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2010年11月に作成された記事

2010年11月27日 (土)

ドライブ後記 富士山の遠景と大渋滞

県道37号(南アルプス公園線)を国道52号(身延みち)の上沢交差点まで戻りました。予定ではこの交差点を左折して国道52号を北上、富士川町の増穂(ますほ)ICから中部横断自動車道に入って、双葉(ふたば)JCTから中央自動車道を利用することを考えていました。つまり日出づる里でダイヤモンド富士を見るために利用したルートを逆方向に走る計画です。

2010_11210340 しかし交差点で信号待ちをする間に、魔が差したとしか思えませんが、富士川に沿って下りたくなったのです。これまで2-3度富士川沿いに走っていますが、いずれも遡(さかのぼ)る方向だったことも影響しました。左手に富士川を見ながら順調に車が流れる国道52号を走りました。
 

これまでに2度お参りした久遠寺がある身延山への入口を通り過ぎました。さらに身延立体交差を過ぎると国道52号はいったん富士川から離れて山間部に分け入りますが、南部町に入ると再び富士川が近づいて来ました。「陸奥国(東北地方)の南部氏発祥の地」の看板に気を取られたため、新万沢橋交差点の案内標識にある芝川の地名を確認するのが遅れて、そのまま直進してしまいました。

少し先の甲駿橋北交差点の案内標識にもずっと昔に通過した記憶がある芝川の名前が表示されていましたが、左折する道は狭い下り坂になっていたため、躊躇する間にこれまた通過してしまいました。悪循環に陥(おちい)った私はついに静岡市清水区に入っていました。

帰宅後に地図で確認すると富士見峠でもう一度チャンス(かなり戻るルート)があったのですが、この頃には東名高速道路の清水ICあるいは富士ICに入ることを考えていました。富士川SAのスマートインターチェンジを利用することも失念していて・・・。カーナビを無視し続けたツケが回って来たのです。

ノロノロ運転をしながらやっと駿河湾沿いの国道1号(興津中町交差点)に出ました。映画「アラビアのローレンス」で主人公のローレンスがシナイ砂漠を横断してスエズ運河にたどり着いたシーンを回想する私は冷静に判断する余裕を無くしていたようです。少し遠回りになるもののアクセスしやすい清水ICではなく、少しでも自宅に近い富士ICを目指して旧東海道巡りで渡った興津川(おきつがわ)を越えていました。

2010_11210342 静清(せいせい)バイパスから続く国道1号は富士由比バイパスとなって準高速道路のように快調なドライブが続きます。国道52号のノロノロ運転のことはすっかり忘れて(自らの判断が正しかったと思い込みながら)駿河湾越しに見えてきた箱根山(外輪山)の遠景を楽しみました。 
 

由比(ゆい)から蒲原(かんばら)にかけてのエリアで、国道1号、東名高速道路、東海道本線、東海道新幹線がひしめいているのは、京都府の大山崎町付近と同様で、約5km内陸部に建設中の第ニ東名が、現在の東名がパンク状態にあることに加えて、震災などの天災や重大事故に備えるために必要であるとの論拠になったようです

2010_11210349富士川SAが近づくと夕日に照らされて富士山は赤富士のようになっています。

 




2010_11210350 箱根山に掛かる満月を見ながら富士川を渡るとほどなく富士ICの案内標識が見えたことで、これに従って宮島東交差点を左折しました。
 
 
 

2010_11210351 東海道新幹線の新富士駅の周辺は夕方の混雑が始まっています。これはちょっとマズイかもしれないと思いましたがノロノロ運転にじっと耐えるしかありません。
 
 
 

2010_11210353 富士見大通りの真正面に富士山が見えるのはせめてもの救いです。15分ほどで右手から合流する道に行き当たりました。県道353号です。少し遠回りになりますがこちらを利用するべきだったかなと考えているうちになんとか富士ICに到着できました。
 

東名高速道路は幸いにも空いており、遅れを取り戻すために快調なペースで走ります。沼津ICの先を先頭に約2kmの渋滞との警報が出ました。良くあることとラジオの高速道路情報に切り替えると・・・。なんということか、厚木ICの先を先頭に50kmの渋滞 が発生していると伝えています。

沼津IC付近の渋滞はさほどのこともなく通過、裾野ICから御殿場ICまで何とか走り抜けましたが、御殿場SA付近から追い越しレーンを含めて3車線すべてが混雑してきました。神奈川県に入った直後にはトンネルの出口付近で事故が発生 したとのアナウンスも・・・。国道52号を南下したことを手始めに繰り返したいくつもの判断ミスがフラッシュバック。そして大和トンネルを抜けたのは御殿場SAを通過してから2時間余り後のこと。この区間の説明は省略します。高速道路情報がすべてを物語っていますから・・・。

<同行者のコメント> 大変な渋滞に巻き込まれてしまいました。わが家の運転者さんらしくないことで、先日 関西へ行った時の東名阪自動車道よりも長い渋滞だったと思います。紅葉は綺麗でしたが私にはどこも同じように見えました。そして真っ赤で色鮮やかな京都の紅葉はやっぱり色を塗っているに違いないとあらためて思います。でも奈良田温泉の湯はとても良くて大満足です。次はぜひ宿泊してこの温泉の湯をたっぷり楽しみたいです。
 

[追記] 今回の富士山周回ドライブ旅における総走行距離は約480km、そして県道37号をドライブ中にオドメーター(積算走行距離計)が14万kmを超えました。10万kmの大台を達成したのは2007年11月に御殿場の富士見十景を見に出かけた帰路でしたから、ちょうど3年間で走行距離を4万kmも伸ばしたことになります。口の悪い同行者からポンコツ呼ばわりされた私の愛車はまだまだ元気なのです

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2010年11月26日 (金)

奈良田温泉「白根館」とフォッサマグナ

2010_11210301 奈良田湖に沿って400mほど上流へ走ると、遠くに見えた吊り橋、「塩見橋」の袂(たもと)に到着しました。人がひとり通行できる幅しかありません。奈良田湖の上に架かっているのかと思いましたが、吊橋の下は砂利の川原になっていて水流もわずかです。1953年にダムが築かれた時にV字型の谷だったとはとても想像できません。

2010_11210302 支流から流れ込む水や奈良田第2発電所からの放水をそのまま下流の西山発電所で利用しているのでしょう。大月の発電所と似た仕組みです。橋の上に立ってみるとその狭さが良く分かりました。
 
 

2010_11210305 吊橋からさらに500mほど上流へ走ると奈良田温泉の一軒宿「白根館」があります。豪華さはありませんが落ち着いた雰囲気の旅館で日帰り温泉のサービスも提供しています。 
 
 

2010_11210306 レンガ製の階段を上がると「七不思議の湯」と書かれています。奈良時代の孝謙天皇(女帝)が夢のお告げで甲斐国奈良田にある温泉まで病気療養のため行幸されて8年間湯治されたとの伝承から生まれた言葉のようです。にわかには信じられませんが、山峡の秘境ならではのことと、詮索(せんさく)するのは止めにしましょう。

2010_11210307 日本秘境を守る会の提灯が掛けられた入口を入ります。日帰り入浴の料金は1000円とやや高め、白根館のロビーには熊のはく製屋や狩猟の写真などが貼られていて猟師でもあるご主人のこだわりが感じられます。右手奥の露天風呂を案内されました。
 

2010_11210320 突き当たりに立派な囲炉裏(いろり)があります。
 
 
 
 
 

2010_11210310 その奥にある露天風呂への入り口には総檜風呂とありますから期待できそうです。
 
 
 
 

2010_11210316 右手すぐ近くが男湯でした。
 
 
 
 
 

2010_11210317 女湯は左手のランプが吊り下げられた通路の先にあるようです。
 
 
 
 

2010_11210315 脱衣場は暖簾(のれん)が掛かっていますがいかにも開放的な雰囲気。
 
 
 
 

2010_11210311 立派な木板に七不思議の湯の説明と注意書きが書かれています。
 
 
 
 

2010_11210313 暖簾を潜ると野趣あふれる木造り風呂が目に飛び込んで来ました。ここの照明もランプです。浴槽に入ると硫黄臭のあるマッタリした湯が身体にまとわりつくようです。泉質は含硫黄-ナトリウム-塩化物泉(旧泉質名:含食塩-硫黄泉)。掛け流しの上質な湯をたっぷり楽しみました。
 

2010_11210314 なぜか浴槽の脇に石の観音像が置かれています。あとで謂(い)われを聞こうと思いながら失念してしまいました。 
 
 
 

2010_11210319 同行者を待ちながら囲炉裏の脇に掛けられた古い写真で昔の奈良田の雰囲気を知ることができました。今は奈良田集落が奈良田湖沿いの傾斜地にありますが、ダムができるまではもっと下にあったようで、奈良田の地名も平らな田を意味するとの説があるようです。
 

2010_11210321 奈良田湖から吊橋とダムのある下流方向を撮影しました。土砂の堆積が進んでいることが良く分かります。
 
 
 
 

奈良田は早川最上流の集落でこの先は一般車は通行できません。夏季に運行されるバスを利用すれば広河原まで入ることができることから北岳をはじめとする白峰三山に登る登山者が利用するようです。ちなみに広河原には4年前に訪れた南アルプス市の芦安温泉から夜叉神峠を越える南アルプス林道ても入ることができますが、県道37号(南アルプス公園線)と同様の交通規制が行われています。

2010_11210325 県道35号を引き返します。西山温泉で町営の湯島の湯を見かけました。宿泊用のバンガローが並んでいます。
 
 
 
 

2010_11210328 新倉の小之島トンネルまで戻ったところで往(ゆ)きに気になったフォッサマグナ(大地溝帯)に立ち寄りました。広場のような駐車スペースの奥にある案内看板には日本列島を横断する糸魚川‐静岡構造線の西縁の断層露頭と説明されています。50年ほど前に社会科で糸井川(いといがわ)‐富士川構造線と習った記憶があります。

2010_11210332 新倉湧水脇を抜けて早川支流の内河内川方向へ200mほど向かったところに岩肌が露出している場所がありました。詳しい説明がありませんので、確認はできませんでしたが、その岩肌辺りを撮影しました。
 
 

2010_11210334 黒桂集落まで戻って蕎麦処アルプスに立ち寄りました。私はとろろざる蕎麦、同行者は天ざる蕎麦を注文。年配の女性が2人で営業している店は2時間前の混雑が嘘のように静まり返っています
 
 

2010_11210335 水車で挽(ひ)いた手打ち蕎麦はコシがあって空(す)きっ腹に美味しいのですが、太さがやや不揃(ふぞろ)いで、同行者からもらった野菜天ぷらも少し時間が経っているようです。しかしそんな些末(さまつ)なことを忘れさせるような満足感がありました。あとは帰路の高速ドライブが待つだけです。

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2010年11月25日 (木)

早川渓谷の紅葉巡り

2010_11210277 富士川を渡り、国道52号(身延みち)の上沢交差点を横切って入った県道37号(南アルプス公園線)で富士川支流の早川沿いに遡(さかのぼ)りました。 
 
 
 

2010_11210278右前方に見えるのはさきほど南アルプス展望台から見た富士見山(標高1640m)のようです。左に大きくカーブした早川第一発電所の近くで早川町に入りました。 
 
 
 

2010_11210282 早川は名前の通りに急流ですが水量はそれほど多くはありません。まだ昼前なのに山影が長く伸びていました。 
 
 
 

2010_11210283 白石トンネル(長さが129m、1999年竣工)に入ります。その直前を斜めに横切るのは旧道のようです。 
 
 
 
 

2010_11210285 大きく蛇行(だこう)しています。
 
 
 
 
 

2010_11210286 黒桂(つづら)集落で橋の袂(たもと)に蕎麦処アルプスを見つけました。橋を渡った対岸は早川集落のようです。
 
 
 
 

2010_11210287 ちょうど昼時になっていたので立ち寄ることにしました。店の前にある案内看板に表示された三里地区とは旧三里村のエリアを意味すると思われます。入り口付近に大勢のライダーやドライバーたちが並んでいるため同行者がその一人に尋ねると40分待ちと言われたそうです。   
 

2010_11210288 もう少し先へ行くことにします。早川の流れに合わせて大きく蛇行する県道37号のドライブを楽しんでいると前方から真っ白いトンネルが近づいてきます。今年の2月下旬に開通したばかりの青崖トンネルです。
 
 

2010_11210289 対岸が切り立った岩壁(がんぺき)となった早川渓谷の清流に洗われる巨大な岩が無造作に転がっています。岩肌に取り付いた木々の紅葉は盆栽や水墨画の風情です。 
 
 

2010_11210290 上を見上げると小山の頂きまでが紅葉に覆(おお)われていました。
 
 
 
 

2010_11210291 早川の両岸が迫ってきました。鮮やかな黄色が紅葉のアクセントになっています。
 
 
 
 

2010_11210293 すぐ先で今年7月の土砂崩落の復旧工事が行われていました。年内に法面(のりめん)を復旧する予定だそうです。恒久的な対策としてトンネルによる迂回路が建設されることが決まったようです。
 
 

2010_11210294 西山温泉に差し掛かりました。展望野天風呂のある慶雲館(けいうんかん)や湯治(とうじ)客向けの自炊施設のある蓬莱館(ほうらいかん)など立派な温泉旅館があります。 
 
 

2010_11210295 山本屋旅館の裏山から紅葉が迫って来ます。旅館の佇(たたず)まいが気になって帰宅後にネット検索してみましたが、ヒットしないところを見ると、山本屋旅館は営業していないようです。   
 
 

2010_11210296 県道37号(南アルプス街道)は最終目的地の奈良田(ならた)に入ったようです。
 
 
 
 

2010_11210297 奈良田トンネル(長さ202m)は1993年に竣工した比較的新しいトンネルです。地図で確認すると旧道は奈良田の石標(せきひょう)手前から早川沿いに左へ迂回しているようです。 
 
 

2010_11210300 トンネルを抜けると奈良田湖が広がりました。山梨県が洪水調整用と発電用に建設した西山ダムによってできたダム湖です。小さな島がありますが堆砂(たいさ、ダムによる堆積)によるもののようで、上流は完全に埋まっています。洪水調整用の機能は失われているようですが、発電用には大きな影響はないのかもしれません。

2010_11210298 吊り橋のずっと先、早川の上流方向に見える尖(とが)った山は鳳凰三山(ほうおうさんざん)最高峰の観音ヶ岳(標高2840m)でしょう。左に目を転じるとダム近くの対岸に西山発電所の取水設備が見えます。さらにダムへ近づくとローラーゲート3門を備える構造がよく確認できました。 

2010_11210299 下流側からダムを眺(なが)めてみると、斜めのアングルからは見にくいのですが、常用洪水吐き(こうずいばき、放流設備のこと)と3門のローラーゲートのいずれからも放水をしていないようです。

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2010年11月24日 (水)

富士五湖周辺の紅葉巡り

2010_11210216 忍野村役場と忍野八海(おしのはっかい)を通過して道幅の広い国道138号(鎌倉往還、富士パノラマライン)へ出ました。富士見公園前交差点付近で信号待ちする間に赤く紅葉した路傍のカエデを撮影しました。
 
 

富士浅間神社前を通過した上宮交差点で富士パノラマラインは国道139号に変わりました。右手に富士急ハイランドと中央自動車道の河口湖ICを見ながらしばらく走ると町並みが途切れて樹海の中に入って行きます。

2010_11210218 鳴沢(なるさわ)に差し掛かったところで紅葉台(標高1165m)の紅葉を見たくなって立ち寄りました。今年1月に訪れた場所です。未舗装の道を頂上まで上ることは止めて木曽馬牧場の辺りから紅葉台を撮影することにします。乗馬を楽しむ人たちと紅葉台を撮影しました。
 

2010_11210219 同じ敷地内に仔馬を見つけて写真をもう1枚。
 
 
 
 
 

2010_11210223 国道139号は青木ヶ原樹海を抜けます。
 
 
 
 
 

2010_11210226 西湖を巡る湖北ビューライン入口付近の紅葉です。
 
 
 
 
 

2010_11210228 本栖湖に近い本栖交差点が近づいてきました。
 
 
 
 
 

2010_11210237 国道300号(本栖みち)へと右折して本栖湖畔の駐車場に車を止めました。振り返ると富士山の山頂付近が青空の中にクッキリと見えます。
 
 
 

2010_11210236 駐車場脇のカエデを撮影して本栖湖畔(富士河口町)のビューポイントへ急ぎました。
 
 
 
 

2010_11210242五合目付近に雲がかかっていますがすばらしい富士 山の全景が本栖湖越しに望むことができます。有名なビューポイントだけあってカメラマンたちでごった返しています。何枚か撮影したあとにもう一つのビューポイントへ向います。 
 

2010_11210251 国道300号(本栖みち)で身延町(みのぶちょう)に入ります。 
 
 
 
 

2010_11210254 本栖湖の北西端にある湖畔展望台も駐車場がほぼ一杯になるほどの混雑です。千円札と五千円札に描かれた逆さ富士とほぼ同じ写真が撮れました。お札の富士山は岡田紅陽氏が撮影された「湖畔の春」を元にデザインされたそうです。ちなみに岡田氏が撮影された場所は山側へ少し登ったところのようです。 

2010_11210255 こちらの写真は来た方向を振り返って撮影した国道300号と湖畔の紅葉です。湖面が印象的。
 
 
 
 

中之倉トンネル(長さ558m)を抜けると色鮮やかな紅葉が広がっていました。
 
2010_11210258 2010_11210260 2010_11210263 
 
2010_11210265 南アルプス展望台に立ち寄りました。左から七面山(標高1982m)、青薙山(あおなぎやま、2406m)、稲又山(2405m)、布引山(2584m)、笊ヶ岳(ざるがたけ、2629m)、赤石岳(3120m)、荒川岳(3141m)、塩見岳(3046m、写っていない)が一望できます。富士山表口五合目から見た南アルプスの北方の峰々です。 

2010_11210264 手前は南ア前衛の御殿山(1670m)、富士見山(1640m)。次の目的地はこれら2つの山を回り込んだ南アルプスに近い山奥にあるはずです。 
 
 
 

2010_11210270 国道300号は高度を一気に下げて富士川に近い下部温泉に入りました。松本清張氏の長編小説「波の塔」で主人公たちが密かに旅行した場所です。次回は南巨摩(こま)郡早川町を紹介します。

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2010年11月23日 (火)

富士みちの紅葉巡り

2010_11210175 富士みち(国道139号)に大月バイパスが合流する都留高校南交差点から冠雪した富士山が白い雲の上に頭を出しているのが見えます。すっかり冬の雰囲気です。ちなみに富士みちは江戸や関東地方から富士登山をする人々が甲州街道の大月から吉田口登山道へ向かう道でした。   

2010_11210179 富士急大月線の都留市駅を通過すると富士みちは枡形で折れ曲がったあと、まっすぐ見通しのきく商店街に入ります。大月の岩殿城を造った小山田氏の本拠がこの都留市街地(市役所周辺)にあったとされます。
 
 

2010_11210181富士みちが桂川を斜めに横切ります。見覚えのある 旧橋(佐伯橋)から田原(たはら)の滝が真正面に眺(なが)めることができます。前回(2006年12月)はよく確認できた柱状節理が今回は水量が多いせいか雛壇(ひなだん)のような五段の滝に見えます。
 

2010_11210186 田原神社脇の案内看板によると、昔は2段の滝であったものが明治31年の崩落で1段になり、大正12年の関東大震災以降はさらに崩落が進んだため昭和30年に砂防堰堤が建設され、平成10年以降に柱状節理の美しい渓流の風景が再生されるまでの長い経緯が写真入りで説明されています。興味深く読み返しました。

2010_11210184 前回の記事で触れた芭蕉「勢ひあり氷消えては瀧津魚」の句碑と解説があります。江戸の大火を逃れて都留の弟子を頼って滞在した時に詠んだ句と言われます。句碑と並んで芭蕉の真新しい石像が置かれていました。 
 
 

2010_11210190 富士みちに戻ると前方に三ツ峠(標高1785m)が見えてきました。4年前に洗濯板のような急坂道を登ったことを思い出します。 
 
 
 

2010_11210195 次回は達磨石(だるまいし)まで車で行くとその時のブログ記事に書きましたが、この日の過密スケジュールを考えて再び先送り、その代わりに西桂役場前交差点から登山道入口を入って電線のない撮影スポットを探しました。三ツ峠の紅葉は10月末頃に終わって、紅葉前線は麓に降りています。   

2010_11210197 富士吉田市に入った富士見バイパスの直線道路から前方に巨大な富士山が広がるはずですがすっぽり雲におおわれています。ちょうど1時間前には大月から雪化粧をした富士山が見えたばかりでした。忍野方面へと左折。 
 

2010_11210199 県道717号で高度を上げると展望が開けて富士吉田の市街地と富士急ハイランドのジェットコースターがはっきり見えます。後方の山は毛無山(標高1500m)から御坂峠へ続く山なみ、右手前は河口湖脇の天上山(標高1140m)でしょう。
 

2010_11210200 紅葉した高座山(標高1304m)は上半分が雲に包まれています。
 
 
 
 

2010_11210201 鳥居地トンネル(長さ757m)を抜けます。
 
 
 
 
 

2010_11210202 忍野(おしの)村役場を通過、県道717号は山中方面へと右に折れますが、直進して村道に入り、案内標識にしたがって左前方へと進みます。目的地は今年1月にも訪れた二十曲峠です。
 
 

2010_11210203_2 二十曲峠には紅葉と富士山の絶景を撮影しようとする人たちの車で駐車スペースはほとんど埋まっていますが、富士山が真正面に見えるはずの場所に駐車できました。
 
 
 

前回と同様に奇跡が起こることを祈りながら峠を散策することにしました。少し奥の高みに行くと人影はなくて小鳥たちの鳴き声 だけが小さく聞こえます。
 
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何度も経験したことですが、富士山の雲は変化が激しくて、雲が流されても次から次へと新しい雲が誕生して、切れ間ができないのです。右下の写真は富士山の右稜線(りょうせん)と寄生火山の弓射塚(ゆみいづか、標高1566m)・イガトノ山(標高1485m)のようです。
 
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二十曲峠の紅葉と雲の流れを堪能(たんのう)しました。身体が冷えてきましたから滞在を1時間ほどで切り上げて次の目的地へ向かいます。

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2010年11月22日 (月)

甲州街道の紅葉巡り

晩秋と初冬がせめぎ合いながら11月が後半に入りました。霜月(しもつき)と呼ばれますが、新暦の11月には霜はまだ降りませんし、季節の変わり目であるためか1年のうちで季語が一番少ない月のようです。富士山南麓の紅葉狩りに大満足した私は紅葉前線を探すドライブ旅の第2弾を計画。混雑を避けるため平日を予定しましたが、天気予報を考慮して日曜日に出かけることになりました。

2010_11210119 行楽客で道路の渋滞が予想されますから例によって早朝に自宅を出発、車の少ない甲州街道を下ります。八王子市に入ると、陣馬街道と分かれる追分交差点から色づきはじめた銀杏(いちょう)の並木が続きます。写真はすぐ先の並木町交差点付近です。(午前5時50分頃の撮影)
 

多摩御陵(ごりょう)入口交差点から右手を見ると、街灯がないためはっきりしませんが、銀杏の葉はまだ緑が勝っているようです。大正天皇の御陵造営のために造られた銀杏並木はさらに高尾山駅付近まで続きます。日光街道の杉並木と東海道の松並木とともに日本三大並木と呼ばれます。

2010_11210122 高尾山入り口から見た高尾山エコーリフトの山上駅付近はまだ黒いシルエットで紅葉の様子を見ることはできません。もみじまつりの幟(のぼり)が立てられていました。八王子南バイパスとの分岐点付近で建設中の圏央道(首都圏中央連絡自動車道)を潜ります。八王子南IC(仮称)が出来るようです。(午前6時頃の撮影)

2010_11210127 甲州街道はさらに高度を上げて大垂水峠(おおたるみとうげ)を越えて神奈川県相模原市に入りました。晴れていればこの峠から富士山が真正面に見えるのですがあいにく厚い雲が立ちはだかっています。
 
 

2010_11210129 急な下り坂を下りると正面に中央自動車道の高架橋が見えてきました。空が少しずつ明るくなって山の木々が紅葉している様子をぼんやりと見て取ることができます。
 
 
 

2010_11210131 甲州街道がヘアピンカーブする場所で相模川の支流に架かる橋から紅葉を撮影しました。一本だけある冬桜がアクセントです。すぐ近くのバス停と並ぶように甲州街道小原宿の木製標識がありました。
 
 

2010_11210136 相模湖を横切って架けられた純白の勝瀬橋が目を引きます。対岸へ向かう車が多いのは秋山温泉を経由して道志(どうし)みちへ抜けるのかもしれません。(午前6時30分頃の撮影) 
 
 

2010_11210141 勝瀬橋から上流方面を撮影しました。相模湖は神奈川県民の水瓶(みずがめ)のひとつです。
 
 
 
 

2010_11210143 Uターンする場所がないことを承知で対岸まで車で渡って振り返ると丘の上に建つ住宅に朝日が当たり始めました。
 
 
 
 

2010_11210142 湖面のコバルトブルーと紅葉のコントラストが気に入りました。
 
 
 
 

2010_11210146甲州街道をさらに西へ走った吉野橋から撮影した中央自動車道の高架橋と陣馬山方面です。
 
 
 
 

2010_11210148 紅葉したカエデの黄色が鮮やかです。
 
 
 
 
 

2010_11210168 藤野を過ぎて山梨県上野原市へ入ると相模川は桂川と名前が変わります。さらに7kmほど走ると大月市となります。大月で紅葉と言えば猿橋が思い浮かびました。紅葉の名所であるかどうかは知りませんが、迫力のある渓谷ですから、見ごたえがあるだろうと思ったのです。3年半前にも日本三大奇矯を見るために立ち寄っています。 

2010_11210154 猿橋から見る渓谷の紅葉は期待通りです。後方にある赤い橋は甲州街道の新猿橋、手前の橋は鉄道橋のようにも見えますが八ツ沢発電所の水を流す第1号水路橋(国登録有形文化財)でした。当時(明治後期)としては珍しい鉄筋コンクリート製で、支流から取水した水を水力発電所に導く仕組みのようです。(午前7時45分頃の撮影)

紅葉したカエデです。京都の紅葉の名所、光明寺高台寺の萌えるように赤いカエデも好きですが、緑から赤までのグラデーションが楽しめる紅葉もいいと思いました。
 
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2010_11210173 猿橋駅を通過すると甲州街道は桂川の流れに合わせて大きく右にカーブします。右手の山の中腹に大きく露出した岩肌が気になりました。確認したくなって大月バイパスからそれて右手の旧道に入りました。コンビニの駐車場から岩殿城跡の看板が麓辺りに見えました。中央高速道路はトンネル区間になっています。

標高634メートルの岩殿山にあった岩殿城は戦国時代(1530年代)に武田氏の親族衆の扱いを受けた小山田氏によって築城されたようです。長野原の丸岩と似ています。

2010_11210178 大月駅前交差点を通過すると甲州街道は桂川を渡りますが、「甲州街道の紅葉巡り」はここまでとして、手前の大月橋東詰交差点を左折、富士みち(国道139号)で富士五湖方面へ向かいます。(午前8時頃の撮影)

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2010年11月14日 (日)

小説「のぼうの城」(後編)

自軍が大敗したことで三成は秀吉から学んだ水攻めを決意するが吉継はそれに反対する。戦に勝利してもその手柄は三成だけのものとなり三成軍に参加した諸将の不満が出るからである。吉継の忠告にも拘(かかわ)らず三成は巨額を投じて高松城の倍の長さ(七里、28km)の堤防をわずか5日間(秀吉は12日間)で築く。

2007_02250020 写真は丸墓山古墳の南隣にある二子山古墳越しに望んだ石田堤(2kmほど南の堤根地区)方面です。
 
 
 
 

水攻めが始まると忍城は瞬く間に水没して残された本丸が人で満杯となる。これを見た長親は自ら土足となって御殿(城主の住まい)に上がるよう百姓たちに言う。本丸の門が閉じられた直後に水が本丸を襲(おそ)う。

2007_02250007長年の目的が達成されるのを満足げに人口堤の上で眺(なが)める三成の視界に田植の神事に用いる楽器を打ち鳴らす者たちや田楽踊(でんがくおど)りをする長親が乗る小舟が数十艘(そう)近づくのが見える。他の小舟を止めさせて長親は自分の小舟だけをさらに進める。
 

それが成田家総大将長親であることを知った長束正家は悪夢を見るような思いである。敵味方とも魅(み)せられて喝采(かっさい)しながらこれを眺(なが)めている。そこへ秀吉からの使者が到着、秀吉が水攻め見物に来ると伝えられた三成は判断を誤る。

2007_02250009大谷吉継が必死で止めるのも聞かず雑賀(さいか)の鉄砲衆に狙撃(そげき)を命じる。狙撃兵は銃口を認めた長親が微笑(ほほえ)みを浮かべたことに驚愕(きょうがく)しながらこわばった指で引き金を引く。そして弾丸が命中した長親は船外へ飛ばされ湖に沈み静寂(せいしゅく)が敵味方を覆(おお)う。 

人工堤上でこれを見た百姓の一人が堤に埋められた土俵(どひょう)を引き抜き始めると、それを手伝う百姓が集まり、人工堤が一挙に崩(くず)れ落ちる。注釈;史実は俄仕立(にわかじた)ての堤防が水圧に耐えられず崩壊に至った三成の作戦ミス。

水が引いて行くのを見て丹波は長親の水攻め破りの秘策を知る。そして三成も連行される百姓たちの怒りと長親の考えを知る。そして水がはけ次第総攻撃をかけると全軍に命じるとともに、緒戦の失敗に学んで石田方は人工堤に使った土俵を使って田圃(たんぼ、外堀と同様の機能)を埋め始める。秀吉も忍城攻めに援軍約1万を追加派遣する。

2009_05130013 小田原では突然出現した石垣山城(別名一夜城、昨年の当ブログ記事で紹介)を見た北条方は小田原城を開城する。ちなみに「小田原評定」(ひょうじょう)は、この時の北条方の狼狽(ろうばい)ぶりを評した、長引いて容易に結論の出ない会議や相談のことを意味する言葉です。
 

そして忍城に小田原城落城が秀吉からの使者によって知らされ、成田氏長は無事であることも同行家臣から伝えられる。丹波は城門を出て忍城を開城するから軍使を立てるようにと声高に言う。石田方の兵は歓声を上げるが三成自身は敗北感を感じ、異例のことであるが自らが軍使となって忍城に入る。長親に会いたいのである。

2009_05130071 大谷吉継と長束正家をともない大広間の上段の間に着座する三成。居並ぶ成田家家臣団の先頭に大男がとぼけた顔で座っている。三成は拍子抜けする思いだ。長親の自己紹介に応(こた)えて自らも総大将石田治部少輔三成と名乗ったことは忍城方を驚かせる。
 

三成から和議の条件と氏長が会津に移封される蒲生氏郷(がもううじさと)預かりとなったことを告げると長親はあっさりと条件を呑む。そこに正家が追加条件(城にある財の持ち出し禁止)を突きつける。自らが味わった屈辱(くつじょく)を忘れていないのだ。

2009_05130038 騒ぎ立てる忍城方をなだめて長親は「当主の命で開城したが、財の持ち出しを禁じられては、士分と領民が飢える。それならば城を枕に闘死致す」と轟然(ごうぜん)と言い放った。大広間が歓声に包まれる。丹波に返答を迫られた正家は「忍城および所領の財は持ち出し勝手とする」と息も絶え絶えに答える。

「いや、当方はすでに戦に決した」と長親はとりつく島もない。そこへ三成が「そういじめんでくだされ」と助け舟を出すと長親は素直に引いてしまう。正家が激(げき)しているとそれを煽(あお)るように長親は開城の条件を2つつける。撒(ま)き散らした土俵を田圃(たんぼ)から回収することと百姓を切った者の首である。自軍の武士が百姓を殺した行為を許せない三成は確約する。

2009_05130040吉継に「例の件を」と告げられて、忘れたふりをしていた三成は甲斐姫(氏長の娘)を秀吉の側室に出すようにと告げる。長親はこれもあっさりと承知する。
 
 
 

長親が座を立とうとした時、三成は「成田殿、その傷は戦の手傷でござるか」と声をかけると、長親は「いやいや、わしゃ矢弾が苦手でな。丹波の奴が戦に出してくれませぬ。せめて家臣どもの慰(なぐさ)みにと田楽踊などしておったら、やられてしもうた」と例のへらへらした調子で答える。「あれはやはり貴殿か」と感嘆(かんたん)した三成は丹波と靭負、和泉の武勲を称(たた)える。

2009_05130028 座を立ちながら三成は意を決して「成田殿、田楽踊は策でありましたな」と訊(き)くが、長親は「まさか」と微笑(ほほえ)む。三成は、その明晰(めいせき)な頭脳をもってしても成田長親という男を理解できなかったが、士分と領民が一つになっていることを悟(さと)りながら忍城を振り返った。
 

                          ◇

テンポの良い文体と現代風にアレンジされた会話が読みやすく一気に読み切りました。先月初めに文庫本が発売され、来年には野村萬斎さんの主演で映画化されますが、原作者がその脚本を担当するようです。

2010_11130043 例によって話が飛躍します。この原稿を書いていて、今年のプロ野球日本シリーズとのアナロジーを感じました。下馬評では戦力に勝る中日ドラゴンズの優勝は既定のことと目されていましたが、千葉ロッテマリーンズが緒戦を制したこともあって試合を追うごとに白熱し、11月7日の最終戦で千葉ロッテマリーンズが競り勝ちました。

2010_11130030 俺流と称する冷徹な采配(さいはい)で知られる落合監督(就任7年目、監督としてりーグ優勝3回、日本一1回、日本シリーズ出場4回)に就任1年目の西村監督がこれというスター選手が居ないチームを率いて挑(いど)んだ7試合でした。人の和を重視するチーム作りが印象に残ります。(写真は11月11日に海浜幕張駅前で撮影)

そして優勝決定後に複数の有力選手がFA権を行使して移籍する見込みであることも、開城後に家臣がそれぞれの道を求めて去る小説の結末と重なりました。 

この面白い小説を読んで唯一気になったことは、時代小説であるためか、難解な言葉がふりがな付きでしばしば使われることでした。(たいとう)、咆哮(ほうこう)、幔幕(まんまく)、恃んで(たのんで)、刮目(かつもく)、峻拒(しゅんきょ)など。酒巻靭負(ゆきえ)も、人名ですから止むを得ませんが、読むのが難しいのです。宝永治水工事で総奉行を務めた薩摩藩家老の平田靭負と同じであることを思い出しました。

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2010年11月13日 (土)

小説「のぼうの城」(前編)

埼玉県行田市にあった戦国時代の忍城(おしじょう)を舞台とする小説「のぼうの城」(和田竜著)を読みました。埼玉(さきたま)古墳のある行田市(ぎょうだし)の地名と小説のタイトルに惹かれたのです。実在した成田長親(ながちか)が主人公として登場、豊臣秀吉の北条攻めという歴史上よく知られた合戦が物語の背景です。

2007_02250010のちに浮き城とも呼ばれた忍城は、明治6年に取り壊されて沼もほとんどが埋め立てられましたが、昭和63年に再建された忍城御三階櫓(ごさんかいやぐら)が埼玉古墳の北西約2km、行田市郷土博物館の隣にあります。写真は3年半前に訪れた埼玉古墳から見た忍城御三階櫓、左後方に霞(かす)んでいる山は浅間山のようです。
 
                           ◇

物語は羽柴秀吉の備中高松(現在の岡山県岡山市北区高松)の高松城攻めのシーンから始まる。秀吉が同行させた石田治部少輔三成(じぶしょうゆうみつなり)と大谷刑部少輔吉継(ぎょうぶしょうゆうよしつぐ)、長束大蔵大輔正家(ながつかおおくらたゆうまさいえ)を登場させて彼らの人となりを紹介する。

2009_05130011信長が本能寺で討たれた8年後、ほぼ天下を手に入れた豊臣秀吉は全国制覇のため、全国の諸将に北条攻めの軍令を文書で発する。対する北条方は戦国時代で最大級の城郭を生かして小田原城籠城(ろうじょう)を決める。この籠城策により長期戦を嫌った武田信玄と上杉謙信が落とすことの出来なかった堅城である。

ここで主人公の成田長親が登場する。成田家当主の甥(おい)でありながら百姓仕事が大好きな長親は暇さえあれば城下の田んぼに出向いて百姓の手伝いをしたがるのである。大きな体のためか生来の不器用さで百姓たちからは迷惑がられたが、身分差を感じさせないその性格は誰からも好かれて「のぼう様」と呼ばれている。これはでくの坊を意味する愛称だ。

2009_05130083 藤原鎌足から続く成田家当主、成田氏長(うじなが)は主家の北条方の指示に従うことを北条方の使者に伝える一方で、豊臣方にも降伏することを内通して、小田原城の籠城に手勢500を連れて参加する。(写真は石垣山城へ向う山道で撮影した小田原城の遠景) 
 

一方、豊臣秀吉が率いるおよそ50万の軍勢は北条方の数多い支城を一気に落として小田原城の重包囲網を完成させる。(右下の写真)

2009_05130025次いで秀吉は武州(埼玉県)における北条方の主要城である館林城(たてばやしじょう)と忍城の攻略を石田三成に命じる。北条家当主氏政(うじまさ)の弟、氏規(うじのり)が城主を務める館林城は三成が率いる2万強の軍勢に恐れをなして戦わずして開城してしまう。次いで忍城へ長束正家が軍使(ぐんし)として派遣される。 

病床に伏せる城代の父泰季(やすすえ)に代わって軍使に対面した長親は、強硬派の泰季が降伏も止むを得ないと指示したにもかかわらず、相手方を侮辱(ぶじょく)する三成軍の行動に加えて正家の相手を見下した態度が許せず、坂東武者の面目を守るために抗戦を通告する。これに慌(あわ)てた家老たちはこの発言を撤回させようとするが、日頃 卯建(うだ)つが上がらないと思っていた長親の心を知り、逆に抗戦へと雪崩(なだれ)を打って転向する。

一の家老正木丹波守利英(まさきたんばのかみとしひで)は軍使の正家に向かって「重臣一同、重ねて諌(いさ)め申したが、この者存外頑固者(がんこもの)にございましてな。一向に言うことをききませぬ」「されば(と言ったあとに一拍おいて)、この馬鹿者の申す通り、戦うことといたした」と語気を強めた。狼狽(ろうばい)して意向を再度確かめる正家を見据えて長親は「坂東武者の槍の味、存分に味われよ」と言い切った。

副将の大谷吉継には石田三成の人選ミスと思われたが、この成り行きは三成の狙い通りであった。というのもこれまで奉行(事務方)として才覚を発揮してきた三成は武将として初めての武功(手柄)を立てたかったのである。

志気が一気に高まった忍城の大広間では長親が極度の緊張のため腰を抜かして家臣たちに神輿(みこし)のように担がれている。その時に泰季が死亡したことが知らされ、家臣たちの合意で長親は城代(総大将)に推される。

2007_02250005 丸墓山(まるはかやま、右の写真)に陣屋を建てた三成は忍城の侍たちの性根(しょうね)を試したのである。しかし忍城を守るのはわずか500人、三成軍はその40倍以上の圧倒的な勢力を擁(よう)するのだ。 
 
 

忍城での軍議は丹波が主導して行われる。軍事がさっぱり分からない長親は守りの各主将に全権を与えるしかない。「わしはどこを守ろうか」と言う長親に一同はぎょっとなるが、丹波は慌(あわ)てず、「総大将はおとなしく本丸におれ」と一喝(いっかつ)する。最初は渋っていた百姓たちも、「のぼう様」が総大将だと聞いて、ほとんどが籠城に加わり、士分百姓らを合わせて3740人の人数に膨(ふく)れ上がる。

そして夜が明けると戦闘が始まる。各々の守り口で行われる戦闘シーンは劇画のようにビジュアルな描写が続く。詳しい内容は省略するが、長束正家の感情に走った無策ぶりを突く丹波、大谷吉継の定石通りの戦法に手を焼く柴崎和泉守、戦略を学んだことで毘沙門天を自称する酒巻靭負(さかまきゆきえ)はあっけなく撤退することに。

2007_02250018しかし靭負勢を深追いした三成軍は統制を乱して大敗、城門を打ち破ってなだれ込んだ吉継軍は忍川の堰(せき)を靭負の手勢が切ったことで激流に呑(の)まれて全滅してしまう。(続く)

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2010年11月 9日 (火)

富士箱根の紅葉 日帰り温泉「仙石原温泉南甫園」

2010_11020294 この日の日帰り温泉は「仙石原温泉南甫園」(なんぽうえん)を選びました。仙石原の中心部からすすき野原へ向う途中、県道75号が大きく右へ折れる100mほど手前(右手)にあります。少し奥まったレストラン風の落ち着いた建物の前に車が数台停まっていました。 
 

2010_11020275 入口のガラス戸に泉質が酸性-カルシウム・マグネシウム・硫酸塩・塩化石膏泉であると張り紙がされています。
 
 
 
 

2010_11020276 利用料金1000円を支払うと廊下の先にある下足箱まで案内されました。
 
 
 
 

2010_11020278 手前が男湯で、女湯は廊下の突き当たりにあります。廊下の壁に絵が何枚も掛けられて落ち着いた雰囲気です。 
 
 
 

2010_11020289 ロッカーの数が少ないため脱衣場が広々として見えます。しかし張り紙(注意書き)の多いことが目に付きました。鏡に映って二倍になっているからかもしれませんが・・。 
 
 

2010_11020290 内湯と露天風呂が大きなガラス戸越しに見えることはさらに開放感を与えています。
 
 
 
 

2010_11020285 内湯には大理石と大谷石で造られたシンプルな浴槽に無色透明の湯泉(質は不明)が並々と注いでいました。仙石原の温泉施設で利用されているというホテルグリーンプラザ箱根などがある湖尻近くの姥子(うばこ)温泉から引湯した単純硫黄泉かもしれません。右手奥の衝立(ついたて)で仕切られた洗い場にはカランが5つ並んでいます。      

2010_11020288 浴槽の左橋には一人分のジェット噴出口が付いています。大きなガラスがはめ殺しになっていますが曇っているため外の景色はほとんど見えません。 
 
 
 

2010_11020282 ガラス戸から外に出ると大きな石をいくつも配した小振りの露天風呂があり、大きな池と石灯籠のある日本庭園が目の前に見えました。大涌谷(おおわくだに)から引いていると表示された硫黄泉の湯は乳白色。入ってみるとかなりの熱さです。庭園側にある小さな注ぎ口周辺はもちろん、浴槽の反対側でも43-44度はありそうです。

2010_11020281 表示に従って蛇口(じゃぐち)を捻(ひね)って水を注(そそ)いでみました。酸性の湯(PH2.6)はかなりのもので熱さと相まって皮膚がちょっとピリピリしました。脱衣場側の張り紙には湯あたりに注意するようにと書かれていますが、大人が温泉を静かに楽しむためには打ってつけの場所でしょう。   

2010_11020292 帰りがけにご主人と思われる方から、もともとは永田町にある北京料理の南甫園が仙石原に開いた中華料理店で、バブル期には大層繁盛したそうですが、今は日帰り温泉専業にしたと聞きました。入口奥の軽食・喫茶室から露天風呂で見た日本庭園の全景を楽しめました。喫茶室とは別に有料の休憩処もあるようです。 

2010_11020295 国道138号を小田原方面に向かうと途中で紅葉が始まっています。運転中に急いで撮影したため写真に微妙な振れが生じてしまいました。 
 
 
 

2010_11020299 宮下の日帰り温泉「てのゆ」周辺も色付き始めました。
 
 
 
 
 

2010_11020300 八千代橋を渡った対岸にある古びた建物にからまるツタが印象的です。
 
 
 
 

2010_11020303 平日だというのに、富士屋ホテルと日帰り温泉「楽遊壽林自然館」の入口辺りから先は長い渋滞が湯本まで続き、ノロノロ運転で箱根登山鉄道のガードを潜(くぐ)りました。 
 
 

2010_11020307 これを予想していなかったため、国道1号と県道63号を経由して伊勢原市に差し掛かった時は、丹沢の大山が夕闇(ゆうやみ)に消え入りそうな時刻に。今回も欲張った紅葉狩りプランになりましたが、いずれの場所も期待通りで、満たされた気持ちで帰宅しました。 
 

<同行者のコメント> 目を覚ますと富士山の五合目にいました。ぼんやりしていたのか旦那さまにつられて30分くらいならと歩く気になりましたが、外は真冬のような寒さと強い風が吹いていて無理でした。西臼塚では風がなくてハイキングのようでしたが複雑に入り組んだ道が通行止めになっていてちょっと心配。温泉はきれいでしたが露天風呂が熱くてちょっと残念。南甫園のご主人から近くで頻発する車上荒しや車泥棒の話を聞きましたが、わが家の車はポンコツ(ごめんなさい)ですから・・・。

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2010年11月 8日 (月)

富士箱根の紅葉 長尾峠から仙石原へ

2010_11020214 富士山スカイラインを御殿場まで引き返して県道401号(国道138号と一部共用)で次の目的地へ向いました。東名高速道路の御殿場ICを過ぎると箱根外輪山の金時山(標高1213m)と丸岳(同1156m)、その間の乙女峠が眼前に迫ってきます。右手中腹に見えるのは富士見十景のひとつである平和公園(妙法寺)にある富士仏舎利塔。

2010_11020217 木立に囲まれたワインディングロードを楽しんでいるとヘアピンカーブで富士山の展望が開けました。茶店「しるこや」の駐車場から富士山を撮影。鳥居と狛犬が富士山を祀るように建てられています。
 
 

2010_11020221 静岡県御殿場市と神奈川県箱根町の間にある長尾峠は、紅葉の名所であるとともにドライブ好きには恰好のコースですが、乙女トンネルが開通したため通行する車が少ないのは嬉しい。トンネルのすぐ手前に茶屋「富士見茶屋」があります。
 
 

私はかき揚げそば、同行者は山菜そばを注文。富士山とその周辺の景色を楽しみながら懐かしい味の蕎麦を食べるのは格別です。
 
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2010_11020231店内に置かれた大きな水タンクと多数飾られた富士山の写真のことを質問したことがきっかけとなり、女性の店主さんから色々な話を聞きました。
 
 
 
 

2010_11020224 山の湧き水を引き入れて貯水していること、店内に多数飾られた富士山の写真はすべて旦那さんが撮影したこと、国内各地をご夫婦で旅行していること、来月は沖縄の石垣島・西表島(いりおもてじま)へ行くことなど。
 
 

2010_11020230 旅行好きの私があれこれ質問しながら長居をしているうちに富士山に雲が掛かり始めました。頂上付近の冠雪は前夜の降雪によるものとの情報を聞いてお暇(いとま)をすることに。 
 
 

2010_11020233 右手に進むと箱根スカイラインですが今回は県道736号で長尾トンネルを抜けます。
 
 
 
 

2010_11020234 トンネルを抜けた場所にある「峠の茶屋」脇からゴルフ場越しに芦ノ湖が望めます。
 
 
 
 

2010_11020235 こちらは神山(標高1438m)、後方には駒ケ岳(同1356m)があるはずです。左手には大涌谷(おおわくだに)も見えます。
 
 
 

2010_11020237 仙石原(せんごくはら)に向って少して下りるとすすき原野が見えてきました。中央を斜めに横切る遊歩道と下を走る県道75号がV字型のアクセントになっています。
 
 
 

2010_11020246 国道138号に入って仙石原交差点を右折、箱根ラリック美術館前を抜けると前方にすすき野原が広がりました。
 
 
 
 

2010_11020261 仙石原は大変な人出があります。付近は駐車場がほとんどありませんから、かなり離れた第2臨時駐車場に車を停めました。およそ400mの距離を歩いて穂し乃庵がある県道75号のT字路まで戻りました。
 
 

国の天然記念物に指定されたすすきの白い穂と後方の樹林のコントラストが見事です。今がベストシーズンのようです。5年前に訪れた時は11月下旬でしたからススキが枯れてすっかり茶色になっており、4年前は9月に入ったばかりで穂が出たところで青い原っぱでした。
 
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2010_11020267 同行者がお気に入りである甘味処よもぎ屋の「よもぎソフトクリーム」を忘れず買い求めて駐車場へ戻ります。まさにパシリ(使い走り)そのもの・・・。
 
 
 

2010_11020270 11月の始めで外気は涼しいと言っても強い日差しですからつい急ぎ足になります。表面に光沢が出て溶け始めたようです。記録写真を一枚撮影。
 
 
 

2010_11020271 駐車場に到着した時には、表面が光って丸みを帯びて来ました。慌てて手渡すと同行者は不振そうな目つきをしています。「溶け始めているけど決して舐(な)めていないよ」と言い訳をする。(続く)

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2010年11月 7日 (日)

富士箱根の紅葉 富士山表口五合目から西臼塚へ

2010_11020120 五合目からの下りも七曲りを走りながら景色を楽しめました。南東方向に霞(かす)んで見えるのは伊豆大島のようです。100kmほどの距離がありますがすぐ近くに思われるのは2000m以上の高度のせいでしょう。右手前の小山は大室山と思われます。 
 

2010_11020130 西方遠くに冠雪した南アルプスの山々が見えます。赤岳(標高3120m)・聖岳(同3013m)・上河内岳(同2803m)などかもしれません。 
 
 
 

2010_11020135 工事中の車線規制は落ち葉を清掃する車と作業をする人たちでした。車やバイクがスリップすると危険だからでしょう。この時間帯になると登山区間を上る車が増えています。意外にも富士宮口新五合目行きのバスともすれ違いました。 
 

2010_11020136 富士宮口二合目のT字路まで下ると富士スカイラインは県道180号となって西へ向います。3kmほど先にある西臼塚駐車場(県道の南側)でも多数の人たちが富士山と紅葉を撮影しています。 
 
 

2010_11020145 すべての視線が富士山頂に向っている様子を撮影したあと、ここでも先輩カメラマンたちのアングルを真似して撮影しました。   
 
 
 

2010_11020143 頂上の冠雪が白いキャップのように見えます。富士山にカエデ(楓)の紅葉は定番ですが右端の梢(こずえ)が山頂より高くなったのはカメラアングルの失敗でした。 
 
 
 

2010_11020149 県道の北側にある西臼塚(にしうすづか、標高1293m)は頂上に噴火口を持つ寄生火山です。富士山自然休養林(日本百選)は、1.643haの国有林(標高1,0002.400m)に広がり、キャンプ場と多くのハイキングコースとがあります。ハイキングコースの中心は西臼塚です。
 

2010_11020150 県道北側の駐車場に車を移動させました。案内看板を確認して駐車場脇から同行者と一緒に遊歩道へ入ると「熊出没注意」の立て看板がありました。熊除けの鈴は・・・。 
 
 
 
よく整備された遊歩道が人気(ひとけ)のない雑木林(ぞうきばやし)の中に続きます。
 
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2010_11020167 上り坂が少し急になると木製階段が現れました。
 
 
 
 
 

2010_11020168 奇妙な形に幹が折れ曲がった大木を見つけました。首の長いキリンあるいは首を伸ばしたオットセイに似ています。 
 
 
 

2010_11020200 すぐ横にあるカエデ広場は明るく広い空間です。カエデが色づくとまた違う雰囲気になるのでしょう。 
 
 
 
 

2010_11020172 前方に小山が見えて来ました。交差する遊歩道を直進して長い木の階段を上ります。振り返って一枚撮影
 
 
 
 

2010_11020173 到着した西臼塚の頂上に見晴らしはなく、小さな祠(ほこら)と案内看板だけがあります。山の神と樹齢300年のミズナラ(楢)の説明を読みました。 
 
 
 

2010_11020189反対側の階段から西臼塚を降る途中に木の間(このま)から富士山の山頂が覗(のぞ)いています。
 
 
 
 
 

2010_11020188 ブナ広場近くの分かれ道に通行止の標識が突然出現して戸惑います。危険箇所(かしょ)があるとの表示も・・。
   
 
 
 

2010_11020191 引き返そうと言う同行者の言葉に耳を貸さずに左手の遊歩道へ進むと、木製の橋から先は駐車場とは逆方向へ向うようですから、元の場所へ引き返すことにしました。あとで分かったことですがこれは正解でした。橋の先は大きく迂回(うかい)する形で県道に出られる林道へ繋(つな)がりますが、これもやはり通行止だったのです。 

2010_11020194 西臼塚を迂回する平らなルートを選んで、先ほど登った階段の下に出て、往(ゆ)きと同じ遊歩道を戻りました。今回は往復40分ほどの散策でしたが、機会があれば、次回は表富士グリーンキャンプ場まで続く遊歩道を歩いてみたいと思います。 
 

2010_11020205 車で県道180号に出る直前の遊歩道入口と御殿場寄りの林道入口が通行止めになっていました。ここでプチ情報です。夏季は富士急静岡バスが富士宮駅などから表富士グリーンキャンプ場経由富士宮口新五合目行きのバスサービスを提供します。しかし本数が多いのは8月末までで10月末頃(要確認)から冬季運休するようです。 

ここで遊歩道で見かけた富士山南麓の代表的な樹木を紹介します。

マユミ(真弓)         ミズナラ             モミ 
2010_11020152 2010_11020153 2010_11020156
 
ホオノキ(朴の木)      キハダ(黄膚)         ヤマボウシ(山法師)
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ヒメシャラ(姫娑羅)      オオモミジ(大紅葉)     ブナ(撫)
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(続く)

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2010年11月 6日 (土)

富士箱根の紅葉 富士山表口五合目から宝永山へ

気持ち良さそうに寝ている同行者を起こして富士山の表口五合目(富士宮ルート新五合目)に到着したと告げる。いつものように車で留守番をするとの返事を予期しながら少し歩くことを伝えると、「頂上まで?」と意表を付く質問が返ってきました。

「まさか! 頂上はもう冠雪して真っ白だよ。5合目周辺をちょっと歩くだけ」と計画を説明すると意外にも「何分ぐらい?」と前向きの質問。「30分位かな・・」と言うと、同行者は防寒着を羽織って車外へ。

2010_11020079_5 富士山嫌いなのにと訝(いぶか)しく思いながら、ウォーキングシューズに履き替えフード付きの防寒着を着て私も車を降りると、同行者は「すごく寒いわね。それに風も強いし・・。やっぱり止めるわ」と車内に戻ってしまう。何やら振り回された気持ちを立て直して一人で出発しました。 

2010_11020081_5 宝永山遊歩道を往復するだけでは芸がないと思い直して六合目を目指すことに。登山道の入口の石段を上ると急な登山道が続きます。
 
 
 

2010_11020082_4 遮(さえぎ)るものが何もないため風は一段と強くなりました。強風に吹かれて態勢を崩されないように注意しながら慎重に登ります。車を飛ばして五合目に到着してすぐ歩き始めたためか、それとも強い風のせいか、かなり息苦しく感じます。
 

2010_11020084_4 九十九折(つづらおり)の登山道を登りきった場所に六合目の山小屋が見えて来ました。この山小屋も閉鎖されています。六合目が森林限界の上部のようです。
 
 
 

2010_11020087_4 寄生火山の宝永山と山頂の分岐点から山頂方向を見ると登山道にはロープが張られて大きな案内看板が。近寄ってみると風雪のため9月から来年6月まで通行禁止と説明されています。7年前の9月初旬に来た時もまったく同じだったことを思い出しました。同行者が富士山嫌いになったのもこの時です。

2010_11020086_3 分岐点から宝永山方面へ向います。「宝永山60分」の表示に驚いて案内図で確認すると、どうも往復時間を指しているようです。 
 
 
 

2010_11020085_2 六合目から五合目にかけてはテーブル型樹形(ハイマツ状)で黄金色に色付いたカラマツの紅葉が広がっています。アニメ映画「風の谷のナウシカ」(英語版仏語版の予告編)のラストシーンでナウシカが、巨大なオームの大群に囲まれて、その黄金の触覚(金色の野)に持ち上げられるシーンが思い浮かびます。 

金色の野を15分ほど歩くと宝永第一火口に出ます。
 
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2010_11020095_2 火口壁は案内標識が新しくなっているだけで7年前とまったく同じ佇(たたず)まいです。
 
 
 
 

2010_11020096_2 前回は火口まで下りて反対側へ横断しています。
 
 
 
 
 

2010_11020099_2 火口壁の上部の砂礫(されき)を宝永第二火口付近まで下りて美しく冠雪した山頂方向を見上げました。
 
 
 
 

2010_11020103_2 須山口四合五勺(水ヶ塚コース)との分岐点から宝永遊歩道に入りました。こちらも金色の森を歩くようです。六合目より風が弱いためカラマツはテーブル型から枝が一方向だけに伸びる旗型樹形に変わります。 
 
 

アップダウンと一部に岩場もありますがちょっとしたハイキングコースと言ったところ。
 
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すっかり落葉したダケカンバやモミが交じる黄金色のカラマツ林に紅葉しない松が徐々に増えてきました。ちなみにカラマツは普通の松と違い紅葉する落葉針葉樹です。
 
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途中誰にも出会わず、50分後に新五合目の駐車場に戻ると、同行者は予定より遅いとちょっと不満顔。「片道が30分と言った・・」と子供のような言い訳をする。(続く)

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2010年11月 5日 (金)

富士箱根の紅葉 水ヶ塚から富士山表口五合目へ

2010_11020001 夜が明けたばかりの東名高速道路を走りました。海老名SAで軽い朝食をとって厚木ICに差し掛かると丹沢の大山(標高1252m)がシルエットのように浮かび上がっています。平日の早朝に快適な高速ドライブを楽しんだあと、御殿場ICから県道401号(箱根裏街道)へ。 
 

2010_11020018 御殿場市街地を抜けて富士山スカイライン(県道23号)に入りました。御殿場から富士宮までの周遊区間と表口五合目までの登山区間で構成される富士山南麓の山岳道路で、ブナ・モミ・カラマツなどの樹林帯の中を走ります。標高600mからから2400mまで標高に応じて紅葉の移り変わりが見られる楽しいドライブコースです。 

2010_11020024 観光情報によると主な植生は、標高2000~2400mでカラマツ、イタドリなど、標高1500~2000mではナナカマド、コメツガなど、標高1000~1500mではブナ、カエデ、ヒメシャラなど。 
 
 

2010_11020023 富士山スカイラインは陸上自衛隊滝ヶ原駐屯地脇を抜けると高度を上げて中畑地区へ入ります。路傍の気温計が3度を表示していました。 
 
 
 

2010_11020027御殿場口登山道への分岐点から県道152号となった富士山スカイラインは赤塚と馬ノ頭、次郎右衛門塚を過ぎ、片蓋山(かたぶたやま、標高1488m)付近で裾野市(すそのし)に入りました。 
 
 

2010_11020037 水ヶ塚公園駐車場は富士山スカイライン沿いで富士山を展望する場所として有名です。ちなみに富士山スカイラインの正式名称は表富士周遊道(延長34.5km)、1994年から無料で一般開放されています。 
 
 

2010_11020042 富士山に60以上ある(100以上とする説も)寄生火山(側火山)のひとつである腰切塚(こしきりづか、標高1496m)がすぐ近くに見えます。水ヶ塚(みずがづか)公園の案内図には腰切塚の山頂を経由する遊歩道が表示されていました。駐車場に近い場所に雪遊び広場(そり専用ゲレンデ)のスロープが見えます。 

2010_11020040 富士山の一合目と二合目の中間に位置するこの場所は早朝であるためか霜柱を見ることができました。中年の男女が数人山歩きの準備を始めました。冬山に登る装備ではありませんから五合目辺りまで登るのでしょう。
 
 

2010_11020038 駐車場の反対側(西端)に数人の中年男性が一箇所に固まって写真撮影をしています。紅葉越しのアングルで頂上付近が冠雪した富士山を撮影していたのです。
 
 
 

2010_11020033 邪魔にならないように私も同じ場所から軽く2-3枚撮影しました。紅葉前線がすぐ近くまで下山しているようです。 
 
 
 

2010_11020044 東臼塚付近で富士市となり、県道152号は富士宮口二合目のT字路(標高1460m)を右折して13km先の富士山新五合目を目指します。例年、登山区間は11月中旬に冬季封鎖されますから通行できるのもあと2週間ほどです。 
 

2010_11020053 かって有料道路であった名残(なごり)のゲートを通過すると三合目から五合目にかけての紅葉がクローズアップされてより鮮やかになりました。
 
 
 

2010_11020059 富士宮市に入るといつも楽しみにしている七曲り(ヘアピンコース)が続きます。色付き始めた木々の葉が美しく広がり始めました。写真は紅葉した黄葉のカラマツ(唐松)と赤く染まったナナカマド(七竈)です。 
 
 

2010_11020060 富士宮市と富士市の市街地と静岡市の清水港辺りまでの海岸線がはっきり見えます。
 
 
 
 

2010_11020061 山頂方面には紅葉前線が下がってくる様子が見えます。
 
 
 
 
 

2010_11020062 七曲りのスピード・ドライブを楽しみながら紅葉したカラマツ林の中を走り抜けます。
 
 
 
 

2010_11020064 行き交(か)う車が少ないので紅葉をながめる余裕も・・。
 
 
 
 
 

2010_11020073 表口五合目(富士宮ルート新五合目)の駐車場からは駿河湾が一望できます。ちなみに新五合目の名称は山梨県側の吉田口ルート五合目と混同しないように付けられたそうで、御殿場ルートと須走ルートも同様に新五合目となっています。
 

2010_11020072 愛鷹(あしたか)連峰の先には西伊豆の海岸線が朝靄(あさもや)に包まれて幻想的な雰囲気です。 
 
 
 
 

2010_11020077 表口五合目(標高2400m)の売店は8月下旬からオフシーズンに入って閉鎖されています。大きな駐車場には車が数台寂(さみ)しく停まっていますが人影はほとんどありません。キノコ狩りにでも出掛けているのでしょうか。 
 

2010_11020065 9月から富士宮ルートの登山道は通行禁止になっていますが、訪れた時(11月2日)は六合目までは登れると表示されていました。(続く)

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