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2010年7月29日 (木)

日本ロマンチック街道 上田城址

東御市(とうみし)を経て国道18号で上田市へ向います。東御市は湯の丸高原のレンゲツツジが有名です。上田市に入って信濃国国分寺跡に立ち寄りました。信濃国分寺資料館の駐車場に駐車させていただきました。旧信濃国国分寺跡の広大な敷地は国道18号とJR上越線によって無残に切り取られています。講堂跡、金堂跡、回廊跡、塔跡を巡りました。
 
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塔跡の高みから国分寺跡の敷地が見渡せ、中門跡の石積みが線路の反対側に見えます。国道18号の反対側に現在の信濃国分寺の仁王門から参道が続きます。アマチュア無線の立派なタワーも聳(そび)えていました。
 
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国分一交差点のY字路を左前方へ向かう国道141号に入って、中央一交差点を左折、JR上田駅前を右折して市道で上田城址に到着。広い駐車場から上田城址の石垣と櫓(やぐら)が2つ見えました。
 
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真田幸村と真田十勇士の幟旗(のぼりばた)が風にはためいていました。大手1丁目交差点から入ると二の丸跡まで車で入ることができます。巨大な真田石がある大手門の先が真田神社で、その右手が本丸跡です。
 
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南櫓(やぐら)から長野新幹線と千曲川越しに右手は別所温泉と夫神岳(おがみだけ、標高1250m)、中央の尖った山は独鈷山(とっこさん、標高1266m)がよく見渡せました。左手は美ヶ原でしょう。
 
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薀蓄です。上田城は甲斐武田氏の旧臣である真田昌幸によって1583年(天正11年)に築城された平城です。真田家は一族存続のためにあらゆる手立てを講じたことが良く知られています。武田家が滅亡した後は、徳川家康と手を結びますが裏切られ、次いで上杉景勝と同盟します。その時に幸村は人質となって直江兼続と出会いました。第一次上田合戦では上杉との関係があったことで家康を撃退、上杉が秀吉に臣従することになると真田昌幸もそれに従い幸村は秀吉の人質として大阪城へ送られます。

しかし秀吉は真田昌幸に家康の与力となるように命じます。これは大きな屈辱でしたが従うほかはありません。そして信幸・幸村兄弟は豊臣と徳川の陣営に分かれて組み込まれて関が原の戦いでは西軍と東軍に別れて戦いました。西軍側に付いた昌幸・幸村父子は20倍の軍勢を持つ徳川秀忠軍に攻められて上田城に籠った第二次上田合戦となりますが、真田側は持久戦に持ち込んだため関が原の戦いが始まってしまい、秀忠軍は上田城攻略を諦(あきら)めます。

昌幸・幸村父子が秀忠軍を足止めにしたにもかかわらず西軍は敗北、家康は両名を切腹させようと考えましたが、信幸などが嘆願したことで高野山近くの九度山に蟄居を命じられます。昌幸が死んだ後に起こった大阪冬の陣で幸村は徳川方を相手に奮闘、夏の陣では大阪城の堀が埋められていたためた幸村は大阪城を出て徳川本陣まで攻め込み一旦は敗走させますが多勢に無勢で討ち取られてしまいました。

昌幸・幸村父子と幸村の子大助の活躍を描いた歴史小説「真田三代記」が江戸時代に人気を博しました。幸村の名はその小説で使われた真田信繁の通称です。大正時代に書かれた「真田十勇士」では猿飛佐助・霧隠才蔵根津甚八・三好清海入道などが実在の家来をモデルに創作されました。甲賀忍者の猿飛佐助と伊賀忍者の霧隠才蔵は忍術比べをしたライバル、三好清海入道は大きな鉄棒を持つ力持ち、だったと記憶しています。子供の頃に南総里見八犬伝などと一緒に漫画で読んだ記憶があります。

真田氏本城跡も訪れたくなって国道144号で烏帽子岳(えぼしだけ、上田市と東御市の間にある標高2066mの山)を目指して走りました。上田菅平IC入口を過ぎた下原交差点を右折、県道176号に入って、県道175号へと左折、坂道を上って真田町本原に到着。この辺りに真田氏本城跡があるはずです。廣山禅寺脇に広山寺古墳を見つけましたが真田氏本城跡は見当たりません。脇道へ入るところに真田氏歴史館の標識がありましたので探してみましたがこれも見つかりません。
 
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急に大粒の雨が降ってきましたので探索を断念して次の目的地に向うことにしました。帰宅後に調べると真田氏歴史館真田氏本城跡は400mほど先にありました。(続く)

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