« 2010年12月 | トップページ | 2011年2月 »

2011年1月に作成された記事

2011年1月30日 (日)

行基菩薩と観音埼灯台

横浜横須賀道路を終点の馬堀海岸ICまで走り、国道16号に出てからは馬堀海岸を走水方面へ向い、観音崎京急ホテルが見えると国道16号も終点です。国道16号は首都圏を環状に結ぶ道路で千葉県富津市富津岬の入口)まで続いています。
 
2011_01260007 
 
県道209号となった道路を進むと観音崎レストハウス。その向い側にある駐車場に車を停めて案内図に従って観音埼灯台を目指しました。これまで観音埼灯台をはじめとする三浦半島の灯台は2-3度訪れていますが、今回は行基菩薩縁の地として訪ねることにしました。ちなみに崎と埼の違いは埼玉県の地名の由来で説明しています。

観音埼灯台へは右手の市道でトンネルを抜ける反時計回りでも行けますが、行基菩薩縁の場所は海沿いですから観音崎の石碑がある左手の平坦な散策路を歩きました。丘の上に見えるのは観音埼灯台ではなく、航行管制・航行情報提供の業務を行う東京湾交通センター(海上保安庁の機関)です。
 
2011_01260014 
 
磯釣りをする人たちの沖合に第一海堡(かいほ)が見えます。第一海堡は東京湾を外国の戦艦から守るために1890年(明治23年)に人工島に築かれた東京湾要塞の一つです。上空から見るとブーメラン型をしています。1923年(大正12年)の関東大震災で被害を受けて復旧する際に大改造されたそうです。富津岬を訪れた時にはもっと間近(1km余りの距離)に見えました。
 
2011_01260017 
 
右手の崖に大きな海蝕洞(かいしょくどう)がありました。コンクリート製の立派な案内板には洞窟の由来が説明されています。『聖武天皇の御代天平13年(741年)の春、行基菩薩は諸国修行の途中ここに来られ、この洞窟に棲んでいる大蛇が漁民や運漕(筆者注;船で貨物を運ぶ)の人々を苦しめているのを聞かれ、大蛇を退治してその霊を鵜羽山権現として祀られました。(中略)この洞窟の沖で入水して海を鎮められた弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと、日本武尊の妃)を十一面観音(船守観音)として刻まれ(近くの走水神社の側に)安置され・・・』と。もう一つの案内板には『江戸時代には観音堂(観音寺)が創建されましたが、明治13年(1880年)に陸軍の砲台が建設された時に少し西の鴨居地区へ移設されたそうです。』とも。ちなみに観音崎の地名はこれに由来し、海上安全の霊地と伝えられます。
 
2011_01260023 
 
急な石段を上って観音埼灯台を目指すと寒風で冷えた身体が汗ばんで来ました。道標の右後方に見えるのは第2海堡です。
 
2011_01260029 
 
緩やかなスロープとなった舗道が崖崩れ防止工事のため極端に狭くなっていました。
 
2011_01260032 
 
観音埼灯台に到着しました。浦賀水道を照らす高さ19mの中型灯台は、純白の八角形で、日本の灯台50選に選ばれています。明治2年(1869年)にフランス人ウェルニーによって建設されて点灯した日本最初の洋式灯台でしたが、関東大震災など2度の地震で倒壊したため、現在の灯台は3代目に当たるそうです。協力費として200円を支払うと灯台内部と資料展示室が見学できます。
 
2011_01260033 
 
高浜虚子の句碑「霧いかに 深くとも嵐 強くとも」
 
2011_01260036 
 
灯台の最上部には巨大なフレネルレンズ付きの灯器がレールを使った免震構造(緩衝装置)の上に載せられていました。何れの方向にも40cmの幅でスライドできると説明されています。
 
2011_01260045 
 
灯台から出て浦賀水道を眺めていると外洋へと向かう何やら不思議な船の航跡が続いていました。真っ黒な船体は他の船と明らかに違います。目を凝らして見ると潜水艦でした。浮上航行していますが国旗(軍艦旗)を上げていません。そのため何れの国のものか不明ですが場所からみて海上自衛隊あるいは米海軍のいずれかでしょう。
 
2011_01260046 
2011_01260050 
 
浦賀水道を出た館山方面には釣船と思われる無数の船が航行しています。
 
2011_01260051 
 
目を北方へ転じると約6km先にある第一海堡が先ほど海岸で見た時よりも近くなったように思われます。その先には東京湾アクアラインの風の塔が第一海堡と重なるように位置しています。受付の女性から観音崎公園へも足を伸ばすように勧められましたが、例によって「梯子(はしご)ドライブ旅」が好きな私は次の目的地へと急ぎました。(続く)
 
2011_01260059

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年1月26日 (水)

武蔵小山温泉清水湯

都道304号(晴海通り)で勝鬨橋を渡って築地と浜離宮恩賜公園前を通過、南浜橋交差点から国道130号(旧海岸通り)を経由して国道15号(第一京浜)、さらに国道1号に出て都道317号(山手通り)からかむろ坂を上りました。目黒不動を参拝した時に歩いた桜並木です。尾山台1丁目の交差点を左折しました。

この日の日帰り温泉に選んだのは武蔵小山温泉清水湯です。スーパーのライフがある交差点の右前方にある清水湯の駐車場に車を停めました。12時(日曜は午前8時)から営業していますが、到着した12時半頃には10台余りのスペースがある駐車場はほぼ満車、1箇所だけ空いていたのは幸運です。
 
2011_01210103
 
昔ながらの温泉銭湯が2008年5月にリニューアルされました。銭湯ですから入浴料金は450円。
 
2011_01210105
 
2種類の温泉が楽しめるのが清水湯のセールスポイントです。「黄金の湯」は最近掘られた温泉で、泉質はナトリウム塩化物強塩温泉、黄土色がかった古代海水温泉です。1994年からあった黒湯(泉質は重炭酸ソーダ泉)も健在。
 
2011_01210106
 
内風呂は黒湯(ジェットバス・電気風呂)と黒湯の水風呂、半露天風呂は小さな岩風呂の黒湯と階段で少し高くなった場所にある岩風呂の「黄金の湯」。源泉掛け流しですが浴槽は小さ5-6人も入れば超満員になります。人気が高いためか、あるいは地元の人たちの歓談場所になっているのか、空き待ちが必要でした。小さなサウナもありますが別料金(400円)。2階にある岩盤浴は入浴込みで1300円です。
 
2011_01210110
 
銭湯の料金で2種類の温泉が楽しめるのは贅沢ですが、新しい施設のやや手狭な浴室は混雑しているのが玉に瑕(きず)です。平日の昼間に利用するのが良いでしょう。
 
2011_01210114
 
同行者はロビーにあるドリンクサーバーで黒乃屋の大黒黒酢(りんご味、100円)を飲んだ後、入口横に並べられた長ネギ(200円)と小さな人参(無料)を抱えて満足そう。

 
2011_01210112
 

<同行者のコメント> 誰もいないサイクリング・コースを走るのは物好きな旦那さまらしいです。二人乗りでしたから私はほとんど漕がなくても済みましたが登り坂だけはちゃんと手伝いましたよ。ディズニーリゾートがすぐ目の前に見えたのに・・・。銭湯はきれいでよかったです。露天風呂に2種類の温泉があったことをあとで知りました。上の段の岩風呂は混んでいたので入らずに諦めました。ちょっと残念。でも、りんご黒酢が飲みやすくて美味しかったことと、人参をタダでもらえたのはとてもうれしい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年1月24日 (月)

都立若洲海浜公園のサイクリングコース

午前9時30分から利用できるレンタサイクル(タンデム型)を1時間借りて約6kmあるサイクリングコースを走ることにしました。乗り場にはまったく人影がなく、手続きは江東区立若洲公園の事務所で行うように貼紙がしてあります。
 
2011_01210026 
 
水仙が咲くキャンプ場の脇を抜けます。

 
2011_01210027 
 
サイクリングコース上を我が物顔で歩く猫の面構えはなかなかのものです。
 
2011_01210030 
 
東京ゲートブリッジの取付け道路工事のためだと思われますが、サイクリングコースが片側車線に規制されています。
 
2011_01210060 
 
その取付け道路(高架)の下を潜(くぐ)ると、防波堤と直角に人工磯が伸びています。巨大な岩が積み上げられた人工磯は迫力がありました。
 
2011_01210043 
 
丸太が乱雑に放置されています。何だろうと近づくと空から見るオブジェの蟹でした。東京ゲートブリッジが完成するとナスカの地上絵のように取付け道路から全貌が見られるかもしれません。
 
2011_01210065 
 
浚渫船(しゅんせつせん)のずっと沖合に東京湾アクアラインの換気施設である「風の塔」(川崎人工島)を確認することができました。
 
2011_01210066 
 
若洲ゴルフリンククスの外周に従って大きく左へターンすると、予期しなかった東海道五十三次の案内板と京三条大橋の浮世絵が立て看板になっていました。東海道五十三次は日本橋から京三条大橋まで120余里(約495km)の道のりがありましたが、これを250分の一に縮小してサイクリングコース脇に各宿場の浮世絵が設置されているのです。最初が京三条大橋ですから逆上る(京都からみれば下る?)順番です。実物の東海道五十三次を日本橋から宮宿(名古屋市熱田区)までドライブ旅したことを当ブログで紹介しています。
 
2011_01210069 
 
赤く錆びた錨(いかり)がオブジェのように並べてあります。その近くに自転車を停めて日向(ひなた)ぼっこをする人を見掛けました。自前の自転車のようですから地元の人でしょう。写真の右上に写るのはタンデム車に一人で乗る同行者。東京湾の景観を楽しんでいるようです。
 
2011_01210070 
 
「海の王座」と名付けられたオブジェ
 
2011_01210076 
 
左にカーブすると対岸に東京ディズニーリゾート、右手に房総半島などが一望できます。
 
2011_01210077 
 
一直線にどこまでも伸びるサイクリングコースの右手前方には葛西臨海公園の観覧車が見えて来ました。左側のネットはゴルフ場から飛び出す恐れのあるボールからサイクリングコース利用者を防御するためでしょう。
 
2011_01210079 
 
蔦(つた)のトンネルを潜ります。
 
2011_01210080 
 
お台場の石が無造作に置かれています。
 
2011_01210084 
 
ついに日本橋に到着。宿場間の距離が微妙に異なるのは正確に縮尺したためでした。
 
2011_01210086 
 
白いとんがり帽子のようなものは内部に螺旋階段が付けられた展望台、葛西臨海公園はすぐ目の前に迫っています。
 
2011_01210087 
 
サイクリングコースの折り返し地点には展望台がありました。東京ヘリポートを発着するヘリコプターを間近で見られる展望スポット。
 
2011_01210090   
 
東京スカイツリーも遠望できます。
 
2011_01210091 
 
りんごのオブジェ
 
2011_01210096 
 
前半に東京湾の展望とオブジェをゆっくり楽しんだため、復路はかなりのペースでペダルを漕ぐはめになり、取付け道路下のアップダウンで息が切れてしまいました。
 
2011_01210095   
 
ちなみに江東区立若洲公園は都立若洲海浜公園の一部が江東区に割譲された経緯がありますが、両者は一つの公園のように機能しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年1月22日 (土)

江東区立若洲公園と東京ゲートブリッジ

首都高速でレインボーブリッジを渡り、有明JCTから入った湾岸道路の新木場出口を新江東清掃工場と新木場駅を左右に見ながら下りました。荒川湾岸橋の手前を右折して倉庫街に入ります。以前、東京ヘリポートを見にきた場所ですが、今回はさらに先の若洲公園が目的地です。

砂町南運河に架かる若洲橋を渡って15号地にある若洲ゴルフリンクスの脇を通過。昭和40年代にゴミの廃棄物で埋め立てられた造成地がゴルフ場として整備されました。といっても18ホール(6906ヤード)の本格的なゴルフコースです。このゴルフ場は都立海上公園の若洲海浜公園です。工事中の高架道路の下を潜って折り返したところに江東区立若洲公園の駐車場がありました。

 
2011_01210022 
 
江東区立若洲公園にはキャンプ場・サイクリングロード・多目的広場・海釣り施設などがあります。
 
2011_01210023   
 
人の気配がまったくないキャンプ場を横切って歩きます。
 
2011_01210058   
 
時々訪れる幕張メッセへの道中に京葉線新木場駅のホームから見える奇妙な形をした橋が常々気になっていました。ほぼ同時期に建設されている東京スカイツリーは大きく注目されていますが、私にはそれと同様に興味深い建築物です。
 
2011_01210032 

左右から鳥のくちばし(あるいは恐竜の頭部)が伸びていますが、それらをつなぐ中央径間トラス桁(全長440m)で見つかった損傷部を撤去する作業が1月9日に完了、補修部新設桁の架設は1月下旬の予定であることが報じられました。そんなタイミングを見計らって訪れたのです。両側のトラス桁がつながるのは2月下旬になりそうです。

三角形に繋いだ鋼材を組み合わせトラス構造の橋(橋脚は鉄筋コンクリート製)ですが、スルートラスとデッキトラスを組み合わせた構造は通常のトラス橋とかなり違う外観になっています。城南島から臨海トンネルでつながる中央防波堤(内側埋立地と外側埋立地)と若洲地区を結ぶこの橋は、全長2933m(海上をまたぐ長さは1618m)、第三航路を行き来する船が下を容易に通行できるように海面から桁下までの高さはスルートラス構造(下路式)を採用して最大54.6mもあります。

臨海大橋の仮称で2009年から架橋工事が始まりましたが、昨年11月に正式名称が「東京ゲートブリッジ」と決まり、今年中には完工して2012年に開通する予定だそうです。高架となったアクセス道路の途中に歩行者用の展望塔がそびえていまました。これが完成すると若洲公園から螺旋階段を登って東京ゲートブリッジの歩道へアクセスすることが出来るそうです。
 
2011_01210035 

キャンプ場を抜けると東京湾に出ました。
 
2011_01210048

2011_01210037
 
中央防波堤(内側埋立地)のずっと先に丹沢山地(大山)越しの富士山を望むことができます。今は荒涼とした埋立地ですが、苗木を約48万本植樹して美しい森にする計画「海の森」プロジェクトの計画で、2016年(平成28年)に夢の島のような緑の公園になる予定だそうです。ちなみに中央防波堤の内側埋立地と外側埋立地の住所は大田区と江東区がそれぞれ帰属を主張しているために未定なのだそうです。
 
2011_01210050 

海釣り施設のある防波堤(長さ570m)まで歩いてみました。
 
2011_01210041 
 
東京湾側には人工磯(長さ480m)は自然環境を保全するために造られたそうです。
 
2011_01210071   

この橋を含む東京港臨海道路が完成すると、現在は青海・有明を経由するコンテナ輸送の道路混雑を緩和するとともに、湾岸道路のバイパスとして辰巳・新木場周辺の混雑を解消する目的で建設されています。下の写真は東京ゲートブリッジの建設に備えて平成22年に分割移転した東京東航路・15号地南信号所です。
 
2011_01210073   
 
東京ゲートブリッジ(東京港臨海道路)は一般道として無料となる予定であり、視界を遮る構造物がほとんどありませんから、東京港や都心を一望することができる人気スポットになりそうです。(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年1月18日 (火)

横浜天然温泉「くさつ」

京急弘明寺駅脇の踏切を渡って路地を抜けました。県道218号(平戸桜木道路)に出て井土ケ谷駅方面へ700mほど走った所に今回の日帰り温泉に選んだ「横浜天然温泉くさつ」がありました。名称と外観はスーパー銭湯のようですが普通の銭湯です。それにしてもなぜ「くさつ」なのでしょうか?
 
2011_01110091 
 
路地裏に入ってマンションの1階にあるコインパーキングに車を停めて専用ドアを開けると七福神のタイル絵が飾られた銭湯の入り口に出ました。ゆったりとしたスペースに下足箱が並んでいます。エレベータで2階へ上がって券売機で利用券(平日は450円)を購入しました。ちなみにサウナ付入浴は750円です。
 
2011_01110094
 
フロントで利用券・下足箱の鍵・駐車券を手渡してロッカーの鍵を受け取りました。銭湯の利用者は駐車料金が無料なのです。営業時間は正午(12時)からですが土日は10時からと表示されていました。昔ながらの銭湯であった旧草津湯が6年ほど前にマンションの一部として建て替えられたようです。
 
2011_01110096 
 
細長いロビーを進むと男湯と女湯が並んでいますが、日替わり(偶数日と奇数日)で浴室が入れ替わる仕組みになっており、この日は左手が男湯でした。ロビーの奥(上の写真で手前)は軽食コーナーとなっています。
 
2011_01110104 
 
脱衣場はそれほど広くはありませんが清潔感があります。天井の高い浴室に入ると浴槽が並んでいました。左手には真湯浴槽・熱めに加熱された黒湯浴槽・真湯ジェットバス、右手前に黒湯の源泉浴槽の配置です。洗い場はL字型に配置されています。まず左手の浴槽をはしごしたあと、源泉風呂(約18度と冷たい)と熱めの黒湯浴槽(約43度)を交互に楽しみました。黒湯は循環されているようです。地下135mから湧出する黒湯は綱島温泉のように色が濃く、泉質はナトリウム-炭酸水素塩泉(純重曹泉)で、源泉の温度は17.8℃と表示されています。
 
2011_01110101 

サウナをガラス窓越しに覗(のぞ)くとちょっと小振りです。その先に進むと檜風呂と表示されたドアがありました。中は予想以上の広さで露天風呂のような雰囲気が演出されていますが、階上がマンションになっていますから、空を見ることはできません。もう一方の浴室(この日の女湯)は岩風呂になっているそうです。清潔感に溢れた施設と良質の黒湯が楽しめるこの銭湯は期待以上で満足できました。

京急の弘明寺駅から南へ400mほど路地を入ったガード下にスーパー銭湯の天然温泉「みうら湯」もあるようですから機会があればこちらにも立ち寄ってみたいと思います。

<同行者のコメント> 横浜の温泉へ行くと聞いて出掛けたのですが着いたのは弘明寺の商店街でした。安い値札にひかれてあちこちの店をのぞいて買い物を楽しむことができました。お寺にお参りしたあとは温泉のはずですが意外にも大通りに面したマンションの駐車場に到着! お客が少なかったのできれいなお風呂で温泉をゆっくり楽しむことができました。お風呂から上がったあとはソフトクリームとコーヒー牛乳のどちらにするかを決めかねて真剣に悩んでしまいました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年1月17日 (月)

弘明寺観音

弘明寺観音と呼ばれる瑞應山蓮華院弘明寺の本尊は行基大僧正(行基菩薩)が刻んだと言われる木造十一面観音立像で、国の重要文化財に指定されています。空海(弘法大師)も双身歓喜天(弘明寺聖天)を刻んでこの寺に安置しており、坂東三十三箇所観音霊場の十四番札所(高野山真言宗)でもあります。行基と空海に縁の深いこの寺に一度参拝してみたいと思っていました。

江戸時代に再建されたといわれる仁王門をくぐります。2002年(平成14年)に改修工事が行われたようです。
 
2011_01110043 
 
両側から仁王の木像が睨(にら)みをきかす仁王像は、13世紀後半の作と伝えられ、横浜市の有形文化財に指定されています。
 
2011_01110045 
 
右手の六地蔵にはたくさんの千羽鶴と生花が供えてありました。ちなみに六地蔵とは六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)において人々の苦悩を救済する地蔵菩薩のことで、釈尊入滅のあと弥勒菩薩(みろくぼさつ)が出現して人々を救うまでのあいだ衆生救済を仏から委(ゆだ)ねられた現在仏なのです。
 
2011_01110077 
 
急な石段を登りました。

 
2011_01110044   
 
石段の途中にある身代地蔵菩薩は京急電鉄が2001年に奉納したものだそうです。
 
2011_01110050 
 
石段を登りきると右手に善無畏(ぜんむい)三蔵法師が結界を立てたという御霊石「七ツ石」があります。
 
2011_01110067 
 
鐘楼堂は1998年(平成10年)に解体修理されたようです。梵鐘は1798年(寛政10年)の鋳造で横浜市指定文化財に指定されています。
 
2011_01110054 
 
本堂に向かって左手にある大師堂は弘法大師を奉安するお堂です。閻魔(えんま)大王と奪衣婆(だつえば、はぎ取り婆さん)の像がありました。左端は高野山のマスコットキャラクターの「こうやくん」です。閻魔大王は人が死んであの世に行くと、この世で行った業(ごう)によって裁きを行い、善業を行った人は極楽に、悪行を行った人は地獄に送られると言われます。その裁きを受ける前にはぎ取り婆さんが待ち構えていて、人が身に付けている衣服はもちろん、地位も、名誉も、肩書きも、すべてはぎ取り丸裸にされて閻魔大王の前に突き出されるのです。そこで閻魔大王は「おまえ、何者ぞ」と問うのです。その時、何も答えることができない人は地獄に落とされ、答えることが出来た人は極楽に行くことができるというのです。(公方俊良著「心に響く般若心経」より)
 
2011_01110061 
 
大師堂の先にある聖天堂(しょうてんどう)には弘法大師が818年(弘仁9年)に回国(諸国を回って歩くこと)の際、この地に不思議な力を感じて彫られた聖天(大聖歓喜天)が安置されています。
 
2011_01110056 
 
1044年(寛徳元年)に光慧上人が建立された本堂は1766年(明和3年)に智光上人により再建されたそうです。本堂内は撮影禁止。本尊の十一面観音像は彫刻の形式から平安時代中期(10世紀から11世紀にかけて)の作であると寺のhpに説明されていました。残念ながら奈良時代の7世紀から8世紀にかけて存在した行基大僧正の作ではなさそうです。
 
2011_01110051 
 
本堂の前に案内看板が立っています。御本尊様に常花として供えられた木造黒漆花瓶(くろうるしけびょう)は、室町時代初期の作と伝えられ、横浜市指定有形文化財に指定されています。本道の右手には京急弘明寺駅へと続く参道がありました。
 
2011_01110057 
 
石段を下りる時に弘明寺商店街のアーケードが見晴らせました。
 
2011_01110073
 
コインパーキングに戻る途中、同行者は果物と野菜の店「キャロット」ではっさくとミカンも買い求めています。(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年1月16日 (日)

弘明寺商店街

第三京浜を横浜方面に走りました。保土ヶ谷ICで横浜新道に入って新保土ヶ谷ICから先は横浜横須賀道路で別所ICまで快調なドライブです。市道を経由して合流した県道21号(横浜鎌倉線、鎌倉街道)を保土ヶ谷方面へ戻ります。高速道路が入り組んだこのエリアは首都高速神奈川3号狩場線を経由しても行けますが、永田出入口あるいは花之木出入口は一方通行のため、横浜市中心部を経由する必要があり不便なのです。

南警察署の先に見える立派な建物は横浜国立大学附属横浜中学校です。鉄格子の塀を背にして「横浜国立大学工学部(旧横浜高等工業学校)発祥の地」の石碑があり、校門のすぐ横(横断歩道の正面)には鎌倉街道の石碑も立っていました。
 
2011_01110018_2
 
校門の前に立つと鎌倉街道の反対側にアーケードに覆われた「弘明寺かんのん通り(弘明寺商店街)」が一直線に伸びています。明治末期に整備された道沿いに戦後生まれた闇市が発展して門前町となったそうです。その右手には横浜市営地下鉄ブルーライン弘明寺(ぐみょうじ)駅の西口も見えます。
 
2011_01110025
 
「弘明寺かんのん通り」を行き過ぎたところに入り口があるコインパーキングに車を停めました。急に思い立ったドライブ旅のためすでに昼時を少し過ぎています。さっそくすぐ近くの「うどん伊之助」に入りました。私はお目当ての「鍋焼うどん」、同行者は本日のおすすめである「白す丼と刺身定食」を注文。
 
2011_01110013
 
二品とも期待通りの美味しさです。いつもはご飯をほとんど食べない同行者は「しらす丼」を完食してしまいました。私がお裾分けをもらったことと小振りの茶碗に上品に盛られた「しらす丼」が美味しかったからでしょう。
 
2011_01110012
 
腹ごしらえを終えて「弘明寺商店街」を歩きました。横浜でもよく知られた昭和の雰囲気がそのまま残る商店街は今も活気があります。この魅力ある商店街は映画やテレビのロケがよく行われるそうです。
 
2011_01110027
 
同行者は三代目茂蔵(しげぞう)に入って「枝豆とうふ」と「とうふプリン(ゴマ)」を買っています。大豆づくしのような前者はさっぱりしたとうふの旨さが感じられ、後者はプリンの食感と胡麻風味に特徴があります。あとで知りましたが三代目茂蔵は多彩な豆腐製品の工場直売を売りにする創作豆腐のブランドで、埼玉県越谷市の篠崎屋が関東を中心に158店舗を展開していました。
 
2011_01110029
 
京染の濱田屋で見かけた猫の人形です。今年は卯年のはずですが! そういえば「うどん伊之助」でもレジの横に招き猫が何体か飾られていました。
 
2011_01110030
 
「自家製門前だんご」の幟(のぼり)がある和菓子の金米堂(きんぺいどう)では同行者が弘明寺餅を目ざとく見つけました。うさぎの形をしたかわいい饅頭(まんじゅう)も気に入ったようで「これも買おうか?」と・・・。
 
2011_01110083
 
桜の名所である大岡川に架かる観音橋を渡ります。戦国時代の昔には大岡山河口付近に弘明寺の門前があり、川の水を利用する捺染(なっせん、プリント)産業が盛んだったそうです。
 
2011_01110033

2011_01110082
 
太陽光発電システムがアーケード上に設置されていました。昼過ぎの発電量は5kW強と表示されています。
 
2011_01110035
 
浜屋茶店には「観音おこし」が何種類も並べられています。観音様とおこしの関係は?
 
2011_01110037
 
長さが312mもあるアーケードが途切れると弘明寺の仁王門と銅板葺された本堂の屋根が見えて来ました。右手前には全国でフランチャイズ展開するラーメン店「らあめん花月」の看板が見えます。(続く)
 
2011_01110041

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年1月 8日 (土)

復活の年 2010-2011年 三箇日編

わが家の元日は全日本実業団駅伝のテレビ中継で始まりました。午前9時10分にスタート、2年前と同様に3チームのアンカーがゴール寸前まで競い合う熱戦となり、わずか1秒差で2年前の優勝チーム富士通に競り勝ったトヨタ自動車が初優勝、3位となった日清食品は残念ながら2連覇を逃(のが)しました。

元日の夜は毎年楽しみにしているウィーンフィルのニューイヤー・コンサート。昨年のジョルジュ・プレートル氏の指揮がまた観られることを期待していたのですが、2008年にも指揮していますから、さすがに連続出演は無理があるようです。ニューイヤー・コンサート2011年でウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮するのは昨年ウィーン国立歌劇場(ウィーンフィルの母体)の音楽総監督に就任したフランツ・ウェルザー・メスト氏。同歌劇場の音楽監督を昨年辞任した小沢征爾氏と入れ替わる形です。ロンドンフィル、チューリッヒ歌劇場、クリーブランド管弦楽団で音楽監督を歴任した経歴を持つ、まだ50歳と若いウェルザー・メスト氏がどんな演奏を聴かせてくれるのか楽しみ。 

午後7時からNHK教育テレビで生中継が始まりました。最初の曲は「騎兵行進曲」作品428(ヨハン・シュトラウス)、期待していた私は何か物足りなさを感じました。少し固い印象があり、リッカルド・ムーティ氏の個性の強さやプレートル氏の楽しさなど指揮者の存在感が感じられなかったからです。「ドナウ川の乙女」作品427(ヨハン・シュトラウス)・「アマゾン・ポルカ」作品9(ヨハン・シュトラウス)と曲が進むにつれて私は徐々にその指揮振りに慣れはじめたようです。「シェーンブルンの人々」作品200(ヨーゼフ・ランナー)は貴族的で優雅な雰囲気を漂わせます。

第2部ではウィーンフィルを自在にリードするウェルザー・メスト氏の力量が少し分かったような気がしてきました。作曲家の楽譜に忠実であることと真摯な指揮が同氏の基本スタイルのようで、完成度の高さを感じさせます。上品で颯爽(さっそう)とした風貌(ふうぼう)さながらの演奏であり、選曲は玄人(くろおと)好みの地味なものですが、ウィーンフィルの魅力的なサウンドはまったく変わりありません。 

美しく青きドナウ」はオーストリア人指揮者ならではのゆったりとしたウィンナ・ワルツ独特のリズムを聴かせる演奏になりました。テンポの速いポルカも楽しめました。アンコール曲の「ラデツキー行進曲」もムーティ氏やプレートル氏とはまた違う魅力がありました。堅実で外連味(けれんみ)のない指揮です。

ヘルベルト・フォン・カラヤン氏以来、約50年ぶりにオーストリア人を音楽総監督に就任させたウィーン国立歌劇場がウェルザー・メスト氏に期待するものの大きさを感じます。保守的と言われるウィーンフィルがどのように変わるか期待が持てそうです。

2日は箱根駅伝が午前8時にスタート。天候に恵まれて往路はハイペースの展開で大変な混戦となりましたが、終始先頭を維持した早大を第5区の山登り区間で前年同様に東洋大が逆転して往路で勝利。翌3日は第6区の山下りで早大選手が前夜の降雪と冷え込みで凍(い)てついた下りカーブで転倒しながらも劇的な再逆転。その後も安定した走りで首位をキープした早大は、2位の東洋大学に21秒差をつけてゴール。18年ぶりに13度目の優勝を果たすとともに東洋大学の3連覇を阻止しました。これにより駅伝の古豪である早大が今季の学生駅伝3冠を達成して完全復活を遂げました。ゴール直前のシード権争いも激烈で印象的な幕切れに。

同じ3日の午後10時からNHK総合テレビで放送された「世界のマエストロ小沢征爾 入魂の一曲」を観ました。2010年1月に食道ガンで食道の全摘出手術を受けた小沢さんの近況を紹介する番組です。もともと痩身(そうしん)であった小沢氏が、15キロも体重を減らしたうえ腰も痛めた身体で、奥志賀高原で行われた「若い人のための室内楽勉強会」(8月3日)で森のオーケストラを指導する様子、サイトウ・キネン・オーケストラを指揮してチャイコフスキー「弦楽セレナード ハ長調 作品48」の練習風景、9月5日‐6日に松本文化会館で開催された「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」の演奏会などを記録したドキュメンタリー番組です。

この演奏会で小沢氏は腰痛のため第1楽章のみの指揮(他の曲は下野竜也氏)でしたが、椅子に腰掛けたり立ち上がったりしながら、小沢氏らしい鮮やかなタクトさばきを見せました。ちなみにサイトウとは小沢氏が師事した桐朋学園大学教授であった齋藤秀雄氏のこと。約7分間の演奏後は満面の笑みを浮かべた姿が印象的。インタビューでは音楽について同氏の考えを熱っぽく語りました。「小沢征爾は世界のひのき舞台への復帰を果たした」の言葉で45分間の番組が終了。

巣ごもりの年末年始に放送された多くのテレビ番組で邂逅(かいこう)した言葉に触発されたようで私自身も復活に向けて歩き出したくなりました。 

<同居者のコメント> 旦那さまは大晦日の音楽を十分楽しんだようです。私は一足先に白川夜船でしたが・・。元日はウィーンフィルのニューイヤー・コンサートをテレビで見ました。毎年バレー演技を楽しみにしています。今年もその美しさに大満足でした。どうしたらあんな風に軽やかに踊れるのでしょうか。うらやましいですね。生花の飾りつけも、バレーの衣装と同様にいつものような豪華さではなく、白とピンクを中心とした淡い色彩がとてもきれいでした。
 
本栖湖畔から見る逆さ富士(2010年11月撮影) 
2010_11210252

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年1月 7日 (金)

復活の年 2010-2011年 大晦日編

大晦日の夜、一年を振り返りながらひとり静かに水割りを飲んでいると、オチビちゃんとコチビちゃんのお母さんから銀世界に包まれた高速道路の写真が送られて来ました。気になってNHK総合テレビにチャンネルを合わせると「ニュース7」が各地の雪情報を報じています。なかでも山陰地方の鳥取では国道9号が通行不能となり米子空港も閉鎖されたことも。 

NHK紅白歌合戦が始まりました。実はテレビ東京の「年忘れ!日本の歌」と「ジルベスターコンサート」の生中継をBGM(バックグラウンドミュージック)に一人酒を楽しむつもりでしたがチャンネルを変えるのを忘れてしまったのです。久しぶりに観るNHK紅白歌合戦は今人気の浜崎あゆみさんと日本レコード大賞を3年連続で受賞したEXILEが両軍のトップバッターとして無難なスタートを切りました。続くAKB48は姉妹グループを動員した総勢130人の大所帯でステージを占領。ニューヨーク市の略号かと思われたNYCはメンバー名のイニシャルの組み合わせだとか!?  

AAAはアメリカのJAFでは?? Flumpoor??? 私の頭に「?」マークがどんどん増殖して行きます。続く平原綾香さんはNHKの動物生態番組でオープニング曲として使われた「Voyagers」を歌いました。クミコさんの「INORI~祈り~」はTBSラジオでよく流されたお馴染みの曲、徳永英明さんのカバー曲「時の流れに身をまかせ」は選曲ミスではないかと思っていると、いつの間にか転寝(うたたね)を・・・。

気がつけば歌番組は後半の2部に入っていました。ベテランの域に達した和田あき子さんは交通事故の後遺症なのか何時になく歌唱に精彩を欠いていましたが、石川さゆりさんの「天城越え」と北島三郎さんの「風雪流れ旅」はさすがと思わせます。そして坂本冬美さんの「また君に恋してる」はNHK紅白歌合戦のトリに相応しいなどと思っていると長い歌番組もそろそろ終わりが近づいています。

紅組のトリを務めたドリカムは好きなグループのひとつですが、歌った「生きてゆくのです」は場違いな印象! 2部のオープニング曲であれば良かったかもしれません。柳の下に2匹目のドジョウ(前回並の高視聴率)を期待したNHKの演出が裏目に出たようです。そして大トリのSMAPも・・・。出場歌手と歌の選定において視聴率を意識し過ぎたようで、歌に込める想いと歌唱力が物足りない歌手も目立ちます。

「歌でつなごう」をテーマとしたことで番組のメッセージはこれまでよりも分かりやすかったのですが、全体としては演出過剰でまとまりに欠けた印象です。開催直前に特別出演が決まった桑田佳祐さんが元気な姿を見せ、都内スタジオからの生中継で新曲を2曲披露、8月に手術を受けた初期の食道癌からの復活を強く印象づけます。おふざけはいつもの通りですが・・。これが貢献したのか2部の視聴率は前年を0.9ポイント上回る41.7%と堅調だったことが13日に発表されました。

最後まで紅白歌合戦を観てしまったことをちょっと悔やみながらチャンネルをテレビ東京(BSジャパン)へ切り替えました。すでに始まっていた東急ジルベスターコンサート第2部でロッシーニのウィリアムテル序曲とショパンのマズルカの演奏が終わったタイミングでした。

東京フィルハーモニー交響楽団と武蔵野合唱団(130名)が古希(こき)を迎えた小林研一郎氏の指揮でマーラーの交響曲2番「復活」をカウントダウン曲として演奏。合唱団が「甦る そう甦るのだ」で静かに歌い始めてソプラノの佐藤しのぶさんの歌声が続くとクセニア・シモノヴァさんの砂絵が登場、さらにメゾ・ソプラノの林美智子さんと佐藤しのぶさんが合唱団と掛け合いをするように独唱、サンドアート(砂絵)がアニメーションのように生き生きした様々な造形を描き出し、ちょうど12時にカウントダウンが終わって会場は拍手の渦に包まれます。

ヴェルディの椿姫から「乾杯の歌」をテノールの高橋淳氏と佐藤しのぶさんがオーケストラ演奏をバックに熱唱、リストの愛の夢第3番を外山啓介氏が繊細なタッチでピアノ演奏。ビゼーのカルメンから「ハバネラ」を林美智子さんが歌い、プッチーニの蝶々夫人から「ある晴れた日に」を佐藤しのぶさんが独唱。

フィナーレはヴェルディの歌劇アイーダから「凱旋行進曲」、西島千博氏が華やかなダンスを披露。アンコールはお決まりの「ラデツキー行進曲」、CMで曲の途中をカットされるのは毎度のこと。1時間15分が瞬(またた)く間に過ぎていました。

正月飾りの川崎大師大山門 
2010_12310029

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年12月 | トップページ | 2011年2月 »