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2010年7月28日 (水)

日本ロマンチック街道 佐久市の「職人館」と小諸城址

日本ロマンチック街道から離れますが小諸市の御幸町交差点を左折して県道78号で佐久市へ向いました。同行者が希望する蕎麦と創作料理の「職人館」で昼食です。千曲川に沿って走り、耳取南交差点を右折して県道44号へ入って千曲川を渡り、国道142号に入りました。諏訪と白樺湖の名前が案内標識に出始めました。
 
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八幡西交差点で旧中仙道が国道142号に合流します。軽井沢の追分交差点付近でも旧中仙道の標識と中山道69次資料館を見ています。高崎宿から追分宿(現在の軽井沢町追分)まではほぼ国道18号に沿ってきた旧中仙道は追分から南にそれて佐久市の岩村田宿を経由する直線的なルートを通っていたようです。ちなみに追分(おいわけ)の名は中山道と北国街道の分岐点であったことに由来します。中山道に限らず古い街道筋には追分の地名が各地に残っています。

新望月トンネルを抜けた望月交差点(旧中仙道望月宿への入口)を左折、県道151号を南下、最初の交差点を左折して天神トンネルを抜け、県道151号が右に折れ曲がる春日小交差点を直進して市道に入ると800mほど先の左手です。ルートは複雑でしたが何とか職人館へ到着できました。

 

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無農薬・地野菜などこだわりの店は民家をそのまま使用しています。かなりの人気店のようですでに多くの客がありました。私は「みまき豆腐」がのった「霙(みぞれ)そば」を、同行者は「山葡萄ドレッシングのそばサラダ」を注文しました。ちなみに「みまき(御牧)豆腐」は天然のにがりと地元大豆のみを使用した豆腐で作久市の東御市(とおみし)の特産品で、大豆の風味が生きているのが特徴とされます。

同行者のそばサラダの方が先に配膳されましたので味見をさせてもらうと正に創作料理で私にはドレッシングの味が強い洋風味でした。それでも霙そばを待つ間に半分近く平らげてしまったようです。かなり待った霙そばは見た目にはとてもシンプルです。まずみまき豆腐を箸で取って味わうとしっかりした味があります。そして薬味を入れて混ぜ合わせて食べるとまろやかな味がして夏向きの蕎麦でしたが、「みまき豆腐」の風味がそばにやや勝っているようです。蕎麦の味も混ぜる前に味わうべきだったかもしれません。そうは言っても私好みのさっぱりした味には満足、新しい蕎麦の味を提供する人気店は期待通りでした。

 

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元来たルートを逆に辿(たど)って御幸町交差点から国道18号で小諸城址を目指します。大手門公園内にある小諸城大手門から本陣主屋跡(休館中)、旧脇本陣「条屋」跡、小諸本陣(問屋場)跡を回りました。

 

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次いで懐古園(小諸城址)に向いました。有料駐車場から歩いて三の門を潜り、三ノ門料金所で入園料300円を支払い二の丸跡の石垣に沿って坂道を上ります。若山牧水の歌碑に続いて南丸と北丸の間を抜けると右手に弓道場があり、和弓の練習をする人たちが見え、太鼓橋(黒門橋)を渡ると本丸跡に懐古神社があります。本丸の石垣の上に登ってみました。

 

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左手の社務所脇を下りると広い馬場に出ます。ここは桜の名所のようです。高浜虚子の句碑や藤村句碑を過ぎると天守台の石垣がそびえるのが見えますが石積みが少し痛んでいるようです。

 

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園内をゆっくり散策したところですが、午後に入ると天気予報通りに雲が増えて、遠雷も聞こえ始めましたので駐車場へ戻ることにしました。料金所近くの懐古館の脇を抜けて「惜別の歌」歌碑にも立ち寄りました。島崎藤村が作詞・藤江英輔氏が作曲した歌声喫茶で人気が高かった歌はもともと中央大学の学生歌でした。私も高校時代に演劇部の練習の合間にロシア民謡などに加えてこの歌を歌ったことと、映画俳優の小林明さんの特徴ある歌声も思い出しました。

 

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余談です。原曲(中央大学学生歌中央大学音楽研究会グリークラブの歌声)には無かった4番が後になって付け加えられたため異なる4番の歌詞が存在まします。歌碑には「君の行くべき 山川は 落つる涙に 見えわかず そでのしぐれの 冬の日に 君に贈らん 花もがな」(英輔書)となっていますが、私の覚えている歌は「君がやさしき なぐさめも 君が楽しき 歌声も 君が心の 琴の音も またいつか聞かん この別れ」です。

島崎藤村の「若菜集」にある「高楼」(たかどの、嫁に行く姉を妹が見送る時の対話形式の詩、上田市の西隣の青木村にある田沢温泉を藤村が訪れた時の作)の8節のうち4節が引用されて「惜別の歌」となりました。前者が7節からの引用で出征する友へ送る言葉にふさわしく、後者は6節からの引用でロマンチックな印象を与えます。ちなみに「惜別の歌」の題名は東京女子高等師範学校(現在の御茶の水女子大学)の女学生から出征する中央大学の学生に送られた「高楼」の抄物(しょうもつ)に付けられました。

ところで天守台近くに歌碑がある藤村の「千曲川旅情の歌」は小諸城址に相応(ふさわ)しいと思うのですが、藤村が小諸に住まいした時の作とは言え、小諸とは無縁な「惜別の歌」の歌碑が置かれていることを不思議に思います。1963年の映画化では仙台(青葉城)が舞台として使われたことへの対抗意識によるものでしょうか。(続く)

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