日本ロマンチック街道 旧日光街道巡り(その3)
七本桜交差点を過ぎると杉並木の出口に追分地蔵が鎮座していました。高さ約2mと北関東一の石地蔵は日光街道(国道119号)と例幣使街道(国道121号)の分岐点(小倉町交差点)に置かれているのです。道標には「左 宇都宮、右 鹿沼」と彫られています。杉並木の旧街道も合流しますから3つの街道が一つになって小倉町交差点につながっていますから六差路と言えるでしょう。右手の県道62号はさくら市に至って国道4号(奥州街道)に接続しています。
その県道62号に入って東武日光線今市駅へ向い、最初の十路地を左折すると住宅に囲まれた報徳二宮神社があります。昔懐かしい二宮金次郎の像・尊徳の坐像とともに立派なお墓がありました。ちなみに今市市(いまいちし)の表示が所々に残っているのは2006年に日光市となるまでの旧称です。
国道119号に戻って龍尾神社前の交差点から入った旧道の並木を含む杉並木公園には「重連水車」(直径4.5m・幅80cm x2)が前日からの雨で力強く動いています。そのすぐ近くには朝鮮通信使の今市客館跡(江戸時代)の立派な石碑もありました。
杉並木公園の左半分を構成する未舗装の杉並木を歩いてみました。右手の神社に気を惹かれて立ち寄ると「高お神社」でした。「お」の部分は「雨冠の下が漢数字の四と龍」を組み合わせた大変難しい漢字です。
瀬川一里塚の案内看板には江戸日本橋から34里(132km)と説明されています。杉並木公園を過ぎると旧日光街道は車が通りぬけできないと表示されていましたので、国道119号を走ることにして、瀬川大日堂・七本杉伐痕・砲弾打込み杉などは通過しました。国道119号に戻ると並木太郎と呼ばれる杉(樹高38m)と根本が銀杏のように広がった銀杏杉もありましたが車を停めるのは危険ですから撮影を諦(あきら)めてこれも通過。宝殿(ほうでん)交差点から日光の山々が見えてきました。
JR日光線のガードを潜ると日光街道の名残り道、並木寄進碑と日光杉並木街道碑がありました。昔の日光街道の雰囲気を今に残すスポットのように思います。
東武日光駅前交差点で杉並木が途絶え、電線の地下化ですっきりした景観の日光市市街地に入ります。神橋交差点の右手前にある天海大僧正の銅像と左手の高みにある板垣退助の銅像がいずれも神橋の方向を見ています。川越大師喜多院(きたいん)にあった天海大僧正の銅像は穏やかな表情でしたが、日光の銅像は厳しい顔立ちに造られています。大谷川(だいやがわ)に架かる日光橋が日光街道の終点です。
日光市郷土センターに「日光における戊辰戦争」の説明看板がありました。戊辰(ぼしん)戦争は幕末(慶応4年、1868年)から明治2年(1869年)にかけて江戸幕府の勢力と明治新政府軍が戦った全国規模の内戦です。鳥羽・伏見の戦い、会津・庄内藩が中心となって新政府軍と戦った東北戦争、榎本武揚(えもとたけあき)と土方歳三が活躍した箱館戦争(注釈;戊辰戦争後に函館に改称)などが有名ですがいずれも新政府軍が勝利しました。日光に幕府側勢力が入ったため土佐藩の板垣退助を主将とする新政府軍は今市まで迫りましたが、幕府側勢力が会津へ向ったことで戦火は日光に及ばなかったことが説明されています。戊辰戦争については当ブログの「会津の飯盛山」「郡上八幡」「会津藩主松平容保(かたもり)」の記事で触れています。(続く)
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