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2010年10月に作成された記事

2010年10月31日 (日)

映画「心の旅路」(後編)

Part 7

2010_10170150 いつの日かチャールズがスミシーとして戻ってくるかも知れないとジョンは励ますが、嫉妬心を感じる自分がいることを告げるミス・ハンソン。ここで回想シーンになる。弁護士に相談すると失踪して7年が経てば法的には死亡したと看做されるとの説明を受ける。[シカゴ・ピース]
 

2010_10170154 ミス・ハンソンは夫が行方不明になった状況を調べるが不明であったこと、気落ちした自分が病気になって息子が死んだことも説明する。いろいろな職業で収入を得ながら夜学に通って速記を勉強、ジョンの秘書となったこと、そして夫スミシーの死亡が法的に認められたことも。[コロラマ

2010_10170175 結婚式を間近に控えたチャールズとキティは準備のため教会を訪れる。賛美歌を聴きながら表情を曇らせたチャールズを見て聡明なキティはチャールズの心の中に自分ではない誰かが存在することを知る。出会った時から気付いていたことと、今確信したことをチャールズに告げるキティ。[ショッキング・ブルー]

2010_10170178 そして我ままな自分に優しくしてくれたことを感謝しながら自分に対してではなく誰か他の女性への思いを感じると。キティが必要だと言うチャールズに、これまで十分幸せだったことと、旅行に出掛けるつもりであること、そして別れを告げる。[天津乙女

Part 8

2010_10170180 キティが去ったあとチャールズはリバプールへ向う。執事からチャールズが2年前にリバプールから戻った時の状況を聞いたミス・ハンソンも同じリバプールへ。黙って出かけたことをミス・ハンソンに謝罪したチャールズはリバプールに居た理由を思い出そうとする。[ジャスト・ジョイ]
 

2010_10170183 交通事故に遭った時のことを質問しながらミス・ハンソンはチャールズがその質問への連想で記憶を取り戻すのではないかと期待している。宿泊したホテルに旅行用トランクが残っているかもしれないと言うミス・ハンソン。確かにそれは見つかるがチャールズの記憶を取り戻す手掛かりにならないことで落胆するミス・ハンソン。[黒真珠]

2010_10170188 推されて国会議員として政治家デビューしたチャールズ。祝福するミス・ハンソンにチャールズは求婚する。愛情からではなく、あくまでも政治家の有能な秘書として。二人とも同じ「過去の囚人」で良いパートナーになれると説明するチャールズ。ミス・ハンソンは困惑する。[ガーデン・パーティ

2010_10170193 ジョンと相談するミス・ハンソンだが最終的にその提案を受け入れることに。ジョンもミス・ハンソンを愛していたのだ。そして形式だけの優雅な二人の生活が始まり、人々は理想的な夫婦であると賞賛する。バレー「白鳥の湖」を鑑賞しながらあの鍵をまさぐるチャールズ。[レディ・ローズ

2010_10170198 政治家としての地位を駆け上がるチャールズ、そのホステス役として完璧に振舞うマーガレット(ミス・ハンソン)。しかしマーガレットの心は深く沈んで行く。マリー・ルイーズが所有していたネックレスをプレゼントしながら幸せかと聞くチャールズ。[ウイミイ]
 

2010_10170200 自室に戻ったマーガレットは宝石箱のなかからスミシーにプレゼントされた宝石を手にとってスミシーのことを思う。マーガレットのことが気に掛かったチャールズが部屋に入ってくる。安物の宝石だが自分の目の色と同じであり、自分にとって価値あるものだと話すマーガレット。チャールズも心に残る女性が居ることを告白する。[コンフィダンス]

Part 9(最終回) 

2010_10170211 失望したマーガレットは南米へ旅行するつもりだと告げる。チャールズが部屋を出たあとに泣き崩れるマーガレット。旅立ちの日に駅まで見送りに来たチャールズにマーガレットはリバプールから船が出るまでの2日間に大好きだった田舎町へ立ち寄るつもりであると告げる。[マダム・バタフライ

2010_10170221 チャールズは仕事上の問題を解決するために出張すると言う。メルブリッジの電線工場で深刻なストライキが発生したのである。その争議を無事に収拾したチャールズは歓喜に包まれる労働者たちの中を部下に誘われてとあるパブに入る。[グレース・ド・モナコ](グレース・ケリー王妃) 

2010_10170231 その中で労働者たちに感謝されるチャールズ。タバコを切らせたチャールズは始めて訪れたはずの街でなぜかタバコ屋のある場所を知っていた。スミシーが療養所を脱走した時に逃げ込んだ店である。チャールズは自分がこの町に居たことを思い出す。[ブラッシュ・マルラン]
 

2010_10170233 そしてある女性の存在と、群集を避けて隠れた街角の路地も。タクシー運転手に病院の様子を伝えてその所在を尋ねたチャールズは陸軍の療養所に辿り着く。記憶の一端を思い出したチャールズはそれを手繰りながら深い霧の中をメルブリッジの街へと戻る。[ドゥフトボルケ]

 

2010_10170240 マーガレットは思い出深いホテルのロビーから外の霧を見ている。霧は晴れそうねと言うマーガレットにフロント係の女性は良い日になるでしょうと答える。駅へ荷物を運ぶようポーターに指示して自分は歩きたいと言うマーガレットは、フロント係へ自分はこの街に住んでいたことがあると語ったあと、ホテルの女主人のことを訊ねる。[バヤッツオ]

2010_10170245 フロント係は2年前に女主人が亡くなったと答え、先ほど同じことを聞いた紳士が居たと言う。その言葉にさして気を留めずホテルを出ようとしたマーガレットは急に歩を止めてその紳士のことを質問する。その紳士は引退した牧師のことや以前自分が住んでいた教会近くの小さな家を探していたと答えるフロント係。[チェリー・ブランディ]

2010_10170217 小川に架かる石橋からその家に向って感慨深げに歩くチャールズがいる。木戸の軋(きし)み音を確かめ、満開の桜の枝を潜り、ポケットから取り出した鍵で玄関ドアを慎重に開けると見覚えのある室内が・・。そこへマーガレットが現れて木戸越しに「スミシー」と呼びかける。[ピーター・フランケンフェルト]

2010_10170130 おもむろに振り返るチャールズはマーガレットの笑顔を見てすべてを思い出し、「ポーラ」と懐かしい名前を呼び返す。そして桜の下でしっかり抱き合う二人。長かった「心の旅路」のゴールに辿り着いたポーラの輝く表情が画面に大写しとなって“The End”。[ボニー・スコットランド

古き良き時代の映画らしく美男・美女が共演したラブロマンスは原作を分かりやすく変更したことで大ヒットしたそうです。記憶喪失と精神障害者施設での虐待で心身喪失に陥ったスミシーとやり手実業家としてのチャールズを好演したロナルド・コールマン、陽気なショーガールと有能な秘書役を通して優しさと一途さを自然に演じたグリア・ガーソンの二人とともに、キティ役のスーザン・ピーターズも印象に残りました。そして感動的なラストシーンは何度見ても目頭が熱くなりました。ちなみにこの映画は2005年にDVDが発売されていますからTSUTAYAなどでレンタルできます。 

感動的なラストシーンのあとは、もう少しバラの花を楽しんで下さい。

ラフランス            チェシャー            ウィズリー

2010_10170032_2 2010_10170054 2010_10170079
      
ピース              ザ ダーク レディ       せいか
2010_10170083 2010_10170089 2010_10170112
         
エルフ              レベッカ              プリスタイン
2010_10170115 2010_10170121 2010_10170157
      
アンヌ・ブルダ         ロイヤル・ハイネス      ドレスデン
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2010年10月30日 (土)

映画「心の旅路」(前編)

思い立って川崎市多摩区にある「生田緑地ばら苑」に出掛けました。今秋は10月15日(金)から11月7日(日)まで一般に開放されています。私が訪れたのは2日目の土曜日、最盛期には少し早かったようで蕾の品種もかなりありますが、それでも80種ほどが咲き誇っていました。ばら苑の詳細は関連のhpで参照できます。
 

2010_10170248 4年前の当ブログ記事に掲載した写真は接写機能がないカメラで撮影しましたから、今回はクローズアップ撮影で紹介します。いつも長々と書くブログ記事の箸休めとして、私の記憶に残る古い映画を紹介しながら、気に入ったばらの花を見ていただく趣向としました。映画では桜の花がモチーフですが、桜も同じバラ科ですから・・・。
   
2010_10170030 紹介する映画は第二次世界大戦中に作られたアメリカのモノクロ映画「心の旅路」(原題はRandom Harvest)、第一次世界大戦が1918年に終了した直後の英国を舞台とする1941年に出版されたジェームズ・ヒルトンの小説を翌年の1942年に映画化したものです。[写真はクイーン マザー]
 

2010_10170034 原題のRandom Harvestは日本語にするのが難しい言葉(直訳すれば無秩序な収穫)で、これを「心の旅路」とした日本の映画関係者のセンスが光ります。[マダム・ジュールブッシェ]
 
 
 

2010_10170038 全編を見たい方は1~9に分かれたPart番号を順にクリックしてご覧下さい。(注釈; 残念なことに現在は削除されていますので、予告編ハイライトシーン静止画によるシナリオ説明を再掲載します。) 字幕や吹き替えはありませんので各Partのあらすじを参考として付記します。[スペルバウンド]
  

Part 1
 

2010_10170045 英国中部メルブリッジの軍人精神障害者施設から物語が始まる。戦場で記憶が失われて前線の軍病院から送還され1917年に収容された陸軍少佐(主人公)は言語障害で言葉をうまくしゃべることが出来ない。そして仮の名でスミスと呼ばれている。息子を探しに訪れた老夫婦と面会するが両親ではなかった。[アルブレヒト デューラー ローゼ]
 

2010_10170049 霧の深い夜、主人公は鍵が開いていた門の通用口から外に出てしまう。街では大戦が終ったことに歓喜する群衆に巻き込まれるがとあるタバコ屋に逃れる。不自然な言動を怪しんだ女主人は施設からの脱走者であることを疑い通報するため店の奥へ消える。そこへ若い女性が現れて逃げることを勧める。[トワイス インナ ブルー ムーン]
 

Part 2
 

2010_10170056 物陰に主人公を見つけた女性は元気づけるため仲間が居るパブ(居酒屋)に誘う。そして自分は公演中のショーガールであると語る。ブランデーを楽しんだあと劇場へ戻ると言う女性だが、相変わらず元気のない主人公に同情して劇場の楽屋へと誘う。女性の優しい言葉に心を開き始めた主人公は自分のことを語り始める。[ヘルムット・シュミット]
 

2010_10170070 女性は彼の仮の名がスミスであると知り、自分を芸名でポーラと紹介、主人公を「スミシー」と愛称で呼んでいいかと聞く。そして楽屋から舞台に続く衣装室からショーを観るように勧める。彼女のコミカルなダンスとスコットランド訛りの巻き舌を強調する歌、そして舞台へ上がって楽しそうに歌い踊る観客を見つめる主人公。[プリンセス・ド・モナコ]
 

2010_10170075 女性は相変わらず具合の良くない主人公を居酒屋の2階にあるホテルの自室に連れ帰って看病する。施設には戻りたくないと言う主人公に戻させはしないと言う。看病の効果か主人公はすこしずつ言葉を取り戻し始めるが、パブへ主人公の行方を探す警官が現れる。[プリンセス オブ ウェールズ](ダイアナ妃)
 

2010_10170087 これ以上自分とマネージャが逃亡者を匿(かくま)えないと考えた女性は、主人公に施設へ戻って治療を受けるように話すが、主人公の強い気持ちを知り一緒に逃げることにする。それを止めようとしたマネージャを主人公は誤って押し倒してしまう。汽車に乗った二人は地の果てを目指す。[スキャボロ フェア](同名の歌は映画「卒業」に登場)
 

Part 3
 
2010_10170092 小さなホテルを見つけた二人。ポーラはパブに長距離電話を掛けてマネージャが無事であったことを知る。すっかり健康を取り戻した主人公に著述の仕事が舞い込んで大喜びする二人。そして愛していることをポーラに告白して求婚する主人公。それを喜んで受け入れるポーラ。[シスター エリザベス]
 

2010_10170102 結婚した二人はリバプール郊外にある小川沿いの小さな家を見つけて暮らすことに。羊の群れが歩むのどかな田園地帯に建つ小さな家に参列者の車で送られた新婚夫婦が到着する。[サマー・サンシャイン
  
  

Part 4
 

2010_10170104 音を立てる小さな木戸を開け、満開の桜の枝を潜って、玄関ドアの鍵を開けて家の中に入る二人。そして3年目に男の子を授かって幸せの絶頂にある主人公の元へリバプールの新聞社から電報が届く。正社員に採用するとの知らせである。旅先のラベルが一杯貼られた妻のトランクに慌しく荷造りして明日の夜に戻ると告げる主人公。[加茂]
 
Part 5
 

2010_10170109 息子にも別れを告げて旅立った主人公はリバプールのホテルから新聞社へ向う途中に車にはねられて気を失う。戦場の回想から正気に戻った主人公は警官に自分の名前はチャールズ・レイニアと答える。日付を訊ねて1920年11月14日であると聞き、3年間が過ぎ去ったことを主人公は知る。[カウンティ・フェア]
 

2010_10170127 リバプールで自分が何をしているのか、今まで何処に居たのか、何も思いさせない主人公は、とにかく家に戻ることにする。帰宅した主人公は3日前に大実業家の父親が亡くなったことを聞かされる。3年間も失踪していた次男の主人公が豪邸を相続することを兄弟たちは快く思っていない。[ダブル・デライト]
 

Part 6
 
2010_10170135 主人公に関心を持った姪のキティは主人公のことをチャーリーと呼び、自分が18歳になるまで3年間待って欲しいと言う。別れ際、車に乗りながら「休日に招待してくれてありがとう」と周りに聞こえるよう挨拶するキティ。一方、主人公は豪邸での生活に何か満たされないものを感じている。[金閣]
  

2010_10170141 父の跡を継ぎたくないと執事に語りながら主人公はポケットから鍵を取り出し、それを眺めながらリバプールで何をしていたのかを思い出そうとする。歳月が経ち、チャールズに手紙を書き続けたキティは優等生で卒業、魅力的な女性に成長、チャールズは自分の望みとは裏腹に英国産業界のプリンスになっている。[カトリーヌ・ドヌーブ](女優 
 

2010_10170144 チャールズはキティと話しながら忘れていることを思い出しそうな予感を持つ。キティはチャールズに休暇をとることを勧めながら自分の気持ちを打ち明ける。一人になるとチャールズはまたあの鍵のことが気にかかる。しかし秘書のミス・ハンスンと仕事の話をはじめると実業家の顔に戻る。そして採用に至る過程を秘書に尋ねる。[ローラ81]
 

2010_10170146 2週間前にある雑誌で産業界のプリンスの記事を読んで募集中の秘書に応募したと語るミス・ハンソン。中部地方メルブリッジにある電線会社の買収案件を報告しながらチャールズの表情をじっと見つめる。しかしチャールズには何ら表情の変化はなく、長期休暇を取りキティと結婚するつもりであると明かし、その手助けが欲しいと言う。[グラナダ]
 

2010_10170183_2 問われるままにミス・ハンソンは自分が結婚したことがあることと一人息子が亡くなったことを話す。それでもチャールズの表情に何の変化もないことに落胆するミス・ハンソン。2年前に自分を秘書として採用してくれたジョン(ジョナサン)にその悩みを打ち明ける。[オクラホマ](黒ばらの一種、ネイティブ・アメリカンの意) (続く)

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2010年10月26日 (火)

首都高速川崎線: 羽田空港からニュー銭湯「かまぶろ温泉」へ

2010_10240087 元来た道を引き返すことにしました。多摩川の対岸には首都高川崎線が上りと下りが上下2段になっている様子がよく見えます。写真の右端辺りが殿町出入口でしょう。
 
 
 

2010_10240102 都道311号は再び羽田空港トンネルでA滑走路の下を潜ります。
 
 
 
 

2010_10240103 トンネルを出ると人が歩くぺデストリアンデッキ(歩行者回廊)が見えました。JALのメインテナンスセンターの施設間を結ぶ目的のようです。
 
 
 

2010_10240105 第一旅客ターミナルあるいは国際線旅客ターミナルから湾岸道路と首都高速湾岸線上の橋を渡って滑走路へ向うJALの旅客機が見えました。米国テキサス州のダラス・フォートワース空港と似た風景です。 
 
 

2010_10240115 再び首都高速湾岸線に入って多摩川トンネルを抜けた浮島JCTには川崎市街地への出口がありますが、大師JCTの複雑な構造をもう一度確認するために川崎線を大師JCTまで引き返すことにしました。
 
 

2010_10240118 別料金の川崎線は料金所ゲートを通過する必要があります。前方の高架は途切れていますから浮島JCTはまだ工事中のようです。 
 
 
 

2010_10240128 一直線で見晴らしの良い道路には車が1台見えるかどうかで、地方の高速道路を走っている気分になりますが、道路の両側には石油コンビナートが続くことから京浜地区であることが分かります。
 
 

2010_10240129 多摩川の対岸に羽田空港の新管制塔(写真中央、高さ116m)と旧管制塔(左端)、第1旅客ターミナルに駐機する旅客機が10機ほど確認できます。その手前は東京モノレールです。 
 
 

2010_10240137 殿町出口を通過しました。工場地帯に殿町の名があることを疑問に思って調べてみると、室町時代に関東管領上杉家の一族がこの地に館を構えていたことによるそうです。  
 
 

2010_10240142 再び川崎線の大師トンネルに入りました。産業道路(県道4号)と立体交差するこのトンネルは400m余りの長さがあります。 
 
 
 

2010_10240149 トンネルを抜けた大師JCTには先ほど走ったのと同様な切り通しは大きく右にカーブしながら大師換気所付近で地上に出ます。
 
 
 

2010_10240156 今度はヘアピンカーブではなく、ジェットコースターのように大きなS字カーブを抜けます。左前方に見えるユニークな建物は川崎大師の自動車交通安全祈祷所です。
 
 
 

大師出入口から国道409号へと右折して川崎駅方面に向かいます。川崎大師の駅前交差点を左折、国道132号の藤崎一丁目交差点を通過、藤崎四丁目交差点の一本手前の脇道に入りました。150mほど先の路地に乗り入れると客専用駐車場がありました。8台ぐらいが停められそうですが先客は1台だけ。12時ちょっと前だからでしょう。

2010_10240160 次の目的地はニュー銭湯の「かまぶろ温泉」、レモン色とえび茶色に塗り分けられた建物に沿って50mほど歩くと銭湯の表に出ました。
 
 
 

2010_10240162 車道側のスロープで中2階のような入口を入ります。「ふろや」と平仮名で書かれているのが印象的。5階建ての古い建物の1.5階-2階を占める銭湯のほかにも、韓国式アカスリ、中国整体マッサージ(3階)、タイ式マッサージ、よもぎ蒸し、アロマエステなどなどがあるスーパー銭湯のような施設です。   

2010_10240168 営業時間は朝6時-深夜3時(21時間営業)と長いのは近所の住人に有難い存在でしょう。張り紙を見ると定休日は金曜日のようです。下足箱は昔ながらの木製鍵(松竹錠、しょうちくじょう)がついたもの。木札に付けられたスリットの組み合わせを利用するレトロな鍵です。券売機で利用券(銭湯ですから450円)を購入しました。   

2010_10240171フロントで下足の鍵と交換にロッカーの鍵を受け取りました。この日はうっかりしてタオルを持参するのを忘れたために銭湯のタオルを借用、フロントの脇から入った脱衣場は六角形の椅子とテーブルがユニークです。ちなみにロッカーの鍵は現代風のマグネット式。 
 

2010_10240183 かまぼこ形の天井が高いので浴室は明るく、左手奥の壁に埋め込まれた水槽で熱帯魚が泳いでいるのも珍しい趣向です。その前にはゲルマニウム温浴風呂(ジェットバス)があり、その奥の一段高い場所にサウナ(別料金)、右端には白湯の寝風呂が並んで、タイルと壁の色使いが落ち着いた印象を与えます。カランの数はおよそ30。 

温浴風呂と寝風呂で温まったあと左手前の温泉浴槽(ヒマラヤ岩塩を加えた天然温泉)に移りました。穴蔵のような一角にある浴槽は5-6人が同時に利用できる大きさで、普通の深さとやや深めの変化があり、ジェットとバイブラが付いています。源泉は京浜地区に多い黒色ではなく茶褐色、泉質はナトリウム-塩化物冷鉱泉、泉温は19度。

2010_10240185 露天風呂がないのは残念ですが、銭湯にそれを望むことは酷というものでしょう。入浴後に休憩したロビーでは巨大なヒマラヤ岩塩を展示、その横のショーケースに小分けした岩塩が販売されていました。期待以上に良い銭湯にめぐり合うことができたのは今回の大きな収穫です。  

2010_10240187 帰り掛けに入口脇の壁面にエキゾチックな装飾品を見つけました。由来を尋ねると分からないとの返答。私の妄想癖がつい出て、女優ナタリー・ポートマンが出演した近未来映画「V for Vendetta」(2006年公開、予告編あらすじ)で主役の復讐者Vが一瞬手に取ったメークなしマスクにイメージがつながったのです。見つけられますか? 

<同行者のコメント> 羽田空港へ行くと聞いて新しもの好きな旦那さまらしいと思いました。昔、子供たちと飛行機を見に川崎のフェリー乗り場へよく行きましたが、その時に通った工場地帯に高速道路が出来ていました。以前は感じなかった工場地帯らしいいやな臭いが鼻をつくのは高架のせいかしら? ところで羽田空港へ行くリムジンバスはここを通るのでしょうか? 今回の銭湯は浴室がすっきりしていてとても良かったです。

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2010年10月25日 (月)

首都高速川崎線: 大師JCTから羽田空港国際ターミナルへ

10月20日に首都高速神奈川6号川崎線が殿町出入口から川崎駅寄りに延長されて神奈川1号横羽線と大師JCTで接続されました。これで横羽線(横浜方向)から神奈川6号川崎線経由でアクアラインにアクセスすることが出来るようになりました。言葉で説明するとややこしいのですが、横羽線(横浜方向)と国道409号も双方に出入りできるのに、横羽線(東京方向)から川崎線や国道409号へ出入りすることはできません。

しかし私の興味は、便利になったことではなく、大師JCTの構造にあります。変則的なループと地下トンネルの組み合わせは首都高速4号線の池尻JCTと似ていることです。開通直後の混雑が一段落するのを待って出掛けました。今回は大師JCTと湾岸環八ICの間を往復して大師JCTを車で走行しながら確認することにしました。来年3月末まで川崎線は料金が半額(平日300円、日曜・祝日200円)、浮島JCTと湾岸環八・空港中央間は日曜・祝日の昼間が100円と格安になります。

2010_10240042 国道409号から大師JCTを望むと緑地に大蛇がとぐろを巻いたように見えます。ちなみに国道409号は川崎市高津区と千葉県成田市を結ぶ国道(川崎駅付近から西の区間は県道9号との重複区間で府中街道と呼ばれる)で、東京湾の海上区間は有料道路の東京湾アクアライン となっています。   

2010_10240044大師JCTのゲートを潜ります。通常料金は600円ですが昨日は日曜日でしたから200円です。 
 

 
 
 

2010_10240046大師出入口のゲートを潜ってヘアピンカーブで大師換気所を半時計方向に回り込んだところで地下トンネル区間に入ります。
   
 
 

2010_10240050 池尻JCTとほぼ同じ急カーブです。トンネルに入る直前に交通信号が設置されていました。事故や災害時に気づかずトンネルへ入ることを防ぐためでしょう。   
 
 
 

2010_10240052 トンネルの形が円形ではなく四角形であるのも珍しいのです。トンネル内の空気が大師換気所で清浄されてから綺麗な空気だけが排出されるのは首都高速の中央環状新宿線と同じです。利用できる土地が限られているため、浮島方向が上、大師方向が下と、上下2階建てになっていました。 

2010_10240059 地上区間に出ると真新しい高架道路が一直線に続きます。
 
 
 
 

2010_10240064 最初の殿町出入口は片方向だけのハーフインターチェンジのため一般道へ出ることができませんので、その先の浮島JCTへ向いました。左前方に見える花王川崎工場のすぐ上に着陸態勢に入った飛行機が小さく見えます。 
 
 

2010_10240067_2 一直線に伸びる川崎線の左側は日本物流センター東京事業所、右側はセントラル硝子川崎工場と東洋製罐川崎工場です。すぐ先の浮島JCTも一般道への出口はありませんから、アクアラインへ直進するか、首都高速湾岸線の東京方面か横浜方面へそれるしかないのです。 
 

2010_10240070 それではと、東京方面を選びました。10月21日にオープンしたばかりの羽田空港の新国際線ターミナルD滑走路を見学することにしたのです。浮島JCTで右方向へ大きく回り込む形で左方向へ向います。 
 
 

2010_10240074 本線上を高速走行する車に注意しながら首都高速湾岸線に合流。
   
 
 
 

2010_10240078多摩川トンネルに入ると車の通行量が圧倒的に増えました。トンネルの中ほどで神奈川県から東京都へ。
 
 
 
 

2010_10240080 地下トンネルを抜けた湾岸環八出入口から環八(都道311号)に出ました。この道は以前にも走ったことがあります。
 
 
 

2010_10240082 再び地下トンネルに入りました。A滑走路の下を潜って地上に出ると前方にこれも真新しいターミナルビルが見えてきました。
 
 
 

2010_10240088 巨大な駐車場ビルを左手に見ながら回り込むと新しい国際線ターミナルが前方から迫ります。
 
 
 
 

2010_10240090 予想したよりも小規模の建物は屋根のデザインが印象的です。国内線用の第1・第2旅客ターミナルが平凡であったこととは対照的。ちなみに第2旅客ターミナルの近くにあった以前の国際線ターミナルは廃止になったそうです。 
 

2010_10240093 今回は立ち寄る予定はありませんからターミナル正面口に車列を見ながら追い越し車線を走り抜けました。
 
 
 
 

2010_10240098 東京モノレールのルートが新ターミナル寄りに付け替えになったため古い橋脚と軌道桁が、古代ローマの水道橋遺跡のように、無残な姿で残っています。この区間の橋脚と線路は近いうちに姿を消してしまう だろうと思い何枚か撮影しました。 
 

2010_10240101_2都道311号に出ると第1旅客ターミナル駅から国際線ターミナル駅に向う東京モノレールと擦れ違いました。写真の右端に小さく写っているのは東京湾アクアラインの風の搭です。(続く)

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2010年10月22日 (金)

3D映画「バイオハザードⅣ アフターライフ」

2010_10040099 渋谷のスクランブル交差点から相変わらず若者で溢れる公園通りに入りました。9月10日に封切られた3D映画の最新作を観るためです。これまで3D映画は設備の良い川崎ラゾーナで観ることにしていましたが今回は渋谷に拘(こだわ)りました。その理由は後で・・。 
 

2010_10040082 渋谷セイブのA館とB館を分ける脇道にそれて、ロフト手前の渋谷三葉ビルにある渋谷シネパレスに向います。7階にフロントがありますが目的の映画が上映されるのは6階の「シネパレス2」(115席)の方です。音響設備はSRD(ドルビーデジタルサラウンド)、デジタル映像設備は3Dデジタルシネマシステム。

2010_10040085 さて今回観ることにした3D映画「バイオハザードⅣ アフターライフ」は1996年に発売されたカプコンの人気ゲーム「バイオハザード」を原案としたサバイバルアクションホラーゲームの映画化です。ちなみにバイオハザードとは生物学研究用の病原物質が研究室外に出て起こる生物災害のことで、人間や自然の生態系に生じる危険を指します。

2002年に最初の映画「バイオハザード」が公開され、同Ⅱ: Apocalypse(黙示録)と同Ⅲ: Etinction(絶滅)に続く第4作です。英文原題はいずれもResident Evil(そこにある邪悪なものの意)ですが、ⅣにはAfterlife(来世)が付記されました。
 

第1作の監督ポール・WS・アンダーソンが製作者兼脚本担当に加えて監督も兼任、アリス役を主演するのは4作ともミラ・ジョボビッチです。本名と同じジョボビッチから想像されるようにウクライナ出身の米国女優。音楽やモデルの活動もしているそうです。3D担当チームはアバターと同じで、撮影にはフュージョン3Dカメラシステムが使われました。
 

第1作は巨大企業アンブレラ社が秘密裏に開発を行う細菌兵器が研究所から漏れ出してバイオハザードが発生する導入部的な内容です。第2作は市中にバイオハザードが拡大、第3作は8年後にバイオハザードが全世界に広がってアンデッド(ゾンビ)ばかりの死の世界となったため、それに対抗するためアンブレラ社は細菌に耐性があるアリスのクローンを地下施設で複製。第4作ではアンブレラ社の巨大地下施設がある東京を舞台にアリスとアンブレラ社の戦いが展開されることになります。
 

2010_10040108 第4作の導入部は上空から見た東京の夜景に始まって、雨が降りしきる渋谷のスクランブル交差点に移り、そこに立ち尽くす若い女性をクローズアップ、雨が滴(したた)り落ちる無表情な顔を映し出します。そしてその女性は表情を急変させて怪訝(けげん)な顔をする中年男性に襲い掛かります。彼女はアンデッド(ゾンビ)だったのです。

この記事を書きながら驚いたことがありました。その若い女性役を演じた歌手の中島美嘉(なかしまみか)さんが耳の病気(耳管開放症)のため当分休養すると今朝のニュースが伝えたのです。それはおいて本題に戻ります。
 

2010_10040076 こうして東京でもバイオハザードが急拡大。アリスは自身のクローンとともにアンブレラ社地下施設を急襲して殲滅(せんめつ)。この施設を見限った同社のウェスカー議長は東京ごと地下施設を爆破します。間一髪で脱出したアリスはウェスカー議長の飛行機に潜入しますが狡猾(こうかつ)なウェスカー議長にまんまと逃げられてしまうのです。

77 アリスはアラスカにあるという安息の地「アルカディア」に小型飛行機で向いますが見つけられません。カナダからアメリカ西海岸を南下したアリスは、ロスアンジェルスの上空から、おびただしいアンデッドに取り囲まれた刑務所の屋上に生存者を発見します。
 

1 その屋上に緊急着陸して生存者から得た情報で「アルカディア」へ向うと・・・・。ストーリー説明はここまでにしましょう。第4作のエンディングは先の展開を示唆していますから続編(第5作)の製作がおおいに予想されます。
 
 

右上の写真はカナダの氷河(1993年7月撮影)とサンフランシスコの金門橋(1990年12月撮影)、いずれも当時愛用していた防水型110カメラ(ミノルタウェザーマチックA)で撮影したものです。横長の黄色いボディが魅力的なカメラでした。110フィルムでもあり写真の粒子が荒れていることをご容赦ください。
 
ストーリー展開はまさにゲームの乗りですから言葉で描写するのはナンセンスかもしれません。映画の冒頭から3Dの特徴を生かした高品質の迫力ある立体映像とドルビーデジタルサラウンドの超弩級(ちょうどきゅう)の大音量が楽しめました。しかし鑑賞後には「アバター」や「アリス・イン・ワンダーランド」を観たときよりもずっと大きな疲労感があり、年配者には刺激が強すぎたようです。
 
2010_10040064 ちょっと遅めの昼食は道玄坂(旧大山街道、青山街道)をほぼ上り切った道玄坂上交番前交差点の近くにある「天空の月」を選びました。交差点の右手前方のY字路に建つ道玄坂スクエアの3階です。
 
 

2010_10040062 私は「山形県手打ち鶏温そばと手羽元のやわらか煮定食」、同行者は「海老と彩り野菜の天丼」を注文しました。ジャズ音楽 が静かに流れる店内は和モダンの設(しつら)えと溶けあって不思議な雰囲気を醸(かも)し出しています。若いサラリーマンたちでほぼ満席のためカウンター席に案内されました。

2010_10040058 配膳された料理はいずれもランチとして十分なボリュームがあります。料理が揃(そろ)ったので食べようとしていると個室が空いたからと案内されました。分煙されていない店内のカウンター席は、向い側からでも煙が流れてくるため、我われには厳しい環境でした。
 

2010_10040053長い名前の鶏温そばは期待通りに噛みごたえのある蕎麦と鶏肉がほど良い味付けの汁とマッチしています。そして小皿で提供された手羽元は名前の通りにやわらかくて秀逸(しゅういつ)でした。ご飯も美味しかったのですが私には多すぎたようです。満腹感に浸(ひた)りながら山形県へドライブ旅したときに食べた板蕎麦を思い出しました。 

2010_10040057天丼の海老を一尾もらって食べてみると、見た目通り衣(ころも)にサクサク感があり、濃すぎない味付けが気に入りました。ご飯ものが苦手な同行者にしては珍しい選択だと思い、「天空刺身御膳にすれば良かったのに」と言うとメニューで見過ごしたと残念そう。若者向けの定食が中心であるランチメニューから定食ではないものを選んだようです。

料理の味だけでなく店員の応対や言葉遣(づか)いが良いことも好感が持てますので、今度は飲み会の会場としてコース料理を楽しみたくなりました。
 

2010_10040046 帰路は渋谷マークシティの南側の坂道を下りてみました。建物沿いには長い階段もあって道玄坂とは異なる雰囲気があります。ちなみにJR山手線や京王井の頭線の渋谷駅からは、渋谷マークシティの中を歩くと道玄坂上交番前交差点に直接出られますから、雨の日などは便利でしょう。
 

<同行者のコメント> 3D映画を見に行くと聞いてまた川崎のラゾーナかと思いましたが意外にも渋谷の映画館でした。借りた3Dメガネには固定するヒモがついていて便利です。そしてランチに食べた料理が美味しくて大満足。個室へ案内してくれた親切な店員さんにも感謝です。

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2010年10月19日 (火)

北摂・豊能郡の秋(後編)

2010_09260334 府道4号をさらに北西へ走ると来栖(くるす)交差点が終点、その先は府道602号に変わります。600mほど先で府道603号へと左折、さらに町道へ右折すると次の目的地の長谷(ながたに)集落が見えてきました。一段と大きな棚田が前方の山麓に広がります。
 

2010_09260336 棚田を見ながら良く整備された町道を快調に上がりました。長谷の棚田は標高250mから400m辺りまで広がっているそうです。写真は町道を振り返ったアングルで撮影しました。 
 
 

2010_09260337 棚田の高みから見ると一面の稲穂の海が続いています。日本の棚田百選に選ばれただけあって、まさに千枚田(せんまいだ)と呼ぶに相応(ふさわ)しい規模です。
 
 
 

2010_09260338 小さなプレートに農園①と表示されていますから滋賀県高島市畑地区の棚田と同様に稲作ボランティアが借りている田圃(たんぼ)かもしれません。
 
 
 

2010_09260340さらに上った集落の付近から見下ろすと良く整備された大規模な棚田が広がっているのが確認できます。言い古された表現ですが日本の原風景そのものです。 
 
 
 

2010_09260345 茅葺(かやぶき)屋根の農家と棚田が良くマッチしています。ここでも彼岸花とコスモスの花が咲いていました。稲刈りが終った田圃(たんぼ)から立ち上る煙ものどかな雰囲気作りに一役買っています。 
 
 

2010_09260347 ここであることに気づきました。稲刈りが終わった田圃(たんぼ)に架干(はさぼ)しをする稲架(はさ、稲木)を見かけないのです。その理由は棚田でも天日干しの手間を減らすために乾燥機を使用する省力農業に変わったからでしょう。棚田に沿って回り込むとすぐ下に稲を鋸鎌(のこぎりかま)で手刈りする人たちを見かけました。 

2010_09260349 近づいてみると家族総出での稲刈り作業のようです。小さなプレートがここにもありますから、若い女性も混(まじ)えた稲作ボランティアの家族かもしれません。刈り取った稲束(いなたば、いなづか)のランダムな置き方にそれが表れています。若い女性が2株ずつ刈り取っているのも・・。一方、左側の二人は少し手慣れているようです。 

2010_09260352 その先で舗装された細い道は二手に分かれ、ひとつは下の集落へ、もう一つはさらに上を目指しています。ここで私の悪い性癖(せいへき)が出て、車でどこまで上れるのか知りたくなりました。三草山・サイノカミ峠の表示に従ってしばらく上ると段々勾配(こうばい)がきつくなります。 

2010_09260353 狭い山道ですから引き返すこともできず、滑り止めの溝がつけられた急坂を一気に上り詰めると小さな地蔵と道標、そして南無妙法蓮華経の石碑(法華石塔、題目搭)がありました。道標の文字は風化して磨耗が激しいため判読困難です。 
 

2010_09260355 今いる場所を確認できず困ったなと思っていると、少し先に「サイノカミ(才の神)峠の道標」と表示された案内看板を見つけ、ここが峠であると知って正直ほっとしました。
 
 
 

古くから交通の要衝(ようしょう)で源平一の谷合戦「三草の勢揃い」などの地であること、道標には「みぎふたすじハ やまみち ながたにむら、たにハ ぎんざんありま、ひだりハ いけだみち」と書かれていることが説明されています。「ぎんざんありま」とあるのは意外ですが、兵庫県側の猪名川町に有名な多田銀銅山がありますから、この近くにも銀山があったのでしょう。

2010_09260357_2 峠ではマウンテンバイクを停めて休憩する5人の若いライダーたちを見かけました。
 
 
 
 

2010_09260359 最初は峠越えツーリングをしているのかと思いましたが、どうもそれだけではなく、ダートの急傾斜を駆(か)け上がる練習をしていたようです。
 
 
 

2010_09260362 峠のスペースが狭いため方向転換が困難なため「いけだみち」へと直進することにして、洗濯板のような滑り止めの溝がある急坂を慎重に下りました。写真では平凡な下り坂に見えますが・・。やはり乗用車にはタフすぎる峠越えであることを痛感。
 

2010_09260365 ナビで見ると峠の先はもう兵庫県、写真を撮る余裕もなく猪名川町の集落まで下りました。こちらにも棚田を見ることができます。 
 
 
 

2010_09260372 県道12号に入って柴合北ノ町交差点を右折、前川橋前交差点を左折して国道173号(能勢街道)に入り、一庫(ひとくら)ダムの脇を通過、能勢トンネルを抜ければ大阪府に入り、来栖交差点からは府道4号を引き返しました。 
 

3時間前に立ち寄った「とよのコスモスの里」の前を通過して国道423号を北上すると1km余りで亀岡市に入りました。あとは自宅を目指してひたすらドライブするだけです。亀岡ICから入った京都縦貫道(京都丹波道路)は無料実験区間になって便利ですが、この日は休日ですから、予想通りに終点の沓掛(くつかけ)ICが近づくと新老ノ坂トンネル当りから長い渋滞が続きました。

2010_09260383 国道9号(山陰道)は五条通となって国道1号へつながり、断続的に発生する渋滞は山科まで続きました。京都東ICから名神高速道路に入ってもノロノロ運転です。それではと大津SAで早い夕食をとることにしました。叶匠寿庵に入って、私は近江牛の牛丼、同行者は珍しくトンカツ定食を注文しています。

2010_09260384 夕闇にかすむ琵琶湖を眺めているとほどなく配膳されました。牛丼は近江牛と銘打っただけあり柔らかく、味付けも私好みの薄味。トンカツも一口貰って味見をしましたが美味しい。お返しに牛丼を味見した同行者は「トンカツより高いだけあって美味しいわ」とちょっと悔しそう。
 

2010_09260386 店内で準備が始まったおばんざい(京都のお惣菜)に興味津々の同行者は今度来る時には絶対おばんざいにすると宣言しています。
 
 
 
 
<同行者のコメント> 棚田だけならいいのですが山越えは怖いのでずっと寝ていました。ほっとしたら急におなかがすいてしまいトンカツを選んだのです。旦那さまは近江牛に満足そう。でもトンカツもとてもおいしくて
私だって大満足でしたよ。ところで前が見えないくらいの大雨なのにどうしてあんなスピードで走れるのかが不思議です。
 
                            ◇

[付記] ドライブ後記

あとになって考えると何の予備知識もなく挑んだ才の神峠越えのドライブは無謀で、何とか無事に猪名川町の県道に下りることが出来たことは幸運でした。そして河西市まで遠回りすることになりましたが、一庫ダムを見ることも出来たのは怪我の功名ということにして自分を納得させました。

大津SAでの夕食のあとは第2名神高速道路に入ろうとすると予期したよりも早めに「名神高速道路が20kmの渋滞、第2名神が15kmの渋滞」の渋滞表示が出ました。両方とも渋滞していますから渋滞距離がちょっと短い第2名神高速道路を選びました。交通情報通り甲賀土山ICから先が渋滞、しかも東名阪自動車道も四日市ICまで渋滞との情報が加わりました。つまり合計すると35km近い渋滞なのです。東名阪自動車道が20km渋滞することを計算に入れていなかったのは迂闊(うかつ)の極(きわ)み。

四日市IC付近で渋滞を抜けるまでに通常より2時間近く余分に掛かったようです。伊勢湾岸道路に入ると強い雨が降り始めましたが雨天の運転には自信がありますから快調に飛ばします。しかし更なる試練が待ち受けていたのです。東名高速道路に合流する豊田JCTの1つ手前の豊田南ICから8kmの渋滞。これを何とか切り抜けて入った東名高速道路もノロノロ運転。名神高速道路を選択しても差はなかったかもしれません。

給油した浜名湖SAを出発した頃から雨足が強くなり、牧の原SA辺りからはバケツをひっくり返したような土砂降り(どしゃぶり)になりました。私にとっては天の恵みと感謝して再び快調な運転に戻りました。普段はもう1回休憩するところですが一気に走りきったことで自宅に到着したのは予定より1時間遅れで済みました。

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2010年10月18日 (月)

北摂・豊能郡の秋(中編)

2010_09260299 妙見口交差点を国道423号へと左折すると左下に畦道(あぜみち)のような細い道がありました。思い切って乗り入れると前方に車が列をなしています。ここまで入るともう引き返すことはできません。車列が匍匐(ほふく)前進するように僅(わず)かずつ進むのを辛抱(しんぼう)強く待ちました。前方に見えるのは土産物屋でしょうか。 

2010_09260305 小川沿いの道が左に折れ曲がると前方に何やら人だかりが・・。「とよのコスモスの里」でした。着ているものは今風ですが懐かしい案山子(かかし)が出迎えてくれます。 
 
 
 

2010_09260317 入園料は500円。入口脇にあるもう一軒の土産物屋でたこ焼きの看板が目立つのはやはり大阪ならでは!
   
 
 
 

コスモス畑の中に作られた道を周回しながら観光客が満開のコスモスの花を楽しんでいます。山口百恵さんのヒットソング「秋桜(コスモス)」(1977年)にあるように日本名は秋桜(あきざくら)と言うそうです。この曲を作詞作曲したさだまさしさんの歌はこちらをクリック。ちなみに無粋なことを言えば、コスモスはバラ科ではなく菊科の植物です。

 
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このコスモス園では3種類の花の色がミックスして美しい彩(いろど)りになっていますが、近づいて見ると花弁の形も様々。同じコスモスの仲間で、私の好きなキバナコスモスは「長良川」と「秋の草花」の記事で紹介しています。
 
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2010_09260320国道423号の方向を振り返るとここにも半分以上で稲刈りが終った棚田が広がります。
 
 
 
 

2010_09260321 順路に従って国道423号へ出ると「とよのコスモスの里」の全景が棚田越しに見えました。相変わらず長い車列が続いています。 
 
 
 

2010_09260322府道605号を引き返して府道4号の野間トンネルを 通過。 
 
 
 
 

2010_09260325 野間中地区にも棚田が稲刈りを待っていました。不要になった稲藁(いなわら)などを燃やしているのか左手から薄い煙が流れて来ます。 
 
 
 

2010_09260327 野間中集落まで下って野間中交差点を右折、国道477号に入りました。1km余りなだらかな坂道を上った地黄(じおう)地区に真如寺(しんにょじ)の参道が右手に続いていました。国道脇に駐車場はありますが参道の坂道に車を乗り入れると400mほどで真如寺に到着。珍しい地名の地黄は中国原産の薬草と同じです。何か由来が? 

2010_09260328 関西身延霊場と称される真如寺を開山した日乾上人が先ほどすぐ近くを通過した妙見山宮に妙見大菩薩の像を祀った経緯から、妙見山は真如寺境外(けいがい、飛び地境内)となっているそうです。
 
 

2010_09260329 真如寺の銅鐘は大阪府の指定文化財である旨が寺の縁起(えんぎ)とともに説明されていました。
 
 
 
 

2010_09260330 稲刈りが終った田圃(たんぼ)の畦道(あぜみち)に彼岸花(ひがんばな、曼珠沙華)と向日葵(ひまわり)が咲いています。能勢には彼岸花の群生地があるそうですが見つけられませんでした。帰宅後に知りましたが真如寺参道脇の東中学校辺りに能勢氏が江戸初期に築いた地黄城(地黄陣屋)跡があったようです。(続く)

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2010年10月17日 (日)

北摂・豊能郡の秋(前編)

関西ドライブ旅の最終日は予定になかった北摂(ほくせつ)と呼ばれる大阪府最北部の豊能郡(とよのぐん)を尋ねます。京都を訪れた時にもらった写真集の棚田風景に強く惹(ひ)かれたのです。豊能郡は律令時代には能勢郡(のせぐん)と呼ばれていたようです。明治時代中期に南隣の豊島郡と合併して豊能郡となりましたが昭和に入って旧豊島郡の地域が豊中市、池田市、箕面市として分離したため、現在は旧能勢郡にほぼ相当する豊能町(とよのちょう)と能勢町(のせちょう)の2町で構成されています。

2010_09260258 天王山を右手に見ながら宇治川と桂川を渡った大山崎ICで京滋バイパスから国道171号(西国街道)に出ました。当ブログでは3年前に西国街道を京都市から高槻市(たかつきし)まで辿(たど)っています。
 
 

2010_09260265南西方向へ真っ直ぐ伸びる道は大阪府に入って高槻市の八丁畷(はっちょうなわて)交差点で国道170号(外環状線)を横切り、市街地の大きなクランク(枡形道路)を抜け、さらに茨木市(いばらきし)に入ります。
 
 

2010_09260267 名神高速道路の茨木ICとは複雑に立体交差するため高架橋となった出入口を通過。
 
 
 
 

2010_09260270 豊川1丁目交差点を右折して府道4号(茨木野勢線)にそれました。山道の運転に自信がない人は池田市を経由して国道173号(能勢街道)を利用するとよいでしょう。 
 
 

2010_09260272 府道4号茨木市と豊能郡能勢町来栖(くるす)を結ぶ山間部を通行する往復2車線の道で、紅葉シーズンや正月にはマイカーによる渋滞が勝尾寺(かつおじ)周辺で発生そうです。周辺に美しい稲田が広がっています。
 
 

2010_09260273 箕面市(みのおし)に入ると府道1号(茨木摂津線)と大阪モノレール(大阪高速鉄道の彩都線)の下を潜って山間に分け入ります。
 
 
 

2010_09260277 西国二十三番札所の勝尾寺を過ぎると高度を下げて箕面ダム(高さ47mのロックフィルダム)の脇を通過します。岩石や土砂を積み上げて建設するダムで国内一の高さを誇るのは長野県の高瀬ダム(高さ176m)です。名前はロック(岩)ですが内部に遮水のための粘土層を挟んでいるそうです。写真の右下は放水路でしょう。

2010_09260279 箕面川沿いに遡(さかのぼ)ります。野生の猿が道路上をあちこちに歩き回るので運転に注意しながら走ると豊能郡豊能町の高山(たかやま)集落に到着。
 
 
 

2010_09260285 山の中腹まで続く棚田が期待通りです。今年6月に滋賀県高島市畑地区の棚田、昨年11月に長野県飯山市の福島棚田(いずれも日本棚田百選)を訪ねたことを思い出します。   
 
 

2010_09260288 時期が遅かったようで残念ながら稲刈りは済んでいて黄金色の棚田は見られません。
 
 
 
 

2010_09260290 府道は峠を越えました。左手を見下ろすと猪名川支流の余野川と国道423号(摂丹街道)が池田市方面へと続いているようです。
 
 
 

2010_09260293 急坂を折りきると国道423号と交差。直進して余野川に架かる金石橋を渡ります。
 
 
 
 

2010_09260294 再び上り坂になって川尻(かわしり)集落に入りました。こちらはまだ稲刈りの最中で、黄金色に色付いた稲穂が美しい棚田が見られます。
 
 
 

2010_09260295 天台山の脇にある峠を越えると妙見山(みょうけんさん)方面と分岐する三差路に差し掛かりました。左手に約1km進むと日蓮宗妙見山(能勢妙見宮)があります。府道4号は右に折れます。 
 
 

2010_09260297 妙見山の鳥居を潜るとT字路に行き当たります。写真はT字路を振り返ったアングルで撮影しました。府道4号は左方向へ続きますが、この交差点を右折して府道605号の急な坂道を下りました。 
 
 

2010_09260298 寄り道をするのは国道423号と交差する辺りに次の目当てがあるからです。(続く)

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2010年10月14日 (木)

横浜ベイクォーター

2010_08270028 チビスケ君一家に誘われて横浜駅の近くにある横浜ベイクォーターへ出掛けました。先日訪れたみなとみらい線新高島駅近くの交差点(とちのき通り西)を左折、日産自動車のグローバル本社と富士ゼロックスR&Dスクエアの間を北上。写真は右から日産本社、スカイビル(マルイシティ横浜)、建設中の横浜三井ビルディング(仮称)。

みなとみらい大橋を渡るとそごう横浜店の先に照明が一際華やかなビルが見えてきました。三菱倉庫が倉庫跡地を駐車場として利用していた場所に子会社横浜ダイヤビルマネジメントが2006年にオープンした商業施設の横浜ベイクォーターです。

ベイクォーターの名前が気になってネットで検索してみましたがその由来は見つかりません。ベイは言うまでもなく英語の湾で、横浜ベイブリッジや現在身売り話が出ている横浜ベイスターズの名称にも使われています。クォーターは英語で4分の1、あるいはアメリカンフットボールのクォーターバックや船のクォーターデック(後甲板)など司令塔の意味もあります

しかし私はなぜかラテンクォーターを思い浮かべました。昔、赤坂にあった高級ナイトクラブの名前です。もちろんこの店に行ったことはありませんが、ラジオ少年の時代にラテンクォーターのことをラジオ放送で聴いた記憶があるのです。正確に言えばラテンクォーターの名を継いだニューラテンクォーター(1956年-1989年)だったと思います。今は存在しないホテルニュージャパンの地下にあったそうで、石原裕次郎や勝新太郎などの芸能人が豪遊し、プロレスラーの力道山が刺殺された場所でもあります。ちなみにラテンクォーターはパリの文京地区「カルチェ・ラタン」(ラテン語を話す人の地域、ラテン区)の英語訳です。道草を食いすぎたようですから本題に戻ります。

2010_100400211階駐車場のちょうど館内への入口に近い場所に空きスペースがありました。空きスペースを知らせる青色ランプが天井から吊り下げられているのは便利。エレベーターで5階へ上がります。
 
 

2010_10040014_2館内の案内図を見ると、7階建てのうち最上階から2フロアはブライダル関連、それ以外は3階から5階までがショップ、2階から5階にはカフェとレストランが出店しています 
 
 

2010_10040022_2今年3月にはANNEXが追加されて手芸用品・生地・ホビー材料専門店のユザワヤなどが出店。現在は全館で約100店舗のテナントがあるようです。
 
 
 

2010_10040013_2 また2階には横浜港(みなとみらい21ぷかり桟橋、赤レンガ倉庫、山下公園)を巡るシーバスの乗り場がありました。豪華客船をモチーフにデザインされたベイクォーターの外観はhp(英語版)で見ることができます。
 
 

2010_10040023チビスケ君の両親は家具とインテリアの店「ACTUS」を目指します。コクヨや積水ハウスなどが出資する企業で全国に56店舗(含むライセンス店他)展開して、「過剰なデザインを抑えて自然体で真の良い物の提供」を心がけているそうです。
 

2010_10040026 チビスケ君はキッズコーナーで見つけた玩具を独り占めしてご満悦。男の子らしく自動車が大好きなのです。なかでも大きいトラック、東急バス、ごみ収集車などを道路で見かけるとその名前を叫んで大フィーバーするほどです。 
 

2010_10040015 私はテラスに出て周辺を撮影することにしました。左手のみなとみらい大橋の先、ゼロックスの左隣りに変わったデザインの建物と眩(まばゆ)く照明された芝生が目を惹きました。横浜マリノスタウンにあるのは横浜Fマリノスの本社兼クラブハウスとグラウンドのようです。 
 

2010_10040019 目の前の派新田間川(はあらたまがわ)を横切るかもめ歩道橋はそごう横浜店につながり、その隣のスカイビルと日産の本社ビルの間には帷子川(かたびらがわ)に架かるはまみらいウォークがあります。そごう横浜店で2000円以上買い物をした人はベイクォーターの駐車場が1時間半まで無料で利用できるようです。   

2010_10040024 日産本社の高層ビルの手前にある明るく照明された施設は自動車が展示されているギャラリー。ここをクリックすると動画で見学体験ができます。
 
 
 

2010_10040018 右手に伸びるもう一本の歩道橋(ベイクォーターウォーク)は派新田間川を渡り、高速道路の下を潜って、横浜駅の「きた東口」へと続いています。JR・京急・東急などの電車を利用する人はこの歩道橋を利用すると便利でしょう。ここで薀蓄をひとつ。派とは派川(はせん)の意味で、この川が新田間川の分流であることを示しています。 

チビスケ君の両親が買い物を済ませたあとはレストラン街へ移動。チビスケ君が食べられそうな料理を探してたどり着いたのは3階にある「ゆとりの空間」(全国に50店舗以上を展開するカフェレストランと生活雑貨の店)です。私はハヤシライス玉子のせ、同居者は気紛れデリプレート(ほくほくコロッケ、カボチャのマッシュ・バジルソース、高野豆腐の揚げ煮の三品を選択)。大人数のため料理の写真がいっぱい続きます。
   
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チビスケ君はもちろんお子様メニュー、お父さんはナスと挽き肉のドライカレー、お母さんはサバそぼろごはんプレートを注文。
 
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見た目にプレーンな印象ですが味付けはやや濃い目で私の好みとは違いました。若い女性客が中心の店ですから止むを得ないのかもしれませんが・・。

<同行者のコメント> チビスケ君を置いてどっかへ行ってしまったと思ったらやっぱり写真を撮っていたのですね。チビスケ君は同年齢のお友達とも遊べましたよ。料理の味については私も同感です。ところでハヤシライスとは珍しい注文でしたね。

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2010年10月11日 (月)

京都市内を駆け巡る

2010_09250025_2 空いた時間を利用して京都市内を駆け足で巡りました。出発地は京福電気鉄道嵐山本線の嵐電嵯峨駅です。府道135号を西に向かうと愛宕山鉄道の軌道跡に建設された清滝道の陸橋(嵐山高架道路)を潜ります。愛宕山の愛宕神社へ参拝する客のために嵐山駅から清滝駅までを結ぶ戦前にあった約3.4kmの電気鉄道でした。

2010_09250026 土産物屋が並ぶ府道29号(宇多野嵐山山田線)に出て北上すると足利尊氏後醍醐天皇の菩提を弔うために創建した臨済宗天龍寺派大本山天龍寺の前を通過します。この名刹は世界遺産に登録されています。
 
 

2010_09250029_2 少し北の野宮神社入口付近は観光客で溢れるなか、貸し自転車を利用する人が目立ちます。嵐山はデューク・エイセスの懐かしい「女ひとり」の三番に大覚寺が歌われます。ちなみに一番は大原三千院、二番は栂尾高山寺。 
 

2010_09250031 丸太町通(府道187号)に入りました。広い道が先ほどの清滝道を横切って東山方面に延びています。平安京の春日小路に当たりますが、堀川通と交差する付近に材木屋が多かったことで現在の名前が付けられたそうです。 
 

2010_09250034 JR山陰本線花園駅前を通過すると丸太町通は二手に分かれます。道なりに左へカーブすると妙心寺の参道に入ります。花園上皇が花園御所を寺とした臨済宗妙心寺派大本山の寺院です。室町幕府の庇護下にあった天龍寺とは異なり、大徳寺とともに修行を重んじる禅宗を代表する名刹で、西の御所とも呼ばれるそうです。

2010_09250036 西大路通と交差する円町(えんまち)交差点に差し掛かりました。北へ向うと北野天満宮や金閣寺(鹿苑寺)に至ります。
 
 
 

2010_09250037 千本通(府道111号)は平安京の正面入口の羅城門と大内裏正門の朱雀門を南北に結ぶ朱雀大路(すざくおおじ)に当たります。当時は道幅が80m以上あったそうですが現在は10m前後しかない狭い道になってしまいました。 
 

2010_09250039 堀川丸太町交差点を右折して南に向かうと二条駅東口交差点、その手前に二条城への入口があります。
 
 
 
 

2010_09250041 すぐ先は堀川御池交差点。北方向を振り返ると左手に二条城の駐車場、そして遠くに見えるのが鞍馬山。2kmほど南下すると西本願寺です。 
 
 
 

2010_09250042 寺町通は平安京の東京極大路(ひがしきょうごくおおじ)に当たります。現在の御所の東側と京都市役所の西側を結ぶように南北に伸びていますが、平安京では名前の通りに東端の道路でした。現在の市街地が平安京よりも東側に移動したため市の中心部になっています。
 

2010_09250043 東隣の河原町通(府道32号)と寺町通に挟まれた三条通りから四条通りまでのエリアが京都市の中心となる繁華街です。右折して河原町通に入りました。河原町と言えばザ・ベンチャーズが作曲、渚ゆう子さんが歌ってヒットした「京都の恋」とそれに続いた「京都慕情」を思い出します。   

2010_09250050 四条通と五条通を通過、七条通へと左折。六条通との交差点が見当たらないことは消えた六条大路の記事で触れています。
 
 
 

2010_09250054 高瀬川を渡ります。かって船が通行したとは信じられないほど水量が減ったのは昭和時代初期に鴨川が改修されて取水出来なくなったからだそうです。ちなみに高瀬川は江戸時代初期に伏見と京都市街地を結ぶために開削された運河で、底の平らな高瀬舟が荷物の運搬に使われました。森鴎外の同名短編小説でも知られます。 

2010_09250056川面には水鳥が遊ぶ鴨川を渡ると東山が間近に迫ってきました。こちらはやや水かさが多いようです。ちょうど3年前に七条通から四条通まで徒歩で鴨川縁(べり)を遡(さかのぼ)っています。かぐや姫の「加茂の流れに」も京都らしい雰囲気の歌です。 
 

2010_09250057 大和大路通は奈良へ向う大和街道(奈良街道)の一部でした。
 
 
 
 

2010_09250061 京都国立博物館が左手に見えてきました。明治時代後期に建築されたレンガ造りの重厚な建物。次回展示会が始まる10月9日まで門が閉じられていて静かな佇(たたず)まいです。 
 
 

2010_09250062 七条通が行き当たるのは智積院、真言宗智山派総本山の寺院です。ちなみに成田山新勝寺川崎大師平間寺高尾山薬王院は同派の大本山です。 
 
 
 

2010_09250151その右手前に三十三間堂がありますが午後4時を過ぎていたため閉門されています。朱に彩られた門と塀を撮影しました。ちなみに正式名称は蓮華王院(本堂は国宝)。   
 
 

2010_09250152 その東側にあるのが後白河天皇陵後白河上皇の宮廷であった「法住寺殿」は後にこの後白河天皇陵を守る天台宗の法住寺となりましたが、明治時代に入ると御陵の管理は宮内庁に移りました。三十三間堂も実は法住寺殿の跡地に後白河上皇が平清盛に命じて造らせた寺院で本堂は朱に塗られていたそうです。 

2010_09250154 最後に京都の歌をもう一曲紹介しましょう。チェリッシュの「なのにあなたは京都へゆくの」です。観光プロモーション・ビデオのような映像が今回の記事にマッチしているかも知れません。

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2010年10月 7日 (木)

CEATEC Japan を観る

2010_1007ceatec0226 高さ478mまで成長した東京スカイツリーを夢の島公園越しに遠望できる新木場駅で京葉線に乗り継げば30分ほどで海浜幕張駅に到着します。「はるばるここまで来たもんだ」といつも思いながら年に数回は訪れる駅です。
 
 

2010_1007ceatec0015 通勤ラッシュ並に混雑する駅を出てCEATEC Japan 2010(最先端IT・エレクトロニクス展)が開催される幕張メッセへと歩きました。主たる目的は国際会議場で開催されるコンファレンスで講演を聴くことです。一般公開が始まった昨日に続いて今日は二日目、コンファレンスの合間に覘(のぞ)いた展示会の様子を紹介しましょう。

2010_1007ceatec0043 最初に向ったのは国際会議場に近いHall 6で電子部品とデバイスを展示するエリア。ロームとTDKの大きなブースが並ぶ奥に村田製作所のブースがありました。毎年楽しみにしているのがムラタセイサク君とセイコちゃんの成長です。今回セイサク君は省エネと急な坂を登る課題が与えられ、セイコちゃんは一輪車でS字カーブ に挑戦します。

2010_1007ceatec0050 ショーが始まる前にセイコちゃんはフィギュアスケート選手のように入念なチェックを行っていました。一方のセイサク君は余裕があるのかずっと楽屋に控えているようです。定時に開催されたショーは体操競技のような演出です。演技の結果はウルトラDの演技を成功させたセイサク君とセイコちゃんのペアがブッチギリの優勝 でした。

2010_1007ceatec0061 次いで向ったのはHall 5にあるタイコエレクトロニクス(米国企業)のブースです。毎年リニアーモーターカーを出展して子供達に人気でしたが今年は恐竜を展示しています。鉄人28号のようにリモコン操作で動くはずですが立ち寄った時には残念ながら休憩中でした。
 

2010_1007ceatec0064 Hall 4のデジタルネットワーク:ビジネス&ソサエティでは富士通のブースが目立ちます。昨年の事業仕分けで注目されたスーパーコンピュータを前面に押し出してメインステージで紹介しています。硬いテーマを身近に感じさせるためか今人気の坂本龍馬・お龍夫妻のキャラクタが登場して場を盛り上げます。

2010_1007ceatec0069 スーパーコンピュータが科学技術だけでなく人の生活や産業にも大きく役立つ存在であることを紹介。プレゼンテーションが終った後は隣のコーナーでスーパーコンピュータを実際に使って来場者が飛行機(グライダー)の翼の設計をして競うゲームが行われました。誰でも使える身近な存在であることを印象付ける演出です。

2010_1007ceatec0102 Hall 3(同上)ではYAMAHAがポスターのような形をした布製のTLFスピーカを動展示していました。以前の展示会でも観ていますが、今回は描かれたアニメのキャラクタに合わせた音声をVOCALOIDで流しています。
 
 

2010_1007ceatec0196 同じHall 3ではNTTドコモがAndroid OSを搭載したスマートフォンのGALAXY SGALAXY Tab(いずれもサムスン製)を多数展示して来場者にPRしています。ちなみに前者はiPhone 4より少し大きく(画面も4インチと大きい)、後者はiPadの半分程度と持ち運び易いサイズ。いずれも11月下旬に発売されるようです。   

2010_1007ceatec0207 KDDIも同様にAndroid OSを搭載したスマートフォンIS03(シャープ製)を前面に押し出していました。見た目にはiPhone 4とそっくりですが大きさは一回り大きい。日本製品らしくおサイフケイタイやワンセグ受信機能を搭載、GALAXY Sと同様、Flash表示に対応している違いはありますが・・。こちらの発売も11月下旬以降。   

2010_1007ceatec0112 NTTドコモ・ブースの隣に一際派手なブースがありました。"mmbi"はマルチメディア放送(NTTドコモ他が出資)の愛称、総務省から認可を受けて近々サービスを始める放送局なのです。来年7月にアナログテレビが停波する電波(CH10-12)を使ってファイルキャスティングと高品質ストリーミングのサービス(含委託事業者)を提供する予定。 

Hall 1とHall 2はデジタルネットワーク:ホーム&パーソナルで家電メーカーの華やかなブースが並んでいます

2010_1007ceatec0118最初に立ち寄ったのはパイオニアのブース。生のジャズ音楽に惹(ひ)かれますがNetwork Vision Head Up Displayのコーナーへ直行。スマートフォン連携の次世代車載用表示デバイスはフロントグラス前方の空間に鮮明な情報コンテンツを浮かせて表示することが出来るそうです。 

2010_1007ceatec0129 隣のシャープのブースでは4原色のクアトロンテレビとともにTSUTAYAと提携した電子書籍端末のGALAPAGOSを強調して展示。右手奥には眼鏡を使わない3D液晶ディスプレイの試作品を展示していました。
 
 

2010_1007ceatec0151 ソニーは巨大スクリーンを使って3Dの世界をデモンストレーション、その裏側にはゲーム・カメラ・ブルーレイなど3D体験コーナーを設置して多くの入場者を集めています。   
 
 

2010_1007ceatec0160 Panasonicも同様に3D VIERAを強調するのは昨年と同じですが、ブースの残り半分は環境関連の展示で環境革新企業を目指す同社の意気込みが感じられます。 
 
 
 

2010_1007ceatec0185 そして今回最も注目を浴びたのは東芝のGlasses-less 3Dです。裸眼(眼鏡を使わない)で立体映像が見られる12インチ、20インチ、50インチのディスプレイがシアター内に動展示されています。(撮影禁止のため写真はありません)  
 

2010_1007ceatec0178 年内にも12型と20型のテレビがREGZA GL1シリーズとして市販されると発表されたため2時間待ちの長い行列が出来ていました。通常であれば敬遠する私ですが今回だけはじっと我慢して待ちました。映像の完成度は眼鏡を使用する3Dと較べてほとんど遜色ありませんが、正常な立体が見える範囲(角度)が限られています。

東芝ブースでの長い待ち時間を除けば展示会場を1時間ほどで急ぎ観て廻りました。昨年のCEATECに較べると新技術の展示が少なく(iPhone・iPadの後追い製品が多く)迫力に欠けましたが、裸眼で3D映像を見られるテレビの実用化が間近であることを実感、スマートグリッド(知的な電力網)関連の出展が増えたことも印象に残りました。

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2010年10月 5日 (火)

近ごろ迷惑だなと感じること

信心深いことを自称する私は人の行為が迷惑だと感じることはほとんどありません。例えば高速道路で急な割り込みをされてもスマートに危険回避をすればかえって楽しく感じます。あるいはiPadなど前評判の高い製品をアップルが続々と発表しても長時間店頭の行列に並んで買おうとは思わないことにしています。人に先んじて新製品を手に入れる満足感よりも、製品が安定化する時期まで待ちながら、買うまでのプロセスを楽しんでいるのです。しかし迷惑だなと感じることが最近いくつも続きました。
 
                          ◇
 
一つ目は酒好きの私がこだわるウィスキー「サントリー角」。この20年ほど、ウィスキーはサントリー角、バーボンはワイルドターキー、の水割りと決めています。サントリー角が品薄になっているとの噂を最近聞いていましたが、同居者がいつも利用する近所の酒屋さんから品切れになって次はいつ入荷するか分からないと言われたそうです。

そうなのです。女優の小雪さんが出演するテレビCMがハイボール人気を沸騰させて、サントリー角の製造が追いつかなくなったのだそうです。トリスオールドなどで予(かね)てからCM作りに定評があり、そして今回サントリー角の品切れを起こしたサントリーが悪いとも言えませんし、ましてやテレビCMで微笑む小雪さんに責任があるわけではありません。ちなみにCMでバックに流れる歌は1990年のサントリークレストのCMソングを石川さゆりさん(SAYURI)自身がカバーして歌っています。最近はゴスペラーズのアカペラ・バーションおいしいハイボールのつくり方編もあるようです。

緊急避難として酒のディスカウンターへまとめ買いに走りました。サントリーさん、角の大増産をお願いします。私の見立てによれば今のハイボール人気はお金をかけないでちょっと贅沢な雰囲気を味わいたい気持ちの表れ、あるいは戦後のハイボール・ブームを知らない若い世代には新鮮な飲み物として受け取られたのかもしれません。
 
                          ◇
 
二つ目はわが家のパソコン用外付けHDD(ハードディスク)の後日談です。3ヶ月前にパソコンの大掃除をして以来大きな問題は再発していませんが、気になっていたLAN接続の外付けHDDを思い切って初期化しました。ところがそのプロセスは途中でストップしてしまうという最悪の事態になり、止む無くメーカーへ修理を依頼するはめになってしまったのです。10日ほどで戻ってきたHDDは無償修理でした。故障内容はHDD内論理エラーとのことで、ドライブの初期化とシステムの再インストールを行い、念のために内部基盤と電源基盤も交換したと報告書に説明されています。

無償修理はありがたいことですが、何度も再設定と再立ち上げを繰り返したこの3年間のドタバタ騒ぎは何だったのでしょうか。何か割り切れなさが残りました。上記の修理内容のどこかに元々弱点が含まれていたのでしょう。ディスクが常時高速回転するHDDは故障することを前提に対応を考えておく必要があることを改めて痛感させられました。

この失敗に懲(こ)りてLAN接続の外付けHDD(ミラーリング構成)に加えてUSBインターフェースの外付けHDDをメインPCに追加しました。つまり完全に独立したパラレル構成で、しかも両方をメインPCのHDD(Dドライブ)とソフトウェア(アイ・オー・データ機器社のフリーソフトSync with”)手動あるいはそれぞれ設定した時間に自動同期させています。スマートとは言えませんがより安全な方法だと思います。
 
                          ◇
 
上記と相前後して古くなったサブ用PCの替わりにWindows Home Premiumが搭載されたノートブックPCを購入しました。CPUの性能が大幅に向上した最新PCはメモリー容量も大幅にアップしていますからWindows 7も極めて快適に動作します。これで満足すべきなのですが使い慣れたWindows XPと比較して何が良くなったのか実感できません。セキュリティ機能の強化や、ウィンドウのサイズを簡単に変更(Aeroスナップ)・文字を拡大・ウィンドウを透明化(Aero プレビュー)する機能は改善されていますが、大幅に使い易くなった点が見つかりません。ましてやワクワク感を与えるものは皆無です。

Windows Vistaの購入を見合わせたのは正解でしたが、期待したWindows 7も残念ながら完成度の高かったWindows XPの水準に達していないように思います。Windows XPとして使える機能(Windows XP Mode)がWindows 7のProfessional およびUltimate / Enterprise Premium Editionで利用できるようにしたことはシステムの互換性を重視する企業ユーザーにとって朗報ですが、良く考えると失敗作のWindows Vistaはもちろん、Windows 7を世に出す意義は何であったのだろうかと考えてしまいます。これこそ究極の傍迷惑(はためいわく)ではないでしょうか。

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2010年10月 3日 (日)

平城遷都1300年 東大寺(後編)

2010_09260194 10月9日に開催される東大寺音舞台(サラ・ブライトマンやシルク・ドゥ・ソレイユなどが出演)の設営が始まった大仏殿エリアを出て右手に進むと手向山神社(たむけやまじんじゃ、手向山八幡神社、東大寺八幡宮)の鳥居が見えました。追記;11月3日にTBS系で放送された番組でサラの歌"Time To Say Goodbye"が印象に残りました。 

2010_09260195鳥居の手前から伸びるなだらかな坂道が歩行禁止になっているため大仏殿脇の道に入ります。このまま直進すると正倉院に至りますが右手の上院(じょういん)方面に歩きました。
 
 

2010_09260196 長い石段を上ると突然鹿が目に入りました。参拝者を出迎えているようでもあり、また不敬な者を見張っているようでもあります。
 
 
 

2010_09260198 石段を上りきると見事な鐘楼(大鐘、国宝)が目の前に聳(そび)え立ちます。古の人はこの視覚効果も考えたのでしょうか。大仏開眼と同年の天平勝宝4年(752年)の制作、中世以前の梵鐘としては最大のもの(高さ385cm、口径271cm)とのこと。
 

2010_09260199 その正面(東側)にある朱に彩られた念仏堂は重要文化財です。
 
 
 
 

2010_09260200 なだらかな石段に座り込んだ男性とそれを撮影する女性のカップルは石灯籠に興味があるようです。
 
 
 
 

2010_09260203 二月堂(国宝)は旧暦2月に「お水取り(修二会)」が行われることからこの名があります。本尊は大観音(おおかんのん)、小観音(こがんのん)と呼ばれる2体の十一面観音像で、どちらも絶対秘仏です。建物は200512月、国宝に指定されました。舞台下の良弁杉は初代別当良弁僧正にまつわる伝説に由来します。

2010_09260204 良弁杉近くにある重要文化財の閼伽井屋(あかいや、若狭井屋)は幾重にも結界されて水汲み衆以外は入れない場所でした。
 
 
 

2010_09260202 法華堂(三月堂、国宝)は東大寺建築のなかで最も古く、東大寺創建以前にあった金鐘寺(こんしゅじ)の遺構とされます。旧暦3月に法華会(ほっけえ)が行われていたことで法華堂あるいは三月堂とも呼ばれるようになりましたが現在は行われていないようです。
 

2010_09260206こちらは法華堂の正面。ちなみに東大寺のhpでは金鐘寺を金鍾山寺(きんしょうざんじ)としています。
 
 
 
 

2010_09260201 三昧堂(さんまいどう、四月堂)も重要文化財に指定されています。三間四方で正方形のこのお堂では旧暦4月に法華三昧が行われるので「四月堂」とも呼ばれます。右奥に少し見える建物は良弁僧正坐像を祀る開山堂。 
 
 

2010_09260211 法華堂前に御髪搭と校倉造(あぜくらづくり)倉庫が2棟向かい合っていました。 
 
 
 
 

2010_09260212 説明がないのでその場では分かりませんでしたが、後で調べると北側が「法華堂経庫」で、南側が「手向山八幡神輿庫」だったようです。
 
 
 

2010_09260208 手向山八幡宮は大仏造立の時に豊前国(ぶぜんのくに、現在の大分県宇佐市)の宇佐八幡神を守護神として勧請して749年に創建されたそうです。 
 
 
 

2010_09260213 その脇を通って若草山山麓方面に歩きました。遠足あるいは社会見学なのでしょうか小学生達が地図を手にして元気に歩いて行きます。
 
 
 

2010_09260217 山麓が見え始めたところで急に霧雨が降り始めたため奈良公園シルクロード交流館脇を抜けて奈良県新公会堂へ戻ることに。
 
 
 

2010_09260219 少し心残りな私は鹿が群れる若草山山麓の道をゆっくり走って奈良を後にしました。
 
 
 
 

<同行者のコメント> 平城宮の大極殿を見に行くはずでしたがいつの間にか東大寺まで足を伸ばしていました。以前見たことがあるのにどうしてと聞くと旦那さまはひょっとして大仏様が立ち上がっているかもしれないからと意味不明な言い訳をしています。平城宮で立ち寄ったショップは「せんとくん」グッズであふれていました。

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2010年10月 2日 (土)

平城遷都1300年 東大寺(前編)

平城宮大極殿から大仏殿の屋根を遠望できたことで久しぶりに東大寺も訪れることにしました。古(いにしえ)の時代には二条大路が外京に接する東大寺の西大門(現存しない)につながっていたそうです。朱雀門前から二条大路を辿りたいところですが、現在は所々で途切れた路地になっているようで、200mほど南側を東西に伸びる県道1号(三条通り)を利用すれば大仏殿参道まで一本道で行くことができます。

平城京奈良仏教の記事で紹介していますから詳細は省きますが、東大寺は728年に建立された金鐘寺(こんしゅじ)を前身として聖武天皇が建立した総国分寺です。初代別当は良弁(ろうべん)僧正。743年に聖武天皇が大仏造立を発願、土木工事を主とする社会事業と勧進の実績を評価された行基(ぎょうき)大僧正が大仏造営勧進(かんじん)の大役を命じられます。期待に応えた行基大僧正(菩薩)はついに大仏の完成を見ることはなく749年に81歳で入滅、752年に大仏開眼供養が行われました。

長谷川一夫さんが主演した映画「大仏開眼」(1951年公開)で大仏の鋳造シーンを見ることができます。同名のテレビドラマ(2010年4月NHK総合、来週末に再放送予定)は造東大寺長官を任じられた吉備真備(後の右大臣)を中心に阿倍内親王(後の考謙天皇・称徳天皇)と藤原仲麻呂(後の太政大臣)を軸に聖武天皇が大仏造立を決意する経緯を描いています。後者については弓削道鏡の記事で触れています。

ちなみに東大寺の名は通称で、正式名称は「金光明四天王護国之寺」、大華厳寺あるいは総国分寺等とも呼ばれる華厳宗の総本山です。また南都七大寺の筆頭寺院である東大寺は華厳・三論・倶舎の中心道場でしたが、都が平安京へ移されるとともに衰えて比叡山の天台宗に圧迫されるようになると、天皇に願い出て810年(弘仁1年)に空海を第14代東大寺別当に迎えます。これによって密教の流れを汲む真言(しんごん)宗の影響を受けて今に至っています。ちなみに東大寺は1998年に古都奈良の文化財の一部としてユネスコより世界遺産に登録されました。

2010_09260134 県道1号が国道369号となり、奈良県庁と興福寺の前を過ぎて緩やかな上り坂にかかると奈良公園です。東大寺の駐車場に入るつもりでしたがすでに満車の表示がでていましたので、少し先にある奈良県新公会堂の地下駐車場を利用しました。 
 

2010_09260137 新公会堂の前庭には唐招提寺のものを模して旧公会堂の大屋根に置かれた鴟尾(しび)を配した空間がありました。 
 
 
 

2010_09260149 鹿が群れる公園内を抜けて大仏殿交差点脇から参道を歩きます。
 
 
 
 

2010_09260150参道にも鹿が物乞い(ものごい)のように煎餅(せんべい)をねだっているのは何でもない景色ですが、托鉢(たくはつ)僧にまで煎餅をねだる鹿もいるのです。なにせ神の使いですから徒や疎(あだやおろそ)かにしてはいけません。 
 

2010_09260151 南大門(国宝)は鎌倉時代に東大寺を復興した重源上人(ちょうげんしょうにん)が再建したもので、今はない鎌倉再建の大仏殿の威容を偲ばせる貴重な遺構であり、屋根裏まで達する大円柱18本は、21mにも及び、門の高さは基壇上25.46m、大仏殿にふさわしいわが国最大の山門であると東大寺のhpに説明されています。

2010_09260154 大華厳寺と書かれた南大門の左右にある木造仁王像(金剛力士像、国宝)二体は昭和63年から5年間にわたって全面解体修理が行われて天平創建期から向かい会って立っていたことが明らかになったそうです。
 
 

2010_09260155 門の壮大さに負けない迫力がありました。
 
 
 
 
 

2010_09260156 参道の奥にある中門(重要文化財)から大仏殿を望むことができます。回廊の南西端にある参観者の入口から入りました。
 
 
 

2010_09260193 石畳の中央にある金銅八角灯籠(国宝)は東大寺創建当初のものですが、東京国立博物館で開催される特別展示のために貸し出し中で、9月10日から半年間はその姿を見ることはできないのは残念です。
 
 

2010_09260161大仏殿と呼ばれる東大寺最大の建物の正式名称は東大寺金堂で、奈良の大仏として知られる東大寺の本尊を安置しています。建物は一重裳階つき寄棟造りの本瓦葺きで、正面銅版葺き唐破風に江戸時代寺院建築の特徴があります。 
 

2010_09260168本尊の大仏(盧舎那仏像、るしゃなぶつ)ももちろん国宝に指定されています。
   
 
 
 

2010_09260190 フラッシュ撮影を遠慮したため荒れた画像になったことをご容赦下さい。 
 

 
 

大仏殿(金堂、国宝)は創建から2度にわたって焼失したため鎌倉と江戸時代に再建されましたが、江戸期には材料を十分調達できなかったため、創建時に11間(86m)あったものが7間(57m)と小さくなったそうです。現在はない東西の七重搭の様子を縮尺模型で知ることができました。
 
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盧舎那仏像の西北角にある廣目天と東北角にある多聞天、そして大仏蓮弁です。
 
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蓮台(大仏が座る台)に取り付けられた蓮弁には同じ絵柄が毛彫で描かれているそうです。写真では見にくいのですが上半分には如来坐像と多数の菩薩像、下半分には26本の界線と小仏と宮殿などが描かれていました。(続く)

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