 稲村ガ崎公園交差点のすぐ手前にあるレストラン「Sundish」の駐車場に入ると奥に日帰り温泉施設「稲村ヶ崎温泉」がありました。平成12年に掘削された温泉です。入口に「砂を落としてください」「海帰り姿では入店できません」と注意書きがあるのは場所柄でしょう。

 

2010_06020095_2 カウンターで利用料の1300円を支払いました。やや高額ですが、鎌倉市で唯一の温泉であり、18歳未満は利用できないこと、和風の落ち着いた雰囲気があることから止むを得ないかもしれません。10回分の回数券を購入すると一回1000円と妥当な料金になるのは地元の人には嬉しいサービスです。

2010_06020088_2 小さな脱衣所に続く浴室も小振りで、手前にカランが左右各3箇所、その先に正方形の内風呂浴槽があり、ガラス戸の先には露天風呂が続いています。内風呂は天井が高く、古民家風の立派な梁がむき出しの意匠になっていますから手狭感はそれほどありません。ボディーソープ、シャンプー、コンディショナー、ドライヤーが無料で利用できます。

露天風呂の隣は源泉水風呂で間歇(かんけつ)的に掛け流しになっており、さらに奥にはこれまた小さなサウナがありました。泉質は、いわゆる黒湯、ナトリウム-炭酸水素塩泉(アルカリ性)です。色の濃さとヌメリ感も十分で、海に近いのに塩分がなく、さっぱりした良質の温泉です。

駐車場はコインパーキング形式になっていますが日帰り温泉の利用客はフロントで貰うカードを精算機に投入すれば2時間まで無料、また入館料の領収書を見せると隣のレストランの料金が割引になります。

<同行者のコメント> 鵠沼では車を停めた公民館から暑い日差しのなかをずいぶん歩きました。カラータイルで舗装され商店街の先は静かできれいな住宅地、新しい住宅をながめる旦那さまが不審者に間違えられないか心配でした。「ごんぱち」でも熱心に風景写真を見たり、店内を撮影したりしているため、店のご主人から旦那さまはカメラが趣味ですかと聞かれてしまいました。日帰り温泉は小さいのですが落ち着いた雰囲気と黒湯がとても良かったです。

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2010年6月 6日 (日)

湘南ドライブ(中編)

2010_06020030 昼近くなりましたから次の目的地へ移動します。藤沢市の北西部(慶応大学湘南藤沢キャンパス近く)にあるごはん処・お休み処・へっつい庵「ごんぱち」は鵠沼海岸から直線距離で10km近くもあります。県道47号と曲がりくねった市道で向いました。藤沢市とは言っても田園地帯が広がる打戻地区は長閑(のどか)な場所です。
 

2010_0602002990年の農家を改築した「ごんぱち」には客の車が目白押し、ご主人の誘導を受けて何とか駐車できました。私は庭にある水琴窟(すいきんくつ)に直行して涼やかな音 を楽しみました。よく手入れされているようです。栃木市の味噌屋「油伝味噌」で見掛けたことを思い出しました。
 
 

 

2010_06020051 広い店内は幼児連れの女性客グループでほぼ満席、12時を大分回っていましたので早速注文することにしました。バラエティに富んだメニューに迷いましたが、お目当ての「手打ちほうとう」はボリュームがありそうなので「おじや」との組み合わせを同行者とシェアすることにしました。

 

2010_06020052配膳を待つ間、土壁ギャラリーに展示された「悠遊写真館長さん」の風景写真を見せて貰いました。春と夏の花を中心に20点ほどが展示されていました。いずれも作者のパーソナリティを反映して暖かさに包まれた作品です。当ブログでも紹介した上高地鋸山羊山公園などで撮影された作品から写真撮影のヒントを貰うことができました。  

2010_06020037 2階の休憩処にも上がってみました。中央にテーブルと座卓があり、周囲にはこれまでギャラリーに展示された作品の一部なのでしょうか、たくさんの絵画や手芸品などが並べられています。後でご主人からお聞きした話では昔は養蚕(ようさん)に使われていたそうで、低い天井がその面影を残しています。花園渓谷の絵が印象に残りました。 

2010_06020041 配膳された「手打ちほうとう」と「おじや」はいずれも大きなどんぶりに入っています。先月、信州と甲州へドライブした時に食べ損なった「ほうとう」を美味しく食べました。同行者は古代米の白玉あんみつを追加、さらにチビスケ君へのお土産にと「おからコロッケ」や「おやき」などを注文。

 

2010_06020044 手打ち処に「ごんぱち」が山梨弁でこね鉢のことと説明されています。ちなみに「へっつい」は竈(かまど)のこと。店内のいたるところに様々な商品が置かれています。ご主人から開店するまでの経緯(いきさつ)を聞きました。大工さんの指導は受けたものの、友人達の手助けで自らすべて行った改築工事の写真をたくさん見せていただきました。

2010_06020048へっころ谷(山奥のへんぴな場所という意味を持つ造語)の名で33年前にほうとう店を国道467号沿いの亀井野で開店、最近になってその店を息子さんに譲って、5年前に打戻地区の空き家を改築して「ごんぱち」を開店したこと、毎月の無料展示は写真や絵画だけでなく、書・織物・焼き物など多種多様なものを対象としていることなど、時の経つのも忘れて話が弾みました。

ここで薀蓄(うんちく)です。湘南エリアには明確な定義はないようです。最近は自動車のナンバーにも採用されてよく見かけますが、もともとは相模国(神奈川県中西部地域)の南エリアを意味する言葉です。つまり相模湾に面した三浦半島の葉山や逗子から鎌倉・藤沢・茅ヶ崎・平塚・大磯・二宮・小田原までのベルト地帯を指すことが普通ですが、相南ではなく「湘南」としたのは平塚と大磯の間にある湘南平から見た景色が中国の景勝地である湖南省の湘江(しょうこう)に似ているとされたことによるそうです。

今回ドライブする茅ヶ崎・藤沢・鎌倉が湘南の中心であるかのように現在受け取られていますが、これは50年ほど前に石原慎太郎氏の「太陽の季節」(芥川賞を受賞)や加山雄三氏の映画「若大将シリーズ」が茅ヶ崎を中心とする湘南をイメージ付け、20数年前にヒットしたサザンオールスターズの「チャコの海岸物語」や「HOTEL PACIFIC」(加山雄三氏が父と経営した実在ホテルがモチーフ)などで茅ヶ崎が再注目され、「KAMAKURA」(サザンオールスターズのリーダー桑田佳裕氏は鎌倉学園卒)と言うアルバムも発表されたことに因るのではないかと思います

ですから湘南ナンバーに鎌倉・逗子・葉山の地域(横浜ナンバーを使用)が入っていないのは必ずしも間違いとは言えないのかもしれません。富士山ナンバーと同様に御当地ナンバー論争が生まれる背景の一端を紹介しました。(続く)

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2010年6月 5日 (土)

湘南ドライブ(前編)

湘南へドライブに出かけました。その動機付けは友人の「悠遊写真館長さん」が藤沢市で写真の個展を開催すると招待状を送ってくれたことです。湘南へはこれまでも良く出掛けていますが、今回は前から一度訪れたいと思っていた場所も含めてドライブプランをまとめました。

藤沢へ向うルートとしては国道1号あるいは国道246号が便利ですが、今回は後者を利用して大和市から国道467号(藤沢街道、町田街道)で南下するルートを選びました。片側1車線のため交通渋滞のメッカですが当日は平日でもあり問題はないだろうとの判断です。国道246号の山王原東交差点からほぼ一直線の道が続きます。

2010_06020003 東海道新幹線を潜ると道は藤沢市に入り、湘南台・善行を通過して約8km走って急坂を下りると白旗神宮の先で国道1号(藤沢バイパス)と立体交差、藤沢市の本町で国道467号は左折します。藤沢橋交差点を左折して県道30号の陸橋でJR東海道線を越えると藤沢警察署、大きな看板に見とれて警察署に突入しないように注意しながら三差路を左手に入って鵠沼海岸を目指しました。

2010_06020028 最初の目的地は鵠沼(くげぬま)海岸の東隣に位置する鵠沼松が岡です。事前に番地まで調べていますが、これまでの失敗経験を生かして、今回も地元の施設で場所を再確認することにしました。立ち寄った先は鵠沼公民館です。その中にある「鵠沼郷土資料展示室」で確認すれば間違いないはずです。駐車場に車を停めてその展示室に向うと廊下の照明が落とされて薄暗いのです。またもや私に不運が待ち受けていました。月中旬に前回の展示が終了、次回展示は月中旬になる旨のポスターが貼られています。注釈; 鵠は「くぐい」とも読む白鳥を意味する古名

2010_06020004 せっかく立ち寄った公民館ですから職員の方に駄目元で尋ねてみました。同じことを聞かれたことがあるようで別の職員の方を呼んでくれました。展示室には詳しい資料があるはずと断って、地元の詳しい地図で私の探す場所を丁寧(ていねい)に教えていただきました。その場所には何の表示もないとのこと。事前に調べた鵠沼松が岡1-18-9は正しかったようです。教えていただいた道順に従って小田急江ノ島線の鵠沼海岸駅付近から線路と並行して伸びる商店街を歩きました。

2010_06020008 商店街が途絶えてしばらく歩いたところで線路際の道に移り、車が進入できない小さな踏切を渡ると目的地に辿(たど)り着きました。公民館から1km弱の距離です。隣の鵠沼松が岡2丁目にあった町内案内図は1丁目18番9号の隅に一軒の名前が示されているだけで、その他の広い敷地に書かれた名前が白く塗り潰(つぶ)してありました。この区画全体が捜し求めた場所のようです。

2010_06020016 そこは真新しい瀟洒(しょうしゃ)な住宅と古いお屋敷が混在する場所でした。戦前のことですが、元の総理大臣廣田弘毅氏が政治の表舞台から身を引いて移り住んだ別荘跡なのです。司馬遼太郎氏の「落日燃ゆ」を読んだ時に思い描いた場所です。今は敷地が細分化されて当時の別荘の様子は窺(うかが)い知れませんが、しばし留まって60年以上前には湘南の別荘地であった鵠沼の佇(たたず)まいを想像してみました。

2010_06020025 公民館まで戻る途中、旅館「東屋」跡にも立ち寄りました。「明治後期から昭和初期にかけて尾崎紅葉をはじめ、武者小路実篤、谷崎潤一郎、芥川龍之介ら近代文学の旗手達が相次いで旅館東屋に来遊、逗留し、この宿で想を練り、執筆するなど、それぞれの文学世界を創造した」と説明されています。(続く)

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