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2011年3月 4日 (金)

長岡京市の古墳群

再び府道209号(光明寺道)を光明寺方面に走りました。光明寺前交差点を左折して(府道10号(丹波街道)で目印の長法寺を目指します。長法寺道との交差点に長法寺前のバス停を見つけて最初の目的地を探しますが、それについての案内が見つかりません。地元の年配者と思われる方に訊(たず)ねると、田圃(たんぼ)の中に伸びる細い道を指差して親切に教えてくださいました。府道から入る狭い道は、軽自動車なら問題ないのですが、私の車が通行できるか微妙でしたので歩くことにしました。住宅が建ち並び始めた田舎道の200mはかなりの距離に感じられます
 
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七ツ塚公園の標識があります。ここに間違いないでしょう。
 
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遊具などがほとんどない公園内でゲートボールを楽しむ人たちがいます。その東側に「長法寺七ツ塚古墳 五号墳」がありました。「長法寺七ツ塚古墳 三号・四号・五号墳」の案内板には約1450年前に造られた群集墳で、その内3つの墳が発掘中であること、五号墳は長さ約18mの方墳であると説明されています。有力者の家族墓であったと考えられるそうです。
 
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この五号墳の他にも古墳が並んでいると聞いてさらに歩いて探すことにしましたが、急に冷たい雨が強く降り始めましたので断念、小走りに車へ戻りました。
 

長法寺道を東に進みます。七ツ塚古墳脇の道ほどではありませんがセンターラインが引かれていない狭い道です。事前に調べていた情報にしたがって見当をつけて住宅地に入ります。折れ曲がる路地を進むと行き止まりに今里大塚古墳公園がありました。向日市の物集女車塚古墳と同様に新しい住宅地に周囲を取り囲まれている今里大塚古墳です。裏手からアクセスしたようです。
 
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今里大塚古墳は7世紀前半に造られた乙訓地方で最後の大型古墳で、乙訓地域を支配していた首長の墓と思われ、現存する墳丘は直径約45m、高さ6.5mの円墳ですが、前方後円墳の可能性もあるとの説明があります。
 
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新興住宅地を抜けた反対側の道で丹波街道を横切り、西山体育館の脇を抜け、光風美竹通りで走田神社(はしりたじんじゃ)を目指しました。不思議な道路名だと思っていると、「孟宗竹発祥之地」の石碑が目に入りました。禅僧道元が中国杭州から孟宗竹(もうそうちく)の原種を持ち帰って寂照院近くに植えたとの説明が彫られています。その先にある走田神社の長い石段を上がって境内を探しましたが古墳らしきものは見当たりません。ちなみに走田とは聞き慣れない名称ですが早稲田の意味があるそうです。
 
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近くの月極駐車場で車に乗ろうとする年配の方に古墳の場所を訊(たず)ねると、近くにある埋蔵文化財調査センターで聞いたらどうかとアドバイスして下さいました。奥海印寺通を走るうちに、丹波街道(府道10号)と柳谷道(府道79号)が交差する西陣町交差点まで行き過ぎてしまいました。同行者は「先ほど案内板を見かけたわよ!」と涼しい顔。奥海印寺通から脇道へ入った場所にある長岡京市立埋蔵文化財調査センターは想像したよりも立派な施設です。
 
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駐車スペースに車を停めて向かった入口脇に「走田古墳群出土石棺」がありました。
 
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インターフォンを押すと係の方がドアを開鍵して展示室の天井灯を付けてくださいました。2手に別れた広い展示室を見て回ったあとに走田9号墳の場所を訊ねました。
 
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走田神社(はしりたじんじゃ)の南隣にある寂照院の本堂裏にあるそうです。
 
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寂照院の立派な本堂を半周すると 室内に走田9号墳が保存されていました。
 
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小高い場所に建つ本堂から南方を望むと正面(約2.5km南)に天王山が聳(そび)えています。山崎の合戦で明智光秀が本陣を置いた御坊塚は2kmほど東南で、ほぼ正三角形の位置関係です。
 
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乙訓寺と長岡第三小学校の東方、府道67号の辺りにある今里車塚古墳は古墳時代中期初頭に造られた前方後円墳で周囲に方形の周濠を巡らしていたそうですが、現在は墳丘が削り取られて当時の面影は窺えないようですから通過することにしました。
 

長岡天満宮に参拝したあと、御坊塚を訪れた時に通った府道204号(サントリー通り)でサントリーの工場を通過、小畑川に架かる落合橋の点前を左折して、小畑川の堤防から長岡第八小学校を回りこむように進みました。長岡第八小学校・長岡第三中学校と東海道本線に囲まれる場所に小さな丘があります。
 
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竹林に覆(おお)われる恵解山古墳(いげのやまこふん)です。左手に歩いてみました。恵解山古墳の周濠(しゅうごう、古墳の周囲に掘られた堀)跡です。全体像が上手く想像できませんので帰宅後に航空写真で確認しました。
 
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墓地に入る道を上って一段高くなっている後円部から見渡すと前方部と後円部の間は新しい墓石が並んでいます。
 
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前方部には鉄製武器類出土地の説明がありました。
 
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恵解山交差点で恵解山通りからサントリー通りへ左折すると右手に「中山修一記念館」がありました。長岡京跡の発見に貢献した中山修一氏の生家を利用し、中山氏の足跡や研究成果を一目で見られる施設として長岡京市が整備した施設です。今回は前景の写真撮影に留めました。(続く)
 
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