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2010年10月 2日 (土)

平城遷都1300年 東大寺(前編)

平城宮大極殿から大仏殿の屋根を遠望できたことで久しぶりに東大寺も訪れることにしました。古(いにしえ)の時代には二条大路が外京に接する東大寺の西大門(現存しない)につながっていたそうです。朱雀門前から二条大路を辿りたいところですが、現在は所々で途切れた路地になっているようで、200mほど南側を東西に伸びる県道1号(三条通り)を利用すれば大仏殿参道まで一本道で行くことができます。

平城京奈良仏教の記事で紹介していますから詳細は省きますが、東大寺は728年に建立された金鐘寺(こんしゅじ)を前身として聖武天皇が建立した総国分寺です。初代別当は良弁(ろうべん)僧正。743年に聖武天皇が大仏造立を発願、土木工事を主とする社会事業と勧進の実績を評価された行基(ぎょうき)大僧正が大仏造営勧進(かんじん)の大役を命じられます。期待に応えた行基大僧正(菩薩)はついに大仏の完成を見ることはなく749年に81歳で入滅、752年に大仏開眼供養が行われました。

長谷川一夫さんが主演した映画「大仏開眼」(1951年公開)で大仏の鋳造シーンを見ることができます。同名のテレビドラマ(2010年4月NHK総合、来週末に再放送予定)は造東大寺長官を任じられた吉備真備(後の右大臣)を中心に阿倍内親王(後の考謙天皇・称徳天皇)と藤原仲麻呂(後の太政大臣)を軸に聖武天皇が大仏造立を決意する経緯を描いています。後者については弓削道鏡の記事で触れています。

ちなみに東大寺の名は通称で、正式名称は「金光明四天王護国之寺」、大華厳寺あるいは総国分寺等とも呼ばれる華厳宗の総本山です。また南都七大寺の筆頭寺院である東大寺は華厳・三論・倶舎の中心道場でしたが、都が平安京へ移されるとともに衰えて比叡山の天台宗に圧迫されるようになると、天皇に願い出て810年(弘仁1年)に空海を第14代東大寺別当に迎えます。これによって密教の流れを汲む真言(しんごん)宗の影響を受けて今に至っています。ちなみに東大寺は1998年に古都奈良の文化財の一部としてユネスコより世界遺産に登録されました。

2010_09260134 県道1号が国道369号となり、奈良県庁と興福寺の前を過ぎて緩やかな上り坂にかかると奈良公園です。東大寺の駐車場に入るつもりでしたがすでに満車の表示がでていましたので、少し先にある奈良県新公会堂の地下駐車場を利用しました。 
 

2010_09260137 新公会堂の前庭には唐招提寺のものを模して旧公会堂の大屋根に置かれた鴟尾(しび)を配した空間がありました。 
 
 
 

2010_09260149 鹿が群れる公園内を抜けて大仏殿交差点脇から参道を歩きます。
 
 
 
 

2010_09260150参道にも鹿が物乞い(ものごい)のように煎餅(せんべい)をねだっているのは何でもない景色ですが、托鉢(たくはつ)僧にまで煎餅をねだる鹿もいるのです。なにせ神の使いですから徒や疎(あだやおろそ)かにしてはいけません。 
 

2010_09260151 南大門(国宝)は鎌倉時代に東大寺を復興した重源上人(ちょうげんしょうにん)が再建したもので、今はない鎌倉再建の大仏殿の威容を偲ばせる貴重な遺構であり、屋根裏まで達する大円柱18本は、21mにも及び、門の高さは基壇上25.46m、大仏殿にふさわしいわが国最大の山門であると東大寺のhpに説明されています。

2010_09260154 大華厳寺と書かれた南大門の左右にある木造仁王像(金剛力士像、国宝)二体は昭和63年から5年間にわたって全面解体修理が行われて天平創建期から向かい会って立っていたことが明らかになったそうです。
 
 

2010_09260155 門の壮大さに負けない迫力がありました。
 
 
 
 
 

2010_09260156 参道の奥にある中門(重要文化財)から大仏殿を望むことができます。回廊の南西端にある参観者の入口から入りました。
 
 
 

2010_09260193 石畳の中央にある金銅八角灯籠(国宝)は東大寺創建当初のものですが、東京国立博物館で開催される特別展示のために貸し出し中で、9月10日から半年間はその姿を見ることはできないのは残念です。
 
 

2010_09260161大仏殿と呼ばれる東大寺最大の建物の正式名称は東大寺金堂で、奈良の大仏として知られる東大寺の本尊を安置しています。建物は一重裳階つき寄棟造りの本瓦葺きで、正面銅版葺き唐破風に江戸時代寺院建築の特徴があります。 
 

2010_09260168本尊の大仏(盧舎那仏像、るしゃなぶつ)ももちろん国宝に指定されています。
   
 
 
 

2010_09260190 フラッシュ撮影を遠慮したため荒れた画像になったことをご容赦下さい。 
 

 
 

大仏殿(金堂、国宝)は創建から2度にわたって焼失したため鎌倉と江戸時代に再建されましたが、江戸期には材料を十分調達できなかったため、創建時に11間(86m)あったものが7間(57m)と小さくなったそうです。現在はない東西の七重搭の様子を縮尺模型で知ることができました。
 
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盧舎那仏像の西北角にある廣目天と東北角にある多聞天、そして大仏蓮弁です。
 
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蓮台(大仏が座る台)に取り付けられた蓮弁には同じ絵柄が毛彫で描かれているそうです。写真では見にくいのですが上半分には如来坐像と多数の菩薩像、下半分には26本の界線と小仏と宮殿などが描かれていました。(続く)

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