「海辺のカフカ」を読む
昨日の7月4日(日)、テレビ番組「笑点」を見終わった午後5時59分から午後6時までの1分間、わが家のテレビは放送電波が途絶えた時と同じ砂嵐のような映像が背景になり、「ご覧のテレビはアナログ放送です。2011年7月からテレビ画面はこうなります・・・」と親切な表示が出ました。いよいよ1年後に迫った地アナ放送の停止を警告プするログラム「地デジ化テスト」です。
本当に電波が止まるのかどうか疑い深い私は「???」です。衛星放送を観られれば私はさして不自由を感じませんが、オチビちゃん・コチビちゃん・チビスケくんたちがわが家へ遊びに来た時にNHK教育テレビの好きな子供向け番組「クインテット、ピタゴラスイッチ、おかあさんといっしょ、いないいないばあっ!、できたできたできた、つくってあそぼ、えいごであそぼ」などが観られなくなると・・・。
さて本題です。近畿ドライブ旅はこれまで8件の記事原稿を書きましたが、その合間の気分転換に読んだのは村上春樹氏の代表作のひとつである「海辺のカフカ」です。私が閲読する村上作品の9作目になります。これまで当ブログで紹介した村上作品は「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」「ねじまき鳥クロニクル」「ノルウェイの森」「アフターダーク」「国境の南、太陽の西」の順でした。
村上作品はユニークな舞台設定と時空を越える物語の展開があるため的確な要約を書くことは困難です。なかでも長編の「海辺のカフカ」についてはなおさら困難な作業です。近畿ドライブ旅の残り記事を書く前に「海辺のカフカ」を読んで私の心に残ったストーリーを「飛び石を伝う」ように辿(たど)ってみることにします。ちなみに写真はすべて「四国・お遍路ドライブ」(その1、その2、その3)で撮影したものです。
☆☆☆
東京から西へ向う高速夜行バスに明日15歳の誕生日を迎える中学生の主人公が乗っている情景が細かく記述されながら物語がはじまる。
突然場面が切り替わって終戦直後のアメリカ国防省の極秘資料が登場、終戦直前に山梨県山間部のとある村で起きた不思議な事件の調査報告書である。女性教師に引率されて野外実習のため近くの山に登った小学生16人が全員意識を失って数時間後にほぼ全員が意識を取り戻した事件であるが、中田という少年一人だけは意識不明のままであった。毒ガス兵器の可能性を疑った日本軍が詳しく調べるが原因は判明しない。そして終戦直後に行われた米軍(進駐軍)による調査もほぼ同様の結果。
高速バスは瀬戸内海に架かる巨大な橋を渡って早朝の高松に到着。バスの中で知り合ったサクラという年上の女性と別れた主人公は田村カフカと名乗って料金の安いビジネスホテルに宿泊しながら関心を持っていた高松市郊外の私立図書館で本を読む毎日を送り始める。
中野区の住宅街で初老の男性(ナカタ)が野良猫に声を掛けている。猫と話ができる彼は近所の人から頼まれて迷子の飼い猫を探しているのだ。
高松駅近くで夕食を済ませた主人公は気を失っていた自分を発見する。食事をした後の記憶がまったくないのだ。しかも白いTシャツが血に染まっている。動転した主人公はサクラに連絡を取って彼女のアパートに一晩泊めてもらう。そしてサクラに問われるまま自分が幼い頃に母が姉を連れて家を出たことなど身の上話をする。
ナカタさんは自分が探している猫のことを他の猫たちに訊(き)き回る。シャム猫のミミが通訳してくれた要領を得ないある猫の言葉を頼りにナカタさんは猫たちが良く集まるという空き地へ毎日通うことに。
奇妙な事件が起こってから30年近くが経った頃、日本軍の依頼で調査を行った精神医学の専門家のもとへ事件に関与した女性教師から手紙が届いて事件の意外な真相が明かされる。
ナカタさんはある日、空き地に現れた巨大な犬に導かれて訪れた中野区内のとある家でジョニー・ウォーカーと名乗る奇妙な服装の男から突拍子(とっぴょうし)もないことを頼まれるがナカタさんは拒(こば)めない。ナカタさんが気付くとジョニー・ウォーカーは血に染まって倒れている。
自分が何かの事件に巻き込まれたのかもしれないと考えた主人公はビジネスホテルに宿泊するのを止める。行く先が無くなった主人公は親しくなった図書館スタッフの大島さんの勧めで大島さんの兄が高知の山奥に所有する別荘に数泊したあと図書館内に寝泊りしながらアシスタントとして働くことになる。主人公に与えられた部屋には夏の海辺の少年の絵が掛けられている。
ナカタさんは自分がしたことを交番に届け出るが巡査は頭がおかしい年寄りの話だと信用しない。そしてナカタさんは西へ向うことを決心する。都心までバスで出たナカタさんは親切な女性会社員のアドバイスでヒッチハイクをしながら神戸へ到着。ナカタさんはずっと昔に記憶を失った中田少年であり、今も読み書きが出来ないのである。
大島さんは数日前の新聞を主人公に見せて殺された中野区の彫刻家田村浩一が主人公の父親ではないかと問う。しかし主人公は警察に名乗り出たくないと答える。そして父親から繰り返し告げられた予言のことを大島さんに話す。ギリシャ悲劇の主人公オイディプス王が受けたのと同じ予言である。その夜、主人公は少女の夢を見る。それは大島さんから身の上話を聞いていた図書館長の佐伯さんであると主人公は直感する。
佐伯さんが19歳の頃(1969年)に作ってヒットした歌「海辺のカフカ」をシングル盤のレコードで何度も聴く主人公。ジャケットの写真を見て夢に現れた少女は15歳の佐伯さんであることを確認する。大島さんの生き霊についてのアドバイスで主人公は谷崎訳の「源氏物語」を読みながら15歳の佐伯さんが夢に戻ってくるのを待つ。ここまでが上巻のポイントです。
ナカタさんはヒッチハイクさせてもらったトラック運転手の星野さんと一緒にバスで大きな橋を渡って徳島に入り、さらに電車で高松までやってくる。こうして複雑な舞台設定が出来上がるとともに「入口の石」が重要なテーマであることが下巻で明らかにされる。そして主人公と佐伯さんや大島さんの関係も観念と現実が入り混じりながら深まって行く。外殻(入れ物)と本質(中身)の関係も・・・。
星野さんは高松の町を歩いている時にカーネル・サンダースと名乗る奇妙な小男に声を掛けられる。そして案内されたとある神社にあった「入口の石」をナカタさんと宿泊する宿屋へ持ち帰る。激しい雷が通り過ぎる時にナカタさんの頼みで星野さんははるかに重くなった石を渾身(こんしん)の力でひっくり返す。他の世界への入口が開いたのである。
高松市内のジムで身体を鍛える主人公。佐伯さんの問いに答えて強くなりたいと言う。主人公が名乗るカフカとはチェコ語でカラスであることも話す。
注釈;チェコ出身の小説家カフカが有名
大島さんからの電話連絡で主人公は大島さんと一緒に例の別荘へ再び向う。警察が高松へ向った老人と携帯電話の通話記録から主人公が高松に居ることを結びつけたのだ。ナカタさんと星野さんにも警察の捜査が迫っていることをカーネル・サンダースが電話で知らせる。長い睡眠からやっと覚めたナカタさんは無理に起こしたことを詫びる星野さんに「炊きつけは済ませておきました」と意味不明のことを言う。そして2人はカーネル・サンダースに指示された郊外の賃貸マンションへ移る。
別荘に到着すると大島さんは戦時中に軍隊がその辺りで行った演習で新兵が2人行方不明になったことを主人公に話す。深い森は迷宮であり、別世界でもあるので、足を踏み入れるのはとても危険だと言う。大島さんの車が走り去って一人になった主人公は15歳になったばかりの自分が佐伯さんについて何も理解できないもどかしさを感じる。
ナカタさんは星野さんにレンタカーで高松市内を走りたいと頼む。2人は何の当ても無く市内を走り回るが市内の探索を諦めた2日目の夕刻に偶然その場所へ行き当たる。主人公が前々日まで居た甲村記念図書館である。
別荘での単調な時間のなかで主人公は森の中にもう少し深く入ってみたくなってそうするが恐怖を感じる。ナカタさんと星野さんは翌朝、図書館を訪れて午後の館内見学に参加する。そしてナカタさんは案内してくれた佐伯館長の部屋に星野さんが制止するのも聞かずに押しかける。
主人公は大島さんに注意されたにもかかわらず山奥へと分け入ってしまう。耳の奥で鳴っていた音楽が消え去って、かすかなホワイト・ノイズだけが残る。そして戦時中に行方不明になった二人の日本兵と出会い、その案内でさらに山奥のとある場所へ入って行く。入口が開いていたのだ。そして主人公はあの少女と再会、そして佐伯さんとも・・・。
ナカタさんは佐伯さんから託された3冊のファイルを焼いた。佐伯さんが自分の人生について書き記したものである。マンションに戻るとナカタさんは深く寝入って再び目覚めることはない。石と対話する星野さんは黒猫との会話が出来る自分に気がつく。そしてナカタさんの口から白くて何やら得体の知れないものが這(は)い出してくる。それは意思だけで出来ているようで刃物は役に立たないことを知った星野さんは入口の石を渾身(こんしん)の力を込めて裏返す。入口が閉じられたことで白いものは力を無くして動かなくなる。そして星野さんは名古屋へと戻って行く。
自宅へ戻る決心をした主人公は別荘まで迎えに来てくれた大島さんの兄の車で高松まで戻り、心臓麻痺で亡くなった佐伯さんから貰った「夏の海辺の少年」の絵と大島さんから手渡された「海辺のカフカ」のシングル盤を持って、橋を越え、海を渡り、岡山から新幹線で東京の自宅へ向かう。「君はやはり世界の縁まで行かないわけにはいかない。君は正しいことをしたんだ。絵を眺めるんだ。風の音を聴くんだ。君にはそれができる」と語りかける「カラスと呼ばれる少年」(主人公の影)の声を聴きながら主人公が眠りに落ちるところで長い小説は終る。
☆☆☆
四国遍路で高松市内を走り回ったことのある私は、小説の舞台を特定することに意味がないことは承知しながら、甲村図書館の場所を高松市内の琴電屋島駅あるいは讃岐牟礼駅辺り、絵に描かれた砂浜はさぬき市の津田の松原を思い浮かべながらこの小説を読みました。そして高校生時代に知った近松門左衛門の言う芸術論「虚実皮膜(きょじつひまく、きょじつひにく)論」をなぜか思い出しました。
やさしい文体と比喩を散りばめた村上春樹氏の作品は時空を越えるストーリー展開や現実世界と観念の世界を頻繁(ひんぱん)に往来することで戸惑わされた私の脳細胞が麻痺(まひ)状態からモルヒネを投与された時に似た心地よさ(爽快感と浮遊感)へと変わるのです。その体感を通して村上作品の人気の秘密をほんのわずかですが垣間見たように思います。最新作の「1Q84」を読んで見たくなりました。
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