被災された地域の方々へお見舞申し上げます
昨日午後3時少し前に発生した東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)により東日本の広い地域で甚大な被害が出たことをテレビと新聞の報道で今朝になって知りました。地震の発生直後に停電したしたためテレビは見られなくなりました。そのため、ずっとラジオを聞いていましたが、改めて被害の大きさに驚くばかりです。被災された方々に心からお見舞申し上げます。そして一日も早い復旧をお祈り致します。
震源地から約400km離れたわが家も今まで経験したことのない激しさで揺れました。脱出できるようにドアを2箇所開けてから、わが家で一番しっかりした家具である居間の大きなテーブルの下に潜ってひたすら地震が治まるのを待ちました。余震のあとに家の中を見回すと、幸いなことに家具などに異常は見られませんが、家具や棚の上に置いた物が床に散乱していました。
その状況を確認してから車でわが家を出ました。近くに住むチビスケくんの家族が気掛かりで家を訪ねることにしたのです。交差点の信号機はすべて消えており、警官が交通整理に当たっていました。細心の注意を払って混雑のない裏道を走りしました。到着した時、チビスケくんは直前まで遊び回っていたため爆睡中! チビエちゃんもスヤスヤ!! 安心しました。こちらも停電中。防災リュックに入れて持参した防災用ラジオが役に立ちました。時々ハンドルを回して充電する動作で気を紛らしました。
夕方が近づいても電気が復旧しません。チビスケくんのお母さんが近くのコンビニで食べ物を買って来てくれました。おにぎりや弁当などはすべて売り切れていて、菓子類や焼き鳥・サラダなど食べられるものを何とか確保したそうです。暗くなる前にロウソクに火を付けました。そして外出用に羽織った上着とマフラーを防寒のため再び着用しました。携帯電話とメールで身内と連絡を取ろうとしましたがほとんど通じません。メールは何度試みても送信不能。しかしまれには長い時間をかけて届くこともありました。
チビスケくんのお父さんは都心の職場から5時間も歩いて無事に帰宅したことで安心した私と同居者は帰宅することにしました。午後10時を過ぎてもまだ交通信号は復旧していません。わが家に電気が戻ったのは12時近くでした。ラジオを聴きながら床に散乱した物を片付けましたが、時々余震が続くため寝る気にはなれません。同居者が観るテレビでは各地の甚大な被害の様子を生々しい映像で伝えています。余震は段々弱くはなっているようですが朝になってもまだ続いています。
追伸(2011年3月17日)
東日本大震災が発生して1週間近くが経過して、余震も徐々に納まり、わが家の生活もほぼ普段通りに戻りつつあります。計画停電で断続的な停電は続いていますが、おおよその実施時間が発表されていますから影響は限定的です。エアコンの使用を控えて、室内の寒さは厚着をすることと毛布や湯たんぽを活用することで凌(しの)いでいます。食糧についてはコンビニやスーパーで売り切れが常態化したため、お米のストック残量が少なくなってもその補充はできませんが、幸いなことに近所のパン屋さんに食パンを焼いていただいたため、少食の私たちはこれで当面凌(しの)げると思います。
一番気になるのが車のガソリン。昨日もチビスケくんとチビエちゃんの家へ様子を見に行く途中、ガソリンスタンドを覗(のぞ)いてみてビックリ。幹線道路にはみ出て給油を待つ車が2-30台も列をなしていて、しかもその後尾付近で店員が「売り切れの看板」を掲げていました。当面は車での外出を極力控えて、ガソリンの供給(買い溜め需要)が安定化するまで我慢する必要がありそうです。
以下は私の感想です。テレビの報道番組や新聞紙上で政府・官庁や関連企業の対応を批判する論調が相変わらず目立ちます。建設的な提案や被災時の対処法と言うよりも批判のための批判を繰り返すコメンテーターの発言には怒りさえ感じるのです。今は日本社会全体が力を合わせて未曾有の災害に対処すべきだと思います。緊急対応への批判や反省は対策がある程度奏功してからでも遅くはないでしょう。
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