河内ドライブ 古市古墳群と日帰り湯「八尾おゆば」
国道166号(竹ノ内街道)に戻って羽曳野市に入りました。石川を渡り古市駅脇を過ぎた白鳥交差点を右折して国道170号(東高野街道)に入り、西名阪自動車道を潜った最初の交差点を左折、もう一度西名阪自動車道をくぐると次の目的地である「古市古墳群」です。4世紀末から6世紀前半頃までのおよそ150年間に、東西約2.5キロ、南北4キロの範囲内に、墳丘長が日本第2位の誉田御廟山(こんだごびょうやま)古墳など墳丘長200m以上の大型前方後円墳6基を含む、123基(現存87基)の古墳が築造されたそうです。
いずれも標高24m以上の台地や丘陵の上にあり、北部の誉田御廟山古墳(伝応神天皇陵)・仲津山古墳(伝仲津姫陵)・市ノ山古墳(伝允恭陵)・岡ミサンザイ古墳(伝仲哀陵)などの古い古墳群と南方の前ノ山古墳(白鳥陵)を中心とする前方部の著しく発達した西向きの新しい古墳群に分けられるようです。
規模が最も大きい誉田御廟山古墳(伝応神天皇陵、前方後円墳)は国史跡に指定されています。墳丘長が420mと仁徳天皇陵(大仙陵古墳)に次ぐ巨大な前方後円墳は5世紀初頭の築造と考えられているそうです。着工される前に二ツ塚古墳が既に存在していたため、それを避けるように周濠と内堤が歪んだ形で造られました。古墳跡らしき公園の横に車を停めて管理事務所脇の砂利道を通って参拝所へ向かいます。前方にこんもりとした前方部が見えます。雨粒が写るほどの本降りになりました。
応神天皇は3世紀末から4世紀初頭にかけて(古事記によれば4世紀後半に)実在性が認められる最も古い天皇とされますが、仁徳天皇と同一人物であるとか、当時の大王など有力者達を合成して創作された人物とする説など、諸説があるようです。この時代に漢字が日本へ伝えられました。母の神功皇后は三韓征伐で新羅に続いて百済と高句麗を支配下に置いたと日本書紀が記述しています。戦前までは皇国史観から史実とされていましたが、戦後の研究により創造または誇張による伝説との見方が有力になりました。しかし朝鮮半島南端の任那(みまな)で発掘された前方後円墳から倭国産と見られる遺物が出たことで、この地に倭国の勢力圏があったことは確かなようです。
本題から外れますが、さらに200年ほど後の663年(天智2年)に朝鮮半島の白村江(はくそんこう)で倭国と百済遺民の連合軍が唐・新羅連合軍と戦った「白村江の戦い」(倭国と百済遺民の連合軍が大敗)が倭国と朝鮮との間で行われた最初の戦いと言えるでしょう。唐と新羅によって滅ぼされた百済の遺民からの要請で中大兄王子(後の天智天皇)が兵を派遣したのです。敗戦後に天智天皇は北部九州の大宰府の水城(みずき)を築城して防人(さきもり)を配備、瀬戸内海を主とする西日本各地に古代山城などの防衛砦を築き、都を難波から内陸の近江京へ移しました。そして唐との友好関係を築くために遣唐使の派遣を始めています。
巨大な応神天皇陵を一周して見ましたが、応神陵前交差点付近から広大な堀が望めるだけで、それ以外のエリアは住宅が陵に迫るためアクセスできません。仁徳天皇陵は周囲に散策路が整備されていたことと対照的です。
誉田御廟山古墳(伝応神天皇陵)の北東にある仲ツ山古墳(なかつやまこふん、仲津山古墳)へ向いました。途中、偶然ですが鍋塚古墳の脇を通過しました。小さな古墳に見えましたが後で調べると一辺が50m・高さ7mの大形方墳(国の史跡、未発掘)でした。
大阪府藤井寺市沢田4丁目にある仲ツ山古墳(前方後円墳)は宮内庁によって仲津媛(応神天皇皇后)の陵墓とされています。
3番目に訪れた市ノ山古墳(允恭陵、いんぎょうりょう)は墳丘長が227mで全国20位、前方部の高さ23.3m、後円部の高さ22.3mの規模があります。出土した埴輪(はにわ)などから築造年代は5世紀後半とされます。ちなみに宮内庁は第19代允恭天皇の陵墓に比定しています。住宅に取り囲まれているため参拝所への入り方が分からず、無駄に1周することになり、後円部側から何とか様子を見ることができました。
最後に訪れた岡ミサンザイ古墳(おかミサンザイこふん、仲哀陵)は藤井寺市にある前方後円墳で築造年代は5世紀後半です。墳丘の長さは242mで古市古墳群では4位(全国で18位)の規模の古墳。陵名は惠我長野西陵(えがのながののにしのみささぎ)。宮内庁は第14代仲哀(ちゅうあい)天皇の陵墓としています。五差路を右折すると住宅地の行き止まりです。しばし車を停めさせていただいて参拝所へ向う良く整備された砂利道を歩きます。管理業務に使うのでしょうか濠にボートが一艘(そう)係留(けいりゅう)されていました。ちなみにミサンザイはミササキ(御陵)から出た言葉のようです。
午後4時を過ぎると雨天のため薄暗くなって来ましたから、もう少し古墳巡りをしたいとことですが、この辺で切り上げて日帰り温泉に向いました。この日に選んだのは八尾市柏村町にある源気温泉「八尾おゆば」です。国道170号で志紀駅を過ぎた柏村交差点を左折すれば400mほどで到着します。
裏手にある大きな駐車場に車を停めて一周する形で足湯の脇から施設に入りました。利用料は700円(レンタルのタオルとバスタオルがセットになった手ぶらパックは850円)です。名前の「おゆば」はお湯につかって語らい合い酒食を楽しむ湯場を意味します。さっそく浴室がある2階に上がりました。小振りの脱衣場の先にある内湯の大浴槽「なみなみの湯」は長方形の平凡なもの。泉質は単純泉(低張性-弱アルカリ性-低温泉)で肌が滑らかになるのが感じられます。サウナと水風呂もありました。
露天エリアには東屋風の小さな屋根がある大露天岩風呂が一際目立ちます。塀越しに信貴山(しぎさん)など生駒山地が望めました。その他に半露天のエステ浴「怒涛の湯」とうたた寝の湯(寝湯)もあります。
全体の印象は気取らず気楽に温泉が楽しめる河内らしいスーパー銭湯で、1階にはレストラン・散髪・ボティケアなどもあって地元では人気温泉のようです。ちなみに大阪の千里には姉妹店「万博おゆば」があります。
雨が強く降り始めたため八尾ICから近畿自動車道に入って大阪市の中心部へ向いましたが、雨足は益々激しくなり、ついには土砂降りになってしまいました。
<同行者のコメント> 雨が降るなか旦那さまが古墳へのアクセスに苦労している様子は私の待つ車から良く見えました。道が狭くて車は近くまで行けないのです。温泉はお湯が良かったと思います。すぐ横の店で買ったたこ焼きがとても大きくてビックリ!
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